鏡の奥の向こう側   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

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大駒は近づけて受けよ

 

 

 

「あ〜メツギくんだ〜いらっしゃ〜い♡」

 

「……」

 

「おい、なんで無反応なんだよ。せっかくあたしがサービスしてやってるってのに」

 

 コツツミさんのぶりっ子な出迎えに言葉を失った。そんな俺の反応を見たコツツミさんは反転、ぶっきらぼうな物言いで俺へ詰めてくる。コツツミさんが何をしたかったのかサッパリわからず、俺は反射的にコツツミさんから目を逸らした。いや、なんだ。思わず目を思わず逸らしたのは、あまりにもバレバレなコツツミさんの演技に、見ているこっちが恥ずかしくなってしまったのだ。コツツミさんは〝つまんね〜〟といじけながら、家の奥に引っ込んでしまった。俺は〝おじゃまします〟と一言告げて、コツツミさんの家に上がろうとして。玄関入ってすぐの光景に絶句した。……玄関が、ない。玄関が一面、靴で埋め尽くされていた。女性ものの靴に詳しくはないが。大小さまざまな色や形や意匠の靴が、隙間なく一面に敷き詰められ。場所によっては靴と靴が積み重なるように置かれ。靴が玄関一帯を占拠していたのだ。これでは靴を脱ぐ場所がないのはもちろん、脱いだ靴を置く場所すらも見当たらない。目を疑いたくなるような光景。だがこの悪夢はまだまだつづくことになる。なぜなら、玄関らしき場所につながる廊下も同様。廊下の床が見えないのほどのゴミで溢れかえっているのをみてしまったからだ。〝帰りたい〟。コツツミさんの家に来て早々、すでに家に帰りたくなっていた。

 

「そこら辺にビニール袋あるから。それに履いてきた靴入れれば?」

 

「下駄箱。これ、使えないのか?」

 

「そこ中身パンパンなんだけど。メツギくんあたしの話聞いてた?」

 

「……足の踏み場がないんだが」

 

「あーめんどくせ。そんなのいちいち聞いてくるなよ」

 

 頭をかいてイライラしながら廊下の奥へ消えていくコツツミさん。来客前に軽く掃除しておくとか、そう言ったことは考えなかったのだろうか。だがまあ、この散らかり具合だ。もし俺がコツツミさんの立場だったら、掃除しようという気持ちさえ湧かなそう。コツツミさんに気遣いを期待すべきじゃない。自分ではわかっていたつもりだが、これからコツツミさんを説得をしようとする身からすると、はたして説得が上手くいくのかと不安になってきた。

 ……このまま立ち尽くしてもいられない。靴の間から生えてきていたビニール袋を引っこ抜き、玄関の外で靴を脱いでビニールに入れる。靴と靴のわずかな隙間に爪先立ちして玄関を進む。途中、バランスを崩して転びそうになりながらも。俺は無事、玄関を突破。次は長い廊下に差し掛かる。廊下はもはや、爪先立ちするスキマさえなかった。廊下をよくよく見ると、雑誌やらCDやら衣服やらが床に折り重なっていた。このまま前へと進もうものなら、踏みつけることになってしまう。〝このまま進んでいいのだろうか? 〟。コツツミさんは特に気にすることなくドスドスと踏みつけていたので、そこまで気にする必要はないかもしれないが。念の為コツツミさんに聞いてみようかとも考えたが。さっきコツツミさんは俺の質問にイライラしていた。これ以上イライラされると説得どころではなくなってしまうので、コツツミさんに許可を取ることを諦め。ゴミだらけの廊下へ一歩踏みだす。足場が悪い。どうやらゴミがいくつも重なってるらしく、場所によっては足場が滑りやすくなっている。一瞬でも気を抜くと、そのまま体がひっくり返ってしまいそうだ。持ってきた手荷物を体に引き寄せ、もう片方の手は壁に手をつけて。ゆっくりと慎重に廊下を進んでいき、廊下の奥の扉を開けた。

 廊下の奥のリビングは、玄関や廊下と同じく。当然のようにゴミで溢れていた。摩天楼。天井スレスレまで積まれた段ボール箱。地震でも起きれば即倒壊。マッチ一本で大炎上。目に入った勉強机。その机の上には、だらしない程度のゴミが広がっている。このゴミ屋敷の中では、比較的綺麗な場所。だが、隣の作業台らしき場所に〝移動させた〟跡が。作業台には学校がらみのモノがジェンガのように積み上げられている。その積み上げられたモノの下には、半田ごてや電子基板等の技術の時間に触るようモノが下敷きになっていた。どうやらこの家での片付けるとは整理や収納、ゴミを捨てることを指すのではなく。別の場所にモノとゴミを移動させることを言うらしい。なるほどそんなコツツミさんの思考回路なら、ゴミが片付くわけがない。コツツミさんの家の汚さの理由に一人静かに納得していると、なんだか鼻がムズムズしてきて。思わずくしゃみをしてしまう。こんなにゴミが溢れていれば、まともな掃除なんてできるわけがない。あんまりこの場所に長居したくないな。なんなら、ゴキブリだって出てきそうだし……。そんなことを考えていると、視界の端で何かが動いた。カラのコンビニ弁当。その中から、黒光りした虫が顔を出す。外に広がる二本の触覚。動くたびにカサカサと耳に届くその音。見間違えようのないほどに、それは立派なゴキブリだった。声にならない悲鳴をあげながらゴキブリを指差す。俺の異変に気付いたコツツミさんは、俺の指差した方向を見て。つまらなそうに〝あぁ〟と言った。そのままゴキブリまで近づいて行くと、握った拳をそのゴキブリに振り下ろす。部屋には〝ドンッ! 〟という拳を叩きつける音が響いた。一瞬、俺は目の前の光景を信じられなかったが。拳を引くコツツミさんから、〝ヌチャ〟というよく耳に残る音が聞こえてきて、拳の先で何が起きてるのかをイヤと言うほど理解した。

 

「まぁ適当にくつろいでよ」

 

「くつろげるかこんな場所で」

 

「ゴキブリのこと言ってんの?」

 

「それ以外になにがあるんだよ」

 

「虫ごときでなにピーピー喚いてんの? お前は女か?」

 

「ゴキブリも怖いが、素手でゴキブリを潰せるコツツミさんの方が断然怖いわ」

 

 俺は荷物から味噌煮込みうどんの入ったタッパーを取り出すと、コツツミさんに許可をとってからレンジにかけた。適当にくつろげとコツツミさんに言われたが、くつろぐ方が難しい部屋だ。ゴキブリは、一匹いたら百匹いるなんて言葉もある。いつゴミの隙間からゴキブリが顔を覗かせるかと考えると、とてもくつろいでなんていられない。こんな場所で平然と生活できるコツツミさんは、ハッキリ言って異常だ。レンジの温めが終わる。器に触れると、しっかり熱い。加熱ムラもなさそうだ。

 

「……どこに運べばいい?」

 

「そこの机」

 

 コツツミさんは、いつの間にか取り出した割り箸で〝ピン〟と学習机を指し示す。俺はレンジから取り出した味噌煮込みうどんを学習机まで運んだ。コツツミさんは早速椅子について割り箸をパチンと割ると、何も告げずに味噌煮込みうどんを口に運んだ。俺は〝熱いぞ〟と忠告しようとして、口をつぐんだ。そのうどん、素手で触れないくらいには熱かったんだが。くすんだ鏡というのは、感覚器全般が鈍るのだろう。でなければ、極端な熱さや辛さを歓迎なんてしないだろうし、怖い体験に金を払ったり、迷惑を顧みずはっちゃけたりしない。そんなくすんだ鏡にとって、日常というのは酷く退屈でつまらないものなのだろう。日々溜まりつづける鬱憤。その鬱憤を発散する機会を常に求めている。そこには澄んだ鏡とはまた違う、くすんだ鏡なりの苦労が見えた気がして、少しだけくすんだ鏡に同情した。コツツミさんはアツアツの味噌煮込みうどんを勢いよくすすったかと思えば。突然むせて、台パンを繰り返す。次の瞬間には、コツツミさんの手は机の上のペットボトルに伸びていた。ちゃんと熱いんかい。

 

「冷ましてから食えよ」

 

「ぅん。アツアツの食べ物はアツアツな時が一番美味しいの。お前は冷たいアイスを溶かして食うんか?」

 

「火傷するぞ」

 

「うるせぇ」

 

 ズルズル、ハフハフと。コツツミさんはものすごい勢いで味噌煮込みうどんを胃に収めていく。さながら、フードファイターのようだ。一体誰と戦っているんだという疑問は置いておいて。これだけ食いついてくれたなら、味噌煮込みうどんの助言のお礼としては十分返すことができただろう。これで貸し借りなし。本当なら、このゴミ屋敷から一刻も早く立ち去りたいが。それはできない。俺はまた、コツツミさんに力を貸してもらいたい理由があった。コツツミさんが味噌煮込みうどんのスープを飲み干すのを待ってから、俺は用意していた言葉を放つ。

 

「コツツミさんの力を、また借りたい」

 

「メツギくんも飽きないねぇ〜。で? あたしに何させたいわけ?」

 

「やることは前回と同じ。俺の質問に、コツツミさんなりの視点で答えてほしい」

 

「まだ賢いにこだわるんだ」

 

「頼む」

 

「そんなに〝賢さは冷酷さ〟っていうあたしの意見が気に入らないの? 現実を直視できないなら死んじゃえば?」

 

「それができないから……俺はいまここにいる」

 

「いまメツギくんに必要なのは病院に行くことじゃない? 哲学のごっこ遊びじゃなくて」

 

「……かもな」

 

「いやいや、〝かもな〟じゃなくて。エーちゃんはいつまで現実逃避するつもりなの?」

 

「病院で検査を受けることを、考えたことがなかった訳じゃない。……何かしらの病気と診断されれば、免罪符が手に入る。優しくもされよう、気も使われよう。ああしろ、こうしろの声にも、〝病気だから〟で正当化できる。運が良ければ、お金だって手に入るかもしれない。ただ……」

 

「いいこと尽くしじゃん。なにが不満な訳?」

 

「……それじゃあ俺が救われない」

 

「あ?」

 

「もし本当に病気だったら。………………家族は、病気の俺よりもウチハを優先していたことになる。家族は俺の事なんか気にも留めない、関心がないんだって現実を突きつけられる」

 

「あっはは!? なにそれ? 自分が大切にされてないって知るのが怖いんだ。でもさ? 案外、メツギくんがただの無能ってパターンもあるでしょ?」

 

「……わざわざ金払って、不良品の称号を貰いにいくのもな」

 

「こりゃ傑作だわ。だからエーちゃんは現実を直視できないんだ」

 

「俺に協力してくれるか?」

 

「お願いする態度ってものがあるんじゃない?」

 

「……──────」

 

「バカかよお前。お前の土下座になんかクソほどの価値もないから。調子に乗るな。このあたしの時間を拘束するんだよ? それ相応の対価を差し出せよ」

 

「……」

 

 コツツミさんが協力するに足る価値。そんなもの、いまの俺が持ち合わせているはずがない。差し出すものがないのなら、俺はコツツミさんに協力を申し込めないのだろうか。……いや、相手の価値観に従うだけが全てじゃない。もっと自由に、もっとワガママに。自分の中から湧き出て、溢れ出てしまうものに価値を見出すんだ。

 

「俺の夏休みを、コツツミさんにやる」

 

「それいま引き合いに出す? でも残念、そのサービスはあの場限り。それでもっていうなら、お前の一年をあたしに差し出せ」

 

「いや、俺の夏休みそのものをコツツミさんに差し出すわけじゃない」

 

「あ? どゆこと?」

 

「夏休みを使って、この汚い家を掃除する。それが俺の差し出す対価だ」

 

「お前喧嘩売ってるだろ」

 

「ただの客観的事実だろ」

 

「ゴミはまとめて出す主義なの」

 

「じゃあまとめとけよ」

 

「収納パンパンで入りきらないから」

 

「じゃあ新しくモノ買うなよ」

 

「手元に置いときたい資料や本が多すぎて」

 

「じゃあ整理しろよ」

 

「ん゛ん゛──────」

 

 コツツミさんは、唸り声を上げながら地団駄を踏んだ。ドスンドスンと足を床に叩きつける音が部屋に響き渡る。下の階にいる人に迷惑だし、埃が立つのでやめてほしい。コツツミさんの家がこんなゴミ屋敷だとわかっていたら、絶対にマスクを忘れなかったのに。この部屋の有り様だ。一回や二回の掃除で終わるとは到底思えない。次回からはマスクとか、軍手とか。完全装備でコツツミさんの家に来ることにしよう。……問題は、〝部屋の掃除〟がコツツミさんのいう対価として受け入れられなかった場合だ。そうなった時は、〝自主的な掃除〟でなんとかゴリ押そう。コツツミさんと一緒の空間にいることさえできれば、質問する機会はいくらでもある。今回は対面で議論をぶつけ合う気はない。そもそもコツツミさんの意見は極端すぎるし、会話を重ねようものなら、コツツミさんのペースに呑まれるのは目に見えている。俺の質問に対しての、コツツミさんなりの視点を借りることさえできればそれでいい。肝心のコツツミさんへの質問はまだ固まり切っていないが。そこのところは、未来の俺が上手くやってくれると信じることにしよう。

 

「あたしは別に困ってない! 調子乗んな!」

 

「……俺の目には、この家がとても人の住めるような場所には見えない」

 

「お前に頼むくらいなら、実績のあるプロに金払って掃除してもらるわ」

 

「……」

 

「キモいんだよ。勝手に同情して盛り上がるな」

 

「……ゴミとモノの区別はついてるのか?」

 

「あ?」

 

「新商品とか、季節限定とか……買っただけで満足してるんじゃないか?」

 

「……」

 

「その資料とか本の情報は……本当に全部必要なのか?」

 

「そりゃ、もちろん」

 

「流石のコツツミさんでも、全部暗記はできないのか」

 

「あ゛? いつあたしが暗記できないなんて言った?」

 

「でも手元に置いておきたいんだろ?」

 

「これはあたしのためじゃなくて、他人向けの情報源として手元に置いてあるの」

 

「……情報源をデータとしてパソコンでまとめれば。素早く取り出せて素早く共有できるようになる」

 

「そんなことしないでも、あたしの頭は全部把握してるから」

 

「USBでバックアップを取れば、いつどんな場所でも仕事ができる」

 

「……」

 

「いまは必要なかったとしても、将来的に必要になるかもしれない。備えておいて損はないと思うんだが」

 

「……ははーん、なるほど。そういうことか〜」

 

「?」

 

「まぁ? そこまでする情熱は認めてあげようかな?」

 

「???」

 

「いいよ、わかった。メツギくんに協力したげる」

 

「本当か? 助かる」

 

 

 

 コツツミさんは突然一人で納得すると、なんだか訳のわからないことを言い出す。突然イカれたコツツミさんに困惑したが、コツツミさんがイカれているのはいつものことだ。〝これで道が開ける〟。安心していると、なんだか疲れてきてしまった。こんな調子では、いまから掃除をしても大して進まなそう。掃除するための準備もできていない。もっと苦戦することも覚悟していたから、今日のところはこれで引き上げよう。コツツミさんとは連絡先も交換しているので、掃除の詳細はまた後日連絡することを伝えて帰路に着く。あれだけ空を覆っていた雲は、いつのまにか綺麗さっぱり消え去り。頭上には青空が広がっていた。清々しい達成感が胸を満たす。今日は安心して眠れそうだ。駅の改札を抜け。電車を待つホームで想うのは、ツキノキさんへの感謝。またツキノキさんへお礼をしないと。会いに行く口実ができて嬉しいのか。電車の窓には、だらしない俺のニヤケ面が映った。咳払いをして、表情を引き締めて。浮かれすぎてツキノキさんに嫌われるのは御免だと。深呼吸をして、心を落ち着けた。電車の扉が開く。この時間帯の上り電車に人はまばら。堂々と座席に座ることができる。味噌煮込みうどんの入っていたバックを腹に抱え込んで。〝賢さ〟への希望が見えて気持ちが緩んでしまったのか、危うく目的の駅を寝過ごしてしまうところだった。

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 翌日、朝。晴れ。水溜まり残る昇降口。目線を下げながら、挨拶の交わされる横を通り過ぎる。下駄箱から上履きを取り出せば、何かが落下する音。見ると、手紙だった。いつから入っていたのだろう。少なくとも、昨日帰る時にはなかったはず。手紙を前後に折り曲げたり、指の腹で中身を探る。……なんの変哲も無いただの紙だ。針やカミソリの類は仕込まれていない。いや、そんなわかりやすい真似を彼女達がするはずないか。内容が気にならないわけではない。だが、明らかに時期が不可解であることは確かだ。仮にこれが本物だとしてだ。この時期に手紙を出す意味がわからないし、手紙を貰うような相手に心当たりがない。狭すぎる交友関係の中に、こんな古風な手を使う人間はいないとなれば。もう結末は見えているようなもの。しかし万が一という場合もある。……。俺は目の前の手紙の処遇に、しばし頭を悩ませるのだった。

 

 

 

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