翌日、朝。晴れ。水溜まり残る昇降口。目線を下げながら、挨拶の交わされる横を通り過ぎる。下駄箱から上履きを取り出せば、何かが落下する音。見ると、手紙だった。いつから入っていたのだろう。少なくとも、昨日帰る時にはなかったはず。手紙を前後に折り曲げたり、指の腹で中身を探る。……なんの変哲も無いただの紙だ。針やカミソリの類は仕込まれていない。いや、そんなわかりやすい真似を彼女達がするはずないか。内容が気にならないわけではない。だが、明らかに時期が不可解であることは確かだ。仮にこれが本物だとしてだ。この時期に手紙を出す意味がわからないし、手紙を貰うような相手に心当たりがない。狭すぎる交友関係の中に、こんな古風な手を使う人間はいないとなれば。もう結末は見えているようなもの。しかし万が一という場合もある。……。俺は目の前の手紙の処遇に、しばし頭を悩ませるのだった。
……アホらしい。考えるまでもないだろう。こんな所で油を売っている暇はないはずだ。手紙の中身を確認せず。俺は教室に置かれたゴミ箱へ手紙を入れた。悪いが誰かのイタズラに付き合えるほど、俺はできた人間じゃない。手を擦り合わせて綺麗にすると、そのまま自分の席についた。あぁ。もしかするとあの手紙は、捨てられることを目的にしたものだったのかもしれない。手紙を書いたのに一方的に捨てられたと騒げば、孤立している俺はますます立場を失う。読んでも地獄、読まなくても地獄とは。俺もなかなか、嫌われてるな。さっさと荷物を机にしまい。飽きもせず注がれる視線から、逃れるように机へ突っ伏した。
昼休みのチャイム。それはまるで、解放を告げる鐘の音だ。蒸し暑い廊下へ出て、購買に駆け出す列とは反対側へ。早々に図書室へ出向き、足音を殺して本棚の影に隠れた。話しかけんなオーラを全開で放出するのも忘れずに。こんな時間から解放されているんだ、文句を言われる筋合いはない。ズラリと並ぶ料理本の前で腹が鳴った。腹は減っているが食欲はない。それに構わず、俺は料理の棚から一冊の本を開いた。赤味噌の消費先を考えるのもいいが、味噌料理ばかりというのも退屈だ。どうせ作るのなら食べたことない料理がいいなと、世界の料理についての本を手に取る。当たり前だが、普通のスーパーではなかなか手に入らないような食材が目立つ。代用食材を使うという手もあるが、まだ俺にそこまでのアレンジをする力はない。それに、参考にしたレシピが悪いのか俺の料理の腕が悪いのか判断がつかなくなるのはイヤだ。次に活かせなくなる。普通のスーパーに並んでいるような身近なもので簡単に作れて、なおかつ美味しい。そんな都合のいい料理はないのだろうか。
「……エイタ。ご飯、食べないの?」
「……」
「お金がないなら──────」
「頼むからほっといてくれ」
「……ごめん」
本から視線を外さずに、強い口調でウチハに訴える。ウチハの足音が完全に去ってから、一つ大きなため息をついた。……ウチハが謝る必要なんてどこにもないのに。ただ単に、俺が上手くやれてないだけだ。本の内容が頭に入ってこない。ウチハに対して、あんな言い方はなかったんじゃないかと罪悪感が育っていく。けれども、こうでもしないとウチハが引いてくれない。人が鏡であるのなら、強い言葉を浴びせかければ相手を退かせることだってできる。効果は抜群でしたよツキノキさん。ウチハにも、そして俺自身にも。もっと上手いやり方があったのかもしれないが。残念なことに、不器用な俺には上手いやり方なんてできなかった。誰かに傷ついてほしいわけじゃないんだ。けれども俺の取る行動で、必ず誰かが傷ついてしまう。その傷ついてしまう相手がウチハのような近しい間柄なら、なおさら俺の心も傷ついてしまう。周囲の人間を傷つけて、自分の心も傷つけて。俺の求める〝賢い〟の答えに、これ以上誰かを傷つけるだけの価値がはたしてあるのだろうか。手に取っていた料理本を本棚に戻し、その場にうずくまった。まだ二時限も残ってる。それもよりによって体育、水泳だ。いまさら泳げないことを恥ずかしがってるわけじゃない。だけど今日ばかりは、見学のベンチでぼーっと空でも眺めていたい気分だった。
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七月二十日、終業式。一学期最後の日。なんとか今日まで学校に通いつづけられた。夏休みの過ごし方を説明されて、夏休みの宿題が配られて、そして通知表。恐る恐る開いた内訳は、首の皮一枚で助かったというギリギリの成績だった。退学という最悪の事態は免れた。だが、成績が落ち込んでいるという現実は変わらない。俺はこの通知表を、母親に素直に渡す気にはどうしてもなれなかった。いっそのこと、地面を掘って穴に埋めてしまいたい気分だ。待ちに待っていた夏休みだというのに先行きが思いやられるのは、なにも通知表だけが原因じゃない。
「ちんたらすんな。早くしろ」
「なら少し、荷物を持つの手伝ってくれないか?」
「あたしペンより重いものは持たない主義なの」
「よく言うよ。剣道部で竹刀振り回してただろ」
「女の子に重い荷物持たせようとするとかサイテー」
「置き勉はいいにしても、せめて計画的に持ち帰れなかったのか?」
「仕方ないでしょ? 置き勉禁止令が突然出されたんだから」
「……面倒な先生に目をつけられてたな」
「おかしいでしょあれ。迷いなくあたしのところ来てさ? 絶対あいつらがチクりやがった。露骨に目逸らしやがって」
「まあ、コツツミさんへ復讐する理由はあるからな」
「あたしが先生持ち出したら卑怯者扱いするくせに、群れてるお前らは先生利用するのかよ! ペラペラの正義感を掲げやがってマジでムカつく! 虫唾が走るわ! ……あーイライラする。イラつ・く!!」
正午の河川敷。飛来してきた野球ボール。コツツミさんは片手を伸ばしてパシリとボールをキャッチすると、助走をつけて遠投。手を掲げた持ち主のはるか頭上を通り過ぎ、その仲間のミットの上おも通り抜けて。ボールは一直線に、藪の中へと消えていった。明らかにボール返す気なかっただろ。どんだけチクられたことにキレているんだとコツツミさんの顔を見る。するとそこには〝ふぅ〟と一仕事終えて額を拭う、サッパリした顔のコツツミさんがあった。〝あぁ、やっぱり〟と理解するも、もう何もかもが手遅れと指摘する気も起きなかった。コツツミさんの性格の悪さを指摘したところで、またイライラされるだけ。それに、重い荷物と直射日光で、ただでさえない体力を奪われてしまった。対してコツツミさんはご機嫌そのもの。カバンなどの荷物の類を俺に持たせて、その自由な両手で顔を扇いでいる。コツツミさんは俺の荷物を運ぶ速度を遅いと文句を言ってくるが。それなら両手が自由なコツツミさんが少しばかりでも手伝ってくれれば、荷物も早く運べるはずなのに。それがわからないコツツミさんじゃないだろう。だからこの状況は、コツツミさんにワザと作られている。性格の悪いコツツミさんらしい、悪趣味な遊びに付き合わされているのだ。できることなら〝フザケンナ!! 〟とコツツミさんの荷物を放り出して帰ってしまいたい。だがいまの俺に、そんな行動取れるはずがなかった。
コツツミさんの力がどうしても必要だというのもそうだが。一番大きいのは、コツツミさんの荷物を放り出したりしたら罪悪感を覚えてしまうことだろう。〝人にヤられてイヤなことはやめよう〟というあれだ。もし俺の荷物が他の誰かに放り出されるのを想像したら。とてもじゃないが、コツツミさんの荷物を放り出して帰る気にはなれなかった。俺がコツツミさんやウチハの友達に舐められているのは、この罪悪感の動きを見破られているからだろう。澄んだ鏡とは、くすんだ鏡にとってどんなことをしてもいいサンドバッグってわけか。くすんだ鏡に席を譲りつづける人生か……。鏡が澄んでしまっているから我慢して、鏡が澄んでしまっているから軽んじられ、鏡が澄んでしまっているから舐められる。〝いじめられる方にも問題がある〟だなんてどんな暴論だよと呆れていたが。こうして冷静に整理していくと、なるほど確かにこれは異常だ。もしかすると、いじめをどうこうしたいだなんて考えること自体が浅い考えなのかもしれない。……また悪い方向に思考が引っ張られている。手の感覚がなくなってきて、そろそろ限界に差し掛かろうとする頃。俺達はようやく、駅にたどり着くことができた。改札を抜け、駅のホーム。ベンチに荷物を下して、ガチガチになった肩を回す。コツツミさんと一緒にいる時間の中で、今日の帰り道は最も辛い時間だった。ここからさらにコツツミさんの家まで荷物を運ばないといけないのかと考えると気が滅入る。コツツミさんのマンションが駅から近いのが唯一の救いか。
「どした? なんかえらくバカ静かじゃん」
「……ちょっと、疲れただけだ。気にするな」
「あそ」
「……」
「今日も部屋片付けてく感じ?」
「いや、今日はやめとく」
「そんな調子で二学期までに終わるの?」
「……問答無用で全部ゴミとして捨てられればいいんだがな」
「それやったらあたし許さないから」
「なら地道にモノを減らしていくしかない。……次回までに靴を仕分けといてくれ」
「はいはーい」
「わかってるよな? 魅力を──────」
「はいはいわかってるわかってる。もう魅力を感じなくなった靴は手放せっていうんでしょ? メツギくんじゃあるまいし、一回言えば全部あたしに伝わってるから」
「……」
「今度のツキノキさん? と出かけるときに、まとめて買い取ってもらうって話だけど。金くすねたりするなよ?」
「レシートと一緒にコツツミさんに全額渡す。これなら不正のしようがない」
「マジであたしのこと騙そうとしたらケツ毛まで毟るから」
「俺はお金には困ってない」
「オメーの心配なんざしてねぇよ。同行するツキノキってヤツをあたしは疑ってんの」
「……ツキノキさんはそんなことする人じゃない」
「そんじゃメツギくんが保証人になってね? けってー」
一方的にツキノキさんの保証人にされてしまったが、そのことはどうでもいい。気がかりなのは、俺が探し求めている〝賢さ〟についてだった。ツキノキさんとコツツミさんという心強い助っ人に協力を取り付けてはいるものの。だがしかし、俺は二人に質問する内容にずっと悩んでいた。質問する内容が決まらなければ、二人に相談のしようがない。ツキノキさんとコツツミさんという強力な布陣を準備しておきながら、これでは宝の持ち腐れだ。はたしてこんな調子で、夏休み中に決着をつけられるのだろうか。……今までの方法じゃ絶対ダメだ。これからはもっと攻めないといけない。電車がホームに着いた。最後の一仕事と荷物をまとめ、俺はこちらを振り返りもしないコツツミさんの後を追うのだった。
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七月二十五日、日曜日。ツキノキさんとの約束の日程。俺は約束よりも早い時間に駅を降りて、駅を出てすぐの広場を見渡していた。流石に早く来すぎたか。このうだるような暑さだ。荷物も両手から下げていることだし、この広場の見える店の中で待っていよう。雑居ビルの一階と二階。某ファーストフード店が入っているのを看板で確認。両手の荷物を握り直して、雑居ビルへ向かって歩き出した。店内に入ると、一階は調理場と注文カウンターだった。店内飲食する場合は、二階に上がって食べる方式なのだろう。荷物で両手が塞がっているので、階段を上るのがちょっと怖いが。先に二階で席を確保して、それから何を注文しようか決めようと俺は階段へ向かった。すると、階段から降りてくる人影。その人影は、なんとツキノキさんだった。
「おはよう、メツギさん」
「あ、おはようございます。……その、早いんですね。一瞬、時間間違えたかと思ってドキッとしちゃいました」