年速36キロメートル   作:多手ててと

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【注意点】

あのエンディングの後に、貴樹と明里をくっつけるというコンセプト上、原作エンディング時点で描かれている、明里の幸せな結婚生活がぶっ飛びます。

また原作、小説版2冊、コミカライズ版には、それぞれで異なる描写がありますが、本作は基本一番解釈の余地の大きな、原作(映像版)基準で書いています。小説版2冊とコミカライズ版からは、本作を書くために都合のいいエピソードだけを採用しています。

例えばコミカライズ版では、最後に花苗が出てきますが、本作で彼女は一切出てきません。


01.踏切

遠野貴樹は踏切の向こうに誰もいないのを見て、幾何(いくばく)かのショックを受けた。先ほどすれ違った女性は明里に違いないという気持ちと、やはり違ったのかもしれない、という双方の気持ちが揺れ動く。いずれにしてもあの女性はとても綺麗で、幸せそうに見えた。

 

それを見て、自分がこれまでしてきたこと、自分をここまで突き動かしていたもの、そして今の自分がどういう存在なのかにようやく気が付いた。貴樹は自分自身がはるか昔に壊れていたたことにようやく気が付いた。

 

かつてあれほど恋焦がれたあの女性かもしれない人とのすれ違い、しかも彼女は自分と目を合わせることなく去って行った。そのことでようやく思い知らされた。

 

自分にとって、篠原明里の存在がいかに大事だったこということを改めて自覚した。自分がいかに彼女のことだけをひたすらに求めていたかということを自覚した。これまでの人生で、彼女だけが貴樹を理解し受け入れてくれた。いや違う、彼女しか貴樹を理解できないと思い込んでいたのだ。

 

それなのに、貴樹は明里との連絡を絶った。高校時代でも、東京の大学に進学した時にでも連絡を取ればよかったのにそれをしなかった。そして澄田をはじめ、多くの女性たちに中途半端に優しくし、その核心で彼女たちを拒んできた。

 

自分にとっての明里の存在と、明里にとっての自分の存在、それが違うのは当たり前だ。あの完璧すぎた13歳の夜はあまりにも遠い。その遠さに気が付いていながら連絡を絶ち、連絡を絶ったことによって、より激しく明里を求めてしまっていたことが、ようやくわかった。

 

先ほどの女性はやはり明里で、彼女は貴樹のことを心の中で整理することができたに違いない。だから振り向こうとして、結局はそのまま立ち去ったのだろう。だからこうして自分だけが踏切に立ち尽くしている。その事実が貴樹にもたらしたのは、決して明里を失ったという、喪失感だけでは、痛みだけではなかった。

 

これまでの自分を突き動かしていたのは、明里を守るための力を得ること。それだけを切実に求め続けていたのに、それすらもできなくなった自分がここにいる。それでもこれからまだ他の何かができるはずだ。そういう確信もまた同時に感じた。自分でも未練がましいと思える時間、踏切の向こうを側を見ていた貴樹は、(きびす )を返して再び、元の方向へと歩き始めた。

 

街中をゆっくり歩きながら貴樹はこれまで自分が出会った女性達との別れを思い出していた。

 

『貴樹君はこれからもきっと大丈夫』

 

そう言って走り出した電車の窓に手を当てた明里。貴樹自身もあの時、彼女とはもう一緒にいることができないことを確信していた。それなのに貴樹は手紙を書くと、電話をすると彼女に告げた。

 

その反面、明里は貴樹に別れを告げていたのだろう。貴樹が種子島に引っ越すことが決まった時点で、もう別れを口にするだけの覚悟が、文通が続かないことに対する覚悟ができていたのだろう。そのことに貴樹は今になってようやく気が付いた。

 

『ずっと遠野君のことが好きだった。今までありがとう』

 

空港で泣きながら微笑みを浮かべた澄田。笑いかけることができなかった自分。

 

『今まで1000通のメールを送りましたが、心は1センチしか近づくことができませんでした』

 

長いメールを、おそらくは泣きながら送ってきたリサ。貴樹は彼女に最後まで「好きだ」と告げることもできず、ただ苦しめることしかできなかった。

 

他にもこれまでに出会い、そして別れてきた何人かの女性たちを思い出した。彼女たちの誰一人にも報いることができなかった自分のことを改めて思い知らされる。

 

彼女たちの言葉もまた、今も貴樹の胸に残り続け、貴樹に苦味をもたらしたが、また同時に貴樹を動かす力にもなっていた。次に彼女たちに代わる存在に出会えることができたなら、自分はその人を心から愛することができるだろうか? もちろんそれはわからない。

 

でも、今の自分にはこれまでとは違うことができるはずだ。13歳の時に感じたこの世界の真実を、これから求め続けてしまうのかもしれない。でも、きっとこれからは他人を拒んだりせずに、世界ともっと折り合いていけることができるはずだ。貴樹は何の根拠もなくそう思った。

 

そしてもしあの女性が明里で無かったとしても、明里にはどこかで幸せであってほしい。明里だけでなく、自分が幸せにできなかった、澄田やリサにも幸せであって欲しい。貴樹と共にいた時よりも幸せになってほしい。それを切実に思った。

 

貴樹は今日はこの後は仕事をせずに、街中を歩いて回ることにした。東京ではたいていの公園に桜の木がある。それらは1本1本がすべて違う場所に生えていて、まだ八分咲きのものもあるし、満開を過ぎたものもある。貴樹はどの公園ても、それらをゆっくり見ながら、秒速5センチメートルで散りゆく花びらを見つめた。日が暮れてからも公園から公園へとハシゴして回った。

 

『まるで雪みたいじゃない』

 

小さな公園の半分程を占める桜を見上げながら、貴樹は来年はこの桜を誰かと見上げることができるだろうかと考えた。

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