柱島泊地備忘録   作:まちた

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七十六話 蕾【神通side】

 訓練の時間こそ、何も考えず過ごせる憩いの時間だった。

 憩いというのもおかしいかもしれないが、間違いなく、そうだった。

 

 艤装も装着せず、足を、拳をただ我武者羅に振るうだけの時間。

 

 鉄塊ではなく人の身となった今では、一時間も身体を動かせば全身から汗が噴き出し、肺が酸素を求めて激しく収縮する。

 心臓の振動が鼓膜を揺らし、目の前がチカチカしてもなお、身体を動かす。

 

 ある一定の疲れや苦しみを超えた先に――何か、言葉で言い表せないものが待っているような気がするのだ。

 それを私は追い求め続けた。

 

 前の鎮守府で使い潰されていた頃と、目指す場所は同じ――人で言わば死。

 もしかすると――あり得ないが――こうする事で、私は苦しみぬいた先の先を求めていたのかもしれない。それが死であると、そう思っている。

 

 私は柱島に来てからもずっと訓練を欠かさなかった。

 

 大規模作戦の時も、それ以前も、以降もずっとだ。

 

 そんな私は――艤装をつけていないとは言え、提督に敗北した。

 

 いいや、もうあれは勝敗などのラインにすら立てていなかった。

 多くの深海棲艦と戦って生還し、使い潰されようとも立ち上がった私の戦闘能力を知っていたとしても、人間が艦娘に対して徒手の戦闘で勝利できようものか。

 こんなこと、常識も常識。石を投げれば地面に落ちるくらいに当然の摂理。

 

 彼は――たった一歩前に進むだけで、覆して見せた。

 

 前線で使い潰されながらも生き延びている私より強い艦娘など知らない。

 艦種や練度の差こそあれど、技量、気力、どれをとっても一線を張れるという自負があった。

 だから、前の鎮守府を追い出された時は絶望した。

 

 私はお役に立てませんでしたか? どうすれば、もっと人々のために戦えますか? 

 ついぞ、その問いに答えは無く、前提督は私を捨てたのだった。

 

 しかし今は、その不幸に感謝している自分がいるという不思議な気持ちでいっぱいである。

 私よりも強い御仁が――私の前に立って――

 

「神通。じーんつう! ちょっと!」

 

「はぅ!? す、すみません! はい!」

 

「大丈夫? 提督に負けて泣いてたらしいじゃーん?」

 

「なっ……姉さん、やめてください!」

 

 ――柱島泊地、食堂。

 午前の演習組も近海から戻った今、食堂は多くの艦娘で賑わっていた。

 

 既に私が武道場で提督に勝負を挑み敗北したことは殆どの艦娘に知れ渡っており、姉とも呼べる存在、川内に茶化されて言い返した時に初めて、視線が集中している事に気づいた。同型が故に、自然とそう呼んだ()()()()()はからからと笑う。

 ため息交じりに視線を外し、食堂を見回すと、周囲は早く話を聞かせろとばかりに身をこちらに傾けてくる。

 

 それらに対して、やめてやめて、と箸を持った方の手を振った。

 

 正直言って居心地が悪いし、少し失礼じゃないだろうか、と考えてしまう私だったが、負けた事へのショックの大きさと、提督の人間離れした反射神経に大敗を喫したあまりの清々しさに、味噌汁と一緒に考えがお腹の中へ落ちていく。

 

「さっきからぼーっとしてさぁ。やっぱショック?」

 

「それは、まぁ……ショックもなにも、ないですよ……」

 

 それ以外に感想を聞かれても、言葉に出来る自信は無い、と私は本日の昼食メニューである鰯団子にかじりつく。鰯団子と言えば、姉さんのメニューでもあったんだっけ、と朧気に思い出しながら虚空へ視線をさ迷わせた。

 ぼうっとする私の意識を引き戻したのは、天龍と龍田、摩耶の興奮気味な声。

 

「それでそれで?」

 

「オレと摩耶が腕を掴んで引き寄せようとしたんだよ、そっしたら、ぐって! こう、ぐーって捻られてよ! あっという間に転ばされちまったんだ。っかぁぁー! 素手じゃなかったらもう少し食いつけた! ぜってー食いつけたね!」

 

「私なんて見えても無かったのに、避けられちゃったのよぉ。すごいわよねえ」

 

「やっぱりレディーは強くなくちゃいけないのね!」

 

「それはそれで違うような気がしないでもないのです……」

 

 第六駆逐隊の娘達へ話す天龍に対して、摩耶が笑いながら自分の胸をぽんぽんと叩いた。

 

「ばっかお前。転ばされた程度だろ? アタシなんて背中打ち付けてきて息できなかったっての。あれで軽巡だぜ……軽巡……」

 

「重巡摩耶様でも敵わねえ相手がいるんだなー?」

 

「う、うっせえ! 防空なら負けねえし!」

 

「防空と白兵戦はもう別モンだろそれは……」

 

「だからノーカンなんだよ」

 

「どういう理屈だよ!」

 

 や、やめてほしい……確かに私は訓練は好きだけど、地面に転がしたり打ち付けたりするのが好きなわけじゃない……。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、二人の会話は止まらず。

 

 摩耶の近くに座っていた鳥海が、はぁ、と溜息を吐き出しながら会話に加わった。

 

「私、触った途端に転ばされたんですけど……」

 

「あらぁ、大丈夫? よしよしする?」

 

「愛宕、傷を抉るのはやめなさい」

 

 愛宕が鳥海の背を撫で、呆れた声でそれを諫める高雄。

 

 駆逐艦達が集まっている席からは綾波が夕立や時雨に挟まれた状態で話しているのも聞こえてきて、私は顔から火が出てしまいそうだった。

 

「鬼教官と言いますか……相変わらず勝てるビジョンが浮かびません……気づけば地面に倒れてるんですから、よっぽどです」

 

「すごいっぽい! 夕立も神通さんに教えてもらいたーい!」

 

「ぽいぽい言いながら戦闘するのかな? 流石夕立、変な子だね」

 

「言わないっぽい!」

 

「言ってるじゃないか」

 

「い、言ってないっぽ……言ってないもん! ね、ね、綾波ちゃんから神通さんにお願いしてみてっぽいぃ……!」

 

「えぇ!? わ、私からなんて……夕立さんが直接言ってくださいよ……。第一艦隊でも一緒になったんですから」

 

「作戦以外では話しかけた事あんまりないっぽい……」

 

「コミュニケーションも立派な仕事だよ、夕立」

 

「むっ……じゃあ時雨は言えるっぽい!?」

 

「……綾波、言えるもんね?」

 

「なんで私に聞くんですか……?」

 

「ね?」

 

「綾波ちゃんに圧かけるの禁止っぽい! 時雨あっち行って!」

 

「いやだね」

 

 姦しいとはまさにこのこと。食堂は賑やかである。

 その賑やかな会話の中心が私でなければ、もっとよかったのに、と顔を伏せて食事を続ける。

 

 しかし会話は止まらず、食事を再開したはずの姉さんが私の二の腕を指でうりうり、とつつきながら言った。

 

「提督に勝負を挑んだのが間違いだったねぇ」

 

「むぅ……わかってますってばぁ」

 

「ふふふっ、じょーだん! でも、本気で落ち込んでたらどうしようって心配しちゃったよ」

 

「え? 姉さんが……?」

 

「妹の心配くらいするよぉ!?」

 

 これくらいの仕返しは許されるだろう、と口にした言葉に大袈裟に反応してくれる姉さん。多くの艦娘達が会話しながら食事をしている光景が初めてで、とても新鮮で、それでいて――悪く無いな、と思えた。

 

 あれだけ強い御仁が私達の提督なのだから、鼻高々というものである。

 

 しかし、私は見落としていた。

 

 彼もまた、人であるということを。

 

 

* * *

 

 

 それを知ったのは、午後の訓練も終わって日没も過ぎた頃だった。

 再び食堂に集まった艦娘達は、演習に疲れたとか、そういうたわいもない話題でのんびりとした時間を過ごし、私もまた、流石に昼のように弄られる事も無く平穏に過ごしていた。今が戦時下であるというのが嘘みたいな日常だ。

 

 私は午後の演習にも組み込まれておらず非番であったため、本来なら自由に過ごしてもよいはずだったのだが、やはりどうしても提督に負けたのが悔しくて武道場で汗を流して過ごした。

 それに付き合ってくれる艦娘はいなかったが、一人になるとより集中出来たため悪い時間ではなかった。心地よい疲労感と共に、どうすれば今よりももっと強くなれるのかを漠然と考えながらちょびちょびと麦飯を噛む。

 

 そんな和気藹々とした空気の食堂内に提督の姿は無く、そういえば昼間も来ていらっしゃらなかったような、と考えた時、丁度、食堂に大淀がやって来たのが目に入る。

 間宮と伊良湖と二、三言交わすと、大淀はお盆に食事をのせて食堂を出て行った。

 

 提督に持っていく食事であろうか? とぼんやり思い、大規模作戦から日も浅いから執務に勤しんでいるのだろうと胸中で一人納得する。

 頭が下がる思いだ。百隻に近い艦娘達を統率しながら柱島泊地を運営し、大規模作戦のみならず、元帥閣下や呉の大佐、鹿屋の中佐とまで連絡を取り合っているのだろうから、忙しさは想像もできない。

 

 そんな提督に対して私を含む艦娘が出来る事は、しっかりと任務をこなし、日々の訓練を怠らないことだろう、と思う。我ながら模範解答過ぎて、つまらないというか、なんというか。

 

「提督も大変ねぇ、お昼も来てなかったじゃない」

 

 偶然聞こえて来た重巡洋艦足柄の声。

 私以外にも気づく人は気づくものか、とそちらへ視線をやる。

 

「仕方が無いにゃ。大規模作戦の事後処理もあるにゃ?」

 

「球磨達にはどうにもできんクマ。報告書くらいしか書けないクマ」

 

「大規模作戦の報告書は提督と艦娘で別にゃ。球磨姉が出来たとしても字が汚くて読めんにゃ」

 

「クマァ……? 姉ちゃんの達筆見てえクマァ……?」

 

「二度と書かないで欲しいにゃ。球磨姉にさせるくらいなら多摩が書くにゃ」

 

「……クマァ」

 

 ……変な話が聞こえて来た気がしないでもないけれど、大規模作戦の事後処理ならば、忙しいのも仕方が無いのか、と考えた時、先ほど出て行ったばかりの大淀がすぐに戻って来た。

 そして食堂の入り口からすぐのところで、ぱんぱん、と手を打つ。

 

 自然と全員がそちらを見た時、大淀は淡々と予定の話をし始めた。

 

「お食事中すみません、明日の予定は変更ありませんが、明後日の予定が変更となりました。佐世保鎮守府の提督がいらっしゃるそうです」

 

「何故だ? 大規模作戦後だし、処理も多いだろう。時期が悪いように思うのだが」

 

 茶碗に信じられないほど麦飯を盛って、魔法のように胃袋へもぐもぐと入れていた長門の声。全員が同じ考えだったようで、不思議そうに大淀を見る。

 

 大淀はと言えば、苦しそうな、調子が悪そうな顔をしたまま、うーん、と唸ったあと、半開きにしていた食堂の扉をしっかりと閉めてから言った。

 

「その、柱島泊地の視察を行うそうです。鹿屋基地の清水中佐とお話しされていたようで――」

 

「また盗聴したんか」

 

「しっ……してません!」

 

 龍驤の言葉をすかさず否定した大淀は、咳ばらいを一つしてから話を続けた。

 

「電話口のお声が大きかったもので……先程、食事を持って行った際に、少し……。どうにも、反対派が小突きに来る、という風に聞こえたのです。視察を行う時に、演習も行うとのことで……その相手が悪いと言いますか……」

 

「自分で言っちゃなんだけど、アタシ達もそこまで練度は低くないよ? 相手が誰でも、演習くらいは問題ないっしょ」

 

 そう言ったのは軽巡洋艦北上だ。しかし大淀の顔色は変わらないままで、どうしてか、ちらちらと私と目が合う。

 私は、なんだろう、と間抜けな顔をしていたことだろう。

 

「佐世保鎮守府からは……軽巡洋艦、阿賀野さんがいらっしゃると」

 

 食堂に波が起きた。

 

 佐世保鎮守府所属――阿賀野型軽巡洋艦一番艦、阿賀野。

 彼女の事を知らない艦娘は、ほぼいないと言って良いだろう。

 

 かの南方海域が閉鎖されたばかりの頃、海域からあふれんばかりの深海棲艦が日本沿岸部にめがけて大侵攻した事があった。

 その際に駆り出された多くの艦娘の中でも、彼女の働きは一、二を争うものだった。

 

 軽巡洋艦にして平均よりやや上という性能をものともせず、嚮導艦(きょうどうかん)という過去もあってか、おびただしい数の駆逐艦の動きを全て読み切り、日本への脅威を退けた武勲艦である。

 

 恐るべきは、その大侵攻後も多くの作戦に従事し――その練度を、八十という高水準まで持って行ったことであろう。

 

 この鎮守府にも高練度の艦娘は在籍している。私が知る限りでは、長門を筆頭として戦艦勢は軒並み七十前後であり、川内姉さんは六十八だったか、七だったと記憶している。

 駆逐艦の中にだって高練度の艦娘はいるし、この鎮守府の質は悪くは無いと言える。

 捨て艦作戦の弊害で、駆逐艦の中でも高練度であるのは一握り。その殆どは三十にも満たないので、平均を見れば低く感じられるだけだ。

 

 しかし、佐世保の阿賀野は次元が違う。

 

 艦娘の練度とは、五も差があればひっくり返すのは容易ではない。

 ということは、八十もの練度と戦うのならば最低でも七十五を超えた練度を持つ艦娘でなければならないということ。

 

 無茶な作戦であろうが何度も無理に駆り出されて、強制的に練度が上がった彼女はきっと――()()()()()()()()()()()()とは、違う。

 

 大淀が私を見ている理由を理解してしまって、残り一口程度残った麦飯を口に運べずに、かちゃん、と茶碗を置いてしまった。

 

「佐世保の阿賀野とは……あ、あの阿賀野か……?」

 

 那智さんが喉を鳴らして問えば、大淀さんは重々しく頷いた。

 そして、悪い報告は続く。

 

「それと、明日一日、提督は休みます」

 

「あん? どないしてんや、無茶ばっかしとったから体調崩したんか?」

 

 そう龍驤が問えば、大淀は曖昧に「……ええ」と頷く。

 私と武道場で会った時は体調を崩しているようには見えなかった。それどころか、万全の体調であったはず。というのも、私が敗北したという事実が、体調の悪い状態の提督に敗北した、というさらに酷いものになるのが気に食わないというのが本音のところであったが……。

 本当に体調不良であるのなら不謹慎な事を考えるべきではないか、とかぶりを振った。

 

「うーわもう、なんやねんなぁ……司令官はダウンするし、佐世保から阿賀野が来るて、まあ事情ある拠点やからこの先なんかあるやろとは予想しとったけど、早過ぎるし、そりゃないでしかしぃ……」

 

 面倒くさそうに大袈裟な溜息を吐き出す龍驤だったが、ふと、大淀を見てサンバイザーを押し上げながら言う。

 

「……ほんで、何が気になってんねん」

 

「えっ? いや、別に、明日の予定は変更なしですが、提督がいらっしゃらない事と、明後日の演習のためにスケジュールを変更するという報告を……はい……」

 

「ええからええから! もう悪い話あるんやったらさっさと言うて! あれか、神通の事負かしてもうて申し訳なさそうにしとった、とかか? え?」

 

 龍驤の冗談に、周囲が小さな笑いに包まれる。

 悪意のある言葉では無いと私も分かっていたために、もう、と言って顔を伏せたが、笑った。

 あれだけ強い御仁に負けたのなら、悔しくはあるが、仕方が無い。

 事実を受け止め、さらに強くなれるよう精進するしかないのだから。

 

「……恐らく、ですが、提督は――戦争神経症を、患っていらっしゃるのかもしれません」

 

「はっ……――!?」

 

「えっ」

 

 龍驤の声のみならず、私まで、顔を上げて大淀を見ながら声を上げてしまっていた。

 周りの艦娘も、一人残らず全員だ。

 

「まだ確定したわけではありませんよ!? 診断書があるわけでもないですし、ですけど、えっと……」

 

「診断書が無いからどないしてんや! そう判断する事があったっちゅうことやろ! な、なにがあったんや!」

 

「……その」

 

 大淀のさ迷っていた視線が、ぴたりと、私へ向いた。

 その瞬間、全員の視線が私を貫く。

 

「えっ……あっあの……わ、私が何か――!?」

 

「神通……別に君を疑うわけやないが、武道場で負けたいう話……あれ、ほんまか? それだけか?」

 

「そ、それだけですよ! 提督のお力が知りたくて、白兵戦をしかけてしまいました……でも! 何も、出来ず……私以外にいた人達だって――!」

 

 私の言葉に、天龍達が同意して声を上げてくれた。

 それにしても、戦争神経症なんて……そんな素振りは無かったはずだ。

 

 私に攻撃さえさせず、受け止めた提督は、何なら私が怪我していないかを心配していたくらいだ。自分だって綾波を受け止めて盛大に転んでいたというのに。

 

「あの後は神通に向かってちょっとした指導? ってーのか、強くなりたいなら、戦う相手を間違えるんじゃねえって話して終わりだよ。そのまま戻っちまったし」

 

 と摩耶が言えば、龍驤は「せやったら何で神通見んねん」と大淀へ再度視線を向ける。

 私も同じく大淀を見れば――彼女は、たっぷりと数十秒ほど逡巡の様子を見せたあと、口を開いた。

 

「……泣いて、いたんです」

 

「泣いっ……!? 嘘やろ!?」

 

 ふるふると首を横に振る大淀。

 

「痛い、痛い、としきりに言って、涙を流しておられました。神通さんを受け止めた時に、その衝撃で、身体が思い出したのかもしれない、と。身体的に痛いと言うのならば、その部位を押さえたりするでしょうが、そういった事も無く……座って、ただ泣いていて……」

 

 大淀の話に、頭がぐらぐらとし始める私。

 どうして受け止めた時に身体が思い出したのか、その理由は、私が求めずともすぐに大淀の口から紡がれた。

 

「昔、提督の同期の方が出来ないと言った仕事を肩代わりなさったらしいのですが、提督はお優しい方ですから……多くの仕事を、引き受けてこられたのだと思います。提督が失踪する前、まだ深海棲艦との戦いも手探りで被害も多かった頃のことでしょうが……神通さんの羽根のように軽い身体が、書類一枚で、片付けられるような軽さが、痛い、と……」

 

「待ちぃや、大淀、それ――」

 

「……多くを、見送って来られたのだと、思います」

 

 言葉を失い、私は唖然としてしまう。

 毅然とした態度で私達を導いている提督の過去に触れ、動けなくなる。

 

「そ、そら、そらそうや……はは、そうやな……冗談言うてる場合、ちゃうかったわ……バケモンでも、ウチらが守らなあかん人なんや……なんで……くそっ、なんっでこんなん気づけへんかったんや……ッ!」

 

 龍驤に続き、長門の声。

 

「私達を支えるから、私を支えて欲しい……そういう、意味か」

 

 ざわめく食堂の中、私はいてもたってもいられず、残りの食事をかきこんで、食器を厨房の間宮達に押し付けるようにして返すと、入り口に立ったままの大淀の横を通り過ぎようとする。

 

「じっ神通さん! どちらへ――!」

 

「……武道場です」

 

「もう夜間ですよ!? 訓練なら明日の朝に――」

 

「なりませんっ――!!」

 

 びりびりと震える空気。こんな大声、どれくらいぶりに出しただろうか。

 もしかすると、戦場でも出したことが無かったかもしれない。

 

「っ……」

 

 全員が沈黙し、静寂に包まれた食堂で、私は深呼吸して、拳を握りしめた。

 

「私は――提督の艦です。あのお方を守れずして、何が艦娘でしょうか……ただの負けず嫌いで……何が、華の二水戦でしょうか……ッ!」

 

 悔しい、という感情だと思い込んでいた私の胸中にある靄。

 それの正体を知った今、私はどうしようもない怒りに満ちていた。

 

 トラウマをおして私達を導こうとしている相手に飛び掛かっただけでなく、あの人ならば大丈夫という根拠も無い安心感を抱いてのうのうと明日を迎えようとしていた自分自身への怒りが、今にも破裂してしまいそうだった。

 

 私はきっと恐ろしい目をしていたに違いない。

 

「ちょっと妹に付き合ってくるよ。大淀さん、ごめんね」

 

「姉さん……?」

 

 椅子からぴょんと軽快に立ち上がった川内姉さんは、こきりと首を鳴らして言った。

 

「あー、ほら、なんていうの? 一応、姉だからっていうかさ。神通の気持ちも分からなくないっていうか……ね」

 

 共鳴とは違う。だが、不思議と姉さんには伝わっているのだと確信して、私は頭を下げた。

 

「仮に武道場を使うことを許可しても、怪我でもされたら困るのは提督なんですよ!? 入渠の時間も考えてください!」

 

 大淀のもっともな言葉に、私がどうすれば許可を貰えるか問いかけようとした時、先に姉さんが言葉を紡いだ。

 

「大丈夫。入渠させなきゃいいわけだから。怪我もさせないし、私も怪我しない。ね! 頼むよ大淀さぁん!」

 

 努めて明るくふるまうような姉さんに、大淀さんは「うっ、うーん……!」と唸り声を上げる。

 

 そうしているうちに、ガタガタと食堂に響く椅子と地面の擦れる音。

 はっとして見れば、全員が立ち上がり始めており、大淀は顔を真っ青にする。

 

「だっ、ダメですよ!? 許可しません! できません! 神通さんも、川内さんも、皆さんもです! 夜間の訓練は――」

 

「訓練? いやいや、そんな事はせん。しかし、ちょっと哨戒組が気になってな……少し海の様子を見に行こうと思うのだが」

 

 ここに来て初めて口を開いたのは、戦艦日向。続いて、伊勢も同じような事を言う。

 

「そうそう、ちょーっと気になってね。大丈夫、燃料は使わないようにするから! 弾薬も無し!」

 

「燃料も弾薬も使わずにどうやって様子を見に行くおつもりですか! こ、これは秘書艦としての命令です! 訓練は、いけません!」

 

「ふむ。大淀殿の言う通りであります。命令権まで行使されたのにもかかわらず無茶をするのであれば、艦娘保全部隊として、自分は川内殿ともども、止めねばなりませんな」

 

「あきつ丸さん……!」

 

 妙な空気に包まれた食堂内だったが――あきつ丸から続く言葉に、大淀は真っ青な顔を、今度は真っ白にした。

 

「で、あるからして――大将閣下がどれほど心を痛めようとも、我々は知らぬふりをせねばなりません。いかな訓練をしようとも、人ならば、一日の付け焼刃など無意味でありますからな。……人ならば」

 

「なっ……あきつ丸さん、あなた……!」

 

「いえいえいえ! 大淀殿、勘違いしないでいただきたい! 自分は大将閣下と閣下が重んじる軍規を一番に考えておりますとも! 神通殿を気遣ったらしい大将閣下ならば、きっと広いお心で自分らを受け止めてくれるでありましょう。佐世保の強者、阿賀野殿に凄惨な敗北を喫したところで、きっと優しく言ってくださいましょう……よく頑張った、と」

 

「っ……だ、ダメなものはダメです! 私だって無茶を承知でスケジュールの変更を行ったというのに――!」

 

「おや? おやおやぁ? 大淀殿、もしや大将閣下が作成なされた予定を変更したのは閣下の決定前、事後であったのでありますか!? これはこれは……」

 

 私のみならず、既に全員が――臨戦態勢であった。

 こうなるといくら大淀でも分が悪いと思ったのか、ぐっと唇を噛みしめ――自らの眼鏡に指をあてる。

 

 すると、遠くでベルの音が響いた。

 数秒の後、全員の頭に響く、御仁の声。

 

 枯れていて、掠れていて、今にも折れてしまいそうな、提督の声だった。

 まるで、今の今まで、泣き続けていたかのような弱弱しい声だ。

 

「夜分に大変申し訳ありません。大淀です」

 

『ん、ぉ、おお……大淀か……どうした、問題か……?』

 

 苦しんでいるのはあなただというのに、すぐに私達へ気を回す。

 どうして、あなたと言う人は、本当に。

 

 言葉としても組み立てられない感情がぐるぐると巡り、熱を発する。

 

「おやすみになられていましたか、すみません」

 

『いっ、いや、起きていたぞ。いつでも、対応出来るようにと……ただ、明日は……』

 

「はい、大丈夫です。既に全艦に通達しておりますので、ゆっくりとお休みください。それで、提督……夜間訓練を行いたいとの申し出がありまして……」

 

『夜間訓練……? う、うむ、そうか、構わんぞ。燃料は使うか?』

 

「えっ……」

 

 先読みされて驚いたのは大淀だけではなく、全員だった。

 目を丸くしてそれぞれが互いに見つめあってしまう。

 

「よ、よろしいのですか?」

 

『うむ。呉からの余剰分もあるから、心配はするな。何か私が出来ることがあるなら――ぐっ……』

 

「てっ提督!?」

 

『う、ぐ……すまない、大丈夫だ。まだ、少し痛むだけで……』

 

「……」

 

 まだ、苦しんでいる。

 提督の苦しみを背負おうなどと大それた事は言えない。

 

 だからせめて、私は――私達は――提督の道を阻むものを薙ぎ払う、艦娘に――。

 

「許可をありがとうございます。それでは明日はゆっくりとお休みください……」

 

『あぁ……ありがとう。そうだ、大淀』

 

「はい?」

 

『演習には、神通を採用したいと伝えておいてくれ』

 

「――了解しました。では……」

 

 ぷつりと通信が切れる。

 

 大淀の鋭い視線が私を射抜いた。

 私の身体の中にある熱が、もう逃げ場も無く暴れ出す。

 

「聞いた通りですが……神通さん、相手は練度八十もある、佐世保の阿賀野さんです。期限も一日と短く、訓練でどうにかなるような問題では、ないですよ」

 

「……何とかします」

 

 瞬時、私の脳内で様々な場面が浮かんでは消えていく。

 練度八十の猛者。それを相手取ってどうすれば戦えるのか。

 

【……強くなり、勝利するために強い者と戦う事は間違ってはいないだろう。だがその相手は、私ではない】

 

 では、誰なのでしょうか。

 今ならば、まさに佐世保の阿賀野がその相手ではないのですか。

 

【仲間と手合わせするのも良かろう。だがな神通、私はお前が強い事を知っている。優劣をつけるつもりは無いが、決して、お前は弱くなどない。ならば、誰と戦うべきかは、考えずとも分かるだろう】

 

 誰と戦うべきか。仲間に協力してもらって演習……?

 それでは間に合わない。たったの一日しかないと言うのに。

 

 どうすれば、私はもっと、強くなれるのですか……。

 

【よく見る事だ。必ず、間違いがある。一つか、二つか、どのようなものであれ、必ず存在する。それをどうすれば思い通りに出来るか、最小限の労力で済ませられるかを考え、動くのだ。指先一つで、どうとでもなるものだぞ】

 

 よく、見る事……間違いが、一つか、二つか。

 どうすれば思い通りに、出来るのか。

 

 そうだ。仲間と戦い、強くなる。そこに間違いがあったのだ。

 

 演習を行い強くなっていく、間違ってはいないだろう。

 正道であり、海軍省の艦娘として模範的な選択の一つだ。

 

 仲間と戦う、その先を見ていない、これこそが、私の中にある間違い――敵は深海棲艦のみにあらず、己の心に刺さった負けず嫌いという諸刃の剣そのものなのだ。

 負ける事が嫌いな理由は? 悔しいからだ。自分が弱いと罵られるのが嫌で嫌でたまらないからだ。この認識こそが私の敵だったのだ。

 

 負けてはならない、その理由は何か――最初から分かりきっていた事じゃないか。

 

 日本を、そこに住まう人々を、守らねばならない。

 艦娘を守ると言った彼を、艦娘である私が守らねばならない。

 

 その前に――心に刺さる諸刃の剣を、守るための一刀に変える。

 

 艦娘に勝つために最適な相手など、目の前にいるじゃないか。

 

 立ち上がった屈強な艦娘達を見回し、私は人差し指を立てた。

 私の中に浮かぶ、自沈と変わらない、しかしこれだと思う案。

 

 それを口にしたとき、全員が無茶だと言った。

 だが私の表情を見て、それ以上に反論する声は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここにいる――全艦娘と、戦います」

 

 これが私の――華の二水戦、神通の往く道である。




追:加筆済みです。

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