柱島泊地備忘録   作:まちた

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七十一話 指導【提督side】

 まさか既に食堂に全員が集まっているのではないか、という不安は杞憂に終わった。

 まだ俺一人のようである。

 

「あ、あら、提督、もうあがられたのですか?」

 

 間宮と伊良湖がキョトンとした顔で俺を見るものだから、普段から烏の行水と思われてしまうかもしれないと――この時の俺は混乱していたのだ――いらぬ言い訳をしてしまう。

 

「う、うむ……その、やることが、あるのでな……?」

 

 やることって何だよと自分で突っ込みを入れたいところだが、そんな場合ではない。

 俺にやることなど仕事以外に無いのだから。

 

 それよりも! ちょっとあなたたちッ! 答えなさいッ!

 

「前までは五時に総員起こしだったと思うのだが、今日は何かあるのか?」

 

 席につきながら二人に問うた後になって、これでは俺が把握していないみたいではないか! と後悔したが、いくらさわやかに起きて風呂に入った後であったとしても、思考までしっかりと覚醒しているわけではなかった。気が回らなかったのはもう誤魔化すしかないと胸中でもやもやと考える。

 

「いえ、特筆するようなことは……」

 

「えぇ……?」

 

 間宮が食事を運んできながら言う。まもるは大混乱である。勘弁して。

 特筆するようなことが無いのに四時に起きるって、お前ら艦娘は超人か?

 

 そうだね。超人だね。だって早いもん!(起床時間)

 

 テーブルに並べられた食事は、今朝、伊良湖に聞いた通りのメニュー。

 めかぶひじきに、筑前煮、ミートボールに麦飯、そして味噌汁。

 続けて、ことりと横に置かれる温かなお茶。

 

 どうぞ、と俺に笑顔を向けてくる間宮。はい百点満点。今日も一日頑張ります。

 

 ――……って違う! そうじゃない!

 

 四時て! 現在の時刻、四時!

 

 食堂の壁掛け時計もそう示している。決して俺が先ほどまで艦娘に囲まれて甘えられている夢を見ている状態というわけでは……んんっ。

 決して、俺が仕事を頑張っている夢を、そう、そういう夢を見ていて、未だ夢の中というわけではないと、そう言いたかったのである。これは現実だ。

 

「提督……昨夜は早めにお休みになられてましたが、どこか具合が悪かったりするのですか……?」

 

 俺の狼狽が伝わったのであろう。間宮が心配そうに見つめてくるものだから、そうではないと伝えるために帽子を脱ぎながら否定する。

 

「いや、むしろ久しぶりに気持ちよく目覚められた。お前達に……」

 

 部下全員の前で頭を下げる。あの行為は上司として本来ならばあるまじき姿である。

 そもそもにおいて上司が失敗をしてしまった場合、部下にいらぬ心配をかけぬように解決した後、酒の席か食事の席か、そういったところで笑い話にする――というのが、俺の理想だ。

 

 まあ、そんな理想を体現できず昨夜は手伝ってくださいとお願いしちゃったわけなのだが……。

 

「……情けない姿を見せてしまったのでな。心機一転、というやつだ。出来ることを出来るだけやるつもりだから、体調管理も心配はいらない」

 

「でしたら、いいんですけど……」

 

 と、このように、自分の首を絞める結果となってしまうのであった。

 ちっがう! 仕事がしたいわけじゃない! あ、いや仕事はするよ。艦娘達を助けるためならまもる、誰よりも頑張っちゃいます! と俺の心の長良もそう言っている。

 

 ……だからそうじゃねえッ!

 

「入渠ドックから出た時、長良に出会ってな。放送でも演習をと言っていたが、朝の演習は九時からだったろう。十分に時間もとってあるはずだが……」

 

 艦隊これくしょんの知識をフル活用して不眠不休で作成した演習表は、朝の九時から昼の十二時まで三時間、そこから二時間ほど休憩時間を取らせて、十四時から十九時までの演習。これだけでもゲーム時代から考えれば相当な速度で練度を上げられるだろうに、朝の四時からて。

 午後三時と午前三時に演習相手が更新されていた頃とは違うのだ。手動ならぬ口頭で演習相手を切り替えて何度だって戦える。経験値……といった数値こそ無いものの、それで十二分な成果は得られそうだと必死になって考えたのに……どうして……。

 

 他の鎮守府ではこれが普通なのか? 軍隊だから?

 

 いやいや、曲がりなりにも俺だって艦これプレイヤー。多少なりとも、その方面の知識はある。

 

 俺が生きていたあの日本でいう軍隊――正確には防衛のための組織で、国際法上で軍隊という扱いらしい――は、朝早いと言ってもせいぜいが六時起床。身辺整理から始まり、朝食を済ませ、そこから清掃を行ったりして、訓練となっていたはずだ。

 

 ここに来ている艦娘は全員が他の鎮守府で心や身体に傷を負ってしまった者ばかり。

 であるならば、支え、癒す事が目的であるのだから、仕事、または任務なんてものはポーズだけで良いとさえ俺は考えていた。もちろん、任務をしないというわけではない。

 そのために、遠征や演習、近海警備まで組み込んで計画を立てていたというのに。

 

 九時に始まって十九時に終わる。そして休憩を二時間、あとは自由時間。実働勤務時間は八時間。

 全員が演習に参加するわけではないので、非番以外にも待機という形で艦娘が休めるようにもしてある。これ以上とないまでに完璧かつ美しいローテーションだろうがッ……!

 

 井之上さんが見たらきっと褒めてくれるに違いないというのに、なんでぇっ……!?

 

「大淀さんの提案だったのですが……提督の任務に従事する以上、練度の向上は最優先事項である、と……」

 

「えっ」

 

 大淀テメェェェエエッ! あいつの仕業かコラァッ!

 と、俺の心が怒りに燃えたその瞬間、がらりと開かれる食堂の扉。

 

「おはようございます――あっ、提督!」

 

「……大淀か。ちょっとこっちに来い」

 

 件の大淀が出現。昨夜の事がある手前、強くは言い聞かせられないが、ここは心を鬼にして大淀に総員起こしが何故一時間も早まったのかを聞かねばなるまい。これではスケジュールが滅茶苦茶なのだ。

 

「あっ、は、はい……」

 

 大淀は早朝であるにもかかわらず身だしなみをきちんと整えており、顔もすっきりとしていた。

 あれだけ大泣きしていたものだから目元は少しだけ重たそうだが、今日も抜群の可愛さである。

 

 い、いかん。まもる、呑まれるな……心を、鬼にしろ……!

 

「失礼します……」

 

 ちょこん、と俺の真横に座る大淀。理性はまだ大丈夫。

 

「スケジュールの変更を行ったようだな。驚いたぞ、こんな早朝に総員起こしとは」

 

「も、申し訳ありません! その、提督を……手伝いたくて……」

 

 ……耐えろ。まだ、まだいける。

 

「スケジュールの変更については、私よりも大淀の方が他の鎮守府を知っている分、参考が多いであろうから私は何も言わん。しかし、こうも早く起床させてはみなもつらかろう」

 

「……え、と」

 

 大淀は「はい……」と消え入りそうな声で返事をして、顔を伏せてしまう。

 あっ、ち、違うんだ大淀! って違わない! 違わないぞまもる、お前が正しい! 呑まれるなって!

 

「私はお前達がどのような境遇にあったかを知っている。だから無理をさせぬようにと予定を組んであるのだ。それにな、大淀。組んだ予定とて無理をせぬようにとは言っているが、あれで十分な勤務時間を確保出来ているのは見て分かるだろう?」

 

「し、しかし、その……練度にバラつきがあると仰られていましたので、早急に練度の向上をするには、これが最適で、あると……」

 

 んんんんん! じゃあその予定を見せてみなさいヨォッ!

 おかしな点があったら全部直してやっからさァッ! ほらほらァッ!

 

「大淀が最適であると考えているのならば、そうかもしれんな。しかし何度も言うように、私は時にお前達に無理を強いる可能性のある立場なのだから、普段は楽に過ごしてほしいのだ。その気持ちも、分かってくれ」

 

「提督……」

 

 少し行儀が悪いものの、食事をしながら言う俺に、大淀の声。

 そちらに顔を向ければ、上目遣いでこちらを見るうるんだ瞳。

 

 んぐぉぁっ……や、やめろ……ソンナ目デ、見ルナヨォッ……!

 

「提督がお優しいから、甘えて、しまうんです……しかしそれでは、私達は……」

 

「何を言うか。甘えることのどこが悪い。私とて甘えられて嫌なわけが無かろう。いつでも来い」

 

 ちょっと本音がこんにちはしてるよ俺! もっと耐えろ馬鹿!

 

「……それよりも、だ。大淀、お前の組んだ予定表はあるか?」

 

「あ、はいっ! それならこちらに」

 

 どこから取り出したのか、すっと俺に差し出される数枚の紙。

 俺がまとめたものよりも格段に綺麗で見やすいのでちょっぴりショックを受けてしまうが、それどころではない。

 

 見てみれば、それはもう、言葉にならないくらい――

 

「必ず二日は非番の日を、と仰っていましたので、各員の時間を調整し、二日ごとに一日の非番を設定してあります。資源確保の遠征は基本的に潜水艦の皆さんに行っていただいているので、予定の調整は殆どしておりませんが、夜間に行われる演習に参加してもらう形にし、明るい間は遠征行動を取ってもらうように――」

 

 ――完璧である。

 

 大淀がつらつらと説明している間、きっと俺はぽかんと口を半開きにしていたことだろう。

 朝から昼までの予定、昼から夕方までの予定まで完璧だ。そして夜には演習が少しあるだけで、哨戒を行う艦娘は必ず翌日は休みに設定されている。

 多少タイトなスケジュールにも思えるが、時間通りに行動する事が基本であるのだから、問題という問題にはならないように思えた。

 

 総員起こしが四時になっている原因は、そのタイトさにある。

 四時から行動を開始している分、演習が大まかに三つに分かれていたものが、一つ増えているのだ。

 

 しかしそれでは演習に参加しない艦娘を叩き起こす理由にはならない。

 穴を見つけたぞ! と思った矢先、よくよく見てみれば、一時間早い行動にはきちんとした根拠があるようだった。

 

 ――夜間哨戒組との早期交替である。

 

 そう、翌日が休みに設定されている夜間哨戒組を早く交替させる事によって休日となる時間を伸ばしているのだ。

 それ以外にも、夜間演習に参加していない艦娘の自由時間が伸びているため、実質的な勤務時間に変更は無い。

 

 今日の哨戒組との早期交替要員は、俺が今朝出会った長良であった。

 

 哨戒のルートにも変更は無く、哨戒時間が短くなったわけでも無い。

 簡単に言うなれば、早くに出撃し、早くに帰還、交替して、哨戒を続ける。

 

 なんだコレ。魔法か……?

 

「……トラブルがあった場合はどう対応するのだ」

 

 俺の問いに、大淀が待ってましたと言わんばかりに、俺が持つ紙の一点を指さした。

 

「艦娘保全部隊――あきつ丸さんと川内さんを筆頭に、日替わりで駆逐艦の皆さんを組み込むことで、トラブルに対応できるようにしてあります。こうしておけば、多くの駆逐艦が時間を持て余してしまうという事もないかと。自由時間に外で遊ぶ駆逐艦も多いですから、その……提督にだけ、平たく言いますと、お散歩がてらに見まわってもらえるなら、そちらの方が皆も気が楽かなあ、と思ったんです……」

 

 そう……そうね……うんうん……。

 

「……」

 

 俺は紙をそっと机に置くと、間宮と伊良湖特製ミートボールを一つ口に放り込み、咀嚼する。

 その後、麦飯を口に詰め込み、味噌汁で流し込むと、やっと声らしい声が出た。

 

「ふむ」

 

 ――完璧じゃぁん!? これじゃ俺、この鎮守府で一番いらない奴になるじゃぁん!?

 これじゃまーちゃん(※まもる)が活躍できないっぴょん! ぷっぷくぷー!

 

 馬鹿! だから落ち着け俺ェッ!

 

 ここは、ほら、もっと上司らしく「私の許可無く勝手にスケジュールを変更するな! 馬鹿者!」とかあるだろ! ビシっと言うんだ!

 

「……これを一晩で?」

 

「は、はい……提督が作成してくださったものに手を加えただけなのに、一晩もかかってしまいましたが……」

 

「いいや、一晩で作成出来ただけで素晴らしいことだ。大淀、よくやったな」

 

 俺は憤怒の表情で大淀に手を伸ばし、ふんわりと頭を撫で……アレェッ!?

 違う! 違うんだ! 俺は大淀に勝手に俺の仕事を奪うんじゃねえと一発かましてやろうとして……。

 

「ぁ……て、提督、あの……ありがとう、ございます……」

 

 へにゃん、と表情をほころばせる大淀。今日も一段と可愛さが爆発している。はい百点満点。

 って、だーかーらー!! おっま、まもる、ほんとおっま、ちゃんと仕事せェ!

 

 心の龍驤に活を入れてもらうも、俺は何とか完璧なスケジュールを再調整し、艦娘達に少しでも楽をしてもわらねばと、明後日の方向に思考が回転しはじめるのだった。

 

「では、本日はこのスケジュールで運営に問題は無いか、見まわって確認させてもらうとしよう」

 

「はいっ!」

 

 

* * *

 

 

 朝の執務は、大淀のスケジュール変更を一時的に承認する決裁の他、普段と変わらないものだった。

 本日の補佐艦としてやってきた加賀を加え、俺と大淀の三人でサクサクと済ませてしまい、昼前には手持無沙汰となってしまう。

 

「提督は……普段からこの速度で、この量の処理を……?」

 

 ふぅ、と息を吐き出しながらペンを置き、書類をまとめてくれる加賀の声に肯定する。

 

「うむ。大淀も加賀もいるものだから、楽なものだ」

 

「い、いえ、楽なのでしょうか、これ……」

 

 俺のデスクに積み上げられているのは、誇張でもなんでもなく、数百枚に及ぶ書類である。

 難しそうに見えるだろ? でもこれ、確認してサインするだけなんだぜ。

 

 前職のように書式もひな形も無い状態で一から全て作り出し、その上でデータと紙の両方を用意しろと言われるより楽なものである。なにせ着任後すぐに作成した書式に、艦娘が報告を書いているだけ。

 こんなもの、超ホワイトである。

 

 ブラック企業がブラックと言われる所以は、なにも勤務時間に無茶があるというだけではないのだ。

 仕事の順序が立てられていないが要求だけは多い。もしくは、その要求が常に必要人員を大幅に上回っていることが常態化しているか、である。

 

 仕事の順序を立てるのが社会人の役目だ! とかつて知り合いに言われたが、否定は出来なかった。

 そうすることで仕事をどう効率よく回すのかが社会人の力量の見せどころで、そこにこそ経験の差が出るというものだろう。

 しかし、その知り合いは俺の言葉で閉口することになった。

 

『百人分の仕事を一人で明日までに片付けろと言われたら、どうやって順序立てる?』

 

『そりゃお前、百人分の人員を用意してこいって跳ね返すしかないだろ!』

 

『それを上司の誰もが出来ないから、ブラックなんだろ?』

 

『ああ……』

 

 これこそが答えなのだった。

 部下の要求を呑まない上司。しかし自らの評価だけは上げたいため、仕事だけは取ってくる。

 無茶な量を押し付けて、自分はさらに違う仕事を得る。それが自転車操業のように続けられた結果に出来上がる職場こそが、ブラックと呼ばれるものだ。

 

 もとより労働基準法など守られていないのだから、是正は難しい。

 それをしようとするのなら、手っ取り早く人員を総入れ替えする方がよっぽど現実的だろう。

 

 そこにまた親族経営だの横と縦の繋がりだのと複雑に事情が絡み合っているために、ほぼ実現不可能であるのが実情なのだが……これを加賀や大淀に話したところで仕方が無い。

 

「私にとっては楽、というだけだ。殆どはお前達の素晴らしい働きによってなされた事なのだから、私が大変なわけがなかろう」

 

 確認作業は大淀と加賀が率先してやってくれるものだから、俺は本当にサインしかしていない。

 確認漏れが無いかくらいはざっと見ているが、二重確認されているのだから間違いがあるはずもないし、必然的に二人より作業が速く見えてしまうのも仕方が無い。

 

 ごめんね二人とも……甘やかせてもらってるのは俺の方だね……。

 

 しかしこれでは俺の立場が無ぁいッ! いかんぞまもる! 艦娘を支えることが俺の仕事だろうがァッ!

 

 と、俺は静かに立ち上がり、事務仕事で凝った首を鳴らして二人に言う。

 

「訓練の様子を見に行く」

 

 何故か二人はビクッと大袈裟なまでに驚いて、俺を数秒間見つめてくる。

 なんだよ……み、見に行くぐらい、いいじゃんかよ……。

 

「く、訓練の様子ですか? その、ど、どちらへ……」

 

 大淀がバタバタと立ち上がって問う。その横で片耳に指をあてて斜め下を向き、目を泳がせる加賀。

 加賀もいることだから、空母の訓練でも見てみるか、と軽い気持ちで言う。

 

「近海警備に出ている空母以外の訓練がどのように行われているのか見てみたいのだが」

 

 すると、先ほどまで目を泳がせていた加賀のサイドテールが風を切る音をさせるくらいに、ばっと顔を上げて俺を見る。

 その目は、そう――お前邪魔しに行くつもりか、オイ、と、そう訴えているように見えた。

 

「……邪魔か?」

 

 俺は決して邪魔するつもりは無いので、邪魔になるのなら行かないよという意味で言った。

 加賀はぶんぶんと首を横に振って、ぴん、と背筋を伸ばした。首取れるよそれ……。

 

「わ、わかりました。陸でも発艦の動作訓練が行いやすいので、弓道場を使っているのですが、そちらでよろしいですか?」

 

「ほう、弓道場か……」

 

 自分の鎮守府であるのに弓道場まで足を踏み入れたことのない俺は、アニメで見た光景を想像して少しワクワクしつつ頷いた。

 

「では、見せてもらおう」

 

 まもる……忘れるなよ……これは、艦娘が少しでも楽が出来る点が無いかを探すための見学なのだ。

 いくら大淀が可愛くて――違う、完璧で無理のない予定を組んでいるからと言って、全員が本当に問題無く過ごせているのかは別問題なのだ!

 

 さぁ、限界社畜まもる! 無能提督まもる! 今こそ汚名を返上するのだ!

 

 

 

 

 そうして、加賀と大淀に連れられてやってきたのは、艦娘寮にほど近い場所にあった武道場のような場所。こんなとこあったんだ……という表情をしてしまったが、見られてないのでセーフです。

 

 外からでも赤城と鳳翔の声が聞こえてくるほどに周囲は静かである。

 スライド式の扉を開き、玄関で靴を脱いで入っていく。

 靴下越しからも伝わる板張りのひんやりとした感触が気持ちよい。

 

「――……集中が切れていますよ、葛城さん」

 

「は、はいっ」

 

 俺の目に飛び込んできたのは、アニメの風景、そのものだった。

 横一列に並ぶ空母が弓をしっかりと構え、離れた位置に見える的に向かって鋭い視線を送っている。

 

 そのすぐ後ろでは赤城、鳳翔が綺麗な姿勢の正座で弓を構える艦娘達に指導していた。

 

 葛城の他、二航戦の飛龍と蒼龍、五航戦の翔鶴と瑞鶴、端には祥鳳と瑞鳳の姿もある。

 

 葛城以外の艦娘は身体に一切のブレを感じず、ひゅ、という短い風切りの音の後、遠くにある的へ、小気味よい破裂するような音をともない命中させていく。

 しかし葛城は一向につがえられた矢を放つ気配は無い。

 斜め後ろ、弓道場の入り口付近の俺から見ても、腕が震えているのが分かった。

 

 アニメでは加賀の弓道スタイルについて物議を醸していたが、こうして実際に見ると、ここに来る前に加賀が言っていた通り、動作訓練としては悪くないように思える。

 一方で、艦娘の発艦方法の一つ、弓道とは異なるスタイルを一部で《空母道》と呼んでいた事を思い出す。波のある海の上で発艦させるためにアクロバティックな恰好で射る必要があるのだ! との声が散見されたものだが、陸だとこうも静かなのか……と息を殺してしまう俺。

 

 俺がここに来て本当に大丈夫だった……? 邪魔になってない……?

 

 と不安に駆られていると、やっと俺が来たことに気づいたようで、鳳翔と赤城がちらりと俺を見た瞬間、はっとして立ち上がろうとする。

 

 あーあーあー! ごめぇぇええん! やっぱり邪魔だったよねー!?

 

 しかしここで慌てては限界社畜の汚名返上は出来ない。冷静に、クールに、かっこよく。

 

「座っていろ」

 

 一言だけ言って片手で座るようジェスチャーし、弓道場の入り口から隅の方へ移動し、腕を組む。

 ここなら邪魔にならないでしょ!? ね!? もう、数分も見たら帰るんで! すんませんっした!

 

 俺の声に気づいたのか、各々の姿勢に変化があった。

 さらに、ピリピリとした空気が弓道場を包む。邪魔した本人である俺は既に泣きそうである。

 

 目的であった無理をしているようならば止めねば、という考えはとうに消え、あるのは「やっぱり俺が来た方が邪魔だし無理させちゃうよね」という当然たる結果だけだった。

 

 ぴゅん、という弓の音が、言語化するならば、シッ、という高音に変わり始める。

 

 そんな中でも、葛城は未だに矢を放つ気配は無い。

 ……これが止めるタイミングでは? と絶好のチャンスを見つけ出した俺は、すまない、と一声。

 

「――葛城。いいか?」

 

「っ……は、はい」

 

 俺の声に構えを解いた葛城は、額がべっとりと汗で濡れていた。

 いやこれもうすっごい無理してるじゃんか! あーもうやっぱりぃ! 大淀ォッ!

 

「体調が悪いか」

 

 単純な問いに、葛城はキョトン、として首を横に振る。

 

「え……? いえ、特には……」

 

 あ、あれ……?

 

「では、何故矢を放たなかった」

 

「あ、それ、は……」

 

 離れた位置のまま会話する俺と葛城。

 そんな葛城が視線を鳳翔へ向けた。俺の視線もそれにつられて鳳翔へ。

 

 鳳翔は正座したまま、静かに説明してくれた。

 

「……葛城さんは弓を使用しての発艦を行うのですが、少し、違うのです」

 

 違う……? としばし考えたところで、俺はある一つの事を思い出す。

 雲龍型正規空母――彼女らは艦これの中では龍驤達と同じ方法で発艦を行うのだ。

 一番艦雲龍、二番艦天城は《陰陽スタイル》と呼ばれる発艦。

 その中でも唯一、三番艦の葛城だけは《ハイブリッド》と呼ばれる発艦方法である。

 

 弓を使って射出するが、つがえる矢は式神、そんな特異なスタイルであることは、艦これプレイヤーならば常識である。

 

「葛城は陰陽と弓道、複合式の発艦方法だったな……それがどうして、矢を放たない理由に?」

 

 大丈夫です、安心してください。まもるだって提督です。うっすらしたものであろうが知識はあります。

 ただの無能ではないと言うことが証明できただけで自分を褒めてやりたいくらいに甘々な俺。

 鳳翔と赤城のみならず、他の空母は俺を見て何とも言えない表情をしていた。

 やめて見ないで。いたたまれないだろうが。

 

 大淀と加賀は助けてくれる気配も無い。厳しすぎんか君ら。

 

「提督の仰るように、陰陽――式神の発艦は高い集中力を必要とします。ですので、ただ矢を射るだけでは発艦出来ないのです」

 

 鳳翔の言葉に頷く。

 ……ほーん。なるほど? 平気平気、分かってたし。見て分かったし。

 本当だから。ちゃんと理解してたから。

 

「……ふむ。その集中を高めるために、構えたまま、じっとしていたのだな。しかし、長時間集中して放つものなのか?」

 

 そうなんだね、へぇ! くらいの感覚で言ったつもりだったが、式神って要するにアレだろう?

 艦載機に乗る妖精みたいなもんだろ……? そんなに集中してたら本当に発艦しちゃうじゃん。

 鎮守府を艦載機が飛び回るとか、おとぼけ提督が瑞鶴に怒られる時くらいしか見んぞ。主に同人誌とか。

 

 ここまで考えたところで、自分が場違いかつ余計な事を言っているのに気づいて弁明する。

 

「すまない、別に鳳翔の指導に異を唱えるわけでは無いのだ。少し、気になっただけで……」

 

「……提督、お願いがあるのですが」

 

 鳳翔が鋭い目つきで立ち上がった。やべえ、これは怒られる――ッ!?

 

「一度、見せていただけませんか。提督のお力を」

 

 えっ? いや……えっ?

 

 俺の力……? 書類の処理能力くらいしかないけど、ここで……?

 

「私が? いや、しかし……」

 

「これも一つの勉強になるかと思います。無茶を言っている事は承知していますが、どうか」

 

 鳳翔は俺の前までくると、すっと弓を渡してきた。

 ――無理だよォッ!? ただの社畜が弓道とかできるわけないじゃんかよ!

 

「練度向上の一助に、お願いします」

 

 弓を受け取りはしたものの、頭を下げる鳳翔に、俺を見つめる空母達に対して上手く言葉を紡げない。

 ここは素直にやったことが無いから無理と言うべきなのだろうが……やる前に諦めるなんて違うよな! と妙なやる気が出てくる。

 

 そうだ、まず矢を放つことなど出来ないだろうが、一度やってみせ、失敗した後に、こう言うのだ。

 

 何事も挑戦が大事なんだぞ。俺は失敗したが、これが普通なのだ。こんなにも難しい事をやり続けるお前達は凄いんだ! だから、無理はせず、適度に休憩を挟むのだぞ……。

 

 これだ。完璧じゃんかぁ……俺ぇ……!

 

 よし、これで行こう! 既に情けない姿なんてたくさん見せてるんだ、一度や二度の失敗で笑う艦娘達では無い! 失敗しても大丈夫、そういう所を上司の俺が見せれば、皆はきっと気が楽になるはずだ!

 

 ここまでコンマ秒の速度で思考した俺だったが、大勢の空母に見られている状況に吐き散らかしそうであった。

 仕方ないね、怖いもの。

 

「肩入れはなさいますか?」

 

 鳳翔の言葉にキョトンとする俺。肩入れ? 既に艦娘には肩入れしてるけど?

 

「必要なかろう」

 

「えっ、あ……そう、ですか……」

 

 不安そうな目で俺を見る鳳翔。安心しろよ、俺が一番不安だよ。

 そうして、葛城が先ほどまで立っていた場所まで来た俺は、左手で弓を持ち、構えたところで――矢がねぇ! という事に気づく。

 

 すると――射る場所から遠くにある的の間にある屋根のない部分から妖精達がふわりと現れた。

 その妖精達の手には矢があり、しかたがねえなこいつ、みたいな顔で俺へ手渡してくる。

 

 ……すみません妖精様方、もう何から何まで。

 

「……」

 

 静寂に包まれたままの弓道場。妖精達は矢を渡すだけ渡して早々に屋根の向こうへ消えていく。

 俺の背後では息を呑むような雰囲気。

 

 失敗するつもりで立ったというのに、何故か失敗は許されない空気が漂う。

 

 アカーン……ちょっちピンチ過ぎやぁ……!

 

「……っ」

 

 大の大人であればどれだけ不格好であれ弓は引ける。ただし、飛ぶかどうかは別問題である。

 集中するどころか、矢をつがえて一秒もせずに俺は指を離した。

 

 当然、矢は飛んだが、的に届く前に、道半ばにしてひょろりと地面に落ち、ぱすん、と刺さった。

 

「うっそ……え……?」

 

「今の、なに……?」

 

「提督さん、今の……」

 

 やめてやめてやめてェェェエエッ! 素人なんだから射れるわきゃねえだろうがヨォオオッ!

 飛龍と蒼龍の声に続き、瑞鶴の声が矢の如く俺に刺さる。弓道なだけに。

 

 ってやかましいわ! クッソァッ!

 

 そ、そうだ、もう逃げよう! 空母達には悪いが、お前らは、ほら、簡単には疲れないだろう!?(暴論)

 だから別の艦娘が無理してないか確認しよう! そうしよう! うん!

 

 俺は失敗は誰にでもあるんだからね、という当初の目的を果たすためだけに口を開く。

 

「……出来ん事は出来んものだ。出来る事を積み重ねるのが大事であることを忘れるな」

 

 よし、オッケー。逃げよう。

 俺は空母達の顔も見れず、腕だけを伸ばして弓を返す。誰か受け取って、と。

 おそらくは鳳翔であろう。ぱたぱたと軽い足音の後に「あ、ありが、とう……ございました……」という声が耳に届いた。ごめんねお艦、まもるには無理だったよ。

 

 そうして、俺はそのまま弓道場から出るために歩き始める。

 

「て、提督! お戻りになられるのですか?」

 

 加賀の言葉に、俺は体裁だけは保つのだと冷静に返答した。

 

「他の者の様子を見に行く。今日の執務はある程度終了している、加賀はここで訓練するなり、自由に過ごしていいぞ」

 

「は、はい……!」

 

 加賀の声を背に受けつつ、空母達の雰囲気に敗北を喫し、弓道場を後にしたのだった。

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