瓶詰めの終末   作:eliS*m

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9、選択 後編

 目が覚めた。唐突に、ばちりと脳の電源が入ったのだった。

 周りを見渡すと、かなり暗くなっている。

 焚き火は既に消えてしまったようで、ほんの少しの煙が若干燻っている。窓の外から入ってくる、何処かの光が水面に反射した青白い燐光が、手元が何とか見える程度に照らしているだけ。

 

 起きてすぐ、思い至ってベラの姿を探そうとした。いつぞやの時のように、何処かへ行ってしまったのではないかと思ったからだ。彼女のことだから安否に何らの心配はしていなかったが、まだあまり把握ができていない場所で勝手に行動されるのは不味い。だから、少しばかりアリサは焦った。

 だが、彼女はすぐ隣にいた。自分と同じようにいつの間にか眠っていたようで、側の機械に背を預けて座り込んでいる。尻尾だけはアリサの背にぴったり付けられていたから、ベラのことを起こさないようにゆっくりと身体を起こした。

 

 これほどぐっすり睡眠を取れたのはいつぶりだろう。だというのに、アリサの気分は酷いままだった。頭が重く、こめかみを押されているような鈍い圧迫感がある。

 

 眠るベラのことを見つめる。

 ふらっと現れてまたすぐ消えてしまうベラのことだ。彼女が眠っているところは今まで見たことがなかった。どうにも今までそんな姿を想像できなかったが、今はそれが目の前にある。

 警戒なんて抜け切った寝顔。固まった身体。彼女の綺麗さと、服を脱いでいることもあって、人形然とした非人間的で童話的な美しさがある。

 

 ベラはアリサのことを信頼している。それは間違いのない事実で、アリサ自身も明確に理解していた。それが自分が彼女に対して抱えるものと同じであるかは別として、ベラの中でアリサという存在は紛れもなく特別だった。

 だから彼女はアリサを殺さないし、そんなことを思いもしない。

 

 同様に、アリサがベラに危害を加える筈がないと信じ込んでいる。

 だからこんな、安心した寝顔を自分に晒すことができるのだ。

 

(今なら、もしかして……)

 

 思い付いたそれは悪魔か、それとも天使の囁きか。

 

 アリサは殆ど無意識に手をポケットに入れていた。硬くて冷たい何かに指が当たる。

 それは拾ってきた拳銃だった。いつの間にかアリサの中身は殺意で埋め尽くされていて、煮えたぎる鍋のようにぐらぐらと蓋が揺れていた。

 何処からともなく現れたそれは違和感がまるでなく、まるで今まで忘れていただけのものを思い出しただけとさえ感じた。

 

 何かの因縁にしがみつくように拳銃を握り、取り出した。手汗が湧き出してきて、じっとりと細身のグリップを濡らす。酷く重たい。鈍く黒が光っている。

 

 撃つべきか。彼女を殺すべきか。

 殺意が頭を支配する中、引き金を滑らかに引くだけの感情的な勢いがあった。けれども、理性がギリギリのところで思考の猶予を与える。

 

 今なら彼女の頭を一方的に撃つことができる。

 ベラは眠っていて、完全に無警戒だ。まさか信頼しているアリサに突然寝込みを襲われるとは思うまい。

 身体は再生できたとしても、生物の核である頭部や背中は一体どうなのか。装填されている九ミリマカロフ弾を九発全部叩き込めば、もしかしたら殺すことができるかもしれない。

 

 ここでベラを殺すこと、それは人類社会にとってはきっとプラスに違いなかった。

 彼女はあまりにも危険すぎた。知性のあるミュータント、それだけで十分に一級の化け物であるのに、彼女の戦闘能力はそこらのミュータントを軽く凌駕する脅威だ。

 結局のところ、彼女は人間でない。人間を殺し、その血肉を貪る異形であるのが現実なのだ。

 

 それを自分が止めることができるのか。他ならぬ自分自身が。そして、唯一彼女の特別の自分にすらできないことならば、一体誰ができると言うのだろう。

 何故ならもう既に、誰か死んでいる。一線は越えてしまっていた。見知らぬ人間であったが、アリサに自身の無力さを教え込むには十分過ぎる犠牲。人の生き死にがこの残酷な世界でどれだけ軽いものだったとしても、アリサ本人にとってはあまりにも重大過ぎた。

 看過することは無視であり、許容であり、見殺しにすることだ。少なくともアリサの正義感はそう訴えている。

 

 果たしてこれは義務感か、願望か、それともただの気の迷いなのか。

 ベラの額に銃口を突きつける。

 

 脳裏に彼女との記憶が思い浮かんだ。

 乳を吸う赤ん坊のように、滴るアリサの血を必死に舐めとる姿。まだ身体も癒えないのに、脚を引きずりながら獲物をアリサの元に届ける姿。

 血に塗れ、人を殺したにも関わらず無感動な姿。そして階段から落ちかけたアリサを救い、気遣う姿。

 どれかが本物で、どれかが偽物なわけじゃない。全部が真実。全てが彼女という存在の一面。この異形は不気味で、無愛想で、そして。

 

 アリサは目蓋を閉じた。

 指に込める力が大きくなる。

 

 

 

◾︎

 

 

 気がついた時、アリサは窓の側に腰掛けて外を見つめていた。

 どうどうと大きな音を立てて流れ落ちる滝。動きがあるのに、何の代わり映えもない。その様はアリサに永遠を感じさせ、切り取られた一瞬がいつまでも繰り返されているだけのように思えた。

 もしかしたら、この景色はこのまま変わらないのかもしれない。ここが造られた大昔から、「基盤」が崩れるいつかの未来まで。

 

 この瞬間がずっと続けばいいのに、そう思った。何も考えず、水が流れ落ちる様を見つめているだけ。何の心配もない。でも、何の幸せもない。

 人間は、生き物は、違う。たとえその一瞬がこの世界全体で見ればどれほど一抹のものに過ぎないにしても、一秒一秒を生きていかなければならない。腹が減るから。喉が乾くから。寂しくなるから。きっと、それこそがこの世に生を受けてしまった呪いなのだ。

 

 何故か分からないが、アリサは何処か物悲しくなった。憂愁を覚えた。そして、まだ見ぬ未知の未来を恐れた。

 ここに留まることは全てが許さない。いずれは出発しなければならない。アリサ自身の命のためにも。でもそれが何だか嫌で、この瞬間が出来るだけ長続きすればいいのに、そう願ったのだった。

 

 物音がして、後ろを見る。

 ベラの眼が開いていた。彼女の緋色の瞳が自分のことを不思議そうに見つめていた。

 アリサは幾ばくかたじろぎ、苦笑いを浮かべる。人間の少女は己を嗤っていた。そして気まずさに耐え兼ねたのか、ふっと顔を逸らしてまた外を見やる。だが、異形はアリサのすぐ側にやってきた。まだ眠たいのだろうか、何本かの脚をずりずり引きずりながら。

 

「どウか、しタ?」

 

「どうもしませんよ。ベラ、突然どうしてそんなことを聞くんです?」

 

 あえて平常を貫こうとするアリサに対して、しかしベラはこう告げる。

 

「どウか、しテル。アリサ、クルしソう」

 

 アリサは目を細めた。

 この異形はとても優しい。そうだ、こんな卑怯な人間の自分なんかよりもよっぽど。

 

「……悪い夢を、見たんです。それだけ」

 

 口にはそう出した。けれども、それは本心からの言葉とは到底言えない。

 アリサはあれが夢だったなんて思っていない。あれはきっと現実だった。その証拠に、離れた場所に拳銃が落ちている。

 あの後どうしたのか、記憶はない。が、それはつまりそういうことなのだろう。

 

――アリサは覚悟を決められなかった。

 

(いいや、それは違う)

 

 そう一瞬思って、だが否とすぐに否定した。そちらの道に進まず、別の道に進んだ。それだけだ。

 村を追放された時とは違う。あの時は、そう、こうであるという結果だけが転がっていた。アリサにはどうしようもないことで、死ぬか死を先延ばしにするかしか道は無かった。無力な自分には、選択肢なんてなかったのだ。

 けれども今は自分の意志の結果、アリサはここに立っている。それは間違いなく、己の選択だった。

 

 きっとこの世には色々な未来がある。数多の選択の末に枝分かれた結末が。けれども、その全てを手に入れることは叶わない。アリサのちっぽけな掌に握りしめることができるのは、無限の中のたった一つだけ。

 それがどれだけ疎ましく、暴力的で、そして情け深いことか。

 

「ベラは、これからどうしたいです?」

 

 アリサはそう問うた。どうするべきかなんて分かっていたことだが、それでもベラの意思を確認する必要性はまずあったから。

 

「……わかラ、なイ」

 

 分からない。それも当然なのかもしれない。

 彼女に記憶はないらしいのだから、それはいわば生まれたばかりの赤子も当然ということ。本能から獲物を狩り、生きる(・・・)ことができても、それはその日暮らしに過ぎない。

 人間的な、未来を願う気持ちというものは彼女に欠けていた。

 

「なら、私と一緒に行きましょう。こことは違う、何処か遠くへ。だって私達は二人ぼっち(・・・・・)なんですから」

 

 ベラは一瞬呆けたような仕草を見せた。すぐ元に戻ってしまったが、彼女のその顔をアリサが忘れることは一生あるまい。

 

「わカっタ。そウすル」

 

「ありがとうございます」

 

 何食わぬ顔で礼を伝えながらも、アリサは自分の心臓を細い針が刺すような痛みに襲われた。

 ベラの好意を弄び、嘘をついて利用するという罪悪感に。

 

 彼女を殺すべき云々の他に、冷静な理性はある側面をもアリサに提示していた。

 それは、あの閉塞された空間から脱出した現在においても、自分が未だ何処かの居住地を目指して旅を続けなければならないということ。そして、幾ら食料などが確保できたとはいえ、前のようにミュータントに襲われたら一たまりもないということだ。

 武器はある。だが、こんな小さな拳銃であんな化け物相手に何ができるのか。頑強な皮膚を持つミュータント相手に拳銃弾が通用しないかもしれない。あるいは、それが小型の部類であったとしても、捌き切れないほどの集団だったら。以前のように相手が一匹のみとは限らないのだ。

 

 それは汚い打算だった。理性が導き出した、外道の考えだった。

 

――まさにそうだ。外道でいい。自分は外道でいいのだ。

 

 苦い唾を飲み込む。

 

 けれども、心の何処かで安堵と喜びの声を上げる自分がいることにも、アリサは気がついていた。

 彼女とは一緒に居過ぎた。それがたとえどれだけ短い間だったとしても、あまりにも間が悪過ぎた。肥大すぎる情が移ってしまうには、十分なほどに。

 

(ベラがいれば、自分の身の安全は保証される。それは間違いない)

 

 だから、そう信じる。信じ込む。

 たとえ自分の心の何処かに情があったとしても、あるいはその全てが既に侵されていたとしても。自分のような人間がそれを理由に、言い訳にしていいはずがないとアリサは疑わなかった故に、その存在を認めようとしなかった。

 

 

 

◾︎

 

 

 出発の準備などするほどのことはなかった。

 元々荷物は少なく、アリサもだいぶ体力が回復したこともあってすぐにでも移動を開始できる。

 

 けれども、アリサはあえて先を急ごうとしなかった。

 まず、自分のせいで殺されてしまった男の供養をするべきだと考えたからだ。あんな暗闇の空間で一人、誰にも知られず朽ちるだなんてあまりに可哀想過ぎる。一歩間違えれば自分がそうなっていてもおかしくなかったのだ。

 同情なのだろうか、それとも罪悪感なのだろうか。あるいは偽善なのか。己に嘘を吐き、騙し続けることを決めたアリサにはどれが本当なのか分からなかった。だが、とにかくそれを済ませないことには先に進むことはできないと思ったのだ。

 

 しかしながら、その目論みはすぐに潰えてしまった。というのも、あの扉は――最早あの暗闇の空間には繋がっていなかったからだ。

 気密扉を開けた先は小さな機械室があるだけで、外に繋がっているような様子は何もない。行き止まりの、完全な密室。

 まるで元々そんなものはなかったのだと言わんばかりに、跡形もなく消えてしまった。

 

 アリサにその理由は分からない。だが何か不思議なことが起こったのだということは理解した。

 どうしようか悩んだものの、行けないならばどうしようもない。結局、気密扉の前に、瓦礫と廃材で小さな塔を作ってその場を離れた。

 ベラはその様子をじっと見ていたが、手出しはするなと言っていたこともあって何もしなかった。彼女の価値観からすれば、意味不明な行動に見えていたかもしれない。

 

 そうしてからアリサ達はやっと階段を降り、その下の空間の探索を始めた。これだけ巨大な施設なのだ、大型の整備道路やトンネルくらいには繋がっているだろう、と考えたからだ。

 人類の居住地が旧文明によって残された「基盤」の設備に依存している以上、闇雲に探すよりもそういった街道を通って行った方が手掛かりを見つけやすい。

 

 実際、ここから流れる水路の脇にはかなり大きな通路があった。これを下っていけば何かしら、小さな村くらいは見つかるかもしれない。

 ただ、発見はそれだけに止まらなかった。通路に繋がる開かれたゲート、その横にはもう一つ巨大な開け放たれた別のゲートがあった。

 その先は坂になっていて、緩やかに上へと向かっている。

 

 壁には大きく白い文字が書かれていた。古い、とても古い言葉だ。恐らくは旧文明の言語。研究者ならば話は別かもしれないが、ただの村娘に過ぎないアリサでは理解できない。

 しかし、その下には小さく別の言葉が書かれていた。丸に毛が生えたような、奇妙なマークも一緒にある。それだって相当古いもので所々掠れていたが、これは今の文明の言語だった。以前ここを訪れた古い人間のものだろうか、アリサは読むことができた。

 

――このサキ、チジョウ。

 

 チジョウ。地上。アリサは予想もしていなかった言葉に、崖から突き落とされたような浮遊感を感じた。それは紛れもなく幻覚にしか過ぎなかったが、それもまた確かに現実のものだった。

 

 地上と言えば、それはもう一つしかない。かつて人類が文明を築いた場所。かつての故郷。かつての――今ではもう届かない、人類が放逐された楽園。

 空があるという。海があるという。地平線、水平線。言葉でしか知らないそれらがアリサを魅了する。限りなく広い、自由な場所。一瞬、御伽噺に聞いたそんな幻想に想いを馳せた。

 

 でも、アリサにとってはそれは既に朽ちた夢物語でしかない。きっとアリサだけではないだろう。地下に住む現人類の殆どがそうだ。過去は過去でしかない。地上は既に、人類が暮らすべき安寧の地ではないのだ。

 

 踵を返し、水路に沿った通路を選んで進んでいく。

 まさか自分が地上のすぐ側の上層まで登ってきているとは思っていなかったが、これは明らかにおかしかった。アリサは突き落とされて水路を流されてきたこともあり、人類の住む中層よりも更に下の階層に流れ着いていたはずだった。

 間違っても、上に行くことは絶対にあるまい。

 

 やはり、原因はあの暗闇の空間なのだろうか。あの空間には離れた場所を繋ぎ止める不思議な力があったのかもしれない。

 アノマリー。そんな言葉が思い浮かんだ。地下世界で信じられる、摩訶不思議な現象。怪談のように伝えられるそれは、しかし紛れもない人類の脅威の一つ。あれは、まさかそれそのものだったのではないか。

 

 そんな場所で出会ったベラは――。

 

 

 

◾︎

 

 

 きっとアリサは、この日に下した決断を一生後悔する。死ぬその時まで、己の色のない罪を背負い続ける。

 そして、いつかカルマに押し潰される日がやって来るのだろう。それでもアリサは、それを甘んじて享受するのだろうという確信を薄っすらと覚えていた。

 

 アリサはベラと共に、下っていく。生命のあるべき場所から、荒廃した現文明の在処を目指して。

 

 下へ。

 

 下へ。

 

 下へ――。

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