「ねえ。メツギくんはどうして自分が生きづらいか説明できる?」
「それは……」
「出来ないでしょ。あ、メツギくんの頭が悪いのは事実だけど。その頭の悪さが生きづらさの原因じゃないよ? もっと広い視野で見たときの生きづらさの原因。この世界にびっしり張り巡らされた、根っこみたいな存在。メツギくんにはそれが足りてないから。どんなに水や日光、栄養を与えても最後に腐り果てちゃうの」
「勿体ぶらずに早く教えろ」
「冷酷さ」
あたしがポツリと呟くと、メツギくんは何も言い返せずに黙り込んでしまった。あーまたメツギくん固まってる。このままだと話が進まない。ビンタしてメツギくんを目覚めさせようと、食べていたチョコミントのカップを置く。そして、迷いなくメツギくんをビンタした。店内に破裂音が響く。メツギくんは、自分の身に何が起こったかわかってない。ビンタされた頬を手で押さえて、いまさらバカみたいに慌てている。これで目も覚めただろう。あたしはテーブルに置いていたチョコミントを再び手に持って、ゆっくりと味わい始めた。
「何でぶったんだ?」
「早くしてよー。あたしだって暇じゃないんだよ?」
「いや、それはそうかもしれないが……」
「冷酷さだよ冷酷さ! メツギくんには冷酷さが足りてないの!」
「……人間の冷たさが、賢さの本質だとでも言いたいのか?」
「そう言ったつもりだけど」
「この平和で豊かな時代に?」
「うん」
「時代錯誤だ……」
「そ?」
あたしはスプーンでチョコミントをすくいながら、メツギくんを観察した。頭がいい相手は論理で理詰めればいい。感情爆発させるやつはあたしも感情を爆発させればいい。ただのバカなら、適当に煽てて言いくるめればいい。けど、メツギくんは微妙にどれにも当てはまらなかった。メツギくんは中途半端に頭がいいし。感情を抑え込む良い子ちゃんだし。ただのバカにしては慎重すぎた。メツギくんは、致命的って程じゃないけど。ところどころに問題を抱えた欠陥住宅って所かな。なんだ。あたしと一緒かもって思ったのは、ただの勘違いだったか。あたしはてっきり、メツギくんは地盤沈下とかの外部の影響で苦しんでいるのかと思ってたけど。ただ内部の問題をいつまでもウジウジ解決できない無能だった。けど、メツギくんはとっても扱いやすそうな人材だ。メツギくんは無能は無能でも、自分が無能であることを自覚してる無能だ。無能を自覚してるのなら、勝手な判断で勝手に動くなんてことはしない。無能ならヘンな気も起こさないだろう。もし起こすにしても、しっかりと教育してやればいい。それでいて中途半端に頭が良くて、感情を抑え込む良い子ちゃんで、ただのバカにしては慎重と。そう考えると、メツギくんはなかなか魅力的な人材に思えて来た。あたしが世界へ旅立つためにも。メツギくんみたいな人材は、絶対にモノにしときたい。
「もしも冷酷さが賢さなのだとしたら。……より性格の悪い人間が歓迎される社会ってことになるんだぞ」
「その社会ってのには定員があって、毎日イスの奪い合いが起きてるって実感はないワケ?」
「……それが全てじゃない」
「全てだよ。スポーツマンもミュージシャンもアーティストも、有名どころでテレビに出てて歓声を浴びてるのならみんなみんな同じ。熾烈な競争の末に自分の居場所を確保してきた。そんな彼ら彼女らが、蹴落とした相手に一々心を痛めちゃうような人間性だったとしたら。変わらずいまのイスに座りつづけられてたと思う?」
「……証明のしようがない」
「メツギくんって頭の中お花畑? いい加減目を覚ましたら? どんなに頑張っても上手くいかない。人よりいつも、一歩も二歩も出遅れる。優しくしたり気遣ったり手助けしたはずのあの人達は、どうしていまのメツギくんを放置してのうのうとしてられるのかな? ホントはメツギくんが一番理解してるんじゃない? 答えは目の前にあって、でもメツギくんから一番遠い場所にあって。いまさら現実を知るのが怖いから、何時までも頭にお花詰め込んで誤魔化してるって」
「俺は……誰かの不幸を養分にする人生なんてまっぴらだ」
「その誰かってなに? イスに座れなかった不特定多数? 違うでしょ。クソ雑魚のメツギくんが養分にされたくないだけなんじゃない?」
「違う……俺は、本気で」
「押し倒せ」
「……え?」
「ドウゾノさん。幼馴染なんだっけ?」
「……だったらなんだ」
「言葉通り。あの子を押し倒して、チンコ突っ込んじゃえば良い」
「ふざけてるのか?」
「ドウゾノさんだって、脈がなきゃメツギくんなんかの世話しないでしょ。メツギくんのゴミみたいな人生を変えたいってなったら、いままでやってきたこととは真逆の事をしなくちゃ」
「話が飛躍し過ぎてる」
「手を伸ばせ、奪え、そして勝ち取れ。メツギくんがいままで避けて通ってきた、醜い争いに参加しろ。それができなきゃ、メツギくんは一生日陰の雑草のまま」
「俺は勝ち負けを望んじゃ──────」
「ドウゾノさんのことなんて一切考えずに、ワガママを押し付けてやれば良い。いままで押さえ込んでいた鬱憤を、ドウゾノさんに全部ぶつけるの。ね? 簡単でしょ?」
「そんな屁理屈が通ってたまるかッ」
「理屈は通ってるんだ〜。嬉しいなぁ〜、メツギくんのお墨付きだぁ〜」
あたしが痛快に笑ってからかってやると、メツギくんは顔を歪ませてあたしを睨みつけた。メツギくんの睨んだ顔なんて全然怖くない。メツギくんを視界から外してチョコミントをわざとらしく食べると、前から椅子を引く音が聞こえて来た。どうやらメツギくんは、自分の荷物をまとめて店を出て行くようだ。いつまでもそうやって冷酷に成り切れないから、メツギくんはいつまでたっても生きづらいんだよ。あたしはそのまま、顔色の悪いメツギくんを見送った。残されたのは、メツギくんの食べかけのチョコミント。三分の一がカップの中に取り残されていた。あたしは〝勿体ないなぁー〟とメツギくんのカップを手繰り寄せ。〝こんなに美味しい食べ物、世界に二つとないのになぁー〟と、残されたチョコミントをスプーンですくって口に運んだ。
俺はコツツミさんに別れも告げずに、アイスクリーム屋から出ていった。あれから、コツツミさんに言われた〝冷酷さ〟をなんとか頭から振り払おうとしたが。振り払おうとすれば、振り払おうとするたび。どんどんと気分が悪くなっていく。俺が薄々感じていたことを、コツツミさんに言葉でぶつけられたみたいで。心底気分が悪くなった。重い体を引きずりながら、なんとか家に帰ってきたものの。俺の家のカギは、母さんに没収されていたことを思い出す。いま手元には、ウチハの家の鍵しかない。コツツミさんの〝押し倒せ〟という言葉が頭で響いた。〝それだけはダメだ! 〟と心で否定しながら。俺はゆっくりと、ウチハの家の玄関を開けた。
玄関を開けると、ウチハの靴が中央で揃っていた。俺は荷物を玄関へと放り出し。玄関に上がってウチハを探す。風呂場の扉がひとりでに開いて。その扉から、バスタオルで前を隠しただけのウチハ。俺は床をドスドスと、足音を鳴らしながらウチハへ迫り。油断しきっているその両肩を掴んだ。ウチハは〝へ? 〟と困惑の声を漏らして。自分がバスタオル姿だったのを思い出したのか、ギュッとバスタオルを持ち上げた。風呂上がりのウチハの体温が、両手から伝わってくる。このバスタオル一枚先に、ウチハの生まれたままの姿がある。ウチハは手で拒絶することも、大声を出すことも、逃げ出すこともしなかった。ウチハの頭から、シャンプーの甘い香り。俺の女だ。生唾を飲んだ。抜け出せる。ウチハの膨らみに触れた。この苦しみから。押し黙るウチハ。手を伸ばせ。タオルに手を。奪え。伸ばし。そして勝ち取れ。
……………………。目の前の視界が滲んだ。止まらない。拭っても拭っても、止まらない。ウチハから離れた。ただただ困惑する。俺の身に一体、何が起こったんだ。〝エイタ? 〟と心配して腕を伸ばすウチハに。俺は突然、怖くなった。俺は腑抜けた情けない声に、嗚咽をまじらせながら。靴も履かずに、俺はその場から逃げ出した。
俺はなぜ泣いているのだろう。俺は何から逃げようとしているのだろう。俺は何処へ向かっているのだろう。俺は他人はおろか、自分のことさえよくわかっていない。人の流れに逆らって走る。ひたすら、ひたすら。顔を涙でグチャグチャにしながら走りつづける。俺は何者でもない。俺は何者にもなれない。優しさも、賢さも、狡猾さも。俺のは全部ニセモノだった。初めから芽なんて出なかったんだ。虫に食い荒らされた空っぽの種子。芽の生える場所を食べられているのなら、当然芽が育つはずもなく。ただ、それだけ。たった、それだけのことだった。ひたすらひたすら逃げつづけ。たどり着いたのは、ツキノキさんと出会った公園だった。ここまで走りつづけて、疲れ果てて。公園のベンチに座り込んだ。
あまりにもちっぽけな本性を、小さく小さく畳み込んで。どうせなら、希望の余地すら挟めないくらい。何もかも奪い去っていってくれれば良かったのに。与えることが難しいのなら、せめて何も恵んでくれなければ良かったのにと。俺に出来ることといえば。もしもを想像して、現実との差に落胆して。俺には未来がないのだと、途方に暮れることしか出来ない。
「メツギさん?」
涙で顔がグチャグチャになっているところを、よりにもよってツキノキさんに見つかってしまった恥ずかしさ。全部全部、吐き出してしまいたくなるその声に。俺の胸は、酷く痛んで切なくなった。