『準優勝、ドウゾノ ウチハ』
大きな体育館ホールは、今まさに最後の役目を果たそうとしていた。
全国大会の舞台なだけあって今日は特別に授業が免除され、観客席を見渡せば、学年中がウチハの功績とサボれるきっかけを生み出してくれたことに沸き立っている。
雷のような拍手に祝福されながら、ウチハは二番目に高い表彰台に立ってトロフィーを受け取る。
剣道部なんかは互いに抱き合ったり、みっともなく盛り上がったり、それを咎める顧問の先生は静かにうなずいて目頭を抑え。いつもそばで見ていた身としては、彼女の努力が報われたことに頬が緩み、拍手の音量は次第に大きくなっていく。
ウチハのご両親は、仕事の都合上この会場にはいない。
だが、母親の”ウチハちゃ~ん!! ”の声が届いたのか、コチラに向かってぴょんぴょん跳ねながら満面の笑みで手を振る彼女に気負った様子はなかった。……なお、近くにいる俺は恥ずかしいので、即刻やめてくれと肩を揺すっている。
流石に優勝者よりも目立つその行動に、係の人が肩を叩いてそれとなく注意すると、しょんぼりと送られたトロフィーを胸に抱き寄せていた。
クラスは勝利の余韻を残しながらも、母校最寄りの空港への飛行機に乗り込み、観光気分もそこそこに関東の地を去った。
明日には「タダでは転ばん」と言いたげに、学校側から剣道大会の感想文を書かされるハメになるんじゃないか?
……合わせて後日談となるのだが、授業が潰れた分は宿題として課題が盛り込まれ、終業式から始業式までの割と自由な時間が勉強に塗り潰されることとなる。功績の立役者であるウチハも巻き込む、阿鼻叫喚の地獄絵図となる様は、自分も含めて配慮の余地があったのではと今でも疑問に思っている。
帰りも学年で一フロアを貸し切るように座席を埋め、着陸したのは午後の四時頃。ここから手配したバスに乗って学校へ滑り込み凱旋……と行く予定であったが、どうやらうちの母親がここで待ったをかけた。
「空港までは車で来ていたので、帰宅の足は充分です」
なんて主張を教師に繰り広げてクラスの注目を集め、顔を伏せたくなるような騒動に発展する。
……結果から言えば、許可されてしまった。担任や教職員はあくまで団体行動を優先し、誰か一人を特別扱いすることに否定的だったが、騒ぎを聞きつけた校長先生が割り込んできたために風向きが変わる。
曰く、我が校の優秀な生徒を早く休ませてあげたいだとか、中途半端な時間で祝うよりも、明日の朝礼で学校を上げて祝った方が彼女のため……とかなんとか屁理屈をこねて集団の輪から外されてしまった。
いくらウチハが今回の主役だからって、贔屓するのは学校としてどうなんだ……なんて意見は手を引く母親とウチハに掻き消され、クラスメイトからの特権階級を見るような羨望の眼差しに申し訳なさを覚えるのであった。
鉄の翼が揚力を得てその巨体を持ち上げる。
地上を離れ、どんどんと高度を増していく様は、重力が効いた地面に置いていかれるような虚しさを置き土産とする。
いくら俺がこの場で幸運をだとか堕ちろだとか、どんな感情を抱こうとも、あの飛行機へさしたる影響なんてないのだろう。
行先も告げぬ飛行機は、はじめから目的地に辿り着くだけの力を備えているのだから、あとは不幸に見舞われさえしなければ、役目を全うすることができる。
飛行機雲を棚引かせながら、悠々と滑空する空の大鳥。そんな力強さと単純さが、今の俺には羨ましく思えた。
眼前の四角い世界を飛び出して、車窓の枠外へ消え去ってしまったジャンボジェットの行き先を知る術は、永遠に失われてしまった。
「まぁ、とりあえず……おめでと」
「あ~エイタ、応援ありがとね~」
「よかったよ。俺の選択は間違ってなかったんだなって」
「ボクはこの道を選んだことを後悔したことなんてないよ? ここまでこれたのはエイタのお陰!」
「……いや、それは大袈裟だろ」
「なにおう~」
車の後部座席に収まり、もう何度も言われ飽きてると思うが、形式的にお祝いの言葉を述べる。
素直な感情が飛び出たのは、ここが身内しかいない閉鎖空間だからなのか。……だからと言って、頭部を擦り付けてきていい理由にはならないが。
ルームミラー越しに覗く、母親のニヤついたような目線に気がつき、ウチハを押しのけて窓の外を見て気を紛らわす。親しき中にも礼儀あり、だ。
「実際のところ、エイタはウチハちゃんのこと好きなの?」
追越車線場を猛スピードで車が”シャーッ”とタイヤを滑らせるように駆けていく。
エンジン音は絶えず燃焼を繰り返しているはずなのに、車内の静けさはより磨きがかかっているように静やかだった。
どうしてこう……俺の母親は、この和やかな雰囲気を的確に打ち壊すことができるのだろうか、本当に腹が立つ。
だが聞かれてみると、つい考えてしまうのが人間という生き物だ。そして自分でもウチハのことをどう思っているのか、よくわからないということを理解する。
人を心の底から好きになったことがない。そもそも、人を好きになる価値が自分にあるのだろうか? とする前提条件が思慮を遮る。
ウチハは俺と比べるのもバカらしくなるほどに社会に利益な人間だ。
その小さな体で努力を積み重ね、学年中いや学校中の応援を背に受けて、彼女が望めば特例だって認めてもらえる。そんな高嶺の花に手を伸ばす行為は、客観的に見て愚かしい行為なんじゃないだろうか?
……でも何かしら答えを出さないといけないのだろう。意思の非表示は……それこそ相手に失礼なのだから。
「……よく、わからない」
「えーなんなの? 照れてるの? 別に深い意味はないのよ?」
熟考した上での、これ以上ない俺の心の内だった。けれども、母はハナから俺が出す回答を聞く気などさらさらなかったらしい。
いつもそうだ、本当は? でもやっぱり? なんて話を区切って、ただ自分が望んでいる言葉をパクパク金魚みたいに待ち構える。
……俺は外面から見えるより、中身が詰まった人間なんかじゃない。
空のポケットをいくら叩いて揺すったところでビスケットなんて出てくるはずもなく、なんなら増やすためのビスケットすら俺は持ち合わせていない。
自分が平均以下の人間であることを……あぁやめろ、そんなに深く考え込まなくていい。答えはもう出てるじゃないか。さっきの言葉がお前の本心で、そのままいつものように有耶無耶に過ごせばいい。誰もお前の話なんて聞きたくない。
キ・キ・タ・ク・ナ・イ。
……それで? 結局? お前はウチハのことが?
「キr「もーなんなのよーエイタったら、意地張っちゃって。そんなことしてるとウチハちゃん愛想つかしちゃうわよ?」
しまったとルームミラーに目をやる。
右折のウインカーを出して、車が途切れるのを待っている視線を確認し、もどかしい気持ちになるが今度は同じ後部座席にハッとした。
……言葉にすらなっていない、断片でしかない今の発言を、はたしてウチハは聞き取っただろうか。
”あっあー”とさっきと音量を似せたリズムを紡いで、相手の反応を流し目で見守る。ソッポを向いたウチハは窓の外を見ていた。
これは? セーフ? なのか? 赤茶色の鮮やかな頭髪を観察し、カラカラと笑う母親の存在を隠れ蓑にして、そっと息を吐き出すのだった。
母は買い物してから帰るといい、俺とウチハを分かれ道で降ろした。あぁ、ウチハの荷物持ちしろってことねと、無意識に体が動く。
剣道具が詰まったバッグを背負い、二人並んで帰路につく。ウチハに目立っておかしな点はない。やっぱり聞かれていなかったんだろうと勝手に決着をつけ、けれども妙な気不味さからか、こちらから会話を切り出せずにいた。
「……来月から新学期か~」
「そうだな」
「三年生は色々と大変そうだよねー」
「早いやつは一年生から対策してるってな、俺達もそろそろ本腰入れていかないと……」
「二年生になったら選択授業が始まるし、エイタに手伝って貰えないから今から不安だよ~」
「流石に選択外の科目まで面倒見るのはウチハのためにならないし、それにこの先、学力をつけておいて損はないだろうから……。まぁ、頑張れよ」
「学年上がったらクラス替えだよね?」
「なるべくいろんな人と集団生活できるように先生が調整するから。あえて仲良い友達と引き離したり……まぁ社会に出るための準備だよな」
「次も一緒のクラスになれたらいいね」
「いや、それはわからない」
「ここは普通同意するところじゃないの〜」
「日頃の行いとか成績とか、全部ひっくるめて先生に委ねるしかないから、無責任に同意なんてできるか」
「ふぅーん」
俯いて、寂しげに地面に目線をやるウチハをサッと確認しながら、自分の発言の是非を問う。
何もかもを握られているというのは、それはそれで腹立たしいことなのかもしれないが、自分で何もかも決めるというのもそれはそれで面倒くさいことだ。
飼い犬がいいか、はたまた野良犬がいいのか。優秀なら選択肢も用意されている。しかし、優秀になれないのなら話は別だ。
「なんか、やだなー」
「……学校がか?」
「んー学校は好きなんだけどね~。どんどん見える景色が変わっていっちゃうからかな……ちょっと怖い」
「……」
「エイタは……変わらないでね?」
「……人間そうコロコロ変わるもんじゃねーよ」
「あっはは、そりゃそーだ!!」
一度話が始まりさえすれば、いつも通りの関係性に元通り。
感じていた違和感は頭から消え去り、自動的に不安材料の一つも居場所を無くした。
相変わらず、冬の寒さに風が吹き荒べばなお凶悪だが、それも春の訪れとともに都合よく懐かしく感じるのだろう。
疾風怒濤の時代は、内在に激しい変化を伴いながら残痕を刻み込んでいく。
表層に滲んだその形が、いつしか別人であると囁かれたがるように。
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桜が見頃の満開を迎え、新しい門出を祝っている。
俺たちの教室も一段上がり、新たなメンバーでの一年間が始まった。
クラス表のプリントを見れば、友人たちは見事に三々五々に散らばっている。
唯一同じクラスになった眼鏡くんも、二席離れてしまえばなかなか交信が出来ず、お互いに周囲の人間との交流を迫られていた。
担任が職員会議から帰ってくるまでの間に、ほぼ全てのクラスメイトが何かしらのコミュニティーに属し、来るべき自己紹介に備えている。
気をてらったアピールさえしなければ、目立ちはしないが、反感も持たれない。
クラスへ自分の存在を認知してもらう重要な局面だ。
波風起こさないという点では、平均に近ければ近いほど苦労を伴うイベントではないのだろうが、どんな場所にも例外はいる。
そう、例えば……。
「ねぇ、あの子じゃない?」
「不登校なんでしょ?滅多に学校来ないって噂の」
「そうそう、いろんなところで入賞してる子」
「なんか多芸なの?」
「へー結構綺麗な人だねー」
「でも先生に媚び売ってんでしょ?」
「男子にも色目使って」
「ねぇナツキ話しかけてみなよー」
「えー無理無理。凡人とは話したくないってさー」
「なにそれ性格わっる」
「また部活入り直すんじゃない?」
「いく先々で嫌われるから居場所がないんじゃないの?」
「うっわーそれめちゃくちゃダサイやつじゃん」
「ウチの部活に来たことあるけどチョー迷惑」
「わざわざしゃしゃり出てこなければいいのに」
「いっやw言い方w」
「どうせ目立ちたがりなんでしょ?」
「そりゃ孤高気取るしかないっか~」
「ぜんぜん反応ないけど何あれ?」
「死んでんじゃないの?」
「なにすかしてんだよ」
「可愛げなッ」
「ウチハはどう思う?」
「んー……」
終業式で配られた課題プリントを広げ、諦めたように頬杖をついていたウチハは、どうでもよさそうに応える。
あの課題プリントはかなり凶悪で、俺も結構時間を食った。それでも手伝ってやれなかったのは、ウチハが予行演習と俺の手助けを断ったのが原因だ。
ウチハと同じ状況の生徒達が、示し合わせたように、教師の怠慢に抗議する意見が飛び交う。
なにか共通の敵を作ることは、賢い団結の仕方だ。宇宙人の襲来で、いがみ合っていた人類が手を取り合うのは、なにも非現実的じゃない。自分はあなたと同じですよと主張して歩調を合わせるのは、互いに安心感を共有する大事な第一歩なのだから。
ウチハが口を開く。
「──────興味ない」