鏡の奥の向こう側   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

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ハロー効果

 

 

 

 長かった六時限目が終わった。担任の先生が教室に来るまでの待ち時間。教室のみんなは、どこかそわそわと落ち着かない。それがテスト期間によって自由時間がより増えるとなれば、はしゃぎたくもなってくる。喜びをスマホに向かって表現したり、お調子者が他の教室に走り出したり、目立ちたがりが教壇に立ってなんか始めたり。俺の目には、とてもテストを再来週に控えた生徒の姿には見えなかった。そして同時に、俺ははしゃいでいる彼らのことを羨ましく見ていた。ウチハが立った、決勝戦の体育館ホール。クラスメイトが、学年のみんなが。ウチハの勝利という一つの願いのもとに団結するのは、心地のいい体験だった。こう、なんというか。自分が世界から無条件で受け入れられているような、そんな安心感がある。ウチハはもちろん。空気を作り出す中心人物というのは、きっと俺が感じている以上の一体感を味わっているのだろう。あの時、体育館ホールで感じた以上の心地よさ。是非とも一度でいいから、この身で体験してみたいものだ。

 さあ、他の誰かを羨ましく思うのはこの辺にして。俺にはいますぐにでも、どうにかしなければならない問題がある。それが、勉強する理由を見失ってしまった問題だ。もともと勉強に力を入れていたのは、ウチハに勉強を教えてあげたかったからだ。だが今はどうだ。ウチハは県大会の決勝戦という大舞台に上り、たくさんの知り合いからの歓声を受け取って、表彰台でトロフィーを貰ってピースサインを決めるような。高嶺の花になっていた。才能を開花させたウチハに対して、俺は出来損ないもいいところ。そんな俺が、果たしてウチハに勉強を教えていていいのだろうか。ウチハの周りには、俺よりも教え上手の子だっているはずだ。それなのに、俺が無理に教えるのは。双方を不幸にしてしまうのでは? 母さんは俺に〝ウチハちゃんを支えてあげなさい〟としかいわない。何もかも、あの頃とは違うのにだ。いい加減、誰かのための勉強ではなく。自分のための勉強をしよう。

 俺は要領がいい方じゃ決してない。一度違和感を覚えると、そこからずっとその違和感にかかりきりになってしまう。頭のモヤモヤが取り除かれるまで、何度も何度も違和感が頭の中で跳ね回る。勉強をする理由を見失ったいま、俺には勉強をする本来の理由が必要だ。仮に、勉強が賢くなることを目的にしているとして。言い換えるなら、勉強とは多角的視点を獲得するための手段なのかもしれない。教育の礎を築いた先人が、広い視野で世界を見てほしいと願いを込めたのなら。およそ社会で活用できない幅広い知識が詰め込まれることにも合点がいく。本来はあらゆる視点で考えられてきた教育が。いつしか社会に出た時に〝使えるか〟〝使えないか〟の二択で議論されてしまうようになったのは、時代の流れと表現すべきなのか。小学校・中学校・高校では見向きもされない哲学について考えることも。多角的視点を基に考えるなら、全くの無駄ということもないはずだ。行動の基準さえ決まれば、後はそう難しくはない。自分の身の丈以上のことは引き受けなくていい。無理をしてまで、ウチハの勉強をみようとしなくていいんだ。〝誰かのために頑張る〟なんてことは、自分のことを片付けた後に考えるべきことで。成績という一つの基準のために、他を捨ててまでのめり込むというのは……どうも賢いとは程遠く思う。分からないなら、解らないなら、判らないなら。止まったっていい。うずくまったっていい。振り返ったっていい。寄り道したっていい。そしてまた、戻ってきたって、別の道を進んだって。だってそうだろ? どこに自分の可能性が埋まっているかなんて、世界の誰にもわからないのだから。

 思考に一区切りついて、ホッと息を吐き出す。コツツミさんの能力を借りて、ようやく形にできたという点は情けないが。これで俺はようやく一つ前に進むことができる。乾いた土に、ようやく一つの実がなったことに。俺は静かな興奮を覚えていた。……でも、妙だな。俺は何か、大切なことを見逃しているようでならない。〝一体、俺は何を見落としているんだ? 〟と考え込む頭は、廊下を足早に進む音によって打ち切られるのだった。

 

 

 

 放課後のHRも終わり。俺は帰り支度を素早く済ませ教室を出る。生徒は少ない。誰よりも速く昇降口へと向かった。正門の横。通行の邪魔にならない端で立ち止まり。着信なんて身内のしかないスマホを眺めるふりして。目当ての人物が正門を通るのを待つ。しばらくして……。

 

「コツツミさん」

 

「……わぁ、驚いた」

 

「すみませんでした」

 

「あ? 意味わかんないんだけど」

 

「いや。俺はちゃんとコツツミさんに向き合えてなかったから」

 

「だからってそんな簡単に謝っちゃうの? おかしいでしょ、それ」

 

「どんな所が?」

 

「……そういう空気読めないとこ」

 

 俺はコツツミさんに頭を下げた。頭を持ち上げた時のコツツミさんの顔は、得体のしれない地底人を目撃したみたいに引いている。よかった。〝コツツミさんには全く話が通じない〟というわけではないようだ。スタスタと歩き出したコツツミさんの後を、俺は追いかけた。俺がコツツミさんへ謝ったのは、コツツミさんへ一方的な印象を押し付けていたことについてだ。俺はてっきり、コツツミさんはもっと大人しい人なのかと誤解していた。だが実際のコツツミさんは、かなり活発的で悪魔のような人だった。これで俺が〝印象と違うぞ! 〟とコツツミさんを怒ることはできない。コツツミさんは初めからちゃんと、かなり活発的で悪魔のような人だったからだ。教室でいじめられていても涼しい顔をして。ウチハのような強豪が育った剣道部に、飛び入り参加するような人なんだ。いま思えば、コツツミさんは〝大人しい〟からかけ離れていた。少し考えればわかることを、俺は自分にとって都合のいい方向に考えていた。俺がこんな失礼な態度をとっていたのなら、コツツミさんの行動に納得……はできないが。コツツミさんが暴れるキッカケを作ったのは俺で間違いない。

 

「それと。コツツミさんにはお礼を言いたかったんだ」

 

「ふーん。ねぇ。メツギくんって、相当変わってるよね?」

 

「まあ……自分が変わってる自覚がない訳じゃないけど」

 

「で? いきなりお礼なんか言ってきてどうしたの? もしかして、あたしに惚れちゃった?」

 

「……コツツミさんの助言で、俺の中で一歩前進したってことを伝えたくって」

 

「あー賢いがどうたら。というか、メツギくんってまだデカルトみたいなことやってるんだ」

 

「? デカルト?」

 

「こっちの話。で? メツギくんは結局なにがしたいわけ?」

 

「コツツミさんは、〝賢さ〟のことを〝多角的視点〟といった」

 

「だからなんだよ」

 

「俺は〝賢さ〟は〝多角的視点〟というコツツミさんの意見には納得できない」

 

「あ!?」

 

「コツツミさんの意見を聞いて。なるほどな、とは思った。……けれど、そっから先に前進しないというか。俺が探し求めているものとは違うというか。……なんだか腑に落ちないんだ」

 

「あたしの意見が間違ってるって言いたいわけ? なにそれ? あたしに喧嘩売ってんの?」

 

 俺が〝そんなことは〟と否定する前に。コツツミさんは俺の胸ぐらを掴んで引き寄せた。俺の夏服のシャツから、〝ミチミチ〟と生地を無理やり引っ張るイヤな音が聞こえてくる。俺はなんとかコツツミさんをなだめようとするが、コツツミさんの胸ぐらを掴む力が弱まることは決してなかった。それでも必死にコツツミさんをなだめていると、突然コツツミさんが俺の胸ぐらから手を離す。

 

「あーあーそうだったそうだった。メツギくんはこうやって詰め寄ると何もできなくなるんだった。ごめんね? いまラク~にしてあげますからね~?」

 

「……」

 

 大通りの信号。信号が切り替わる一瞬の静寂。信号が切り替わり青になる。路上の車が、前の車に早く動けとクラクションで急かす。それに応えるように動き出す車体。俺達のやりとりにお構いなく、周囲はただ無関心に前進していく。コツツミさんに掴まれていた胸ぐらが離されて。ホッと安心している自分がいることに気がついた。コツツミさんが手を離してくれなかったら、俺は一体どうなっていたのだろう。イカン、イカン。コツツミさんに呑まれちゃいけない。本来の目的を見失うな。惨めな自分から抜け出すためだったら、何だって差し出す覚悟じゃなかったのか。グッと拳を強く握り、意地でコツツミさんに張り合う。

 

「俺は……ご覧の通り、能力が低い」

 

「知ってる」

 

「もっと深い場所にある〝賢さ〟を見つけ出すためには、コツツミさんの力が必要なんだ」

 

「それ言われてさぁー心が動いちゃう人って、便所裏の野草みたいな、誰からも見向きされないメツギくんだけじゃない? ようは自分で作物育てられない無能が、俺の代わりに育ててくれって丸投げしてるだけでしょ? そんな図々しいヤツなんかに、誰が力を貸そうと思うわけ? え? メツギくん、この状況であたしが協力するってマジで思ってんの?」

 

 コツツミさんから厳しい言葉が飛んでくる。実際、コツツミさんが俺に力を貸して得することは何もない。それなのに俺が〝力を貸せ〟というのは、かなり無理がある。けれど、俺はこの無理を通さなければならない。コツツミさんの力無くして、本当の〝賢さ〟を見つけることなんて出来ないからだ。

 

「ふふん。まぁまぁメツギくん、そんな落ち込まないでよ。あたしは他のヤツらと違ってとっても優しいんだよ? さぁ、この手を取って? メツギくんをみ「違う」……あ?」

 

「こんな俺でも、受け入れてくれる優しい人は他にも──────」

 

「あっそ」

 

 コツツミさんは、俺の言葉を興味なさそうに吐き捨てた。そのままコツツミさんはスタスタと横断歩道を渡っていく。しくった。コツツミさんを怒らせてしまった。だがどうしても、ツキノキさんが俺に優しくしてくれたことを否定したくなかった。コツツミさんの〝救いの手〟を大人しく取っていれば、コツツミさんはすんなりと俺に力を貸してくれたのだろうか。……いいや、俺にそんな器用なマネはできない。もう終わってしまったことよりも。いまこの瞬間、どうやってコツツミさんの力を借りるかに意識を集中させよう。

 

「もちろんタダでコツツミさんの力は借りない」

 

「あ? メツギくんがあたしを満足させられるモノを差し出せるわけないでしょ?」

 

「コツツミさんが何を目的にしてるのかはわからないが。コツツミさんは、俺に〝救いの手〟をとって欲しかったんじゃないか? けれども実際は、俺はその〝救いの手〟を取らなかった」

 

「何が言いたいわけ?」

 

「コツツミさんが差し出した〝救いの手〟への誘導が下手だったってことだ」

 

「あ゛!?」

 

 コツツミさんは、俺の言葉にわかりやすくブチギレた。ドスの聞いた声で、俺のことを睨みつける。俺は思わず後退りしたく成ってしまうが、ここで引いてはいけない。俺がちゃんと、コツツミさんに利があるってことを示す必要がある。さもないと、コツツミさんと公平な関係性は築けない。

 

「そもそもコツツミさんは、本当に俺に〝救いの手〟を取って欲しかったのか謎だ。俺にはずっと攻撃的だったし、いきなり手のひらを返して優しくしてきたのも怪しすぎる。これでもしも俺がコツツミさんの差し出した、〝救いの手〟を取ると考えていたのなら。コツツミさんは相当鈍感な人なのか、相当頭がおめでたい人なのかもしれない」

 

「お前あたしに喧嘩売ってるだろ」

 

「別に喧嘩なんて売ってない。いま俺が言ったのは、あくまで俺からコツツミさんがどう見えたかだ。けど。俺の読みが外れているのなら、コツツミさんは余計に俺を取り込むべきじゃないか? ……多角的視点ってやつを、もしコツツミさんが目指しているのなら」

 

「……」

 

 コツツミさんが怖い顔で俺を睨んだまま静止する。俺がコツツミさんと公平な関係を結べるとしたら、この〝多角的視点〟以外に考えられなかった。もしも俺から見たコツツミさん像が合っていたのなら、〝俺の分析力を買え! 〟と言える。反対に。俺から見たコツツミさん像が間違っていたのなら、〝俺の別視点を買え! 〟と言える。コツツミさんが、〝多角的視点〟を重視している前提は必要だが。これで俺の提案がどう転んだとしても、必ずコツツミさんに協力の対価を差し出すことができる。

 

「ウッザ……それであたしを理解した気にでもなってるの? 人間は不合理で矛盾に満ちた生き物じゃん。あたしメツギくんのその考え方ダイッキライ」

 

「……」

 

「メツギくんの方こそ。あたしの前で嘘をついて、あたしを騙そうとしてるんじゃない?」

 

 コツツミさんが疑いの目で俺を見てくる。なんで俺がコツツミさんを騙さなきゃならないんだ。仮にもしコツツミさんを騙そうとしても。コツツミさんなら簡単に俺の嘘を見抜いてきそうだし、そして何よりも……。

 

「……俺がそんな器用な人間に見えるのか?」

 

 俺は真顔でそう言い放った。コツツミさんは一瞬驚いて、しばらく黙り込んだ。そして、突如として大口を開けて笑い出した。通行人の目など気にせず、お腹を抱えて笑っていた。よほどコツツミさんのツボに入ったのか、コツツミさんの大笑いはなかなか収まらなかった。笑いすぎて、息苦しそうにしているコツツミさんの姿を。俺は唖然と見つめていた。

 

「ほんと、あたしバカみたい。何してんだろ」

 

「???」

 

「こんなに笑ったの久しぶり。ヤバイ、笑いすぎて涙出てきた」

 

「だ、大丈夫なのか?」

 

「メツギくん、あたしの力借りたいんでしょ?」

 

「あ、あぁ」

 

「いいよ、メツギくんに協力してあげる。あたしいますごく機嫌がいいから。機嫌のいいあたしに、メツギくんは死ぬほど感謝してよね?」

 

 そう言って、コツツミさんが俺にウインクする。俺はコツツミさんがなんで笑ったのか、全く理解できなかったが。しかし、コツツミさんが俺に力を貸してくれることは理解できた。これで俺はまた一歩、〝賢さ〟に近づくことができる。一体この一歩をいくつ積み重ねればゴールできるのかと考えながら。コツツミさんの協力という確かな成果を胸に。俺はコツツミさんの言葉に、力強く頷いた。

 

 

 

「……ただいま」

 

「あら、帰って来た」

 

「?」

 

「ウチハちゃんから探してるって連絡きてたわよ? アンタ、ウチハちゃんのことほったらかして何してるの? また下らないことで喧嘩したんじゃないでしょうねぇ?」

 

「……」

 

 自分のスマホを確認すると。ウチハからのメッセージが立てつづけに入っていた。ザッと流し読みするが、どれもこれも内容がない。〝おーい〟だとか、〝みてるー? 〟だとか、〝いまどこー? 〟だとか。用件については一切なく、短い単語が延々と送られてきている。俺はその送られてくるメッセージの多さに、軽い恐怖を覚えていた。ウチハに何か返信するべきか? とりあえず動いた指が、入力画面でピタリと止まる。内容がないメッセージを何度も何度も送ってくるなんて、ただの嫌がらせじゃないか? 母さんの厳しい目線が突き刺さる中で、ウチハから新しいメッセージが送られてくる。

 

《どこ?》

 

『人間は不合理で矛盾に満ちた生き物じゃん』

 

「俺が……間違ってたのかもな」

 

 長年一緒に居たはずの幼馴染が、いま何を考えているのかさえ。俺にはもうわからない。

 

《ねえ》

 

 

 

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