「ウチハって、いつもエイタにくっついてるよな」
一年生の教室。昼休みの時間。一人の男子生徒がニヤニヤと笑いながら、ウチハのことをからかった。何となく放たれた言葉だったが。ウチハは男子生徒の〝いつもエイタにくっついてる〟の言葉に、思わずエイタの背中に隠れてしまった。〝ホラ〟と指を差して笑う男子生徒。ウチハはエイタの背後に隠れながら、エイタの服をギュッと握った。ウチハがエイタの服をギュッと握るのに応えるように。ウチハが背中に隠れるキッカケを作った張本人に、エイタは〝やめろよ〟と低い声で言い放った。ビクリと体を震わせてしまうほどの冷たい声。ウチハはエイタに拒絶されてしまったと感じたのか、教室を飛び出して行った。一瞬の出来事に、教室中がシンと静まり返る。次第にざわめき出した教室は、〝席につけ──────〟と入室してきた担任の先生によって、さらに騒がしくなった。教室のみんなが担任の先生を取り囲んだスキに。エイタはウチハの後を追って走り出す。
廊下を探し、保健室を探し、体育館を探し。ついにすすり泣く音のする物置部屋までたどり着く。その物置部屋には一輪車が壁に吊り下げられており。運動会で綱引きに使う大縄が、大きな車輪に巻き取られていて。脚輪のついた大きな鉄製のカゴの中には、大量のサッカーボールが詰め込まれていた。エイタはすすり泣く音が聞こえる方へ進んでいく。大きな鉄製のカゴの間と間。その小さな隙間に、ウチハは小さくうずくまっていた。
「……いた」
ホッと一息ついたエイタは、安堵の表情を浮かべる。そんな姿のエイタを見て、ウチハは無意識に腕を広げる。エイタはそんなウチハの動きに応えるように、ウチハに近寄って優しく抱きしめた。〝大丈夫、大丈夫。平気だから〟とエイタの唱えた言葉に、ウチハは落ち着きを取り戻していく。そして、ウチハはエイタに甘えるように。自分の頭をエイタにグリグリと擦り付けた。ウチハの乱れた髪を、エイタは手櫛で整えた。
「ごめん。ウチハにイヤな思いさせちゃって……」
「うんん。エイタは悪くないよ? エイタがわたしにヒドイことするわけないのにね? ……わたし、エイタを信じてあげられなかった」
「それじゃあ、俺はウチハに信じてもらえるようにしないとだ」
「エ、エイタは」
「?」
「わたしのこと。きらいに、なった?」
「そんなことないよ」
エイタの優しい声。ギュッとウチハを包み込む腕。ウチハはもう一度エイタを強く抱きしめた。するとウチハに、一つの考えが浮かんでくる。ここままエイタに寄りかかる人生というのも、悪くないのかもしれない。けれど、こんな幸せな時間はいつまでつづいてくれるのだろう。もしもエイタに大切な人が出来てしまった時。この幸せな時間は終わってしまうのではないか。いまでこそエイタを独り占めできているウチハだが。エイタの好意が他の誰かに向いた時、ウチハは一体どうなってしまうのだろう。エイタに頼りっぱなしでは、エイタが心変わりした時に引き止めることができない。もしもそんな時に、エイタと同じくらい優しい女の子が現れたとしたら……。
ウチハは願った、エイタに好きになってほしいと。ウチハは望んだ、エイタとずっと一緒に居たいと。だからウチハは決心した。エイタのように優しくてカッコよくなろうと。ウチハはエイタへの想いを懸命に伝えた。驚いた顔をしていたエイタであったが。ウチハの話が全て終わると、エイタはただ一言。〝うん……応援してる〟とだけ告げた。
大好きなエイタに背中を押され。まだなにも始まっていないウチハは、エイタに応援されたことですでに舞い上がっていた。この頃から、ウチハはメツギ家のお世話になる。大好きなエイタと遊んで、勉強して、お泊まりして。そしてある時、ウチハは人生を大きく変えてしまうモノに出会う。
「か、かっこいい」
ウチハはメツギ家のリビングにペタンと座り、テレビを食い入るように見つめていた。顔を覆い隠す仮面のような防具。バチンッと激しい音を出す竹刀。一瞬にスキに全てをぶつけるその気迫。テレビの中では、〝バッ〟と赤い旗が一色に振り上がり。その瞬間、大きな歓声が巻き起こった。ウチハはテレビの中で、どんなことが行われているのかわからなかったが。ただただ、剣道がエイタと同じく〝カッコいいものである〟ということは理解していた。そこからウチハが近くの剣道教室に興味を持つのは、もはや時間の問題だった。ウチハの忙しい両親に代わり、エイタの母親に連れられて剣道教室を見学する。ご厚意で竹刀を振らせてもらったり、剣道の防具を着けさせてもらったり。見学終了後。そこにはパンフレットを読む大人を尻目に、早々と申し込み用紙へ名前を記入するウチハの姿があった。そのあまりの熱中ぶりを見たエイタの母親は、〝エイタも剣道やってみる? 〟と尋ねる。ウチハの期待の眼差しが、エイタを捉えた。
「いや。ぼく運動苦手だから」
エイタの発言にウチハはがっかりする。それをみた母親がエイタを睨んだ。しかし、子供用剣道の道具一式の値段をチラリと見て。母親はエイタを睨むのをやめた。愛しのエイタが剣道をしなくとも。ウチハの剣道教室入りは確実かと思われた。だがウチハの申し込み用紙が提出されることはなかった。ウチハが剣道教室に通うことを、ウチハの両親が認めてくれなかったからだ。ウチハは、剣道への興奮から一転して。次第にこの世の終わりのような表情を浮かべる。そのあまりのウチハへの仕打ちに、エイタは我慢できずに動き出した。エイタはウチハに詰め寄って、両親二人の連絡先を聞き出す。ウチハから連絡先を聞き出したエイタは、躊躇うことなくウチハの両親へ電話した。両親がウチハへ緊急連絡先として教えていた電話に、両親は迷わず電話口に出る。電話の先からウチハを心配する声。エイタは挨拶もなしに、ウチハがどれだけ剣道をやりたがっていたかを叩きつけた。一方的だった。会話ですらなかった。だが唯一、決定的なことがあった。それは、ウチハがとても愛されているということだった。両親はエイタの話に〝うんうん〟と頷き。最後にもう一度話し合うことをエイタに約束する。それからしばらくの日数を置いて。エイタはウチハの両親と対峙していた。
ウチハの両親に険しい表情を向けるエイタ。そのエイタの手を両手で握るウチハ。テーブルを挟んで、ウチハの両親がエイタとウチハのことを静かに見下ろしていた。
「……」
「そんな固くならなくてもいいよエイタくん。なにも叱りつけるために呼んだわけじゃないからね」
ウチハの父親が困ったように笑う。〝あんまり怖がらせちゃダメよ? 〟とウチハの母親が言った。ウチハは両手で握っていたエイタの手を、ギュッと両手で握る。
「それで、ウチハの習い事についてなんだ──────」
「ウチハに剣道をやらせてあげてください! お願いします!!」
ウチハの父親が何かを言い終わる前に、エイタはウチハの両親に土下座した。ウチハは驚き、ウチハの両親も驚き。〝よそ様の子に土下座させてしまうだなんて〟と、ウチハの両親は焦った。
「エ、エイタくん!? まずは顔を上げてくれないかな!?」
尚も土下座の姿勢を崩さないエイタに、ウチハの父親が駆け寄って立ち上がらせる。ここまでされては敵わないと、ウチハの父親はエイタに優しく語りかけた。
「どうやら、私達の間には何か誤解があるようだ、エイタくんにわざわざ来てもらったのは、エイタくんにお礼を言いたかったからなんだよ」
「お礼?」
「ウチハはご覧の通りおとなしい子だ。だから荒事には不向きなんじゃないかと心配したんだ。けれど、エイタくんがウチハの想いを私達に伝えてくれたおかげで。娘の気持ちが強いということを知れた。だから、むしろ謝るべきなのは私達の方なんだよ。ウチハの側に居てくれて、ウチハの事を考えてくれて。ウチハの力になってくれてありがとう。そして、同時にすまなかった。恥ずかしいことに、私達ではウチハの想いに気がつけなかった。大人の私が言うのも情けない話なんだがね。……これからもどうか、エイタくんにはウチハの側にいてほしい」
ウチハの父親はそう言うと、母親ともどもエイタへ深々と頭を下げた。何が起こったのかわからず、目を白黒させるエイタ。反対に、エイタのおかげで剣道が出来るようになると理解したウチハ。この出来事をキッカケに。メツギ家とドウゾノ家のご近所付き合いは、より深いものになっていくのであった。
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「それじゃあ。このノートよろしくね、ドウゾノさん」
「はい先生」
剣道の備品申請用紙を職員室に出しに行って、教室に戻ろうとした所で。ボクは国語の先生に声をかけられた。ボクのクラスのノートを確認し終えたので、ノートをクラスに持っていってと頼まれる。ついでとばかりに、〝まだノートを提出していない生徒に声かけよろしく〟とお願いされた。〝ノートすごい量だなー〟なんて思いながら。ボクはたくさんのノートを両手で抱えて、職員室を後にした。
「ウチハちゃーん。手伝おうか?」
「あ、お願ーい」
「職員室に用事?」
「ん───剣道部の備品の申請ぇ」
「あー。ウチハ剣道部の部長になったんだっけ? 部長になるのって、なんだかとっても大変そう」
「うーんどうなんだろ。でもボクの意見通りやすいし、テスト出るとこ教えてくれるし、面接の時に喋れるし。悪いことばっかじゃないよ?」
「私も部長とかやればよかったかなーて時々思うんだけど。文化部だからなぁー」
「無理にやることもないんじゃない? ボクなんて周りに押し付けられる形でなっちゃったし」
「あはは。でもそれだけウチハちゃんが部員に認められてるってことだよ」
「前の県大会の時、トロフィーもらえませんでしたけどー」
「準決勝惜しかったよねー。ありゃ相手が悪かった」
「夏休みは部活みっちりだけど、みんなの期待に応えれるように頑張らないと」
「私も夏休み部活あるけど……んー運動部と比べるのも失礼かな。でも今年の夏は作品たくさん作りたい!」
「お互い頑張ろうね!」
「うん!」
ボクと友達は、目を合わせあって笑う。そうだよね、ボクに落ち込んでるヒマなんかないよね。友達との話題は、夏休みの予定に変わった。大会前日の追い込みで部活部活の毎日だけど、全く休みがないってわけじゃない。大会の始まる前日は、ボクが完全に休みの日。その日は、いつもいるクラスの友達と。新しく買った水着を着て、海に行くことになっている。ボクと友達は、そんな夏休みの話題で盛り上がっていると。曲がり角に差し掛かった時に、ボクの友達が何かに気がついた。
「あれメツギくんじゃない?」
「え?」
「ほら誰かと一緒にいる。……あれは、コツツミさん?」
「ごめん、先行ってて」
「え? う、うん」
ボクのことを心配そうに見つめる友達を見送って。ボクは物音を立てないようにしながら、二人を物陰から見守った。コツツミさん。エイタが少し前から気になってる女の子。けど、エイタはコツツミさんからずっと相手にされてなかった。なのに、ボクの目は。コツツミさんから挨拶されてるエイタを見ている。……なんだか。エイタとコツツミさんの距離が近くなってて、仲が良さそう。それに、エイタの顔も心なしか明るい。エイタ。この頃ずっと、元気がなかったはずなのに。エイタはいつのまに、コツツミさんと仲良くなったんだろう。ボクの見えないところで、エイタとコツツミさんはなにをしているんだろう。
バラララッ
エイタとコツツミさんの二人に気を取られすぎて、ボクは抱えていたノートを廊下にばらまいてしまう。二人の視線がボクの方を向く。ボクは驚いているエイタを見つめていた。エイタが近づいて来てくれて、ノートを拾うのを手伝ってくれる。ノートを拾い終わったエイタは一言。〝ごめん〟と小さくボクに謝って、ボクにノートを手渡した。小さい頃からずっと一緒だったボクじゃなく、コツツミさんを優先されたような気がして。ボクはなんだか、とってもモヤモヤした気持ちになった。
ボクは友達に〝大丈夫? 〟と心配されながら、放課後までの時間を過ごした。〝部活の時間だ〟と、ボクは自分の剣道具をキョロキョロ探すけど見当たらなくて。すぐに、〝あ、そうだ。テストあるから部活なんだ〟と思い出した。〝家に帰って勉強かー〟と元気をなくしていた所で、ボクはふと思いつく。そうだよ。部活がないならエイタとたくさんお話できるじゃん。エイタとちゃんとお話しすれば、エイタがなんで元気がないかわかるかもしれない。そうとなれば、ボクはカバンを教室を見渡してエイタを探した。だけど、エイタの姿はもうない。それに、コツツミさんの姿も見えなかった。〝エイタとコツツミさんは、もしかしていま二人っきりかも〟。そんなことを考えていたら、ボクはカバンを振り回してエイタを探していた。
下駄箱に上履きがあるのを確認すると、ボクは急いでエイタの後を追う。靴紐が解けかかっていることに気がついたけど、いまは靴紐を結んでいるヒマはない。靴紐をそのままにして校門へ向かう。校門から出て、エイタを探した。いた。エイタとコツツミさんが、交差点で信号待ちしている。けど、その道はエイタの家の帰り道じゃない。コツツミさんの家への帰り道だ。ボクは二人に追いつくため、靴紐が解けそうなのを忘れて走り出した。信号が青に変わって、二人は人混みの中に消えていく。ボクは二人を見失わないようと、もっともっと早く走ろうとした瞬間。解けた靴紐を踏んでその場に転んだ。痛い。頬がヒリヒリする。だけど二人に追いつきたくて、ボクは靴紐の解けた靴を持って交差点に急いだ。点滅する青信号。すりむいた頬が風に触れて余計ヒリヒリする。なんとか交差点をギリギリで渡り切って、必死にエイタの姿を探して。もうどこにもいなくなってしまった二人に、ボクは靴紐の解けた靴を持ったままうつむいた。