鏡の奥の向こう側   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

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投機バブル 根拠なき熱狂

 

 

 

 深く、深く、潜り続ける。ただ答えを求めて身を沈める。〝賢さ〟を見つけたところで、何が変わると言うのだろう。またいつものように、芽が生えてこないことに落ち込むのだろうか。いつ光が見えるかもわからない暗闇の中。ただ一筋の光を求めて進んでいく。ひとりぼっちの孤独。自分の居場所のない孤独。出口の見えない孤独。けれども俺には、進むことしかできない。誰に頼まれたわけでもなく進みつづける。情けない自分に立ち向かっているのだと、戦っているのだと。力強く言い切れたのならどんなに誇らしいことだろう。実際は、実情は、真実は。ただただ、この〝賢さ〟を選ぶ道しか残されていなかったのだと言う現実だけ。初めてツキノキさんに認めてもらえたその種子に、希望が芽吹きますようにと。ただ祈りを捧げることしかできないという貧しさ。

 この場所は暗くて、深くて、底がない。普通なら、こんな場所には長居しない。なぜなら、そこにいる意味がないからだ。暗闇しかない土の中に、なんの意味も見出せないからだ。地表に出れば、きらびやかな世界が無限に広がっている。多くは土の中から抜け出して、きらびやかな世界へ向かっていく。では土から出られない俺は、一体どこへ向かうべきだろう? 深く、深く、潜っていく。世界が狭いと笑うもの。時間の無駄だと呆れる者。不幸の元凶だと怒る者。俺はそんな彼らから、逃げるように根を伸ばしていく。求めていた答えは、わかりやすく光ってはくれなかった。土の中に潜りつづけた者にしかわからない手掛かり。僅かな違和感。根を伸ばし、ただ信じ、恐れて進む。幼い頃の記憶が。ソリがあわなくなった同級生が。声をかけられなかった図書委員が。コツツミさんに手を振ったことが。そして……ツキノキさんとの出会いが。いままでの経験が頭の中で嵐のように混ざり合っていく。点と点が繋がり、一つの形になっていく。やがてその形は、一つの芽として土から顔を出した。

 〝人は二種類の感じ方に分けられる〟。ウチハのように、日向が好きな人間と。俺やコツツミさんやツキノキさんのように、日陰が好きな人間だ。日向の人間関係とは、相手とより短く・近く・浅い関係性をいう。会ったその日の内に仲良くなって、同じ料理を共有したり肩を組んだりして、広い関係性を重視する。対して日陰の人間関係とは、相手とより長く・遠く・深い関係性をいう。長い時間をかけて仲良くなって、しっかりとした距離感を持ち、狭い関係性を重視する。ツキノキさんにコツツミさんと仲良く方法を尋ねた時、ツキノキさんが〝手を振る〟という提案をしたのがまさにそれだ。俺の〝人は二種類の感じ方に分けられる〟を基準にして考えるなら。長い時間をかけて手を振って、コツツミさんへ無闇に踏み込まないことを伝えて、コツツミさんとの関係を大切にすることを伝えていたということになる。

 手元に握っていたシャーペンを置き、フ────と一息ついた。誰もいない放課後の教室。教室の窓に近づくと、波々とした雲が空一面に広がっていた。どうやら、今朝の天気予報は外れたらしい。ふと、自分の手元を見る。手とノートの擦れていた部分が黒く変色していることに気がついた。なんだか、ここまで頑張ってきた勲章のような気がして。胸の奥にジワリと達成感が込み上げてくる。俺の中で整理はできたけど……。ずっとちっぽけだった自分が整理したものに自信が持てなかった。猛烈にツキノキさんと話したい欲求が湧き上がってきて。ツキノキさんに、〝今日、会えませんか? 〟とメッセージを送ろうとしたところではたと止まる。

 

『大丈夫、きっと見つかるから。きっと』

 

 俺の中で、〝コツツミさんになぜ手を振るのか? 〟の整理はすでについている。ツキノキさんは、俺の力を信じてくれている。ここでツキノキさんに連絡を取るのは、俺を力を信じてくれているツキノキさんを裏切ってしまうような気がした。俺は静かにスマホの電源を切る。時計を見ると、そろそろ剣道部が終わるいい時間だ。俺は荷物をまとめると、教室を出て体育館へと向かった。

 体育館の近くにまでくると、中から荒々しい掛け声が聞こえてきた。剣道の大会も近い。剣道の練習にも、気合が入っているのだろう。体育館の入り口には、いつものように人集りができている。俺はあの人集りの中に入る勇気がないので、体育館の裏の方へと回った。体育館には、下の方に小さな小窓がついている。体育館の裏手に回った俺は、小窓の一つをそっと開けた。小窓からは、剣道部員たちの動きが良く見える。防具をつけているので、パッと見ただけではウチハが誰だかわからないが。よくよく観察してみると、身長や、体格。動き方などにも個性があるのでわかりやすい。ウチハはすぐに見つかった。コツツミさんも、剣道を習い始めて日が浅いのか。他の部員よりも明らかに動きが違うのでわかりやすい。丁度、ウチハとコツツミさんの試合が始まるようだ。一瞬、俺のいる小窓に向かってウチハが手を振った。俺は小窓を少しだけ閉めて、二人の試合の見届けた。

 二人の試合が始まった。ウチハの動きが完成されているのは言うまでもない。気になるのはコツツミさんの方。最後にコツツミさんの動きを見た時は、どことなくぎこちなかったが。いまは他の剣道部員と遜色ない自然な動き方をしている。ウチハと相対して一瞬で打ち取られていないことからも、コツツミさんの剣道の上達具合がよくわかる。コツツミさんが才能のある人物であることは知っていたが。まさかここまで才能があるのかと驚いている。ウチハと同じく、コツツミさんも紛れも無い天才ということなのだろう。二人の試合の行方は、ほとんどその場を動かないウチハに対し。コツツミさんが一歩踏み込んで、次の瞬間ウチハに打ち取られたことで決着がついた。そろそろ剣道部の活動が終わる時間だ。俺は体育館の小窓をそっと閉じると、体育館の入り口へと向かった。ウチハと会話する中で、コツツミさんに手を振る時を見計らう。部活終わってすぐの体育館は人が多い。日陰の関係性、長く・遠く・深いを重視するのなら。誰かが話しかけてくるようなきっかけを作ってしまうのはあまり良くない。ならコツツミさんに手を振るのは、コツツミさんの周りに人が少なくなった頃が良さそうだ。そうなると、手を振るのはコツツミさんが更衣室を出た後がいいだろう。

 

「……」

 

「? どうした? ウチハ?」

 

「べっつにー。なんでもない」

 

「?」

 

「あ、そうだエイタ。エイタはおじさんへのプレゼント、もう決めた?」

 

「いや、まだ決めてない」

 

「おじさんの誕生日まで時間があるからって先延ばししないでよ? 前のおばさんの誕生日みたいに、直前でボクとエイタで〝クッキー作りました〜〟って手が何度も通ると思わないでね?」

 

「……あの時は悪かったよ」

 

「そうだよ〜? エイタがわるいんだからねぇ〜? ……でも。今日、剣道部が終わるまでエイタが待ってくれてたことは嬉しかったよ?」

 

「あぁ……」

 

「それじゃあ、ボク達着替えてくるから。ちゃんとボクのこと待っててね? 先に帰ったりしないでね?」

 

「あぁ。ちゃんとウチハ達が来るまで待ってるよ」

 

「……」

 

 ウチハは俺の言葉に、一瞬何かを言いかけたが。すぐにコツツミさんを連れて更衣室へと向かった。俺は目立たない場所に移動して、その場に座り込んで目を閉じた。ウチハ達が着替え終わるまで、しばらく時間がかかる。この待ち時間を使って、コツツミさんとどれくらいで仲良くなれるか整理しよう。コツツミさんと仲良くなるには、三つの段階を踏む必要がある。日陰の関係性。長く手を振って・遠く距離感を守って・深い信頼をコツツミさんから勝ち取る必要がある。最初の段階。〝長く手を振る〟は、手を振る回数を重ねる必要がある。二段階目。〝遠く距離感を守る〟は、手を振る以外の行動を極力とらないようにする必要がある。そして最後の三段階目。〝深く信頼される〟は、三つの段階の中で最も難しい。なぜなら、俺からはどうすることもできないからだ。俺がいくら手を振りつづけてコツツミさんとの距離感を守ったとしても。コツツミさんが俺を信頼してくれなければ、コツツミさんと仲良くなることはできない。問題はここだ。幸いなことに、俺は今のところコツツミさんに〝私に手を振るのはやめてほしい〟と。完全な拒絶まではされていない。コツツミさんに完全な拒絶をされるまで。俺はコツツミさんから〝深く信頼される〟ために、手を振りつづける必要がある。ツキノキさんの考える、人と仲良くなる方法というのは。だいたいこんなところだろうか。もちろん、俺の考えがツキノキさんの考えと合っている保証はない。ツキノキさんが考えていることと、俺の考えていることが全く違う可能性だってある。けれども俺は、この〝人は二種類の感じ方に分けられる〟という考え方を利用して。コツツミさんと仲良くなって、コツツミさんに俺の〝賢さ〟探しに協力してもらうつもりだ。

 そう頭の中で、コツツミさんとどれくらいで仲良くなれるのかの整理を終えると。ウチハとコツツミさんの二人が、制服に着替えて別館から出てきた。俺に駆け寄ってきたウチハが、〝帰ろ? 〟と俺に尋ねてくる。もちろん俺も、ウチハと同じように家に帰るつもりだが。俺には家に帰る前に、やっておかなければならないことがある。前を塞ぐウチハを押し除けて、〝コツツミさん〟とハッキリとした声で呼びかけた。振り返ったコツツミさんに、俺はゆっくりと手を振った。コツツミさんは手を振る俺をジッと見ていたかと思えば、何も言わずに去っていった。コツツミさんに数回程度手を振ったところで仲良くなれるとは俺も考えていない。ここまでは想定通り。あとはこれを、コツツミさんに止められるまでつづけるだけだ。

 

「ほら。エイタ、もう帰るよ」

 

「いきなり引っ張るなって」

 

「ちゃんとボク、〝帰ろ? 〟ってエイタに言いましたー」

 

「だからって、引っ張ることはないだろ」

 

「別に、ボクはエイタのことなんて引っ張ってないしー?」

 

「はぁ。……ほら、帰るんだろ?」

 

 俺は、いじけるウチハに帰るよう促しながら。俺とウチハは、夕暮れに染まる学校を後にするのだった。

 

 

 

 朝学校で顔を合わせたらコツツミさんへ手を振り。剣道部の部活終わり。ウチハを迎えに行くついででコツツミさんへ手を振り。途中、剣道の大会である高校総体の予選を休日に挟みながらも。俺は順調に、コツツミさんへと手を振りつづけていた。俺のここまでのコツツミさんと仲良くなるための動きは、順調の一言。ここでの最悪は、コツツミさんへ手を振ることをやめてしまうことだ。コツツミさんの反応がないからと手を振るのをやめてしまえば、コツツミさんからの〝深い信頼〟なんて得られるはずがない。たとえコツツミさんからの反応がなくても、着実に信頼は積み上がっているはずだ。あとは雑草がコンクリートの隙間から生えてくるような、粘り強さが重要になってくる。俺の〝手を振りつづける〟というやり方が正しいなんて保証はどこにもない。しかし、〝手を振りつづける〟というのをやり遂げなければ。俺のやり方が正しかったのか、間違っていたのかの判断もできない。俺のやり方が合っていようが、間違っていようが。俺は最後まで、〝手を振りつづける〟ことしかできないのだ。

 手を振りつづけて一週間、二週間と経ったが。コツツミさんの動きに変化はなかった。そのまま三週間、一ヶ月と時が経ち。コツツミさんへ〝手を振りつづける! 〟と決心した俺でも、流石に心が折れそうになり始めた頃。雨上がり。茜色の空には、虹がかり。珍しくて空を見上げる、夕暮れの校舎。今日もコツツミさんからの反応はないかと諦めていると。コツツミさんは手を振る俺をジッと見つめたかと思えば。コツツミさんは手を挙げて、わずかに指先を動かした。俺は驚きのあまり目を大きく見開く。自分でもコツツミさんの動きに動揺してしまっているのがわかる。俺の驚きは、すぐに手を振り返す動きに変わって。なんだかいつもより長く、手を振っていたような気がした。その時、俺の背中にドンッと何かがぶつかってきた。

 

「!? なんだウチハか。いきなり突っ込んでくるなよ。危ないだろ」

 

「……」

 

「なんだよ」

 

「コツツミさんのあれ。別にエイタに手を振り返したんじゃないと思うよ?」

 

「じゃあコツツミさんのあれはなんだっていうんだ」

 

「エイタがしつこく手を振ってくるから、仕方なく手を振り返したんじゃない?」

 

「それなら口頭でちゃんと、〝私は迷惑してます〟って俺に直接伝えるべきだろ」

 

「いやいやいや。エイタはああやって手を振ってるだけでコツツミさんと仲良くなれるとか思ってないよね?」

 

「思っちゃ悪いか?」

 

「いやだってさ。へ? エイタ、ホントにコツツミさんと仲良くするつもりなの?」

 

「正確にいえば、仲良くするのとは少し違う気がするが……」

 

「ボクのお願い忘れてないよね?」

 

「? あぁ、変にコツツミさんには手を貸すなってやつだろ?」

 

「どう見てもコツツミさんのことに首突っ込もうとしてるとしか考えられないんですけど」

 

「それは俺が決めることじゃない」

 

「やめて」

 

「……」

 

「ボク、これから剣道でもっと忙しくなる。いざって時、エイタの力になってあげられない」

 

「ウチハは剣道で忙しいんだろ? 俺のことは、俺でなんとかするさ」

 

「真面目に聞いてよ!」

 

「? 俺は至って真面目だぞ?」

 

「コツツミさんと仲良くすることって、ボク達のことよりも大切なことなの?」

 

「悪いウチハ。こればっかりは譲れないんだ」

 

「エイタ、変わっちゃったね」

 

「そうか? 俺はそんな自覚ないが」

 

「ううん。前のエイタは温かくて、優しくて。もっと周りのことがちゃんと見えてた」

 

「……」

 

「そっか。うん……わかった」

 

「……」

 

「そこまでいうならいいよ? エイタの好きにして」

 

「……」

 

「エイタがどうなっても、ボク知らないから」

 

 

 

 コツツミさんが、俺に手を振り返してくれた翌朝。いつもならウチハが俺を起こしに来るのだが、今日は俺を起こしには来なかった。ウチハの朝は早い。朝の早いウチハが俺を起こしに来ないなら、その分睡眠時間が増える。そのせいか、今日はなんだかいつもより調子がいい気がする。リビングへ降りると、すでに冷めた朝食が置かれていて。ウチハはもう、学校へ向かった後のようだ。冷めて固くなったパンを食べていると。俺とウチハの様子に、何かを察した母さんが。〝どうせあんたが悪いんだから、早くウチハちゃんに謝りなさい〟と説教してきた。俺はそんな母さんの言葉を聞き流しながら、朝食を牛乳で流し込んだ。

 学校への通学路。ウチハという、学校の有名人が隣にいないので、今日俺は注目を浴びずに済んだ。この心が落ち着くような感覚は、久しぶりだ。できればこの先も、ウチハとは別々に登校したいなと考えながら通学路を進む。学校に着くと、日課になりつつあるコツツミさんへ手を振った。昨日、コツツミさんは指先で手を振っていたが。今日のコツツミさんは、手元も動かして手を振ってくれた。小さな変化だが、着実に前へと進んでいる感覚に気分をよくする。雑草のように粘って手を振りつづけた甲斐があるというものだ。次にツキノキさんと会うのが楽しみだと、つい俺は浮かれてしまう。順調に見えた。上手くいきすぎて、逆に怖いという言葉があるが。心のどこかで、俺の目の前で起きていることとは関係ないと本気で思い込んでいた。いままでずっと、人生が上手くいってこなかったから。いまはきっと、その人生の遅れを取り戻しているのだろうと軽く考えていた。だからきっと、こんなバチが当たったんだと思う。

 

「……同じクラスのメツギくんだよね?」

 

「!? あぁ、そうだ。コツツミさん」

 

「前から気になってたんだけど。あたしになにか用?」

 

「実は、困ってることがあるんだ。コツツミさんの力をぜひ貸してほしい」

 

「それで?」

 

「……賢いっってどういうことなのか。コツツミさんの知恵を借りたいんだ」

 

「そんな下らないことのために一ヶ月も無駄にしたんだ」

 

「……え?」

 

「賢さってのは多角的視点のこと。どう? これで満足?」

 

「いや、あ、その……」

 

 バチン

 

 いい音が鳴った。肌と肌がぶつかった音だ。俺が平手打ちされた音だった。ひりひりとする頬に手を置いて。俺はただ、目の前で起きた一瞬の出来事に。ただただ唖然とする他なかった。

 

 

 

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