柱島泊地もそろそろかという頃、私の予想通り哨戒中の艦娘と出会った。
哨戒とは名の通り敵襲に対し警戒する行動である。しかし、妙だ。
何故そのような事を考えてしまったのかと言うと――私たちの船を見つけてやってきたその艦娘が《たった一隻》しかいない事と、今の状況にある。
「所属を言うっぽ……言え」
海よりも冷たく重い声音。それに似合わない語尾ながら、彼女の身体中から発せられる殺気は有無を言わさぬものがあった。
哨戒中の艦娘がいるという事は既に我々は泊地の海域に進入しているという事になる。ならば到着もすぐだろう。
ざぁざぁと海上を走る彼女は声を上げながら船上を覗く。
私は彼女から見える位置まで移動し、提督を守るよう前に出る。
多少の警戒こそすれど、心配は殆どしていなかった。
提督が傍にいらっしゃる事もあるが、何より彼女は――
「夕立さん、あなたも、ここへ来たのですね」
船に横付けするように停泊した、空が白む朝焼けのような髪色をした少女。
緑色の瞳は忘れようも無い。私と同じ鎮守府に所属していた艦娘の一人なのだから。
「大淀、さん……? なんで……!」
「同じ鎮守府に配属されたのですね。私はこちらの提督をお迎えに行っていたんです」
ふん、と鼻を鳴らして眼鏡を押し上げる。
前鎮守府では私の他に数隻が左遷された事を知っているが、まさか同じ鎮守府に配属になるとは思わなかった。顔見知りがいるだけで心持も変わってくるというもの。
夕立は私を見てほっとした顔をしたが、すぐにぎゅっと口を結んで提督を見た。
一秒、二秒……そしてたっぷり十数秒経っても、夕立は何も言わない。
上官に、それも提督になんて失礼な――!
すぐに咎めたくもあったが、声には出せなかった。
私は夕立が前提督からどのような扱いを受けていたか知っているから。
駆逐艦である彼女は機動力に優れ、夜間戦闘での活躍も期待できる素晴らしい艦娘だ。
しかし、前提督は駆逐艦に見向きもせず、戦艦や空母ばかりを多用した。近海警備にさえ戦艦を出撃させた時は流石にやり過ぎだと苦言を呈したが、それに対して返ってきたのは罵声と平手だった。
『提督! 近海警備に何故戦艦や空母を出撃させたのですか!? 資材の備蓄も多くはありません……出撃させるなという訳ではありませんが、彼女達はもっと別の作戦に起用すべきです!』
『あァッ? 貴様ァ……上官に逆らうつもりか! 考えも無しに私が出撃させていると思うのか! この馬鹿者が!』
『痛っ……! し、つれいしました……。しかし、何故――』
『我が鎮守府にはこれだけの戦力があると誇示することに意味がある! 深海棲艦の奴らもこれを見せられたらたまったものでは無かろう。下級の深海棲艦のいくつかでも沈めておけば、見せしめにもなろうものよ』
『見せしめなど……! 資材の消費に見合いません……高練度の駆逐や軽巡を警備させても同様の効果は得られるのではないでしょうか……』
『減らず口を……これだから使えん奴は……。貴様ら軽巡以下は私の機嫌取りでもしていろ。作戦には使ってやるが、機嫌次第だ。それに、駆逐艦の小娘は私の言うことをよく聞くようになってきたぞ? んん?』
にやけ面を思い出しただけで気持ちが悪くなってきた。拒否反応と怒りがお腹の中で混ざり合って吐き出してしまいそうになる。
あのやり取りの後に、彼女がやってきたんだ――
『失礼するっぽ……失礼します! 提督さん、大淀さんの言う通りっぽ……言う事にも一理あるかと愚考します!』
『っち……また貴様か、駆逐艦……』
『盗み聞きしたわけじゃないっぽ……んんっ、偶然、聞こえましたので。私たち駆逐艦もお仕事出来ます! 哨戒任務も、お任せください!』
『おい、貴様。こっちに来い』
『はい! ――ったぁ!? う、ぐっ……』
あの時、彼女は私の目の前で同じように平手打ちされ、綺麗な髪を掴まれて鼻先で怒鳴り散らされていた。
『貴様は! この軽巡と同じく私の言う事を聞かない欠陥品だ! 貴様が出撃を望むだと? ふざけるな! 出撃命令を下すのは私で、この鎮守府における全ての命令権は私にある! 次にふざけた口調で話しかけてみろ、解体処分にしてやるからな!』
『つっ、ご、ごめん、なさ……ひぐっ……痛い、ですっ……!』
『ふん……ただの兵器のくせにクソガキときたものだ。胸糞の悪い……』
……彼女の目を見ていると、その時の事が鮮明に思い出されて胸が痛くなる。
止めに入った私も夕立と同じように怒鳴られ、結局、その後一時間程の説教とともに営倉に丸一日閉じ込められたのだった。
「……」
警戒心丸出しの夕立に対し、提督はおぉ、と声を上げて妖精に「上げてもいいだろう?」と言い出した。
ぎょっとした私をよそに、提督は私に食事をしようと言った時と同じ明るい声音で夕立に言う。
「俺がお前の提督になる。夕立、だよな……? よろしく頼む」
「え、ぁ……」
彼女は戸惑いを見せたが、さらに警戒を強めたように船から距離を取った。
提督は不思議そうな顔をして続ける。
「船に乗った方が楽だろう? もしかして、任務中か?」
任務中か、とはまた不思議な事を言う人だ。
我々は曲がりなりにも軍人であり、仕事をしていない瞬間など一時として無い。
昔ならば一言くらい挟み込むところだが、私はあえて口を閉じた。
彼なら――何か、考えがあるはずだ、と。
「任務中っぽ……です」
「そうか。というか何だその喋り方は」
「っ……」
だめだ、口を挟んじゃだめだ。
「ぽいぽいと……お前――」
でも、彼女は私の仲間だ。昔も、今も。
提督には彼女を否定して欲しくない。その思いで口を開きかけた時、
「元気無いじゃないか。元気いっぱいっぽい! というのがお前の売りだろう」
「っぽい……?」
あぁ、やはり黙っていても大丈夫なのだと悟る。
提督は彼女の事をまるで知り尽くしているかのように語り始めた。
「夕立には世話になった。あの夜戦火力には目を見張るものがある。雷装、対潜もかなり優秀で先陣を切るにはもってこいだったからな」
提督の仰っているのはいつの事だろうか。元大将閣下ということもあるのだし、大本営などで記録をご覧になったのかもしれない。かつて彼女が《ソロモンの悪夢》と呼ばれた屈強な艦であったのを知っていても不思議ではない。
「任務中にすまなかったな。また後で――あ、いや待てよ……大淀」
「っは」
声を掛けられ、脊髄反射で返事する。
すぐさま敬礼の姿勢をとった私に驚く夕立が視界の端に見えるが、きっと彼女も提督の偉大さに気づいてくれるだろう。
「ここから鎮守府は近いだろう? なら、このまま護衛という形をとるのは……まずいか?」
「いえ、提督のご指示でしたら問題ありません」
「だそうだ、夕立」
にっと笑みを向ける提督。夕立はきょとんとしていたが、数秒して顔を伏せ、小さな声で「任務なら……」と呟く。
そこから彼女は、顔を上げられなくなった。それは――
「一緒に鎮守府に帰ろう」
きっと、提督は何も意識せずにおっしゃられたのだろう。
そのお言葉の意味も、何もかもを知っているが――軍人たる提督は夕立にこそ、それが必要であると分かっていたのかもしれない。
「帰る……? 捨てられ、たのに……夕立は……夕立、は……」
ただ静かに目を閉じ、私は想う。
無線をつなげているわけでも無ければ、心のうちが通じて分かるわけでもなかったが、夕立に対して穏やかな気持ちを向けられずにはいられなかった。
私達は欠陥品。だから捨てられた。はじめこそ慕い、仕えていた前提督に。
捨てられた艦娘はどうすればいい。海を漂って、沈むのを待つしかないのか?
また冷たい水底に鉄の身を沈め、光を失うしかないのか?
いいや。違う。
戦争に怒りの目を向け、私に、私達に慈愛の目を向ける真の軍人である提督はそんな事などしない。だから、大丈夫。
「大淀も腹が減っててな。帰ったら夕立も一緒に飯を食おう。な?」
つかの間の穏やかな時間。
砲身が唸る爆音も、硝煙の匂いも無く、波の音と潮の匂いだけが辺りを包む平和な海で、提督は笑った。
夕立は顔を上げないまま、こくん、こくんと首を動かす。
私の目には、彼女の顔からいくつかの雫が落ちたように見えたが、気のせいではないだろう。
「帰る……帰り、たいっぽいぃぃ……」
「そ、そんなに腹が減ってたのか……任務前に何か食べなかったのか? まあ、飯を食ってからでも遅くないだろ。行こう、夕立」
「ぽ……ぽいぃぃぃっ……ひぐっ、ぐすっ……!」
提督は軍人として、上官として最高のお方だ。
しかし、女性を慰めるのは不得意なのかもしれない。私にも夕立にも腹が減っていたのかと誤魔化してくださっているが、女性に対して使う理由にはちょっと……。
だが軍隊とは元より男気質が強いものなのだから仕方がないのかもしれない。そういうところもまた、愛らしくも感じられる。
……って、私は何を。
「夕立、案内を」
夕立はぐしぐしと目元を拭いながら先導する。
私と提督を乗せた漁船は、ゆったりとした速度で泊地へと進入していった。
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