鏡の奥の向こう側   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

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ツァイガルニク効果

 

 

 

「おチ○ポ────────!!」

 

 

 

 海に向かって"バカやろう!! "と叫ぶように、仲夏の空へ、その声は明朗に響き渡った。

 

 

 

 野球少年達が、散歩するご老人が、犬を連れた飼い主の視線が。集まる、集まる、集まる。

 

 当の本人は、キラキラとした青春の一ページでも飾るように、清々しい横顔で感嘆のため息を漏らす。

 

 

 

 意味がわからなかった。

 

 脈絡もまるでなかった。

 

 他人のフリしたかった。

 

 少しでも気を許してしまった自分に酷く後悔しながら、一人満足する彼女を置き去りに、この場を静かに立ち去ろうとしたが。

 

 

 

「ほら! メツギくんも!」

 

 

「」

 

 

 

 観衆の面前で公開羞恥プレイの打診。

 

 ふざけろ。

 

 

 

 顔はクシャリ、首はわなわなと震え、手は逃げ出そうと宙を掴んだ。

 

 しかし、"さあ、さあ! "と愉悦に溶けるその顔は、俺の必死の抵抗を許さない。

 

 

 

 肩を組まれ、抱き寄せられる。

 

 柔らかさ、いい匂い、ぬくい体温に心停止。

 

 男性器を叫んでたから、今度は女性器かな? なんて、現実逃避を噛ませる。

 

 

 

 隣は再び深呼吸を始めた。

 

 

 

「おマ○コ────────!!」

 

 

 

 顔を覆うことで防御。

 

 あれだ、共感性羞恥だ。

 

 生放送でどスベりしてる芸人を見ているようだ。

 

 それも真横で、相方として。

 

 

 

 逃げられない。だって……ほら。

 

 揺れが起こるたび半身が沈み込む低反発女体。

 

 思考がセクハラ。

 

 いや違くて、自分も同類と思われている懸念。

 

 なら今すぐ黙らせろ。

 

 相方の暴走を止められるのはオマエだけだろ。

 

 おあいにくさま、いま俺の両手は過去最高レベルで顔面に癒着している。

 

 

 

 恐ろしいのだ。

 

 手のひらを隔てた向こう側の視線が怖い。

 

 他人事なのに、当事者じゃないのに、この場の誰よりも恥ずかしがっているのが心底情けない。

 

 死にたい。

 

 深い意味はないが死にたい。

 

 消えて無くなりたい。

 

 微粒子レベルで存在したくない。

 

 

 

「えっ? なんで顔隠すわけ?」

 

 

「……」

 

 

「ねねねね、そのパターン初めてなんだけど、なんで顔隠すわけ?」

 

 

「……」

 

 

「もしかしてさあ、恥ずかしいの? え? なんで? どうして? あたしが下ネタ叫んだからダメージ受けたってこと? え? それやばくない? 敏感過ぎない?」

 

 

 

 饒舌は止まらない、逃げられない、されるがまま。

 

 スポットライトは一身に注がれ、季節外れの悪寒がする。

 

 逃げたい、離れたい、自由になりたいと身をよじった。

 

 が、柔さを再認識するだけだった。

 

 このままだと訴えられても文句は言えない。

 

 

 

「ここまでされてなんで反抗しないわけ? え? ひょっとして想像だけで? え? 嘘!? ねねねね、それって真っ当な生活送れるわけ? ちょっとまってあたしに声かけたのって、嫌がらせってやつを勝手に増幅させて耐えきれなくなったからじゃない!? ねねねねねね、黙ってないで教えてよ!!」

 

 

 

 なおも圧力が加わる面積は増えていく。

 

 次から次へ、情報が頭に叩き込まれていく。

 

 悲しいことにそれを律儀に一つ一つ、向けられた疑問を噛み砕き、なんとか消費しようと両手に積み上げた。

 

 だがそんなことには目もくれず、コツツミさんは荷物を投げ渡す。渡し続ける。

 

 俺はただただ潰れるように、小さく小さく体を畳む。

 

 

 

 最終的には脱力し、へたりこんでしまった。

 

 もう誰が、なにを、なぜかを回収しきれない。

 

 終いには、コツツミさんの言葉を半分も理解できなくなっていた。

 

 

 

「なーんだ。誰も聞く気がないってそれ、無能の言い訳にしてるだけじゃん?」

 

 

 

 嫌なことだけよく聞き分ける、自らの地獄耳を呪った。

 

 水面は波紋を広げ酷くうねっている。

 

 冷静になれ冷静になれと念じるが、降り注ぐ雨は止まず、波は止まることを知らない。

 

 閉塞感が胸を締め付けた。生唾を絶えず胃へ送り込み、不快な胸焼けを鎮めて、鎮め、しずめも──────。

 

 

 

 目の前に広がる惨状。

 

 青空と、青草と、グズグズになった昼食と。

 

 引っ張り出された不快感に、染み入るのはただ無情。

 

 

 

 画面の向こうの出来事のように、自分じゃない他人の失態。

 

 俯瞰した視点。

 

 ふとした感想は"汚い"というニ文字だった。

 

 

 

 最後の関門とばかりに開口部を抑えていた両手には吐瀉物。

 

 "コイツにはお似合いだな"と突き放すように受容して、口端を引き上げた。

 

 

 

「うっわぁ────吐くくらい拡張できるんだ。それならそうと最初に言ってよ」

 

 

 

 プリプリと演技にも聞こえる声が耳を素通りする。

 

 散々引っ掻き回された彼女に襟を引っ張り上げられ、無抵抗に起立して、"近くに蛇口あるよ? "とぼんやりと腕を引かれる方向に足を進めた。

 

 

 

 野球グラウンドの脇。

 

 用具の洗浄用か、散水か、はたまた夏場のオアシスか。

 

 連れられた場所で手を洗い、口をゆすぎ、蛇口を閉めて放心。

 

 帰る気分にはどうにもなれず、トボトボと落ち着ける場所を求めて歩き出す。

 

 

 

 線路の高架下。

 

 コンクリートの基礎と、ダンボールとブルーシート、太陽の影となる場所で立ち止まった。

 

 未来の日常景色になるかもしれない所とかが、今の自分には相応しいように見えた。

 

 どうやらここの主人は外出中らしい。

 

 しばしの間だけ、この性能の悪いこのポンコツロボを匿って欲しいとコンクリートに体育座り。

 

 額を膝に乗せ、冷却に入った。

 

 

 

 ……近づいてきた気配に、念のためと顔をずらして確認を済ませ、正体がわかれば相手したくないと元の世界に引きこもる。

 

 全くわからん。謎だ、謎。

 

 なんでこう、人生ってのは上手くいかないのだろう。

 

 知らないうちに難易度を間違えてたりしないだろうか。

 

 

 

 どうでもいいことを考える。

 

 背後で行ったり来たりを繰り返す摩訶不思議。

 

 贅沢は言わないから、彼女をここから遠ざけてくださいと、都合のいい神様に願うのだった。

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 飛び起きた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 

 

 

 空は茜色に染まり。

 

 頭上を轟音と共に電車が駆け抜けていく。

 

 ……よくこんな場所で寝てたな。

 

 

 

 日が沈む。今日が終わる。

 

 積み上げてきた日々は、からくも無駄になってしまった。

 

 俺が判断を誤ったせいで、多くの時間を無駄にした。

 

 後悔。回帰。落胆。

 

 やり直しが効いた所で、また同じ失敗を繰り返すだけの気がする。

 

 なによりも時間だ。

 

 時間が……足りない。

 

 

 

 辺りを見渡した。

 

 彼女の姿はない。

 

 流石に帰宅したか。

 

 いやそんなことより、長居しすぎた。

 

 早くこの場所から立ち去らないと。

 

 

 

 足が重い。

 

 帰りたくない。

 

 てっきり、少し休めば動けるようになるだろうと算段を立てていたんだが、どうやら損傷が激しいようだ。

 

 なんだよ損傷って。

 

 いやさ、寝る前に自身をロボットに例えてただろ? 

 

 イメージとしては、頭部にある操縦室から、いま取るべき最善の行動を逐一指示してくれるような感じ。

 

 

 

 出来損ないが俺で、有能なキミ。

 

 人の食べ物の好みは、それぞれが飼っている腸内細菌で決まるんだと。

 

 欠陥こそあれ、上手いこと人体は各所と折り合いをつけているというのがツキノキさんの見解だったか。

 

 俺の一人二役の悲しい突っ込み劇も、もしかしたらなにか事情があってこうせざるお得ないのかなって。

 

 

 

 ……例えば、寂しさのあまりイマジナリーフレンドの延長戦をしている、とか。

 

 そうだなあ……常駐化するストレスの受け皿として人格を分裂させた。もしくは、全権限をキミに譲渡して、不出来な俺にはご退場願う……なんて? 

 

 

 

 ─────────。

 

 

 

 ずっと前から疑問だったんだよ。

 

 なんで人は自殺するんだろうって。

 

 高いところに登ると足がすくんだり。

 

 ガラの悪い人が近くにいると緊張したり。

 

 自分という存在がいつか必ず消滅することに恐怖したり。

 

 死んじゃうくらい痛いとか熱いとか苦しいって。

 

 本来なら忌避されるもののはずだろ? 

 

 

 

 じゃあここに男を一人用意する。

 

 彼は否定に次ぐ否定で責任の所在を問われた。

 

 のしかかった重圧に耐えかね男はもう一人の自分を産み出しそいつのせいにすることで精神の安定を図った。

 

 やがて産み出した人格が成熟し今度は司令塔の役目を果たすようになる。

 

 結果責任の所在は本来あるべき場所に至り外に出ようと家に居ようと否定否定否定否定やめろ。

 

 

 

 ……安全装置が作動したようだ。

 

 酷い立ちくらみのような、体各所の感覚が喪失する。

 

 あぁ、これじゃ帰れないな────と薄ら笑いを浮かべ。

 

 耳を塞ぎたくなるような、高速で通過する電車でさえ、いまの俺には愛おしく思えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みも指折り数える、期末試験二週間前を切った今日。

 

 みな形は違えど、テストに意識を向けているだろうことはなんとなくわかる。

 

 後ろに控える夏休みを、補習なんぞでこれ以上荒らされたくはない。

 

 まして大学案内だとか、職場見学だとか、尻を叩かれている上級生を目撃すれば嫌でも反応せずにはいられない。

 

 

 

 ここのところ勉強に身が入らない俺としては、せめて学校の授業や休み時間にこそ力を入れるべきなんだろうが、このところ心労が絶えず軒並みダウンしている。

 

 前記したテストもそうだが、ウチハのこと、変なヤツに絡まれていること、クソッたれのプールの授業と余裕がない。

 

 ツキノキさんに個人レッスンでもつけてもらおうか……。

 

 こんな具合に、隙あらば会う口実を作り出そうするくらいには消耗している。

 

 

 

 インターハイに出場したウチハ。

 

 結果は四位入賞という結果に終わった。

 

 無論、俺との関係性のスレによって実力を発揮できなかったなどと、ウチハの実力を疑うものはいないだろう。

 

 が、人は理由を求める生き物だ。

 

 

 

 ただでさえ口うるさかった母は、これを契機に口酸っぱくウチハとの和解を叫んできた。

 

 少なくとも不調の一端を担う、悩みのタネであったことまでは否定しきれない。

 

 だが、今回のは違うだろ。

 

 いつもなら即譲歩する段階にあってなお、言いようの知れない不快感から、意地を張りウチハを避け続けている。

 

 

 

 筆記用具を抱き、耳を隠すように寝る体制も板についてきてしまった。

 

 このままだとヤバい、非常に不味い。

 

 前回は多少なりとも貯金があったからなんとかなったが、次の期末で全テスト赤点を回避できる自信がない。

 

 なのに驚くほど危機意識がない。

 

 テスト期間中は図書室に人が多くなるしなぁ……。

 

 

 

 別にそこでしか出来ないことでもないと、場所を移して通い詰めるなんて選択はなくはないんだが……動機が弱すぎて失敗する光景しか浮かばん。

 

 こんなこと今までなかったのにな……。

 

 この変化を成長と考えるべきか、退化と捉えるか。

 

 時間をつぎ込んだだけ無価値であったと認めたくはない。

 

 なによりツキノキさんとの居場所を守りたくて、手放そうにも手放せないというのがより正確な表現か。

 

 

 

 教室は居心地が悪い。

 

 トイレが唯一の安全地帯だ。

 

 ここぞというときにしか使えないのは少し残念だが。

 

 

 

 前方からコツツミさんが向かってくるのが見えて一瞬ためらった。

 

 引き返すのも不自然だし、学校では大人しくするとかそんなことを言われた覚えがある。

 

 気にするだけ無駄だと、窓を見ながらやり過ごそうと歩幅を取り戻すと。

 

 

 

「メツギくん」

 

 

 

 ……声を掛けられてしまったら、無視することはできない。

 

 生徒間の会話さえ放棄してしまったのなら、不利益の方が多すぎる。

 

 だから、しかたなく。

 

 ゆっくりと顔を向けると、よく知るメガネを掛けたポニーテールのコツツミさんがいた。

 

 

 

 彼女は手を出して、人差し指をペコペコと、おそらくあいさつのつもりなのだろう。

 

 マネをするのは……恥ずかしいので、わかったふりして手を煽った。

 

 それに満足したのか、コツツミさんは笑みを浮かべるとそのまま横を通り過ぎていく。

 

 

 

 ……あれで良かったのだろうか。

 

 いや、変に抵抗しても突っかかる大義名分を与えるだけ。

 

 なら、無難にやり過ごすのが賢い……んだと思う。

 

 ……正直わからん。

 

 

 

 バラララッ

 

 

 

 音のした正面を見ると、ウチハが突っ立っていた。

 

 手元には数冊のノート、足元には散乱するクラスのノート。

 

 無表情のまま、虚空に吸い込まれていくように、ただこちらを一点に見ていた。

 

 

 

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