柱島泊地備忘録   作:まちた

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八十三話 実見【艦娘side・哨戒班吹雪】

 柱島泊地より南西方向、防予諸島の端に位置する海域にて出現した深海棲艦は、私や敷波、天龍型軽巡洋艦の二人にとって倒せない相手ではなかった。脅威には違いないが、それは呼称上の脅威であるというだけに過ぎず、ましてやあらゆる深海棲艦を見て来た()()()の私にとってはB級映画に出てくるサメよりもくだらない存在だった。

 もちろん、映画に出てくるサメは魚雷なんて発射しないし砲撃戦をしかけたりしない。しかし、何度も戦っていると深海棲艦にも癖がある事に気づく。そして一度でもその癖に気づくと、後に戦う深海棲艦の動きにも規則性があることを理解するのだ。

 

 奴らは海面に顔のような部位を覗かせながら航行し、海流に逆らわず進む。

 

 日本列島より南から来る深海棲艦は日本海流、いわゆる黒潮に流されながら進むため、太平洋側へ抜けて行くことが多い。

 一部、海流から逸れてやってくることがあれば、宿毛湾や横須賀が対応する。

 

 定期的に発生する魚群の襲来が如く、餌でも欲しているのか、現れる深海棲艦は海流に逆らうようにして現れ、逆に海流を断ち切るようにして現れる艦娘と戦う事となる。

 日本海流から逸れて対馬海流に乗ったり、日本列島の北部からリマン海流に乗って来たものは、佐世保や舞鶴、大湊といった鎮守府や警備府が対応にあたる。

 これがいわゆる、日本海軍の防衛行動だ。

 

 外海にある拠点は主に深海棲艦の生息地の特定や、出現データの収集、さらには攻略といった事に重きが置かれる。

 

 では、柱島泊地はどうか。

 

 柱島泊地は立地からして防衛が主となる。

 外洋に出撃して攻略するには出入口が入り組んでいるし、作戦行動には不向きだ。

 故に、哨戒という海軍における日常的警戒行動も一苦労である。

 

 但し、防予諸島、柱島群島は防衛に大きく作用する。そこに哨戒もあわせれば、後方に呉という巨大な拠点もあるため鉄壁と言っても過言では無い。

 日本海流に乗って流れつく深海棲艦は宿毛湾の防衛網に引っかかり、その場で撃沈される事が殆どであり、稀にそれらを運よく抜けて来たところで諸島に阻まれるため本土への侵攻は困難を極める。

 岩川、鹿屋が内陸から航空機を飛ばすだけも十分な戦力となるわけだ。

 

 それがここに来て、二度も防衛網を突破されている。

 

 一度目は柱島の五十鈴が大量に撃沈した潜水艦隊や、陸奥を沈めんとした深海棲艦達――二度目は――まさに今。

 

「龍田! 吹雪を連れて右舷に回れ、固まってたらまとめてやられちまうぞ! 敷波はオレについてこい!」

 

「はいっ!」

 

「任せて。ほらぁ、吹雪ちゃん、行くわよぉ」

 

「了解!」

 

 防衛網を突破された上に未確認の深海棲艦の出現だけで心臓が痛いほど鳴っているのに、全身がピリピリするほどの恐怖が私を襲っていた。

 緊急通信に響いた神通さんの悲痛な声――提督が、爆発に巻き込まれた――。

 

 その理由を問う前に、私達は敵を発見してしまい、考える暇さえ無く戦闘となっていて、もう、今にもこの場で胃の中身を吐き出してしまいそうだった。

 戦いには慣れていると思っていたのに、ここにきて、どうして。

 うぐ、と何度もえづきながら必死に奥歯を噛みしめて、天龍、龍田を先頭に二手に分かれ敵を分断しようとする試みに従う。

 

 無茶な戦いの目立つ天龍ではあるが、状況を見極めて即断即決する判断力は信頼に足る。

 四隻しかない戦力を分散させる事は愚かに思えるものの、ここは柱島からそう遠い場所ではないため、先に相手を分断して相手取る事で後に投入されるであろう戦力で速やかに排除するための布石であるのだろう。

 

 ここで無理に撃滅するのではなく、ほんの一瞬の時間稼ぎだ。

 

 その理由は、上記以外にもう一つ。それは言わずもがな。

 

「駆逐を狙え! あのやべぇ奴は相手にすんな! 敷波、せめて軽巡か重巡のどっちかは落とすぞっ! 行けるよなぁっ!」

 

「心配いらないって! 撃ち方、始め!」

 

 天龍と敷波が私と龍田から逸れて行きながら砲撃を始める。

 轟音につられて駆逐艦が一隻ほど流れかけるのを狙い、私は側面へ砲撃を叩き込んだ。

 

「当たって!」

 

 人の頭蓋を伸ばしたかのような異形の駆逐艦は私の声と砲撃に反応を示し、不気味な動きで四隻ともこちらへと向かってきた。砲弾は外れたが、問題は無い。

 よし、と船速を上げて天龍達から引き離していきつつ、駆逐や軽巡、重巡の後ろに浮かび不気味な笑みを浮かべる未確認深海棲艦を視界内におさめる。

 

 あれは目を離しちゃいけない、と本能がそう告げるのだ。

 

「砲雷撃戦、始めるねぇ」

 

 龍田の砲撃は四隻いるハ級のうち一隻の上空を通り過ぎて行く。

 深海棲艦は知能を持つ。攻撃し、防御し、相手を絶望の淵へ追い込む狡猾さを持つ。龍田の砲撃があっさりと外れたことをあざ笑う知性は――しかして彼女を上回ることが出来なかった。

 

 艦娘は艦娘。沈める対象であるとしか考えていないであろう深海棲艦は知る由もないだろう。間延びした声、戦場に不釣り合いな朗らかな笑みの裏側に――天龍型軽巡洋艦の鋭すぎる戦意が隠れていることに。

 ハ級の一隻が、げっげっげ、と異質な笑いとも威嚇ともつかぬ声を上げたのも、ほんの刹那のこと。

 龍田は自らの放った砲弾を追いかけるように肉薄しており、その手に携えた薙刀を一直線に振りぬいた。

 

 不気味な緑色の光を灯す目と思しき部位を容赦なく切り裂き、どす黒い液体が噴出する。

 

 砲雷撃戦を始めると口にしながら、それは砲撃でも雷撃でも無いのではと場違いに考えた時、胃が回るような気持ち悪さが和らいだ。

 

「龍田さん、もう一隻来ます!」

 

「はぁい! ほらほらぁ、吹雪ちゃんも手伝ってぇ! 全部私が貰っちゃうわよぉ」

 

「は、はいっ!」

 

 軽口を叩く龍田に心の中で感謝しながら、私も、と砲撃を続ける。

 軍艦である頃より少ない挟叉を経て、砲弾がハ級へ着弾し、それを数度繰り返せば――力を失ったように黒煙を上げて海へ沈んでいく。

 

 龍田が切り伏せたものと合わせて二隻、残りを片付けてすぐに天龍達へ加勢すべく、私は弾を数えながらさらに砲撃を繰り出した。

 

「いち……に……さん、し……っ!」

 

 あまり撃ち過ぎては未確認深海棲艦へ対応が出来なくなる。

 視界の端に見える軽巡も重巡も戦闘を続けており、軽巡は相当の損傷を与えられているが重巡は無傷。

 

 こちらは四隻、対して向こうは沈んだものも合わせて七隻。

 流石の天龍も慎重にならざるを得ないか。早く加勢を、と考えた時だった。

 

「アハ……ハハハ……! ソノテイドカ……?」

 

 ハ級を全て沈めきった私と龍田が船速を調整して旋回し、同時に軽巡を沈めた天龍と敷波が、次は重巡だと目で合図したのと同時に、視界がぐらりと揺れ、歪んだ。

 空がさらに黒く、暗くなり、海が深い赤色に染まる。

 

「くっそ――結界が酷くなりやがった――!」

 

 警戒していなかったわけでは無かった。結界内の敵を沈めればこれは消えるものだと心を落ち着け、通信越しに聞こえた天龍の舌打ちに言葉を返す。

 

「天龍さん、今のうちに重巡を仕留めましょう!」

 

「あぁ! 龍田ぁ! お前の方が砲撃得意なんだから、オレに当てんじゃねえぞ!」

 

 天龍は刀型の兵装を構えて重巡へ駆ける。

 その動きに合わせて、前方へ向けられた敵艦の砲塔が天龍を狙わないようにと、敷波が砲撃を誘って動いた。

 

 どちらが危険であるか。敵の判断は択一であり、迫りくる天龍を狙えば、敷波や私、龍田の砲撃を受ける事となり、天龍の攻撃を装甲で防ぎ周りを狙おうとも、三隻に狙われているため、確実に二隻分の砲撃を食らう事になる。

 

 言葉を挟む隙も無い瞬きの時間、海上で繰り広げられる死の舞踏。

 

 敵は天龍を選んだ。砲身が、がこんと音を立てて向けられ、天龍はそれに突っ込んでいく。恐怖など感じていないかのように。

 

「オラァッ! しっかり撃てよな――お前らァッ!」

 

「当てたらごめんねぇ、天龍ちゃん」

「天龍さん、避けてくださいよ!」

 

 当てる事を前提にしたような言い方だったが、天龍は恐れず、刀を振りかぶる。

 私も照準を合わせ――

 

「いっけぇぇぇぇええッ!」

 

 ――砲弾を放った。

 

「ガッ、アァァァアァアァァアアァアッ――」

 

 直撃。それも、三隻分。

 さらに天龍が踏み込み、爆炎を上げる重巡にとどめの一撃を入れて、撃沈。

 

 次は気色の悪いお前だ、と身を翻し――

 

「……え?」

 

「う、そぉ……」

 

「んだよ、コレ……!」

 

「あ、らぁ……」

 

 ――倍以上に増えている深海棲艦の姿に、思考が停止した。

 

「ちくしょうッ……単縦陣を取れ! オレが先頭になる! 龍田、殿を頼む!」

 

「わ、わかったわぁ! 吹雪ちゃん、敷波ちゃん、こっちに!」

 

 これはダメだ。まともに相手をすべきじゃない。

 天龍の言に従って、敷波と一緒に二人の間に滑り込むように移動して距離を取るべく動きはじめる。

 

「逃ゲルノォ……? 無理ヨォ、無理無理……ダメダッタラァ……アッハッハッハッハ……!」

 

「ぐぁっ……耳が、いってぇ……! なんつー声してやがる、あいつはよぉ!」

 

 未確認深海棲艦の声に耳を押さえる天龍達。私は痛みに耐えながら鎮守府の大淀へ向かって通信することで痛みを誤魔化していた。

 

「こちら吹雪! 未確認深海棲艦以外の敵を撃沈! し、しかし、撃沈後に増援を確認しました! 数は……目視でも十隻以上……全て、こちらに向かっています!」

 

 離脱しては諸島に被害が出るかもしれない。

 しかしながら離脱せざるを得ない。ここで私達が身を挺して戦ったところで、沈められるのがオチだ。そうすると牽制さえ出来なくなって被害がさらに広がってしまうだろう。

 

 そう考えたのだが、深海棲艦は諸島など目にも入っていない動きで一直線にこちらを追ってきている。

 

《――こちら山元大佐だ! 一時的に指揮を執ることとなった! 哨戒班の吹雪だな?》

 

「た、大佐!? はい! 吹雪です! 今、増援が――」

 

《ああ、聞いていた! こちらからも南方海域開放作戦に従事した本隊を出撃させたが、このまま迎撃しては柱島にも本土にも被害が出かねん――無茶を言うが、島をぬってフィリピン海へ出ろ! とにかく戦闘範囲を確保できる場所へ行くんだ! 航空支援も間もなく到着する!》

 

「……っ」

 

 無茶だ――だが、このまま柱島へ逃げたところで私達の拠点が危険に晒されるのも確かで、山元大佐の指示に是非は無い。

 

「了解、しました……天龍さん! 聞いていましたよね!」

 

「分かった! 島風の速力が欲しいとこだぜ……ったくよお! 全艦旋回! 回避運動を続けろ! 攻撃してる暇はねぇぞ!」

 

 通信から、柱島の混乱も伝わる。

 山元大佐のがなり声に、明石であろう甲高い声が夕張や妖精に指示を飛ばしている声、さらには重巡や戦艦、空母達の声。

 

 そこで一度、回避運動に集中するためでも、逃げるためでも、通信を切れば良かったと後悔した。

 

《多用途ヘリはまだか松岡殿! 病院の受け入れぇ!? いいから早く――》

 

《大淀殿!! AEDの心電図を確認!》

 

 がなる大佐の声を押し退けるあきつ丸の声に、どくんと心臓が鳴った。

 

《はいっ、はいぃっ……!》

 

《く、ぅぅっ……閣下、起きてください! 閣下!》

 

《提督、お願いです……お願い、ですからっ……! ん、むっ……!》

 

《だめでありますか……! あっ、ショックの表示であります、大淀殿、離れて!》

 

《はいっ……》

 

《押します! いち、に、さん!》

 

 じじ、というノイズの後、再びあきつ丸の声。

 

《っく……胸骨圧迫を再開するであります! いち、に、さん、し、ご……!》

 

 視界が揺れ、吐き気がさらに酷くなってきて、私の足元がぐらついた。

 転倒しそうになった私の襟首を掴んで、龍田さんが声を上げる。

 

 どこの鎮守府でも物静かなイメージのある彼女から発された大声は、かろうじて私の意識を繋ぎとめた。

 

「吹雪ちゃん! 前を向いて! 私達しかいないの! 今、日本を助けられる場所にいるのは、私達なの! お姉ちゃんでしょう、あなた!」

 

「おねえ、ちゃん……」

 

 特型駆逐艦の祖――外洋における作戦行動を可能とする初の駆逐艦である私を、姉と例えるのか。

 確かに、そうかもしれない。でも私は兵器で――

 

「提督に報告出来ないわよ、それじゃあ!」

 

 あ、と声が漏れた。

 希望的観測である言葉なのは、分かっていた。

 

 通信で聞こえ続ける声を、龍田もまた聞いているはずだからだ。

 

 それでも、それに縋れるのならばと私は足に力を込めて、無意識に流れそうになる涙を拭って大きな声で返事した。

 

「――はいっ!」

 

 

* * *

 

 

 敵はさらに数を増し、背後には夥しいほどの深海棲艦が追ってきていた。

 私達は幸運にも一度として被弾しないまま防予諸島を抜けて四国を南下し、フィリピン海まで抜ける事が出来たのだった。

 

 予断を許さない状況に変わりはなく、航空支援が到着して爆撃したにもかかわらず減らない敵勢力に恐怖を覚える。

 さらに増援が来るのではという最悪の想像が浮かび、船速は無意識のうちに上がっていく。

 

 制空権こそ確保出来ているが、長く支援が出来るはずもなく、ある程度の爆撃を終えると機影は日本側へと戻って行った。

 

「ついて来てるかぁ!?」

 

「よそ見もせずに釘付けです! 爆撃も受けてんのに、なんて奴ら……!」

 

 天龍が振り返らず突き進みながら問えば、敷波が潮風に押されつつ答える。

 

 外洋に出たとは言えど、軽々しく進行方向も変更出来ずどうしたものかと歯噛みしている時、私は慌てて懐を探った。

 取り出したのは――提督から持たされていた、羅針盤。

 

「吹雪ちゃん、それ、どうするの!?」

 

「わ、わかりません! でも、確か提督が大淀さんに進むべき方向を教えてくれるものだって――!」

 

 はっきり言って、希望に縋りたいだけだった。

 結界内では電子機器はおろか羅針盤すら作用しないのだから、取り出した羅針盤の針もぐるぐると回り続けているだけ。

 

 突き進む中で海風に飛ばされないようにと私の手にしがみ付いている妖精も、羅針盤を見て険しい表情のままだ。

 でも、打破できる糸口がどこかにあるはずと、羅針盤を睨みつけたまま私は言った。

 今出来る事をすべきだ、と。

 

「意見具申します! このまま南下して、敵戦力を分散させましょう!」

 

 誰ともなしにそう言えば、天龍が「フィリピン海で援軍待ちじゃ間に合いそうにねえしな! 通信しろ! オレは航路を維持する!」と許可を出す。

 

「ありがとうございますっ! ――こちら第四艦隊哨戒班、吹雪です! 大佐へ意見具申を!」

 

《ジジッ……ザーッ……こちら山元。言ってみろ!》

 

「現在は日本からフィリピン海へ出たところにいますが、航空支援では削り切れません! このまま南下を続けたく思います! パラオやトラックから増援があれば、敵戦力を分散し、各個撃破も可能かもしれません!」

 

《……有能な艦娘をまとめておられたのだな、閣下は》

 

「え?」

 

《こちらの話だ。吹雪の案を採用する! こちらからパラオとトラックへ増援の打診を試みるが、南方海域が開放されたばかりで戦線の変更が掛かっており、整っているとも限らん――ともかく、少し時間をかけてそちらへ向かってくれ! 燃料の方は持ちそうか?》

 

「満タンで出撃はしましたが、戦力分散にパラオとトラックを回れば……長期の戦闘は難しいと……」

 

《わかった、呉からも補給艦を出す。持ちこたえてくれ!》

 

「了解っ!」

 

 こうして通信をしていると、ほんの少しだが心に余裕が生まれる。

 たった一滴にも満たないものだが、航行を続ける気力を回復させるのには十分だった。

 

 遠くから、当てる気があるのか分からないが、間違いなく怨恨や怨嗟が込められているであろう凶弾がいくつも近辺へ落ちるのを尻目に、右手に持った連装砲を握りしめた。

 

「――ははっ、大佐のやつ、提督と同じ方法をとってやがる」

 

 ふと、轟音に紛れて天龍の笑い声が聞こえた。

 

「テンプレートっていうのかしらぁ、スタンダード?」

 

「だな。誘い込むのにも追い込むのにも対応してるたぁ、やっぱどうかしてやがるぜ、提督はよ」

 

「ふふふっ、そうねえ、私達の提督だものぉ……それくらいじゃなきゃ、困るわぁ」

 

「何を暢気に喋ってるんですか天龍さんも龍田さんも! まだ砲撃されてるんですから! ちゃんと見て!」

 

「敷波ちゃんはお堅いわねぇ……せっかく可愛いのにぃ……」

 

「かわっ……今は真面目にしてくださいってぇ! もぉ!」

 

 欠陥艦娘の集まり――柱島泊地は、艦娘の墓場である――私はそう聞いていた。

 しかし私は、この戦局において、この状況において、安心感を覚えている。

 

 もちろん恐怖はあるし、戦いへの震えは止まらないし、後方に迫りくる深海棲艦達への嫌悪もそのままだ。

 でも、真っ黒に塗りつぶされている感情のうち、ほんの一部だけが、色づいていた。彼女らの軽い掛け合いと、提督の作戦によって。

 

 呉鎮守府で悪行の限りを尽くしていたという山元大佐でさえ、今や私に燃料は持つか? などと聞く始末だ。変わっている。何かが。

 

 だからここで止まっちゃいけないんだと、恐怖に負けちゃいけないんだと前を向いた。

 

「燃料の限り時間を稼ぎましょう! 航空支援もすぐに再開されるはずです!」

 

「おうっ! っしゃあ、天龍、水雷戦隊! 進むぜッ!」

 

 船速を維持し、燃料の消費をおさえながらフィリピン海を南下し続ける。

 幸いにも前方から新手の戦力が出現することは無く、順調にトラック方面へと進むことが出来た。

 

 しばらくすると戻って来た航空支援が爆撃を再開し、深海棲艦の数を減らしていく。

 減った先から、未確認深海棲艦と思しき笑い声と共に増えるという堂々巡りではあったが、私達への攻撃に間が出来る事によって誘導は確実なものとなった。

 

 そうしているうちに、通信が入った。

 

《ザッ――こちら山元。トラック、パラオともに対応可能であるそうだ! じきに増援が来るはずだ! だが気を付けろ、南方は件のこともある》

 

 件のこと、とは――南方海域開放作戦の直後であること以外にも、大淀が話していた内容が含まれているのだと察し、ごくりと喉を鳴らした。

 

《未確認の深海棲艦は八代少将が呼び寄せた可能性のあるものだ。十分に注意して、決して少数のまま真正面での戦闘にならないよう徹底的に避けろ! いいな!》

 

 既に隠すことさえせずに口にした大佐に返事をした時、手のひらをぱちぱちと叩かれるような感触に気づいて視線を下げる。

 妖精が私を見上げており、そこには――針の止まった羅針盤。

 

「あっ……あの! 大佐!」

 

《どうした!》

 

「羅針盤が、方向を示しています! 南東……トラック方面です!」

 

《羅針盤……通信は維持、出来ている……》

 

「大佐……?」

 

 大佐は数秒ほど黙り込んだあと、私に問う。

 

《今更に問うことを許してくれ。電子機器を狂わせる結界とは、どういったものだ?》

 

「えぇ!? え、えっとぉ……空が暗くなって、海も荒れます! 黒いというか、赤いというか……それで、声が……」

 

《声?》

 

 自分で言っていて、あれ、と思考が滞った。

 声とはなんだ、と。

 

「声が、聞こえる、気が……して……」

 

《なんの声だ!?》

 

「んだよ声って、あいつの声じゃねえのか!?」

 

「あの美人さんの事かしらぁ?」

 

「美人なわけないでしょう! 青白いし足も無いし! 幽霊みたいですってぇ!」

 

 違う、あの未確認の深海棲艦の声などではないと首を横に振った。

 意識すれば薄れ、無意識の時には知覚出来ず、しかし聞こえていて、知っている声である――気がする。

 

 こうして戦闘をしていると、どこからともなく、大海原に響いているように聞こえるのだ。

 

《なんでもいい、その声はどういったものだ!》

 

 大佐に急かされて、うー、と声を詰まらせてしまった私だったが、見計らったかのようなタイミングで、その声が意識に割り込んだ。

 

【シズメ……シズメ……ツメタイ、ウミヘ……――】

 

「あぐっ……!?」

 

 酷い頭痛が襲ってきて、私は隊列からはみ出てしまう。

 すぐさま龍田が追いすがり、私を横から押すようにして支えてくれた。

 

「吹雪ちゃん、どうしたの!?」

 

「い、今、はっきりと、声が……!」

 

「声!?」

 

《吹雪! 声はなんと!》

 

「し、沈め、と……」

 

《……八代が連れて来た阿賀野も、声を聞いたと、言っている》

 

「え……?」

 

《まだ詳しい話を聞ける状態にないが、恐らくは吹雪と同じものであると考える》

 

「そんな……」

 

《艦娘には、共鳴というものがあったと記憶している。提督や妖精と共鳴して力を発揮するものであると。戯言だと聞き入れなかったが、かつて……私のところの那珂が同じ声を聞いたと言ったことがあるのだ》

 

「じゃあ、これは深海棲艦の声と、共鳴を……?」

 

《詳しいところは分からん、だが深海棲艦に関するものであるとは予想出来る。多くの敵に追跡されている今、吹雪が聞いている声もまた、本当なのだろう》

 

 誰に言っても信じてもらえなかった異常を、大佐が認めただけで、私は途端に頭痛を振り払うことが出来た。

 

《私の具申では大本営に認めさせることは難しいかもしれん。大した戦果も無い上に閣下に不正を庇っていただいている身だ。だが――閣下ならば、可能かもしれん》

 

「提督なら可能って、でも提督は――!」

 

《生きて帰れ。お前達に今出来ることはそれに尽きる。一度大淀に代わるぞ》

 

「待ってくださ――」

 

《担架を揺らすな! 止血帯を締めろ! もっとだ! ヘリの降下をそこで待機!》

 

 山元大佐の声が遠ざかり、大淀の消え入りそうな声が頭に響く。

 

《――こ、こちら大淀、です……現在、呉から、ヘリが……提督の緊急搬送が行われています……》

 

「おい、大淀! 提督はどうなったんだよ!」

 

「天龍ちゃぁん、前を見て! 前を!」

 

「船速維持を! っくぅぅ……龍田さん、牽制をお願いします!」

 

「もぉぉっ……お触りは禁止よぉっ!」

 

 断続的な轟音。天龍は、くそ、と吐き捨てながら前を向いて声を荒げる。

 

「大淀! 爆発の規模も何も聞いてねえんだこっちは! 工廠で何があったんだ!」

 

《佐世保から来た阿賀野さんが不調であると見た提督が、艤装の検査をと、工廠へ……明石が阿賀野さんの艤装を開いた時に、爆発が起きたんです……》

 

「それに巻き込まれたってのか!? 明石は何やってんだよ!」

 

《ちっ違うんです! 明石に不手際はありませんでした! 艤装の中に、札が仕込まれていたんです! 八代少将も、それを知っていたようで……!》

 

「札って、話してた、あの……! あのオッサン、戻ったら八つ裂きに――!」

 

《八代少将は、札の他に……妙な、欠片を……》

 

「欠片ぁ?」

 

 天龍の声に、大淀は枯れた声で数度咳き込んだ後に呟いた。

 

《深海棲艦の艤装の一部……に、見えました……》

 

「うっ……!? それ――」

 

 全員が船速を落とさないよう細心の注意を払いつつ後方を見た。

 ざあざあと波を切り裂いて追ってくる深海棲艦達の向こうで、幽鬼が如き姿でゆらゆらとついてくる未確認の人型深海棲艦の姿が見える。

 

 軽巡洋艦那珂のようにまとめられた片方の髪は全ての光を吸い込むような漆黒で、潮風に揺れる片側の髪は死神のローブのようだった。

 

《真っ黒な、髪留め……みたいなものを……手にしていたんです。逃走されないよう、今は長門さん達が押さえていますが、その髪留めに触れると激しい痛みが走るようで、八代少将はそれを盾に、工廠の隅に――》

 

 追い詰められているが、捕まえることが出来ない。それは今の私や天龍達にとってさほど問題では無かった。

 泊地から逃げたところで、逃走先など無いだろう。

 

 ましてやあそこは、孤島なのだ。支援艦に乗ろうが、そこが墓となるであろうことは考えずとも分かる。故に悪あがきとしてそれを盾に時間を稼いでいるのだろう。

 

 今の私達の時間稼ぎとは全く違うものだったが、それはいい。

 

 問題は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《八代少将が持っているものは、その未確認の深海棲艦を呼び寄せた媒体であるかと……推測します……》


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