あまりにもちっぽけだった本性を、小さく小さく畳み込んで。
どうせなら、希望の余地すら挟めないくらい、何もかも攫っていってくれれば。
与えることが難しいのなら、せめて何も恵んでくれなければよかったのにと。
出来ることといえば、もしもを願って、途方に暮れるくらいしか。
「メツギさん?」
泣きつきたさと、情けなさ。
全部全部、吐き出してしまいたくなるその声に、胸は痛んで切なくなった。
今だけはやめて欲しかった。
だが見られてしまった。
剥がれ落ちた仮面。晒された柔らかい下腹部。奥に閉じ込めていた醜い自分。
突然みっともない姿を晒されれば、当惑するのは当たり前。
それでも俺は恵まれていたから、元気付けられたり励まされたり。
俺みたいな半端者にも、多くの慈悲が注ぎ込まれ。
ツキノキさんも例に漏れず、必ず助け起こそうとしてくれるなんて謎の思い上がりを得て。
このパターンに嵌まったが最後、ロクな結末はなく。
いまにも壊れてしまいそうな体を引き上げられ、置いてかれるぞとせっつかれ。
無理矢理叩き起こされ正面で向かい合わせ。
でも見捨てず手を掛けてくれたのだから、感謝とお礼を伝え、バイバイと手を振って別れを告げ。
その後ろ姿を見送ったあと、事切れたガラクタは崩れ落ち。
演じたエネルギーと、満足げな足取りを対価に、節々のパーツは劣化を早める。
内心あれだけ慕っていた筈のツキノキさんにさえ、"いま話し掛けると嫌いになってしまう"と意思を伝えられないのなら。
ツキノキさんのことなんて端からどうでもよくて。
使えないと分かれば切り捨ててしまうくらい、なんとも思っていなかったのか。
立ち去って欲しかった。関わらないで欲しかった。記憶から消して欲しかった。
そうやっていくら遠ざけても、心の何処かで嬉しさを噛み締めている自分がいるのだから、本当にどうしようもない人間だなと痛感する。
散らばったパーツは、素組みしてからでないと動けない。
せめてこの場を切り抜けられるよう、多少の猶予を望んだ。
「……少し、周囲を回ってくるよ」
ベンチで屈んだままの俺。離れていく足音。
鼻を啜って、ゆっくりと背後を伺う。
夕焼けに伸びた人影はない。
動じない平常運転に力なく笑う。
仕切り直しとハンカチで目頭を抑えてから、覚悟を決めた。
全て捨ててしまおう。
みんなみんな、何もかも断ち切ってしまって。もう手の施しようがないくらいグチャグチャに。
良くなるにしろ、悪くなるにしろ。
後戻りできない状況に追い込まれれば、嫌でも変化を要求される。
……舵を振り切れば、もう後戻りできない。
成功する算段はなく。
賢さのかけらも見当たらない。
ツキノキさんの期待に応えられなくて残念ですが、どうやら俺は相当な愚か者だったみたいです。
どう伝えれば、退けられるだろうか。
できればツキノキさんを傷つけたくない。
嫌われるつもりでいながら、相手のことを考えている。
力なんかないくせに。つくづく、俺は……。
明日へ向かう赤橙。
何処へ逃れようと、自分の影は付き纏う。
惨めな自分は罪なのか、向き合う事が罰なのか。
無学な身には、とてもとても────。
照明は灯り、暗がりは白み。二度目の再開はまたすぐそこに。
「久し振りだね」
「……お久し振りです」
「もう一周……してこようか?」
「それで問題が解決するんですか?」
「私からは、なんとも」
「分かり切ったことじゃないですか……解決なんて、しませんよ」
「そうなのかもしれない」
「……どうしていつも口を濁すんですか」
「私はメツギさんの全てを把握しているわけではない。……誰かの人生を左右しかねない言動には、慎重になって然るべき」
「なら全部曝け出せば、この掃き溜めから抜け出せると?」
「文字通り全てを把握できるなら、そこに間違いはないのだろう。だが、過不足ない情報伝達は困難を極める。自らの内面にすら疑いの目が向けられるのなら、なおさら」
「……それなら正しい答えなんて永遠に見つかりっこない」
「そうかもしれない」
「俺は一生、このままってことですか?」
「そうかもしれない」
「これまでのやり取り全部、無駄だったってことですか?」
「……そうかも、しれない」
「理不尽に折り合いをつけて、妥協を塗り重ねて、忘却に慣れてしまうことが……あるべき大人の姿?」
「……」
「なんとか言ってくださいよ」
「メツギさんは……自分のことが嫌いかい?」
「……突然なんです」
「いやね、いまのメツギさんは変化することに躍起になっている気がして」
「……馬鹿にされてる?」
「す、すまない、そんな意図はないんだ。ただ……」
「なんなんですか。ハッキリして下さいよ」
「何かに憧れ、求めることを悪いとは言わない。けれど……過去の延長線上に今があり、今の延長線上に未来があるならば。自らを否定し、憧れに成り代わろうとする行為は……少々、ピントが合わないように思う」
「じゃあなんです? 自分を大切にして、自然に振る舞ってさえいれば幸せになれると? 誰も望んでませんよそんな理想論なんて。……なにも持ってない凡人は、必要とされる人間になるために必死で自分を殺すんです。それなのに、まだ俺は自分を殺しきれていない。自分を優先してる場合じゃないんです。もっと自分を押さえ込まないといけないんです。じゃないと、じゃないと──────」
昂るものを抑えようと両目をつぶった。
なんだ? 心に整理がついて、また悲しくなちゃったのか?
縁を切る決心は何処に行ったんだ?
ベラベラと無意味なことを喋りすぎだ。
これで満足したんだろ?
僕はこんな可哀想なヤツなんです! なんて必死にアピールして。
優しい優しいツキノキさんに同情してもらって。
嬉しいね、良かったね。なんの進捗も更新もないまま、どんどん状況だけを悪化させてさ。
コツツミさんの助言も生かせず、ウチハは中途半端に傷つけて、テストも迫ってるってのに。
不幸不幸でもう立てない? よく頑張ったねと慰めて? 甘えるなカスが。地獄に堕ちてろ。
「……不躾なのを承知で口にするなら。メツギさんは誰かの想いに応えたくて、いままで必死に耐えてきた、とても純粋で優しい子に映った」
「違うんです……俺は、俺の本性は」
「自責に駆られるメツギさんが優しくないだなんて……私には到底思えない」
「……」
一度緩んだ涙腺は、簡単に決壊してしまうようになるらしい。
乾いた肌を再び湿らせて。
あれだけ泣いたはずなのに。涙の底は知れないらしい。
脇目も振らず弱さを放出する。
恥ずかしい行為のはずなのに。ツキノキさんの前では不思議と抵抗がなかった。
長年押さえ込んでいた感情の発露は、止まる事を知らない。
その間、ずっと。ツキノキさんは何も語らず、何もせず、黙したまま。ただただ俺が泣き終わるのを待ってくれていた。
別れを告げるつもりだったのに。甘い誘惑を断ち切るはずだったのに。
どうにもならないことを学習しておきながら、それでも心のどこかで、ツキノキさんに期待してしまっている諦めの悪い自分がいた。
「……見苦しいですよね。すみません」
「見苦しいなんてことは微塵もないよ。溜め込んだものは吐き出すに限る。そうしなければ、人は簡単に壊れてしまうから」
カサカサとビニール袋から差し出されたのはサンダルだった。
普段持ち歩いてるとは考えづらい。俺のためにわざわざ用意させてしまったらしい。
手をこまねく。俺に受け取る資格はあるのだろうか。
何から何まで与えてくれるツキノキさん。対して、何から何まで享受する俺という存在。
本当は無理をさせているんじゃ? と気を回す余裕が生まれたことで、いつものお節介が息を吹き返した。
ここまで持ち直せば、もう大丈夫。
ツキノキさんを大切に思う気持ちが、受け取ることを拒んだ。
「これは……上から目線で与えるモノでも、見返りを求めて投資するモノでもない。メツギさんへ送る、私に出来るささやかな報いだ。……どうか受け取ってもらえないだろうか?」
思わずツキノキさんを見た。
寄せられる眉。純真な瞳。結んで待機する唇。控えて構えるサンダル。半歩前に出る足──────。
嘘偽りなく。疑いの余地なく。邪な気持ちなく。この人は、本気だった。
いや、思えば初めて会った時から真っ直ぐで。
主張こそ不透明にすれど、誰よりも慎重で、どこまでも遠くを見つめてくれていた。
どうしてそんなに優しさが溢れているのだろう。どうしてそんなに信じて託せるのだろう。どうしてそんなに力強いのだろう。
疑問は尽きない。きっと俺に足りない大切なナニカを持っている。
もっともっと、ツキノキさんを深く知りたい。
そこにはきっと、俺なんかが考えにも及ばない手掛かりがある筈だから。
自分を認めることで、ようやく一歩踏み出せるというのなら。
恐る恐る、手を伸ばす。
ツキノキさんは静かに微笑んだ。
汚したくなくて、素足になって。
靴下を片手にぶら下げ、足をサンダルに納めてから、溢れ出る感謝を伝えた。
「…………ありがとうございます。なんだか頭がスッキリしました」
「私の方こそ、すまなかった。……メツギさんがそこまで追い込まれているなんて考えが及ばずに」
「ツキノキさんは俺じゃないんですから、追い詰められてるなんて知りようないんじゃ?」
「悩んでいるという前提はすでにあった。問題にばかり気を取られ、結果メツギさんが身を持ち崩してしまっては元も子もない。優先順位を誤った私の落ち度だ。すまない」
「……ダメですね、ツキノキさんに救われてばかりで。ちょっとくらい骨のあるところを見てもらいたいんですけど、なかなか」
「上手くいかない要因はさまざまだが……一度、足場を固めてみるというのは? といっても、くだんの件がある。メツギさんにも道を急ぐ理由があるのだろう。行く末を指し示すことは叶わない。だが、不変なモノならば、或いは。……私の偏見でよければ、協力させて貰えないだろうか?」
「っはい、よろこんで。……ツキノキさんが協力してくれるなら百人力です」
「買い被って貰っては困るよ。事実、メツギさんが追い詰められていることに気付けなかった」
「それでもですよ。真剣に取り合ってくれるのは、ツキノキさんだけですから」
「……評価はメツギさんに委ねる。さて、明日の予定は空いているかな?」
「明日、ですか。急ですね。いえ、嫌と言う訳ではなくて」
「どうせなら早い方が良いと思ってね。不満かい?」
「そんな事ありません。是非時間を下さい」
「ふふ、余り期待されるのも困りものだ。禅問答を私は好かん。……少々、試してみたいことがある。手間と時間が必要だが、実地試験と行こうじゃないか。構わないかな?」
「ツキノキさんの迷惑にならないのなら」
「よし、決まりだ。いきなりの事だから、帰宅してから諸々詰めていこう。大事な予定が入っていたら、遠慮なく言ってほしい」
「わかり、ました。何から何まで、本当にありがとうございました」
「うん。それじゃあ、また」
「はい、また後で」
向けられる手の平に、照れ臭く返事して。
浮かれていることを悟られないように、足早にその場を後にした。
安全な距離を取ってから、電柱に手をついて。
サンダル、洗って返した方がいいかな?
ふとした疑問が湧く。
聞きに戻った方がいいか。いやなんだそのマヌケは。そもそも、連絡先を交換しているのだから、引き返す必要なんて皆無じゃないか。
ウダウダと下らないことを考える。
……家に帰りたくない時間稼ぎのつもり、なのだろうか。
さっきまでの安らぎが、嘘のように消え去っていた。
どんな事情があろうと、どんなに上手く取り繕うと、ウチハへした行いが消えるわけじゃない。
もうとっくに、夕食の時間だ。
みんな揃って食事するのが我が家の方針。
強制はされないものの、破ったからには説明責任が伴う。
嘘をつくのが苦手だ。より正確には、嘘をつく能力がない。
厳しい質問攻めに遭うと、だんだんと辻褄が合わなくなって、簡単にボロが出てしまう。
今日あった出来事も、なにもかも白日の元に晒されてしまうのだろう。
テスト期間という大事な時期に。何も悪くないウチハに嫌な思いをさせて。一方的とは言え、約束も果たせず。
どんな要求が突きつけられるのだろう。
嫌な予感がして堪らなかった。
一目散に逃げ出してきたから、手持ちはない。
ツキノキさんを俺の都合に付き合わせたくない。
逃げ場なんて、どこにもない。
家に近づく一歩一歩が、いつもより短く感じた。
明かりの点いたメツギ家の前で立ち尽くす。
これから始まる弾劾裁判を思えば、インターフォンを押す気にはとてもなれない。
だから、一抹の望みをかけて。
真っ暗闇のウチハ家は、出て行ったっきり鍵がかかってないんじゃないかと期待して。
一時避難先として。吸い込まれるように、ドアノブを引いた。
「おかえりエイタ」