柱島泊地備忘録   作:まちた

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九十四話 真【提督side】

『閣下……その、クラゲとは……』

 

「あっ……い、や……!」

 

 スマホの画面を見つめて口走ってしまった言葉は既に現実世界にあり、引っ込めることなど出来るはずもなかった。

 井之上元帥ならば訳を話せば理解してもらえたかもしれないが、艦娘達が海に出て戦っている今、俺は指揮を執ることを優先しなければならず、軍人達に「私は、実はこの世界の者では無いのだ」なんて語る時間など無い。

 

 スマホからは戦闘が始まったようで、艦載機を発艦させているであろう空母機動部隊からの声声が響いている。

 

《何なの、あの艦載機は!? 速過ぎて狙いが――!》

《飛龍そっちもう一機行ったよ!》

《分かってるってぇ! こっちは連合艦隊だってのに、何よこの数は……!》

 

 艦娘達と、深海棲艦と、軍部の闇と思しき男と、提督として妖精にこの世へ呼び出された俺が――衝突していた。

 

 軍人達が俺を見るも、モニターに向かって声すら上げられずに固まってしまった。

 そこからしばらく沈黙が流れたが、軍人達がさらに追及する。

 

『閣下は、出現した深海棲艦を知っておられるのですか……?』

『あの声は間違いなく楠木です。その楠木が深海棲艦を連れている事を知っていたのですね?』

 

「っ……楠木少将が、深海棲艦を連れている事など、知らん……私が知るわけ――」

 

 一つの否定で彼らは納得するか? しないだろう。するわけがないだろう。

 艦娘をどのように扱っていようとも彼らは日本という島国を守るために必死に働いている軍人であり、一握りの情報とて命と同様に重たいもの。

 言い換えれば、俺の持っている知識は、この世界においてたかがゲームと一括りに出来ないものであり、自らが積み立てたものでなくとも、俺の知識こそが打破の鍵となりうるものである。

 

 如何に馬鹿な社畜だと自虐するような間抜けであれ、俺が理解できないわけがない。

 

 痛みの残る腹を押さえながら、取り繕う言葉も無く、俺は――

 

 

『海原は、日本海軍大将だ。私が選んだ、男だ』

 

「井之上、さん……」

 

 

 ――ざわめいていた会議室が静寂に包まれた。

 井之上さんの重たい声は全員を黙らせるのに十分な圧があり、さらには追及の発言さえも許さないという強制力があった。

 井之上さんは曲がりなりにも――失礼だが――日本海軍の元帥という立場にある男であるのを忘れかけていた俺にも緊張が走り、コーヒーの後味の残った唾をごくりと吞み込んでしまう。

 

 何を言おうとしているのか全く見当もつかず、モニターを見つめる俺。

 

 長門、曙と潮、憲兵達も固唾を呑む。

 

『全ては私の責任である事を前置く。海原鎮という男を見た事がある者は……ここにいないだろう』

 

「……」

 

 声も出ず、思考も回らず、今の今まで歪に回っていた歯車が正されようとしている。

 そこに俺の意思が入る余地など無く、あるのは、沈黙と、井之上さんや軍人達から発される重苦しい空気だけ。

 

『この、海原という男は――』

 

『元帥閣下。遮る真似をお許しください。閣下、今そちらに憲兵隊がおられますね?』

 

「あ、あぁ……医師達も、いくらか……」

 

 軍人の一人が片手を振って言う。

 

『ここから先は軍機でありましょう。それに先ほどから画面に映りこんでいる艦娘……そちらは閣下の艦娘で?』

 

「長門は、そうだが――呉鎮守府に所属している、曙と潮という駆逐艦も――」

 

『では呉鎮守府の艦娘と憲兵隊は退室を。長門、聞こえているかね』

 

 画面越しの声に反応した長門が返事すると、軍人は言う。

 

『人払いをしてくれ。誰もそちらに近づけないように……それに長門、悪いが君にも、退室してもらう。ここからは海軍内部、それもごく一部でのみの話になるだろう。陸軍の諸君らもいらん話を聞いて首を飛ばされたくはなかろう。ですよね、元帥』

 

『お前……どうして……いや、そう、だな』

 

『では、退室を。閣下、作戦海域にいる艦娘に何か指示を出されますかな?』

 

「あ、う、うむ。大淀――聞こえるか」

 

《提督! 現在、深海棲艦の艦載機が大量に――!》

 

 顔をしかめながら、俺は全てがここで終わるのかもしれないという心持ちで大淀へ指示を出した。持ちうる知識を詰め込み、対処できるように。

 艦娘を放り出すような真似をしたくは無かったが、この場で怒鳴り散らして逃げ出し、指揮に集中できるわけもなく、腹の傷だって痛む。完全にお手上げだ。

 

 ――だが、深海棲艦に負けるような指示など出せようはずもない。

 彼女らが沈むような指揮を執れるはずもない。

 

 ぐっと奥歯を噛みしめながら、俺はスマホを持ち上げた。

 

「大淀。暫く、指示が出せなくなるかもしれん。だからよく聞け」

 

《えっ、提督、それはどういう――》

 

「いいから聞け。頼む」

 

 モニターの向こう側に言われるがままに憲兵隊は病室を出て行き、医師達も点滴スタンドを引きながら痛みが出たらすぐに呼んでくれと残して退室していく。

 曙と潮は何度か俺や長門の方を振り返っていたが、残っていたところで話が聞けるわけでもないと理解してか、静かに出て行った。

 残った長門が俺を見つめていて、俺も長門を見つめたまま、大淀への指示を続ける。

 

「恐らく、その深海棲艦の飛ばす艦載機は並の性能ではない。空母機動部隊は物資が許す限り発艦させ、制空権を決して相手に握らせるな。制空権が奪われた場合――覆す事は厳しい」

 

《ッ……! 了解しました! 空母機動部隊に告ぐ! 空母機動部隊に告ぐ! 制空権を奪取されないよう戦闘機を全て発艦させてください! 繰り返します! 制空権を奪取されないよう、戦闘機を――》

 

「これは可能性の話だと留意しろ。……さらなる随伴艦が現れる可能性がある。だが空母機動部隊は支援を後回しにしても制空権を維持する事だけを考えるんだ」

 

《随伴艦まで……どう、して……それを知っているのですか、提督……》

 

 どうしてだろうか。

 簡単だ。ゲームだったからだ。ゲームに、出てきた敵だったから、それだけだ。

 ゲームと違う状況で出て来たところで、そのものの攻略法を知っていることはおかしいことだろうか?

 

 おかしいのだろうな、と無意味な自問自答が胸中で繰り返される。

 

 深海海月姫――理想郷(シャングリラ)と呼ばれた深海棲艦は、かつてゲームで初めて()()と名付けられた敵だった。戦艦、空母、重巡、はたまた、イロハで別けられた級でもない海月とも名付けられた。

 その敵は――絶望を連れてやってきた。

 

「……爆撃機は、シャングリラから発進した、だったか」

 

 高性能なスマホだったのか、俺の小さな呟きは大淀にも届いていたようで、いいや、大淀はおろか、空母機動部隊の旗艦である赤城にも、その言葉は届いていたらしい。

 

《シャングリラから、爆撃機……!? それは、まさかあの時、飛行長が探し出そうとしていた――!》

 

 赤城はきっと、過去の記憶の話をしているのだろう。

 

「違う」

 

《え、ちが、う……?》

 

「理想郷など、存在せん。あるのは撃滅すべき敵と、現実のみだ」

 

《……》

 

 俺は赤城に対してはっきりと言うと、大淀に向かって続く指示を出す。

 

「随伴艦が出た場合――水上打撃部隊が率先して撃滅を図れ。先ほどの軽巡棲鬼の比ではない。決して油断せず、連携を崩さないように一隻ずつ確実に倒すのだ。大破艦が出た場合、一隻の僚艦を連れて海域から離脱するんだ。離脱した者と同じ艦種を柱島から緊急出撃させ、海域に合流させ数を維持しろ」

 

《提督、お待ちください! ていと――》

 

 俺は目を閉じたままスマホを長門へ突き出した。

 

「聞いていたな」

 

「あ、あぁ……」

 

「大破が出ても戦うような真似は絶対にするな。必ず倒せる、だから……」

 

「……わかった。あなたが倒せると言うならば、私は何も言うまい。だが提督」

 

「……」

 

「私は、あなたを信じている。あなたが私達を信じてくれたようにな」

 

「ッ……長門、私は――!」

 

「また、あとで」

 

 病室に残されたのは多くの機械に囲まれた俺。

 

 それから、モニターの向こうでも香取や鹿島が部屋を出て行くのが見えた。

 しかし、それだけにとどまらず、軍人の一人が立ち上がってカメラに近寄り何かを弄り始めたではないか。

 画面が揺れ、軍人の手を覆う白い手袋だけが数分の間、画面を占有した。

 

 俺は何が起こっているのかさっぱり分からないままその画面を見て、不思議そうな顔でモニター付近を飛んでいるむつまる達を視界内におさめていた。

 

 軍人達は俺が楠木の事に関して知っているが、話せないと思っているのだと考えた。故に人払いをさせて、真実をこの場で聞こうとしているのだと。

 しかしながら俺は本当に楠木という男を見たこともなければ、実際に声を聞いたのは今が初めてであり、何をしていたかなんてことさえも分からない。

 艦娘に対して非道なことをしていた――それだって人づてに聞いたものなのだ。

 ここで話せと言われても話せないし、詰められたところで困るだけで……井之上さんも楠木を優秀な男であると認識していたのだから、手のひらを返して、実は、なんて話をしようはずもない。俺の手のひらと井之上さんの手のひらでは、重さがあまりにも違い過ぎる。

 

 一つの会社ならばいざ知らず。例えば上司が今までやっていた仕事と全く違う事をやれと言えば、会社員だった俺は文句も言えず従っていただろう。

 だが彼は、井之上さんは違う。日本海軍を預かる元帥にして、国民の命に直結する人で、ともすれば俺のような一般人がおいそれとかかわれるものではないはずの人だ。なんの因果か、この世界で軍人となった俺は完全なる異分子。

 

 世を乱す存在に変わりない。

 

 それが良い方向に傾くのか、悪い方向に傾くのか、それらをコントロールするのは他の誰でもなく、自分自身であるというのに――どうして俺は何も喋れないのだろう。

 

『……失礼。これでも情報部の椅子に座る男ですので、部外秘であるならば細工せねば記録も残る上にどこから足がつくかも分からんですから、この作戦後、一切の機器を廃棄させていただきたい』

 

「それは……――?」

 

『おい忠野(ただの)、何をしておる』

 

 忠野と呼ばれた軍人は白髪交じりの髪の毛を撫でつけながら席へ戻ると、井之上さんに向かって浅く頭を下げて言った。

 

『これは自分なりの誠意です。井之上元帥が如何に国民の事を考え、自分らの事を考えて動いているのかを知っているが故の行動であります。楠木の事に関して、恐らくは元帥閣下ご自身で動かれるのは危険と思い、大将閣下を動かしておられたのでしょう? それが功を奏す前にして、楠木本人とぶつかってしまった――という所であると見ておりますが、如何でしょう』

 

『……違う』

 

 井之上さんはテーブルの上に乗せられた拳をぐっと握り、忠野へ向かって首をゆっくりと横に振る。

 他の軍人はどうしてか小さく笑いながら『忠野中将の予測が外れるとは、情報部もなまったものですなぁ』と茶化すようにして言っていて、俺の混乱はさらに加速した。

 

『なに、これは一つの予想だ。情報部はいくつも手札を持っているからこその情報部なのだぞ。では元帥閣下――大将閣下が仰られた()()()()()とやらに関連した事であるかを、お聞かせいただけますか?』

 

『……関係無いとは、言えんな』

 

『なるほど。では、大将閣下』

 

「っ……なんだ」

 

 ぱっと顔を上げてモニターを見る。

 忠野は真っ直ぐに俺を見つめていて、カメラ越しからでもその目の光が分かるほどに見開かれていた。

 

『何か、ヒントを』

 

「……ヒ、ヒント?」

 

『こんな事をしている場合ではないとお思いでしょうか。しかしこれは必要な事なのであります。情報部には元帥閣下にさえ秘匿していることがごまんと存在します。それは元帥閣下も承知のこと――全ては国民の安全と、人類の存続のため』

 

「……」

 

 重苦しい空気。鉛そのものが肺に入り込んでいるように息苦しい。

 

『故に、妖精というオカルトでさえ我々は真実であると受け止めているのであります。もっと言えば――神の系譜を頂点とする国家ですから、それが我々の普通でもあるのです。ただ、それらの認知が薄れているだけで、我々にはそれらを許容する資質があります。この国内ならば、どこの、誰であれ』

 

 井之上さんがとうとう頭を抱えたのが見えた。

 俺も軍帽を脱ぎ、額を押さえた。

 

 忠野は、彼らは何を知っている? どこまで艦娘や妖精の事を理解しようとしているのだ?

 

 それに対する解を俺が持ち合わせるわけもなく、純粋に、問うしかなく、答えるしかないのが現実。

 

 非現実と現実が交錯した時――どうなるのか――自然と手が震えた。

 信じてもいなかった神に祈るような気持ちで、それもまた不敬だと余計な事をも考えつつ、俺は口を開いた。

 

「深海棲艦の事を、私は……知って、いる」

 

『……どうぞ』

 

 促され、俺は途切れ途切れになりながらも言葉を組み立てた。

 

「艦娘の事も、どちらも知っている。私は、それを知っていたし、見ていたし……()()()していた」

 

『プレイ、ですか』

 

「ああ、そうだ……一人のプレイヤーとして、提督として、彼女らと深海棲艦が戦うのを、ずっと、見ていた」

 

 モニター付近にいたむつまるが俺のそばまでやって来て、ぴたりと頬にくっついた。

 不安を払拭しようとしてくれているのか、小さな声で、大丈夫、大丈夫、と何度も言ってくれていたのが後押しとなって、今度は途切れず、井之上さんや忠野、全員をまっすぐに見つめて言葉を紡ぐことができた。

 

 

「私は……――この世界の人間でも無ければ、軍人などでは無い。故に、彼女らも、敵のことも、知っている」

 

 

 今度こそ、音も何もない静寂が室内を支配し、耳鳴りがした。

 

『なん、と……』

『大将閣下……』

 

 かつて死んだ海原鎮の亡霊だと思っているのか。

 それとも、俺を艦娘と同様、人外であると思っているのかは分からない反応だった。

 数十秒、いや数分、再びの沈黙が流れる。

 

 それから、ぱん、と大きな音が鳴った。

 忠野が手を打ったのだと気づくのにもまた数秒を要したが、驚いているのは井之上さんと俺だけで、忠野を含む他の軍人は腕を組んで紫煙をくゆらせたりしたまま。

 

『続いては元帥閣下のお話を。先ほどはお言葉を遮るような失礼、どうかお許しください、元帥閣下。では、どうぞ』

 

『どうぞ、などと……ま、待たんか忠野! これ以上は本当にお前達の――!』

 

『首に縄をかける……でしたかな? 懐かしい話ですな。元帥閣下はご自身の部下に必ずそう仰る。言い回しとしては脅し文句にしか聞こえませんが……一蓮托生の身であると言わんとしていたと理解しているつもりです。もしや元帥閣下はご自身の部下を信頼しておられないと?』

 

『ぐっ……そのような程度の話では――』

 

『その程度の話であるのです。良いですか元帥閣下、我々は未知の生物と戦い、人類存続を双肩に担っているのです。艦娘という超常の存在を仲間に引き入れ、海軍としてまるで公然とした秘密結社として世を守っております……まぁ、軍でありますが……そうした世にいて、我々が目的とする事はたったの一つ、単純な話なのです』

 

 忠野に続き、別の軍人が声を発する。

 

『忠野殿、我々こそ元帥閣下のお立場こそ顧みるべきかもしれません。アメリカとの共同戦線、研究を自ら志願し実現した楠木という有能な人材が手を噛んだのですから、我々とて部下という括りから見れば信ずるに値しないでしょう。情報部も楠木の動向を掴めなかったのは事実なのですから』

(たちばな)殿……それに関しては、申し開きもない。確かに情報部が掴んでいたのは艦政本部に不明瞭な動きがあるというだけで、それがどういった動きであるのかまでは分かりませんでしたからな。アメリカから受け取ったと楠木や艦政本部が提出してきた深海棲艦のデータさえも、改ざんされているのではないかと公表どころか使用すら出来ないものばかりだった』

 

 橘と呼ばれた男は、大きな眼鏡をしきりに指で押し上げながら言った。

 

『これを転機ととらえるべきでしょう。大侵攻より防衛の一方だった我々が、反攻に出る第一歩とも言える。それが妖精や艦娘と同じく()()()()()()()大将閣下の先導であれ、人類の存続には必要なのですから是非も無い』

 

 井之上さんはそこで初めて大袈裟な音を立てながら立ち上がり、橘や忠野、他の軍人を順々に指差しながら大声を上げた。

 

『ま、まさかお前達……ワシの制限を無視して――!』

 

 モニターの向こうで繰り広げられる光景に、俺は頬にくっついたむつまるに手を添えることしか出来なかった。

 むつまるは大丈夫と言っていたが、目だけを動かしてみると、むつまるもモニターに釘付けになっているのが見えたのだった。

 その表情は――まるで、懐かしんでいるような――?

 

「――むかしね」

 

「むつまる……?」

 

「むかし――えらいひとたちが、いっぱいあつまって、いろんなはなしをしてたの。ちょーのうりょくとか、せんりがんとか」

 

 何の話だ……?

 きょとんとしている俺の頬から離れたむつまるは、俺の両手を引いてテーブルの上に乗ると、手のひらの上に座り込んでモニターを見上げて言った。

 徐々に明瞭になっていく口調が、やけに耳に残った。

 

「おかしいよね。そんなふしぎな力が……あるわけもないって、分かっているはずなのに……でも彼らは本気だった。戦艦に神社を建てるくらい、何でもやってみせた。まるであの人達みたい。人を救うためなら、きっとあの人達は……」

 

 俺は視線を上げてモニターを見る。

 

『情報部に制限をかければ軍部の闇を葬れる、と……元帥閣下も相当に悩んでおられたのですね。部下として恥じ入るばかり……それで、かの御仁は、一体なんなのでしょう』

 

『っ……』

 

 ぐっと唇を噛む井之上さんの視線と俺の視線がかち合う。

 俺は――ここで全て話すべきだと頷いた。

 

『……今ここに居る海原鎮は、二人目じゃ』

 

 訛りのある口調に、忠野が姿勢を正す。

 

『一人目の海原鎮という男は……かの大戦を駆けた男じゃったという。大昔の人間がどういうわけかこの世に降り立ち、渦中で生き延びた術を、知恵を、知識を駆使して深海棲艦と戦ってくれた。太平洋上で艦娘に保護されて本土へ来た男は、飛行機乗りであったと――守るべきものを守れなかったが、世界は平和になったのだろうかとしきりに気にする根っからの軍人に、ワシは魔が差し……それを、利用した。今度こそ守れるのではないかと、甘言を吐いてな』

 

 井之上さんが力なく椅子に座り込んだ。

 むつまるは逆に、俺の手のひらの上で立ち上がった。

 

『あの男が言った事が嘘ではないのかとワシは調べた。かの大戦で焼け残ったわずかな資料の中に……確かに、奴の名があった。軍艦を空から守る飛行機乗り……海原鎮の名が、な』

 

『電算化されていないものを、引っ張ってきたのですな』

 

『……ああ』

 

 ゆったりとした動きで机に置かれた煙草の箱を手に取り、一本取り出すと、それをくわえて火を灯した井之上さんは、深呼吸して煙をもわりと吐き出した。

 

 たかが戦争、されど戦争――人同士が争うだけでなく、深海棲艦や艦娘といった存在が加わり、そこへ海原鎮という男が加わったのだから、複雑怪奇となった現実。

 戦争に際して権力を得ようとする者。立場を利用して甘い汁を吸う者。艦娘を利用する者。艦娘を蔑視する者。深海棲艦を生み出す者。深海棲艦さえ利用する者。人類を存続させるべく戦う者。欺き、欺かれ、情報を錯綜させながらも、前を向く者。

 

 そして――ぽっかりと浮かんだ、海原鎮という存在。

 

『奴は人権派と反対派の小競り合いに巻き込まれて……行方不明となった。あの男を捜索しようにも、大々的には……』

 

 井之上さんを絶望させる気は無かったのに、俺は口を開いてしまった。

 

「その人は、もう、死んでいます」

 

『……っ』

 

 こじれにこじれ、ダマになった数多の糸にねじ込まれる真実が、それらを解きほぐしていく。

 

「事故によって心停止してしまったと、聞きました。私は恐らくその時、夢を、見たのです」

 

『……続けて』

 

 井之上さんに代わり、橘の声に頷く。

 

 俺は夢の内容を話した。それは自分で口にしていても、実に荒唐無稽な内容だった。

 会社帰りに電車に乗っていたと思ったら、不可思議な恰好をした男に出会い、一緒に家に帰って艦娘と深海棲艦が戦うゲーム、艦隊これくしょんをしようとした事。一緒にカレーを食べた事。互いに親不孝だと自嘲したが、やるべき事があるのだと、互いの道を進むために扉を開いた事。その時になって初めて、海原鎮という男が、同名の祖父であると気づいた事。

 

 ――最後の最後まで気高く、深海のような暗き道の先へ突き進んでいった自分の祖父の事。

 

『海原……お前、まさか、軍人でも、なんでもなく……!』

 

 井之上さんの震える声に、重々しく頷いた。

 

「私は……ただの、会社員でした。私が艦娘や深海棲艦を知っているのは、それらをゲームとしてプレイしていたからです。私が生きる世界には、艦娘や深海棲艦などおりませんでした。別世界、というべきなのかは、分かりませんが……祖父が行方不明になっている事に間違いはありません。幼い頃、よく祖母に聞かされておりましたので……」

 

『ワシは、なんという勘違いで、海原の子孫まで巻き込んで……!』

 

 井之上さんは、ぱしん、と音がなるくらい強く額を押さえた。

 

『ゲーム……ゲーム、ですか。なるほど。興味深いですな、それは』

『忠野殿』

『なに、茶化してはおりません。橘殿も気になるところでしょう。一般人である彼が大将として数日、数週間ですかな? 大きな作戦を成功させてきて、轟沈のひとつも出していない。それは事実です。それに――事故で腹が噴き飛んでも艦娘達の指揮を執ろうとするような狂人だ』

『狂人とは言い得て妙ですな。それではまるで我々を揶揄しているようではないですか』

『揶揄しているのですよ』

『はは、では、忠野殿はこう言いたいのですな?』

 

 井之上さんが忠野の言葉を遮ろうと煙草を挟んだ手を上げる前に、井之上さんと俺以外の声が重なった。

 

『『『彼もまた軍人たる男だと』』』

 

「え……?」

『あ……?』

 

 糸は、一本となればあまりにあっけなく、頼りない。

 えてして真実とはそのような荒唐無稽と思えるもので構成されているのだと忠野という男は言った。

 

『元帥閣下、それに……こう呼ばれては居心地が悪いやもしれませんが、大将閣下、あるものを受け入れねば我々は進めません。人類は艦娘を受け入れるのに多くの時間を要しました。それでもまだ受け入れられないという者は、この海軍に多く存在します。それらを説得するのにゲームをしていただけの閣下を巻き込むのは非常に心苦しい』

 

 忠野が言いたい事を呑み込めず、俺は皮肉を言われているか、追い出そうとして言っているように聞こえてしまって、口をもごつかせることしか出来なかった。

 しかしながら、続く言葉に対して、がたん、と前のめりになった。

 

『かの大戦を駆けた男の子孫は、この世界に来て巻き込まれたと言えど艦娘と共に海を往こうとしておられる。それを止めるほど野暮な男ではありませんよ、自分は』

 

「そ、それは、私を提督として――!」

 

『無論、成果は出していただきます。日本海軍を以てしても追随を許さないほどの戦果を挙げていただかねば、少なくとも私は大将閣下と共に首に縄をかける真似はできません。なにせ()()()()()()()()()()()のですから』

 

「……はい」

 

 追い詰められているはずだった。井之上さんもそう思っているに違いなく、モニター越しの視線は不安に揺れていた。

 狂人と言われようが俺にそれを否定する材料など皆無――俺は間違いなく狂っていた。

 

 ……その、ブラック企業で頭があっぱらぱーになっていたという意味ではなく。艦娘好きという意味で。

 

『番号の無い艦艇に楠木と一緒に乗っているという深海棲艦をくらげひめ、と呼称しておられるが、それもゲームに登場したから知っていたのですか?』

 

 橘から問われ、素直に頷くと――さらに問われる。

 

『では……軽巡棲鬼と呼称していたのも、同じく、と』

 

「はい。それ以外にも深海棲艦は多く存在しています。少なくとも……私が確認してきた駆逐艦や軽巡洋艦、重巡洋艦などはいわゆる雑兵に過ぎません」

 

『雑兵!? で、では……軽巡棲鬼は……!』

 

「……指揮官クラスですが、せいぜい、中間に出てくるボス、といったイメージでしょうか」

 

『そう、ですか……それは……』

『うぅむ……』

 

 忠野と橘が唸る。

 ゲームの感覚で語るのはおかしいと分かっているものの、これ以上嘘や勘違いを重ねないためにと慎重に言葉を選んでいるつもりだった。

 無論、初心者にとって軽巡棲鬼なんてボスクラスが出てきたら勝敗以前の問題になるが、百隻にも及ぶ艦娘を現実に抱える今、ゲームとして見ても初回特典大盛でプレイしているようなもので、対策さえ出来れば軽巡棲鬼は勝てる範疇。

 現実であるが故に、彼女達と話をして、一緒に飯を食べたが故に多大な緊張が俺に覆いかぶさっているが、それでも彼女らの練度と連携があれば、取るに足らず。

 

 如何に俺が無能とて彼女らが優秀過ぎるのである。

 それはさておき。

 

『海原、ワシはてっきり、海原と同じ名の軍人とばかり……どうして一般人であると言わなかったんじゃ……』

 

 背もたれに力なく身体を預ける元帥に向かって、俺は、えぇ、と声を上げた。

 

「ただの人ですと言ったじゃありませんか」

 

『その物言いであればワシとてただの人じゃ!』

 

「……」

 

 うーん、確かに。これはまもるが悪いかもです……と心の秋津洲が言っている。

 い、いやいや、まだ話は何も解決していない!

 

 俺は楠木とやらがどうして深海棲艦と一緒にいるのかも分からないし、まして楠木がどういった男なのかも知らないのだから、せめてそれくらいは聞かねばと、誰ともなしに問う。

 

「それで、楠木という男は一体……?」

 

『……閣下が知らんと言ったのはその通りの意味でありましょうからな。ここまで来て軍部だ機密だと言うつもりはありませんので、説明いたしましょう』

『そも、閣下の存在が艦娘や妖精同様の軍機では』

『茶々をいれるな橘殿。……全く。それは追々、元帥閣下に詳しいところを聞くから』

 

 ごほん、と咳払いを一つしてから、忠野は言った。

 

『楠木和哲――日本海軍少将の地位にあり、我々軍令部とは別にある艦政本部という艦娘やその兵装に関する――』

 

「技術省であることは存じております」

 

 俺の身元が一般社畜であることが分かった今、生意気な口を利くことも出来ないと丁寧に言えば、忠野や橘は複雑な表情を見せた。

 

『……その口調は、違和感がありますな。前の通りにしていただけますかな。一応、立場もありますので……我々は立場で成り立っておりますからな。海軍式と呑み込んでいただいて』

 

 エェッ!? やっぱり威圧的コミュニケーションって存在するんですかッ!?

 やっぱ俺は間違ってなかったんだ……山元ォッ!(風評被害)

 

「うむ……そう、か……?」

 

 でも気まずいよぉ……今更じゃんか、忠野さぁん……。

 

『っと、脱線しましたな。その艦政本部の長が楠木という男であります。楠木は深海棲艦や艦娘が出現した当初からアメリカを含む諸外国と早期に連携を図り、深海棲艦侵攻の対処に一役買った男です。深海棲艦の動きを予測する、といった研究を進め始めた頃から不審な動きが増え……情報部は独自に楠木を調査しておりました。しかし彼は元帥閣下も一目を置く存在であり、元帥閣下には申し訳ありませんが、秘密裏に調査しようものならばきっと元帥閣下の動きで彼が勘づくであろうと、情報部はこれを秘匿し続けたのです』

 

『……ワシもまた枷であったか』

 

『元帥閣下、それこそ勘違いをしないでいただきたい。元帥閣下にしか出来ぬ仕事があるように、情報部や、海軍における様々な兵科にしか出来ぬ仕事というものが存在しております。ただそれだけの話なのです』

 

『……』

 

『結局のところ、我々が掴めた情報は楠木が海外から派遣された艦娘と深海棲艦の動きを察知する研究を行っており、それらの報告が途切れたところから一切の動きが掴めなくなった事と……南方海域を閉鎖する事によって、あの海域へ多くのものを隠蔽し、闇へ葬っているのであろう事しか分かっておりません。最後については、情報部の勘、ですが』

 

 楠木が海外の艦娘と深海棲艦について研究を――?

 深海棲艦の研究と言えば、南方海域で発見された人がいたな、と思い出して、俺は彼女の名を口にする。

 

「南方海域には、ソフィア・クルーズという深海棲艦研究者がいたな。作戦中に発見し、作戦終了後に呉鎮守府に連れ帰ったはずだが」

 

 うーんやっぱ気まずいよこの口調……。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、忠野は頷いた。

 

『ええ、存じております。元帥閣下がアメリカ海軍への引き渡しに手続きしたことも、それを手伝った部署こそ、情報部です。ですから自分はてっきり、大将閣下が楠木の動きを掴んでいて、ソフィア・クルーズなる研究者を救い出して彼を追い詰めたものだとばかり……事実は小説より奇なりとは、全く皮肉なものです』

 

 すみませぇん……だってそれ艦娘が見つけたんだもの! 妖精とさぁ!

 そういや妖精が階級章とか持って帰って来てたな!?

 

 俺は手の平の上でぼーっと立っているむつまるに、おい、と声をかけた。

 

「階級章を持って帰ってきた妖精がいただろう。あれはなんだったんだ」

 

 するとむつまるは言った。

 

「んぇ……? あ、ごめんね。あのひとのことおもいだして、なんか、ぼーっとして……あのひとがのってたひこうきも、まもるも、ずっとわたしたちのことをまもってくれてるんだなっておもったらね、すっごくうれしくてね、むねが――」

 

「それは後でいいから、階級章を呉に持って帰って来た話を――!」

 

「~~~っ! もうっ! おとめごころがわからないんだから! まもるのばか!」

 

 ぴょん、と手の平から飛んでむつまるは、俺の鼻っ柱にビンタを一撃。

 

「いっ……!?」

 

 その時のことである。

 

『……今、閣下の目の前にいる、その、鼻を殴ったのは』

 

「いたた……す、すまない忠野殿、なんだ?」

 

『いや、閣下、目の前におられるでしょう、その、小さな、嘘だろう、まさか、いやいや、橘、おい、あれ』

『忠野も見えるか? なあ、本物かあれは、なあ。いくつも飛んでるが』

 

 全員が病室の外に出て行ってから音量の絞られたはずのスピーカーが振動する。

 忠野、橘と呼ばれた軍人以外も、こちらをじっと見つめる様子が見えた。

 井之上さんもぽかんとした状態で俺と――むつまるに、部屋を飛び交う妖精を見つめていた。

 

 それらが何を意味しているかを呑み込む前に、病室の扉が乱暴に叩かれる。

 

「提督! いるか! 提督!」

 

「なっ!? 長門か!? どうした!」

 

 長門は扉をこれまた乱暴に開けると、握りしめたスマホを俺に突き出しながら言った。

 

「新たな深海棲艦の出現が確認された! 人型の……くらげ、というものとは別の深海棲艦だ! これ、分かるか!?」

 

 スマホにはどのような原理で送られて来たか分からないものの、ぶれた画像が表示されていたが――俺には分かった。

 やはり単体な訳が無いかと考えて、指揮に戻らせてくれるよう頼むべきモニターに顔を向けた矢先に、井之上さんのみならず、忠野や橘が言った。

 

 その大声は俺の心臓を跳ねさせた。

 

 どちらかと言えば、悪い意味ではなく、使命感のような緊張だった。

 

『海原、指揮へ戻ってくれ! お前ならば勝てるのじゃろう!』

『お戻りください閣下、あなたの話を我々は信じます。ですから、どうか!』

『艦娘を――頼みます――!』

 

「……わかった――全力を尽くそう」

 

 安静にすべきだ。ただでさえ腹を開くような手術をして、一晩しか経っていないのだから。

 しかし俺はこんな場所で指揮を執るべきじゃないとベッドから立ち上がった。

 

 痛みに顔を顰めるも、歩みは止まらず。血が滲めど、思考は止まらず。

 

「て、提督!? し、指示はここでいい! 無理に動かなくても――!」

 

「私の鎮守府はここでは無い、柱島泊地にある。長門、ついてこい! 松岡、松岡はいるか!」

 

 大声を上げる俺に廊下の向こうにいたのか、松岡のみならず憲兵隊の男達がすっとんで来た。

 俺は「移動手段を用意しろ、柱島に戻り指揮を執る!」と怒鳴った。

 

「なにを……い、いや、了解しました……! 多用途ヘリを屋上へ回せ!」

 

 目を白黒させている長門は俺の背を支えていたが、俺は振り返ってその手を取る。

 

「長門!」

 

「あっ!? 提督……!?」

 

「深海海月姫を倒すにはお前が必要になる――柱島に戻り次第、出撃準備をしてほしい」

 

「出撃を!?」

 

「事は作戦が終わった後に全て話す。だから今は私を信じてくれ、頼む! お前が頼りだ!」

 

「わ、私が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだ――お前の一撃が、戦況を変える! 作戦に参加するのだ、長門!」

 

 必死さからか、勢いからか、長門はそれに呑まれたように何度も頷いた。


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