柱島泊地備忘録   作:まちた

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七十七話 華【艦娘side・神通】

 演習とは()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 どうして私が全艦娘と戦うと啖呵を切ったのか、夜の港で艤装を装着して水面を見つめる私に、大淀は問うた。故に、そのように返答した。

 あらゆる状況を想定して行う訓練をして、阿賀野に近づきたい、否、ほんの一瞬でも超えたいのだと。

 

 提督はまるで考えを見透かしていたかのように私を指名した。

 ならば、それに応えねば私の覚悟は嘘となる。

 

 私の戦いが、嘘になる。

 

「どのような形式でも構いません。ただ、演習の意思がある方とは全艦と戦わせていただきたいのです」

 

「しかし……」

 

 大淀の躊躇うような物言いも、理解出来なくはない。

 様々な理由もあって止めるに至るのは論ずるべくもないだろう。

 

 たった一晩、長く見積もっても一日。

 まるで兵科試験の前に一夜漬けするようなものだ。

 

 演習を行いたいというのは完全に私の我儘であり、それに付き合う必要性など皆無。

 しかしながら焚きつけられたように多くの艦娘が港へと集まってくれていた。

 流石に夜間であるために空母の本格的な参加は望めなかったものの、私の奇行を見届けてやらんとして同じく港へ足を運んでくれている。

 

 

 提督から許可がおりたとは言え、大淀の胸中に渦巻く混乱は如何ばかりか。

 連日、演習用の弾薬を開発と並行して製作している工作艦明石と夕張に至っては、大義名分を得て資源を使えると喜んで妖精達と一緒になり今もどんどんと弾薬を作り続けている。それがさらに大淀の頭痛を酷いものにしているのかもしれない。それほどに彼女は顔をしかめていた。

 

「ここまで来たのですから、夜間訓練は行うとして……どのような形式で行うべきか……まずは夜戦を想定した砲雷撃戦を行い、続いて潜水艦の方々と雷撃戦での回避行動訓練……それからぁ……えー……!」

 

「阿賀野さんは、そのような訓練をなさっていたと思いますか?」

 

 私の口から飛び出した言葉に、大淀は、まあ、と答える。

 しかしながら私の答えは違った。

 

 彼女と同じ鎮守府にいた私は――少なくとも、一時期は同じ事をやっていたから、何故強いのかを知っている。

 

「海軍が拠点周辺の防衛に重点を置くようになった、あの大侵攻の後も……阿賀野さんは前線で戦っておられました。私も、そこにいたのです」

 

「神通さんが佐世保にいらっしゃったことは知っています。しかし、だからと言って訓練も無く強くなるなど――」

 

 あり得ないと紡がれかけた言葉を、故意に遮る。

 

「あり得るんです。あり得て、しまうのです……あの鎮守府では」

 

 捨て艦作戦――反対派の対深海棲艦殲滅用の戦略を認知しているものは艦娘のみならず、多くの者が知っている事だろう。名の通りであるのだから、知らなくとも想像に容易い。

 駆逐艦を盾に敵の蠢く航路を突き進み、本隊と思しき艦隊を火力のある艦娘が叩く。言葉にすれば、吐き気がするほどあっさりとした単純な戦略である。建造出来てしまう存在で、時折、海で拾えてしまう私達は兵器であり、道具であり――消耗品であるという認識のもと敢行される作戦、というだけだ。

 

 あの凄惨な海で認識される事は、たったの二つ。

 どれだけ沈んだか、どれだけ沈められたか。

 

 心優しい人は言う。大変だったろう、と。

 大変? そんなわけあるか、私は心でいつも叫んでいた。

 

 そんな一言で済ませていいわけが無いんだと、声なき悲鳴を上げていた。

 

 報告書で重要視されるのは撃滅数に限られ、深海棲艦を倒すのに有用であるかもしれない情報の塊であるそれを数字を見ただけでゴミ箱へ放り込む。

 

 深海棲艦が結界を作り出す事も――私達の感情を乱し、記憶を混ぜ返し、憎悪を掻き立てることも、全て捨てられる。

 昨日会ったばかりの少女が海へ沈む毎日を送るのだ。沈む前に記憶を取り戻したかのように「また、あの、冷たい場所へ」と呟いて海水へ呑み込まれていく様を目に焼き付けられることの、何が大変だ。

 

 ――この世の地獄だ。かの大戦の繰り返しだ。

 

 訓練などとは比にならない苦痛の海上に立ち続ける毎日を送っている彼女が、どうやれば弱くなるというのか。

 生き残り、今いる隣人を守ることだけを考えて命令に従い突き進む日々に、一切の容赦などあろうはずもない。

 

 捨てられた私は運が良かっただけであると確信を持って言える。

 前提督――八代少将に対して根気強く作戦を見直すように進言し続け、危険を察知すれば命令に違反しようが随伴艦と共に勝てるよう立ち回る事を心掛けた。戦力を減らさぬように、八代少将へ勝利を持ち帰れるようにと。

 

 そんな私に八代少将が放った言葉は「命令違反をする弱い艦娘はいらない」というものだった。

 無論、謝罪はした。命令違反をしたことは紛れもない事実であったためだ。

 しかし、結果がどうあれ、彼にとっての弱さとは数字の少なさにある。強さはその逆だ。

 

 仲間を十人失っても、百体の深海棲艦を沈められたら強い。命令違反していようが不問となる。

 仲間を失わなくとも、十体の深海棲艦しか沈められなかったから、弱い。命令違反していれば、解体される。

 

 あり得ないだろう。今になって考えても、あり得てよいはずが無いと私は思う。

 だが、この正常と思しき認識こそ、戦場では大間違いである。私達は艦娘であるから。

 

 道具を失っても建造すれば元通りなのだ。十人失ったのなら、十人造ればいい。

 だから、沈めてこい。

 

 意思の疎通が出来る兵器なら、命令を忠実に遂行しろ。

 

 ……八代少将が、かつて私を異動させる時に吐き捨てるように言った通り、私は欠陥品の艦娘なのだろう。

 いらぬ進言、いらぬ判断をする兵器など、欠陥と呼ばずしてなんと呼ぶ。

 それに引き換え、阿賀野さんは艦娘としては文句なしの()()()だ。

 

 逆らわず、文句も言わず、命令を忠実に実行し続けた。

 それに伴い、練度は上がり続け――今では、海軍所属の艦娘の中では間違いなくトップとなった。

 八代少将はきっとこう思っている事だろう。自分は間違っていなかった、と。

 

「私は先に出ます。大破判定はお任せしますね、大淀さん。皆さんには、どこからでも、どのような方法でもよいとお伝えください」

 

 そう言った後に、私は波を切って進み始める。夜の海は静かで、ただ音だけがそこにあった。

 

「あっ、神通さん! ど、どこからでもって……!」

 

 

* * *

 

 

 明かりの無い海というのは、本当に何も見えない闇そのものだ。月明りで見えるのは空の美しさのみ。

 探照灯を使用すれば、波の高さからどのような航路を進めば安全であるか判断できる。

 だがこれは仲間がいる前提で使用されるべきだ。単艦の今、探照灯を使い場所を知らせてしまうと一斉に飽和攻撃されて、なす術も無く大破判定をもらってしまうだろう。

 回避に専念したとしても、対応出来てせいぜいが六から八隻まで。距離をとれば何とかなる――が、それは同時に私も相手を見失うことと同義。ならばこの選択は無しだ。

 

 考える事をやめるな――神通(わたし)。一瞬でも止まれば、それは敗北となる。

 

「右舷! 砲撃開始!」

 

「っ!」

 

 闇を切り裂く声――これは伊勢の――!

 

 私は瞬時に前進し、声の方角から距離を取ろうと行動を開始する。

 轟音から数秒もせずして波を打つ音と、飛沫が高く上がる音が聞こえた。

 

 滑り出しは悪くない、と私は航行を続けながら大きく旋回し、風下を目指す。

 

 砲撃の匂いを辿るのだ。そうすれば、相手がどこからどう動いたかのおおよそは分かる。

 南方へ出た時も同じように動いていたが――今は、提督の指示も無く、大淀の通信制御も無い。

 ひとたび行動を間違えば、立て直す判断は難しいだろう。大胆に、しかし慎重な行動を求められるこの場面は――かの作戦(南方海域)を彷彿とさせる。

 

「移動したわ、日向!」

 

「わかっている! しかし、演習弾とは言え本当に――」

 

「仕方ないでしょ、あんな顔されちゃ……ほら次! 最大戦速! ばら撒いて!」

 

「ちぃっ――これじゃすぐに終わるぞ……!」

 

 どん、どん、と音が響く。今度は左右からだ。声の主は戦艦伊勢と日向――自分で言っておいてなんだが、本当に手加減はしてくれないらしい。いや、あえて通信せず声に出すあたり、手加減されているのか。

 すぐ終わる、という日向の言葉も、どういった意味かすぐに理解出来た。

 

 一方から砲撃音が聞こえるだけなら、見失うことを覚悟で離脱してしまえばいくらでも態勢は立て直せる。さらには情報として伊勢と日向が相手であるとも分かっているのだから、戦艦の側面を叩く算段を立てればよいだけ。

 だから伊勢と日向はあえて互いの移動先を予め決めておいて、両端から互いに当たらない位置へ砲撃しているのだろう。たった一隻である私はそれだけで選択肢を潰される。

 

 仮にこの時、片側の伊勢か日向に接近して潰そうとすれば、戦艦の装甲を以て耐えきることへ集中された場合、もう片方に駆けつけられて私は背後から一撃を貰う。

 逆に逃げ続ければ、その時間が長くなるほどに私の位置は連続の砲撃によって正確に把握され、追い詰められる。戦艦二隻に軽巡洋艦一隻など、分が悪いという言葉では足りぬ戦力差なのだ、追い詰められることだけは避けなければならない。

 

(よし……大丈夫……私だって、追い付ける……彼女に……)

 

 まだ序盤。まだ、考え続けられる。私は大丈夫。

 

 周囲を注意深く見回す。再び砲撃が開始された時にいち早く片方に寄り、魚雷を放って先制しよう。魚雷のあるうちは、数度試みればいい。一度でも当てられたら十分に勝機はある。

 すると、またすぐに、ドン、と音が上がる。ぐるんと首を回してそちらを見れば、残火の光が見えた。

 

 私は全速力でそちらへ向かいながら、酸素魚雷を模した演習弾を放てるように準備して光が消えるほんの一瞬前まで走り続けた。そして、残光が失せたと同時に、航路を予測し魚雷を発射する。

 

 どぽん、と言う音は砲撃音の余波に消え、暗い海では演習用とは言え酸素を充填してある魚雷の雷跡を目視する事などほぼ不可能。

 

 当たれ――!

 

「装填完了した。砲撃を再開す――くっ!?」

 

 ――轟音とともに、海面に強烈な光が走った。

 しかし、

 

「――まあ……後部甲板は盾ではないのだが……小破するよりマシか」

 

(防がれた……それも小破未満……!?)

 

 甘くはない。私がいくら劣悪な作戦を生き延びたとて、それは彼女達も同じ。

 どこから来るか分からない攻撃に対して警戒を怠るはずもなかったのだ。例え、演習であっても。

 

 ならば次だ、と私は船速を上げるが、伊勢と日向がいたであろう方角から、さらなる刺客の声に前のめりに転びそうになった。

 

「彼女が本気なのですから、手加減は無礼ですね……山城、砲戦よ」

 

「はい、姉様」

 

 まずい――戦艦がさらに二隻、それも同じ作戦に従事した扶桑と山城だなんて――!

 彼女達のバカげた火力は身に染みて分かっている。山城の一撃は敵艦隊を分断し、扶桑の砲は空を割る。

 

 冗談でも何でもなく、もっと集中せねば、と乾いた口に唾液をまわす。

 

 日向に魚雷が命中した事によって戦艦達の警戒はさらに強まり、言葉なく連携して自分達の手前ギリギリに砲撃を落とし込み、互いの距離を測っている様子だ。

 私が彼女達の外側にいれば好機を逃さず攻撃を仕掛け、内側にいれば場所を特定できる……攻撃を仕掛けたとしても狙えて一隻か二隻、そうすると残りの戦艦が私の位置を特定して砲撃を叩き込む。

 

 どこまでも戦略的、どこまでも忠実――故に、逃げ場は無い。

 

 頭の片隅で、ああ、深海棲艦はこうして追い込まれてゆくのかと想像してしまい、死がゆっくりとした速度で手を伸ばしてきているように感じた。

 冷静な心で、これは演習だと言い聞かせても、身体は正直なものである。

 

 回避ばかりでは埒もあかない、だが攻撃を仕掛ければ居場所がバレる可能性がぐっと高まる。

 

 どれだけ警戒していても、私も彼女達も闇から突如として砲弾が飛来しては防御のしようもない……と、ここまで考えた時、夜間に捨て艦作戦を敢行することの多かった八代少将の思惑がようやく分かった気がして、場違いながらも、ああ、と吐息が漏れた。

 

 場所がバレても、盾があれば攻撃に専念できる。

 いざとなれば盾を捨てて、判明した敵艦の後ろへ回り込み油断しているところを叩けばいい。

 

 確かに、理に適っている作戦だ。

 盾を放置すれば敵は後ろからの攻撃を貰うことになり、盾を放置すれば火力が無くとも数に押される。

 二者択一、かつ必殺。もしも敵側が迅速に攻撃側か盾側を選び沈められたとしても、タダでは済まない……最低な作戦だ。どこまでも、どこまでも、賢い作戦だ。

 

 提督も、一度は考えた事があったりするのだろうか。

 

 ふと浮かんでしまった考えは私の油断となった。ただ、考えた事があるのかと思っただけだったが、その()()は私の船速を緩ませ――

 

「主砲、四基八門、一斉射!」

 

(声が近づいて――)

 

 ――チッ、と演習弾が身体を掠めた。高く波が上がり、私の身体は飛沫に呑まれ軽々と足をすくわれる。

 声を上げてはダメだ、と歯を食いしばるも、続く砲撃が艤装に掠り、びき、と全身に衝撃が走って肺から押し出された空気が音を発してしまう。痛みは無くとも、身体の反射は嘘をつかない。

 

「ぐぁッ……――!」

 

「っ! 左舷だ! 追撃するッ!」

 

 日向の声は遠い。まだ、離脱は不可能じゃない――!

 足に力を込めて立ち上がり、魚雷を撒くように四方へ発射して離脱を試みる。

 

 断続的な音に紛れて、必死に海を進んだ。

 魚雷と砲弾の残りを確かめて、何か確実な手は、と思考を巡らせ続けるも、異臭がそれを遮った。

 

「……っ!?」

 

(機関部から煙が……! 無茶な動きをし過ぎたから……!? 航行には問題なくても、匂いで位置が……――)

 

 どうする。どうすればいい。確実に、一撃でも与えねば。

 追い詰められていく思考、凍り付いていくように冷える肌。

 それとは逆に熱を上げんと激しく鼓動する心臓の震えが、神経にまで響く。

 

 離れるべきか、いいや、位置の特定とて闇夜の中なら時間の差が生まれるはず、違う、逃げるべきだ、立て直す時間も必要で、このままではあっという間にやられてしまう。どうすれば、どうすれば……!

 阿賀野さんならばどうする――随伴艦も失った状態で、夜の海で戦艦級と接敵したならば、どう動く――!?

 

『ザザッ……迷ってるねえ、神通』

 

 通信――!

 

 通信位置から場所を割り出されるかもしれない、と強制的に切断しようとした私に、声の主――川内姉さんは語りかけてくる。

 

『これが神通の望んだ状況? 佐世保の彼女と同じ状態になれば、似たような戦法が思い浮かぶかも、とか?』

 

「……」

 

 切断すればいいのに、私は姉さんの声に無意識に安心してしまっていたのか、軽い声音を聞きながら今いる場所から離脱を始める。まだ私を探しているようで、砲撃の光があちこちに見えた。

 

『阿賀野だっけ? 別にあんたは阿賀野じゃないし、阿賀野もあんたじゃないんだよ。同じ事は出来ないって』

 

「……ッ」

 

 出来るか出来ないかなんて、やってみなきゃ分からないじゃないか。

 演習に柱島へやってくる彼女の練度は八十もある。対して私は五十九で戦艦勢や川内姉さんにも届かない。しかし私は決して弱くないと証明したい。

 ただ負けたくないのではなく、自分の意志を貫き、提督の役に立てる艦娘であることを証明したいのだ。

 

 そのためには、練度を、あと――

 

『練度を一でも上げたい、そうすれば壁が越えられそうな気がする――なーんて考えてそうな顔』

 

 ふふん、と笑う姉さんの声に、自嘲気味な笑い声を返す私。

 ああ、そうだ、たった一だけでも上がれば何か変わるかもしれないと思っている。

 

 ただでさえ高いとも低いとも言えない中途半端な練度である私は、いつしか自分という存在や価値を見失っていたのかもしれない。

 鍛え続ける事で艦娘としての存在を確立しようとし、その強さを証明することで神通という存在を世に刻みつけたがっている。

 

 八代少将に言われた――弱い艦娘はいらない、という言葉を覆したいのだ。

 

 ここまで考えて、私は気づく。

 

 ――今、姉さんは何て言った……? 考えてそうな、顔……?

 

 

 

「それじゃ変わらないよ、神通」

 

「ッ!!」

 

 

 

 肩に川内姉さんの手が触れる。

 反射的に背後へ右腕を振りぬいたが、虚しく空を切る音しか得られなかった。

 いつのまにか、背後を取られていたのだった。

 

 ちゃぷん、という音さえなく、ぼうっと闇に浮かぶように立つ川内姉さんに身体を向け、正面に立ち、構える。

 夜戦を好む性格の多い川内型一番艦の彼女は、まるで闇を抱くようにしてそこにいた。

 

 練度で言えば差はあるが、意表をついて白兵戦で仕留め――

 

「人の真似をして勝てるなら、みーんな真似してるよ。私だってそうする」

 

「――ふっ!」

 

 惑わされるな。

 

 私は川内姉さんへ大股で一歩踏み込み、容赦なく腹部目掛けて腕を振りぬく。

 だがそれも空を切り、姉さんは後ろへ倒れこむように動いて回避した。

 

 ならばともう一歩踏み込むも、私が進めば姉さんはさらに後ろへ。

 そうするならばと私も後退して単装砲を構え、威嚇の砲撃を叩き込もうとするも――姉さんは視界に広がる闇へ溶け込むように消えた。

 私が位置がバレてしまう覚悟を決める前に、風のように。

 

 否、正確には消えたのではなく、さらに後退して暗闇へ紛れただけ。

 

『夜はいいよねえ、夜はさ。一人になると、よく色んな考えが浮かぶしさ』

 

「っ!!」

 

 届かない。苛立ちが募る。

 私を意にも介さないような姉さんの行動に、顔が熱くなる。

 弱くなんて……私は、決して弱くなんて……!

 

『提督に褒められたらしいじゃん。強いって。何で信じられないの?』

 

「私は、まだ――!」

 

『その言葉を呑み込めるほど、自分を信じられない、とか?』

 

「……」

 

 私の中の蟠りに触れられ、言葉を失う。

 ……そうだ。私は、信じられないのだ。

 

 南方を開放した時も、活躍したのは扶桑と山城で、敵艦から島風を守ったのは那智や夕立だ。

 私はただ、その列に加わって海に浮かんでいただけ。そう思っている。

 

『神通の中にある《もの》は、悔しいんだよ。私だってそうだった。あきつ丸に声をかけてもらえるまで、提督に仕事を任されるまで、ずーっと、同じ気持ちだったよ。きっとね』

 

「姉さん……」

 

『でもさぁ、提督は信じてくれてるよ。神通の強さを。だから、選んでくれたんじゃないの?』

 

「そ、れでも……まだ、強く、なんて……私は……ッ」

 

『ソロモンの海で、何を見たの?』

 

「皆を、見ていました……私が、沈んだ島を……」

 

 気づけば私を探す砲撃の音は近づいてきていたが、姉さんの声に動けないでいた。

 逃げなきゃいけないのに、逃げられない。そんな事は無いのに、海から伸びる手に足を掴まれたように、浮かぶのすら困難になっていくみたいな錯覚に襲われる。

 

 私はかつて――ソロモンのある島で、大破し沈みゆく瞬間まで砲撃し続けた。

 

 艦橋を歪ませ、後ろに倒れこんでもなお、空へ砲弾を放ち続けた扶桑を見た。

 敵艦の攻撃を避け続け、海を駆けまわる島風を見た。

 持てる武器を全て使い戦った夕立を見た。

 仲間を絶対に傷つけさせない気迫をまき散らす、那智と山城を見た。

 

 だが、今の私はどうだ。

 逃げ回り、必死に息を殺し、魚雷を放って牽制し、一つの目標すら絞れていない。

 

 その時だった、

 

『――神通か?』

 

「ていと、くの声……?」

 

『訓練中のトラブルかと思ったのだが、川内が、神通に声をかけてくれないかと、連絡が来たんだ』

 

「姉さんが……? どうして――」

 

『トラブルではないのか?』

 

「いえ、トラブルは、なに、も……」

 

 姉さんの意図が読めず、うまく言葉を紡ぐことができない私に、提督は言った。

 

『トラブルでないのならいいのだが。――()()()()()()()()、もう夜も遅い。神通、大淀から聞いたと思うが、明後日の事は頼むぞ。まあ、あれだけ強いのだから心配もしていないが』

 

 枯れた声で笑った提督の声に、全身が須臾にして熱を帯びた。

 きっと彼はただ予定を伝えられたか確認し、遠回しに夜間訓練もほどほどにと言っただけ。

 強いのだから心配もしていない、というのだって、私が無礼にも飛び掛かったあの事を指している皮肉に過ぎない。

 

 けど、どうして――あなたは――()()()()を口にしたのですか――?

 

 あっさりと切れた通信の後、砲撃音がすぐ近くまで来ているのにもかかわらず、私はその場で兵装を一つ構えた。

 

 提督の求める強さは、破滅的なものじゃないだろう。

 一見して狂気のような、私自身の中に眠るものを指していらっしゃるのだろう。

 ああ、姉さん、提督、思い出しました。あなた方のおかげで、私が、一体どのような艦であったのか。

 

 バチンッという激しい音とともに、周囲の海面が照らされる。

 

「くぅっ!? 眩し――探照灯だと――!?」

 

「囮……じゃない……ッ! 神通を発見! 輪形陣を組んで! はやぁく!」

 

「神通さん、どうして探照灯なんて……?」

 

「分からないですね、姉様と私以外にも、大勢いるのに――」

 

 伊勢、扶桑、日向、山城、私が認識していた四人以外にも、ぞろりと闇の海に浮かぶ艦娘の影が見えた。

 

「――この数を相手によく逃げ回れたものだ。神通、その働きは十分に練度を上げるに値するだろう」

 

 長門の声に、私は探照灯を照射した状態で――すっと目を細める。

 全身が熱い。

 

「これにて訓練を終了し――」

 

「私はまだ、動けますが」

 

「何を言っている神通。練度の高くない駆逐艦もいるが、ここには殆どの艦娘がいるのだぞ。どれだけ奮戦しようが、流石にこれは無理だ」

 

「無理、ですか」

 

「……ああ。私とて仲間を故意に傷つけるような真似は出来ん。機動力を活かした離脱や日向への一撃は見事なものだった。演習弾で戦艦に傷をつけるなどそうそう出来る事ではない」

 

 戦艦から放たれるものであれば、簡単である、とも受け取れる言葉に、私はどうしてか、もう苛立ちを覚えなかった。事実、そうだろうと、すとんと胸に落ちる。

 だが、だからどうした、という不思議な感覚が私の全身を覆っているのが分かる。

 

「チャンスですよ。一斉砲撃で私を航行不能にするなら、今しかありません」

 

「なっ……馬鹿な事を言うな!」

 

 長門が吠えた瞬間、私は残った魚雷を全て放った。

 狂ったのかと思われるような行動に、全艦がさあっと距離を取って、あっさりと魚雷は外れる。

 

 ならば、と単装砲を唸らせて艦娘達の先頭に立つ長門に向けて砲を放つも、やはり演習弾、艤装へ当たれど、がつんという音を響かせて傷を与えるだけ。

 傷は傷でも、本当に擦っただけのような軽いもので、航行の可否を左右するほどのものでもない。

 

「神通、もういい!」

 

 かちん、と金属音が響く。弾が切れたのだと知らせる音を聞いて、長門は周りの艦娘達と顔を見合わせた後、溜息を吐き出した。

 

「この鎮守府で一番の戦意の持ち主であるのは、神通だろうな。認めざるを得ない。だがもう、終わ――」

 

 私はそれでも駆け出す。

 

 真っ直ぐ海を駆ける私に牽制の砲撃がどこからか放たれるも、それよりも早く懐を目指し身体を低くして船速を上げた。

 背後で水飛沫がたち、驚いたような声が聞こえた。

 

「……その意気、見事だ。神通」

 

 長門の砲身が、がこんと音を立ててこちらを向いた。寸分の狂いも無い照準の先には、私がいる。

 

「提督には私からも謝罪しよう。明日は一日休むと良い」

 

 言い終わると、一拍の間を置いて、長門の大声が夜空を突き抜けた。

 

 諦めてたまるか――

 

 

 

 

 

「全主砲、斉射!て――ッ!!」

 

 

「――ここですッ!」

 

 

 

 

 

 武器が無くとも、この身がある限り――私は前を向いてきただろう――!

 

 長門から放たれた砲弾がゆっくりと迫って見えた。沈んでしまったあの時と同じ、容赦のない攻撃が。

 彼女は本当に私を認めてくれているからこそ撃ち込んだのだろう。全身全霊で。

 華の二水戦……なんて名前、やはり私には似合わない。こんな泥臭い戦い方しか出来ないのだから。

 

 私はその場で急停止するように足を前に突き出して片足を海面に沈めながら、右腕を思い切り突き上げた。

 

 ごめんなさい、提督。私はやっぱり、まだ弱い艦娘です。

 あなたの言うように、最小限の労力で戦うことは難しく、また、指先一本で、なんて、とてもとても。

 

 しかしあなたの声を聴いて、分かった気がするんです。

 

 強く、気高く見えるあなたでも、声を枯らしてしまうほど涙を流すように――私もまた、幼子みたく自分を認められない、不完全な存在であると。

 でも……これで、いいんですよね。

 

 あなたのお傍にいられるのであれば、不完全でも、弱くても、ただ――諦めなければいい。

 

 足を突き出して止まろうとしたが故に飛んだ海水が()()を濡らした。

 そして――

 

 

 

 

「砲弾を、下から叩い……ッ!?」

 

 

 

 

 ――私の魂が、目覚めた気がした。


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