七月二十五日、日曜日。ツキノキさんとの約束の日程。俺は約束よりも早い時間に駅を降りて、駅を出てすぐの広場を見渡していた。流石に早く来すぎたか。このうだるような暑さだ。荷物も両手から下げていることだし、この広場の見える店の中で待っていよう。雑居ビルの一階と二階。某ファーストフード店が入っているのを看板で確認。両手の荷物を握り直して、雑居ビルへ向かって歩き出した。店内に入ると、一階は調理場と注文カウンターだった。店内飲食する場合は、二階に上がって食べる方式なのだろう。荷物で両手が塞がっているので、階段を上るのがちょっと怖いが。先に二階で席を確保して、それから何を注文しようか決めようと俺は階段へ向かった。すると、階段から降りてくる人影。その人影は、なんとツキノキさんだった。
「おはよう、メツギさん」
「あ、おはようございます。……その、早いんですね。一瞬、時間間違えたかと思ってドキッとしちゃいました」
「メツギさんと会う前に、どうしても済ませておきたい用事があってね。……この銘柄がなかなか見つからなかったんだ」
「それは、タバコ?」
「お供物だよ。先生が、よく吸っていたものだ」
「お墓参りですもんね。あ、この服装で大丈夫そうですか?」
「問題ないよ。周囲に配慮しているなら、どんな服装だって構わない」
「その言葉で余計わからなくなるんですよ。どれほどお墓前りの画像を漁ったことか……」
「写真を送ってもらえば一言添えたのだがね」
「こんなことでツキノキさんに迷惑は掛けられません」
「メツギさん」
「……はい」
「メツギさんが優しい人というのは、十分理解しているつもりだ。……けれどね。裏で抱え込まれるのは突き放されているようで、なんだか少し寂しい」
「……肝に銘じておきます」
「それにしても、すごい荷物だ」
「モノをだいぶ溜め込んでいたみたいです。けど、見た目ほど重くはないですよ?」
「両手が塞がるのは危ないよ。半分持つから貸しなさい。……少し時間があるね。せっかくお店にきたんだ、何か注文していこう」
「あ、えと……それじゃあ、バニラシェイクで」
「わかった。席をとって待っててほしい」
〝ありがとうございます〟と軽く頭を下げながら、俺は席を取るべく二階に上がった。階段を上がり終えると、日曜日とはいえ朝が早いからか空席がちらほらと見つかった。足は無意識に、人の少ない壁際の席へ。二階はよく冷房が効いていたので、荷物を下ろして羽を伸ばした。なんだか少し寂しい、寂しいね。先ほどツキノキさんとした会話の一言に落ち込んだ。……ウチハとの関係は、夏休みに入ってもギクシャクしたままだ。夏の大会も間近に迫り、ウチハは毎日のように部活に通っている。俺も俺で、最近は何かと自宅にいない時間の方が多い。コツツミさんの家の片付け。たまに入るツキノキさんとの約束。図書館で料理の勉強と夏休みの宿題。親と顔を合わせたくないので、街の涼しい場所をブラブラと……最近は、そんな調子だ。そもそも、俺とウチハは仲良くすべきなのだろうか。俺にはこのまま、仲が悪いままの方がお互いのためのような気がする。
両親が滅多に帰ってこないから、可哀想だからとウチハを預かることになった。ウチハが家族の一員となり、ウチハ中心で家族が動いて、俺は何かと後回しにされてきた。テストでいい点をとっても、二言目にはウチハが出てくる。〝これでウチハちゃんにいいとこ見せられるわね。勉強教えてあげられるわね〟なんて。あの頃の思い出は、そんなことばかりだった。今にして思えば、俺は随分と健気だったな。それがウチハのため、家族のため、自分のためと信じて疑わなかったのだから。ウチハも両親には、大切にしてもらった恩を感じていることだろう。方法はどうあれ、俺のことを守ろうとしていたことに変わりない。高校生なら、まだ遊びたい盛りだろうに。恋も遊びも部活も、俺と俺の家族が全部の足を引っ張っている。ウチハが大事な家族なことに変わりはない。だがもし、俺達との関係が切れることでウチハが自由になれると言うのなら。どうか俺達のことなど忘れて生きてほしい。これから掴み取る幸せのためにも、振り返ることなく、前へ……。
「待たせたね」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
「体を冷やしながら、今日の予定を整理しようか」
「はい。お願いします」
「まずは荷物から片付けよう。靴を高価で買い取ってくれる場所を調べた。この量だ、査定には時間がかかる。その間に、お墓参りを済ませたいと思っている。道具一式を借り、清掃し、お供物をして拝む。必要であれば時間を潰し、お店に戻ってお金を受け取れば終了だ。お昼頃には終わる予定だが、予定にこだわる必要はない。ゆっくり行こう」
「……はい」
「ん? どうかしたのかい?」
「あぁ、いえ……ウチハとちゃんと話をしないとなと。でも、どうやってウチハに切り出せばいいか、分からなくって……」
「それなら二人で出掛けるといい」
「出掛ける?」
「私の個人的意見だがね。……距離感の近い相手ほど、切り出しにくいこともある。距離感が近い相手に切り出しにくいのなら、距離感を遠ざければいい。関係性は簡単に変えることはできないが、話す場所を変えることはできる。この場所で切り出すのだと意識すれば、ドウゾノさんと腹を割って話せるのではないかな?」
「……俺、話す場所とかそういうの、よくわかりません」
「午後は空いてるんだったね?」
「えぇ、はい」
「参考というのもおこがましいが。私でよければメツギさんに手を貸そう」
「それって? ツキノキさんと、その、デー……」
「余計なお世話だったかな?」
「そんな!? いえ。嬉しいです、すごく。是非、勉強させてください」
「人になにかを授けられるほど、私は出来た人間ではないよ」
「そんなの関係ありません。……現に俺はいま。ツキノキさんに救われているんですから」
「……もう何も言うまい。それじゃあ、そろそろ行こうか」
「はい」
謙遜するツキノキさんに耐えかねて、思わず出過ぎたことをしてしまった。少なくとも俺から見たツキノキさんは、今まで出会った誰よりも大人の対応をしてくれていたからだ。それなのに、ツキノキさんは頑なに謙虚さを崩さない。徹底した謙虚さは、もはや〝怯えている〟と言ってもいい。……ツキノキさんのこの怯えは、一体どこからきたのだろうか。なにか過去に、ツキノキさんにそうさせるほどの出来事があったのだろうか。ツキノキさんの力になってあげたいという親切心と、ツキノキさんの力になれるわけないという諦めが交差する。どこか物虚げな眼差しに、俺も心配しながら退店するツキノキさんの後を追う。外に出ると、高温多湿。日本特有の、ジメっとした暑さ。冷房とバニラシェイクに慣れてしまった体には、この暑さは余計に堪えた。太陽光の眩しさに、俺は眼を細める。ツキノキさんから声が掛かった。
「メツギさん、少しいいかい?」
「? はい?」
「お店の中で渡した方がよかったね」
「これは、サングラス?」
「あぁ、そうだ」
「……ツキノキさんはいいんですか?」
「私には日傘がある」
「そういうことなら。えっと、ありがとうございます」
ツキノキさんから差し出されたのはサングラスだった。荷物を持っていない片手で受け取って、サングラスを掛けてみる。驚いた。どうしていままで使わなかったんだと思えるほど眩しくなくて快適だ。これならわざわざ顔を伏せたり目を細めたりする必要がない。サングラスは海外の人のものという感覚があったが、それが固定観念であることを思い知る。これは益々ツキノキさんに美味しい料理を食べてもらわないといけなくなった。なおのこと、俺の料理の腕を振るいたいワガママが溢れるのだった。
「もうそろそろだ」
靴の買い取りをしてくれるお店を後にした俺とツキノキさん。靴の査定を待つ間、俺達二人は予定通り墓地を目指して歩いていた。頭上を覆う雑木林。右手には法枠工、左手には断崖とガードレール。眼下に広がる市街地を尻目に、アスファルトの上り坂を進む。〝もうそろそろ〟といったツキノキさんの言葉に、サングラスをどうしようか迷った。お墓でサングラスは失礼だよなと、俺は早めにサングラスを外した。この坂道は、後どれくらいつづくのだろうと顔を見上げる。するとそこには、左右に揺れるツキノキさんのお尻があった。前進するたびスーツスカートに張り付き、その大きさを強調していて……。恩人のツキノキさんを性的な目で見るなんて。この恩知らずがと、自分の頬を強くつねる。一人で落ち込んだ俺の視線は、自然とすらりとしたツキノキさんの脚から足元へ移った。オフィスシューズはコツコツとアスファルトを踏み締めて、規則的な音色を奏でている。硬いもの同士がぶつかる音は、なんだかとても歩きづらそうだ。この調子だと、午後も付き合わせてしまうのが申し訳なくなってくる。ウチハのことだが、それほど急ぎの問題じゃない。ウチハの休みがまだ先なことも確認済みだ。今日に予定を詰め込むのは、なんだか欲張りすぎな気がしてきた。俺のウチハとちゃんと話したいというワガママは、また別の日に聞いてもらうことにしよう。
午後の予定をどうツキノキさんに見送ってもらおうか考えていると、急に視界が開けた。雑木林の日陰が終わり、道路の先にはコンクリート塀が先までつづいている。コンクリート塀の先から、線香の匂いが漂ってきた。入口と思わしき場所から人が出てくる。入り口の奥を覗くと、お墓と木札を確認。ツキノキさんも足を止めているし、どうやら目的地はここで間違いない様子。俺はお墓の場所までは知らないので、ツキノキさんが動き出すまでその場で待機。だが待てど暮らせどツキノキさんは動かない。心配になってツキノキさんの方を伺うと、ツキノキさんはただボーっとその場に立ち尽くしていた。俺はそんなツキノキさんの姿が心配になって声を掛ける。
「……ツキノキさん?」
「あぁ、すまない。……いこうか」
何事もなかったかのように墓地の入り口へ向かうツキノキさんに安心した。どうやら具合が悪くなったわけではないらしい。俺もツキノキさんの後についていって墓地に入る。しばらく砂利道を進んでいくと、ツキノキさんがあるお墓の前で止まった。『強矢 稔ニ郎』と掘られたお墓には、すでにお供物が供えられていた。あのお供物は、缶コーヒーだろうか? 火のついた線香もあるので、つい先程まで誰かがお墓参りしていたのだろう。それがどんな人なのか、詳しいことはわからないが。このスネヤ先生という人物が、周囲の人に慕われていたことは確かだ。
「先客がいたようだね」
「もしかして、さっきの人が?」
「……そのようだ」
「お知り合いで?」
「高校時代の先生だった。スネヤ先生とどんな交流があったのかは、私は知らないが…………」
「慕われていたんですね」
「…………あぁ。私は先生から大きな影響を受けた」
お墓の周りを軽く掃除。缶コーヒーの横にタバコを供え、線香を焚き、手を合わせる。ツキノキさんは相変わらず無表情だが、その顔はどこか悲しそうにしている気がした。ツキノキさんとスネヤ先生との間でどんなことがあったのかは俺は知らない。だが、あのツキノキさんが〝大きな影響を受けた〟と明言するほどの人物だ。ツキノキさんが慕うほどの人物……。賢さを探る手掛かりになるかもしれない。死者を利用しようとする考え方を不謹慎だなと思いつつも。俺は、ツキノキさんに影響を与えたスネヤ先生という人物に、興味が湧いてきてしまった。
「予定より早く終わってしまったね。少し早いがお昼にしよう。……なんだかそばが食べたい気分だ。いいかな? メツギさん」
「えぇ、はい。喜んで」
墓地を出て。いままで来た道を引き返し、駅前。立ち寄ったのは立ち食いそばの小さな店。男共がひしめき合うような、女性にはなかなか敷居が高いお店。そんな立ち食いそばのお店へ、ツキノキさんは乗り込んでいく。その男気溢れるかっこよさに、ますます好きになってしまうだ。なにより、ツキノキさんに奢られる立場からすると、立ち食いそばは値段が手頃なのがいい。かけそば一杯程度なら、ツキノキさんに料理一回振る舞えばすぐに取り返せる。しかしこれがお高いランチとなると大変だ。味でも値段でも、すぐに取り返せるとは思えない。もちろんツキノキさんが、そんな小さなことを気にしないことはわかっているつもりだが。それでも悲しきかな、俺という人間は〝ツキノキさんに恵んでもらっている〟という現実の前に爆発してしまうことだろう。〝恵まれ過ぎている〟という、罪悪感による破裂だ。自分のワガママから逃げられないことは、すでにツキノキさんが証明してくれている。この性質。もとより呪いとは、一生付き合っていく他ないのだ。無論、俺が死ぬその時まで。
券売機の前でご馳走になることにツキノキさんに感謝を告げて。立ち食いでも、ツキノキさんのその凛とした振る舞いは崩れない。そんなツキノキさんに見惚れてしまいそうになりながらも、かけそばを完食。お店の中は混んでいるので、お皿を返却口に下げてさっさと店を出る。外には男達の長い列ができていた。年齢層は結構高めだ。食の欧米化やらで、食の選択肢が増えている現代の日本だが。こうして立ち食い蕎麦屋に長い列ができているのを見ると、やっぱり日本人なんだなということを実感する。その後、ちょうど査定終了の連絡がツキノキさんに届いた。頃合いもいいと代金を受け取りにお店に向かう。代金を受け取って、ツキノキさんに今日付き合ってもらったお礼を告げれば、なんだか区切りがいい気がしてきた。
「ツキノキさん」
「?」
「ウチハの件、日を改めましょう。急ぎの用というわけでもありませんし」
「……それは私を気遣ってかな?」
「それもあります。けどそれ以前に、俺が罪悪感で耐えられません」
「ほう……」
「嬉しいはずなんです、ツキノキさんとこうやって出掛けられるだけで。俺の知らない世界を、ツキノキさんは見せてくれる。……けど、俺はツキノキさんに貰いすぎなんですよ。これだけ惜しみなくツキノキさんに与えてもらっているのに、俺は全くお返しできていない」
「それは違う」
「……同情や哀れみでそう言ってくれてるのなら、やめてください」
「同情も、まして哀れんでもいない。なにも返せていないというのも誤解がある」
「いったいいつ俺がツキノキさんにお返ししましたか? あれですか? 素人仕込みの料理のことですか?」
「私はメツギさんと一緒に居ると楽しいよ」
「!」
ドキンッと心臓が跳ねた。どうして、この人は。そんなにまっすぐな顔をして好意を伝えられるのだろう。ツキノキさんの性格から、俺をからかってないことなんてすぐわかってしまう。あぁ、本当に。ツキノキさんはズルイ人だ。どうしてこんなにも、俺の心をくすぐるのだろう。ツキノキさんに〝一緒に居て楽しい〟なんて言われたら、引き下がれるわけないじゃないか。
「お、俺もツキノキさんと一緒に居ると、楽しいです……よ?」