一刀三礼
あの日のことは、今も鮮明に覚えてる。
わたしが、ボクへと生まれ変わった大切な日。
自分の力で、未来を切り開く力をエイタに貰った、ボクにとっての人生の分岐点? ってやつなんだと思う。
エイタは怖いくらいにボクに寄り添ってくれて。ボクはちょっとばかし……意地悪しちゃったりもしたけれど。それでもエイタはボクを見捨てないでいてくれて……。
エイタはボクにとって、本当に一番大切な存在なんだよ?
──────
────────────
──────────────────────
ジリジリと鳴り響く音で目を覚ました。すぐに布団から飛び起きて、音の発生源。目覚まし時計に飛びつく。音が完全に聞こえなくなったことに一息つくと、カーテンを開け放った。窓の外はまだ暗い。暗がりの部屋の中で、ボクはパジャマを脱いで、ジャージに着替えて、念入りに身だしなみを整えて玄関を飛び出した。ボクの家を出てすぐ隣の家。おばさんから渡されている合鍵を使って、玄関をゆっくり開ける。〝カチャン〟と、しっかり玄関のカギを掛けてから。ボクはソロリソロリと二階へ向かった。二階の一室の前。トクントクンと高なっていく心臓。起こさないようにゆっくりとドアを開けて、スースーと寝ているエイタの寝顔を見る。だらしないエイタの顔。ずっと見ていたいけど、おばさんに起こすようにお願いされている。布団の上から、エイタの体をゆっくりと揺らした。
「エイタ? 起きて?」
ウーンとうなって寝返りを打ったエイタ。まだ眠いんだよね? こんな早くに起こすのヤだよね? けど、エイタをいま起こさないと、ボクがおばさんに〝甘やかさないで! 〟って怒られちゃう。だから、エイタには悪いけど。ボクがちゃんと、起こしちゃうね? 寝ているエイタの耳元で、優しくささやく。
「じゃないと、エイタのほっぺにキスしちゃうぞぉー?」
ガバッと勢いよく飛び起きたエイタ。寝起きでキョロキョロと部屋を見渡すエイタに、ボクは微笑みかけた
「おはよう、エイタ」
「心臓に悪いからやめてくれ……」
「すぐ支度して、朝ごはん食べにきてね?」
それだけ言い終わると、ボクはエイタの部屋を出てリビングへ向かった。リビングからは、ジュウとフライパンで油がはねる美味しそうな音が聞こえてくる。
「おはようございます、おばさん。今日もいい天気ですね」
「おはようウチハちゃん。そうね、この頃は洗濯物がよく乾いてくれて嬉しいわ」
「何か手伝うこととかありますか?」
「そうね〜。とりあえずお皿出してもらえる?」
「はーい」
食器の棚からお皿を出してテーブルに並べた。なんでエイタのお家で朝ごはんの用意を手伝っているのかといえば、これにはちゃんとした理由がある。朝帰りになることも珍しくないボクの両親に変わって、長い間ボクは隣人のメツギ家にお世話になってきた。おばさんは、当時すっごく人見知りだったボクを気にかけてくれて。おじさんもボクのことを、実の娘のように可愛がってくれた。だから、せめてなにか恩返しできないかと。こうしてエイタを起こしたり、朝食のお手伝いを引き受けたりしているってわけ。お皿を出し終えると、おばさんがお皿にパパパッと朝ごはんを盛り付けていく。盛り付けが終わると、おばさんは今度はお弁当作りを始めた。やることがなくなって、ボクはジーッとフライパンを振るうおばさんを見ていた。ボクが後ろから見ていることに気づいたおばさんは、ボクをフライパンの前に引き寄せて。料理についていろんなことを教えてくれた。
「おはよう」
「あらエイタおはよう。ほら、朝ごはん出来てるから食べちゃいなさい。食べ終わったら、ウチハちゃんの練習、見てあげるのよ?」
「ウチハの練習に、俺が居ようが居まいが関係ないだろ」
「口答えしない。こんなに可愛いウチハちゃんを公園で一人にさせるなんて、許さないんだから。毎朝起こしてもらってるんだから、それくらい付き合ってあげなさい」
「ウチハに起こされるのなんて頼んでない」
「だったら、朝自分で起きられるようになってからいいなさい。そんなことより、剣道の調子はどうなのウチハちゃん? 大会近いんでしょう?」
「あ〜はい。もーばっちし、です」
「はーホントに。ウチハちゃんとエイタが同い年だなんて思いたくないわ。ほら、あんたもちょっとはウチハちゃんを見習ったらどうなの?」
ボクのことを見習うように、なんてエイタはおばさんに言われ。エイタは体を小さくしたまま、朝ごはんを食べていた。静まり返ってガランとしたボクの家と違って、メツギ家の朝は騒がしくてとっても明るい。ボクはこの朝の時間が好きだった。なんだか、ボクもメツギ家の家族の一員になれたような気がして。心を温かい気持ちで満たしてくれるこの時間が、何よりも好きだった。おばさんおじさんがいて、そしてエイタがいて。こんな毎日がつづきますようにと、心の中で静かに願っていた。
肌寒い風。どこまでもつづく青い空が、日が昇るのと一緒に広がっていく。天気がよくて気持ちがいい。公園での朝練にも力が入る。朝食を食べ終わったボクとエイタは、いまは近所の公園に来ていた。竹刀の先端が、公園の真ん中でピタリと止まった。力強く踏み込んだ一歩。空気をビュッと切り裂いて、竹刀を振り下ろす。良い音が鳴った。〝スゴいでしょ! 〟とエイタに向き直る。だけどエイタは、ベンチでグースカ寝ちゃってた。
「朝練に付き合わせちゃってるボクにも、悪いところはあるけどさぁ?」
それでもやっぱり、見てもらえないのは悲しくなる。剣道を始めるキッカケをくれたエイタに、剣道ちゃんと頑張ってるんだぞーってことを伝えたいのに。フォンフォン素振りする音も、なんだか元気がなくなっていく。
「!?」
「あ、起きた」
「お休み」
「もーそんな場所で寝ないでよぉ」
「仕方ないだろ。眠いんだから」
「ちゃんと夜寝ないとダメだよ?」
「夜は寝れないんだ」
「もー」
ボクの言葉なんか全然聞かずに、エイタはまたベンチで寝てしまった。寝ているエイタの体が倒れたら、とっても危ないのに。風邪でも引いたら、ボクと一緒にいられなくなるのに。寝ているエイタが心配で、素振りにも全然身が入らない。これじゃあ練習になんないよぉ。エイタに良いところは見せられないし、練習は上手く行かないし。もう本当にサイアクだ。こうして、エイタと二人っきりになれる大切な時間は、どんどんと過ぎていってしまう。
もうそろそろ時間だ。朝練を終えると、ベンチで眠っているエイタを起こして学校へ向かう。エイタは寝起きのくしゃみを一つして、首を縮めた。〝ベンチで寝たりするからだよ〟といっても、エイタは鼻をすするだけだった。まったく。心配するボクの身にもなってよね? 登校の途中。ボク達は朝のコンビニに寄った。おばさんのお弁当をいらないと断っているエイタの、お昼ご飯を買うためだ。朝早いコンビニは、会社員の人とか作業着の人とか女の人とかで、それなりに混んでいる。エイタはいつもの商品をシュババと手に取って、レジに並んだ。人も多いし、外で待ってようかな? なんてレジから離れると、新発売の文字が目に入ってきた。デザートコーナーの新商品の文字に、ボクのことをだんだん引き寄せられる。毎日練習頑張ってるご褒美ってことなら、食べちゃってもいいよね? でもでも、つい昨日も甘いもの食べちゃったからなー。こんな調子だと、体重がどんどん増えちゃいそう。……半分、ならどうかな? エイタはそんなに甘いもの好きじゃない。だから、ボクの友達の中から共犯者になってくれそうな子を探そう。スマホには着信が数件。この子、はダイエット中だし。この子、もダイエット中だし。この子もダイエット中だった。みんなダイエット中じゃん! ボクとデザートを半分こしてくれる子、全然いないじゃん! ウウウと一人でうなっていると、エイタがレジにいないことに気づく。ヤバッ、エイタ待たせちゃってる! なんて、ボクは急いでコンビニを出た。けれど、コンビニの外にもエイタがいない。アレ? キョロキョロと辺りを見渡すと、若い女の人に頭を下げられているエイタを見つけた。
「エイタ? どうかしたの?」
「迷子だよ。犬の」
エイタがしゃがむと、エイタの両手から真っ白い犬が飛び出した。小さくて、フワフワで、お目目がクリックリのマルチーズだった。そのマルチーズは、女の人に一直線。首輪とリードが付いてるから、この女の人が飼い主さんなのかな?
「うわ〜マルチーズだーかわい〜」
「散歩中、電話に出ようとしたらリードを離してしまって。ご迷惑おかけしました」
「全然、迷惑なんて。たまたまワンちゃんが向かってきただけなんで。お気になさらず」
「おぉー。エイタ見てみて! 人懐っこくてすっごくいい子だよ?」
「早く学校にいくぞ。顧問の先生に顔見せないとなんだろ?」
「そ、そーだった。ボク達急いでるので! じゃーねワンちゃん」
ブンブンと飼い主さんとワンちゃんに手を振った。エイタは磁石みたいに、たくさんの事件を引き寄せる。ボクがコンビニに居た短い間で、こんな事件に巻き込まれちゃうだから。その力は本物だ。エイタもこの体質には困ってらしいんだけど、どうすることもできないみたい。
「あ!? 今日課題のプリントだった。エイタに預けてたっけ?」
「あぁ……これか?」
「そうそれ! エイタいつもありがとねー」
「ちゃんと復習しろよ?」
──────
────────────
──────────────────────
授業の時間。教科を担当する先生が、体調不良で早退した。代わりに復習プリントが配られて、ボク達のクラスは自習になった。〝サボるなよ〟、〝成績つくぞ〟。とコワい顔をした先生が立ち去ると、教室は一気ににぎやかになる。ボクはこれ以上成績が悪くなると、補習で剣道ができなくなってしまう。だから、シャーペンを握ってプリントに向き合うけど。一問目の文章から、すでにチンプンカンプンだった。見かねた友達が、ボクの周りに集まって。みんなで協力して、問題を解いていく。あっという間に最後の問題。だけど、これが一番難しくて。このグループで一番頭のいい子でもお手上げってなると、いよいよもう打つ手がない。しょうがないので、ボク達はそのままおしゃべりすることにした。ふと、エイタのことが気になって、エイタがいる方向をチラリと見る。エイタも友達と集まって、問題を解いてるみたい。ボク達より長く解いてるってことは、エイタ達は最後の問題まで解けたのかな? もしそうなら、ボク達にも答えを教えて欲しいな。
「ちょっと〜。ウチハ聞いてるー?」
「あーごめんごめん。なんの話だっけ?」
「もー。折角カッコいい男子のトーナメントしてるんだから、ウチハもちゃんと審査してよね?」
ヒソヒソと顔を近づけて話すのは、この学校で一番カッコいい男子は誰か。隣のクラスの人だとか、上級生のあの人だとか、下級生のあの子だとか。ボクがエイタの方に気を取られている間に、トーナメントはどんどん進む。決勝戦には、上級生のあの人と、下級生のあの子が残った。ボクはなんだかノリ気になれなくて、上級生派と下級生派の話に参加できないでいた。すると、教室のどこからか、ボクの名前が聞こえてきた。キョロキョロと教室を見渡す。エイタのグループの一人が、ボクを指差す。なんの話してるのかな? 気になって〝ちょっとゴメン〟と友達に言った。ボクはゆっくりイスを引いて、ソロソロとエイタのグループに近づく。
「なんでお前にはドウゾノさんみたいな可愛い幼馴染がいるのに、俺には居ないんだよ。フザケンナ」
「ははぁ」
「なんだよその笑い方。勝利宣言のつもりかッ!」
「しかもドウゾノさんは県大会の常連にして強豪!! その細身な体から繰り出される一撃は──────」
「えっと、ちょっと良い?」
突然現れた話題の人に、エイタの友達はみんな黙り込む。ボクのことを熱く語っていた彼なんか、顔を真っ赤にして小さくなってしまった。だけと、エイタだけはそんなこと気にしないで、ボクに返事をしてくれた。
「ウチハ? なにか用か?」
「復習プリントさ。解けた? 最後の」
「あぁ。解けたぞ?」
「じゃあさ、ちょっと見せてくれない?」
〝お願い! 〟と復習プリントをおねだりすると、エイタは〝仕方ないな〟と復習プリントを渡してくれた。〝ありがとー〟と感謝を伝えた去り際。ボクはエイタにお礼を込めて、軽く投げキスを送った。エイタの友だちがバタバタと倒れる中、エイタは顔をそらす。エイタの顔は、なんだか少し赤くなっていた。