鏡の奥の向こう側   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

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金底の歩、岩より堅し

 

 

 

 記録的な初冬に襲われた十一月。突然の寒さに凍えながら登校してくる生徒たちを窓から見て、私は職員室へと戻った。朝の職員会議まで、まだしばらく時間がある。私は机で一人作業をしていると、教頭に肩を叩かれる。緊急の職員会議を開くと声を掛けられ、私は押し黙った。心当たりがあったからだ。近く実施されたいじめのアンケート。おそらくそこで問題が起きたのだろう。作業を中断し、教頭の席へ向かう。そこにはすでに、教員達が集合していた。こういう時の悪い予感だけは、よく当たる。

 

「それでは緊急の職員会議を始めます。発案者の方は、まずは状況の報告からお願いします」

 

「まずは皆様お忙しい中、このような時間を作っていただきありがとうございます。率直に申しますと、僕の担当する一年三組で、いじめが発生している恐ればあります。つきましては、今後担任として取る行動について。皆様方のお知恵をお借りしたいのです」

 

「……借りるも何も、文部科学省が制作したいじめ対策推進法に則って行動するのではダメなのですかな?」

 

「はい、それには僕も目を通しました」

 

「いったい何が不満だというのです?」

 

「いじめ対策推進法には、次のように書かれています。第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう……。生徒が心身の苦痛を感じているのか否か、教員側はどう判断すれば良いのでしょうか」

 

「それこそ本人の自己申告以外に方法はないでしょう」

 

「いじめの被害に遭う生徒は、問題を抱え込んでしまう傾向にあります。自己申告に頼っていては、より生徒の孤立を助長しかねません!」

 

「するとですよ、先生。我々教師陣は、より生徒の人間関係に介入すべきとおっしゃりたいのですか?」

 

「場合によっては、そのような選択も取るべきです」

 

「……先生、おっしゃりたいことは理解できます。しかしこれ以上仕事を増やせば、通常業務に影響するのでは?」

 

「生徒への対応は通常業務のはずです」

 

「ちょっと良いかしら。いじめがある前提で話が進んでいるようだけど、それが嘘の可能性も先生は考えているの?」

 

「アンケート結果が、嘘だとおっしゃりたいのですか?」

 

「先生はいじめの現場を見ているわけではないのよね?」

 

「それは、そうですが」

 

「生徒の悪戯や嫌がらせだった場合、彼らの思うツボではなくて?」

 

「それを確認するためにも、介入すべきです」

 

「仮にいじめが事実だとしてもよ? 本来生徒間の問題は、生徒間で解決するから人として成長していくものでしょう? 卒業してしまったら私たちは介入できないのだから、その成長の機会を奪うのは良くないわ」

 

「それは。そうかも、知れませんが」

 

「では、まとめましょう。これまで通り業務に従事し、先生がいじめを確認した場合は、また改めて職員会議を開くという方針で。スネヤ先生、何かありますか?」

 

「……私からは何も」

 

「それでは皆様? よろしいですかな? では、通常の職員会議に移りたいと思います」

 

 そのまま通常の職員会議に移る中で。私はふと、どこか納得のいかない様子の彼を見た。実際、いじめに対して教員ができることは少ない。聞き取り・集会・カウンセラーへの委託・アンケートもそう。全ての生徒を見る時間がない以上、教員には生徒に肩入れしない中立性が求められる。教員が無気力なのは論外だが、情熱なんてものは始めから必要とはされない。でなければ、真っ先に心身をやられるのは教員であり。その影響が多くの生徒を不幸にしてしまう。冷たいようだが、仕方がない。教員一筋で他業種での社会経験はないが。どの仕事も最終的には、そこに落ち着くのだと思う。社会で働くとは、そういうことだ。いつもの職員会議も終わりに近づいていく。

 

 ……。

 

 頭をよぎるのはツキノキの言葉。〝学校には救いがない〟と、無情にも放たれた言葉が重なる。いじめが本当に起きていた場合。一体その子はどこに救いを求めるのだろう。

 

 ………………。

 

「ちょっと良いかい。放課後」

 

「はい? あ、ええ。わかりました?」

 

 そう短く伝えて、タバコを押し付ける。困惑する彼の肩を叩いて、私は自分の担当する教室へと向かうのだった。

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 放課後、喫煙所。学校の隅に追いやられた、私が長らく世話になってきた場所だ。箒と、塵取り。灰皿に消化器。いまにも壊れそうな音を出す換気扇に、この時期はストーブ。あとはガタつくパイプ椅子。学校の隅という立地とその部屋の狭さからも、その冷遇っぷりが伺える。本来、白かったはずの壁紙は、長年のタバコの煙によって黄土色に変色してしまっている。ここを使う人間も、ついには二人だけになってしまった。時代の波というものを、実感せずにはいられない。そんな喫煙所に、ノック三回、律儀に入室を伝え。入ってきた彼は鼻を摘んだ。

 

「申し訳ない。密談となると、こんな場所しか思いつきませんでした」

 

「タバコを渡された時は何事かと思いましたよ」

 

「吸いますか? 一本」

 

「遠慮させていただきます。健康に悪いですから」

 

「あぁ、そうですか。さ、ヤニ臭い場所ですがどうぞ座ってください。手短に行きましょう」

 

「お願いします。……それで、話というのは」

 

「緊急の職員会議の件で、三点ほど聞いておきたいことがあります」

 

「? なんでしょう」

 

「大まかな発生時期、目撃証言の有無、被害者と思わしき生徒の生活態度。……この三つをお聞きしたい」

 

「スネヤ先生は、生徒への介入派という認識でよろしいのですね?」

 

「……あくまで介入は最終手段ですよ」

 

「そうですか、わかりました。僕の知っている範囲の情報をお話しします」

 

「お願いします」

 

「まず大まかな発生時期ですが、恐らく一学期の期末テスト終了後ではないかと。次の目撃証言が、この時期からちらほら出始めるようになりましたので。最後の被害者と思わしき生活態度ですが……最近は、特に遅刻が多いです。明るく、元気で、クラスを引っ張ってくれる存在で。不慣れな僕は、何度も彼女に助けられていました」

 

「……」

 

「成績を上げようと動いたのは、彼女がきっかけだったんです。いまの成績より上の大学に行きたいという要望を、僕は叶えてあげたかった。しかしそのせいで、クラス全体に気が回らなくなってしまった。……僕の、判断ミスです。僕は一体、どうすれば良いのでしょうか」

 

「……教師は、生徒の要望全てに応えることなどできません。見えない死角は、学校の内にも、外にも存在します。そんな教師が唯一してあげられることといえば……生徒を信じ、見守ること。それ以上のことは、望むべきでないように思います」

 

「それなら僕は、教師失格ですね。彼女のことを、信じてあげられなかったんですから」

 

「……」

 

「ありがとうございました。なんだか憑き物が取れた気分です。今回の件は、生徒との関係を見直す良い機会なのかも知れません。まだまだ未熟な身ではありますが、今後ともどうぞよろしくお願いします」

 

「えぇ……こちらこそ」

 

 これは……想像していたよりもかなり不味い状況かも知れない。爽やかな顔をして立ち去る彼の背後で、わたしはタバコを取り出し、火をつけ。頭を抱えた。生徒との距離が近いということが、どれだけの危険性を秘め。また途中の方針転換が、生徒にどれだけの影響を及ぼすのかわからない。本来なら、新学期まで逃げ切りさえすれば、クラス替えで仕切り直しができる。学生生活にも期限がある。終わりが明確に決まっていれば、人はまだ耐えることができる。だがそれは根本的な解決ではなく、問題の先送りだ。最終的に就職し、そこで何年も根を下ろすとなった時、間違いなく問題が起こる。だがその問題が早期に起こらないという保証はどこにもない。今回に限って言えば、その可能性が特に高いと感じた。

 ……信じるとは、便利な言葉だ。目の前にある問題に対処しない理由づけができるのだから。卒業した不発弾の行方なんて、教師は知ったこっちゃない。その時はすでに、教師の管轄ではないのだから。教師はいじめに触れようとしない。国は方針こそ出すが、責任者を立てるわけではない。親は生徒の現在ではなく、生徒の未来が気がかりだ。誰も真剣に生徒に向き合っちゃいない。生徒を守る余裕なんてものは、大人達のどこにもない。私達大人は、日々の生活を守るのだけで精一杯なのだから。……ツキノキ、これがお前の感じた冷たさの正体だよ。こんな選択しか取れない私をどうか笑ってくれ。教師として、大人として。心底、心底情けない。

 

「はぁ──────」

 

 胸いっぱいの煙を吐き出した。ただの妄想、ただの杞憂。直ちに問題はない。不発弾は不発弾のまま。いままで大丈夫だったのだ、これからもきっと大丈夫。その方が、合理的。それが一番、理想的。それがもっとも平和的。そのはずだ、そのはず。そのはず、だと、言うのに。

 わたしの脳裏に、ツキノキの顔が浮かんだ。何を考えているかわからない、無表情だ。その瞳が、ジッとわたしを捉える。その瞳は、なんだか。物言いたげに見えた。……もしツキノキがいじめられたとしたら、私は今回と同様の行動をとるのだろうか。自慢の生徒だと口にしておきながら、都合が悪くなれば生徒を突き放すのだろうか。わたしは一体、いつからそんなヒトデナシになってしまったのだろうか。

 

 ……。

 

 伝記を読むのが好きだった。足が速いだとか、勉強ができるだとか、女にモテるだとか、金を持ってるだとか。そういったカッコよさは実現できそうもなかったから。この身一つで、歴史に名を残すカッコよさに憧れていた。偉人の生き様は、その一端を見せてくれるようで好きだった。その過程で、ふと考えたことがある。カッコいいとは、愚かなことを指すのではないか、と。偉人の成功にも、失敗にも。いつだってどこかに、〝愚か〟とも言えるほどの大胆な決断があった。子供の偉人がいないのは、恐らくはこの愚かしい大胆な決断を下せてもらえないからだろう。ならばすべての大人は、愚か者になることができると言える。対してすべての子供は、愚か者にはなれない。いや、正確には……。大人が子供を決して愚かにさせないのだ。

 

 

 




時代設定は2002年。アンケート開始は2013年
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill42/
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