柱島泊地備忘録   作:まちた

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七十四話 枯死【元帥/大本営side】

 柱島泊地と呼ばれる小さな島で、大勢の艦娘相手に一人の男が腰を痛めながら孤軍奮闘している頃。

 東京、お台場にあるビル群のいくつかに設置されたモニターには、連続してニュースが放送されていた。

 その内容は人々に様々な声を生む。感嘆、興奮、熱狂。

 

 しかし一方では、陰謀論者が如くプロパガンダだという声もあったが、とにもかくにも、東京都だけではなく、日本の至る所で危機に瀕した人類が反撃の一歩を踏み出したと報道している。

 ニュースキャスターが抑揚なく淡々と原稿を読み上げているが、その途中で「記者会見場と中継が繋がりました」と場面が切り替わった。

 

 横断歩道の信号機が青に変わって人の波が移動する中で、足を止めてモニターを見上げる者は少なくなかった。

 

『えー、長らく閉鎖海域となっておりました、あー……南方の、大洋州にあります、ソロモン諸島、が、えー……一昨日より、日本海軍の、おー……奮闘により、開放されました事をご報告いたします』

 

 スーツを着た一人の男が壇上に立ち国旗を背にそう言った瞬間、フラッシュの明滅でモニターがちらつき始める。

 数秒の沈黙の後、男は撮影タイムは終わったか? と言わんばかりの表情をした後、言葉を続けた。

 

『国民の皆様も憂慮の絶えない事だったと存じますが、本件につきまして、えー、詳しいところを、海軍元帥に、説明いただきたく存じます』

 

 演台から原稿を退かすような仕草の後、男は記者団に向かって一礼し、舞台袖に視線を送った。

 すると、軍服を纏った男が重々しい足取りで演台までやってきて記者団に一礼。

 

 通行人からすれば、今や見知った顔とも言える白い軍服の男――井之上巌。

 彼は強面で威圧的な印象を与えるのだが、軍人が故か、はたまた上役や政治家に見られるくたびれたような見た目にあらず威厳ある風貌をしているため、不思議と発言に力があった。

 無論、実際の発言力とは違うものであるが、国民にとってそんなものは些細な事に過ぎず。

 戦場に立つわけでも無く、兵に志願するわけでもなければ普通に生活を営んでいる者の中には役立たずとも言う者もいるが、それはさておき。

 

『説明代わりまして、海軍元帥、井之上であります』

 

 先ほどのスーツの男よりも明瞭かつ淀みない口調で、井之上は時折演台に視線を落としながら声を発する。

 そんな井之上の後ろ、舞台袖からはカメラの画角に映りこむ女性の姿が見てとれる。その光景もまた、国民には既に馴染みあるものであった。

 

 制服ではなくスーツを身にまとっている女性だが、奇抜な髪色からして、どう見ても艦娘である。

 彼女は艦娘ではあるが、海上に立つ存在ではないという所は、国民の知るところではないかもしれない。

 

 なにせ艦娘は同じ顔が多い。名前だって、艦の名をそのままに使っているのだから、同じ名前に同じ顔は不気味に映るか、不思議に映ることだろう。

 ()()を好き好んでいるのは、画面の向こうの偶像(アイドル)として見ている若者か、祖父や曾祖父が知っているという理由で畏敬の念を抱く老人層の一部である。

 

 おおよそ、受け入れられてはいるが、好かれているかどうかは別、というのが実情。

 

 それも当然だ。化け物だなんだと好き勝手に言っても――どう見たって、彼女らは可憐な少女なのだから。

 

『六年前より行われておりました南方海域の閉鎖につきましてご存じの方も多いかと思われますが、攻撃性個体群、深海棲艦の襲撃によって著しい被害の出た地域であり、大洋州という事もありまして、ソロモン諸島の国民は一時的に諸外国へ避難し、多くは、オーストラリア、また、パプアニューギニア首都圏へ受け入れられておりました』

 

 形式的に説明をしながら、井之上は平静を装っているつもりであろうが、誰がどう見ても不機嫌そうな顔をしているのは明らかだった。

 その理由は、説明の途中にもかかわらず野次のように飛んでくる記者団からの質問であるのは言うまでも無く、これらは記者会見のたびに見られる光景でもあった。

 

『ソロモン諸島の政権は依然として存在していると認識しているのですが、南方海域の開放については各国との協力体制のもとで行われたのでしょうか!』

 

 不躾に声を上げた一人の記者を睨みつける井之上だったが、一人が声を上げれば、二人、三人と続いてしまう。

 

『速報にもありませんでしたが、それは秘匿していたのですか!』

 

『海軍の独断との声もありますが、国家間の問題になりえるのではないのでしょうか!』

 

 礼儀もなにもあったものではないが、井之上はその声に反論する術を持っていなかった。

 国民を守る存在である海軍、その頂点たる井之上のみならず政府へ野次が集中するのは必然である。その中でも井之上へ飛んでくるものなど政府関係者の内でも少ない方なのも理由の一つ。だからこそ井之上は辛抱強く、声が止むまで口を噤んだ。

 

 質問が飛んできたとて、答えを欲するならばいずれ沈黙の静寂がやってくる。

 

 その瞬間を見計らい、井之上は続けた。

 

『……質問は、説明の後に受け付けます。ソロモン諸島の防衛にあたり、各国との協議の結果、保有艦娘数が多い日本が率先して鎮守府を設立、各員を派遣するという事は過去に決定された事項でありますので、それに従い、海軍はソロモン諸島へは三か所の拠点を設置し、その対応にあたっておりました。ラバウル、ブイン、ショートランドにおいて攻撃性個体群の動向を注視しつつ、無人島を含むソロモン諸島全体の防衛、ならびに、避難出来なかった国民の捜索を六年にわたって行ったところ、いないと判断するにたりうる状況となったため、今回の作戦に踏み切った次第であります』

 

 ここまで説明したところで、野次を飛ばしてきた記者が納得するかと言えば、端的に――しない。

 だがまたしても野次を飛ばそうものならば、説明どころでは無くなることも理解している賢しい者でもあるため、まだ沈黙は破られなかった。

 

『先にも申しました通り、防衛の主体は日本海軍にありますので、独断ではありません。ソロモン政権も、ブーゲンビル州を擁するパプアニューギニア政権も、ソロモン諸島における戦闘行為については容認事項であります。また、南方海域開放における作戦につきましては陸軍大臣の承認、防衛許可として内閣総理大臣の決定もあり、実行したものであります』

 

 許可はある。それだけで記者団はさらに沈黙を深くした。

 しかしながら、まだ納得出来ないとして腰を上げる勢いで声を投げる記者が一人。

 

『総理大臣の決定があってから開放までの時差を考えると、以前より手を付けていたのではと考えられるのですが!』

 

 井之上はそれに対して一切の間も無く答える。

 

『軍事的決定は速度が無ければなりませんので、国民の皆様には報告が前後してしまいますが、ご理解いただきたい。沿岸警備以外にも、内陸部の安全を確実なものとするため、陸軍の憲兵が治安維持にも動いております。西日本統括として日本陸軍、憲兵隊隊長の松岡忠中将が筆頭となり――』

 

『しかし――!』

 

 さらに声を荒げた記者を見る井之上の目が、きゅう、と細くなる。

 よくよく見れば地方新聞の記者であった。

 

 そういう記者は、正義感が強いと井之上は知っている。独善であろうが、それが間違っているとも断じることはできず、どちらかと言えば国民によりそった考えを持っているのは彼なのだろうと心を納得させて、小さく溜息を吐いた。

 

『ソロモン諸島より北上してくる攻撃性個体群によって、日本沿岸部に被害が出ていたのは周知の事実であります。本件に関しては、ソロモン諸島のみならず、日本沿岸部、そして各国への被害を最小限にとどめるために強硬的に行われたことを否定はできません』

 

 否定できない――その言葉は記者団達から野次を引き出すには十分なものだった。

 途端に記者団からガヤガヤと声が上がり始め、井之上はさらに表情を険しいものにする。

 

 モニターを見上げていた国民も記者団にあてられたかのように、友人や知り合いと声を交わす。

 実質独断でやったんじゃん。自衛隊から名前変わっただけじゃないのかよ。

 

 数年前までは諸手を挙げて歓迎していた雰囲気は、ここ最近になって反転しはじめていた。それは井之上や陸軍大臣の()()()()()と言うべきであろう。

 それが、かの男が強硬した作戦においてもう一段階進んだと考えると、険しい顔の裏側では、笑みを浮かべてしまう。

 

 その心は――

 

『その強硬的な作戦で、海軍所属の艦娘への被害は――』

『過去に実行された作戦で酷使された艦娘のその後の報告を――』

『人権保護という観点における海軍の見解は以前と変わりないのでしょうか――』

 

 ――井之上のみぞ知る。

 

『……海軍所属の艦娘についての質問は軍事機密に抵触いたしますので、回答いたしかねます。この会見は、南方海域の開放報告ですので』

 

『海外の軍事機関における艦娘の処遇については――』

『新たな艦娘を日本へ招致するという話もありましたが、どの程度進行して――』

『ソロモン諸島の開放によって航路が確立出来たのであれば、やはり諸外国との協力を――』

 

 目まぐるしく入れ替わり立ち替わり、記者団から向けられるボイスレコーダーに向かって答えていく井之上の姿は、その後十数分にわたってモニターを占拠した。

 

 国民の興味はすぐに逸れ、立ち止まっていた通行人もまた、いつしか変わってしまった日常へ馴染むように歩みを進めていくのだった。

 

 

* * *

 

 

「お疲れ様です、元帥」

 

「……ああ」

 

 記者会見からしばらく。井之上は大本営へ戻る途中の車内でかけられた声に疲れも隠さずに返事した。

 

「久しぶりでしたね、あの感じ」

 

「開戦当初を思い出したわい。少女を戦争に駆るとは何事かー! とな。くっくっく」

 

 運転手の声は高く、揺れる薄紫色の髪が、井之上の目には楽しんでいるように映る。

 かくいう井之上も、不機嫌な表情をしていたが、内心は()()と同じであった。

 

「せいぜい仕事を増やせとは言ったが、あいつが動くとここまで波紋が広がりおる。しばらくは柱島に閉じ込めておかねばならんかな」

 

「そんな事言って、山元大佐に何かあればすぐに通せと仰ってる癖に」

 

「おや、お前には隠せんかったか。くっくっく……陸の方でも大規模な人事が起こっておるからな、事に乗っかり出世した……いや、出世させた男も呉に駐屯しておる」

 

「隠すって――当たり前ですよ! あきつ丸さんまで向こうに行ってるのに! 人事の方も、大佐が今回のいわくに引っ張られないようにと、理解してるつもりです。……それはそうと、あの、元帥……向こうの艦娘は、今、どう過ごしているんでしょうか」

 

 青葉の言葉に、井之上は確信をもって答えた。

 

「少なくとも、任務を拒否はしていないようじゃ。ワシのもとにきた報告書には元気に哨戒を行っているとあったぞ。さして心配はしておらん」

 

「そう、ですか……それは何よりです」

 

「で、あろうよ」

 

 新宿へ向かう高速道路へ続くレーンへ車が揺れた時、ふと、青葉の声音が低くなった。

 

「――この後の会議についてですが、横須賀の司令官は参加が難しいと」

 

「……もとより来ないものと認識しておったよ。横須賀と呉はな。で、他は」

 

「岩川、鹿屋、佐世保、舞鶴、大湊は参加が確認出来ました。既に、大本営で待機しているみたいです」

 

「ふむ……参加艦は」

 

「岩川からは駆逐艦電、鹿屋は軽空母龍鳳、佐世保から軽巡洋艦阿賀野、舞鶴は駆逐艦天津風が秘書艦として参加するようです。大湊は……軽巡洋艦、由良、と」

 

 井之上は妖精こそはっきりと見えない男だが、特異な能力が一つあった。

 それが、艦娘が通信する際に発する特殊な電波を感じ取る、というものである。

 

 というのも、正確にどのような通信内容であるか、どこと通信しているか、までは分からないが、チッチッチ、というノイズのようなものが聞こえるのだ。

 青葉もそれを知っているため、井之上の前では隠し事なんて出来ないと理解し、最初こそ構えていたものの、今ではすっかり元帥付の運転手兼秘書として定着している。

 

 呉へ山元大佐を移送する際にも一緒に行っており、()()()も知っているし、見ている。その前の男のことも然り。

 

 青葉は大本営にいる艦娘と通信しながら、現在がどのような状況であるのかを井之上につぶさに伝えた。

 

「舞鶴の司令官が、呉の大佐は出頭しないのか、としつこく聞いているようで……対応している朝潮さんがどうすればよいか、と」

 

「大規模作戦後の処理をワシに押し付けられたから鎮守府に縛り付けられているとでも伝えておけ。それでも食い下がるようであれば知らんで通しておいてくれ……ワシから説明しよう」

 

 しばらく沈黙する青葉。井之上の耳に届くノイズ。

 

「……伝えました」

 

「くっくっく、腕が一本無くなった程度で揺らぎおるか。油断は出来んが、かの知将が我が陣にいると思えば、少しは余裕に思えるもんじゃな」

 

「それとぉ……や、やっぱり寄るんです……? お昼……」

 

 青葉が恐る恐る聞くものだから、井之上は不機嫌な顔のまま器用に目を丸くして言った。

 

「当然だ。この前、約束したじゃろう? ワシは良く分からんが、甘い、なんだ、パンを食べてみたいと」

 

「パンじゃなくてパンケーキですっ! って、そうじゃなくてですよ! 会議のために司令官達が揃っていらっしゃるのに……!」

 

 井之上はここでようやく不機嫌そうな顔を緩め、笑みを浮かべる。

 

「記者らも言っておっただろう。艦娘の人権をと。ワシは海軍を預かる身として、青葉の望みをかなえねばならん。それに、約束を破る男は嫌われてしまうかもしれんじゃろう。ワシは青葉に嫌われては仕事が手につかなくなってしまうかもしれんのだが……どう思う?」

 

「も、もぉ……怒られても知りませんからねぇ? これも元帥の作戦なのかもしれませんが、青葉は心臓がもちませんよ……海軍是正の一手だとか、なんとか」

 

 しばらく車を走らせていた青葉だったが、ハンドルを切って高速からおりて下道を戻り始める。

 高速のすっきりとした道からごちゃごちゃとした看板の目立つ道に戻ったのを窓越しに見た井之上は満足そうに笑いながら、軍帽をさっと目深に被り、似ていない誰かのモノマネをしてみせるのだった。

 

「私には分かりかねる」

 

「もぉ! 元帥!」

 

「がっはっは! 冗談じゃ、冗談! しかし苛立っても待たねばならんだろうよ。ワシが記者会見に出ているのも知っておる。どこぞの信号に捕まったと言えば嘘だと断じられんじゃろうて」

 

「そんな、身もふたもない……」

 

「海原よりはマシじゃろう。たかだかお前と食事をするのに時間を取っている程度、可愛いもんじゃ。あやつならば出頭しておる者ら全員を半死半生になるまで殴り飛ばしておるやもしれんが、青葉はどちらがマシだと考える?」

 

「……元帥です」

 

「そうじゃろうが。それにな、記者団が終わったというのに、今度は部下と戦わねばならん。一瞬の仕事であれ、堪えるんじゃよ……元気づけると思って、老人に付き合ってはくれんか」

 

「……ずるいですよ、それ」

 

「そうか? 誰かのがうつったのかもしれんなあ、はっはっは!」

 

 そうして井之上はまた車内に響くような笑い声をあげて、この後に控える多くの事後処理の事を頭の片隅に考えながら、青葉と共に昼食へと向かった――。

 

 

* * *

 

 

 大本営の会議室では、五名の男が艦娘を伴って憮然とした表情で椅子に座り、煙草をふかしていた。

 岩川基地よりやって来た男は無言のままで火のついていない煙草をくわえ、同じく、大湊からやってきた男も灰皿へ何度も煙草を打ちつけ、火種が落ちてもそれをやめなかった。

 

 先刻、大本営付の艦娘、駆逐艦朝潮に向かって元帥へ連絡を取れとしつこく迫っていた舞鶴の提督、金森正平(かなもりしょうへい)は厭味ったらしく、自分の秘書艦のみならず、それぞれが連れて来た艦娘を見まわしながら言った。 

 

「護国を担っているというのに役に立たん者が多い。このままでは海軍が枯死するのもあり得ん話ではないかもしれんな」

 

 それに対して、佐世保からやってきた提督、八代元(やしろはじめ)が鼻を鳴らす。

 

「金森中将、正直なのも考えものですぞ。それでは戦果の挙がらぬ者はいよいよ頭も上がらんではないですか」

 

「しかしだ八代少将、見てみたまえこの者らの様相を。護国は二の次、戦果も挙げず鎮守府で兵器を気遣うような軍人しかおらん。南方の開放とて呉と柱島、鹿屋の合同とは言うが……実情はどうだか」

 

 看過できない、という雰囲気を背負って金森中将の後ろに控えていた駆逐艦、天津風が小声で言う。

 彼女の視線は鹿屋の艦娘へも向けられており、対外的にはせめて悪口は控えてくれないかと懇願するようだった。

 

「その、他の方々もいる手前ですから、えっと……――」

 

 金森は途端に形相を変え、今にも立ち上がって殴りかかりそうなほどの怒気を込めて低い声を吐く。

 

「あぁ……? 誰が口を開けと言った。おい」

 

「っ……申し訳、ありません」

 

「必要な時は声をかける。今、俺はお前に声をかけたか?」

 

「……」

 

 天津風は顔を青くして首を横に振る。

 

「全く、これだから艦娘は。八代少将のところを見習わんか。恥ずかしい」

 

 金森の視線を受けた八代はニンマリと笑い、腕を組んで煙草のフィルターを噛んだ。

 

「お褒めにあずかり光栄ですな。金森中将は優しいですから、艦娘も自由にしておるのでしょう。うちの艦娘は夜にしか喋らんので、それもそれで困りものなんですがね」

 

「それはどこの鎮守府もそうでないのか? はっはっは!」

 

 下賤、下劣極まる会話ながら、岩川の男も、大湊の男も決して口を開かなかった。

 あからさまに反対派であると誇示するような佐世保と舞鶴と違って、前者二箇所の拠点は艦娘に反対するでもなく、擁護するでもない中立であるが故に会話に加わらなかったというのもあるが、実のところ、岩川と大湊の提督は、鹿屋基地の提督――清水中佐が会話に参加しなかったのを訝しんだのだ。

 

 大湊の提督の後ろで議事録をとれるようにとメモを準備している軽巡洋艦由良に対し、岩川基地からやってきた提督の横で周囲と視線を合わせないよう、不安そうな表情を伏せ続けている駆逐艦電もまた、仕事でなければこんなところに来たくない、といったところだろう。

 

 舞鶴の金森も、佐世保の八代も、てっきり鹿屋は乗ってくるものだと思い込んでいた。

 

 清水中佐は会話になど一切興味は無い、と言わんばかりに、連れて来た軽空母龍鳳に向かって小声で何かを話している。

 会議室でそれぞれが座っている席に距離は無いため声こそ聞こえるが、内容までは分からない。

 

 しかし、清水中佐に話しかけられていた龍鳳がくすりと笑ったのを見て、金森が不機嫌そうに言った。

 

「楽しそうじゃないか清水中佐」

 

 金森の声にびくりと震えた龍鳳だったが、そこでなんと、清水が龍鳳の腕をぽんと叩いて宥めたではないか。

 初めての光景に、電や由良は驚いて目を見開く。

 

「これは失礼。個人的な話をしておりました」

 

「個人的ぃ? それはそれは……随分と親しくなったのだな。新しい()()か?」

 

「夜警、とは……彼女は自分の秘書艦ですが」

 

 わざとらしい隠語で伝えたというのにもかかわらず表情一つ変えない清水中佐に煽るつもりなど無かったであろうが、それは金森のみならず八代までも苛立たせる態度であった。

 まして中佐は、この室内において一番の下っ端である。それがさらに苛立ちを加速させたのだろう。

 

「前任から受け継いだだけの素人指揮官でも時間が経てばそれらしく生意気になるものだな。先の作戦について南方に近かったのは鹿屋も同じであろうに、こうも余裕をかましていられるなんざ」

 

 八代の言葉に「同じ椅子に座っていても経験に差は出るということだろう」と嫌味を上乗せして言うも、やはり清水中佐は一切たじろぐ様子も見せず。

 

「何か失礼を言ったようでしたら、謝罪します。申し訳ない。なにぶん、色々と予定もありまして、龍鳳と楽しみだなと話しておりました」

 

「楽しみ、だと……?」

 

 金森が眉をひそめる。

 

「ご存じの通り、今は龍鳳と呼んでおりますが、この娘はもともと潜水母艦、大鯨と呼ばれている艦娘でした。鹿屋には潜水艦がおりませんので、この先に会えるかもしれない潜水艦達はどのような艦娘達なのだろうと話していたのです」

 

「なんだ、それは。そんな話知らんぞ」

 

「ただの合同演習ですよ。呉鎮守府が柱島泊地と合同演習を行う予定がありまして、日程は詰めておらんのですが、山元大佐に頼み込んで自分も参加させてもらえないかと交渉しているんです。舞鶴鎮守府ほどの拠点で行われる演習であれば話も広がっているでしょうが、手を噛んだのではと言われている呉が演習しようが、気にもされんでしょう?」

 

 痛烈な皮肉。だが清水は反対派に傾いていた身であるため、皮肉であるのか、はたまた本当に気にすることもないだろうと思って口にしたのか、金森には分からなかった。

 八代は、一度いわくがついたとは言え、拠点として大きな呉の演習にあやかろうとは弱小基地めと、見下すような目をして清水と龍鳳を睨む。

 

「――件の柱島の大将も参加せんと来たものだ。これはいよいよ、といったところに思うのですが、ねえ、中将」

 

 その八代の声に、金森は頷く。

 

「名ばかりの大将など一度として参加せんかっただろうが。いずれにせよ、井之上元帥が会見から戻れば全て分かる事。南方の開放にともなってあの拠点群がどうなるかも聞かねばならん」

 

 

 それからは、また煙草の紫煙と沈黙が室内を支配する。

 

 かれこれ一時間は経とうか、という頃になって、ようやく会議室の扉が開かれた。

 がちゃんという重々しい音に全員がそちらに顔を向ける。

 

 もちろん、やってきたのは――海軍元帥の井之上巌である。

 

 全員が起立し、敬礼した。井之上も流れるような動作で答礼し、軍帽を脱ぎながら椅子へ腰をおろした。

 

「待たせた。中継も終わったというのに記者の質問が止まんでな。ようやっと解放されたわい」

 

「いえ、お疲れ様であります元帥。して、会議を――」

 

 金森が井之上の顔色を窺いながら言葉を紡ぐも――最後までは紡げず。

 その理由は、井之上元帥の一方的な発言が故だった。

 

「――件の海域において呉鎮守府、柱島泊地、呉へ出向してもらった鹿屋基地の清水中佐に勲章を与えるという話をまとめたい。呉の山元においては周囲への示しもあるので一時保留せねばならんが、鹿屋の献身的な働きには報いねばなるまいて。清水、どうだ」

 

「なっ……」

 

「わぁっ……!」

 

 金森は喉が詰まったように声を失い、話を振られた清水は驚いた顔で座ったばかりなのに立ち上がってしまう。秘書艦の龍鳳は深く事情を知っているのかいないのか、その上で喜んでいるのかは分からないものの非常に嬉しそうである。

 

「く、勲章でありますか!? 自分は、あの時何も――!」

 

「あの時? はて……それがどの時を指しているのかは分からんが、ともかく、南方海域の開放は勲章を与えるのに申し分ない戦果じゃろう。山元らの代わりに受け取っておくのも手ではないか?」

 

「や、山元大佐にも与えられないのであれば、自分は勲章など……」

 

「じゃが、これはワシの一存ではない。南方を開放した者に対して何も無しで褒められるのは、昔の話よ。今や働きに見合った褒賞が無ければそれだけで非難の対象にもなりかねん。長らく閉鎖されておった海域じゃぞ? なぁ、違うか?」

 

 井之上が視線を向けたのは――中将でも少将でもなく、岩川と大湊の提督達。

 二人は黙ったまま、ただ頷いた。

 

 何故だと八代と金森が考えるべくもなく、その答えは明らか。

 

「こういう事じゃ。まだ処理があるのでな、しかして直接これを伝えんとワシが元帥たる理由が無くなってしまう。許せよ清水」

 

「い、いえっ……自分は、あの、しょ、承知、しました……」

 

「っくく、勤勉で結構。ここのところ数年前のように頻繁に沿岸を襲う動きは見せておらんが、今後ともこれが続くということは決してありえんと心得ておけ。国民のみならず、我々の油断が命取りとなる。よいな。では……以上だ」

 

「お、お待ちください井之上元帥! 南方で実行された作戦について大本営、いえ、元帥から説明は無いのですか!? 突発的にしては大規模が過ぎる作戦でありました! それに、南方の管轄は――」

 

 立ち上がった井之上を呼び止める八代だったが、井之上はちらりと視線をやっただけで、すぐに背を向け、部屋を出て行きながら言った。

 

「まだ処理をしておる途中でのお……南方海域の拠点に別段変更はかけておらん。以前と同様の任務を課すつもりでおるよ。深海棲艦の動向に注視せよとな。作戦参加の拠点は通達の通りじゃ。岩川にも大湊にも、同じように通達しておるはずじゃがなあ……」

 

「な、なんっ……!?」

 

 扉が閉まった途端、八代のがなり声が響く。

 

「岩川と大湊は何か知っているのか!? どういうことだッ!」

 

 金森はと言えば、額に青筋を浮かべて視線を伏せたまま。

 

 岩川と大湊の提督は元帥に名指しにされたにもかかわらず一切の動揺を見せず、会議はこれで終わりだと立ち上がって去ろうとする。八代の呼び止めにも応じる様子は無かった。

 大湊の提督は一言も発さず秘書艦を連れて部屋をさっさと出てしまい、後に出ようとした岩川の提督が、足を止める。

 

「待て! くそっ……説明しろッ! 貴様にはその義務があるぞ、郷田ッ! 貴様も呉と共犯だろうがッ!」

 

 八代が唾を飛ばしながら怒鳴る様を見て、わざとらしい溜息を吐き出す。

 

 岩川基地統括――海軍少将、郷田航(ごうだわたる)は軍帽を指で押し上げ、訳知り顔で言った。

 大袈裟なまでに震える電の肩に手を置いて落ち着かせるような仕草は、八代と金森という反対派閥の顔に唾を吐くようなものであった。

 

「共犯とは人聞きの悪い――俺は同じ軍人として呉の要求に応えたまでだ。戦果を譲って欲しい、というな。それに部下である大佐が俺に頼みごとをすることのどこがおかしい? 南シナ海からいつ何時深海棲艦が来るか分からん上に、偵察機などは見つけ次第撃墜しているのだから、確かにうちは戦果を挙げている……ならば少し譲ってくれというのはそんなにおかしな話か? 貸し借りで言うなら、いくらか駆逐艦を借りただけだ。きちんと返却したぞ。出し渋る舞鶴や佐世保とは違ってな」

 

「こっ……こちらとて出し惜しんではおらん! 貯蔵分で事足りる程度に戦果も挙げている! 艦娘を借りねば戦果も挙げられん岩川とは違うわ!」

 

「貯蔵分で賄えているならば、それほど素晴らしい話は無いな。俺はてっきり気に入らん艦娘を次々と飛ばして、必死に従順な艦を建造しようとしては大本営に小遣いが足りんとせがんでいるものだとばかり思っていたよ。資源は無限ではないのでな、少しはこちらにも回してくれ」

 

 はん、と笑い声を漏らす郷田に対して、さらに八代は激昂した。

 

「言わせておけば……たかだかコバエを落として悦に入っているだけだろう!」

 

「そのコバエが飛んできても気づかないのはどちらか。召集と近海哨戒以外にも仕事は転がっているぞ八代。貴様の教育が足りんのならば、俺の育てた艦娘を貸してやろうか」

 

「移籍でもなく即時出向でもさせるつもりか? 貸し借りなどという文言で誤魔化せると思うな……通達前の転用は軍規に反するだろうが……ッ! 目論見を知っておきながら白々しい!」

 

「お前が軍規に縋るとはたまげたな。それに元帥や呉、柱島が何を考えているかなど俺が知るわけも無かろう。強いて言うなら……戦艦と軽巡洋艦、駆逐艦が異動した事は知っている。長門もそれに含まれていたらしいな。さて、八代。言葉を返そう。いよいよだな? いつものように高みの見物を決め込んでいてはどうだ。お前達の飼い主が助けてくれるかは知らんがな」

 

「ぶ、侮辱か貴様ァッ!」

 

「――分が悪いぞ八代。分からんのか。閉鎖されている南方が開放されたのに、ここに楠木が来ていないのが答えになっていると思うのだが……それも分からんくらい脳が塩漬けになったわけではあるまい。元帥の顔を見ただろう。いずれ海軍は傾くぞ、枯死ではなく、諸君らが嫌がる方向へな。俺としては、どちらに傾こうが、国を守れるのならばそれでいい。賛成反対などと言う貴様らもどうでもいい。何をどう取り繕おうが、造れるのならば兵器として活用するまでだ。……行くぞ駆逐艦」

 

 そう言い残し、郷田は電を連れて部屋を出て行く。

 残されたのは、八代と金森、そして清水と三名の秘書艦娘達。

 

「し、清水……上官命令だ……知っている事を言え――ッ!」

 

 唖然とする八代に代わり、金森がやっとの事で振り絞った声。

 清水こそ目を白黒させて混乱しているのだと示したのだが、その口が滑る。

 

 清水は、もしかすると、井之上元帥はこれを狙っていたのかもしれない、と口を滑らせてしまった後に考えた。

 

「自分は、作戦を見ていただけで――……っ!」

 

 金森も、八代も、嘘だと思った。

 山元が南方を開放する戦力を有するはずもない。あったとしても、どうやって。

 それに、作戦に名を連ねていた、あの男が生きているはずが無い。

 

「見ていた、だと……? 名前しか出ておらんのにか!? あいつが発見されたのも嫌疑の棄却もはなからおかしいと思っていたのだッ! 吐け、清水ッ!」

 

「この狐めが、それで欺いているつもりか……!」

 

「そう、言われましても、呉と柱島が合同で開放したのは、本当のところでありまして……大将閣下がお戻りになられているのも本当でして……」

 

「戻っているはずが無かろうが……クソッタレの嘘吐きめ!」

 

 八代の怒号。金森の怨嗟。

 清水は賢しい男である。故に――ああ、と井之上元帥の考えの一端に触れた。

 

 触れた上で、自分がもしもここで――あり得ないが――八代と金森に捕まるか、攫われたとしても、龍鳳を逃がして事情を()()()()()()へ伝えられたら、あくびをするよりも簡単に盤はひっくり返るのだろうと、呆れ半分、安心半分で言い返せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――では、その目で確認したらいかがか。あの御仁の正面に立てると言うのであれば、ですが」

 

 そんな清水の真っ直ぐな目に、金森も八代も言葉を失うのだった。




追:またも若干の抜けがあったので修正してあります。

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