残念なことに私には、彼の積年を解き放つだけの眩い希望を持ち合わせてはいない。
むしろ、メツギさんにとっては介錯となるような。冷たく鋭利な刃物なのかもしれない。
私が、最後の一押しを。トドメを下してしまうかもしれない。
けれども、それを。解放と取るには名ばかりの暗澹を。メツギさんは欲してしまっている。
私の責任だ。
たとえ運悪く順番が巡ってきたのだとしても、大人として引き受けた以上、それは私の責任だ。
ここで私が同意しても、拒否しても、結果は同じというのなら。
矮小な私の全てを、メツギさんに託そう。
それがたとえ、なんの慰めにもならないとしても。
「……いこうか」
「? 行くって、どこへです?」
「本当のメツギさんを探しに」
メツギさんの手を取って、園内を進んでいく。
肝心なことは何も語っていない。それなのに、説明してくれとせっつかれることもなく。
むしろ、今にも脱落してしまいそうな弛緩した手。
強く握るのは避けたくて、折を見て指を絡ませて。
より一層、溶けて無くなってしまいそうな無抵抗に、離すまいと握り直す。
エリアとエリアを結ぶ、往来の激しい場所。その端。陽の当たらない場所へ捌け。
握っていた手を離し、向き直った。
「私から見て……メツギさんの抱えている問題は二つある」
「……」
「"あるものが有毒かどうかは、服薬量によって決まる"という言葉がある。嗜好品のアルコール・タール・ニコチンはもちろん、生命維持に不可欠な水や酸素でさえ例外ではない。たとえいかなる物質も、急激に体内へ取り込まれれば中毒症状を引き起こし、最悪の場合死に至る。これを拡大解釈していく。より多く、より高く、より厚くを推奨する友情・お金・愛ですら、用法用量を誤れば命を落としかねない猛毒へと変貌する。これがまず一つ」
「俺は……恵まれ過ぎているってことですか?」
「その認識で相違ない。私の見立てが正しければ、の話だが。……どうも踏に落ちないという顔をしているね。確かにこの外的要因だけでは、メツギさんのいま置かれている現状を説明するのに不十分だ」
「……もう一つというのは?」
「むしろこちらの方がより深刻だ。……メツギさんは、"他人は自分を映す鏡"という言葉をどう思う?」
「……自分の態度・行動・言動が自身に返ってくる、というやつでしたっけ? 突然、どう? と尋ねられても……別におかしいところはないと思いますけど」
「例えば、通り魔のようにターゲットが無作為な場合。例えば、些細なことからトラブルに発展した場合。例えば、大事な約束を反故にされてしまった場合。これらが映し出すものは、果たして自分自身と言えるだろうか」
「……」
「例外を除くと末尾に添えれば、無法無点の長物だ。……だがね、メツギさん。"他人が自分を映す鏡"なら反対に、"自分もまた他人を映す鏡"が成立する。ドウゾノさんを傷つけたくない、家族を大切にしたい、クラスに馴染みたい。自分が自分でないように感じたり、自らを軽んじてしまったり。望みが希薄なのも、周りの目が気になってしまうのも、それで焦りを覚えてしまうのも。自分のことを後手に回し、誰かに影響されやすく、振り回されている自覚があるのも。……メツギさんが純真無垢な鏡だとすれば、この世界はさぞ息苦しいことだろう」
「……俺がみんなと違うっていうのに、その通りなんだと思います。けど……普通の幸せを噛み締めたい、欲張りな自分が居るんです。……それがもし、ツキノキさんの筋書きをなぞっているなら。何か解決策があるんじゃないですか?」
「……すまない」
失敗を繰り返していたのではなく、そもそも前提から大きな誤りがあった。例えそう励まされても、それで本人が納得するかはまた別問題。
揺れる瞳に、目を伏せた。
掛ける言葉が見つからなかった。
きっと、理想の大人というのは。なんでも知っていて、なんでもできて、どんな行動にも確たる自信があって。より良い未来の道標として、頭上に燦々と輝く存在なのだろう。
私は、その役割を放棄した。
これ以上、メツギさんが分離していくのを見ていられなかった。
根拠のない励ましや慰めが、よりメツギさんを追い込んでしまう可能性。
そんな"もしも"が、私から模範的な大人としての振る舞いを奪った。
その道の専門家ですらない私が判断することに気分を害しながら。先生が直面したであろう無力感を追体験しているようで、心底狼狽した。
動揺を沈めた彼の目はやがて園内へ、道行く人々を瞳に映す。
もう一度乗りたいとせがむ子供。スイーツ片手にお喋りする若い子達。マスコットにはしゃぐカップル。二人の記念を写真に残す夫婦。遊戯施設そっちのけで談笑に興じるお年寄り。緩慢に流れていく時間。どの場面を切り取っても、そこには緩んだ顔がある。
気付けば柔らかい笑みを浮かべていたメツギさんは、自分の感覚を確かめるように手を結んで開いて、小さく笑って。
営々抱えていたものを、そっと手放すように。
ゆっくりと、こちらに向き直った。
「すみません、わざわざ遊園地まで誘ってもらったのに。今の俺には、もう楽しむ余裕はないみたいです。……またいつか、何かの形で埋め合わせさせてください。今日は、ありがとうございました」
メツギさんは深々頭を下げた後、覚束無い足取りで人混みに溶けていった。
またも私は、傍観者のように。何もしてあげられなかった。
カーテンから差し込む朝日。
延々スヌーズをつづけるスマホ。
寝起きでぼやける視界。
気分は大暴落の月曜日。
学校にミサイル落ちねぇかなぁーとバキバキのスマホに手を伸ばし。
付随するであろう多くの不幸を妄想しながら、前日に用意していた軽食をスムージーで流し込む。
体操着を仕込み、適当に開いた雑誌はお団子ヘア。
頭の体操と手順をなぞり、思考がクリアになっていく。
粛々と過ぎ去っていく毎日。
少しでも気を抜けば、光陰矢の如し。
将来を有利なチャートで展開するためにも、いまはひたすら自己投資の時。
死ぬほど退屈な毎日にくたばりそうになりながら。今日もひたすら、小反発を模索する。
朝練がなければいくらかのんびりできるんだけどねぇー。
剣道もあらかた吸収出来たことだし辞めちゃおうかな? 夏休みまで拘束されるとか時間の無駄でしょ。
手心を加えられているとはいえ、全国トップレベルの選手の動きはもう飽き飽きするくらい堪能できた。
これでまたあたしの作品の完成度が爆上がりしたと。
いやー我ながら多芸な自分が恐ろしい。
次はどの部活の知識をチューチューしてやろうかなぁ──────。
むっさい電車に揺られ、チョコミント以外魅力のない駅前商店街を抜け、土手でチ○ポ叫んで学校到着。裏門からお邪魔しますよっと。
そのまま体育館に向かうと、部員に取り囲まれた顧問の先生が、体育館の鍵を差し込んだところだった。
朝からお勤めご苦労様です! あたし教師なんてブラックな仕事絶対就きたくありません!! なんて言葉が頭をよぎるも自重して。フツーに挨拶、フツーに労い、フツーに雑談。
平穏な学校生活ってやつを送るためにも、このムーブは必要経費ってところなのかな。
開け放たれた体育館に素足で乗り込む。背後からパタパタと駆けてくる誰か。
およ? 珍しい。ウチハちゃんだ。
最近調子悪いからねぇー。真面目に練習しちゃう感じ? それとも、メツギくんと一悶着あって居づらい、とか。
制服を畳んで、ひたすら竹刀を振り下ろす。
決まった型を反復させながら、何度も何度も何度も何度も。
ワンセット終わって、ドウゾノさんに向く。
無表情を張り付けた顔。一心不乱に打ち込む太刀筋。空気を切り裂く高い音。
視線が交差する寸前で顔を背けた。
これもしかすると、メツギくんもだいぶ仕上がってるんじゃ? 朝一番にあたしの所へ駆け込んできたりして。
距離というか壁があるのを察するに、だいぶ警戒してるご様子。
まメツギくんと居るところを何度か目撃されてるからねー。
やっぱりクラスの嫌われ者と幼馴染がつるむのは面白くない感じ?
最近はエイタ、エイタってグループで主張する元気もなくなっちゃったみたいだし。
畳み掛けるとしたら今かな?
夏休みまでもう時間がない。
期間が開くと最悪勘付かれて避けられるようになってしまう。
かと言って、あたしから動くというのも悪目立ち過ぎる。
やっぱりメツギくんの方から飛び込んでくれるのがスマートなんだけどなぁー。
逆に言えば、私のことを呼び止めるようならもう捕獲したも同然。そうじゃなければ、もうひと工夫が必要になってくる。
このテスト期間中に取り込むことができれば、この夏休み中は退屈しないだろう。
精神的肉体的に孤立させれば洗脳も容易い。持てる知識を総動員して、都合のいい労働力のモデルケースとして完成させるのだぁー。
ようやくあたしの伝説が始まると笑みをこぼしながら。
退部届を提出する算段は頭の片隅で。頭の多くを占めるのは、いつか語られるであろう、今日という偉大な日についてだった。
"身が入ってないぞ"とあたしとドウゾノさん二人してお叱りを受け、"何かあったのか? "と一悶着ありながらも。
正門が開け放たれ、他の生徒がゾロゾロと登校してくるようになったら切り上げの合図。
あっちぃな〜と着替え、置き勉軽量バック背負って、くっだらない授業を受けに教室へ。
教室の扉を開けば視線が焼べられるも、正体があたしだとしれば中断していた青春を再開。
別にいつものことなのでさっさと席につき。日常なら惨めさで死んだふりしているメツギくんを睥睨。
……は? なんで持ち直してるわけ?
イラつく被害者オーラーは相変わらず。だけど、陰キャ特有の自分の世界に必死こいて没頭しようとするポーズ取って、ノートに向かって機能を停止してた。
突如電気が通ったかのようにペンを走らせれば、書き進めた分だけ消しゴムを往復させ。なんて無意味な行動に精を出していることでしょう。頭イッちゃってる?
あたしの知ってる範囲だと、ツキノキさんとかいう暇人の存在が頭に浮かぶ。
自他共に認める無能のメツギくんのことだ。心の支柱を外注して、しょーもない薬物療法に縋っているのだろう。
あひゃひゃーそいつぁー無責任だねぇー。どんな診断を下されたのか知らないけど、根拠のない甘い言葉で取り返しつかなくしてるだけじゃん。
これで目に見える症状が悪化したら、それはお前の責任だって突き放すんでしょ? ぷぷ。なら初めから手なんて出すんじゃねぇよヤブ医者が。
自覚のない善意ってやつが一番タチ悪ぃんだよ。
せっかく人が無価値な人生に意味を与えてやろうとしてるのに。
二度と甘えた考えに傾倒できないようボロクソ罵って泣かせてやる。
途中、席を立ったタイミングで、帰りに伝えたいことがあると恋する乙女の皮を被って接触。
メツギくんはそりゃもうゴーヤ口一杯頬張ったんじゃないかってくらい顔歪めてた。ウケる。
これでバックレたりしないんでしょ? ほんと不思議。やっぱり"ド"がつくほどのド変態? ひやぁー偉大だねぇー。
あたしとしてはそっちの方がやりやすいから一向に構わないけども。
終業を告げるベルを何度かやり過ごし。放課後。
開けたホールに着くと、メツギくんが隅っこの自販機の並びに立ってて。
なんだ? あたしの暴挙に対する牽制のつもりか?
学校だから大きく出れないだろうって?
字面だけで理解した気になってる無能の典型か?
「やーやーメツギくん元気? 調子どう?」
「……一つ、質問いいか」
「お前さぁー、会話する気ミジンコもないの? そんなんだから性格捻くれんだよ」
「どうして手を振る俺に話しかける気になった?」
「ガン無視かよ。それで哲学のままごとが進展するんでちゅか〜」
「……」
「へぇ〜コツツミさんって教室とキャラ違うんだね」