《すみませんツキノキさん。いま時間大丈夫ですか?》
《構わないよ》
《お世話になっているツキノキさんに、何か贈り物をしたいと考えていたのですが》
《いい案が思い浮かばなくて》
《メツギさん》
《なんでしょう》
《誰かに何かをしてあげようというその気持ちは、とても尊いものだ》
《ありがとうございます》
《けれどね、メツギさん》
《?》
《無理してないかな?》
《えっと、すみません》
《発言の意図が読めないのですが》
《誰かに何かをしてあげたいと思う気持ちはきっと正しい。けれど、相手に寄り過ぎてしまう点はいただけない。メツギさんは、特に》
《相手を思い遣ってはいけないと?》
《全てそうとはいわないが》
《それじゃあ、一体どうすれば》
《相手によってではなく、自身の発露に従えばいい》
《それはただのワガママでは?》
《そうかもしれないね》
《納得できません》
《無理をすると、無意識に見返りを求めたくなってしまう。向き合った時間・金銭・気持ち以上の、せめて同等の感謝をもらえなければ、物足りなさが胸で渦巻く。付き合う相手も同様に。無理に無理で付き合えば、双方にとっては不幸に他ならない》
《俺のワガママで、はたして感謝は伝わるでしょうか》
《どうだろうね》
《自信ないです》
《難しく考える必要はないよ。どこかへ探しにいく必要もない。なにかを変える必要もない。メツギさんは、メツギさんらしくあるだけでいい》
《自分らしくあるだけで?》
《眉唾かい?》
《ツキノキさんも、同じ心持ちなのでしょうか》
《そう願いたい》
《素敵です。眩しいくらいに》
《メツギさんなら、その眩しい先へだって辿り着ける。少し、喋りすぎてしまったね。また何かあれば、話を聞こう》
《はい。ありがとうございました》
最後のメッセージに既読がつく。ツキノキさんとのやりとりが完全に終わったのを確認してから、スマホの電源を落とした。自分らしく、俺らしく。ツキノキさんの口ぶりは、あるがままの俺を受け入れてくれる優しい言葉だった。ツキノキさんの優しさは、あまりにも俺に都合が良すぎる。よくできた話だと苦笑しながらも、その相手がツキノキさんであることから閉口した。俺の記憶が確かなら、〝賢さ〟について尋ねた時もツキノキさんは俺を無条件に受け入れてくれた。偶然にしては、奇妙な一致だ。この背後に、一貫したナニカが隠されている気がした。この背後に隠れているナニカが、もしかすると、〝賢さ〟の正体なのかもしれない。
〝賢さ〟への道が開けたような気がしたら、ジッとしていられなかった。弾かれるように机へ向かい、頭でゴチャゴチャしている言葉をノートに書き出していく。つい先ほど、ツキノキさんに難しく考えるなと言われたばかりなのに、難しく考えてしまっている気もするが。何もせずにいるよりは、よっぽどマシ。難しいことではなく、どこか別の場所にあるわけではなく、変化する必要もなく。自分勝手。自分本位。自分都合でいい。果たして無欲な俺に、ツキノキさんへ送れるようなワガママは残されているのだろうか。
……。
……。
……。
「エイター? あんたちょっと下りてきなさい」
……母さんが呼んでいる。声色にトゲトゲしたものを感じた。行きたくない。気が進まない。けど行かなきゃ行かないで、後が怖い。仕方がないと諦めて、ノートを引き出しにしまった。ツキノキさんへのお礼の件。コツツミさんの引き入れ。学校での嫌がらせ。次から次へと問題が降りかかる。俺はいつになったら問題を片付けられるのだろう。
廊下の扉越しにリビングを伺った。リビングには、母さんとウチハがいた。ウチハ、帰って来てたのか。気が付かなかった。恐る恐るリビングに入って、二人の顔を確認した。母は腕組みして、仁王立ちでこちらを睨みつけている。ウチハの方は、ダイニングテーブルに座って俯いていた。
「あんたまたウチハちゃんのこと困らせたの?」
「ウチハちゃんに迷惑かけるなって何度言えばわかるの?」
「そうやって黙ってれば許されるとでも思ってるんでしょ」
「だいたいあんたはねぇ、他人に無関心なのよ」
「ウチハちゃんがどんな想いであんたの世話してるか考えたことあるの?」
「剣道の大事な時期だってのにウチハちゃんにお世話されて、挙句それが当たり前みたいな顔して感謝も忘れて」
「ウチハちゃんの剣道、調子が悪いのは絶対あんたにも原因があるんだからね!?」
「しょうもないことでカッコつけてるから、母さんが気を利かせてウチハちゃんと二人っきりにしてあげたのに」
「ちょっと目を離した隙にウチハちゃんに甘えて好き放題して」
「授業中は居眠りして、テストは赤点ギリギリで、成績もどんどん悪くして」
「あんた、自分がどんな立場に置かれてるのかわかってんの? 危機感ってものがないんじゃないの? いままで出来てたことが出来なくなってるのよ? このままじゃ社会のお荷物まっしぐらじゃない」
「夜遊びがなんだか知らないけどねぇ。あんたみたいなロクデナシとつるんでるヤツなんて、マトモな人間じゃないわよ」
「ちょっと! 母さんの話ちゃんと聞いてるの? あんたに言ってるのよ? 返事ぐらいしたらどうなの!」
母さんの口から否定の言葉が、とめどなく溢れて止まらない。なにより一番情けないのは、母さんにツキノキさんの人間性を疑われて、なにも言い返すことの出来ない自分だ。あまりの惨めさに、言葉を失ってしまった。ツキノキさんが〝賢い〟と認められた俺が、ボコボコに貶されていく。母さんに何か一言でも言い返せず。しかし心の大事な所だけは守ろうと、俺は何も言わずにリビングを飛び出した。背後で怒号が一層響いて。逃げようとした腕を掴まれ、引き戻されて。母さんからの、一方的な会話劇。ウチハが割って入ったスキに、掴まれた腕を振りほどき。こんな家に居たくない。一度も振り返らずに家を出た。
世界がくすんだ鏡のモノだとして。利害関係を調整するには、要求の突きつけ合いは必要。相互理解を深めるためには、要求の突きつけ合いはさらに必要。強者はもちろん、弱者も自己主張出来なければこの世界で生きていく資格はない。何をしようと、どこへ逃げようと。この現実は変わらない。学校だってそれは同じだ。教室の隅で世界を閉ざしている人間なんて、学校にいる資格はない。それならば、口汚く特定の個人を罵ってでも、自己主張を怠らない人物のほうが断然マシ。
くすんだ鏡を前提とした世界。正反対の澄んだ鏡には、始めから生きていく資格なんてなかったんだ。学校でいじめられるのも、その共犯が受け入れ難いのも、社会に息苦しさを覚えるも当然で。端から俺は、世界に必要とされていなかったのだ。例え"賢さ"の答えを見つけても、そもそも世界に必要とされないのなら。〝賢さ〟を求めるこの行為に、果たして意味はあるのだろうか。
ふと足が止まった。夜の河川敷。いつの間にか、学校の反対側まで来てしまったようだ。舗装路の等間隔の灯りに、時々ランナーが浮かび上がる。落ち着ける場所を求めて、野球グラウンドのベンチに座り込んだ。青草の匂いが夜風に乗って流れてくる。目の前の河川は漆黒。水の流れる音もない静寂。俺視点で見ても、ツキノキさんの視点で見ても、結論は同じ。ただただ、俺が世界に必要とされていない人間であると再確認できただけだった。もしもこれが本当に事実なのだとしたら。この世界に生きている限り、俺は一生苦しみ続けることになる。おそらくこの先も、世界に必要とされていない事を割り切ることなんてできない。何かの拍子に、澄んだ鏡に都合のいい世界が訪れるなんて楽観もできない。ここで川に身を投げてしまえば、あらゆるしがらみから楽になれるのではないか。
……。
楽になるまでの苦しみ。失敗した時の絶望。いままでかかったお金。俺が死んだ後の後処理。残された家族への影響。全部保証してくれるなら、俺は喜んで川に飛び込むのに。
……。
……。
……。
やんなっちゃうよな、ほんと。泣くことしか出来ないなんて。助けを求める能力もなくて。呼べたところで意味などなくて。選べる道には未来はなくて。否定に否定が重なるだけで。逃げることさえ許されなくて。全てを終わらせる勇気もなくて。でも、明日はきっと良くなると信じたい自分が居て。……クソ。泣き疲れて満足してしまっている自分のことが、イヤというほど嫌いだ。
翌日。今日から補講期間に突入する。テスト返し、授業日数の調整、夏休みの宿題が出されるなど。夏休みまでいよいよ秒読み。だがいまの俺には、そんなことは心底どうでもよかった。頑張る目的を見失ってしまった。このまま頑張って〝賢さ〟を探したところで、無意味な事を悟ってしまった。ツキノキさんが慎重に言葉を選んでいたのは、俺への優しさも含まれていたのだろう。……例えそれが事実だとしても。ツキノキさんが俺に向き合ってくれたことに変わりはないのだから、感謝は伝えるべきで。それさえできないのなら、俺は本当のクソ野郎になってしまう。再開した彼女達からの嫌がらせ。連続してスマホのシャッターを切る音。グループで回すだとか、ネットに晒しあげるだとか。無駄に高性能な耳は、不必要な情報までよく拾う。机に突っ伏して視界を見えなくしても、スマホのシャッター音が聞こえてくる気がした。そのシャッター音は現実なのか、それとも不眠による妄想なのか。ハッキリ断言できないまでに、判断力が鈍っている。ゾンビのように授業をやり過ごして、昼休み。朝ごはんも食べていないのに食欲がない。食べようという気持ちも湧いてこない。でも教室にはいたくない。逃げるように図書室へと向かう。なにか読みたい本があって図書室へきたわけではなかったが。無意識に足が止まったのは、ある本棚の前。一冊の料理本を手に取った。パラパラとページをめくっていき、その手が止まる。腹が鳴った。体が反応したということは、食欲がなくても食べたいという事だろうか。そういえば、前にコツツミさんと喋ったっけな。上手くできたら食べさせてとも。俺のワガママを押し通すなら、味噌煮込みうどんを作るいい機会かもしれない。美味しく作ることができたなら、これ以上のワガママは他にないだろう。そうと決まれば話は早い。図書室の椅子に座って読み込んでいく。
うどんに鶏もも・油揚げ・紅かまぼこ・青ネギ・卵・だしの素・豆みそ・みりん。作り方、思ったより単純だ。これなら料理初心者の俺にもすぐに作れそう。調理工程にも何か特別な技術はない。うん、ますます作れそうな気がしてきたぞ。問題はいつどこで作るかだと味噌煮込みうどんを作る計画を立てていると、あっという間に昼休み終了の時間が迫る。放課後は一秒でも学校に居たくないので、どうせなら本を借りてしまうことに。貸し出しの係の人に本を渡すと、貸出期間が伸びていることに気づいた。そうか、夏休みに合わせて長期貸出期間になっているのか。簡単そうな料理なので、貸出期間が伸びてもあまり意味はないとは思うが。いつまでに返せばいいかと焦る必要がないのはいいことだ。料理本を借りて、教室に戻って授業の準備。放課後まで不貞寝し、HRが終われば即帰宅。味噌煮込みうどん、どんな味がするのだろう。赤味噌料理は食べたことがないから、いまから作るのが楽しみだ。赤味噌といっても、味噌に変わりはないのだが。郷土料理として独自の地位を確立する以上、味噌煮込みうどんの美味しさに期待が高まる。好奇心に胸躍らせて。スーパーで買い出しを済ませて足取り軽くウチハの家へ。ウチハは再開した部活で帰りが遅くなる。ウチハの家なら誰にも邪魔されることなく味噌煮込みうどんを作れる。腹の虫が鳴った。朝から何も食べていない。俺の体は、空腹で限界のようだ。とりあえず一人前から作ってみよう。片手鍋に切った材料をどんどん放り込んでいく。手順通りに進めていき、特に苦戦することもなく味噌煮込みうどん完成。だっれも気にする人はいない。味噌煮込みうどんを器に移すのも煩わしくて、行儀悪く鍋のまま食べることにした。
どれどれ……? なんだろう、この。独特の風味は。いや、不味くはない。不味くはないんだが。美味しくも、ない? 味噌見込みうどんって、こんなものなのか? 問題なく食べれてはいる。だが空腹という最高のスパイスを考えれば、もっと料理を美味しいと感じてもいいんじゃないかと思ったり……。????? しっかりレシピの表記通りに調理をしたはずだ。どこかでミスをした? 分量を間違えたのか? 改めて一人分で計算し直しても、やっぱり数値はあっていた。味噌煮込みうどんの調理は簡単だ。作るのに難しいところはどこにもない。具材を切って入れて煮込むだけ。逆にミスをする方が難しい。俺の舌がおかしいのか? いや、つい先日家族と食事した時は味覚に違和感を感じなかった。こんな短期間で味覚が変わるとは考えにくい。あと考えられるのは調味料くらいか? 甘味・塩味・酸味・苦味・うま味……。料理初心者には、どの味覚が足りないかなんて皆目見当もつかない。参考にしたレシピが間違っているのかもと思い立ち、他の味噌煮込みうどんのレシピを漁ったが。どれも同じような材料・分量・作り方だった。レシピ自体が間違っているというのも考えづらい。????? なんで俺の作った味噌煮込みうどんが美味しくないのか、ますますわからなくなってきた。この日は一日悩んでも解決できず。美味しくも不味くもない中途半端な味噌煮込みうどんを作ってしまったモヤモヤを抱えたまま、翌日を迎えることになった。
赤味噌の実力を引き出しきれていない気がする。だがその原因が全くわからない。頭が味噌煮込みうどんで支配されるのに痺れを切らした俺は、コツツミさんに味噌煮込みうどんについて相談してみることにした。コツツミさんの性格は悪いが、その能力は本物だ。俺では見落としているであろう盲点を、コツツミさんならきっと指摘してくれることだろう。もしコツツミさんが協力してくれるのなら。お礼はもちろん、おいしい味噌煮込みうどんだ。
「コツツミさん」
「お? ようやく目が覚めた感じ? 残念だけど、報酬は高くつくよ」
「違う、別件だ」
「お前、どんだけ問題抱え込めば気が済むんだよ」
「……味噌煮込みうどん作ったんだ」
「私に食べてほしいってワケ?」
「いや、コツツミさんに食べてもられる完成度じゃない。何度か味噌煮込みうどんを作っているんだが、どうにも美味しく出来ないんだ」
「ふーん」
「ちゃんとレシピ通りに作ってるはずなんだ。うどんに鶏もも、油揚げ、紅かまぼこ、青ネギ、卵、だしの素、豆みそ、みりん。手順は──────」
「砂糖入れた?」