あなたが私のマスターですか?─RE:I AM─【チラ裏版】   作:つきしまさん

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ここでORIGIN劇場版が完結
本にして太め一冊分程度です



第16話

 年の瀬を迎えようとしているインダストリアル7の街並みをカーディアス・ビストは車中から眺めた。

 コロニーが竣工して四年が過ぎようとしている。インダストリアル7市内の人口はこれからも増え続けていく。

 開発の度合いで言えば、連邦のMS開発拠点となっているサイド7とそう変わる所はないが、アナハイムと合弁するビストの企業も参列しているため市内の人口密度も高く、現行区域での開発はほぼ済んでいた。

 建造が進むに従って人口は増え続けるだろう。これまで開発されてきたコロニー同様数百万の人口を抱え、やがて宇宙を漂う鉄くずとなるまでコロニーの歴史が続く。

 メガラニカ。インダストリアル7のみが有する唯一の巨大なコロニービルダーはただ黙々と檻の世界を構築し続ける──

 当主不在の間に起きたメサイア強奪事件。その報せをカーディアスは帰港した船の中で聞いた。

 危急の事態を受けての出張は予期していたジオンの動きに対するものであった。

 

「みすみすメサイアを奪われる隙を作ったか……アナハイムもうかつだが、連邦に落ち度を見せたのは不味いな」

「どう対処しますか?」

 

 運転する執事のガエルが前を見たまま問う。

 地球におけるメサイア稼働試験のストーリーは降って湧いたものだった。ビストは一切関与していない。

 アナハイム上層部のごり押しと軍部との共謀。そのようにカーディアスは捉えている。

 遅々として進まぬ新型MS生産の動き、軍首脳部の焦りもあったのかもしれない。MS不要論に固執する高級将校も過半数を占める。

 

「不要だ。何もしない」

「はい……」

「納得いかないか、ガエル。彼女ともう一機のメサイアがあれば良い。ジオンは奇貨を得たかもしれないがな……」

「マーサ様も放っておかれるのですか?」

「あれは泳がせておけ」

「はい……」

「火遊びに懲りるような女ではないよ。マーサは妄執に取りつかれていると言っていい。今はこちらの手元にある方がアナハイムも御しやすくなる。研究所のこともあるからな」

「畏まりました」

 

 マーサが所長を務める遺伝子研究所。立ち上げて二年だが成果を上げている。

 新薬の特許も数種類申請していて、いずれもアナハイムの医薬部門で扱うことが内定している。

 ここにリズエラが深く関与し、さらに狂った実験の産物が潜んでいようなどとは誰も知りえないことだ。

 マーサがうだつの上がらない研究員を副所長にして女王然と振舞っていることも許容している。

 アナハイム内部での発言力を増しているが、今回の件は彼女の権力志向に水を差すものとなっただろうが、諦めることもないだろう。

 当主であるカーディアスはすべて知っている。研究所の建造と新薬開発諸々にゴーサインを出した本人である。

 すべてはビストという贄なくしては生き残れない獣を飼うための決断だ。 

 

「私のたった一つの望み(A mon seul désir)……か」

「何か?」

「何でもない。ガエル」

 

 メガラニカ深部のビスト邸に車がつく。出迎えたメイドたちに赤毛のニムエも混ざっている。

 車を降りたカーディアスは調べの音を聞いた。

 邸宅内から零れ出たメロディはピアノの音だ。その奏では邸宅内から響いてくる。

 

「この曲は……」

 

 自然、足はピアノの調べの元へ向かった。

 細い指が鍵盤の上で踊る。

 アナハイム工専の教室。

 そこにピアノがあってアンナ先生が弾いていた。

 その調べを完全コピーした指先が正確に再現して音を響かせる。

 グランドピアノを弾きこなすのはリズエラだ。

 ビスト邸に在って唯一奏者を欠いていたピアノは、地上で一度解体されて宇宙に上がり、この屋敷で再度組み上げられたものだ。

 長らく弾き手を得なかった代物だが、今ここに奏者を得ている。

 

 オリジナルの曲だろうか? 知っている曲に似た響きのものを探してカーディアスは弾き手の少女を見る。

 何度か同じ曲をリピートしていた手を休め、リズエラは正面からカーディアス・ビストの姿を認めた。

 スカートの衣擦れのかすかな音を立て淑女の礼をしてみせる。社交界で通じる作法はすべて習得済であった。

 着ているドレスもこの屋敷にいる間は上流階級の子女に相応しいものを揃えている。

 これも天然素材のもので、特別な仕立てであるから、一般人からすれば数年分の給与が消える価格だ。

 そのはかなげな姿は彼女がこの屋敷に来た頃と変わらない。永遠にその美しさは保たれ続ける。

 この世界において少女がメガラニカにある限りは……

 その考えを払ってカーディアスは室内に踏み込む。

 

「御当主、お帰りなさいませ」

「ああ……あなたも役目を済ませられたようで何よりです」

 

 メサイアの強奪……とうてい役目を済ませたという内容ではないが、目の前の存在に問うことではない。

 マーサと軍が仕込んだ道化の失敗劇に過ぎない。

 

「月はどうでしたか?」

「月面ピザを食べました。ニムエと博士と一緒に」

「そうですか。ご令嬢の仕事ぶりは聞いています。今後、連邦とアナハイム共同のモビルスーツ開発事業は躍進的に進むことでしょう。アナハイムにとっても我々にとっても大きく」

 

 これから起きる戦争によってビストは獣の巨体をさらに肥え太らせていくこととなる。

 悪魔との盟約。その贄を投じるために用意された箱はブラックホールのように貪欲に餌を求め続ける。

 

「はい……」

「今後のことをメラニー会長と話し合うことになっています。あなたの身の振り方も」

「社交界ですか?」

「それもあるでしょう。だが会長はあなたを決して手放しますまい」

 

 リズエラは応えなかった。

 自分の立場はよくわかっている。アナハイムと……ビスト家にとってリズエラは財を生み出す試金石である。

 もろく弱い地盤にかろうじて立っているに過ぎないのだ。この世界にリズエラが寄るべき縁はかすかな光のみ。

 その光さえもこの広大な宇宙においてはか細く消え去りそうな糸。

 リズエラは窓辺から見える人口の青い空と植え込みの緑を一望する。檻であり、揺りかごとして自分を縛る狭い世界だ。

 庭に立つ赤毛の少女はニムエだ。彼女がガエルと共にいるのを見た。

 アムロ……何をしているのかな?

 冷たいガラスに触れる。

 

「戦争が始まります。それはもう止められない。違いますか?」

 

 窓辺から確信を持ったヴァイオレットの瞳がカーディアスを捉える。

 

「地球の古いシステムと、宇宙で生まれたシステムがひずみを生んでそれはもう止められないのです。それすらも我々は好機と捉え組織を動かし続けなければならない」

 

 ジオンと連邦。いや、宇宙に棄民として捨てられた人類すべてがその軋轢の中で揺らいだ半世紀余り。

 決して止められぬ歯車がもたらすのはお互いを喰らいあう未来だけだ。この歪んだ世界を燃やし尽くす炎となって。

 

「その歯車に私も組み込まれているのですね……世界に死をもたらすために」

「私を恨みますか? あなたを檻に閉じ込め、破滅に加担しろと迫る愚か者に」

「世界は変革を免れない。私が見る夢でも、あなたが見る夢でもありません。世界が見る悪夢を人々は知ることになるでしょう」

 

 カーディアスがその言葉の意味を問う前にリズエラは部屋から立ち去っていた。

 

 

 遺伝子研究所──そう名付けられたインダストリアル7市内にあるこの建物は、市内にあるどの建造物よりも堅固で厳重なセキュリティ対策が施されている。

 この施設が世界でも最先端の技術を研究していることは誰にも知られていない。

 その研究所のトップにあるマーサ・ビスト・カーバインは名ばかりの所長だが、研究員は優秀な者ばかりを揃えていた。

 小さな試験管の中で培養され生み出されるものが新薬に利用され、それが莫大な利益を生み出す。

 アナハイムとビストという、世界を裏から牛耳る組織のトップに近い位置にいるマーサがその権力を堅固にするための砦でもあった。

 眩い光がリズエラに注がれている。

 医療ベッドに寝かされているが覚醒状態にある。拘束具も薬品も注入されていない状態だ。

 リズエラをモニターする部屋の扉が開いてマーサが入室する。少しイラついた様子で。

 忠実なベントナが立って出迎える。

 

「あの子に異常は見つかったのかしら? ベントナ副所長」

「所長、問題はありません。メンタル面、フィジカル面でも正常値を記録しています」

「それがどうしてあんなことになったのかの説明にはなっていないわ、ベントナ」

「は、はい……仰せの通りで……」

 

 メサイア二号機をジオンに引き渡すという現場で起きたイレギュラーな事件。

 眠っていたはずのリズエラが奪われたメサイアとジオン軍を追ったことは起きてはならないこと。あり得ないできごとであった。

 あってはならないことが起きた。マーサにとって不確実なできごとは許されないことだった。

 すべてを手中にしていた空間で起きたひそやかな反乱である。

 

「もっと強力なマインドコントロールが必要ね。自由意志を許さないくらい」

「所長、しかし……それは精神の崩壊を招きかねず……現時点でストレスを過剰に与えるのは得策では……」

 

 その言葉は尻すぼみになって消える。女王の前で反論することなど許されない。 

 

「検体ならいくらでも用意できるでしょう? 彼女を制御できないようでは困るのよ」

「はい、それはもう。強化体でのコントロール実験を開始します」

「あまり時間をかけてもいられないわ。あちらに引き渡す商品を調整して頂戴」

「わかりました。所長。レベルを二段階上げて再調整いたします」

「それでいいわ」

 

 指示通りに動くベントナを視界の隅に置いてマイクを通じて話しかける。

 

「検査は終了よ、リズエラ」

「はい……」

「すべて正常値。健康診断は終わりです。妹たちに会うことを許します」

 

 眩さをアイコンタクトが遮断して無表情を作り出す。

 薄い白衣のリズエラが立ち上がり素足で冷たい床に触れた。肌寒さにもう一枚ゆったりとしたマントを羽織る。

 上にいるマーサと研究員たちから注がれる視線を無視して扉の向こう側に出た。白い照明に照らされた細長い通路はどこまでも無機質に続いている。

 リズエラは突き当りの分厚い扉の前まで歩く。

 遺伝子研究所のよりセキュリティレベルが高い部屋がこの先にある。普通の研究員が立ち入ることを禁じられたエリアだ。

 ここだけではない。同じようなエリアが「隣」に存在するが、リズエラはそちら側に行ったことはない。

 そちら側はこちらと違って人が多いエリアとなっている。

 そこでは被検体とか強化体という単語が使われている。何の実験をしているのかは誰も教えてはくれない。

 ファティマの感覚を狂わせる周波数が建物内部に放たれていて情報の取得は不可能だった。

 所長、副所長クラスが通れるセキュリティをパスする。ごく一部の研究員だけが通行を許されている。

 

 

 

Life Projection System

 

 

 

 部屋に入ったリズエラを迎えるのは透明な筒だ。世界のあらゆるストレスを除外し、あらゆる天敵から生命を守る装置。

 蒼い光を受けた液体の中で養育される幼子たち。リズエラの遺伝子細胞から生み出された研究所最大の機密──

 ファティマから生み出された生体クローンたちがそこにいた。

 

「ただいま、私の妹──」

 

 「姉」の存在に気付いた十二の個体の注意がリズエラに注がれる。その意識の波動を受け取ってテレパシーが伝達される。

 ほぼ同等の遺伝子を持つ姉妹たちはお互いに精神的な繋がりが深い。オリジナルであるリズエラとは生まれたときからテレパスで繋がっていた。

 

(お姉ちゃん……)

(マーマ。マーマが帰ってきたよ)

(ママなの?)

(ねーちゃんだ!)

(どこに行ってたの……?)

 

 一番心細かったという声に引き寄せられて青い筒の一つに手を伸ばした。「12」という番号が割り振られている。

 このラボで一番若い個体だ。1から順番に生み出され12との差は半年ほどと差があるが、皆が同一の姉妹たちだ。

 遺伝子研究所が建造され、0077年にはリズエラの姉妹たちが生み出された。

 最初の個体である1はオリジナルコピーと呼ばれているが、ベースとなるリズエラの遺伝子のコピー可能な部分を用いられ、ファティマが持つマイナスの因子に改良を加えられた。

 アレルギーに対する遺伝子治療の技術もリズエラの遺伝子情報を元に完成させたものだ。

 だがそのすべてをコピーできるほど宇宙世紀の技術は進んでいなかった。特に「騎士」の遺伝子の最深部に達する情報には触れることは叶わなかった。

 焔女帝ナインが施した封印があらゆる干渉を無効にする。

 それでも通常の人間を越える知能と反応速度、身体能力を誇り、寿命も上回った。

 ファティマ同様、血液型はどの種類にも対応し、すでに人工輸血の生産もラインに乗せている。

 それぞれの個体が1以降にさらに改良を加えられてバージョンを上げている。現段階の最終バージョンが12である。

 今後も生み出され養育されるであろうリズエラの兄弟姉妹たち……

 今は自然成長に任せているが、技術の進歩によってより早く成体に成長させる研究が進められている。

 マーサ所長は医療の未来のために必要なことと説いているが、その真相と意図は知りたいとも思わなかった。

 今はこの子たちといることが重要だった。

 

「ただいまトゥエルブ。みんなも偉かったね」

 

 たちまち返ってくる反応がリズエラを包み込む。 

 リズエラが教える外のことに興味津々だ。

 マーサ所長と取り巻きは大嫌い。

 子どもたちの感情が共鳴して筒の液体に空気の泡が舞う。それが浮かび上がって弾けてはまた生まれて浮かぶ。

 静かな空間に音を立てて弾ける気泡たち。

 その音をリズエラは口ずさむ。プルプルと。

 

「プルプルプルー」

(ぷるぷるぷるー!)

 

 1がすぐに応えて寄こす。

 

(ずるい、わたしも!)

 

 3が続く。

 

(プルプルー)

「プルプルプルー」

 

 また泡が浮かんで音を立てる。その音に合わせて姉妹たちが唄う。

 

(ぷるぷるぷるー!)

「うふふ。プルプルプルー!」

 

 十二人の姉妹の合唱が冷たい空間にこだまして青い光に包まれリズエラはただ笑っていた。

 

 

 

 

──現在、グリニッジ標準時二十時零分を回りました。皆さん、記念すべき大晦日の夜をいかがお過ごしでしょうか? 今、一つの世界が終わり、世界が生まれようとしています──

 

 

 

「こっち、こっち、みんなもう集まってるよー」

「タリアが手を振ってます。すぐ行くよー」

 

 大通りを挟んだ路地の向こうから二人を呼ぶタリアの声にニムエが返事を返した。

 冬の装いのリズエラとニムエが街にいる。久方ぶりの同級生との待ち合わせ。

 大晦日の夜をインダストリアル7は迎えている。

 市内は電飾で飾られ、家族連れや若者のカップルが思い思いに一年の最後と始まりを祝おうと町に繰り出していた。

 きらびやかに彩られた世界の中に三人がいる。揃って向かうのは学校の校庭だ。

 先頭を行くのはバーチにクラスメイトの男の子たち。それぞれに進路が定まり、年末年始の行事に浮かれ立っている。

 来年になれば卒業が待っている。その社会人になる前のほんのひと時の青春を楽しんでいた。

 工専在校三年生の最後の大晦日。ニューイヤーを祝う夜に皆で集う最後のイベントだ。

 見慣れた顔も卒業すれば全員が離れ離れとなる。

 タリアが進路をインダストリアル7にある企業に定めたことはもう聞いて知っている。彼女がここに残った理由の一つがバーチ君であることも。

 この夜をパートナー探しの場にする三年生たちは、お目当ての異性に声をかけては手ひどく振られ、またはカップルが誕生している。

 

「また……」

 

 街路で足を止めリズエラは空を見上げた。見ているのはコロニーの天井ではない。

 上空を行きかう電波の流れに混ざり合う通信や建物から発する電磁波などがある。その中にある放送が混じり込んだ。

 特定の周波でファティマのみが感知することができる囁きとなってリズエラに届いていた。

 誰もこの放送を聞く者はいない。半世紀以上前の同じ日の夜に起きた惨劇のことを思い出す者はいない。

 あったとしても、その演説の内容も、歴史の教科書にわずか数行で語られるに過ぎないものとなっている。

 かつてリカルド・マーセナスが説いた言葉は、時の流れと共に人々の記憶から風化して忘れ去られていった。

 その言葉を聴くのはただ一人リズエラだけだった。

 リズエラが立ち止まったことに気が付かずニムエとタリアは先を歩く。

 

「誰かが私を呼んでいる……」

「リズエラさん?」

 

 リズエラに声をかけたのはアンナだった。

 普段よりも大人びた化粧をしているが、教壇に立つ彼女の普段は控えめと言っていい。今の方が年相応の女性らしい姿に見えた。

 とはいえ連れはいなさそうだ。

 アンナに浮ついた話は聞こえてこないが男子学生たちの憧れの的でもある。

 

「あなたもみんなと一緒に来たの?」

「私は……」

「リズ、どうしたのー?」

「今晩は!」

「アンナ先生だー。先生もご一緒に行きますか?」

 

 タリアが誘う先には大きな木に飾り付けた電飾が輝いている。

 そこに多くの生徒たちがこぞって集っている。三年生だけではなく、一年生も二年生もいる。

 飾り付けをした教職員たちも祝いムードの中で普段の厳しい厳粛さはない。

 

「そうね、ご一緒しようかな」

「やった。行きましょう」

「リズ……どうしたの?」

 

 黙ったままのリズエラにニムエが尋ねる。視線の先でタリアとアンナが連れ立って男の子たちと合流する。

 

 

 

──人類史に永遠に刻まれるであろうセレモニーの舞台は、首相官邸<ラプラス>。地球と宇宙のかけ橋となるべく、地球軌道上に設けられた「空飛ぶ」官邸です。宇宙時代の幕開けを告げるのに、これ以上の適地はないでしょう──

 

 

 

「聞こえる」

「うん? 何が聞こえるの?」

「ニムエには聞こえない」

 

 リズエラに語り掛けてくる言葉の波は確かに自分を呼んでいると感じることができた。何者かがソレを使って。

 

「行かないと……」

「え? どこに?」

「呼んでいるから……」

「呼んでるって、誰がですか?」

 

 その問いにリズエラは頭を振った。その誰かを説明する言葉を持たない。 

 リズエラに呼び掛けているのは死人だ。もう故人となって半世紀以上が経つ。

 その声の主が呼び掛けているのだ。

 

「おーい、何してるんだ? 二人とも早く来いよー」

「今、行きまーす」

 

 恋人と並ぶバーチの呼びかけにニムエが応えて振り返るとリズエラはもうそこにいなかった。

 

「リズ?」

 

 雑踏に立ち尽くし、困惑したニムエがリズエラを探すがその姿はどこにもいなかった。

 ニムエを残し、人ごみを越えてリズエラは足を速めた。ファティマが駆ければその姿を常人が捉えることは難しい。

 放送の声は止んだが、特定の周波数を持つ波は発し続けられていた。ファティマの鋭い感覚がその波長にシンクロしている。

 これはメッセージだ。私にだけ聞こえる特別なもの。誰が語り掛けてきているの?

 

 その発信元はメガラニカ最深部から聞こえてくる──

 

 広大なビストの屋敷を一望する場所にいた。この先に自分を呼ぶ者がいる。

 呼吸を整え、一歩踏み出す。また声の焦点が合ってリカルドが語り掛けてくる。

 

 

 

──間もなく西暦が終わり、我々は宇宙世紀という未知の世界に踏み出そうとしています。この記念すべき瞬間に、地球連邦政府初代首相として、「みなさん」に語りかけることができる幸福に、まずは感謝を捧げたいと思います──

 

 

 

「あなたをお待ちしておりました。宗主サイアム・ビストがこの先でお待ちです」

 

 リズエラを出迎えたのはカーディアス・ビストだ。

 

「理由がわかりません。なぜ私を呼んだのですか?」

「それは……宗主から直々にお聞きになるといいでしょう」

 

 ビスト家の当主であるカーディアスの陰で宗主サイアムの力はいまだ健在だ。その答えがすべてを物語っている。

 

「わかりました」

 

 カーディアスの導きのままに邸宅内に迎え入れられ、リズエラは隠された秘密の扉を抜けた。

 最深部に立ち入ったリズエラを出迎えたのは満天の星。ドーム構造の部屋の壁面に映る星々だった。

 全天周モニターの星空の下にベッドがある。そこにいる人物こそがサイアム・ビストその人だった。

 

「初めまして、お嬢さん。ようこそわが氷室へ。私はサイアム・ビスト。地上に落ちたあなたをここに呼んだのも私です」

 

 ここはまさに氷室という場所に相応しい。齢九十の肉体を冷凍睡眠装置を備えたベッドに横たえ、いまだビスト家の宗主としての力を振るう男。

 箱を盾に連邦と渡り合い、一代にして巨万の富を築いた男はリズエラの目にはただの老人にしか見えなかった。

 リズエラの知らぬ歴史をそのしわに刻み続けてきた存在に対する恐れを感じることもない。

 リカルドの語りかけは止むことなく続いている。

 

 

 

〈0078/12/31/23:59:00〉

 

 

 

 時刻がちょうどその時を刻む。

 相対する二人。

 サイアムがゆっくりと言葉を紡ぎリズエラに語りかける。

 

 

 

──現在、グリニッジ標準時二十三時五十九分。間もなくです。この放送をお聞きのみなさん、もしその余裕があるなら、わたしと一緒に黙祷してください。去りゆく西暦、誰もがその一部である人類の歴史に思いを馳せ、そして祈りを捧げてください──

 

 

 

 彼女はサイアムの問いに何と答えたか?

 

 

 

──宇宙に出た人類の先行きが安らかであることを。宇宙世紀が実りある時代になることを。我々の中に眠る、可能性という名の神を信じて──

 

 

 

 可能性の獣──

 それは戦乱の果て、人類を焼き尽くした後に生まれ出るものなのか。

 鋼鉄の救世主が空を駆け巡る。

 白と赤の炎が交わり、混迷が満ちて殺戮をもたらす。

 新たな時代、廃れ行く世紀。

 新年の始まりと共に世界は光に包まれて──

 

 

 

今ここに一年戦争──ジオン独立戦争が開幕する
 

 

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