ラストスタリオン   作:水月一人

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物質と精神の境界

 敵から身を隠す現代魔法は二種類ある。一つは、不可視(インビジブル)の魔法で、文字通り敵から姿を見えなくするものだ。これは光学迷彩みたいなもので、実際には見えているのだが、あたかも対象が背景に溶け込んでいるかのように、視覚的に見えなくなってしまうという魔法だった。

 

 それに対しもう一つは、認識阻害(インコグニション)。こっちは簡単に言えば、視覚や聴覚などの五感を誤魔化すもので、例えば目の前にいる術者が人間ではなくて蟻のように見えたり、話している会話の内容がただの風音に変わったり、例えば犬のように鼻の利く動物に対しては、術者の臭いが危険性のないありふれたものに感じるように、対象の認識を変えてしまうものだった。

 

 これらはどちらが強力ということもなく、状況によって使い分けるか、もしくは複合的に使うようなものだった。不可視は、こと視覚に関しては完全な隠蔽が可能であるが、臭いや音でバレてしまう危険が残っており……認識阻害の方は、注意深く観察されてしまうと簡単に見破られてしまうという欠点があった。

 

 実は、ルーシーは最初からその両方を複合的に使っていた。本人は全く意識していなかったのだが、彼女の現代魔法はレオナルド直伝であるから、普通の術者よりも強力なものを最初から使っていたのだ。

 

 おまけに、認識というものは本人の素質が関係しており、例えば目が見えない人には、不可視の魔法自体が想像すら出来ないように、術者本人の認識力の違いによって、魔法の精度は変わってくる。例を挙げれば、犬は非常に嗅覚が優れているが、人間はそれがどのくらいであるかをイメージ出来ないために、認識阻害の魔法をかけても、案外発見されやすいわけだ。

 

 ところが、ルーシーは1/4が獣人であるため、夜目が利く上に鼻も犬並みと非常に優れていた。そのため、レオナルドと同じ魔法を使っていても、師匠よりも強力な隠蔽が可能になっていたわけである。

 

 そんな彼女の強力な不可視魔法があったお陰で、一行は4人揃って迷宮を進むことが出来た。MPを使わない現代魔法であっても集中力は必要だから、本来だったら一人で行動したほうがよっぽど良いのだが、彼女は苦もなく仲間と共に隠密行動が可能だった。

 

 とは言え、足手まといを3人連れているというわけでもなく、なんやかんやみんなそれぞれ役には立っていた。

 

 ダンジョンは階層が複数あり、おまけに階段を昇ったり降りたりしながら進むという、複雑な構造をしていたが、これにはレトロな3Dゲームをやっていたジャンヌのマッピング能力が非常に役に立った。

 

 彼女は一見して同じにしか見えない迷宮の構造を、全て記憶することが出来たのだ。もしも彼女がいなければ、ルーシー一人では同じ場所をぐるぐる回ってしまい、先に進めなかっただろう。

 

 また、案の定と言うか、迷宮は奥に進めば進むほど敵の数も増えていった。入ってすぐにあれだけの戦闘をこなしたにもかかわらず、奥にはもっと大量の敵が待ち構えていたのだ。

 

 一行は不可視の魔法で姿を隠してはいたが、敵に接触したら流石に気づかれてしまう。そのため、跳梁跋扈する魔物たちの間を注意深く進んで行くしかないのだが、ただでさえ四人の姿を隠蔽している上にそんなことにまで気を配らねばならないルーシーは、段々と気疲れが目立ち始めた。

 

 そしてそんな時、彼女の集中力が途切れて、ふいに戦闘になることがあったのだが、こういう時は即座に範囲魔法が使えるメアリーは頼りになった。彼女のクラウド魔法で大半を無力化したあと、前衛の二人が残った魔物を撃破する。その間に、ルーシーは体勢を立て直して、また不可視の魔法を使い先に進む……

 

 そんな薄氷を踏むような行軍をずっと続けているわけにもいかないので、途中、休憩用に魔物が居ないスペースを確保しなくてはならなかったが、そんな時はサムソン、ジャンヌのコンビは八面六臂の活躍を見せた。

 

 袋小路なっている道を見つけて、その手前の魔物を片付ける。そうやって安全を確保した一行は、ようやく腰を下ろして人心地をついた。ルーシーは腰を下ろした瞬間に、即座に襲ってきた眠気に抗いながら、ため息交じりに言った。

 

「やっぱ、おじいちゃんは凄いなあ……こんな迷宮を一人で攻略したなんて」

「まったくね……敵に見つからないように行動するだけじゃなく、この複雑な迷路も突破しなきゃいけないんだから、ちょっと信じられないわね。つまりタイクーンはこれを、休憩も取らずに一気に駆け抜けたわけでしょう?」

「私一人じゃ絶対に無理だったよ。みんなについてきてもらって良かったあ~……」

 

 ルーシーは感謝の言葉を述べながら、うつらうつらと船を漕いでいる。その姿を見るからに、そろそろ限界のようだ。ジャンヌたちはお互いに頷きあうと、

 

「ルーシー、ちょっとだけなら大丈夫だから、魔法を解いて少し眠ったら?」

「大丈夫……って言いたいところだけど、ゴメン。30分くらいでいいから、ちょっと横にならせて?」

「ええ、あなたが眠ってる間は、絶対にこの場所を死守するから、私たちを信じて安心して眠ってちょうだい」

「それは……もちろん……信じてる……」

 

 ルーシーは掠れるような小さい声でそう呟くと、そのまま寝落ちするように地面に吸い込まれていった。

 

 その瞬間、さっきまで静かだった通路の先に、魔物の気配がし始めた。

 

 これだけの魔物すべてから、4人が見つからないように隠蔽し続けていたのか……ルーシーは師匠が偉大だと言っていたが、彼女自身も十分に凄いとジャンヌたちは舌を巻いた。

 

 それにしても、最後に別れた時から見違えるように強くなっている気がする……ネウロイ行きが転機となって、彼女もまた成長したというのだろうか。これは負けられないなと気合を入れ直して、ジャンヌたちは彼女に一時の安らぎを与えるために、魔物の群れに飛びかかっていった。

 

********************************

 

 そんな具合に休憩を挟みながら、一行は少しずつ迷路を攻略し、ついにダンジョンの最深部に到達した。それは頭の中に完全な地図を作り上げたジャンヌが、総合的に判断して間違いないと太鼓判を押しただけでなく、ひと目見ただけで誰もがここが終点だと分かるような場所だった。

 

 そこは今までの画一的な通路とは打って変わって、巨大な空間が広がっており、その中央にはこれまた巨大な穴が開いていて、その中に大量の魔物が蠢いていたのである。

 

 穴の中の魔物たちは時にお互いに殺し合い、犠牲となった個体の血肉を奪い合ってその中で生き続けている……まさに蠱毒と言うに相応しい場所だった。

 

 そして、強烈な臭気とおぞましい鳴き声が反響する穴の中央には、まるで塔のように突き出た小高い丘があった。それはほぼ垂直の崖になっており、穴の中の魔物たちが登ってくるのを阻んでいたが、その気になれば他の魔物を蹴落として登ってこれるような、絶妙の高さだった。

 

「ねえ、あれを見て!」

 

 そう言ってジャンヌが指さした丘の上には、いかにも意味深な椅子がぽつんと一脚だけ置かれていた。その椅子の向こう側には、丘に通じる唯一の吊橋が架っており、それは穴の外周に沿って作られたキャットウォークみたいに細い通路の先に繋がっている。

 

 吊橋は今にも落ちそうなくらいボロボロで、4人同時に渡るのは危険そうだった。いやらしいことに、橋は部屋の入り口から丁度反対側の位置にあり、まるで細い通路を通ってここまで来いと迷宮の主が言ってるようだった。これらの状況から推察するに、おそらくこの迷宮の終点はこの部屋というより、あの椅子なのだろう。

 

 だが、あそこまで行くのは相当度胸が必要そうだ……出来れば率先して行きたくはない。ジャンヌ達がお互いにそんな顔をしながら、どうしようかと目配せしていると、メアリーが進み出て言った。

 

「別にあの吊橋を渡る必要は無いわ。これだけ広ければ空を飛んでいけるもの」

「そっか、メアリーの古代呪文(レビテーション)があったわね」

 

 それなら4人同時にあそこまで行ける。彼らは喜々として中央の丘まで飛ぼうとした……ところが、その瞬間、彼女の魔法で巻き上がった風に反応して、穴の中の魔物たちが騒ぎ始めた。

 

 レビテーションは風圧で空を飛ぶため、どうしても室内では目立たずに居られないのだ。どうやら、この一回だけで、穴の中の魔物たちはメアリー達の姿に気づいてしまったようである。

 

 魔物たちが奇声を発し、物凄い勢いで壁を登ろうとし始める。メアリーは慌てて魔法を解除し、ルーシーがまた調子っぱずれな歌を歌って、どうにか不可視の魔法をかけ直す……

 

 魔物たちは風が収まってからも暫く大騒ぎをしていたが、やがてどこかで不運な個体が犠牲になると、またその屍肉を求めて争い始めたようだった。

 

「……ごめん、危うく全滅するところだったわ」

「みんな予想できなかったんだから仕方ないわよ」

「でも、困ったわね。せっかくここまで来たというのに、このままじゃゴールに辿り着けないわ」

 

 メアリーはがっくりと項垂れている。今の反応からするに、正規ルート以外の方法で島に渡ろうとしたら、また穴の中の魔物に見つかってしまうだろう。だが、吊橋を渡れるのはせいぜい一人ずつが限度であり、全員で渡るのは正直現実的ではない。

 

 と言うか、この中で中央の島に行けるとしたら、ルーシー以外にはあり得なかった。何しろ、彼女以外に不可視の魔法を使える者はおらず、そんな彼女から離れてしまえば魔法は解けてしまう。

 

 彼女が居ない間は、部屋の隅に隠れてやり過ごすことは出来るだろうが、彼女から離れて吊橋を渡ろうとしたら、下の魔物に反応されて、ものすごい勢いで襲われるだろう。それは誰もが理解していた。

 

 だから、自然と視線がルーシーに集まっていった。他の3人が表情を窺う中、彼女は額に汗をびっしょりとかき、緊張した面持ちで下唇を噛み締めながら、じっと島の上にある椅子を見つめていた。

 

「……せっかくここまで来たとはいえ、命をかける必要までは無いわ。残念だけど、引き返しましょう」

 

 そんな強張った表情のルーシーを慮って、ジャンヌが優しく言った。しかし、ルーシーは首を振ると、

 

「そうしたいのは山々だけど、命がかかってるのは私だけじゃないんだよ。忘れたの? ここには鳳くんを助けるために来たんだって」

「でも、白ちゃんなら最悪死んでも生き返れるかも知れないじゃない。なんでか知らないけど、彼は勇者召喚で蘇るらしいから。もしかしたら、そうやって連れ戻すのが最善かも知れないわよ……?」

「でもそれは、鳳くんが死ぬほどひどい目に遭うってことでしょ……しかも、絶対とは言い切れない。何の保証もないんだよ。だから、やれることはやっとかないと」

「……本当に行く気?」

「うん」

 

 ルーシーは、ふぅ~……っと長い溜息を吐いてから、額の汗を腕で拭った。どうやら覚悟は決まっているらしい。ジャンヌたちは目配せし合うと、

 

「……それじゃあ、俺たちは下の連中に気づかれないように、部屋の隅っこでおとなしくしているぞ」

「私たちの心配はしなくていいからね。あと、何かあったら、全力で助けるから心配しないで」

「もしも下に落っこちちゃったら、すぐにスタンクラウドを連発するから! ……すっごく痺れるかもだけど、恨まないでね?」

 

 彼らは三者三様にルーシーの背中を押した。彼女はそんな仲間たちに勇気をもらうと、ぱちんとほっぺたを叩き、気合を入れ直してから、ゆっくりと崖に張り付くように、細い通路を歩き始めた。

 

 道は細く、前を向いて歩くことは出来ないから、崖に顔を向けてカニのように歩いた。下を見ると蠢く魔物の影に怯えなくてはならなかったが、足元を見ないわけにもいかないから、必死に気にしないようにしながら進んだ。

 

 部屋は広くて、見た目以上に道程は長かったが、どうにかこうにかその狭い通路を抜けた彼女は、今度は今にも崩れ落ちそうな吊橋に取り掛かった。今度も足元を見ないと板を踏み外してしまいそうで、嫌でも下で蠢く大量の魔物に目を奪われた……

 

 だが、恐怖を抱いてしまったらそこで終わりだ。一瞬でも気を抜いて、不可視の魔法が途切れてしまえば、また一斉に魔物たちは暴れだすだろう。認識阻害の魔法が不十分であれば、彼女の美味しそうな臭いに釣られて、あの仲間を貪り食う連中が押し寄せてくるに違いない。

 

 額から流れ落ちた汗が顎の先から落ちそうになる。もしもそれが橋の下まで落ちしたら、その瞬間に彼女の存在がバレてしまうかも知れない。冷や汗をかくのも、ため息を吐くのも、今の彼女には許されなかった。

 

 彼女は恐怖心を克服するためにも、ひたすら無心で一歩一歩踏みしめるように前に進んだ。

 

 そしてようやく中央の島に到達した瞬間、彼女は全身がガクガクと震えだした。それは恐怖心から来るものではなく、あまりにも疲れ果てていて力が入らないからだった。こうしてここまで来たは良いが、また同じ道を通って帰れるのだろうか……? そう考えると気が遠くなりそうになったが、対岸でこちらを心配そうに見つめている仲間の姿を見て、彼女はどうにか踏み止まった。

 

 目の前には、何の変哲もない椅子がぽつんと置かれている。近づいて見たら何かあるだろうと思っていたが、こうして実際に近くに来ても、それは何もおかしなところがないただの椅子にしか見えなかった。

 

 周囲をぐるりと一周し、背もたれをグイグイ押してみてグラつきが無いのを確認すると、彼女は座面をパタパタ叩いてから、そっとそれに腰掛けてみた。

 

 いきなり壊れたりしないかとちょっとヒヤヒヤしたが、別にそんなこともなく、背もたれに体重をぐっとかけても椅子はびくともしなかった。こんな部屋の中心に意味深に置かれてあって、絶対に何かあると確信していたのに、ここまで来て何も起こらないなんて……彼女は肩透かしの結果に困惑した。

 

 これからどうしようか……何も無かったと報告するために、またあの細い道を通って戻ったほうがいいのだろうか? 自然とため息が漏れそうになる……

 

 だが、少しでも気を抜いたら魔物に気づかれてしまうだろう。彼女はそうならないよう、出来るだけ穏やかな気持ちで、椅子に腰掛けたまま、瞑想するように、己の存在を消すことに集中していた。

 

 と……その時だった。

 

 じっと気配を消すことだけに集中していたからだろうか? 唐突に、そして速やかに、彼女の耳から周囲のざわつきが薄れていった。あまりにも集中しすぎて周囲の音が遮断されるということがあるが、そんな感じだろうか……彼女は自分の意識が現実から隔絶されていくのを感じた。

 

 それが思ったよりも心地よくて、まるでぬるま湯に浸かってるような錯覚を覚えた彼女は、ここに来るまでに払い続けていた緊張感を解すように、じっとその感覚に意識を集中した。

 

 音はどんどん遠ざかっていき、辺りは静寂に包まれる……

 

 彼女はこうなってくると段々煩わしくなってきた視覚情報をも消すために、敵のど真ん中だというのを忘れて目を閉じた。ところが、普通なら目を閉じたら真っ暗になるだろう視界が、何故かその時は真っ白く染まっていた。それはまるで眩い光の中にいるかのようだった。

 

 音もない真っ白な世界に彼女は一人ぼっちだった。いくら集中力を発揮したからってこんなことにはならないだろう。もしや、これは迷宮の仕掛けか何かだろうか。彼女は不思議に思って目を開いた。

 

 すると彼女が目を開いたにも関わらず、視界は相変わらず真っ白だった。白くて何もないだだっ広い空間に、彼女はぽつんと椅子に腰掛けていた。さっきまであれだけいた魔物は一匹もおらず、ついでに仲間の姿もどこにも見えない。

 

 ポータル魔法みたいに場所が変わってしまったのだろうか? それとも、幻覚を見ているのだろうか……彼女は椅子に腰掛けたまま、じっと周囲の様子を窺った。

 

 と、その時、彼女の耳に、微かな物音が届いた。それはカツカツと地面を蹴る足音で、背後から徐々に彼女の方へと近づいてくる。普通ならその足音に驚いて振り返りそうなものだが、不思議とその時の彼女には、それが危険なものには感じられなかった。

 

 足音はどんどん近づいてきて、やがてはっきり耳に届く距離までやってきた。音は彼女が座る椅子を迂回するように移動して、ついに彼女の目の前へと回り込んだ。

 

 ぼんやりとその足音を聞いていたルーシーは、その時になってようやく顔を上げ、自分の前に佇んでいる者の顔を見た。するとそこには飾り気のない灰色のローブを纏い、左右に大きくて丸いガラスの入ったゴーグルと、奇妙な鳥の嘴みたいなマスクを被った男が、ぬっと彼女を見下ろすように立っていた。

 

 光が反射して眼鏡の中は見えず、それがまるで巨大な鳥の目のようだった。男は見上げるルーシーにも見やすいように、手にした椅子を掲げると、

 

「座ってもいいかい?」

「どうぞ」

 

 彼女がそう返事をすると、男は持ってきた椅子を地面に置いて、まるで食卓につくような気安さで、彼女の対面に腰を下ろした。

 


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