鏡の奥の向こう側   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

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鬼より怖い両王手

 

 

 

「エイタ! 話ってなに!?」

 

「……髪、乾いてないぞ」

 

「い、急いで出てきたから」

 

「風邪引くぞ」

 

「うんうん」

 

「はぁ。ほら、タオル貸せ」

 

 そう言って、ウチハのタオルを奪い取る。タオルとタオルの間に髪を挟んで、優しく包むようにして水気を拭き取った。昔はよくこうして髪を乾かしたものだ。前髪を張り付けたままリビングに向かうウチハの背中を、何度呼び止めたことか。

 

「それでさ。話って、なに?」

 

「大会前、一日休みがあるだろ?」

 

「へ? あ、うん」

 

「その日、一緒に出掛けないか?」

 

「……へ?」

 

「イヤなら別にいいんだぞ」

 

「行く! 行きたい! 行こ!」

 

「動くなって」

 

「どこ行く? どこ行こっか」

 

「行き先は決めてあるんだ」

 

「へ? へ? エイタが案内してくれるの?」

 

「あぁ」

 

「……」

 

「イヤか?」

 

「そんなことない! ボク、とっても嬉しい」

 

「そうか」

 

「うん、うん!」

 

 タオルの上からウチハの頭を撫でた。俺はウチハに散々迷惑をかけてきた。コツツミさんとつるむこと、ツキノキさんに会いに行くこと。ウチハや家族と向き合わないで逃げ回っていたことよりも。純粋に、俺と出掛けることを喜んでくれている。忠告も聞かず、自分勝手に、これだけ振り回しておいて。いまさら虫の良すぎる話にも、嫌な顔ひとつせずウチハは受け入れてくれた。思えば、俺はウチハから直接的に否定されたことはなかった。いつも誰かとの間を取り持つことに苦心していたように思える。それは澄んだ鏡特有の献身。その献身は、相手を捻じ曲げようとするくすんだ鏡のやり方じゃない。もしウチハがくすんだ鏡だったなら、とっくに俺のことを見限っていたはず。それくらいの鈍さがないと、くすんだ鏡同士のコミュニケーションなんて取れるわけがないのだから。

 ……ウチハは、周囲の友達やクラスの空気から危険を察知していた。近い将来起こるトラブルを回避するため、ずっと俺とクラス。二つの世界の橋渡ししていた。……俺は愚かにも、そんなウチハの想いを踏みにじっていたんだ。クラスメイトに目をつけられたのは、自業自得だ。これほど的確な言葉もなかなかない。……俺が少しでもウチハの言うことを聞いていれば、もっと違う未来もあったのかもしれない。まあ、いまそんなこと考えてもとっくに遅いが。

 

「……でもさ、本当にいいの?」

 

「? 何がだ?」

 

「ボク、エイタにヒドイことしたんだよ?」

 

「ウチハのせいじゃない」

 

「でもでも……ボク、みんなのこと止められなかった」

 

「ずっと守ってくれてたんだろ?」

 

「……」

 

「ごめんな。気付いてやれなくて」

 

「……うん」

 

「俺が自分で蒔いた種だ。自分でなんとかする」

 

「ボ、ボクに出来ることがあればなんでも言ってね?」

 

「ウチハは大会で忙しいだろ? ウチハにはもっと自分を大切してほしい」

 

「……それじゃあ、さ」

 

「?」

 

「ボクのこと大切なら、ボクをギュッて抱きしめて?」

 

「……」

 

 タオルを頭に被せて、ゆっくりと首に腕を回す。ウチハからは甘い吐息が漏れた。サラサラの赤茶髪や、血色を増した肌。柑橘類を思わせる甘い香りをタオルで覆い隠す。これだけで随分と恥ずかしさが軽減されるが、それでも心臓の鼓動は徐々に早くなっていった。これが俺の限界。これ以上の強い光には耐え切れない。ゆっくりと体を離すと、〝ぁ……〟と名残惜しそうなウチハの声。これ以上はお互いに毒だ。恥ずかしさで熱くなった顔。ウチハに見られるのは恥ずかしいと、ウチハを置き去りにしてリビングを立ち去る。その後の夕食には、えらく上機嫌なウチハの姿があった。

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

『ブッヒャヒャヒャ!? 何そのサングラス? ダッセ──────!!』

 

 リサイクルショップでの買取金を渡すために訪れた、コツツミさんのマンション。そのオートロック。ツキノキさんに貰ったサングラスを、コツツミさんに盛大に笑われた。画面の向こうで、壁を〝バンバン〟と叩く音がしている。俺は外し忘れていたサングラスを取って、ムッと不機嫌になった。もしもツキノキさんに貰ったサングラスをバカにしているのなら許すわけにはいかない。〝苦しい、苦しい〟と、コツツミさんの震えた声。音もなく開く自動ドア。いまだにツボに入っているコツツミさんを無視して、俺は足早にエレベーターに乗り込んだ。コツツミさんの部屋の前。迷いなくドアノブに手をかけ、コツツミさんの家に乗り込む。

 

「あれれ? あのだっさいサングラスどうしたの?」

 

「……外した」

 

「何で外しちゃうの? チョー似合ってたのに」

 

「どこがどうダサいか教えろ」

 

「あ? なに? もしかしてキレてんの?」

 

「……」

 

「メツギくんはオシャレに興味ないから、あんなサングラス自分じゃ買わないと思う。だとすると、プレゼント? サングラスは男の趣味じゃないから女から? そいつセンスないわ。指摘してあげないメツギくんも同罪だけど」

 

「……具体的には?」

 

「眉毛、眉毛」

 

「?」

 

「眉毛がサングラスで隠れてないとクソダサなの。見たことあるか? サングラスで眉毛が隠れてない欧米人」

 

「……」

 

「その格好で平然とここまでくるとかなんてお笑い? やめてよね? 無教養をそうやってひけらかすの」

 

 コツツミさんはケタケタとひとしきり笑って満足した後、俺の持ってきた荷物に手を伸ばす。俺は無言でコツツミさんに従いながら、オシャレの知識がないことを再認識した。でも、このサングラスは手放したくない。せっかくツキノキさんが俺にプレゼントしてくれたモノだ。できることなら、使いこなしたい。眉毛をサングラスで隠す。サングラスの鼻に当たる部分をいじってどうにかならないものか。家に帰ったら、試してみよう。

 

「ひ、ふ、み……。うん、金額に間違いなし。ごくろーさーん」

 

「……」

 

「いやーモノが片付いた玄関は気持ちがいいねー?」

 

「戻すなよ」

 

「先に掃除がいつ終わるかの心配してくれない?」

 

「片付けても片付けても終わりが見えない……悪夢だ」

 

「メツギくんってバカだよね。ロクに考えもせず気持ちだけ先走らせてさ? あたしの部屋全部を片付けるって約束したんだから、ちゃんと最後まで約束は守れよ?」

 

「……コツツミさんがもっと協力してくれたら、話は早いんだがな」

 

「あ? なんであたしが協力しないといけないわけ? 言っとくけど、あたしは部屋が片付いてなくても別に困ってなかった。なのにメツギくんがどうしても片付けたいって言ってきたんじゃん。これ以上あたしが協力するなんて論外。むしろ選別に協力してあげてるんだから、メツギくんはあたしに感謝すべき」

 

「はぁ……たくましくて羨ましいよ」

 

「メツギくんがクソ雑魚なだけでしょ。それより、そのバックの中身なに?」

 

「あぁ、ケバブ丼を作ってみたんだけど」

 

「寄越せ」

 

「はいはい」

 

「タンドリーチキン? ソースはオーロラ? 個別のキャベツとトマトはチンしなくていいんでしょ?」

 

「あぁ」

 

「このソース酸味強くね?」

 

「一緒に食べればそうでもない」

 

 ソースに指を突っ込んでの味見。そうして何事もなかったかのように荷物をベタベタ触り出す。ポテチを食べた手で、あちこち触るのと通ずる不快感。ガサツで、無神経で。ツキノキさんなら絶対にしない行動。このくすんだ鏡に、澄んだ鏡がなにを訴えかけても時間の無駄。そうやって積み重ねてきた経験が、澄んだ鏡の口を閉ざしていくのだろう。人に頼むくらいなら、自分でやった方が早いとか考えるようになって。いつしか誰にも期待しなくなって、ますます口を閉ざしていく。……ツキノキさんと出会った頃の俺みたいに。つくづく、澄んだ鏡とは呪われた性質だ。

 ……話は変わって、作ってきた料理はなかなか上手く出来た。このケバブ丼は、ツキノキさんにも好評だったモノ。野菜に炭水化物、そして鶏肉とバランスもいい。おまけに調理も難しくないときた。野菜を切る。肉を一口大にして、漬けて、焼く。ご飯とソースを用意して組み合わせればもう完成。作ってよし食べてよしの、まさに理想的な料理だった。惜しいのは、もうツキノキさんに振る舞ってあげられないことだろう。そこまで調理が難しくないことを嬉々として語っていたら、レシピを教えて欲しいと頼まれてしまった。当然、ツキノキさんのためならと喜んでレシピを渡す。が、すぐに我に返る。ツキノキさんが料理をするようになったら、俺がツキノキさんへお返しできることが減ってしまうということを。それはきっと健康的で生活力もついて、素晴らしいことなのだろう。だがお返しできなくなった俺はどうだ。ツキノキさんから注がれる無償の優しさに罪悪感を覚えて、胸の奥が痛くなる。……このまま簡単な料理ばっかり作ってちゃダメだ。次はもう少し手間のかかる料理を作って、ツキノキさんへお返ししていこう。こうして、俺は心の中で料理の勉強時間を増やすことを決めるのだった。

 コツツミさんに用意したケバブ丼は、ツキノキさんに作ったケバブ丼と全く同じものだ。違う点は、コツツミさん用にはソースを二倍用意した点だ。くすんだ鏡は味覚が鈍っているだろうから、ソースは多めに用意しておいた方がいいのでは? という判断だ。案の定、持ってきたソースは全て使い切られ。お好みで追加する一味唐辛子も、一切のためらいもなく中栓を外して中身を流し込んでいた。空になった一味唐辛子の瓶を投げ渡され。養豚場の豚が飯をハフハフと食って、口の周りをベタベタにしちゃうような。気品も優雅もへったくれもない、そんなコツツミさんの食事風景。食べるのに夢中で、味の感想の一切がない。コツツミさんの好みも把握しておきたいので、俺はコツツミさんに〝味は? 〟と一言聞いてみる。すると、食べ物を横取りされまいとする野生動物のように、コツツミさんはキッとこちらを威嚇。目線で何かを要求してくる。……あぁ、飲み物ね。もはや感心さえしてしまって、冷蔵庫から飲みかけのお茶を差し出した。器に残ったケバブ丼を口の中にかき込んで、フグが威嚇するみたいに頬を膨らませ。俺がコツツミさんに差し出したお茶を引ったくって、お茶で口一杯のケバブ丼を流し込めば。おっさんがビールを飲んだ後のような、唸り声を上げるのだった。飲み干したお茶のペットボトルの蓋を閉め、俺に投げつけた。投げつけるな。

 

「口にモノ入ってる時は話しかけるなって親に教わらなかったわけ?」

 

「……あぁ、悪かったよ」

 

「メツギくんはそういう常識ないから友達できないんだよ」

 

「……」

 

「んで? なに? 味の感想?」

 

「味が薄いとか、量が少ないとか……」

 

「確かに量は少なかったかな?」

 

「わかった。今度からは多めに作る」

 

「んじゃさっさと部屋の片付けのつづき、お願いねー」

 

「……」

 

 コツツミさんはどんな時でも平常運転。その図太さは、俺がかつて憧れていた振る舞い方だった。他人に影響されずに自分を貫き通す強さに憧れるその裏で。他人への横暴さや無神経さまでは、俺の目は届いていなかった。他人に憧れるのはやめよう。自分は結局、自分でしかない。自分自身を認めてあげるためにも。いまは目の前の現実を、一つ一つ片付けていこう。持ってきた軍手とマスクを装着。玄関の掃除は終わった。次は廊下の掃除だ。ゴミを片付けても片付けても、一向に床が見えてこない。一体いつまでかかるんだと心が削られる思いをしながらも。次は赤味噌を使って何かできないかと、頭の中ではツキノキさんの喜んだ顔を思い浮かべていた。黙々と、無心でゴミを片付けていく。玄関まで手狭になってくると、ゴミ袋をまとめてコツツミさんの所へ。コツツミさんに声を掛けると、〝いるゴミ〟と〝いらないゴミ〟が選別されていく。〝いるゴミ〟は一箇所にまとめて一時避難。〝いらないゴミ〟で状態のいいモノは俺が持ち帰り、都合がつき次第順次買取に動く。こうして残った〝ただのゴミ〟を、ようやくゴミとして捨てることができる。……この一連の流れを繰り返す中で、確信できたことが一つだけある。このやり方、信じられないくらい非効率だ。こんなペースでは、夏休みの間に部屋の片付けなんか終わるわけがない。だが、換金を掃除する条件に入れてしまったのは俺だ。いくら協力を取り付けるのに必死だったとはいえ。せめて〝ゴミの換金〟までを条件に入れるんじゃなかった。……まあ、十分な時間が確保されていたとしても、コツツミさん相手に交渉できる自信なんてないが。仮にこの〝換金〟という条件下で最善を尽くせても、持ち帰れる荷物の量には限度がある。無計画に持ち帰れば、今度はこっちがゴミ屋敷になりかねない。かといってツキノキさんに負担をかけるなんて絶対したくない。最初から、無理な計画だったってことか。夏休み中の完遂という目論見からますます遠のいていく。ゴミ収集のカレンダーを確認して、ゴミ出し。終われば、今日の掃除はここまで。掃除が終わったのでもう帰ってしまいたかったが、コツツミさんに聞いておきたいことがある。コツツミさんの作業する背後。壁際にゴミをかき分けて座る場所を作り、コツツミさんの手が開くのを待った。

 

 ……

 …………

 ………………

 

「あたしのこと観察して楽しい?」

 

「いや……作業の邪魔かなって」

 

「背後にずっと居座られるのも邪魔」

 

「ごめん。悪かったよ」

 

「んで? なんか用?」

 

「最近、無性に腹が立ったことってなにかあるか?」

 

「なに? いきなり」

 

「いいから。答えてくれ」

 

「最近でしょ? あたしって基本優しいからなー。そんな怒ったりした記憶ないんだけど。 ……あ──────あったあった。一個、ムカついたの」

 

「教えてくれ」

 

「いいけどさぁー。メツギくん絶対引くよ?」

 

「望む所だ」

 

「何でそんな張り切ってんの?」

 

「……」

 

「まいいや。一昨日電車乗った時、赤ん坊が泣き出して無性に腹が立った。んで、目的地でもない駅で降りちゃったの。はい終わり」

 

「……」

 

「どう? 赤ん坊にイラつく心の狭い奴って思った?」

 

「……いや。それだけじゃ、何とも」

 

「別に気使わなくていいよ? これがあたしっていう人間なの。嫌われようが貶されようが否定されようが、あたしはあたしを曲げるつもりは毛頭ない」

 

「……」

 

「どう? 満足した?」

 

「……一つだけ、聞いていいか?」

 

「進展の余地ないと思いけど」

 

「誰にキレてたんだ?」

 

「あ? ボケてんの?」

 

「なんかヘンじゃないか?」

 

「ヘンなのはお前じゃ」

 

「赤ん坊に、キレたのか?」

 

「元はオマエも赤ん坊だろって?」

 

「違う。そう言うことじゃない」

 

「ダル、見えてこないわ。結論から言えよ」

 

「……怒りの感情が強すぎる」

 

「あ?」

 

「赤ん坊が電車内で泣き出して、うるさく感じて〝不快だ〟って思う気持ちは理解できる。けれど赤ん坊も、その母親も。好きでうるさくしたんじゃない。怒りを覚えたところで、どうしようもない。途中下車も、車両を移れば済む話だ」

 

「あたしのことバカって言いたいわけ?」

 

「そうじゃない。無性に腹が立ったなんて表現、赤ん坊とその母親への怒りにしては強すぎる。ムダなことが嫌いなコツツミさんが、目的地でもないのに電車を降りるのなんてよっぽどだ。もしコツツミさんの強い怒りに正当性を持たせるなら。周囲の人間……いや車両全体の人間にキレていたと言われた方が、まだ納得できる」

 

 心中にあった違和感を、ゆっくりと言葉にしていく。コツツミさんからの返事がない。チラリとコツツミさんを確認すると、コツツミさんの目は点になっている。伝わって、ない。自分の能力のなさに落ち込んだ。くすんだ鏡に言葉を届けようだなんて、できるわけなかったんだ。それでもこの違和感が、俺が探し求める〝賢さ〟へと繋がる道であることを信じて。折れかけている心を奮い立たせて、必死にコツツミさんに届く言葉を探して頭を悩ませていると……。コツツミさんの笑い声が聞こえてきた。それは次第に大音量になっていって、コツツミさんが笑い疲れるまでつづいた。落ち着きを取り戻したコツツミさんは、何を思ったのか俺に近づいてくる。ついには鼻と鼻数センチの距離まで接近してきて、俺は思わず顔を逸らした。コツツミさんはまだツボにはまっているのか、興奮冷め止まぬといった調子で〝最高傑作〟と呟いた。

 

「ふんふん、なるほどね。あたしは赤ん坊にキレてたんじゃなくて、車両の全員にキレてたんだ。そかそか、うんうん」

 

「……」

 

「メツギくんのアホな論理はよ──────くわかったからさ? お返しにメツギくんの願い一つだけ叶えて「おい」……あ?」

 

「まだ、話の途中だ」

 

「人の顔見て喋ろ?」

 

「近いって」

 

「せっかく楽しい雰囲気だったのに。しつこいウケ狙いはないわ。萎える」

 

「……」

 

「あたしに気に入られたかったら、まずその空気読めないところから改善しろな?」

 

 俺の耳元で囁いてから、ゆっくりとコツツミさんは離れていく。コツツミさんに詰め寄られて、緊張していた体が脱力した。一体なにをどう受け取れば、俺がコツツミさんに好意を寄せていることになるのだろうか。くすんだ鏡の見る世界は、澄んだ鏡には理解の外側にある。だからこそ、奇妙なのだ。くすんだ鏡のお手本のようなコツツミさんが、どうして強い怒りを感じたのだろう。……ここから先は、俺の妄想だ。

 

「コツツミさんは、車両全体から攻撃を受けた。……そう仮定してみる」

 

「いつまでもウケ狙うな。底が知れる」

 

「キッカケは、赤ん坊が泣き出したこと」

 

「つまんな。もう帰れよ」

 

「母親が必死にあやして。周りも無関心を装って優しくて、許されてて」

 

「マジなんなんだよオマエ」

 

「許されなかったコツツミさんが反応した」

 

「……あ?」

 

「コツツミさんの生きてきた、優しくなかった世界を車内中が否定してきた。……だから、コツツミさんの心は反発を──────」

 

 気づいた時には、俺はコツツミさんに突き飛ばされていた。壁に背中を打ち付けて、よろけて壁に背をついて。そのすぐ後に、コツツミさんが俺の胸ぐらに両手で掴み掛かった。

 

 

 

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