柱島泊地備忘録   作:まちた

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七十話 始動【艦娘side】

 話は少し遡る。

 

 

 泣きはらした目を擦る大淀が、一航戦の二人と、あきつ丸、川内に食堂へ連れてこられたのは、夕方過ぎの事だった。

 丁度食事時で大勢が食堂を利用していたため、何があったんだとざわめきが起こったのは言うまでもない。

 

「その、大淀さんが、提督に八つ当たりをされたみたいで――」

 

 と、提督から言われたままに伝えた加賀であったが、それは悪手でしかなかった。

 

「ほら見なさいよ! あの男を簡単に信用しちゃダメなのよやっぱり! ねぇ北上さん、やっぱり考え直した方がいいですってぇ……!」

 

「違うって大井っち、アタシ何度も話したっしょ? 提督はそんな人じゃないって。もしもそうならアタシが連れていかれた時点でここにいないって」

 

「ま、まさか、北上さん……あの男に口封じされて――!?」

 

「だぁからぁ……違うってぇ……なんでそうなるかなぁ! 提督はアタシらに学んで欲しいだけって言ったじゃんか! 球磨姉達とも同じ部屋にしてくれたんだよ!?」

 

 軽巡洋艦大井の怒鳴り声、それに反論する北上を皮切りに、食堂内のざわめきはより大きくなる。

 

「八つ当たりって……んな馬鹿な事すっかよ提督が……」

 

「そ、そうねえ……周りの事をよく見ているお方、でしょうからあ……」

 

 天龍の呟き、それに同調する龍田も信じられないといった様子。

 その周りに陣取っていた駆逐艦、響や雷が戸惑ったような声で話した。

 

「大淀さんに八つ当たり? それは、ハラショーじゃないな……でもどうして……」

 

「司令官だって大変なのよ! 多分……い、雷には分からないけれど、きっとお仕事で追い詰められて、とかぁ……それかぁ……う、うぅん……」

 

 雷の言葉はいい得て妙であったが、本質をついているとは言えない、とあきつ丸は周りを宥めるように大きめの声で言った。

 

「まあまあまあ、貴艦ら、落ち着いていただきたい。雷殿の言は当たらずといえども遠からずであります。八つ当たりというのもある意味ではそうかもしれないでありますが、誤解でありますから!」

 

 それに川内が同調し、大淀に渡す予定だった資料をばさばさと掲げて示した。

 本来ならばそれはあきつ丸と川内、そして大淀を筆頭に極秘で進められるべき作戦の核となる情報である。

 

 しかしこうなってしまってはもう隠して統率が取れようはずもないと即座に判断して、川内はそれを示したのだ。

 大淀に劣らず、いいや、彼女はもしかすると柱島の中では大淀を凌ぐほどに情報の取扱いに長けている。太陽が陰り暗くなった水面下のような過去を持つ川内にとっては苦い記憶ではあるが、ここで活きるならばと、大淀に代わって判断したのである。

 

「皆落ち着いて! ちゃんと話すから! はぁぁ……提督が杜撰な仕事って言ったのは、まあ、分からないでもないかもなあ、これ……」

 

 その声に、川内の心の内にある感情の全てが詰め込まれていた。

 

 百隻を超えんとする艦娘を相手に情報統制を敷くのではなく、情報戦をしかけたようなものなのだ、かの男は。

 いくつかの秘密を隠す程度ならばきっとこの先、永遠に知られることは無かっただろうが、秘匿したまま大規模作戦を遂行し続けるのは、もう人間の業ではない。

 

 くしくもこうして騒ぎになってしまったことで、海原鎮という存在が決して人外ではないことが証明されてしまったのも皮肉なものである。

 

 川内に続く赤城の説明する狼狽の滲む声。

 

「八つ当たりというより、お互いの想いのすれ違いといいますか……!」

 

「おう、赤城加賀、ちょいこっち来てんか。君ら鳳翔の次は大淀て、なぁ」

 

 龍驤がちょいちょい、と手招きをしたのに対してびくりと肩を震わせる一航戦だったが、あきつ丸の「龍驤殿も、話を聞いていただきたい」という一言に「あぁ、ちゃうねん、別にどついたろとかそんな話やなくてやな……」と気まずそうな顔をする。

 

「てっきり、作戦の後か前か、鳳翔から話聞いとるもんやと思い込んでたんや、ウチは。鳳翔と大淀やったら提督の事をウチらより知っとる。その鳳翔から話聞いてんやったら、赤城も加賀もウチらが予想せん何かを知っとるんちゃうかってな? んでも何も知らん風で八つ当たりされた言うて、あきつ丸も川内も落ち着けーって、こらもう大事に首突っ込んでるて言うとるようなもんやろ」

 

 誰も否定しない。出来ない。その通りである。

 自分たちが知らぬ間に巨大な何かに巻き込まれている。その先頭を切っていたのは間違いなく大将として返り咲いたあの男であり、しかしてその部下である艦娘の全てが、自分たちがどのような作戦を遂行したのかも把握していない。

 

 表面上、呉の作戦に参加した艦娘達は作戦の概要を知っている。

 

 では大騒ぎになる理由が無い。ただ大淀が八つ当たりされてしまったという事実があり、やはりあの男も海軍の人間で、かつ信用できない側の人間であったというだけの話で終わってしまう。

 

 それをあきつ丸と川内という、提督に仕事を任されて柱島を離れた二人が違うというのだから、どこをどうまわっても、柱島の一同が問題の中心に足を踏み入れているのだという事に帰結するのだった。

 

 件の鳳翔はと言えば、かの提督に手紙を渡されたものの、その内容を誰かに話していたわけでは無かった。その内容もまた、心にしまっておくべき事なのかもしれないと鳳翔が判断していたためだ。

 

 私は中身を見ていない。そういった提督の言葉を、心のうちにとどめろと受け取っていたのである。

 

 すれ違い、噛み合っていない歯車がいびつな音をたてるが如き状況に、鳳翔はぎゅっと袴の裾を握りしめて、手紙に書かれていた不確かな情報を伝えるべきか否か迷っていたのだと言った。

 ここで話さなければどう話がこじれるか分からない、故に言葉を紡いだ。

 

「赤城さんにも加賀さんにも、話していません……これもまた、軍規に反する事だからです。私は鹿屋にいた艦娘。二人は舞鶴にいた艦娘……――菅谷中佐が舞鶴にいる接点の無い艦娘を心配するような文言を書いていたら、不自然ではないですか……?」

 

 龍驤はそれで事情があるのだと察したが、問題はそこではない、と鳳翔へ身体を傾けて言った。

 

「そら不自然やが知らんこっちゃ。ウチらが聞いたとこでどうも思わん。問題はそこちゃうやろ。赤城と加賀に話してない内容や、それとは別の」

 

「……彼女達が舞鶴で受け入れてもらえるとの事で、菅谷中佐は舞鶴の提督と、その、なんというか……」

 

 大淀が泣いている事情も聞かねばならない、あきつ丸達の話も聞かねばならないし、口振りからして明らかに同所属の過去を持つ一航戦と鳳翔の話も、どうやらどこかの歯車と噛み合いがある様子。

 

 賢しい者であれ頭がパンクしてしまいそうになる複雑怪奇の極まる状況に、サンバイザーを脱いで机に投げて声を荒げた龍驤を咎める者はいなかった。

 

「だぁぁもう! まどろっこしいねんて! 違う鎮守府に配置になってた言うてもウチと鳳翔は初期型の仲やろが! なんでもええから話してみいて!」

 

「っ……」

 

「だーいじょうぶやから! なんや、鳳翔んとこの司令官をどうこう思うことも無いし赤城も加賀もどうでもええ! あ、ああ、どうでもええっちゅうのはウチの認識は変わらんちゅうことやで二人とも、な? ままま、せやからぱっぱと話そ! ぱっぱと!」

 

 赤城と加賀に手を振ってぎこちなく笑う龍驤に急かされ、鳳翔はざわめきがほんの少し静まった瞬間、言葉を紡いだ。

 

「二人は建造艦娘ではなく、海上で救助された保護艦娘です……二人を正式に受け入れる場合、大本営への保護申請と、登録の申請が必要でした。しかし、鹿屋には正規空母を保護し、運用する余裕が無かったんです。だからと言って放り出すわけにもいかず、時間を置いて、手続きを取ろう、と……。過去に登録されている艦娘であれば異動処理で終わりですが、二人は保護艦娘、検査だって必要です。そこで菅谷中佐は見知った上官のいる舞鶴を頼ったんです。戦果も一定以上挙げ続けていて、検査出来る施設も揃っている。何より国内でも大きな拠点でしたから。すると、快く受け入れてくださるとの事で、二人は中佐と一緒に舞鶴へ……赤城さん達が知っているのは、ここまでかと」

 

「おん、おん……それでや」

 

 前置きの話に耐えるよう貧乏ゆすりをする龍驤だったが、話の続きを促すだけ。

 

「菅谷中佐は、二人がその場で舞鶴の所属になった時に、大変に後悔したと、書いてありました……舞鶴の現状をその時に初めて知ったのだと。しかし上官に逆らっては二人がどんな扱いを受けるかもわからず、鹿屋の艦娘にも影響が出るかもしれない。行動を起こせなかった自分は、二人を見捨てたようなものだと、記されていました。中佐は最後まで後悔していたんです。……ですから、私へ、今一歩、踏み出せなかったと」

 

 艦娘の関知しない、人間の中にある序列。

 序列の中に生まれる、強制力と軋轢、危惧。

 

 決して混ざることのないマーブル模様のそれが、立場を持つ者の感情が描くものであると理解出来ない者はその場にいなかった。

 

「腐敗などという言葉は、明確ではありません。生きとし生ける者の生存手段――ただ暴力で戦うだけでは、生き残れないのが、人間なんです。それでも、中佐は守ろうとしたんです……赤城さんや加賀さん、私を……!」

 

「あ、あーあー! そこは疑ってへん! 平気や、鳳翔の言うてる事も分かる! ただ……それが何の関係があるんや、八つ当たりだの、作戦だのに――?」

 

「……舞鶴は、保護艦娘を即座に移送しなかったという軍規違反を処分をしない代わりに轟沈数を偽った報告書を出せ、と」

 

「は――!?」

 

 がたりと龍驤が立ち上がる。

 轟沈数を偽る? と理解出来ない様子の艦娘がいくらかいたものの、噛み砕くまでもなく、言葉の通りなのであろうと分かった途端、怒りであるのか悲しみであるのか分からない感情に眩暈でも起こしたように全員が息を吐き出した。

 

「それに従った鎮守府に限り、舞鶴が不祥事をもみ消していたんです。東日本なら横須賀、西日本ならば舞鶴――大本営に持ち込まれる前に、一度は報告が通る……大本営直下である片方の舞鶴がもみ消せば、そう簡単に虚偽が明るみに出る事はありませんから……」

 

「……舞鶴の提督を詰める事はできんか」

 

「舞鶴の責任者を――西日本を統括する責任者を知っているのなら、龍驤さんは可能ですか?」

 

「……バケモンみたいな頭しとるんは、ウチらの提督だけじゃないっちゅうことか」

 

 そこまで言うと、力が抜けたように椅子に座り込む龍驤。

 それってさ、という声を上げたのは、ここまで一度も声を上げてこなかった軽巡洋艦、多摩である。

 

 球磨型軽巡洋艦の二番艦である彼女は一番艦の球磨と同所属であったが、性格が故か、面倒ごとに首を突っ込むことなど一切無かった。言うことを聞く、それだけで自分の生存が約束されているのならそれでいい、と心が壊れかけている一人だったからだ。

 しかし姉のような存在たる球磨が日に日に目を輝かすようになってからは、彼女もまた変わり始めた。それは多摩の声音に如実にあらわれていた。

 

「陸軍だと、西日本の統括は松岡って人だったよにゃ」

 

「うぉ、多摩、何で知ってるクマ……?」

 

「軍人なんだから味方のお偉いさんくらい把握してるにゃ」

 

「い、いやいやいや、それにしてもおかしいクマ。どんだけ軍人がいると思ってんだクマ!?」

 

「球磨姉は不真面目だにゃぁ……勉強不足にゃ」

 

「多摩にだけは言われたくなかったクマーッ!? ……んんっ、そ、それで、その松岡って人がどうしたんだクマ?」

 

「んにゃ、松岡さんがどうこうじゃにゃくて、統括者が誰かって話にゃ……陸軍で言うなら西日本の統括者は松岡さん。海軍で言うなら、楠木少将になるってことにゃ」

 

 少しばかり腫れて重そうな瞼をこする大淀が、ぴくりと反応を示した。

 あきつ丸や川内も表情こそ変わらなかったが、纏う雰囲気が変わる。

 

 目ざとくそれに気づいた多摩は、気の抜ける語尾のままに、鋭く言った。

 

「そろそろ、そっちの話を聞いた方がいいかにゃ?」

 

 食堂の入り口近くの席へ座っていた大淀達は、多摩に促されて食堂の中央の席へ。

 改めて腰をおろすと、まずは川内が持っていた数枚の書類を机に置いた。

 

「あきつ丸と一緒に呉の資料室で見つけたのが、これ。五年とか六年前の記録もあるけど、呉も大きな拠点っちゃ拠点だからね、写しを保管してたみたい。どこの鎮守府も深海棲艦の撃滅数に差異があるみたいで、これがまた小賢しくてさぁ……どこも数隻だけ見逃しちゃってるの。たったの数隻よ? 数隻。なら、簡単な話よね。あたしたちみたいに結界を幻視する艦娘が見間違えただけだって言えるんだもん」

 

 わらわらと艦娘達が中央に寄って、全員で書類をのぞき込む。

 小さな駆逐艦達も戦艦や重巡の足の間からすっぽりと抜け出して見ているが、どれだけ理解出来ているかは定かではない。

 ただ、それが皆の苦しんでいる原因の一つであることは、分かっているようだった。

 

「山元大佐も清水中佐も、元帥閣下と大将閣下と相対しては耐えられますまい。見事陥落したからこそ協力を仰げたわけでありますが……こうして改めてみると、ほんの小さな積み重ねだったのであります。徐々に、時間をかけて、ゆっくりと情報に虚偽を交ぜ込み――決して結論へ辿り着けぬように策略されていたのでありますよ」

 

 あきつ丸の言葉に川内は頷く。

 しかし、まだ分からない、という艦娘がいるのも然り。

 

 それもそうだ。一連の出来事がどこをどうして繋がっていると考えられよう。

 ここにきてからようやく、泣き続けて掠れた大淀の声が食堂に満ちた。

 

「――何が端を発したのかは、分かりません。ですが、かつて深海棲艦が世界を襲った時、どれだけ酷い様相であったかは皆さんもご存じの通りかと思います。それが時を経るにつれて、まるで知能を持っているかのように、的確に拠点を攻めるようになってきました。どんどんと進化し、今や戦略を持っていると言っておかしくない侵攻が起こっています。佐世保、鹿屋、宿毛湾……そして、柱島。もちろん横須賀や北の警備府にも起こっていますが、何故、沿岸部全体を襲撃しないのでしょうか。深海棲艦や私達が目覚めた――あの頃のように」

 

 誰も、何も話さない。

 大淀こそが答えに一番近いと思っているからだ。

 

「明らかに人為的な攻撃であるのは、記録から見ても明らかです。轟沈数に差異があり、多ければそれは戦果を求めた虚偽であると考えられますが、少ない場合ならば、どうしてそう偽らねばならないのか……分からなかったんです。でも、提督は――南方海域を開放した際に、一つ、元帥へ証拠を示したそうです」

 

 あきつ丸は、大淀の声を遮らないように囁いた。

 しかし、いつしかざわめきがおさまり静寂となった食堂では、大きく聞こえる。

 

「……少将の階級章が、ソロモン諸島で発見され、妖精の手によって持ち帰られているのであります」

 

「もしもこれが私の誇大妄想に過ぎないのであれば、それが一番です。ただ私達という存在が深海棲艦と同じく受け入れられていないだけですから……いくらでも手段を講じることは出来ると思います。ですが……一方で、もし、深海棲艦側についている人間がいるとすれば、話は、複雑化するとは思いませんか」

 

 段々と浮かび上がる事象に待ったをかけたのは、工作艦明石だった。

 

「それはつまり、どういうことなの? 深海棲艦と一緒になって人を襲ってるってこと?」

 

「私が言った通り、どこの鎮守府にも記録がある通り――深海棲艦が的確に拠点を襲っているというのは――()()()()()()()()()()()()()()()という事です。でなければ、出現した当初のように沿岸部を波状攻撃し続けるだけで、私達という戦力はそれだけ分散されます。押し返す事は可能でしょう。ただしそれは、限界を迎える時が必ず来るという未来を避けられません。どうやって生まれてくるのか分からない深海棲艦を相手にとって、波状攻撃を耐え続けるなど、愚策過ぎます……」

 

「あ、あー……それは、まあ……。じゃあ、操る術があるなら波状攻撃し続ければ勝てるって事じゃん! いや、私達が負けるなんて困るんだけど……そうしない理由が……」

 

「目的が人類では無く、海軍であるならばどうでしょう。そして深海棲艦を作り出す、もしくは類する事が可能であれば、さらに確実性は増します」

 

「――!?」

 

「海軍、もしくは、私達艦娘を壊滅させることを目的としているのなら、戦力を分散させて無暗に攻撃し続けるよりも、内部の情報を操り、最小戦力で撃破する方が確実です。腐敗させ、まともな運営の出来なくなった鎮守府で様々な種類の甘い汁を吸わせておけばいいのですから。私達が出現し続ける深海棲艦を各個撃破してきたように――統制の崩れた海軍の拠点を各個撃破すればいい」

 

 いや、それでも、食堂がそんな声声であふれる。

 だが大淀はさらにこう付け加えた。

 

「……提督が失踪した六年前からです」

 

「何がよ」

 

 大淀は明石を見て、ただ事実を告げた。

 

「深海棲艦が、急激に勢力を伸ばし始めた時期です」

 

「あ……」

 

「開放した南方海域が再び奪われ、周辺拠点はそこへ完全に釘付けにされました。ラバウル、ショートランド、トラック、パラオ……南方海域から本土へ向かう深海棲艦の動向を注視するしかなかった――そこに少将が出張り指揮することはおかしなことではありません。それでも……被害は徐々に拡大し続け、南方にある拠点は機能を完全に集中させる選択肢しかなくなった……」

 

 掠れたままの声が痛ましく、ぐるる、と喉の奥で時折鳴る号泣の残滓。

 

「全部妄想なら、それでいいんです。私がおかしいだけで……! でもっ、提督はこれから先、迷惑をかけると言って……ルーティンを作り、それをこなせば鎮守府の機能を失わずにいられるようにして、座学なんて、ものまで……私達だけで、やっていけるようにしてる、みたいで……私、提督に訊いたんです。」

 

 誇大妄想もここまでくれば天晴れであると称賛できるくらいに、滅茶苦茶な話である。

 もしも少将が無実であれば完全な精神異常者として大淀は解体以外に道は無くなるだろう。

 

 しかし――先の作戦に、大淀の言った全てを当てはめたとしたら、海原鎮の行動の意味が、浮かび上がる。

 

「提督は全てを守ろうと、しているのだと思います……国も、人々も、海軍も……私達も……でもそうすると……提督は、たったお一人で、戦う、ことに……」

 

「めちゃくちゃじゃんかそんなの! いや、ありえないって! そりゃあ呉で不正があったとかも聞いたし、知ってるし……駆逐艦を助けたのだって凄いと思うよ! もっと、他に理由があったりさぁ……!」

 

「たっ確かに! まだ考えられる理由はあるやもしれません! これは大淀殿の、一つの考えというだけでありますから! まだ、確定はしておりませんから!」

 

 喚くように言ったのは北上だった。あきつ丸が驚いて宥めようとするも、止まらず。

 先刻まで提督の肩を持っていたというのに何故、という顔を大井が向けたのも仕方が無い事だろう。

 だが、否定した理由は――北上が、自らにも浮かんでしまった大淀と同じ考えを、否定したいからこそ。

 

「そしたら……アタシにあんな事言ったのは、いつ死ぬか分からないからみたいじゃんかっ!」

 

「っ……」

 

 北上の悲痛な叫びに、大淀の目にまた水滴が生まれる。

 彼は、出来ることを、出来るだけ多くせねばと、生き急いでいるように思えて仕方が無かった。

 

 艦娘を救い、部下を救い、では誰が――彼を救ってくれるというのだ――?

 

 全員に疑問が生じたその時、食堂の扉が、がらりと開かれた。

 しんとした食堂内に――彼が、現れた。

 

「失礼する。大淀はいるか」

 

 大淀は思わず顔を伏せた。

 それを横目に、龍驤が口を開く。

 

「何や司令官。話にでも来たんかいな」

 

「……そうだ。大淀に、話があってきた」

 

 まだ、隠そうとするのか。

 全員が落胆しかけるも、龍驤は怒っていて、それでいてチャンスを与えるかのように言う。

 

「大淀にぃ? っは、おっかしいやっちゃのぉ……ウチらに、の間違いやろ? あぁ?」

 

「そう……だな。お前達にも、話さねばならん」

 

 どこからともなく、息を呑むような音。

 

「言い訳は後だ。大淀――すまない。全て、私が悪かった。本当に、すまない」

 

「……」

 

 沈黙の中で語られる、かの男の想い。

 

「私はお前達の事ならば何でも知っていると思い込んでいた。だが、記録を全て見て――ただ、表面上の事しか理解していなかったのだと痛感した。お前達にはお前達の苦しみがあって、お前達の歩んできた道があることなど、当たり前のことなのに、私はそれを見ようともしなかった。私が出来ることをする、それこそが私がここにいる唯一の理由なのだと、必死になっていた」

 

 違う。そうじゃないだろう。艦娘の誰もがそう言いたかった。

 あなただって苦しんでいるはずなのに、どうしてそこまで私達を想えるのかと、叫び出しそうだった。

 

 軍人という立場であるからこそ、あなたは人を救わねばならないと考えているのでしょう。

 

 それこそがあなたの生き様なのでしょう。

 

 しかしあなただって、傷ついているのは一緒じゃないか。

 

 全員を見回して話す提督は、大淀達が話したのであろう事を察した顔で言葉を紡ぎ続ける。

 

「私は最初から最後まで、独りよがりだった。呉での仕事も、柱島での仕事も、こうしておけば問題無いと、取り繕うような事ばかりしていた。こうすることでお前達といられるのなら、ほんの少しでも縋れる場所があるのなら……そうして、目的を見失っていた」

 

 拠り所になれるのなら、私達でいいのなら、だんだんと艦娘達の心が共鳴しはじめる。

 

「私の仕事は、必死になって逃げる事ではないんだ。違う……違ったんだ……――私に、課せられた任務は――お前達を、支えることなんだ」

 

 私達とあなたはずっと――すれ違っていたんだ。

 

「――私は、お前達の提督でありたい。これまでも、これからも、私が死ぬまでずっとだ! 要領も悪く、杜撰な仕事も多い私のことだ。どれだけ必死に頑張ったとしても、お前達には想像を絶する苦労をかけることになるだろう。しかし、それでも……」

 

 苦労など、もう十分にかかっている。

 提督が秘匿し続けた真実を見つけるのに、あの大淀がここまで大泣きしたのだと、誰ともなく思った。

 

 しかしそれは、提督が私達を必要としていることの証左。

 

 提督と話したことのない艦娘もいる。

 ただ遠くから見つめていることしか出来なかった娘も、一言だけ挨拶を交わしただけの娘もいる。

 しかし彼はずっと、私達を見ていた。

 

 初めて会った日に言ったように、ずっと見ていてくれた。

 私達は、ここに来てやっとあなたを見たというのに。

 

 深く頭を下げた一人の男を見た瞬間――

 

「……お前達を支えようとする私を、支えては、くれないだろうか」

 

 ――柱島の一同は、今までに経験のない強烈な共鳴を起こした。

 

 彼が、弱さを見せたその瞬間の事である。

 海を守らねばという艦娘の心の熱が、全身を巡り、滾った。

 

 私達の提督は――他の誰でもない、この人なのだと。

 

「どうか、お前達の傍に、いさせてくれ」

 

 それからは――語るまでも無いだろう。

 こうして全員が全てを知り、提督の想いを受け、立ち上がったのだから。

 

 

* * *

 

 

 その後、提督が言葉少なく食事を済ませて早めに休むと言って去った。

 きっちりと「明日から、頼むぞ」と大淀に言いつけて。

 

「おやすみなさい、提督」

 

 見送ったあとの事――大淀は腫れぼったい目を恥ずかしそうに前髪で隠しながらもそもそと食事を続けた。

 そんな大淀の横にどっかり腰をおろしたのは、飛鷹だった。

 

「それでぇ? 我らが秘書艦様は提督に抱き着いて満足そうだけれど、明日からのことについて何かないの?」

 

「んなっ……あ、あれはっ……! そのぅ……皆さんだってそうじゃないですか……」

 

「ふふふっ、冗談よ。でも……よく、気づけたわね、あんな気難しそうな提督の考えなんて」

 

 温かなお茶をあおる飛鷹の向こう側から、椅子に足を乗せた格好の隼鷹が同意した。

 

「ほんっとだよぉ。しかもとんでもねえ事をよくあたしら艦娘に隠せてたな。知ってたのは大淀とあきつ丸と川内、くらいなんだろ? ソロモンに出て行った第一艦隊と支援艦隊にはどう隠してたのさ。任務にも出たってのに」

 

 もう全員が知っているという安心感か解放感か、大淀は漬物をちびちび噛みながら言う。

 

「完全に隠し通せていたというわけではありません。ヒントは多くありました。それに、瑞鶴さんは、違和感を覚えていたみたいですから」

 

 ほぉ、と感嘆の声が湧き、多くの艦娘が瑞鶴を見た。

 当の瑞鶴と言えば、首を横にブンブンと振りながら顔を赤くして否定するのだった。

 

「ち、違う違う! ほんと、ちょっと変って思っただけよ! 作戦自体は、ちゃんとしたものだったし……拍子抜けしちゃったのが、おかしいって思う原因だったのかもしれない……かな。だってあの南方海域よ!? 今考えても、信じらんないわ……大淀さんの言う通りなら、まあ、開放自体は、通過点だしなあって、今になって納得しちゃった」

 

 大きく息を吐き出した瑞鶴は、ね、と隣に座る翔鶴へ同意を求めるように顔を向けた。

 翔鶴は話題を振られた途端、慌てたように頷いたが、曖昧な顔で笑うだけ。

 

「わ、私は、よくわからなくって……すみません」

 

 重巡の那智がしかめっ面で「分かるか! あんなもの!」と憤慨しながら翔鶴の言葉を肯定する。

 憤慨こそしているが、その目元はやはり、心を開いてもらえたという事実に濡れていた。

 

「こんな数を相手に提督もよくやるわね、ほんとに――でもこれで、明日からの動きは、変わるのよ、ね?」

 

 陸奥が大淀を見て言えば、はい、と声が返ってくる。

 しかし、その声は迷っているようだった。

 

「何よもう。ここまで来たら隠し事は無しよ」

 

「それはそのつもりなのですが……ただ……演習や座学について、私の見立てでは、私達全体の練度が底上げされたと実感出来るのは、半年後になるかと」

 

「半年? まぁ、半年で少しでも強くなれるなら、いいんじゃ……」

 

「呉を除けば、きっと私達は外部との演習は難しいでしょうから、実感するのが、半年後であるということです。対外的には欠陥であるという認識でしょうから。練度という数字だけで言うなら、横須賀や舞鶴と並ぶ可能性もあります」

 

「ちょっとちょっとちょっと、待って、そ、そんなに!?」

 

 陸奥の驚愕する声に頷いた大淀は箸を置いて全員に言った。

 

「隙間なく詰め込まれているルーティンですが、前提としてそれぞれに二日ほど非番の日が設定されています。朝から夜まで順繰りに演習が予定されており……二艦隊ずつ、朝、昼、夜と分けられています。――哨戒と遠征の交替を含め三艦隊、演習に六艦隊、合計五十四隻は常に鎮守府から出て活動をしていて、残りは待機なんです。隙のない、模範的ルーティンと言ってもいいでしょう」

 

「それを本当に一晩で振り分けたの、あの人……?」

 

「はい。私は手伝っていません。これは――提督がいなくなった場合でも通用するように組み上げられたものです。提督が全力で戦うとおっしゃった今、私達に求められることは――艦娘としての練度の向上――それも、圧倒的な、向上です」

 

 ざわ、と食堂の全員が波のように動いた。

 それは否定的なものではなく――

 

 

 

 

「提督の覚悟に見合う艦娘となるために――このルーティンを、圧縮します」

 

 

 

 

 ――大淀の声に呼応する、強い意志。

 艦娘達の胸中に浮かぶあの男の姿。

 

 各々が越えてきた苦境など、あの提督の覚悟と天秤にかけるまでもない、と全員の目がギラついていた。

 

 そうして、大淀はその場で即座に《圧縮した日程》を書き出し、配布した。

 息を呑むもの、拳を握りしめるもの、鼻を鳴らすもの、様々な反応であったが、もれなく、全艦娘は挑戦的な笑みを浮かべていたのだった。


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