「はぁ……生き返るっぽいぃ……」
「ふぅ……」
私の声と同じくして大きく息を吐き出したのは、駆逐艦、時雨。
ちゃぷん、と水音が入渠ドックに響く。
がやがやと騒がしい呉鎮守府内であったが、ある時から、ぴたりとその喧噪は止んだ。
第一艦隊、支援艦隊、補給艦隊の三艦隊が帰投してから数十分後には、もう、ぱったりと。
大方、提督への作戦報告と、それに伴う軍議で一か所にまとまっているのだろう、などと考えながら、私は温かな修復液に浸かっていた肩をより深く沈ませ、ぷくぷくと口元で泡を立てた。
戦闘による損傷は激しいものでは無かったが、砲撃戦によって傷を負った私や後方支援で空母を護衛していた時雨、その他にもいくらかの艦娘が、以前に所属していた鎮守府よりも広い入渠ドックで身体を休めていた。
「……僕の知ってる夕立じゃないみたいだ」
「っぽい?」
首をかしげて、隣にいる時雨を見る私。
知っている夕立じゃないみたい、という呟きに疑問を持ったのは、私が時雨にいつも見せている顔をしていなかったからだろうか、というものではなく――
「時雨が知ってる《夕立》は、私とはちょっと違うっぽい?」
――別の鎮守府からやってきた時雨が知っている私と、同じ名を持つ駆逐艦が、どう違うのだろうか、というもの。
「僕が知ってる夕立は、もっと……どう言えばいいかな」
「元気いっぱいっぽい?」
「――ううん。その逆。いつも、暗い顔をしてた」
「……ぽいぃ」
じゃあ、私はその子と変わらないよ、と喉元まで出かかった声を、さらに深く、鼻先が浸かるぎりぎりまで沈むことで呑み込んだ。
「ここの夕立と話をするのは初めて、かな。よく覚えてないや」
声を受けて少し浮上した私は「よろしくっぽい!」と元気に答えて見せたが、時雨の表情は、作られたような笑みを浮かべただけだった。
形だけでも笑顔で対応しておいた方が、軋轢は生まれづらいだろう? とでも言いたげな雰囲気が感じられた。
――これは私の偏見かもしれないけど。
私と時雨は、浅からぬ因縁がある。
鉄塊であった艦の頃は同型というだけで、合同作戦に従事した回数が多いわけでもなければ、第二十七駆逐隊に所属していた時雨が、神通から第二水雷戦隊を受け継いだ能代を筆頭に縦横無尽に活躍していた、みたいな朧気な知識があるだけ。
ここにいる時雨が、どれだけ夕立という存在に対する知識を持っているのかなんていうのは知らない。
ただ、時雨が知っている私は、いつも暗い顔をしていたらしい。
少し前の私がそうだったのだから、間違いだと言い切るつもりはない。
「時雨は、前の夕立と今の夕立、どっちが好きっぽい?」
きょとんとした時雨が顔を向けてきたものだから、私は気になっただけっぽい! と言ったのだが、その問いが私にとって地雷ならぬ、機雷になろうとは思いもしなかった。
「――僕は、どっちも好きじゃない」
各々が身体を休めようとしている入渠ドック内は柔らかな雰囲気だったが、その一言で凍り付いた。
しばしの静寂。それから、私が口を開く前に、同鎮守府に所属していたという山城が修復液のシャワーを傷口に当てた格好のまま咎める声を上げた。
「時雨、やめなさい」
「おや、山城は夕立の肩を持つのかい? 同郷のよしみで僕の肩を持ってくれるものだと思っていたのに」
ふふん、と笑った時雨に、山城はさらに語気を強めて言う。
「やめなさいと言っているの。同郷だなんて、そんな事を言うものではないわ。今は海原提督の艦娘で、私達は柱島の所属なんだから」
山城の姉にあたる戦艦扶桑はと言えば、何も言わず、事の成り行きを見守るように浴槽の端っこで足を伸ばして目を細めるばかり。
――まあ、考えずとも、どうしてか浅からぬ因縁のある相手。
前の鎮守府でも、ここでも、きっと私達の仲は――良くなる事など無いのだろう。
大淀と共に前提督に仕えていた頃も、時雨とはあまり話さなかったし、仲が良いわけでもなかった。それは柱島に来た今でも変わらない、ということだ。
しかしながら、ソロモンを抜けて帰って来た今の私は疲れているのか、心に余裕があるのか、はたまた余裕が無くて考える暇が無かったのか、ただ少し申し訳なくて彼女にこう返す。
「ご、ごめんね時雨。夕立、賢くないから……変な事を言ったら、今みたいにズバッと言ってくれていいっぽい! 夕立は――」
「――そういうのが嫌いだって言ってるんだよ。分からないのかい?」
「うっ……ぇ……?」
「またソロモンに行けて楽しかったでしょ。今度は勝てたね? 誰も失わず、帰還出来た……だから嬉しいんだろう?」
「えっ、あ、あの……時雨……夕立は――」
「佐世保の時雨なんて呼ばれてたんだから幸運艦かもしれないって期待されてた僕よりもよっぽど素晴らしい活躍だったね。本当、尊敬するよ。僕なんて護衛だけで手いっぱいだった。艦載機を引き付けて、この身で攻撃を受けて帰って来ただけでも幸運なのかもしれないけど、君と比べたら、全然さ」
「時雨! やめなさい!」
山城の怒声。それでも時雨は止まらず、興奮したようにざばんと音を立てて湯船から立ち上がり、私を見下ろして声を紡ぎ続ける。
作戦時に通信で聞こえてきた強気で頼りがいのある声とは別人のような物言い。
まるで――
「あの頃を思い出したよ。川内さんの救援にも向かえず、白露も五月雨もぶつかって、もう勝つ勝たないどころの話じゃなくなって逃げ出したあの頃をね。まあ、それに比べたら凄い戦果かもしれないね? 海原提督は凄い人だ。ソロモン諸島を周回させて敵艦を沈めまわらせて、その余波が本土に及ばないようにって僕達をつけるなんて、昔の僕でも、今の僕でも、考えられない発想さ。資源に余裕があったわけでも無いのに、逆転の発想だね。僕がこの程度の傷で生きて帰れたのも、ある意味で本当に幸運艦らしいことなのかも」
――艦の記憶に引っ張られているように見えた。
「……そんなの、知らないよ」
「何だい夕立? 何か言った? ふふ、僕の知ってる夕立みたいに小さい声だ」
私も艦娘だ。艦の頃の記憶は朧気ながらある。知識だってそうだ。
それによって感情が強く引っ張られるという事もあった。
暗闇が怖かった。私が放つ砲弾が、魚雷が、仲間に当たってしまうかもしれないという恐怖があった。
この作戦だって――怖かった。
これも一種の共鳴と言うべきか、私が無意識に知らないと言い返したことをきっかけに、入渠ドックは怒鳴りあいの場と変わり果てる。
「時雨の考えなんて知らないっぽい! 幸運艦とか呼ばれてたのも、夕立には関係ないっぽい! 知らない! 知らないっぽい! どうでもいいっぽい!」
「吠えるねえ? ソロモンをくぐり抜けた勝者の叫びってやつかな?」
「時雨、いい加減にしなさい! 救出に成功して戻ってこられたのだから――!」
「僕だって頑張ったんだよ――!」
「っ……!」
時雨のひときわ大きな声に、しん、と再び静まり返ったドック内。
きぃんという残響が消えてからすぐに、時雨は残響が消えたことさえ腹立たしい、という具合に金切声を上げた。
「いつもそうだ! 前の鎮守府でも、ここでも、頑張って、頑張って、生き残っても、次の出撃がある! 次は生き残れないかもしれない! 今回は運が良かっただけだよ! 本当に、幸運だっただけだよ……! もう嫌だよ……あの、提督の顔を見ただろう……? 次の出撃を考えている顔だった……この戦争の中心へ突き進む顔をしてたんだ……扶桑や、山城みたいな顔で……でも、最上達みたいな、優しい声で……」
「……それで?」
途切れた声に、扶桑の声が入り込んだ。
「海に立ってる時は、頑張ろうって、まだ戦えるんだって、思えるんだ……でも、一度海から上がると、もう一度出撃する時、今度こそ前みたいに、一人に、なるんじゃないかって……」
「……そう」
扶桑が修復液を塗り込むように手を動かし、首筋、肩を撫でる水音がする。
「私は乗り越えたわ、
「それ……?」
どれ? と疑問が顔に出ていたのだろう。顔を向けた私に、扶桑が柔らかな笑みを浮かべて言った。
「あなたは、一生懸命になり過ぎて、気づかないうちに越えていたのかもしれないわね」
扶桑の言葉に合点がいったような山城は、ああ、と納得したような声を出した後に、時雨をちらりと見やり、先ほどとは打って変わってまるで放っておくみたいに背を向けてシャワーを浴びなおしはじめた。
時雨は分かっていないようで、出撃したばかりの時の自分と、帰投してからの自分を頭の中で比べているのか、突っ立ったままに下唇を噛みしめていた。
「乗り越える、乗り越えないなんて簡単な問題じゃないよ……――!」
「誰も簡単なんて言っていないわ。とても、難しかったし……怖かったもの。私にはきっかけがあった――時雨にも、いずれやってくるわ」
「そんなもの……ッ!」
「ぁ……」
時雨が怒鳴る前に、私も合点がいった。
きっと提督は意識していないのかもしれないが。いいや、彼のことだ、もしかすると作戦にあえて組み込み、私達を試しているのかもしれない。
もしもそうならば、彼は本当に厳しい提督だ。
そして――誰よりも私達を考えてくれる、優しい提督だ。
「……過去を、越える戦い……っぽい」
「はぁ……!? どうしてここでそんなふざけた事を言えるんだろうね君は! 何が過去だ! 何が戦いだ!」
「……」
「終わらせるために、今度こそ終わらせられると思って来たのに……まだ……っ」
そのための戦いでもあるのだと言えたらいいのに。私は声には出さなかった。
私がここで時雨に何を言おうと、きっと聞き入れてくれないだろう、と口を噤む。
と、閉じたのもほんの数秒だけだった。
時雨が私を睨み、見下ろす姿に腹が立って私も立ち上がり、真正面から見据える。
「そんなに戦いが怖いなら、引っ込んでたらいいっぽい!」
「こっ……怖くなんか無いよ! 僕だって戦える!」
「さっきはもう一度海に行くのが怖いって言ってたっぽい!」
「言ってない! 今度は一人になるんじゃないかって言ったんだ!」
「怖いって意味っぽい! 時雨は、怖がってるだけっぽい!」
「~~~ッ! 違う! 違う違う違う! 君達が先に沈んで、僕だけが生き残ったらって面倒だって意味だよ! 僕は幸運艦なんだ! 君達よりも先に沈むわけがない!」
「幸運艦の癖に負傷したっぽい? っはん! 時雨の幸運っていうのもあてにならないっぽい! まだ夕立の方が戦えるっぽい!」
「何をぅ……!? こ、こん、こんな……ぽいぽい言う艦娘が戦えるなんて思えないね!」
「へーん! 夕立は敵の駆逐艦をちゃーんと沈めてきたっぽい! 時雨は敵の艦載機でいっぱいいっぱいになってたんじゃないかしら?」
「艦載機と駆逐艦は別じゃないか! そんな事も分からないのかい?」
ふん、と顔を背ける時雨だったが、私の幼稚な言い返しにまたこちらを向く。
「それくらい分かってるっぽい! 物の例えっぽい!」
「何も例えてないじゃないか! やっぱり夕立は馬鹿だ! バーカ! バーカ!」
「んなッ……! 馬鹿って言った方が馬鹿っぽいー! バカー!」
……どうして私はこんな言い合いをしているのだろう。
頭の片隅は冷静なのだけど、時雨が私の両肩を掴んで押し倒そうとしてきた事で意識は逸れ、こちらも時雨の肩を掴んで押し返す。
馬力の差はあれど、ぐぐぐ、と均衡する私達に、山城の怒鳴り声が三度入り、今度は扶桑のくすくすという笑い声まで。
「や、やめなさい時雨! 夕立も! あーもう、どうしてこんなことに……!」
「ふふふっ……二人とも、仲良しね」
「仲良くない!」
「仲良くないっぽい!」
* * *
がるる、と二人して喉を鳴らし、どちらかが湯船に倒れ沈むまで、みたいな力比べをしている最中の事だった。
「司令官が修復にあとどれくらい掛かりそうか聞いて――って何やってるんですか二人とも!?」
ドックの扉を開いたのは、時雨とともに支援艦隊の任務についていた綾波だった。
私と時雨が取っ組み合いになっているのを見て、制服も脱がず早歩きでドック内へ入ってくると、互いの肩を掴んでいた腕をがっしりと握り「やめてください!」と言った。
「夕立は悪くないっぽい! 先に絡んできたのは時雨だもん!」
「僕が悪いって? 言うじゃないか、馬鹿の癖に!」
「い、い、か、ら! 二人とも、手を放してください!」
「やっ!」
「お断りだね!」
「もぉぉぉっ! 司令官が外で待っておられるんですよ!?」
「提督さんが!?」
私がはっとして力を抜いた瞬間、ぐらりと身体が傾く。
「うわっ!」
「っぽい……!?」
「きゃあ!?」
ばしゃん、と水しぶきを上げて私と時雨が湯船に倒れこむ。
綾波までもが巻き込まれ、しぶきは高い天井に届くのではないかというくらいに飛んだ。
「げほっ……な、何で私まで……制服がぁ……!」
「いきなり力を抜く奴がどこにいるんだ! 夕立!」
「邪魔! 時雨、どいてっぽい!」
「あっ! 夕立さん待っ――!」
「あらあら、あんなにはしゃいで」
「お姉様! そんな悠長な――! 夕立! 待ちなさい!」
文句を言う時雨を押し退け、扶桑と山城の声を振り払い、私は湯船から飛び出した。
艦娘の修復に使われる修復液は、体表面の殆どを一瞬で修復することが出来る。
それはこれ以上血液――艦娘の体内に流れているものも赤色だが、もしかすると油なのかもしれない――を流出させないための働きらしく、内部の修復には多くの時間が必要となる。
大淀が昔に教えてくれた事なのだが、それを今になって実感するとは。
湯船を飛び出した私は一見して無傷だったが、腕や足に受けた砲弾の衝撃によってできた傷は癒えておらず、びき、とした嫌な痛みを訴える。
それでも、提督が来てくれた――ただの仕事だったとしても、会いに来てくれたのかもしれない、と思うと胸が熱くなり、いてもたってもいられなくなったのだ。
ドックを抜け、脱衣所に到達するも、タオルで修復液を拭う時間も惜しいと私は駆けた。
そして脱衣所から廊下へ続く扉に手をかけ――
「提督さん――!」
「あぁ、夕立か。思ったよりも修復は早かったみたぁぁああ――!? な、なっ! 夕立! タオルはどうした!?」
――駆けた勢いをそのままに、扉の前に立っていた彼に飛び込む形になった私を真正面から受け止めてくれたのも嬉しく思った。
その嬉しい、という感情の種別がどういったものかは、分からない。
しかしながら、港に帰って来た時とは違う、ああ、この場所こそが私のいるべき場所なのだという理屈も根拠もない安心感だけは、無機質な嘘ではなかった。
「夕立! いっぱい頑張ったっぽい! あのね! あのね!」
私が乗り越えられず、暁を迎えることの出来なかったソロモンでの戦いが、どれだけ過酷であったことか。
その戦いで聞こえたあなたの声が、どれだけ私の心を燃やしたことか。
作戦報告書などでは無く、生きて帰ってきた私の口から、聞いて欲しい。
逸る気持ちを言葉にしようと頭を働かせようとするも、ずき、と痛んだ足に言葉にならない声が漏れた。
「夕立ね! 敵の駆逐艦をね――いっ……!」
「!? どうした、身体が痛むのか!?」
「へ、平気っぽい! これくらい、全然痛くないっぽい!」
それよりも私の活躍を、と顔を上げて提督の顔を見ると、彼の顔はみるみるうちに真剣なものになり――
「修復が済んだら話くらいいくらでも聞いてやる! 痛みを我慢するなど何を考えているんだ! 修復を優先しろと言っただろう!」
「ひぅっ!? 提督、さん……あ、あの、夕立、ち、違うの、いっぱい頑張ったから、聞いてほし、くて……」
「お前達が頑張っていることなど知っている! どれだけの戦いであったのかも通信で聞いていた! それは己の身体を蔑ろにすることとは別だ馬鹿者!」
――な、なんで……私、たくさん頑張っ……
「きゃ!?」
「すぐにドックに戻れ! お前の身体が第一だ!」
頭が真っ白になった事は、今までに数度ある。
戦場で敵に囲まれ、退路を断たれた時。
命からがら切り抜けた先に、新たな戦力を確認してしまった時。
中破、いいや、大破状態で航行もぎりぎりで辛勝したあと、別の艦隊に追いつかれてしまった時。
弾薬を全て撃ちきり、燃料が底をつきそうになるも、なんとか帰港できた時。
作戦を見直してもよかったんじゃないか、と前提督に口にして、思い切り殴られた時。
入渠もさせてもらえず、傷だらけのまま、居室に何日も放置された時。
「夕立さん! 外には司令官がいるんで――きゃぁああああ!?」
「綾波か! どうして夕立は飛び出してきたんだ!? ドックに問題でもあったのか!?」
「なっ……ななな何もありません! 異常無しです! ですから早く出て行ってください!」
「出ていけるわけが無かろう! 修復も終わっていないのに夕立が飛び出してきたのだぞ! 問題があるのなら私が責任を負うから隠さなくていい! 退け綾波!」
「何もないですよ本当に!? あ、あぁぁあっ! だめです司令官! まだ皆さんが修復中で――!」
「大丈夫かお前達――!」
――戦況よりも、戦果よりも、輝かしい武勇伝よりも――私を見てくれる、提督に抱きかかえられてしまった時。
脱衣所まで追ってきていたらしい綾波の声も、器用に足で入渠ドックへの扉を開けた提督の行為も、その中から聞こえてきた声も、私には届くはずも無かった。
私は、一糸まとわぬ姿のまま、縮こまって提督に抱えられ、真剣な顔を見上げていたから。
「きゃああああ!? なっ何しに来たんですか提督! と、とうとう本性をあらわしたというんですか!? お姉様が目当てですね!?」
「て、提督、どうしてここに……!」
「山城! 修復状況を報告しろ! し、時雨は大丈夫か!? どうしてそんな恰好で固まって……やはり私が無茶をさせてしまったから――!」
かろうじて聞き取れたのは、呆れたような、それでいて心底面白がっているような、初めて聞く、明るい扶桑の声だった。
「あ、あははっ! ふふ、提督、ご安心ください。順調に修復は進んでいますから、もう数時間とかからないはずです。もう少しだけお待ちを。夕立さんを連れてきてくださったんですね? お預かりします」
「あ、あぁ、頼む……問題は無いのだな? 大丈夫なんだな?」
「はい、大丈夫ですよ。提督も、お戻りください」
「本当に問題は――!」
「ありません、ご安心を。それとも――私達と入渠を?」
濡れたタオルで身体の前面を隠した扶桑が片手で私をそっと受け取り、戦艦ならではの力で抱えたままに問えば、提督は数秒固まったあと、慌てて軍帽で顔を隠して背を向けた。
「……失礼した。入渠とは言え、女子の入浴中に入り込むなどと不埒な真似をして……何か問題があっては仕事に支障を来すと思い……」
「――夕立さんが飛び出してくれば、緊急事態かと勘違いしてしまいますよね」
あっ、とやっと意識の戻った私は、飛び出してしまって提督に無用な心配をかけてしまったのだと気づいた。
戦果であろうが報告であろうが、今は修復作業中。
一見してただの入浴に見える行為でも、艦娘にとってこれは治療行為なのだ。
その治療行為中にもかかわらず艦娘が飛び出してきたのであれば、緊急事態が発生したのかと提督が顔色を変えてしまうのも、当然。
「ごめんなさい……夕立、その……」
「お前達が無事ならそれでいい。本当にすまなかったな。私は外で待っているから、しっかりと回復を優先してくれ。いいな」
「そのように」
「っぽい……」
山城は扶桑と提督のやりとりを見て落ち着いたのか、口を挟まず、そそくさと湯船に逃げ込み、隠れるように顔の半分まで修復液に浸かった。
時雨は立ち上がる寸前の中腰の恰好のまま固まっていて、脱衣所に続く扉の前で綾波は目を白黒させたままだ。
「……では、帰るときに、また」
「はい。またのちほど、提督」
「うむ」
ツカツカと入渠ドックから出て行った提督を見送った後、私は……
「――んんんんんんん! 何やってるの私ぃー! 提督さんに心配かけちゃったっぽいぃぃぃ!」
床を転げまわった。
硬いタイルの上だったものだから色々な意味で痛かったが、羞恥や申し訳なさの方が勝ってしまう。
「夕立さん……治療行為中に患者が飛び出したら、それは緊急事態だと言っているようなものです。私達は女子であると同時に、海軍の艦なんですよ? いいですか?」
「っぽいぃ……」
「お姉様……だからと言って、て、提督に……殿方に裸体を見られるなど……!」
「山城もよ。提督に対してなんて失礼な事を言うの。後できちんと謝るのよ?」
「えぇ!? なんで……お姉様ぁ……」
「見られた……提督に見られ……」
「時雨も、身体を冷やしてしまうわ、湯船に戻って」
「あ、あう、あうう……」
私を含め、山城と時雨を宥めて湯船に戻る扶桑。
入口に立っていた綾波は「わ、わたし、もどります、はい」と混乱甚だしい状態のまま、出て行ってしまった。
「提督さぁん……」
私の空しい声が、入渠ドックに響く。
修復が完了するまで、もう少し掛かりそうなのだった。身体も、心も。