瓶詰めの終末   作:eliS*m

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すみません、前の投稿から随分と空いてしまいました。
なんとかまたペースを取り戻したいところです……。


11、ストーカー 前編

「ありゃ……これはどうしようもなさそうですね……」

 

 アリサは諦めたように呟く。

 

 あれだけ終わりのないように思えた真っ直ぐな旅路は、それこそ唐突に遮られた。

 彼女達の目の前には、巨大なゲートが立ち塞がっていた。アリサが村にいた時に住んでいた小屋の二倍か三倍の高さはありそうだ。

 こういったゲートは何度も見かけたが、その殆どが開きっぱなしだったのに対して、これは完全に閉じられてしまっている。鼠が(この場合はミュータントの大ネズミ(・・・・)ではなく、普通の鼠のことだ)這い出る隙間もない。

 

 明らかな障害に衝突したのはこれが初めてではない。道や天井が一部崩落していたり、ミュータントに遭遇したことは何度もあったが、今までは乗り越えることができていた。

 だがこれはどうだろうか。分厚い金属製の()は力押しに突破し難い。かといって本来のやり方で開くのは不可能だろう。古臭い電源パネルの操作方法をアリサは全くわからないし、そもそも電力が来ているのかさえ期待薄だ。

 非常用の赤いランプは壊れているのかもしれないが真っ暗で、ゲート横の天井近くに並んでいる換気用のファンさえ動いていない。

 

 途方に暮れてしまった。この先に道があるにしても、これでは行き止まりも同然だ。一旦引き返して、横道へ進むしかないだろうか。

 水路はとっくの昔に壁の中に消え、一本道だけが長く続いていた。一番近い別の通路へ行くにもまた一日中歩かなければならない。

 

 その苦労を思って溜息が出るものの、こればかりは致し方ない。

 けれども、もしかしたらこの向こうは人間の居住地かもしれない。あるいは、反対側からなら開ける術があるかもしれない。

 そんな都合が良いこともそうそうないだろう。本気にしていたわけではないが、一抹の思いをかけた。

 

「ベラ、あそこから先の様子を見てくることってできますか?」

 

 アリサは換気用のファンをライトで照らし出した。壁を登れる彼女なら、恐らくその先に行くこともできるだろう。

 光を向けても奥までは見えず、どうなっているかここからでは分からない。だが、いずれは反対側に繋がっているはずだ。

 隙間は狭く、アリサがベラにしがみついたまま通ることは少々難しそうだが。ベラだけなら、恐らく通れるだろう。

 こくりと彼女は頷く。

 

「私は暫くここでゲートを開けられるかどうか調べてみるので、あなたは上からどうなっているか確認してきてください。もしかしたら、そっちからなら何とかできるかもしれませんし」

 

「……わかっタ」

 

 ベラは脚を素早く動かすと、壁を何の苦もなく登り始める。遠ざかっていくその背中に声をかけた。

 

「無茶はしないでくださいね!駄目そうだったら戻ってきてください!」

 

 彼女はこちらをちらと見、真っ白い手を挙げて応じると隙間に身を押し込め、奥の暗い空間に入り込んでいった。

 

 

 

◾︎

 

 

 今日の人類が住む「基盤」であるが、人の手が付かない場所は多く、対策もなしに探索を行うのは非常に危険である。しかし、不思議なアーティファクトや新しい発見、冒険そのものを求めて旅をする人間は後を絶たない。

 「冒険者」「探索者」「深淵歩き」「スカベンジャー」。彼らは様々な名で呼ばれ、そして自称する。

 「ストーカー」も特殊なれど、その一つに数えられている。

 

 「辺境の旅路」上巻より。

 

 

 

◾︎

 

 

 ベラを見送ってから既にそれなりの時間が過ぎていた。彼女は未だに戻らず、アリサは一人待ち惚けている。

 駄目元だが、思いつくことは大体やった。けれども操作盤はうんともすんとも言わないし、がっちり閉じられた扉は全く動かない。あの換気口以外に通り道になりそうなものもない。

 

 この無駄な奮闘の末、アリサは結論付けた。少なくとも自分にこのゲートを抜けることはできないと。

 

 こうなるとやはり、どうしようもない。ベラが戻ってきたらさっさと引き返すことにしよう。

 

 アリサは壁にもたれかかって座り込んだ。今日も結構な距離を歩いたから、足も正直疲れている。少しくらいは疲れを抜いた方がいいと思って、軽く目蓋を閉じた。

 

 周りは不思議なほどの静寂に包まれていた。思えば、一人きりになるのは暫くぶりだ。最近はどこに行くにしてもベラがずっと近くにいたものだから、少しばかりの違和感を覚える。

 何とも言えない、居心地の悪さ。彼女の尻尾が脳裏に揺れ、無性に恋しくなった。

 

 やることもなく、寂しく物思いに更けていると、アリサはずっと遠くの方から低い地響きのような音がすることに気がついた。

 反射的に辺りをライトで確認するが、周りに異常は特にない。それもそのはず、その音は自分達が来た方角からやって来ているのだから。

 

 不安に襲われる。頭に浮かぶのは以前に遭遇したアノマリーの類だ。そうでなくても、それがアリサにとって良くないものであろうことは何となく想像がつく。

 得体の知れないものはまず警戒すべきだ。「基盤」は摩訶不思議なことだらけだが、その大半が大なり小なり人間にとって災いであることをアリサはもう知っている。臆病であることを恥じる必要性は何処にもなかった。

 

 嫌なことだが、慣れたものではあった。だが、いつも身を守ってくれるベラは今いない。この時、自分の身は自分で守らなければならなかった。近くの物陰に身を隠し、拳銃を取り出す。

 

 それは異常なほどの速さでこちらに近づいている。

 ただのミュータントだったとしても、ほぼ丸腰のアリサにとっては危険極まりない。なにより、これは絶対にただの(・・・)代物ではないだろう。普通じゃない。生唾を飲み込むが、これは――。

 

 白い閃光が闇に浮かんだ。段々とこちらに近づいてくるにつれ、強烈なものになる。地響きの音と共に、何かが削られる、あるいは引き摺られるような独特な音。

 アリサはとっさに身構えるが、次第に明らかになるその姿を捉え、予想もしていなかったその正体に一瞬我を忘れて呆然とした。

 

 それは、アリサにとっては不思議な形をした人工物だった。背は低く、平べったいが巨大であり、箱型だ。上部からは騒音に合わせて白い煙を吐き出している。全周が鉄板で覆われ、左右の履帯が忙しなく動いている。

 

「車……?」

 

 アリサは酷く惚けた様子で呟いた。

 彼女にとって車を見ることは初めてではない。村には古いトラクターがあって、共有の財産として使われていた。燃料の消費が酷いからといって滅多に表に出されなかったが、それでも村にとっては宝物と呼べるほどのもので、貴重品だった。

 だが、それもこれに比べればどうだろう。よっぽど小型だったし、なによりもこんなに重厚な作りでもなかった。

 

 車をミュータントが使うはずがない。こういった人工物は、人間のものだ。

 

 アリサの目的は思わぬ形で達成された。待ち望んでいた人間との遭遇に、アリサはどう反応すればいいのか頭が追いつかない。何も用意ができていなかった。物陰から出て、ふらふらと歩き寄っていく。

 全身がヘッドライトに照らし出され、思わず身を捩る。車両は少し離れた位置で停車した。ハッチが開いて中から人が出てくる。

 

 大人の女性だった。彼女は物珍しい迷彩服に身を包み、手には長い棒状のもの――恐らくは自動小銃の類――を持っている。分厚いベストは弾倉やその他のもので膨らんでいるのだろう。人目見ただけで戦闘要員であると分かる、軍人然とした格好。

 少し燻んだ色の金髪を後ろで縛っていて、少し離れたここからでも彼女が端正な顔立ちをしていることが分かった。

 

 アリサは内心安堵した。格好は物々しいが、盗賊や追い剥ぎと聞いてイメージするようなものではない。

 正直な話、たとえ人間に出会えたところで相手が友好的であるとは限らなかったのだ。自分を見るや否や、襲いかかってくる類の悪人だっていることだろう。ひとまずそういう相手ではないと思い、表情を綻ばせた。

 

「そこで止まりなさい!」

 

 だが予想に反し、その女性は大声で叫ぶと、手に持っていた小銃をこちらに向けた。銃身に取り付けられたライトもまたアリサを捉えている。

 びくり、と身が竦み上がる。まさか銃を向けられるとは思っておらず、アリサはとっさに両手を上げた。

 

「あ、あのあの!私、迷ってしまっていて!あ、怪しい人間じゃないです!私、良い人間!」

 

 自分でも何を言っているのか分からなかったが、それでも必死に敵意がないことをアピールし、安全であることを証明しようとする。

 

 彼女は銃口を向けたままこちらにやって来ると、警戒心を隠さずにアリサに問答を重ねる。

 目を開けているのかさえ分からない、重度の糸目。それでも、突き刺すような鋭い視線を感じた。

 

「武器は?」

 

 その口振りは、ないはずがないという前提から成り立っていた。

 

「ポケットに拳銃があります!」

 

「どうしてこんなところに?随分と若いけど」

 

「住んでた村から逃げてきたんです。それで、迷ってしまって――」

 

 そんな問いかけを幾つか。アリサは小柄な上、実際まだ十五歳。たった一人で居住地の外を歩くには余りには正直幼過ぎるし、怪しまれるのも無理はないだろう。

 村から逃げ出した理由に関しても聞かれたが、軽く説明をすると彼女はふぅん、とだけ鼻を鳴らした。少し心配ではあったが、特に気にしている様子はなさそうだ。むしろ興味がないといったところか。

 考えてみれば、流行病にかかったから追い出された、とかいう理由を想像されてもおかしくはなかったのだ。そういったことに比べれば、所詮そんなことでしかない。多分、ありふれたことなのだろう。

 

 質問攻めも一段落してアリサはほっと息を吐く。乗り切ったようだ、と安堵する。だが、一度矛先を収めた彼女はしかし、目敏く一つのことに気がつくと指摘を飛ばした。

 

「……それは?あんたの血ではなさそうだけど」

 

 彼女が指差しているのはアリサの背中。完全に予想外の話で、何のことを言っているのかよく分からない。首を傾げ、少し考えて……気がついた。ぞわ、と致命的なミスに心臓が飛び上がる。

 

 そうだ。自分が抱えている背嚢はあの時、血塗れになったままなのだった。洗ったりはしても、布に染み込んだ血液はそうそう落ちたりしない。

 日が経って既に赤みは抜け、黒ずんだ染みでしかないものの、見る人によってはそれが血であることに気がつくだろう。実際、彼女は見抜いていた。

 

「……これは」

 

 アリサはとっさに答えることができなかった。冷や汗が滴り落ちる。

 これに関して話すことはつまり、ベラについて話さなければならない。彼女は今ここにいないから、その間に説明できる。印象を良くできるよう、努力することもできたかもしれない。だがこれに気が付かれてしまった今、全てが薄っぺらいものになってしまうのだった。

 

(怪我をした?いや、私にそんな大怪我の跡はない。ミュータントの返り血?それっぽいけれども、それなら背嚢だけが汚れている理由にならない。これだけの量なのだし、服だって汚れているはずだって言われるだけ……)

 

 必死に頭を回転させるが、まともな言い訳は思いつかない。

 

 そもそも、ベラについては元々危惧していたことだった。当然、考えて然るべきことだが後回しにしていた。

 だが、まさかこんなに早くその時(・・・)が来るとは思っていなかったのだ。

 

「なに?答えられない?」

 

「えっと、あの、その……」

 

 しどろもどろになるうち、別のハッチが開いてもう一つ、金髪が頭を出した。

 その人もまた女性だ。姉妹なのだろうか、切れ目の女と瓜二つの外見をしている。背丈も大して変わらない。異なる点は彼女が切れ目でない点と、髪が比較的短く切りそろえられていることだろうか。ぱっちり開いた緑色の三白眼がアリサをまっすぐ見つめている。

 

「姉さん、その子びびってるよ」

 

 彼女は笑ってそう言うが、対して糸目の女は少し困ったような顔をした。

 

「イーリャ、中にいなさいって言ったでしょ」

 

「いいのいいの。大したことないよ」

 

 そうして三白眼の女は車両から降りてきて、特に躊躇うこともなく糸目とアリサの間に入って来る。彼女は散弾銃と思われる筒の長い銃を持っているが、吊り紐で背負い込んでいるだけで、その先を向けて来る事もない。

 アリサは望外なところから助け舟がやって来たと思った。縋り付くほかない。

 

「お嬢ちゃん、名前は?」

 

「あ、アリサ。アリサ・クレーヴェラ」

 

 糸目が眉毛を少しだけ吊り上げたが、焦るアリサは気がつかなかった。

 

「そ。アリサちゃん。私達はストーカー(・・・・・)。この基盤の……あー、専門家みたいなものだよ」

 

 ストーカーという言葉には聞き覚えがなかったが、話は続けられる。

 

「さて、じゃあ簡単に説明するよ。君が何者なのか、専門家の私達にも全く検討がつかない。だって、ここは君みたいな子供がいるべき場所じゃないからね。余りにも人里から離れ過ぎてるし、不自然極まりない。本来なら、そう、死体で見つかるべき存在なんだ。ていうかバラバラの骨かな。形が残っていればマシな方だね」

 

 ふふ、と笑いながらそんなことを宣う彼女。緑眼はやはり優しい色をしているが、世間話でもするかのように口に出したことは凄惨極まりない。

 

 バラバラの骨。背筋が寒くなったが、あながち間違ってもいない。もしもアリサがベラに出会わなかったら、まさにそうなっていた。餓死か、衰弱死が先だったかもしれないが。

 

 ――いや、あの時(・・・)壁が割れていなかったとしたら、その時に死んでいた。ミュータントに食われて、それこそバラバラ死体だ。

 割れていたとしても、運良く水に落ちず何処かの突起にぶつかっていたりでもしたら、死んでいた。腕や足や首が、ぐちゃぐちゃに折れ曲がって。

 あるいは水に落ちても、運が悪ければ溺れ死んでいた。肺を水で一杯にして、腹を腐ったガスで膨らませて。

 

 アリサが死ぬタイミングは、それこそ幾らでもあったのだ。アリサは本来、死ぬべきだった。既に死んだはずだった。

 

 やはり先日の亡霊らしきアノマリーのことが頭に浮かんだ。もしかしたら自分は死んでいるのだろうか。気がつかないうちに死んで、亡霊になって、「基盤」を彷徨っていたのだろうか。トンネルの闇に囚われて。あの人影は、同族(・・)たる自分を探していたのだろうか。

 

 頭を振る。

 

 いや、自分は死人ではない。こうして生きているじゃないか。だから疲れるし、腹が減るし、喉が乾く。ベラの為に皮膚を切れば、真っ赤な鮮血が出るし、ぴりっとした痛みも感じる。生きている証拠だ。

 

 そうやって、無理やり疑念を振り落とした。

 

「……どれくらい離れているんですか」

 

「んー……自慢じゃないけど、この装甲車は一日で五〇キロから一〇〇キロは踏破できる。回り道が何度もあったし、直線距離で進めてないけど、それでも一番近くの居住地から五日は経ってるんだよ」

 

 アリサは言葉を失った。

 そんなにも離れていたとしたら、居住地がずっと見つからなかったのも納得のことだ。むしろどうやって行き着けばいいのか。

 彼女達には車があるからいいが、こちらは徒歩なのだ。永遠と歩き続けて、たとえ迷いなく向かえたとしても一体いつ辿り着けたことだろうか。

 

「それで、君は何者?ただ運が良いだけの少女?それとも――」

 

 その時だった。

 目の前に突然、白いものが映る。同時に酷く煩い重低音と、何かが弾けるような高音がして、アリサはぐんっと後ろに引っ張られた。

 

 背中を何かに掴まれて後ろに引かれたのだった。あまりにいきなりのことに、首が追い付かず鈍痛が走る。

 痛む首を回して何が起こったのか見ようとして、すぐ側にベラがいることに気がつく。ベラはアリサを庇うように立っていた。腕を鎌のような形に変化させ、牙を剥き出しにして土煙の向こう側を睨みつけている。

 

「な、何してるんですか!」

 

「……アリサ、あいつラあぶナイ。きズつけられルとこロだっタ」

 

「そんなことっ……」

 

 否定しようとするが、実際のところは分からない。彼女達が自分をどうするかなんて全く分からなかったし、何より銃口は向けられたままだったから。

 ベラは銃が危険な武器であることを知っている。それも当たり前だ、一度彼女は銃を持った人間を殺しているが、その時に彼もまた抵抗したはずなのだから。

 

「やっぱりね。こんなとこじゃないかと思ったの」

 

「……いや、私は正直こんなミュータントが出てくるとは思ってなかったな」

 

「そんなのだから駄目なのよ。私に任せておきなさい」

 

 土煙の中からストーカー達も姿を見せた。臨戦態勢だ。怪我をした様子もない。

 あの不意打ちを避けるほどだ。きっと相当な手練れに違いなく、二人とも対話のムードは消え去っていた。

 

 厄介なことになった。いや、殆ど最悪なことになった。

 アリサは頭を抱えるが、ベラはそんな彼女を気にせず威嚇の音を出していた。


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