テスト前日の夜。ウチハの家のリビングで教科書を広げながら、最後の追い込みをする。テスト勉強の時間を削ってまで〝賢さ〟を探してみたものの。結局、俺の求める〝賢さ〟を見つけることはできなかった。やはりここが、俺一人の力の限界なのだろう。改めて自らの力不足を情けなく思いながら。……テスト勉強に身の入らないこんな調子で、果たしてテストを乗り越えることができるのだろうか。〝賢さ〟の結果を出せなかったことと嫌がらせで気持ちが落ち込んでいることは理解しているつもりだが。頼むから、いまこの瞬間だけはどうかテスト勉強に集中してくれ。目頭を揉んで、目の疲れを払う。廊下で板材が軋む音。恐る恐る、ウチハがリビングに入ってくる。
「ごめんね、勉強の邪魔しちゃって。ちょっと、飲み物」
「……」
「どう? 明日のテスト、大丈夫そう?」
「……さあな」
「だ、大丈夫だよエイタなら。勉強がんばってたもんね? きっといい点取れるって」
「「……」」
「あ、あのさ」
「……なんだよ」
「仲良いフリってできないかな、なんて」
「……」
「いや、うん。なにかに打ち込んでるエイタはとってもカッコいいよ? その邪魔をボクがしちゃってるってのもわかってるつもり。けど、おばさんとか、ボクの友達とか。敵いっぱい作っちゃうのよくないよ。……ボクのことキライなままでもいいからさ。周りにケンカを売るのはやめて欲しいかな、なんて」
「……」
コップに牛乳を注いでいたウチハが、唐突に形だけでも仲良くできないか俺に聞いてきた。なんとも返答に困る提案だ。実際、ナルシストやら浮気野郎やら勘違い男といった陰口によって、学校では肩身が狭くなる一方だ。ウチハが近くにいる時と同等、いやそれ以上の視線に晒され。学校には居場所がほとんどない。俺が彼女らに嫌われていることは知っていたつもりだが。まさか俺が彼女達を挑発していることになってるのは初耳だった。しかしだからと言って、素直に提案を呑む気にもなれなかった。今すぐにでも、〝賢さ〟を探し出したい俺にとって、コツツミさんは切っても切れない存在だ。コツツミさんをいじめていた彼女達の人間性も気に食わない。それを表ではウチハと仲良くして、裏ではコツツミさんと繋がるなんて都合が良すぎる。そんなの、力を貸してもらうコツツミさんに失礼じゃないか。第一、俺はそんな器用なマネ絶対できない。必ずどこかででボロが出る。だったら最初から彼女達の事を考えるだけ無駄だ。
「ウチハ。悪いけど、それはできない」
「……」
「明日、テストだろ」
「うん」
「俺のこと気にしてたら、部活出られなくなるぞ」
「うん」
「あんまり遅くまで起きてるなよ」
「うん」
「おやすみ」
「うん。おやすみ……ねぇ、エイタ」
「?」
「コツツミさんのことも、好き?」
「……」
「そっか……勉強、頑張ってね?」
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テスト当日の朝。ギリギリまで登校を遅らせて、最後の抵抗を試みる。途中、ウチハに一緒に家を出るように勧められるも。俺はウチハの顔も見ずに、やんわりと断りを入れた。こちらを見向きもしない態度に呆れたのか、ウチハは何も言わずに家を出て学校に向かった。初日から英語と数学のテストは困る。全く準備ができてない。できれば土日休みの後のテスト三日目以降にしてほしかった。そんな個人の都合が叶うはずもなく。一時限目の英語。そこで出題される単語を時間の許す限り暗記する。遅刻だけはしないように、たびたび時計を確認。こんな調子で集中できるわけがない。英単語が全く頭に入らずに、不安と焦りを抱えたまま学校に向かった。教室に入ると、教室中がシンと静まり返った。足早に自分の席につき、机に突っ伏して視界を閉ざす。元通りに騒がしさを取り戻す教室。教室に必要とされていないのを突きつけられている気がして、胸が苦しくなる。この場からすぐにでも立ち去りたくて、早くテストが開始される事を望んだ。
一時限目、英語。リスニングは聞き取れる断片を手がかりに埋める。一問一答の軽い問題は上出来。筆記。単語、文法、長文読解は記憶を手繰り寄せながら。先生が回収を指示するまで悩み抜いた。次、地理。正直、心配だ。初日から英語と数学で手いっぱいなのに、地理まで手を回す余裕はなかった。振り返った場所がピンポイントで出てくれるように祈って。答案は半分ほど埋めることができた。裏を返せば、半分しか埋めることができなかった。最後、数学。基礎問題から先に取り組み、応用で手が止まる。苦し紛れの計算式を解いていると、気づけば終了の時間に。一日目終了。二日目もこんな調子で。土日休みを挟み、幾分か持ち直す。三日、四日、五日と日数は進み。最後の関門は国語だった。入れ歯先生のモゴモゴ問題訂正にも落ち着いて対応できている。まだ結果が出たわけではないが。国語は、いや休みを挟んだテストは赤点を回避した。不安なのはやはり数学と英語。それに全く勉強できなかった地理。結果は明日にでも、すぐにわかる。何とか最悪の事態だけは回避している事を祈ろう。テストが終わり、緊張が解かれる教室。補講期間を乗り越えれば晴れて夏休み。教室の空気も緩むというものだ。
……やっとまとまった時間が手に入った。これでようやくツキノキさんへお礼ができる。だが、ツキノキさんへどんなお礼をするかをまだ決めていない。ツキノキさんの家は、毎回甘い焼き菓子のような匂いがする。何かしらのアロマでもプレゼントすれば、ツキノキさんは喜んでくれるだろうか。……いいや、俺はアロマについて詳しくない。もしもツキノキさんの好みでない香りをプレゼントとして渡してしまったら、絶対にツキノキさんに気を使わせてしまう。それだけは絶対に避けるべきだ。ツキノキさんは大人の女性だ。男目線でプレゼントを考えるのにも限界がある。ここはやはり、同じ女性に意見を求めるべきだろう。男目線からではわからない、意外な発見があるかもしれない。すると丁度よく、コツツミさんが近づいてきた。
「メツギくん、テストどうだった?」
「あぁ、まぁ……ぼちぼち」
「あたしはあくびが出そうだったわ」
コツツミさんはそういうと、ワワワと口元に手をやった。このテスト期間中、特に帰り際にコツツミさんに呼び止められることが頻繁にあった。〝破滅〟の二文字が頭に浮かぶ。コツツミさんが俺にした忠告だ。コツツミさんから俺へ、いじめの対象は確かに移った。だが今の所、俺は〝破滅〟していない。コツツミさんが面白がって、怖がらせようとしているだけなのか。それとももっと酷いことが起きるのだろうか。コツツミさんの動きに気を配っていても、コツツミさんと出会った時よりもイキイキしている以外に変化はなかった。コツツミさんのいう〝破滅〟は、本当に起きるのだろうか。コツツミさんに直接聞いてみても、顔をニマニマとさせるだけ。実際にその時が来るまで、俺には判断がつけられない。
「なぁ」
「?」
「もしプレゼントをもらうとして。コツツミさんなら、どんなモノを貰ったら嬉しい?」
「なにそれ? 口説いてんの?」
「お世話になってるツキノキさんに贈り物をしたいんだ。なにか案ないか?」
「つまんな」
「つまらなくて悪かったな」
「お金でも送ったら?」
「なんかヤダな。ツキノキさんとの関係をお金にしてるみたいで」
「んじゃメツギくんが縄で縛られて奴隷にしてくださいって頼み込むのは?」
「聞くだけ無駄だった」
「ウソウソ冗談冗談。メツギくんが選んだものなら何でもいいんじゃない? どんなにダッサいプレゼントでも、メロカリに出せば換金できるんだからさ? あ、でもそれなりのモノ贈らないとダメだかんね? 相手に出品の手間かけさせるんだから、ちゃんとそれなりの見返りがなきゃ。これプレゼントする側の常識」
「……」
ツキノキさんはコツツミさんほど下品じゃない。くすんだ鏡のプレゼントの基準が金額なら。澄んだ鏡のプレゼントの基準は、一体なんなのだろう。……。ダメだ、わからない。この調子だと、ツキノキさんへのお礼がいつになることやら。仕方がない。ここは恥を忍んで、ツキノキさんの知恵を借りよう。きっとツキノキさんならば、俺の力になってくれるはずだ。帰り道、コツツミさんとは駅前で手を振り。元来た道を引き返す。焦りは禁物。夏休みまであと七日。その間にコツツミさんの力を借りれるようにして、必ず俺の求める〝賢さ〟を見つけて見せる。グッと握りしめた手に、ジンワリと汗が滲んだ。どこかで蝉が鳴いている。俺の人生を左右する夏が始まろうとしていた。
久々の家に帰ってきた。テスト期間中は、強制的にウチハの家のお世話になっていたが。やはり自分の部屋で一人きりになると心が落ち着く。荷物を放り、ベッドに倒れ込んだ。テストから解放されて、ようやく一息つくことができる。ぐったりと、体から力が抜けてしまう前に。俺は体を起こして、スマホからメッセージアプリを起動した。探すのはもちろん、ツキノキさんの名前。最後に会った遊園地では、ヒドイ別れ方をしてしまった。呼吸を一旦整えて、失礼のないように言葉を選んで。メッセージを送って、しばらくスマホに張り付いていた。
《すみませんツキノキさん。いま時間大丈夫ですか?》
《構わないよ》
《お世話になっているツキノキさんに、何か贈り物をしたいと考えていたのですが》
《いい案が思い浮かばなくて》
《メツギさん》
《なんでしょう》
《誰かに何かをしてあげようというその気持ちは、とても尊いものだ》
《ありがとうございます》
《けれどね、メツギさん》
《?》
《無理してないかな?》