柱島泊地備忘録   作:まちた

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八十七話 覚醒【提督side】

 夢だったのだろうか。

 現実味はなかったが、部屋で食べたカレーの味も、あの人の笑い声や力強い声も、全て覚えている。

 部屋を出る直前のことだって、都会の隅にある俺の部屋に吹き込んだ海の風の心地良さだって覚えている。

 あれは本当に、ただの夢だったのだろうか。

 

 ふんわりとした疑念とは裏腹に、心は燃えていた。動かねばならないと。

 その熱により、治療中に目を覚ました俺は――

 

「さっさと済ませるんだ……私は、艦隊の指揮を執らねばなら――!」

 

 生きねばならないのだと、彼女達を救わねばならないのだと、闘志を燃やし――

 

「麻酔を追加しろ! お前は鎮痛剤を! 二度目の麻酔とは……気管挿管の準備!」

「はい!」

「追加します」

 

「ん……のだぁ……」

 

「なんというお方だ……目を覚まして一言目に艦隊の指揮だと……?」

「麻酔が効いていたとは言え、腹を噴き飛ばされてるんだぞ……冗談じゃない……!」

「て、手が震えて……すみません、少しだけ、待ってください……」

 

 ――わりとあっさり現代医学に負けた。

 いやいや負けてない負けてない。治療中だったんだから仕方が無い。

 

 歯医者で虫歯を治す時くらいしか麻酔の経験が無かった俺は、それとは別格の強制的な力により、抵抗する間もなく意識を失った。

 

 目が覚めた時に一瞬だけ見えた光景は明らかに手術室のような場所であったし、何より阿賀野の艤装が起こした爆発に巻き込まれて漫画みたいに吹き飛ばされたのだから無事なはずもなく、治療されていることなど考えずとも理解出来る。

 腹の表面を触られている、ではなく、もっと奥の方で人の手が動いている感触は今後忘れたくても忘れられないだろう。こんな経験したくなかったです。

 

 そうして、意識が強制的に途切れたあと、二度目に目を覚ました場所は病室だった。

 

 

 ソファよりも柔らかく背を受け止めてくれるベッドの上で意識が覚醒した時、手術中には感じられなかった鈍痛が腹部を襲う。

 それと、喉に違和感があった。

 

 目だけを動かして室内を見れば、俺の横に――松岡が立っていた。

 

「お目覚めになられましたか、閣下」

 

 んだよお前かよぉ! ここは艦娘が「提督ぅ!」っていう場面だろうがァッ……!

 

 松岡に声をかけようにも喉の違和感が酷く、身体の感覚も鈍かった俺は、ゆっくりと手をあげることで意識がある事を示した。

 目覚めには松岡よりも艦娘が良かったと失礼極まりない事を考えられるくらいには意識も覚醒している。

 

「手術中にお目覚めになられて、艦隊の指揮を執ると言い出して医療班を怖がらせたと聞きましたよ。全く閣下は、なんという――」

 

「ぐ、ぅ……! んぐ……!」

 

 声を出そうとして力むも、喉の違和感がさらに酷くなるだけだった。

 そんな事はどうでもいいんだよ! 艦娘が出撃してるんだろ!?

 俺知ってるんだからな! 夢で見たんだから! 早く行かせろ!

 

「おっと……少しお待ちください、すぐに医療班を呼んできます」

 

 別段、松岡の動きはゆったりとしているわけでは無かったが、じれったくて、ベッドの端にある柵を握りしめる俺。

 ドアを出てすぐに「閣下が目を覚ましたぞ!」と松岡が大声を出すと、すぐさまばたばたと大人数の足音が近づいて来て、病室の扉が乱暴に開かれた。

 

「提督!」

 

 部屋に飛び込んできたのは手術室で見た男達ではなく――戦艦長門だった。

 髪を振り乱し、目元を赤くしているのが見えた瞬間、胸のあたりがぎゅっと痛くなる。

 長門ォ……心配してくれたのかぁ……いっぱい好きだよぉ……!

 

 と、感動に浸る間もなく、長門の背後からするりと白衣の男達が入室してきて、俺に一礼した後、手を伸ばしてきた。

 

 その時ようやく、俺の口元にテープが貼られていて、なにか管のようなものが喉を通っているのに気づく。

 白衣の男達の中の一人が手際よくテープを剥がしてから、ゆっくり息をしてください、と言って管を抜き去ると、喉を中から擦られる感覚にえずきそうになり、ずるん、と抜けきった時、咳き込んでしまった。

 

 じわりと腹部が痛むも、声は堪えた。

 

「あ、あぁっ、提督……無事か……!? 傷の方は……――!」

 

 長門が不安そうに俺と白衣の男――手術を担当した医師だろう――を交互に見ながら言うと、医師は険しい表情のままに頷いた。

 

「酷い熱傷でしたが、内臓に異常はありませんでした。制服の頑丈さに救われたのでしょう。しかしまだ安静にしていてください。艤装の爆発に巻き込まれたショックと出血によって一時的に心停止までしていたのですから、経過を観察しなければなりません。しばらく、動くのは厳禁です。命に別状はないでしょうが――」

 

「よ、よかった……本当に良かった、提督……っ」

 

 ありがとう長門……今度から筋肉よりも優しさが詰まってる素晴らしい艦娘としてお前を――って、良くねえよッ!? いや、待て! また南方海域に出撃してるんだろ!? トラック泊地に向かって!

 

「なに、が……良い、ものか……げほっ……うぐ……戦況を、報告しろ……ッ!」

 

 俺の言葉に全員が顔を青くしてこちらを見る。

 

「戦況……!? 提督、何故知っている……? あなたは工廠で、心臓が……」

 

 夢の中でパソコン画面に表示された大淀が言ってたんだよッ! いいから早く――……うん、待て待てまもる。カームダウン。

 俺が工廠で意識を失ってから経験した事をここで話して信じてもらえるだろうか? 否である。

 きっと爆発で吹き飛んだ時に頭を強打して混乱しているのだと思われるに違いない。

 

 しかし、あの部屋で、俺と同じ名の――思い出す事もなかった祖父との会話の後に聞いた大淀の声がトラック泊地へ艦隊を向かわせていると言っていたのが、本当にただの夢であったとも思えない。

 ここで伝え方を間違えれば、また麻酔を打たれておやすみなさいしかねんぞ……。

 

 パソコン画面に表示されていた実装されているはずもないマップに、マップ上で揺れていた深海棲艦の姿を思い出すと、やはり悠長に構えている時間もない。

 

 俺があのマップで見た敵のアイコンでも、とりわけ目立つものが懸念事項なのだ――まず間違いなく、()()()()がいる。

 

 八代少将が深海棲艦の艤装を用いて呼び寄せたのだと、むつまること陸奥も言っていた。

 阿賀野の艤装の中に仕込まれていた札の正体は不明ながらも、軽巡棲鬼と阿賀野には、ゲーム内で繋がりがあるのではと言われていたくらいだ。軽巡棲鬼を呼び出すための媒介にしていても違和感はない。

 デザイン的に元ネタでは? とネット上で推察されているだけだったが、現実世界の今、俺は本能的にそれを事実だと理解している。

 

 トラック泊地で艦隊決戦に持ち込むつもりであろう大佐の策は間違ってはいない。

 航空支援を行い、水上艦隊で叩くというのはスタンダードな手法だ。

 

 だが、南方を開放した第一艦隊を海域へ投入したところで、軽巡棲鬼を日本から遠ざけている哨戒班はたったの四隻。合流したところで十隻。詳しいところは知らないが、勝敗以前の問題だ。

 さらに多く投入すれば解決すると断言できるわけではないものの、水上打撃部隊として機能させるには少ないと言わざるを得ない。

 現実世界での艦隊決戦では十隻の軍艦が七百機にも及ぶ戦闘機を配備して戦った……などというぼんやりとした知識があるものの、それは軍艦であって艦娘では無い。艦娘がそんな数の艦載機を発艦させられるとも思えず、これを理由に増やせと言おうかとも考えたが――どうにも説得力を持たせられる気がしない。

 

 腹部の鈍い痛みが思考を邪魔してくるおかげで良い言い訳も思いつかず、ぐう、と変な声を上げている時、はっとして俺は声を上げた。

 

「おい、いるか」

 

 医師たちでもなく、松岡でも長門にでもなく、空中に向かって声を上げると――丁度長門の長い髪の陰から、ふわりと妖精が姿を現した。

 迷彩柄のベレー帽をかぶり、おもちゃのような鉄砲を持った妖精は、艦これの任務画面で見る妖精だった。手を伸ばせば、妖精はそこに着地し、敬礼する。

 

「妖精達から戦況はおおよそ聞いている。山元がトラック泊地へ第一艦隊を向かわせ、哨戒班と合流させるつもりである、と……編成自体は悪くないが、十隻では心許ないのでもう二隻ほど追加を考えているのだ」

 

 医師達が「よ、妖精……!? まさか後遺症が……」と小声で話しているのを聞いて、血の気が引いていく俺。

 あっあっ……違うんです! まもるは大丈夫です! 仕事出来ますんで! あれはやめてください勝てません! 絶対に寝ちゃうんで! ダメですぅ!

 俺の心の吹雪が必死に両手を振るも、医師のうち一人が無慈悲に動き出す。

 

 それを制したのは、松岡だった。

 

「我々にとって縁のないものだが、妖精は存在する。閣下は南方を開放したお方だぞ」

 

 松岡ァ……! さっきはお前じゃなくて艦娘が良いとか言ってごめんなぁ!

 しかしながら妖精が言ってたからそうなんだろう、というだけでは説得力に欠けるのもまた事実であり、妖精が見えない人間からしては「妖精から聞いた」なんて言い始めた方が頭を強打してあっぱらぱーになってしまったと思うだろう。そうだね、確かに俺はあっぱらぱーだね。

 

 ここで俺は深呼吸し、信じなくともいいが、と先に言ってから話した。

 

「……夢を、見た」

 

「夢でありますか……?」

 

 松岡が目を丸くしてこちらを見るものだから、やはりやめた方が、と喉元まで出かかった言葉を呑み込みかける。

 視線を落として妖精を見つめると、敬礼した格好のままじっと俺を見つめており、それが大丈夫だと言っているように思えて、自然と言葉が紡がれるのだった。

 

「かつて私の祖父は戦争に行ったと祖母から聞かされていたのだが……その祖父に、夢の中で出会ったのだ。仕事に疲れて帰っている途中で出会った祖父とカレーを食べてな、ふふ、レトルトのカレーを、狭い部屋で男二人で食べて……それで……」

 

 あれは、祖父だった。会ったことなどない。幼い頃に写真を見た気がするが、顔さえ覚えていなかった存在だ。だがあの人は――間違いなく、俺の生きる未来を守った人々の一人だ。

 祖母から何度も聞かされた祖父の偉業。あの人は飛行機に乗ってある戦艦を守っていたのだという。

 その話を今更になって思い出した俺は片手で腹を押さえて、まだ腹の中にあのカレーが残っているような気がして口元を綻ばせた。

 

「仕事帰りに会うわけもない。あれはただの夢だったのかもしれん……だが、夢の中で祖父に言われたのだ。鎮、動け――と。それから、大淀が必死に通信しているような声が聞こえた。皆が必死に戦っていると、妖精が俺に訴えかけた。だから俺は動かねばならんと、狭苦しい部屋を出た。そうしたら、目が覚めたというわけだ。……何も出来ないかもしれん。知識とて足りん。知恵も無い。しかしそれは動かない理由にはならんだろう」

 

 痛む身体をおして身体を起こそうとした時、妖精が慌てたように両手を振ったが、構わず俺は起き上がる。

 その途中で、長門が駆け寄って俺の背を支えてくれた。

 

「てっ、提督、無理は――」

 

「戦っているお前達を前にして寝ている方が無理というものだ。ぐっ……激しく、動くことは出来んが……私は座っているだけなのだから、問題は無い」

 

 艦これでもマウスクリックするだけだったからね。

 なんなら、艦娘達に南方に行ってもらった時に動いたのも土下座した時くらいだからね。

 

「しかしっ」

 

「山元が指揮を執っているのだろう? 長門、現在出ている艦娘は」

 

「え……?」

 

 南方で戦った第一艦隊は、確か……扶桑、山城、那智、神通、夕立、綾波の六隻。今は哨戒班を追っていることだろう。

 哨戒班は天龍と龍田、吹雪に敷波――戦艦が二隻、重巡が一隻に、軽巡が三隻、駆逐艦が四隻……二隻追加すれば水上打撃部隊として機能を発揮できるかもしれない。

 現実とゲームは違えど、やらない理由は皆無。出来ることならば何だってやるべきだ。

 

 社畜魂、魅せてやっからよォッ! いっぱい手伝ってくださぁい!(本音)

 

「哨戒班の天龍、龍田……それに吹雪と敷波だ。第一艦隊の扶桑、山城、神通、夕立、それに、綾波が合流して戦闘を行っている。呉鎮守府から補給艦隊を出して継続して戦闘……かなりの数を撃破しているようだが、終わりが見えないようでな……」

 

「では現在、数にして二艦隊が出撃しているのだな?」

 

「呉からの補給艦隊も合わせて三艦隊だ。山元大佐が連れて来ていた那珂も合流し、奮闘している」

 

「そうか……では、新たに投入出来る艦隊を……う、うむ……?」

 

 そうだ、俺は治療を受けて寝ていたんだ……出撃してから、どれだけ経っているんだ……?

 

「……私が眠って、どれだけの時間が経過している」

 

「一日と、少しだが……?」

 

「何だと……!?」

 

 

* * *

 

 

 俺は、腹の痛みも、病室であることも忘れて、松岡や医師達に大声で指示を出していた。

 医師達には海図を持ってくるように言いつけ、ベッドの上に食事用のテーブルを出してその上に海図を広げた状態で松岡に山元と連絡を繋げろと言えば、病室は大騒ぎとなる。

 

「か、閣下! こちら海図です! え、えー……日本近海、それから、南方と、こちらは南半球全体が見られるものと……!」

 

「近くの壁に貼れ! ペンを頼む! 書ければなんでも良いが二色、いや三色用意しろ! メモができる紙もだ! 作戦海域の情報が見られるものは全て用意しろ!」

 

「はっ!!」

 

 妖精にペンを渡せば、指示をせずとも、俺に分かりやすいようにか、艦これに出てきたようなマスを書き込み始める。

 夢で見たものと同じ位置に書き込まれたマスの一つに、ちょんちょんと点を三つ書き加えたところを見るに、現在はトラック泊地の近辺で哨戒班と第一艦隊、補給艦隊が合流していると見てよいだろう。

 

「松岡、山元と連絡は取れたのか!?」

 

「い、いい今連絡を――あっ、こちら憲兵隊の松岡だが、山元殿か!? たった今、閣下がお目覚めに――」

 

「代われッ!!」

 

「ひっ!? 山元殿、代わるぞ!」

 

 俺は鬼の形相だったろう。

 松岡からスマートフォンを受け取った俺は、室内がびりびりと震えるほどに怒鳴った。

 

 腹からじわりと血が出たかのような感覚が伝わるも、それどころではない。

 

『閣下、お目覚めになられたのですな……!』

 

「心配をかけたな、すまん。それよりもだ! 山元、追加の艦娘は出撃させておらんのか!?」

 

 これである。

 実際、軍艦が戦う場合は何日であろうが補給し続けていれば問題は無いだろう。相手の攻撃を受けて損傷しない限り、燃料や弾薬の心配だけしていればいい。

 

 しかし今は違う。彼女らは艦娘なのだ――必ず、疲労する。

 

『補給艦隊を追加で編成し――』

 

 違う、そういう事じゃない! と俺はさらに大声を上げた。

 

「この――大馬鹿者がッ!! 貴様は飯さえ食えたら遮蔽も何もない戦地で休みもせずに無限に戦えるのか!? 違うだろうがッ!」

 

『っ……!』

 

「今から言う艦隊をそちらで編成し、出撃準備を整えろ! 燃料も弾薬もしっかり補給させるのだぞ! いいなッ!」

 

「りょ、了解しました! 大淀殿にも繋げます!」

 

「急げッ!」

 

 艦娘を兵器として扱ってきた山元だから、というわけでは無いだろうが、彼女達は人とは違う。

 強く、逞しく、海を駆けて戦える。故に忘れやすいのだろう――彼女ら人にあらずとも、人の身を持っているということを。

 

 汗をかき、涙を流し、食事をして、眠り、人と変わらない生活を送っている。

 生きているのだ。疲れない道理が無いではないか。

 

 艦これのように疲労マークが出ていない今、提督である俺はそれをしっかりと見てやらねばならない。山元も同じ立場であるのだから、それは言わずもがな。

 ここに来て当然と思っている事が、別の人にとっての当然ではないというすれ違いの事実に腹の傷とは別に頭痛までしてきた。

 

 ベッドに座った状態で、目の前に広げられた海図を睨みつけて人差し指をこつこつと何度も叩く。

 

 水上打撃部隊を編成して出撃させ前線と交代したとして、一日以上も戦闘して数の減らない深海棲艦を撃滅できる保証はあるのか? そんなものは無い。

 呉から出ている補給艦隊を一度下げて、再度補給可能にしてからもう一度出撃させるのもまた疲労度の問題が出てくる。しかし水上打撃部隊を補給させられなければ長期の戦闘は不可能だろう。なおかつ、これはゲームでは無い。一戦ごとにリザルト画面が出て、マスを移動して洋上補給をして、次の戦闘を行うなどという事がありえるわけがない。

 彼女達は海上で戦い続けながら、時に引き下がり、合間を縫って補給しつつ戦っているのだろう。

 ならば補給艦隊がいたとて確実に全員が補給できるとも限らない。

 装備や練度が充実しているとは言い難い今、低燃費でギリギリの運用を、とも考えられない。

 

 無い無いづくしだが――逆を言えば、ゲームのような制限もまた存在しない。敵も、味方も。

 

 俺の中にある知識を最大限に活かしつつ、現実を意識した上で――彼女らを信じるのだ。

 

「水上打撃部隊の第一艦隊は旗艦を戦艦金剛にし、比叡、榛名、霧島、それから軽空母鳳翔、重巡足柄を編成しろ」

 

『は、はい、えー、金剛、比叡、榛名……!』

 

 山元の声が枯れているのに気づいて、一瞬だけ思考が途切れる。

 一日以上も指揮を執っていたのだから山元も疲れているのかもしれない、と気が回らなかったことに気づいてから、俺は自己嫌悪に陥ってしまう。しかしここでウジウジしている暇はない。

 

「耐えろ、山元。もう少し耐えてくれ、頼む」

 

『……はいッ』

 

 スマートフォンのスピーカーが揺れた時、そこに一瞬だけノイズが走った。

 それから大淀の声が聞こえて来た時、俺は無意識に安堵してしまう。

 

『提督! 目が覚めたのですね!』

 

「大淀か――心配をかけたな。少し眠り過ぎていたようだ」

 

 気丈に答えるのもそこそこに、新たに艦隊を編成する事を伝えれば、大淀はすぐさま全艦娘に通達すると言ってくれた。

 ふと、山元が小さな声で『申し訳ない……呉の方も対応せねばと考えると、後手に回ってしまい……』と弱気な事を言い始める。

 

 それはそうだ。山元は柱島の提督ではなくて呉の提督。俺の代わりに仕事をしていただけなのだから怒鳴られるいわれはない。ごめんね。まもるもいっぱいいっぱいだったんだよ。帰ったら伊良湖の金平糖やるから許せよな!

 

「深海棲艦の出現に際しての対応もあったのだろう。私も目覚めたばかりで多少混乱していた。すまない」

 

 大淀が艦娘達に連絡を取っているであろう間に、俺は深海棲艦を呼び出した原因である八代はどうしているのかと山元に問うた。すると――

 

『そちらの方は問題ありません。動けませんので』

 

「動けない……? 拘束したのか」

 

『はい。松岡殿が派遣した憲兵に拘束されております』

 

「……ならばよし」

 

 憲兵が提督を拘束するのを見るのは二度目だよぉ……八代が実際に取り押さえられてるのを見たわけじゃないけども……。

 駆逐艦に悪戯してなくても、悪い事をすれば憲兵さんに怒られるのは現実でも同じなんだね……。

 

『提督、通達完了しました』

 

 大淀の声が再び入り込んだことで思考が切り替わり、すぐに第二艦隊の編成を伝える。

 

「第二艦隊は旗艦を軽巡洋艦北上、それから軽巡大井、球磨、多摩の四隻、駆逐艦の島風、時雨の二隻で頼む。連合艦隊として第一艦隊と第二艦隊には連携を密にしてもらいたい。――次に、空母機動部隊の編成を伝える」

 

 俺の言葉に、しん、と室内が静まり返った。

 

「大淀? 聞こえているか? もしもし? 山元?」

 

『し、失礼しました、空母機動部隊ですね?』

 

 大淀の声に、うむ、と返して編成を伝える。

 

「第一艦隊として伝えるとややこしいので、第三艦隊、第四艦隊とするぞ。第三艦隊には――」

 

『お待ちください閣下! そ、そのように多くの艦娘をどのように連携させるおつもりですか! 戦闘となってしまえば我々に出来る事など――』

 

 何を言っているんだ山元ォッ! 金平糖が欲しくないのか!? えぇ!?

 ……そうじゃないね。

 

 山元が焦ったように言うことも分からないでもないが、俺が連携させるつもりなどない。山元が言うように、俺や山元に出来る事は限られており、彼女達が海上に出て行ったあとは、座して結果を待つのみとなる。

 

「出来る事などない。ああ、そうだ。だから今なのだ、動くのならば」

 

 俺の言葉をうまく呑み込めない様子が電話の向こうから伝わってくる。

 しかし俺も、この思考をどうやって言葉にしたものか、うまく組み立てられない。

 

 間違って伝わって欲しくはないが、伝えなければ山元の不安はぬぐえない。

 そこで俺は、空母機動部隊の編成を考えていたからか、鳳翔達の顔を思い浮かべながら言った。

 

「山元――矢を放ったことはあるか」

 

『な、は、はい? 矢、でありますか……?』

 

「そう、矢だ。矢を放つまでに、お前はどんな事をする」

 

『弓道は、かじった程度で……構え、放つくらいでは……?』

 

「そうだな。はたから見れば、たったそれだけの動作だ。弓を構え、狙いを定めて矢を放つ。こう聞けば、あまりに単純な動作だろう」

 

 しかし違うのだ。単純に見える一連の流れにはいくつもの短く重い意味を持つ動作が存在している。

 艦これで言わば、編成し、出撃させて勝つか負けるかを見守るだけのゲーム。だが、そうではない。

 

 海域によって最適な艦娘を選択し、編成した後にはまた最適な兵装を探して装備させなければならない。

 出撃する前には長い時間をかけて艦娘を鍛え、改装し、彼女ら自身を強くせねばならない。

 装備一つとっても、改修を重ね強くすれば、海域を突破する可能性はぐっと高まる。

 零と一が画面の向こうでピコピコと切り替わるだけの単純なものが、複雑な過程をもたらす。

 

 出撃ボタンを押すその前こそが――提督である俺達に委ねられた戦場なのだ。

 

「だが、こうも考えられんか。弓をどう構えれば力を込められるか、矢をどのように持てばより遠く、より鋭く飛ばせるのか。弦はへたっていないか、自分の狙いは正しいのか、風向きは、狙う先までの距離は、考えれば考える程、これでも足りんと思えてはこんか」

 

『そ、れは……その、通りでありますが……』

 

「矢を放った後は……何も出来ん。故に、最善である手を選び抜き、信じるしかない。私だって数で押せばなんとかなるとは思ってはいないが――数を活かせる方法だって存在するのだ。だから、私の我儘を見逃してくれ、山元」

 

『――……わかりました』

 

 山元と俺の間に数秒の沈黙が流れる。

 それから、大淀に「すまん、改めて編成を伝える」と言って話を再開した。

 

「第三艦隊は旗艦を正規空母赤城に……それから加賀、飛龍、蒼龍、戦艦の伊勢と日向を編成する。第四艦隊の旗艦は軽巡の川内を、以下、重巡摩耶、羽黒、駆逐艦は陽炎、不知火、神風を編成。連合艦隊、空母機動部隊として制空権の確保とともに水上打撃部隊と深海棲艦の撃滅を行ってもらう。水上打撃部隊を先行させ、空母機動部隊は直掩機を出して先行部隊に合わせ本隊を救援するのだ。戦艦伊勢と日向の速力は違えど、これならば問題にもなるまい」

 

『は、はい、すぐに通達を――!』

 

「まだだ」

 

『えっ』

 

 これは、俺の希望的観測で、可能であるかどうかが重要になる。

 もしも可能であるのなら――と大淀へ問うた。

 

「大淀、海上で補給する際、補給艦がいなければ不可能か?」

 

『それは……どういう意味でしょうか……?』

 

「補給艦を使用せず、戦闘海域から離れ安全であることが確認できた場所で物資を持った艦娘から補給を行うということは可能か? という意味だ」

 

『ま、まぁ……その場で停泊する事にはなるかもしれませんが、補給は可能かと……』

 

 海図を叩いていた指が止まり、視線が動く。

 すると俺の視線に気づいた妖精がペンを持って飛びあがり、上空から海図を見下ろしてしばし停止。そして――ぴゅん、と飛び降りていくつかの海域へ印をつけて俺を見る。

 

「長くはとどまれんか」

 

 小さな声で問えば、妖精は頷いた。ならばやめた方が……と考えたが、妖精がいくつか印をつけた場所に線を引き始めた。

 俺はそれを見てすぐに口を開く。

 

「……安全に補給が可能であろう海域をいくつか見繕った。多少のロスが発生するが、第一、第二と分けて補給を行い、逐次戦線へ復帰するとしたら――どうだ」

 

『移動して、洋上補給を小分けに……? それなら問題はありませんが――しかし提督、その、多くの艦娘と連携する場合、流石に遠方からの指示では混乱が――』

 

「私に考えがある」

 

『考え、ですか……?』

 

 艦娘が第一、それが俺のモットーである。

 疲労度を無視するような戦いはしないし、出来る限り無茶はさせない。

 

 誰もが出来ることを、出来るだけ。

 出来ないのなら人に任せる、これ、とても大事です。

 

 特にブラックな仕事ならな! まもるは身をもって知ってんだ!

 

「洋上補給用の輸送部隊を編成する。旗艦を軽巡長良、それから五十鈴……駆逐艦には、第六駆逐隊の四隻を編成してくれ。水上打撃部隊、空母機動部隊と共に出撃し、作戦海域に入り次第、呉の補給艦隊と共に補給のみに注力してもらう。入れ替わりに、現在前線に出ている戦闘部隊を鎮守府へ帰還させるのだ」

 

『お待ちください提督、こんな数の運用――!』

 

「そして大淀、お前を――現場に出ている全ての連合艦隊の、旗艦としたい」

 

『私、を……――?』

 

「お前は艦隊司令部施設を装備出来るはずだ。現場の司令塔として、動いて欲しい」

 

 大淀が鎮守府からいなくなるのは不安要素でしかないが、大人数を遠方で指示しろなんて酷な真似は出来ない。かと言って俺が船に乗って直接指揮に向かえるわけもない。お腹痛いので……物理的に……。

 だがしかし、彼女ならば可能だ。かつて連合艦隊旗艦をしていた――大淀ならば。

 

 艦隊司令部施設を持つ彼女であれば、中破、大破した艦娘が出た場合も撤退の指示を出せるだろう。

 

 大混戦となれば傷ついてしまう艦娘が出る可能性もある。例え戦力が減ったとしても護衛撤退が可能だ。

 一方で、戦力が減っても戦線を維持できるだけの数が必要になる。

 

 そこで、四艦隊までしか編成出来ないゲームでは不可能だった――連合艦隊三つの運用――大連合艦隊である。

 

「大淀の負担が大きいのは理解しているが、無論、私もこの場で逐次報告を受け、どのように動くべきかを考えて指示を出せるようにする。どうだ、やれんか」

 

 痛む腹に力を込めて問う。大淀は――

 

『……了解しました。連合艦隊旗艦として、出撃しますッ』

 

 ――気持ちの良い凛と通る声で返事した。

 

「編成が完了次第、装備を整えて抜錨してくれ。私も出来る限りの支援をする」

 

『はい!』

 

 大淀がもう一度返事をすると、電話を切る瞬間のような、ぶつんというノイズが走る。

 だが電話自体は切れていないようで、山元の震えた声が聞こえて来た。

 

『か、閣下……』

 

「山元、話は聞いていたな。ばたつかせてすまんが――」

 

『いえ、そうではなく、閣下は手術をしたばかりで……!』

 

 あぁん!? 関係あるかよそんな事ォッ! 前の職場じゃ高熱が出てもゲロ吐き散らかしながら出社してたぞ! それに比べりゃ在宅ワークなんて贅沢なもんよォッ!

 

「ベッドの上で仕事をさせてもらえるなんて、優しいものだ。走り回っている艦娘やお前に申し訳がない。して山元、トラック泊地にどのような危険があるか分からんので、他の鎮守府……例えば、鹿屋基地などに支援要請を出したいのだが、可能か?」

 

『……はぁ』

 

 突然溜息を吐かれて困惑する俺。

 

 なんだよ、いいだろ別に頼っても。こんだけ頑張るぞって姿勢を見せてるんだからよ! お腹いてえのすっげえ我慢してんだぞ! なんならここでお腹が痛いから無理ぃ! って泣いて欲しいのか!? エェッ!?

 

 しかしここは先輩の山元、俺の邪推は外れており、どうやら既に鹿屋のみならず、岩川基地にも支援を要請していたらしい。

 素晴らしいぞ筋肉軍人! やっぱ頼りになるな筋肉は! ……うーん筋肉はあんま関係ないか。

 

『既に鹿屋と岩川から航空支援を行っております。トラック泊地との行き来となれば相当の消費ですが、相手の規模が規模なだけに、出し惜しみしている場合ではない、と』

 

「ふむ……であれば、私に良い考えがある」

 

 海図に引かれた線を指でなぞりながら、話していると、妖精が俺の人差し指にくっついてくるので頭を撫でておく。いっぱい頑張らせてすみません。まもるも頑張ります。

 

「大艦隊が動くとなれば相手も下手に近づいてはこれまい。道中支援ではなく、トラック泊地周辺での決戦支援に切り替えるのだ。航空支援が終われば即時帰還――道中で消費して戻るよりも一点集中させた方が撃破効率は良いだろう」

 

『っは、了解しました。すぐに鹿屋基地と岩川基地へ連絡を』

 

「頼む。ああ、それと、宿毛湾は動かせそうか」

 

『宿毛湾でありますか? 防衛用であり、出撃は……』

 

「いや、違う。柱島に戻るよりも宿毛湾で一息つける方が安全だろう。受け入れ態勢は整えられるか、ということだ」

 

『は、はい、それは可能かと思います! すぐに連絡を!』

 

「うむ。頼むぞ」

 

 優秀な人達ばかりで助かります。ベッドの上で指示するだけとか本当にすみませんね……。

 しかし、トラック泊地に出ている部隊を帰還させつつ戦闘出来る準備は整った――!

 

 俺はスマホから聞こえてくる騒がしい音を聞きながら、覚悟を決めるように言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「山元」

 

『っは』

 

「――勝つぞ」

 

『……っは!』




追記:オーパーツと呼ばれたスーパー軽巡洋艦の球磨ちゃんが分身していたようです。大変失礼しました。
(違:球磨 正:川内)

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