「はい、エイタ。あーん」
「……」
「もう二人とも突然どうしちゃったの? あ、今晩は家開けといた方がいいかしら?」
「も、もうおばさんったら、気が早いですよぉ」
"うふふ"なんて嬉しそうに笑みを溢して。
なんだ、この空気は。
俺の知らない間に、一体何があったっていうんだ。
運び込まれるカレーライスを、無心で受け入れながら。
頬にかさぶたを作ったウチハをチラリと伺う。
向こうは視線を目敏く察知すると、"おいし? "と蕩けるようなフニャフニャの笑みを浮かべた。
底冷えしてしまいそうな、輝きのない眼差しをそのままに。
……俺達は喧嘩していたはず。
余計なことはしないでと訴えるウチハと、居ても立ってもいられなかった俺。
いままでの付き合いのなかで断トツの不仲に陥っていた……はずだ。
それがまた、どういう了見で距離感が狂うなんてことになる。
いま目の前にいるのは生き別れの双子で……なんてひどい急展開の方がまだ信憑性があるぞ。
「それよりも、二人とも期末試験もうすぐでしょ? どうなの? 大丈夫そ?」
「……」
「範囲広いですけど、エイタが本気を出しちゃえば、期末試験なんてちょちょいにちょい、です。エイタってすっごく教え方上手いんですよ? わからないところがあったら、根気強く色んな方法で教えてくれるんです!」
「あらそうなの? 普段ウチハちゃんの足引っ引っ張ってるから、お役に立ててなによりだわぁ。ところでアンタ、このごろ成績落ちてるんですって? 危機感ちゃんと持ってんの?」
「……」
「エイタは……最近ちょっと調子が悪いだけですから。……もしかして、ボクがいると勉強の邪魔だったりしちゃう?」
「なにいってんのよウチハちゃん。剣道頑張って勉強もこなしてるウチハちゃんならいざ知らず、点数が悪いのは、エイタが夜遊びなんて覚えた自業自得じゃない。だいたいこの前の態度あれなに? ウチハちゃんに迷惑かけてなんとも思わないわけ? 全くもう」
「そのことはもういいんですって。ボク達ちゃ~んと仲直りしたんですから」
"ね? "とご機嫌に同意を求めて、太ももを執拗に撫でてきた。
目の辺りはじんわり腫れぼったく、瞳は生気を失ったように死んでいる。
そのあまりの落差異様さに、探りを入れるなんて余裕は毟り取られた。
俺の記憶では、決別した後、マトモな会話が交わされることはなかった。
俺がオカシイのか?
俺だけが会話の流れについていけてないのか?
頼むから誰か状況を説明してくれ。
「はぁホント、なんでこんな情けなくなっちゃったのかしら。こんなエイタ想いの素敵な子振り回しておいて、自分は遊び呆けて? 挙げ句ウチハちゃんを出しにつかって責任転嫁? アンタの手口は下劣なのよ。……そうだわウチハちゃん、お願いがあるんだけど。テスト期間中はウチハちゃん家でエイタの面倒見てもらえない? 朝夕は一緒に食べればいいから、エイタが勉強に向かうよう見張っててもらうことってできたりする?」
「ボクは良いですけど……エイタは、イヤ?」
「……」
「ちょっと良い加減にしなさい!! だんまり決め込んでないで、なんとか言ったらどうなの!?」
「俺は……ヤダよ」
「あーはいはい。自分がどれだけ恵まれてるかも知らないで、良くもまあ反抗的な態度取れるものね」
「イッ!」
「?」
足にハンマーを打ち付けたような衝撃が響く。
第一指・二指・三指の付け根に、4tトラックが降ってきたような激痛。
衝撃が骨を震わせ、神経の圧縮で麻痺を起こす。
かかとだ。
ウチハのかかとが突き刺さっていた。
そのまま、ゆっくりと、少しずつ。いま一度同じ痛覚を味わわせてやろうと、踏みにじってくる。
「ぅ、ウチァ?」
「ん? な~に♡」
「やめて、くれないかぁ……」
「なんで?」
「俺には、わからない……」
「じゃ一緒に勉強頑張ろっか!」
「それは……ッッッ!!」
頷くしかなかった。
それしか解放してもらう条件を満たせなかったから。
説得するだとか、逆ギレだとか、逃走なんて出来っこなくて。
いくら祈りを捧げたところで、所詮まやかしに過ぎないだ。
周囲にとっちゃ、俺の意思なんざ踏みつけて、ねじ伏せて、押し付けて。
問答無用と弱くて、鈍くて、使えない現実に引き戻す。
あぁ、この理不尽にあと何年付き合わされるのだろう。
個人を構成する要素が、生活環境にも左右されることを、まざまざと思い知らされる。
「ハァ〜よかった。一時はどうなるかと思ったけど、なによぅただの照れ隠しじゃない。お熱いようでなによりだわぁ。い〜いエイタ? 二人っきりだからって、あんまり羽目外しすぎるんじゃないわよ? ドウゾノさん家はアンタを信用して娘さんを預けてるんだから、何か間違いでも起こしたら、二度とウチの敷居を跨がせないからねぇ!?」
「……」
「ごめんねぇーウチハちゃんばっかり損な役回り押し付けちゃって。無理そうならすぐ連絡入れてね? もし無理に襲われたら、こう竹刀でボッコボコにしてあげて?」
「あはははは。安心してくださいおばさん、優しいエイタがそんなことするはずありませんから」
自由意思などない夕飯が終わり、部屋に逃げ込むと、旅行バックとアメニティグッズが用意されていた。
あまりの対応の早さにへたり込む。
「エイタ~? 準備手伝おっかぁ~?」
「俺がなにしたってんだ……」
「どうしちゃったの? お話ならボク家でとことんやろうよ」
袖を引かれて。
無邪気を装っていることは、笑っていない目が顕著に物語っていた。
いつの間に構えた竹刀で胴をつついてきて、口元だけを器用に緩めながら。
あくまで強制合宿は覆さない構え。
諦めの境地。
仕方なく衣類を詰め、荷物をまとめ、外に出る。
「やっと二人きり」
「……」
「キレイな腕……女の子みたい」
隣家に至るまでの僅かな道。
竹刀袋を背負って、疲れ切った声を漏らしながら、俺の腕は絡め取られた。
なにが気に入らないのか、カリカリと半袖を執拗に引っ掻いている。
天下の公道。情緒不安定。精神的にも肉体的にも非常に歩きにくい。
"昔みたいだな"と記憶が引っぺがされて。
あの頃の選択を見誤った結果がいま、これなわけか。
「ボク見ちゃったんだ。エイタがコツツミさんと帰ってるとこ」
「……お前には関係「あるよ。みんな薄々気付いてる」
「だからってこれは、簡単に曲げられる問題じゃない」
「へーそんなにコツツミさんが大事なんだ」
ウチハ家の玄関に上がると、鍵をロックする音が辺りに響き渡る。
開口一番飛び出したのは、コツツミさんに関する事だった。
慎重に行動した筈だったが、やはり人目についてしまうことは避けられなかったか。
いや、影の薄い俺ではなく、なにかと注目されるコツツミさん経由で噂が広まってしまったのかも知れない。彼女は良くも悪くも、独特な存在感を放っているから。
矢面に立つ覚悟はしていたつもりだ。
例えコツツミさんの火の粉が飛び火しようとも、計画を断念するわけにはいかない。
すでに高校二年の一学期が終わろうとしている。
進路を明確にすることを求められ、それが終われば、新しい目標に向けて走り出さないといけない。
あっという間、あっという間だ。
現実から目を背けてきた代償が、ここに来て覆い被さってきている。
俺には、周りが楽観視するほどの時間的猶予が残されていない。
一刻も早く答えが欲しい。
が、肝心の作物は未だ収穫時期には程遠く。
焦る気持ちをグッと堪え、細く。長く。光を放つ頼りない可能性の糸を手繰り寄せる。
遅い作付けなのは百も承知の上。
多少のリスクを前にして、唯一の希望である苗木を切ってしまうような行動に、俺が舵を切れるわけ……ないんだよ。
それを言葉に出来ないのは、単に。俺の力不足で。信頼を築けなくて。話しても無駄だと。心が閉じてしまっているから。
当たりがないガラガラを熱心に回させてるみたいだ。
白玉の残念賞しか出ないのに、何度も何度も挑戦してきて。
そんな諦めの悪さが、俺をより一層醜悪にする。
だから、もう。ほっといてほしい。ほっといてくれ。
「ボクにも大事なものがある。エイタがなりふり構わないっていうなら、もうボクもやり方にこだわらない」
「……」
「この二週間。この二週間だけボクを自由にしていいよ? エイタの全部、受け止める、から」
「……悪いけど」
「うん……わかった。ならせめて、この瞬間だけでも」
ウチハが俺の胸に収まる。
驚いた片腕はウチハが両手で拘束して。クルリと回って、腕はウチハの胸の中。
まるで我が子に愛情を注ぐかのように、頬擦りを始めた。
かける言葉が見つからない。
自分が心底情けない。
呆れたのか、失望したのか、嫌気がさしたか。例えどんな感情を飼っていたとしても、見逃してくれたことに変わりない。
ならせめてもと、彼女を優しく抱き締める。
強くて、小さくて、暖かい。
もう少し早く。いまよりちょっと賢ければ。ウチハを受け入れる未来があったんじゃないか、なんてもしもに目を閉じて。
深い深い、誰もが捨て去る奈落への道。
決意は固いぞと、光を最後に、ただ闇へ。
「ボクは絶対エイタの味方だから。なにか辛いことが起きたときは、ボクにも相談してね?」
「コツツミさん」
「……凡人って暇なわけ?」
「約束をブッチされるよりはマシかな」
「あたしってそんな適当に見える?」
「そこは、まあ……お互い様ってことで」
「いやいや、だからって昨日今日であたしに話しかけるとかおかしいって。そんな軽い気持ちでチャンス使うの? もっとさぁこのあとすぐの長期休暇ん時に呼び出すとか考えなかったわけ? ま、あたしとしては実働時間減らせてありがたいんだけど」
「連絡先を教えてくれなかったコツツミさんにも責任の一端があると思うよ」
「メツギくん絶対人付き合い長引かないタイプでしょ? ほら、押しの強い男は嫌われちゃうぞーって」
「……」
汗をハンカチで拭いながら反応に困っていると、校門を通り過ぎる生徒と目がかち合う。
同級生なのかは……ちょっとわからないが、少なくとも同じクラスでないことは確か。
それでも人付き合いの輪の中で、少しでも面白そうな話題はあっという間に共有されると考えて齟齬はない。
いくら注目を集めることを許容するとはいえ、余計なものまで呼び込む気もさらさらない。
さっさと場所を移そう。
「どこか店に入って話そう。……少ないけど、奢るよ」
「腹満たしてポロリが目当て?」
「要望あるか?」
「チョコミント」