瓶詰めの終末   作:eliS*m

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7、代償

「……それは」

 

 遠くなる意識の尾を必死で掴み取り、アリサは口を開いた。それはベラに対して物事を尋ねるというより、彼女に声をかける以上の意味合いを持っていなかった。

 顔面は蒼白で、口元は引きつっている。一体どんな顔をすればいいのか、アリサには全く分からなかった。

 

 対照的に、ベラはいつも通りの無表情。人間離れした白い顔にシワ一つ寄せずに答える。

 

「いつもドオリ、カッて、キたモノ」

 

 違う。違うのだ。そんなことが聞きたいんじゃない。アリサの心中は暗澹としたわだかまりの濁流が支配し、煮詰められつつあった。

 それなのに、その一端でさえ表現する手段が思いつかなかった。怒り、悲しみ、失望、絶望。そんな陳腐で凡俗な言葉が当てはまるとも思えない。この感情は一色ですらなかった。言語化するのは著しく困難で、何と言えばいいのかさえ分からない。

 

それ(・・)はどうしたんです」

 

 それ、という言葉に強い力をかけた。

 地面に落ちた、棒状の肉塊。アリサだってあれ(・・)が何なのか分かっている。余程の馬鹿でない限り、頼んでもいない脳が無理やり教えてくる。

 だが、それが一体何なのかアリサは口に出したくなかった。理解したくなかった。

 その持ち主が今頃どうなっているか、確信に似た予想が頭に浮かぶにも関わらず。

 

 ベラはそんな様子のアリサがよく理解できないらしく、

 

「コロしタ」

 

 それが一体どうした、といった顔であっけらかんと告げた。

 

「ヒトは、コロすのがムズかシかっタ。コレは、タベられル?」

 

 その言葉にアリサは自分の耳を疑った。

 

「食べ、食べられるか、ですって?食べるわけないでしょう。人間(ヒト)は人間(ヒト)を食べないんです、同族を食べるなんてことはしないんです!」

 

 最初はか細いだけの声も、最後には怒鳴りつけるようになっていた。アリサは彼女の前で怒鳴るようなことを一度もしたことがない。それは体力の問題でもあったが、そんな機会が今まで一度もなかったからだった。

 怒鳴りつけられたベラは何の反応も返さない。アリサは顔を上げることができなかった。彼女がどんな表情をしているのか、知りたくなかった。知るのが怖かった。彼女の気配は動かない。不自然なほど止まっていて、アリサにはそれが恐ろしく不気味に思えた。

 

「……なんで、私は殺さないんです」

 

 何とか絞り出したのはそんな問いだった。どうしてそんなことを聞いたのだろう。自分は殺して欲しかったのだろうか。あるいは――アリサにも分からない。

 

「オマエは、アリサ。ボクをタスけタ。ドウして、ころス?」

 

 彼女の返した答えは以前聞いたものと殆ど同じで。けれども理解した意味合いはその時と違い、酷く絶望的なものだった。

 

 きっとそれが、それこそがベラが異形の生物たる所以なのだ。

 牙でも角でも、あるいは尻尾でも鎌でも脚でもない。それは価値観という、異種族間に広がる巨大な隔たりだった。

 言葉が話せるからといって、理解し合えるわけではない。そんなことアリサは理解していたつもりだった。だが、つもりでしかなかった。

 

 アリサは今度こそ理解した。

 自分が襲われないからといって、別の人間が襲われないというわけではなかったのだ。

 

 アリサはベラという人間でない存在を目の前にした時、自分自身のことを「アリサ」という個人ではなく「人間」という種族の括りで捉えるものだと思っていた。実際、そう考えるのも無理はなかったのかもしれない。

 だが、それは大きな間違いだった。致命的な思い過ごしだった。

 ベラはアリサを「アリサ」という個人として見ていて、アリサを「人間」として見ていなかったのだ。彼女にとっては「人間」も他の獲物も大した差はない。人間が非人間の化け物をミュータントと一括りにして呼ぶように、彼女も人間を自分以外のその他として分類している。その中で、ただ単に「アリサ」という一個人が例外として認識されていただけなのだ。

 

 そう気がついた時、ベラを責めることはできなかった。彼女には悪意の欠片もなかったのだから。

 もしかしたら、理不尽に怒ることはできたかもしれない。全部お前のせいだと。甘美な誘惑だった。

 けれどもそれは自分自身の責任から目を逸らし、逃げ出すことだとアリサは理解していた。一時は楽になるかもしれないが、その後は永遠と自分の弱さに苛まれることになる。逃げ出すものと、耐えるもの。罪悪感に耐えることができるほど、アリサの精神は強くなかった。

 

 自分に何かできなかったのか。できたはずではないか。

 むしろ、そう思ってしまう。事実、認識の違いに気が付けなかったのはアリサの罪だ。けれでも、そんな考えは明らかに傲慢に過ぎている。だからこそ襲いかかった無力感であり喪失感であり、どうしようもない後悔が湧き上がるのもまた避けられようがなかった。

 

「コレ、そいツがモってタ」

 

 ベラはアリサの目に入るように、足元に持っていたナップザックを置いた。

 血糊の張り付いたそれはアリサに自分の過ちを自覚させるには十分で。裂かれて破れた部分から幾らかの缶詰がゴロゴロ転がり落ちるのを、アリサは疲れた目で追っていた。

 わざわざ容器まで見せて、見つけたら持ってきてくれと頼んだのも自分だ。今となってはこれもまた、己の苦しみを増すだけ。

 

「タベないノ?これナラ、タベられルとオモっタ」

 

「今は……いいです。それより、その人を殺したところまで連れて行ってくれませんか」

 

 アリサは吐き出すように言った。

 食欲など湧くはずもなかった。たとえ口にしたところで胃が受け付けず、戻してしまうだろう。

 

 一つの考えが頭に浮かんでいた。それはこの期に及んで、あるいは今だからこそ光を放っている。この暗闇の中で輝く、唯一の希望。誘き寄せられる羽虫のように、アリサは盲目的になりたかった。

 

 

 

◾︎

 

 

 穴の先は以前と変わらず、濃密な闇が広がっていた。

 アリサはベラの持ってきたナップザックを背負い(破れた部分はどうしようもなく、端を縛るなり、荷物に入っていたテープで止めるなり何なりして応急的に修理することしかできなかった)、必死でベラの後を追う。彼女はこの暗闇が全く問題ないようで、すいすい前に進んでいってしまう。

 

 今度は束ねたキノコなんていう、何も無いよりかはマシなものではなく、ちゃんとしたライトをアリサは持っていた。それは袋の中身の一つだが、人間がこの暗闇の中を光無しで歩けるとは思えないので予備だったのだろう。電池も幾つか見つけ、暫くは光に困ることもない。

 しかし、それでも足元が覚束ないのは目の前が全く照らすことができないからだった。キノコが発する光とは比べ物にならないくらい明るい光が出ているはずなのに、ある地点で突然光が届かなくなる。

 この空間特有なのかもしれないが、それはあまりにもあからさまで、どうにも何かの意志があるように感じた。闇は生き物でも何でもないのに。

 

 ベラが案内した場所はそれほど離れていなかった。十分ほど歩いた場所に死体が転がっていて、辺りは撒き散らされた血で真っ赤な血溜まりができている。

 倒れていたものは、肉達磨としか形容ができなかった。恐らくは男で、全身がバラバラにされていた。齧られたような跡もある。

 抵抗したのだろう、側には壊れたライトや小型の自動拳銃、それに空薬莢が何個か落ちていて、揉み合ったような形跡があった。頭は最終的に飛ばされたらしく、離れた場所に転がっていったのか目に見える位置にはない。

 死人の顔を見なくてよかったことに、アリサは心から感謝した。

 

 拳銃を拾い、状態を見てみる。弾は撃ち尽くされていたが、壊れてはいなかった。荷物の中には弾薬も多少あったので、武器として使うことはできる。

 ベラを横目に見た。あれだけ暴れたのだ、もしかしたら彼の撃った弾丸も何発かがベラに当たっていたのかもしてないが、彼女は痛がる素振りさえ見せていない。彼の血を飲んだことで既に回復しただけなのかもしれないが、彼女にとってこんなものは脅威にすらならないということか。

 

「ベラ、この人はただ歩いていましたか?それとも、何かを撒いたり、持っていたりしませんでした?」

 

「……たしカ、ナガいヒモをモっていタ。ハズ」

 

 ベラは少しばかり考え込む素振りをしたが、すぐ思い出したらしくそう答えた。

 一緒に周囲を探すと、千切れたロープが見つかった。その先は暗闇の先へと続いているものの、何処かに縛り付けられているのか引っ張ると手応えを感じた。

 

(間違いない……この人は「外」から来た)

 

 確信が頭に浮かんだ。

 ベラが狩ってくるミュータントの出所は外から入ってきた奴らなのではないか、という考えは前々からあったが、こうして人間がやって来たならば間違いあるまい。この空間に出口は複数ある。

 そして、この暗闇だ。人間がわざわざ入ろうとするからには、アリサのような迷子でもない限り、帰り道を見失わない為に何かしら跡を残すだろうと思っていたのだが。命綱のロープとなれば、これは非常に都合が良かった。このロープを辿っていけば、この空間から出られるかもしれない。

 

「……」

 

 アリサはロープを辿ってその先へと行くことにした。わざとベラには声をかけなかったが、彼女はアリサが移動し始めたのに気がついてその後ろに着いてきた。

 ちらと振り返ったが、それをどうとするでもなく、ただひたすらに先を目指し続けた。

 

 どうせ自分にはどうしようもないこと。

 ある意味で、諦めることもまた甘美であった。抗うことをやめ、任せるまま流されていくだけ。流れに逆らうよりも余程気も楽だ。

 真面目に向き合うというより、アリサは物事を投げ槍に、ただただ受け入れていた。

 

――あの小娘は呪われている!村を滅ぼす!

 

 アリサはふと、魔女の言っていたことを思い出した。

 辛い旅の中で、すっかりそんなことは頭の中から離れていた。正直な話、真実かどうかなんてどうでも良かったのだ。一人ぼっちになった自分にはどうでもいいことだし、そもそも呪い云々関係なしに旅路で死ぬかもしれないとも思っていた。

 

 もしかして、そのせいなのではないだろうか。本当に自分は呪われていて、そのせいであの人は死んだのだろうか。

 たとえ殺した張本人がベラであったとしても、魔女の言った周囲を滅ぼすという呪いの話が蘇れば、粘着質にアリサの脳裏にこびり付き、そうそう簡単には取れそうになかった。

 

 こつこつ、こつこつ。かちゃかちゃ、かちゃかちゃ。どくどく、どくどく。

 一人と一匹の足音と、己の心臓の音だけが暗い空間に響いている。深い、深い闇の中。自分の思考も深みへと嵌っていく。

 

 そうだ。よくよく考えてみれば、自分はきっとベラを引き止めたい一心だったのだ。

 血を与えたのも、名前をつけたのもそう。一人になりたくなかった。ただそれだけ。彼女が自分の元から離れていかないようにしたかっただけなのだ。

 

(何て独善的で、浅ましい……)

 

 そんな気付きも今更でしかない。

 自分の中に彼女に対する同情があるのではないか、と思っていた。きっとそれも間違っていないだろう。だが、それだって結局は自分自身の為。一方的に傷の舐め合いを求めていた。そんな自分が醜く思えて、仕方がなくて――。

 

 

 ――唐突に、目の前の暗闇がなくなった。滑らかなコンクリート壁と扉が、すぐ先に現れた。

 いや、突然現れるということはないのだから元々そこにあったのだろう。けれども光が照らすまでは気がつくことができず、暗闇の中にいきなり出現したように思えたのだ。

 

 鉄製の小さな扉で、バルブの開閉機が付いている。「基盤」で一般的な気密ドアだ。ロープはバルブの取手に縛り付けられていた。

 

 扉は固定されていなかった。その大きさにも関わらず、厚さがあるのか非常に重たい扉に全体重をかけて押した。だが、小柄なアリサでは力が足りないのか開かない。大の男なら問題はないのかもしれないが。

 何とか開こうと四苦八苦していると、いつの間にか横にいたベラが手を貸してくれていた。一気に軽くなったように感じる。

 錆び付いた金具が音を立て、扉がゆっくりと開いた。

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