棋は対話なり
「ツキノキ。お前どっか部活入れ」
「……」
「ちょっとでも興味を惹かれる部活はなかったか? もしもなかったのなら、先生も困っちまうがな?」
「……」
「ダンマリか。だが、帰宅部ってのはイカンぞ? 進学するにせよ、就職するにせよ、面接時の印象が悪くなる」
「……」
「こりゃまいったなぁ……」
全くの無反応に、わたしは寂しくなった頭を撫でた。目の前には変わらず、長机に視線を落とす一人の生徒。出席番号二十三番、ツキノキ キミ。自己紹介の時もこんな調子だったのが印象的だった。授業態度は真面目。特定の交友関係は持たないが、クラスメイトとの関係は良好。自己主張が苦手なようだが、かといって擦れてるわけではない。少し変わったところもあるが、〝模範生〟と考えていたために、今回の件には面食らった。部活加入は強制じゃない。ないんだが、生徒を孤立させるなんてのは教員のすることじゃない。なおも一言も喋らないツキノキ。わたしはため息をつきたくなるのをグッと我慢する。このままでは埒が明かないので、わたしはおもむろに席を立った。
「将棋、わかるか?」
「……いいえ」
「んじゃ、これ読みながらでいいから。一局指そう」
「……」
プラスチックの将棋盤を広げ、将棋の簡単なルール本を差し出す。我ながら突然すぎる。いきなり将棋を指そうだなんて意味不明。意味不明だが、ツキノキが反応を返してくれるのなら。内心、何でも良かった。結局、ツキノキはわたしの将棋の誘いに素直に応じ。表情も動かさず、将棋のルール本を開いて大人しく読み始めるのだった。その間にわたしは、ゆっくりと駒を盤に並べていく。初期配置から飛車と角を除いた。俗にいう、飛車角落ち。ツキノキも一通り読み終えたのか、本と見比べながら駒を並べていく。駒を摘むように持ち上げる仕草には、初々しさに溢れている。互いに準備が整ったのを見て、わたしは私は頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「……お願いします」
「先生は二枚落ちだ。こういう場合、先に駒を動かすのは駒を落とした方だ」
「……」
わたしは右辺の銀を手に取ると、パチンと駒を動かした。つづいてツキノキも駒を動かす。ツキノキは本と無表情でにらめっこしながら、一手一手慎重に指していく。〝棋は対話なり〟なんて言葉がある。表情、仕草、指し手、考える時間、その場の空気。対面将棋は、たとえ無口な相手だろうと、雄弁に盤面で語ってくれる。インターネットで将棋が指せる場所が出来た、なんて話も聞くが。やはり将棋の醍醐味は、対面将棋にあるとわたしは考えている。
飛車角の二枚落ちは強力な大駒こそないものの、小駒は充実しているので守備には困らない。困らないが、攻めないことには対局に勝てない。なので、必然的に盤面を圧迫していくような将棋になる。守るべき玉も前線に送り出した。なにぶん、こちらは攻め駒が足りない。前線を押し広げながら歩を交換していき、桂馬を跳ねた。居玉のツキノキに対して、中央での攻撃準備を整える。ツキノキの方は、なかなか攻めるのに難儀している。こちらが盤面を押さえ込むように指しているので、飛車や角といった移動力の高い駒が動きづらそうだ。何とかツキノキは押さえ込み突破の目処を立てたようだが。こちらとしては貴重な攻め駒を補充できるので歓迎するところ。が、依然としてこちらが不利なのは変わらない。モタモタしていると、飛車・角を使われこちらが負けてしまう。
頃合いと見て、歩を突き捨てて開戦する。交換した歩で陣形を乱し、銀を進出。歩で弾き返す手には、金の頭に歩を叩く。逃げてるようでは押し込まれるので取るしかないが、これで金駒を交換出来た。ツキノキ側は守り駒を剥がされ、こちら側は持ち駒を手にする。この展開は、悪くない。流れが段々、こちらに傾いて来ている。ツキノキも盤面が悪いと見たのか、駒を密集させて守備を固めた。こちらはジッと桂馬を跳ねて、力を溜める。ツキノキの玉頭を押さえた。こちらの玉には攻め味はない。盤面は、必勝形。満を持して、総攻撃を開始。残された銀・飛車・角を剥がし。勢いそのまま、詰みまで一直線。
「……参りました」
「ありがとうございました」
「……」
「袖飛車に振っていたな」
「?」
「ツキノキから見て、右から三マス目に飛車を移動させる指し方をそういうんだ。確かに角と連携させるいい攻めだ。ツキノキはなかなか筋がいいな」
「……」
「これ、貸してやる。駒落ちの定跡書」
「……」
「そんじゃな。気をつけて帰れよ」
ツキノキは相変わらず、何を考えているのかわからない顔でわたしの渡した本を見つめていた。指し手を褒められて嬉しいのか、勝負に負けて悔しいのか、渡した本が気になるのか。終局してしまったいまは全くわからない。ままならんな……。そろそろ職員室に戻って、明日の予定を整理しないとだ。ツキノキを見届けて、資料室に鍵をかけ。職員室への廊下を進んでいく。一人一人に目をかけるには、先生の数が少なすぎる。
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「それでは職員会議を始めます。各学年ごとに報告をお願いします」
「一学年です。入部届の提出期限が迫っています。先生方はまだ提出していない生徒への声掛けよろしくお願いします。以上です」
「二学年です。教職員一名が体調不良により欠席、スネヤ先生に臨時で入っていただきます。以上です」
「三学年です。本日午前九時頃に空調設備の業者の方が下見に入ります。以上です」
「全体の報告といたしましては、体育祭が来月七日に迫っています。備品の安全点検、不足分の発注など、早め早めの対応をどうかよろしくお願いします。暖かくなってきましたが、まだまだ朝は肌寒いです。寒暖差で体調を崩さないよう心がけていきましょう。それでは、本日もよろしくお願いします」
『お願いします』
「スネヤ先生。ちょっと」
「……なんでしょうか?」
教頭先生に手招きされて、わたしは嫌な予感がしていた。朝の忙しい時間に呼び止める、全体の職員会議では話せない内容。十中八九、面倒ごとだ。ごめん被りたかったが、こちらは税金で養われている公務員。拒否権は早速ないものと、後退した生え際を撫でながら教頭先生の呼びかけに応じた。
「スネヤ先生は、新しく必修になる授業をご存知で?」
「えぇ。情報の授業が高校で必修になると」
「なら話は早い。単刀直入に言いますと、スネヤ先生には情報教員になっていただきたいのです」
「……」
「来年を目処に、研修を受けてもらいたいのですよ。ほら、ちょうど国も後押ししているようですので」
渡された研修支援の冊子。IT人材の育成。その考え自体は理解できる。だが、それを実行する現場はたまったもんじゃない。人はいない、収入は減る、だが負担や責任は割り増し増し。それで教える内容は、どれもすぐに役に立たなくものばかり。本当に情報の授業を必修にする必要はあるのか。選択式ではダメなのか。若者は安易とパソコンを使いこなす。教えてもらう立場なのは、むしろ我々大人の方ではないのだろうか。文部科学省の考えることは、一教員のわたしにはさっぱり理解できない。
「あぁ、スネヤ先生。やっぱりここにいましたか」
「……なにか御用ですかな?」
「いえいえ。姿が見えないので、もしやと思いまして」
「煙を吸わないとやってられません」
「同感です」
「ふぅ──────」
「聞きましたよ? 情報教員になってくれと頼まれたと」
「こんな年寄りに、一体何を期待しているのでしょうか」
「年寄りだから、でしょうな。志した教科を捻じ曲げられる。若者には、割り切れんでしょう」
「せめて、慎重に協議してほしいものです」
「まあ、無理でしょうな。それが出来るのなら、日本は今頃アジア最低の英語力じゃありませんよ」
「……火、お貸ししましょうか?」
「んぁ? あぁ……」
「何か問題でも?」
「このライターで、きっかりタバコをやめようとしていたのを思い出しまして」
「この年まで吸いつづけたら、いまさらタバコの一本も二本も変わりませんよ」
「それも……そうですな」
「失礼」
「あ、どもども。……スウゥ──────ふぅ──────」
「これでまた死期が早まりますな」
「カッカッカ。もう充分すぎるほど生きましたよ」
「またいきなり、どうして禁煙をしようと?」
「国がタバコに関する法整備を進めていると小耳に挟みまして。これから喫煙者は、ますます肩身が狭くなっていくでしょう?」
「来年もタバコ税が上がるんでしたな。もはやタバコを吸ってるのか、税金を吸ってるのかわからなくなってしまいます」
「嫌煙運動が進んで、世の中は随分キレイになりました。けど反対に、人の心は荒んでいくように感じます」
「……」
「お互い、頑張りましょう」
「その言葉は、生徒達に言ってあげてください」
タバコの火を消し、携帯灰皿に入れる。喫煙室を出て職員室へ向かった。体育祭の発注、しないとだな。
「先生」
「うぉ!? なんだツキノキか。心臓に悪い」
「……」
「どうした? 一局指していくか?」
「……はい」
「んじゃあ鍵取ってくるから。資料室の前で待ってろ」
ツキノキが将棋に興味を持ってくれたのか、それとも定跡書を返しにきただけだろうか。まあ、なんでもいい。先生を頼るというのなら、その望みにできる限り応えてあげるのも教師の仕事だ。
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パチンと、プラスチックの安っぽい音が資料室に響いた。ルールは前回と同じ。飛車角の二枚落ち。進行も同じく、わたしの盤面制圧に対してツキノキの袖飛車という形になった。前回と大きく違う点は、ツキノキが二歩突っ切りという駒落ち定跡を使ってきたところだろう。早々に歩で六筋・七筋の位を取られた。角・飛車と移動力の高い駒と、銀を加えての左辺制圧。これの痛いところは、貴重な金駒を釘付けにされることだ。下手に金駒を動かすと、角の突破を許してしまう。攻めの手掛かりを探す間も、ツキノキは的確な指し回しでこちらを追い詰めてくる。次にツキノキは自陣整備に取り掛かるようだ。カニ囲い。前回の玉頭制圧からの攻め筋を警戒する形か。さらに浮き飛車に構えて桂馬を飛ばれ。ツキノキは着々とこちらを攻める潰す準備を整えていく。こちらは有効な手を指せないまま。ツキノキとの差は開く一方だ。これは、まずいな。局面は敗勢。自陣へ直通している角が強烈だ。ツキノキの本格的な攻めが始まる前に、なんとか相手に迫らなければならない。
突出した飛車に狙いを定めた。銀・金を八筋から繰り出していく。歩だけでは手が続かんな。何か小駒を手持ちにしたい。端の歩を切って、手筋を使い桂交換。こちらから中央の歩を突き、ここで狙いの桂のタダ捨て。歩越しに打ち込まれた桂馬に、ツキノキの手が止まる。何もしなければ、次に王手で銀が取れる。だが真の目的はそこじゃない。この桂馬を打ち込む手は、飛車の逃げ道を塞ぐ手だ。ここでツキノキがどんな手を指しても、飛車を追い詰めることができる。飛車を持ち駒にできれば、上部を固めたカニ囲いは脆い。ツキノキはようやくこちらの意図を理解したようだが、もう遅い。その後はわたしが対局の主導権を握り、無事ツキノキに勝利を収めることができた。
「……参りました」
「ありがとうございました。なかなか、肝を冷やしたいい戦いだった。後半はちょっと、詰めが甘かったな」
「……」
「ツキノキは、将棋部に興味はないか?」
「ここは、将棋部なのでしょうか?」
「あぁ」
「……」
「普段は部室に集まらない。活動内容は、主に詰め将棋を解かせている」
「対局はしないのですか? 少々特殊ですけど、活動に熱心なんですね」
「いや、そうとも限らん」
「?」
「詰将棋を解けば、世界史のテスト対策プリントがもらえる仕組みだ」
「……それは、不正なのでは?」
「まあな」
「……」
「もし不満なら、生徒総会で議題に挙げるといい」
「どうして、先生の不利になるようなことを」
「不正に変わりはないからな」
「……」
「活動実績は、将棋大会へ出場……したり、しなかったり。成績は、察しろ」
「……」
「どうだ、ツキノキ。無理に将棋を指す必要はない。世界史のテスト勉強が楽になる特典なんかもある。将棋部に、籍だけでも置いてみないか?」
「少し……考える時間を下さい」
「今すぐにとは言わないが。出来れば明日にも返事がほしい。仮入部期間も、あと数日で終わってしまう」
「……」
「これ、貸してやる」
「?」
「次の一手問題。ささ、用が済んだんならさっさと帰れ。先生も仕事があるんだ」
「あの、これ……」
「ん? あぁ、定跡書か。将棋部には誰も読むやつなんていないから、その本は明日まで預かっといてくれ。ツキノキの返事を聞いてから、受け取るかどうか決める」
「わかりました」
「盤を片付ける必要はない、そのままでいい。よし、そんじゃ資料室を閉めるぞ」