「はい、エイタ。あーん」
「……」
「もう。二人とも突然どうしちゃったの? あ、もしかしてお母さんお邪魔かしら?」
「も、もうおばさんったら。気が早いですよぉ」
ウチハと母さんはそう言って互いに笑い合った。なんなんだ。この空気は。俺の知らない間に、一体何が起きたっていうんだ。ウチハから絶え間な俺の口へ運ばれるカレーライスを、俺は無心で食べながら。いつ怪我したのか、手に絆創膏を貼っているウチハを盗み見た。ウチハは俺の視線を目敏く察知すると。〝おいし? 〟と小首を傾げて、味の感想を俺に尋ねた。少し前までの仲違いが嘘のような、微笑みを浮かべて。……俺達二人は喧嘩をしていたはずだ。コツツミさんに余計なことはしないでと訴えるウチハと、コツツミさんに余計なことをしてしまった俺。いままでの長いウチハとの付き合いの中でも、今回のはダントツで不仲に陥っていた……はずだ。それがまたどうして、ウチハは仲直りした後のような態度を取っているんだ。俺の知らない間に何かが起きた。だがそれを、ウチハに直接聞こうという気にはなれなかった。
「あ、そうそう。二人とも期末試験もうすぐなんでしょ? どうなの? 大丈夫そ?」
「……」
「今回のテストの範囲広いですけど。エイタが本気で教えてくれれば、期末試験なんてちょちょいのちょい! ですよ。エイタって、すっごく教え方上手なんですよ? ボクが〝わからないー〟って言ったところをちゃんと教えてくれるんです!」
「あらそうなの? 普段ウチハちゃんの足引っ張ってるから。こういう時くらいウチハちゃんの役に立ってもらわないと困っちゃうわぁー。ところでアンタ、このごろ成績落ちてるんでしょ? 危機感ちゃんと持ってんの? テストで赤点取って退学なんてことになったら、お母さんアンタのこと一生許さないからね!?」
「……」
「エイタは、最近ちょっと調子が悪いだけですから。……もしかして、ボクがいるとエイタの勉強の邪魔だったりしちゃう?」
「なにいってんのよウチハちゃん。剣道頑張って勉強も頑張ってるウチハちゃんならいざ知らず。エイタの点数が悪いのは、エイタが夜遊びなんて覚えた自業自得じゃない。だいたいこの前の態度あれなに? ウチハちゃんに迷惑かけて、アンタなんとも思わないわけ?」
「そのことはもういいんですって。ボク達ちゃんと仲直りしたんですから」
〝ね? 〟とウチハは俺の耳元で同意を求めた。俺はウチハの言葉に同意も否定もできず、ただカレーを食べることだけに意識を集中させていた。俺の記憶が正しければ。ウチハと意見が衝突した後、マトモな会話が交わされたことはなかったハズだ。しかし、いまこうしてウチハはご機嫌だ。まるで俺と仲直りをしたかのような態度で俺に接してきている。俺がオカシイのか? 一体ウチハの身に何が起きたんだ? 頼む。誰でもいいから俺がいま置かれている状況を説明してくれ。
「はぁホント、なんでウチの子はこんな情けなくなっちゃったのかしら。こんなエイタ想いの素敵な子放っておいて、自分は遊び呆けて? 挙げ句ウチハちゃんをダシにつかって責任転嫁? アンタは男以前に、人として最低なのよ。……そうだわウチハちゃん、お願いがあるんだけど。テスト期間中はウチハちゃん家でエイタの面倒見てもらえない? 朝夕はみんなで一緒に食べればいいから。エイタがちゃんと勉強するように見張っててもらうことってできたりする?」
「ボクは良いですけど。エイタが……」
「……」
「ちょっと良い加減にしなさい!! アンタだけずっと黙ってないで。なんとか言ったらどうなの!?」
「俺は……ヤダよ」
「あーはいはい。自分がどれだけ恵まれているか知りもしないで。良くもまあ反抗的な態度取れたものね。そんな態度ばっかり取ってると、ウチハちゃんに見捨てられちゃうわよ!?」
「……」
「あ、あはは」
母さんの〝このままだと見捨てられる! 〟という言葉に、俺は何の危機感も感じなかった。というよりむしろ、ウチハが俺の見捨ててしまった方がお互いのためなんじゃないかとすら考えている。ウチハには友達が多い。その中には、俺よりも勉強が教え上手なヤツだっていることだろう。いや、例え俺の方が勉強を教えるのが上手かったとしてもだ。俺みたいな愛想のない人間に教わるよりも、愛想のいい人間に教わった方が勉強もしやすいはずだ。俺のこの態度で、もし本当にウチハに見捨てられてしまうのなら。そんな未来も、悪くない気がして来た。俺がいつまでも返事をしないでいると、ウチハが俺の袖を掴んだ。ウチハの顔は見ない。ウチハを見てしまうと、ウチハを無視していることに耐えられなくなってしまうだろうから。俺の袖をクイクイと引っ張るウチハにも、俺は沈黙を貫いた。母さんの怒りが徐々に貯まっていくのを肌で感じる。
「はい! エイタはテスト期間、ボクと勉強します! 決定!」
ウチハは俺の手を両手で握ると、宣言するように高く掲げた。ウチハが無理矢理、俺と勉強をする宣言をして場を納めたのを見た母さんは。呆れたように大きなため息をつくと、眉間にシワを寄せて不機嫌そうに口を開く。
「ハァ。よかったわね、アンタ。ウチハちゃんがとっても優しくて。普通なら、ビンタの一発でも貰って嫌われてるところよ? 今日のことは、優しいウチハちゃんに免じて許して上げる。けど、いい? エイタ。 ウチハちゃんと二人っきりだからって、あんまりウチハちゃんに甘えるんじゃないわよ? ドウゾノさん家は私達を信用して娘さんを預けてるの。今度ウチハちゃんを悲しませるようなことしたら。例えウチハちゃんが許しても、お母さんが絶対許しませんからねぇ!?」
「……」
「ごめんねぇーウチハちゃんばっかり損な役回り押し付けちゃって。気が変わってエイタと一緒に居たくないってなったらすぐ言ってね? あと、もしエイタが血迷ってウチハちゃんを襲ったりしたその時には。こう、エイタを竹刀でボッコボコにしてあげて?」
「あ、あはは。でも、安心してくださいおばさん。エイタがボクにヒドイことなんてするはずありませんから」
勝手にウチハの家で勉強させられることになった夕飯の後。俺は自分の部屋に戻ると、そこにはせっせと荷物をまとめているウチハがいた。大きなカバンにはすでに、これから旅行に出かけられるほどの荷物が詰められていた。ウチハが俺に気が付いてニコリと笑う。
「エイタ、荷物勝手に詰めちゃったよ? おばさんから、今日からボクの家に泊まらせて欲しいってお願いされてね?」
「……」
「あとは歯ブラシとか、シャンプーとか。エイタがいつも使ってるのをまとめたらいつでも出れるからね?」
「ウチハ」
「? なーに? エイタ」
「頼みがある」
「テスト勉強したくないーって言ったりしちゃダメだよ?」
「それだ」
「あ、あはは。ボクにおばさんとの約束破ってほしいんだ」
「そうなる」
「ダメだよ。ちゃんとテスト勉強しないと。おばさんにまたお怒られちゃうよ?」
「いまの俺には、テスト勉強よりも大切なことがあるんだ」
「その大切なことっていうのが、コツツミさんなの?」
「……」
「ボク見ちゃったんだ。エイタがコツツミさんと帰ってるとこ」
「……ウチハには関係──────」
「あるよ。ボクにとっても関係ある」
「だからってこれは、簡単には曲げられないんだ」
「ボクにも大切にしたいものがある。エイタがコツツミさんとどうしても会いたいって言うのなら。もうボクもエイタを止めるやり方になんかこだわらない」
「……」
「この二週間。このテストの二週間だけボクを自由にしていいよ? エイタの全部。受け止める、から」
「ダメだウチハ。俺のためにそこまでする必要はない。もっと自分を大切にしてくれ」
「……大切にされすぎちゃうのも、それはそれで傷ついちゃうんだよ?」
「……」
「そっか。エイタはコツツミさんが、そんなに大切なんだ」
「……」
「うん、わかった。いいよ? ボクもエイタと一緒に怒られてあげる」
「ごめんな。ウチハ」
「謝らなくていいよ。だって、それはエイタが決めたことなんでしょ? だから、ボクに謝らないで」
「……」
「でも、これだけは忘れないでね? ボクはいつだって、エイタの味方だから」
「コツツミさん」
「……メツギくんって暇なわけ?」
「約束を破られるよりはマシかなって」
「あたしってそんな適当に見える?」
「そこは、まあ。……お互い様ってことで」
「いやいや。だからって昨日今日であたしに話しかけるとかおかしいって。そんな軽い気持ちでチャンス使うの? もっとさぁ、このあとすぐの長期休暇の時に呼び出すとか考えなかったわけ? ま、あたしとしてラクできるからいいけど」
「連絡先を教えてくれなかったコツツミさんにも責任があるんじゃないか?」
「メツギくん。絶対人付き合い長引かないタイプでしょ? ほら、しつこい男は嫌われちゃうぞーって」
「……」
俺は返答に困って汗をハンカチで拭いていると、校門を通り過ぎた生徒と目が合った。ここは暑いし、人目につく。すぐに場所を移動させた方がいいだろう。俺はまだしも、コツツミさんが目立つのは避けられない。ヘンな噂が立って、教室の注目を集めるなんてことになれば居心地が悪くなる。
「どこかお店に入って話そう。……手持ちは少ないけど、奢るよ」
「あたしを食い物で買収する気?」
「要望あるか?」
「チョコミント」