年速36キロメートル   作:多手ててと

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10.絵本と図鑑とメールアドレス

その日、明里は早番だったので、7時半には店について開店準備をしていた。8時に店を開けると、通勤客が少しづつお店に入って来る。この時間はパート社員もバイト社員もいないので、正社員が少しづつレジに入ってお客様対応をする。8:45分あたりが朝のピークで、その後はそれぞれの持ち場で仕事をする。

 

間の悪いことに、今日は元々余剰人員がいないのに加え、夏風邪で来れなくなったバイトの子がいる。こうやって朝のうちに連絡してくれるだけましだ。早番の社員の少なくとも一人に残業してもらわないといけない。最近の残業数やそれぞれの家庭事情などを勘案して、今日は明里自身が残業することにした。

 

その次に、今月末で辞めるパートの人がいるので、代わりに採用する人の面接のスケジュール調整、それから在庫の確認と新刊のチェック。本社からくるキャンペーンとの調整、そういった毎日の日課をこなす。

 

昼のピークが終わった後は、ここ何日か手を付けられていない絵本の本棚の整理をすることにした。明里が担当の本棚に行く途中、図鑑のコーナーで一人の幼い少年が図鑑をパラパラとめくっていた。

 

あの少年には見覚えがある。この前もこのお店に来てくれた。同窓生の佐々木さんの子どもだ。いくら家が近いと言っても、幼稚園児を一人でここに来させないだろう。おそらく佐々木さんもすぐ近くにいるはずだ。明里は少年と目線の高さを合わせて聞いてみた。

 

「おはよう。この前の本どうだった?」

 

少年はちゃんと明里のことを覚えてくれていたようだ。

 

「うん、面白かった。僕はああいう楽しい絵本がいいや」

「今は何を見てるの?」

 

明里は少年の読んでいる図鑑をのぞき込んだ。そこには宇宙船の写真があった。

 

「今度おばあちゃんのおうちに行くの。その時、ロケットを打ち上げるところを見るの。スゴい楽しみ。離れたところから見てもきれいだって、ママが教えてくれた」

 

「ロケット?」

 

明里が男の子に聞いたら、その時横から佐々木さんの声がした。

 

「ああ、知らなかったと思うけど、私の実家って種子島なのよ。だから子どもの時、何度か打ち上げを見たことがあるの。島のどこに居ても打ち上げられるロケットが見えて、あれはなかなか見ものよ」

 

種子島!

 

その地名が明里の頭の中で響く。もしかしたら、との思いがある。今の明里は仕事中。でもここで聞き損ねたら、絶対に後悔するはずだ。明里は自分の中のスイッチが入ったのがわかった。

 

「佐々木さん、いきなりで申し訳ないんだけど、ちょっと教えて欲しいことがあるの。あのね。私小学生の時に仲の良かった子が、中学の時に種子島に転校していったんだ。もしかしたら知ってるかな? 遠野貴樹くん、っていうんだけど」

 

佐々木さんは少し驚いた眼で明里を見た。

 

「あの遠野君と仲が良かったの? 私は中学は違ったけど、高校は彼と同じクラスだったわ。少し前に東京での同窓会でも会ったわよ」

 

それを聞いて明里は自分が抑えられくなった。仕事中だというのにスイッチが入った明里は止まらない。止めることができない。

 

「じゃぁ佐々木さん、遠野くんの連絡先を知らないかしら? 実は遠野くんに謝らないといけないことがあるの」

 

佐々木さんは少し黙って明里を見つめている。しばらく沈黙が続いた後に佐々木さんが明里に問いかける。

 

「篠原さん、もしかしたらだけど、彼を見て逃げ出した初恋の女の子ってあなたのこと?」

 

明里は、そんなことまで佐々木さんが貴樹くんから聞いていることに驚いた。だがここは正直に話す以外の方法はないだろう。

 

「そうだと思うわ。彼と再会した時、私はまだ結婚していたから。だから貴樹くんから逃げ出したの」

 

佐々木さんはまた少し何かを考えていた。

 

「じゃあ篠原さん、私とあなたが連絡先を交換しましょう。私から遠野君に連絡してみるわ。私も知っているのは彼のメールアドレスだけだし、携帯のアドレスじゃないから、もしかしたら少し時間がかかるかもしれない。それでもいいかしら?」

 

明里はうなずき、佐々木さんと連絡先を交換した。具体的には携帯のメールアドスと電話番号だ。普通に連絡先と言えばこの二つを交換すると思う。それなのに佐々木さんは貴樹くんの携帯じゃないメールアドレスしか知らないという。会社のアドレスなのかな。貴樹くんが携帯を持っていないとは思えない。

 

「遠野君は大学を卒業後、しばらくソフトウェアの開発会社に勤めてたんだって。今はフリーのプログラマーだって言ってたわ。それなりに楽しくやっているみたいだから驚いたの。高校時代の彼はどこか遠くばかりを見つめていたから」

 

そういって佐々木さんは明里を見た。

 

明里には大人になった貴樹くんの想像がつかない。明里が知っている小学生の、中学1年生のイメージと異なる。貴樹くんが同窓会に出席している姿も思い浮かばない。自分が変わったように貴樹くんも変わっているのは当たり前のことなのに。

 

佐々木さんは早速貴樹くんにメールを書いてくれると言ってくれた。明里はスイッチが入ったまま、その日の仕事を終え残業まで終えた後、メールを確認したが、貴樹くんからのメールは来なかった。次の日起きた時、仕事場に着いた時、仕事も休み時間の度にメールがきていないか見たが、貴樹くんからのメールは来なかった。

 

中学高校時代、ポストを開けては貴樹くんからの手紙が届いていないのを確認していたことを思い出した。

 

そして数日後、ようやく待ち望んだ貴樹くんからのメールが明里の携帯電話に届いた。

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