「コツツミさん」
「お? ようやく目が覚めた感じ? 残念だけど、報酬は高くつくよ」
「違う、別件だ」
「お前、どんだけ問題抱え込めば気が済むんだよ」
「……味噌煮込みうどん作ったんだ」
「私に食べてほしいってワケ?」
「いや、コツツミさんに食べてもられる完成度じゃない。何度か味噌煮込みうどんを作っているんだが、どうにも美味しく出来ないんだ」
「ふーん」
「ちゃんとレシピ通りに作ってるはずなんだ。うどんに鶏もも、油揚げ、紅かまぼこ、青ネギ、卵、だしの素、豆みそ、みりん。手順は──────」
「砂糖入れた?」
「……え?」
「赤味噌料理を美味しくしたいなら方法は二つ。馬鹿みたいに出汁をぶち込むか、馬鹿みたいに砂糖をぶち込む。砂糖の方が簡単」
「いや、ちゃんとレシ──────」
「目的と手段を間違えてる。料理はレシピ通りに作るのが目的じゃなくて、美味しく作るのが目的でしょ? レシピを唯一神か何かと勘違いしてるわけ? 少々やらひとつまみやら適量、適宜の意味理解してる?」
「……」
「あと、出汁に顆粒タイプの使ってるみたいだけど。顆粒出汁は塩分入って逆効果だから」
「塩分が入るといけないのか?」
「赤味噌って他の味噌よりしょっぱいの。普通の味噌の感覚で使うと不味くなる」
「うーん……」
「赤味噌は主役じゃなくて脇役ってこと。ほら、赤味噌のお味噌汁のことを〝赤だし〟っていうでしょ? 赤だしの主役は出汁なわけ」
「そうか、ありがとう。コツツミさんに聞いて正解だった。また何かあれば協力してくれ」
「あたしのこと利用する気?」
「そこはお互い様だろ」
「ま、いいや。味噌煮込みうどん、上手くできたら味見させてね」
「あぁ、うん。……それなら連絡先交換しておきたいんだが」
「あたし、そこまで気を許したつもりないから」
「ちげぇよ」
「じゃあなんだよ」
「夏休み前までに完成させられる自信がない」
「あたしの連絡先渡してまで味噌煮込みうどん食べたくないかなぁ〜?」
「それは、困るな……」
「あたしの大好物のチョコミントで取引しようとかは考えなかったの?」
「毎回チョコミントに頼ると財布が痛い。あと、何度も同じ手に頼ると、コツツミさんとの縁が短くなる」
「へへへ。メツギくんは、あたしのことが好きなんだ」
「……は?」
「別に隠さなくていいから。わかった、いいよ。連絡先交換しても。ただしメツギくんからの呼び出しはナシね?」
「それ連絡先交換する意味ないだろ」
「あるじゃん。あたしからは連絡できるんだから」
「……」
「まあ味噌煮込みうどんの完成報告くらいはさせてあげようかな。それ以外であたしに連絡してきたらブッ飛ばすから」
なんとか連絡先の交換はできた。途中、俺がコツツミさんのことを好きだとかいう聞き捨てならない発言があった気がしたが。ひとまずは、〝賢さ〟に迫る準備が出来た。夏休み前までにコツツミさんと関係性を築けたことに、ようやく肩の荷が降りてホッとできる。だが安心するのはまだ早い。コツツミさんは気まぐれだ。いつ機嫌を損ねても不思議じゃない。果たしてコツツミさんは、本当に俺に協力してくれるのだろうか? 取引やら約束やらも破られて、コツツミさんにいいように弄ばれて。飽きられてポイ捨てられる未来が容易に想像できる。無理に仲良くする必要はないが、最低限コツツミさんには飽きられないようにしないといけない。
「……そういえば、コツツミさんは剣道はどうしたんだ?」
「あ? やめた」
「……そうか」
「んじゃ、味噌煮込みうどん楽しみにしてるから」
背中で手を振りながら、コツツミさんは去っていった。コツツミさん、剣道やめちゃったのか。ウチハの剣道をしていた姿を見ていた俺にはわかる。コツツミさんは、相当剣道のセンスがいい。教室の人間から嫉妬されることからも、その才能は紛れもない本物だ。きっと剣道をつづけていれば、公式試合でいいところまで行けただろうに。コツツミさんが期待されていなかったのなら、剣道を教えてもらったり、剣道の道具も貸してもらえなかったはずだ。なのにコツツミさんは、周囲の感情を一切無視して自分を貫く。俺はそんなコツツミさんのことをトンデモナイ奴だなと思う反面、羨ましくとも思っていた。コツツミさんは他の誰の人生でもない、コツツミさんの人生を生きている。そんな強い生き方に、俺はずっと憧れていた。だが澄んだ鏡である俺に、そんな強い生き方が出来るのだろうか。澄んだ鏡とくすんだ鏡。考え方から何まで全てが真逆のコツツミさん。相性最悪のコツツミさんに近づいて、俺は本当に良かったのだろうか。その答えをいくら考えても、今の俺には答えられるはずがなかった。
相性最悪のコツツミさんのことをずっとグルグル考えながら、学校から帰ってきた。コップに水を汲んで、一気に飲み干す。薄暗いリビングは、物音の一つでさえもよく響く。どっしりとソファーに深く座って、天井を見上げた。なんだか疲れてきた。動きたくない。〝賢さ〟に迫る準備が出来た途端にこれだ。一つ壁を乗り越えたら、またすぐに次の壁が迫ってくる。一体いつまでこの壁はつづくのか。多分死ぬまでつづくんだろうな。現実から目を逸らすために、ツキノキさんへのお礼のことを考えた。ツキノキさんは味噌煮込みうどんを気に入ってくれるかだろうかだとか、こんな暑い時期に熱い味噌煮込みうどんだなんて常識外れと思われちゃうかなだとか。答えがツキノキさんにある問いを、延々グルグルと考えつづけて。段々とまぶたが重たくなってきた。
「エイタ?」
「ウチハ? 帰って来てたのか? 部活はどうしたんだ?」
「サボってきちゃった」
「そうか……」
『……』
俺がソファーで寝ぼけた目元をこすっていると、頭にウチハの両手が乗った。そのままわしゃわしゃと、髪の毛を乱される。視界が揺れる。気持ち悪くなってしまうのでやめてほしい。寝起きと疲れで動けない体でうめき声を上げた。するとウチハは、今度は自分で乱した髪を撫で付け始めた。
「髪の毛、ボサボサ」
「ウチハがやったんだろ」
「うん、そうだよ。ぜんぶボクのせい」
元気のないウチハの声。ウチハは俺がいじめられているのを、自分が悪いのだと思い込んでいる。だが、ウチハは悪くないはずだ。悪いのは、俺をいじめているウチハの友人と、ウチハの忠告を聞かなかった俺だ。だからウチハが傷つく理由はないはず。けれども俺は、振り返れなかった。直視してしまったその瞬間、ウチハの痛みや悲しみを、まるで自分のことのように受け止めてしまうから。瞳孔に光を当てると収縮するように、膝下を叩くと脚が動くように、熱さを認識する前に手を引っ込めるように。否が応にも、人に優しくすることを強制されてしまう。その優しさに、本人の意思がないのなら。果たしてそれは、本当に〝優しい〟と言えるのだろうか。これは、呪いだ。誰かに振り回されつづける呪い。自分を変えることなんてできなくて、誰かを変えることばかりに夢中なら。もういっそのこと、自分を貫くことしかできないんじゃないか?
「はは……」
「? エイタ?」
「今日の晩飯、俺が作るよ」
「へ? あ、うん。ありがとう?」
「ウチハは、今日俺が料理することを俺の家族に伝えといてほしい」
「それって、ボクとエイタと、おばさんとおじさん。四人分ってことでいいんだよね?」
「あぁ」
「わかった。ボクおばさんたちに伝えてくるね!」
耳に届いたのは、ウチハの明るい声。別にウチハを元気にするつもりはなかったのに。ウチハの根本の悩みに応える気がないだなんて。俺も大概、クズ野郎だな。性格の悪いコツツミさんにも、俺をいじめるウチハの友達にも。何もいう権利なんてないや。……。さぁ、クズはクズらしく。自分の都合を優先しますか。
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これはエイタとウチハがまだ小学生だった頃のお話。春休み明け。新たに始まる新学期。通学路。横目でエイタの様子を伺いながら、少女の願い事はただ一つ。カッコよくて、優しくて。ウチハの目標でもあるエイタと一緒のクラスになれますように。ウチハのささやかな願い。そんな願いを知ってか知らずか、エイタはウチハが心配そうな顔をしていることに気がつく。エイタはいつもの習慣で、ウチハの髪を整えようと伸ばした手を引っ込めた。ここは同級生も利用する通学路。どこで誰が見ているのかわからない。学校でウワサが広まれば、気の弱いウチハがますます萎縮してしまう。なら今は、ウチハの髪を整えるべきじゃない。けれどもウチハの心配そうな顔に、エイタの口が動いた。
「心配いらないって。また一緒のクラスになれるよ」
「……うん!」
大好きなエイタに励まされて、ウチハの顔がパッと明るくなる。根拠なんてなにもなかった。けれどもエイタが言うのなら、なんだか現実になりそうな予感がしていた。落ち着いていて、気配りができて、とっても頼りになる幼馴染。ウチハはチラチラとエイタを伺う。もっと知りたい、もっと近付きたい、もっと一緒にいたい。破裂しそうなほど騒がしい心臓に、ウチハは両手でギュッと胸を押さえ込んだ。鳴り止まない心臓。手を伸ばせば届く距離にある横顔。エイタに恋するウチハには、その全てが愛おしかった。けれど、物事はそう都合よく物事は運ばないようで。
校門前で配られたプリントに、ウチハは愕然とした。自分の新しいクラスに、エイタの名前がどこにもなかったのだ。エイタのいない教室を想像して、ウチハの顔が沈んでいく。そのあまりの心細さに、いまにも泣き崩れそうになっていた。クシャリとプリントと握って、プリントを涙で濡らして。耐えきれなくなったウチハは、脇目も振らずエイタに飛びついた。エイタの服に顔を埋めて、ウチハは溢れ出る涙を拭った。
「あぁ、ほら。せっかくの綺麗な髪が台無しだ」
サラリと通される手櫛。乱れていた髪が、流れに沿って整えられていく。エイタの優しくてくすぐったい手付きに、ウチハは落ち着きを取り戻していく。
「落ち着いた?」
「うん」
「ちょっと会えなくなるだけだから。ね?」
「……うん」
ウチハは不満げにうなずいた。けれど、これ以上エイタに迷惑をかけて嫌われたくもなかった。エイタのそばに居れない悲しみをエイタの温もりで癒しながら、少女は勇気を瞳に映す。いつまでもエイタにくっついてばかりも居られない。エイタと互いに助け合って、愛し合って。憧れのエイタの隣に並び立てるように。エイタに相応しい女の子になりたい、その一心で。ウチハの新しいクラスでの学校生活は始まっていくのだった。
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新しいクラスに馴染めるか心配だったウチハだが、その心配はすぐに晴れることになる。クラスメイト達がウチハを会話の輪に引っ張ったのだ。新しいクラスで新しい友達が出来たことにホッと一安心するウチハ。しかしすぐに、今度は違う心配がウチハを襲った。エイタがそばにいない心細さを思い出してしまったのだ。見知らぬ場所、見知らぬ学校で生活できていたのは、他ならぬエイタの存在があった。エイタの背中に隠れていれば、どんなことからも守ってくれる安心感があった。けれどもいまは、そのエイタはここにはいない。エイタは壁の向こうのクラスに振り分けられてしまった。エイタに会えない、こんな毎日がつづいていく。エイタに相応しい女の子になりたいと心に決めたウチハであったが、すでに心は折れかかっていた。せめて、ウチハがエイタを恋しく思っているように、エイタもウチハのことを恋しく思っていてくれることを願った。ウチハは新しく出来た友達の会話も聞かず、ぼんやりとエイタのことばかり考えていた。ウチハがエイタのことを考えている間も、彼女達の会話はつづく。会話は二転三転を繰り返し。いつしか会話の話題は、恋愛話へと移っていく。どんな男子が好きかの話から始まり。足の速い子、頭のいい子、イケメンと盛り上がって。やがて、同級生は子供っぽいと一人が言い出したことで、さらに彼女達の会話は盛り上がった。
「でもさぁ、エイタくんはちょっと違わない?」
「うんうん。なんだかちょっと大人っぽいよね」
「そう言えば私、エイタくんにウチハちゃんのことお願いされたんだ」
「え? それ私もされたんだけど」
「あれ? もしかしてみんなも?」
「ウチハちゃんと幼馴染だもんね。いつもエイタくんはウチハちゃんのこと背中で庇ってたし」
「やっぱりウチハちゃんのことが心配なのかな?」
「今日の朝、校庭で二人のこと見たよ。ウチハちゃんがエイタくんに抱きついてるの」
「エイタくんに頭も撫でてもらってたのでしょ?」
「え? 二人とも大胆」
「二人の世界に入っちゃってさ。羨ましい」
「あ! ウチハちゃんの顔赤くなってる」
「キャー!!」
「優しくて、頼りになって、頭もいいんだっけ? あれ? もしかしてエイタくんって……」
つらつらとエイタのいいところを語られて、ウチハはハッとした。ウチハからみたエイタがカッコいいように、みんなから見たエイタもカッコいいことに気がついたからだ。壁の向こうのエイタのクラス。そのクラスの女子達も、エイタのカッコよさに気づいていてもおかしくない。ウチハの知らない間に、エイタは他の女の子と付き合ってしまうかもしれない。もしもそんなことになれば、エイタに迷惑ばかりかけてるウチハには付け入る隙がなかった。今この瞬間にも、エイタを誰かに横取りされてしまうんじないかと考えれば。とてもウチハは気が気ではない。その後も、彼女達の恋愛話はつづいていく。ウチハの耳には、彼女達の話はもはや届くことはなかった。
「……えっと、エイタ?」
「? どうしたの? 学校で何かあった?」
「そ、そうじゃなくて」
「?」
「……エイタは、誰か気になる女の子とか、いる?」
「うーん? ごめん。わからないや」
「それじゃあ、好きな子は?」
「……え?」
「ご、ごめん。やっぱりなんでもない」
「急にどうしたの?」
「や、ちょっと。気になっただけ」
「何か隠してる?」
「そ、そんなこと」
「……ならいいけど」
もし好きな人がボクだったら、なんてウチハの淡い期待は儚く散った。けれど、どうやら今のところエイタには好きな人や気になる人はいないらしい。あれだけ一緒にいたのに意識されていないことにションボリとして。それなら、エイタの好きな人にボクがなってしまおうとウチハは奮起する。エイタを振り向かせたいと、ウチハは段々とエイタに積極的になっていくのはまた別のお話。