学校が終わるまであくびをしがなら時間を潰して、放課後。玄関ホールに着くと、メツギくんが自販機の隅っこにちょこんと立っていた。なんだ? メツギくんはあたしをイライラさせる天才か? 人目につくところなら手が出せないだろうって? コイツ、ナニ調子に乗ってんだ? あー、もー。困っちゃうなー。メツギくんのその得意になってる鼻っ面、ボキボキにへし折ってやりたくなっちゃうじゃん。
「やーやーメツギくん元気? 調子どう?」
「……一つ、質問いいか」
「お前さぁー、会話しようって気がミジンコもないの? そんなんだから友達できないんだよ」
「どうして手を振る俺に話しかける気になったんだ?」
「ガン無視かよ。それで哲学のままごとが進展するんでちゅか〜」
「……」
「へぇ〜コツツミさんって教室とキャラ違うんだね」
背後からの声を確認すれば、そこにはドウゾノさんの金魚のフンがいた。その後ろから、ドウゾノさんを除いた残りのメンバーが。フナムシのようにワラワラと。ドウゾノさん御一行(本人不在)の怒りを秘めた形相に、あたしははてと首を傾げる。あーなるほど。クラスの気に食わないやつが、ドウゾノさんの男に唾つけてると思われてるのか。あ? なにそれ? ムカつくんだけど。てかちょっと待って? ウチハちゃんだけ除け者ってなんか変じゃね? こいつら勝手に動いてるのか?
「テスト。そうだ、テスト。あと一週間を切ってたんだった。ま、まいったな、全然勉強進んでないや。……コツツミさんも、早く帰って勉強した方が良いんじゃない?」
「あたしに聞きたいことあったんじゃないの?」
「え? いや……今じゃなくてもいいかなって」
「なんなら勉強教えてあげようか? 手取り足取り、あたしンちで」
「は? え? いや……」
「ここまで分かりやすくしてあげてるのに、まだ気づいてないんだ。ウケるぅー」
「キモ。男を横取りする自己中女がよ」
「ウチハちゃんに剣道で勝てないからって嫌がらせかよ」
「こりゃ男も寄りつかないわ」
「女もじゃね?」
「ちょwそれ言い過ぎw」
「どっち? あたしンちに来るの? 来ないの?」
「……」
「行くわけねぇだろドブカスがよ」
「だれかドウゾノさんに無視されてるって言ってあげて?」
「やめてあげなよ可哀想じゃん」
「髪型変えて声かけられるの待ってる子に?」
「イタイwイタイwイタイ」
「馴染めないからって部活もちょこちょこ変えやがって。発想がキショいんだよ」
「来る? 来ない?」
「あっ、おれ、俺は……」
「聞こえない振りー」
「効いてないアピール~」
「ほらほら、メツギくんがどう断ろうかって困ってんじゃん」
「やだ〜気を使われてるって自覚ないの?」
「良いんじゃない? 知らない方が本人のためwなんじゃないの?」
「まだわかんないの? 誰もコツツミさんなんかに興味ないって」
「ウチハちゃんがウザったいんでしょ?」
『はぁ!?』
「メツギくん、言ってたよね? 家に帰っても、自分の居場所がないって」
「デタラメほざいてんじゃねぇよクソが!」
「自己中に加えて目も節穴なの!?」
「あんなにいい子なウチハが鬱陶しいって何様のつもり!?」
「ウチハが一度でもコイツを放置したことがあったのかよ!」
「お前も黙ってないで、ウチハの彼氏ならちゃんと否定しろ!」
それとなく話の中心をメツギくんに向けてみた。頭カラッポの女どもを使って、メツギくんにジリジリと追い詰めていく。その薄っぺらい良心で、あたしの味方をするのか。それともカラッポ女の圧力に負けて、あたしを見捨てるのか。さ、無能のクセに理想ばかり語るその本心を、あたしによ〜く見せてみて♡広がる沈黙。メツギくんの決断にみんなが注目している。顔面蒼白のメツギくんは、一心に浴びる視線に耐えきれず……あたしの腕を取って駆け出した。女どもからは数秒遅れで罵詈雑言が飛んでくる。まさかあたしの肩を持つなんて思ってなかったみたい。あたしはなおも強引にメツギくんに腕を引かれ。廊下を突き進んで、突き当たりに曲がり。人気のない場所まで来て、ようやくメツギくんは手を離した。
「学校では大人しくするんじゃなかったのかよ!?」
「無条件に服従することが、メツギくんにとっての〝大人しく〟なの?」
「ただでさえ目をつけられているのに、一歩間違えれば暴力沙汰にだって……」
「ならないよ」
「……どうしてそう言い切れる」
「だって常識があるから」
「はぁ?」
メツギくんはあたしの言葉に間抜けズラになった。ちっともあたしの言ってることがわからないって言いたげに、眉間に皺を寄せている。そんな、なんにもわかってないメツギくんに、親切なあたしは言葉の真意を教えてあげることにした。
「……それは誰にとっての常識だ?」
「決まってるでしょ。あのカラッポ女どもの」
「……俺の目には、コツツミさんも彼女達も非常識なようにしか見えないんだが」
「毎朝教師が校門前に立って、生徒に挨拶してるでしょ? やってることはあれと同じ」
「???」
「あいつらにとっては人を見下すのって挨拶なの。だからこっちも見下し返さなきゃ。このノリを返せなかったり、その場から逃げ出すようなヤツは非常識なの。メツギくん、さっき常識外れのことしてたんだよ? 自覚ある?」
「意味がわからない。それの何が楽しいんだ」
「それが人間同士のコミュニケーションなの。ド陰キャのメツギくんには、一生理解出来ないだろうけどね?」
「だからって、常識も非常識も超えて相手が殴りかかってきた時はどうするつもりなんだ」
「もちろん向こうが非常識にも殴りかかってきたのなら、あたしも殴り返してやる」
あたしはあっけらかんとそう言い放った。最初、メツギくんはあたしの言葉の意味を理解できていなかった。だけど、徐々にあたしの言葉の意味を理解してきたのか。メツギくんは動揺して目を泳がせる。平和主義のメツギくんには、あたしのことばは刺激が強すぎたようだ。それで? 無能で無力なメツギくんは、今度はどんな理想論を語ってくれちゃうのかな?
「……例えどんな理由があろうと、暴力だけは絶対ダメだ」
「人間が暴力を使わなかった時代なんてあるのかよ。流血を厭うものは〜って」
「……もう、わかった。もういい」
「あ? いきなりどうしたの? あたしの言葉、認めちゃっていいわけ?」
「ここでコツツミさんの言葉を否定しても、時間の無駄だ。どうしたって、俺はコツツミさんに勝てない」
「ずっと気になってたんだけど。休日に何かあった? あたしの力、貸してあげようか?」
「いや。やめてとく」
「なんで? あたしに頼れば、どんな悩みも一発で解決するよ?」
「いままで俺は、簡単な方法に飛びついて失敗してきた。だから、もう簡単な方法に飛びついたりはしたくない。……もう自分から逃げるような真似はしたくないんだ」
「ブフォッ」
メツギくんのカッコつけた言葉に、あたしは思わず笑ってしまった。コイツ、現実が見えてないのか? 理想を語って気持ちよくなる前に、まずは現実に目を向けたら? って、ソレができてたらメツギくんは苦労してないか。今日こそメツギくんを騙して操り人形にしてやろうと思ってたけど、今回は見逃してやろう。このままメツギくんを観察してれば、すっごい面白いことになりそうな気がする。せいぜい面白おかしく踊って足掻いて、あたしを存分に楽しませてね? メツギくん?
「……なんだよ」
「んふ? 別に? それよりさ。まだあたしンちに今日来るか、返事もらってないんだけど」
「いや、遠慮しておく。まだ頭の中の考えが、纏まり切ってない」
「あっそ。そんじゃ、バイバーイ」
軽い足取りのコツツミさんを見送り、フッと肩を脱力させた。まだウチハの友達が自販機前にいるかもしれない。かと言って、コツツミさんを引き留めるほどの元気は、俺には残されていなかった。諦めと、時間潰しに窓を見た。透明なガラスには、酷く疲れてやつれた顔が映る。もしも俺が女に生まれたならば、こんな表情をした男には絶対に近づかない。自分の顔を両手でほぐして、ぎこちない笑顔を作った。外面さえ上手く誤魔化せない。自然体には、程遠い。落ち込んでいた目線は空へと伸びた。夏空の精彩な青、影の皿に盛られた白。二つをしばらく、ボーっと見ていた。
自分の抱える問題と向き合うたびに、あの日から絶えず頭に残っているものがある。それは、強烈に印象づけられたツキノキさんの言葉。俺が〝優秀な鏡〟なのではという一つの仮説だった。このツキノキさんの仮説の恐ろしい点は、コツツミさんの暴論にさえも使えてしまうという点。何物も映し出す〝優秀な鏡〟が愚かである時、何物も映さない〝くすんだ鏡〟は、逆に賢いことになる。もしも、ストレス耐性の有無を賢さの基準にした時。〝冷酷〟こそが賢さの本質というコツツミさんの意見を否定できなくなってしまう。人の悪意を鏡に映さず、人の痛みを鏡に映さず。許されるなら、あらゆる手段で自分の賢さを証明する。そんなヒトデナシを目指す道こそが、この人間社会に求められている賢さなのだろうか。 ……人に優しくしましょうというのは、人が優しくないことの裏返しなのかもしれない。人が人に優しければ、そもそも人に優しくしましょうなんて言葉が生まれるはずがないのだから。ただそうなると、賢いツキノキさんも冷酷ということになってしまう。ツキノキさんやコツツミさんが俺よりずっと賢いのは確かなことだ。だがその両者の賢さを、〝冷酷〟でひとくくりにできるかと言われると、とてもじゃないが受け入れられない。ツキノキさんに対しての個人的感情が入り込んでいるのを重々承知で。それでもなお、俺は〝冷酷〟こそが人間の持つ賢さだという考え方を到底受け入れることができなかった。
……また賢さ探しは最初からか。いや、まだツキノキさんの言葉を理解し切ったわけじゃない。手がかりを失ったいま、より深くツキノキさんを真意を理解するためにも。鏡理論を使いこなして理解を深める必要がある。運が良ければその途中で、新しい賢さへの手がかりを掴めるかもしれない。賢さを見つけることができなくて残念なような、しかし冷酷が賢さでないことにホッと安堵するような。ようやく整理のついた頭の中。気づけば夕暮れの深まる空。俺は〝テスト勉強しないとな〟と呟いて、ようやく重い腰を上げるのだった。
「エイタおかえり」
「……あぁ。ただいま、ウチハ」
「エイタのこと待ってたんだ。そろそろ帰ってくるかなって」
「一声かければよかっただろ」
「だってエイタすぐいなくなっちゃうし、スマホの電源も切ってるでしょ?」
「……」
「今日の夜ご飯生姜焼きだって。スーパーの切り落としが安くなっててね?」
「母さんの買い物、手伝ってくれてたのか」
「うん」
「ありがとな」
「うん」
「「……」」
「なんか、今日帰ってくるの遅かったね。勉強してたの?」
「いや……ちょっと考え事」
「……そっか」
「……」
「なら、よかった」