瓶詰めの終末   作:eliS*m

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2、砂の夢 前編

「ねぇ、叔父さん。今日も外の話を教えてよ」

 

「おお、いいぞ。どんな話が聞きたい?」

 

「この間ちょっとだけ聞いて、結局中途半端に終わっちゃった大蛇の話を聞きたいな……」

 

「あいわかった。そうだな、なら続きを話すとしようか」

 

 寝床で薄い掛け布団に包まりながら、幼い少女は自身の叔父に寝る前の話をせびっていた。彼女は今年で既に十歳になり、村の子供達の集まりでは年長者として場を纏める役割を担ったりもする。そんな少女がするには少し子供らしすぎる行いかもしれないが、少女は特に気後れすることもなく叔父の語る物語を今日も聞きたがった。

 彼女がいつも聞きたがるものは村の外の話だ。叔父の実体験や、何処かで聞いた噂話、本で読んだ知識など。いつも村の中にいて外に出たことなど殆どなかった彼女にとっては、そのどれもが新鮮で興味深く感じた。勝気で冒険心溢れる男子達とは違い、少し臆病なところがある彼女は村を出てまでそれを確かめてみようとは思わない。だがそれでも代わり映えのない、この狭い日常の外にはとても巨大な世界が広がっているのだと夢に胸を膨らませる。

 

 机に置いた蝋燭の灯りが二人の顔を照らし出している。少女の顔は期待に満ち、眼は輝いていて、一方の叔父もいつもは厳格な顔を緩ませ、自身の養娘に優しげな表情を向けていた。板を立て、厚手の布を扉代わりにして仕切っただけの小さな部屋だから、体格の大きい叔父が入ると少し窮屈だ。けれども少女にとってはそれすら何処か温かみを感じるものとして享受していた。

 それはきっとかけがいのないものであった。けれども失うまでその事実に気がつくことはないのだろう。「この時間はきっと永遠に続く」という、どうしてかそんな淡くて儚い確信が何処かにあったのだから。

 

 

 

◾︎

 

 

「基盤」は死にかけの巨大な生き物だ。人類はそれに巣食う寄生虫でしかない。

 

「旅人、あるいは放浪者の手記」第八巻冒頭。

 

 

 

◾︎

 

 

 圧倒的な科学力を持っていたと言われる、今では旧文明と呼ばれる前文明が滅びた後の時代。衰退の理由さえも今を生きる人々が忘れ、汚染された地上に未知の現象や凶暴なミュータントが跋扈するようになった時代のことだ。

 かつての世界を形作ったものは既に風化し消えかけているが、それでも人類は生き延びている。地上を捨て、巨大な旧文明都市の「基盤」――地下の世界へとその生息圏を移すことによって。数を大きく減らした人類は地下世界に点々と居住地を建て、大きく後退はしたもののある程度の文明を維持した生活を送っていた。

 

 アリサは他の多くの人間と同じように地下世界に生まれた、何の変哲もない普通の少女だった。辺境の村に暮らし、そこから出たことも数えるほどしかないようなただの村娘。素晴らしい環境であった、とは全くもって言い難い生まれだ。むしろ、恵まれない弱者の部類でしかない。

 

 そもそも彼女の暮らす辺境の村というのは、元々この基盤を流れる水路の保全管理の為、合流地点となる場所に近くの街や村から人が集まって共同体を作り出したものが前身だった。

 地下世界において人類は殆どの場合、水や空気、電気を旧文明のインフラ設備に依存しきっている。これらは一言に生命線であり、その保全管理は非常に重要な役割だ。その殆どは自動化され、「基盤」の予備の予備の予備電源が尽きるまで動き続けるだろう。しかしそれらは長年の使用で劣化し、機能がどんどん低下していっている。

 例えば水路の場合、フィルターや水路に引っかかった障害物を撤去しなければいつか詰まり、洪水や浸水が起き始める。空気の換気・浄化が間に合わなければ汚染が地下に広がるし、最悪窒息する。電力が切れることは言わずもがな、全ての崩壊を意味する。そういった場所で人類が生存することは不可能だ。ただでさえ少ない人類圏を維持するには、何とかして旧文明の設備を生存させなければならない。それは残された人類共通の課題であり、だからこそこういった成り立ちで生まれた居住地は非常に多いのだった。

 

 しかしそういった場所は基盤のあちこちに点在しており、必ずしも現在の人類にとって住みやすい場所にあるとは限らない。特に、水路の保全目的で作られた居住地はこの傾向が顕著だ。電気や空気の場合、管理すべきような重要なポイントは数が比較的少なく、戦略的な理由からも大規模な都市の直接管理下に置かれていることが多いのだが、一方水路なんて基板の中をうねるように流れているのだから数が桁違いなのだった。

 それでも大概は流れてきた異物――魚やスクラップなど――の掃除がてら、それらの売買を生業としたり、電力や土地の都合さえつけばその大量の水資源を使って畑を広げることができた。税を納めたり、あるいは村自体に十分な価値があれば大規模な都市国家や同盟の傘下に加わることもでき、有事の際には盗賊やミュータントからの被害から守ってもらえる。いわば、水路回りの小規模居住地はかつての農村の役割を果たしていると言えよう。

 

 一方、アリサが生まれたこの村の場合、地下世界の中でも主要街道や大きな都市からは遠く離れた人類圏の辺境に位置していた。この先の通路は殆どが長らく人の手が入っておらず、しかも行き止まりが殆どの閉塞した場所。立地が悪すぎるせいで交易に恵まれなかった上、電力も余裕があるとは言い難く作物も自分達の食い扶持以上の分を確保するのは難しかった。当然税なんて払えないのだから同盟といったものには所属すらしておらず、かといって大した価値もないから向こうからこちらに打診してくるようなこともない。はっきり言って、足手まといだからだ。

 結果は殆ど自給自足の生活を送り、自分達でどうしようもないものは行きに三日四日はかかる街へ向かうか、不定期に訪れる旅商人に頼るしかない有様で、地下世界の中でも生活基準は最低に近い。人口も女子供老人を含めて二百人は絶対に超えなかった。だがここを離れたところで、余所者を受け入れてくれるような居住地も期待できない以上、彼らにとって居場所はここしかないのだ。そんな見捨てられた場所。

 

 一方で――立地が非常に悪いのは事実だが――それでもこういった村は、経済格差が圧倒的なこの世界で最もありふれていたし、なにより幸いな点もいくつかあった。

 それは住民の多くが自分達がこの基盤を生かしているということに誇りを持っており、なんだかんだ苦労はすれども飢えることもなかったことだろう。自尊心と腹が満たされていれば大体の不満の元は解消される。それに、何処かの庇護下に入っていなかったとしても、立地故に盗賊やミュータントの被害は比較的少なく、都市や同盟同士の血みどろの生存戦争に巻き込まれることもないのだから、平和なのは間違いなかった。

 ただ、そういった刺激がないからこそ長いこと変わることなく――進化することもなく――ダラダラと長い停滞が続いていたのだが。

 

 そういった、この世界では比較的平和で幸運な村に生まれたアリサだったが、彼女が村から離れるまでに、それでも二度の大きな転機が彼女に訪れた。

 

 一つ目は、珍しくも村に伝染病が広がった時だった。狭い居住地に村人がひしめいて生活していたのだから、数日と経たず病は村中に襲い掛かった。アリサと母親も多分に漏れず病に倒れた。

 村には医者が一人、診療所も一つしかなかった。当然治療が間に合うわけもない。感染を恐れ、大量の村人が故郷を逃げ出していった。アリサの父は無事であり、薬を買うために街へ任務に出かけたが、渡された金や部下共々姿をくらまし二度と戻らなかった。

 結局母はそのまま死んだ。隔離されていたことや、アリサ自身も高熱で魘されていたことから死目に会うすらできなかった。蒸発した父に何を思い、孤独に逝ったのだろうか。こういった事情から、五歳の時には彼女の両親は既にいなかった。

 

 アリサ自身は運良く症状も酷くなく、やがて回復した。その頃には伝染病自体も落ち着いていた。しかしながら両親を失ってアリサに家族はもうおらず、完全に孤児の身だ。彼女の前には何人か兄や姉がいたが、皆アリサが生まれる前に死んでいた。そういったことはさほど珍しくもない。

 今回の騒ぎは大きく、彼女のように親を失った子供は多かった。故に、最初は彼らとともに村の孤児施設に入れることが話し合われたが、最終的に彼女を引き取ったのは当時村の運営幹部をやっていた母方の叔父、ボリスだった。彼はこの村では珍しく四十を超えて結婚しておらず、突然湧いて出た娘に困惑しながらも相当可愛がってアリサを育てた。だから、彼女の不自由は幼い頃の境遇に反してかなり最小限で済んだと言っていい。

 

 やがて彼は実力を認められ、年齢から現役を引いた村長からクレーヴェルの姓と(村人の殆どは姓なしだったが、村長家族は姓を持つ習わしだった)、その役割を引き継いだ。ボリスはそれでも、時間を何とか見つけては幼いアリサに構っていた。アリサはそんな優しい叔父が大好きで、いつも彼のそばに居たがった。

 ありふれた、それでもかけがいのない幸せを享受して彼女は健康に育っていった。病気にかかったことが結局悪かったのか、身長といい体格といい、痩せ細った食べ物のカーシャ(粥のこと)ばかり食べている隣人と比べても彼女は少しばかり小柄ではあったが。大人達の仕事の手伝いをしたり、他の子供達と遊ぶことに何らの問題もなかった。

 

 そして、二度目の転機が訪れたのは十五歳の六月の時だった。

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