鏡の奥の向こう側   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

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敵の打ちたいところに打て

 

 

 

 後日。ゴミ屋敷。変わり映えのしない作業を黙々と。部屋の入り口が片付いたことに一息つき。部屋全体のゴミ山を目撃して、電気を消して見なかったことにしたかった。乱雑に積まれた段ボールの山。引越し業者のロゴが入ったそれは、即席の収納スペース代わりのつもりなのだろうか。中には封の解かれていない段ボールさえある。この相手ない段ボール、いっそこのまま捨てていいか? 聞くところによれば、引越ししてきたのは高校二年の新学期。つまり、このゴミ屋敷は半年も経たずに作り上げられたものらしい。ゴミの多さとその保存状態の悪さ。そして、そんな現状を露程も気にしない無神経さ。くすんだ鏡ここに極まれりといったところ。……コツツミさんの酷さに感心している場合じゃない。ただでさえ夏休みの多くの期間を、この無賃バイトに食われているのだ。余計なことに頭を回すより前に、まずは目の前の段ボールを一つ一つ片付けていこう。

 

 〝よし〟と気持ちを切り替えて。カッターを寝かせて滑らせる。中身を傷つけないように、慎重に刃を入れていく。中身はカラフルな……ハンドタオル? 目についたピンクを手に取った。軽い、そして薄い。滑らかな肌触り。装飾の白いレースと、同色の小さなリボン。汗っかきというのはコツツミさんの本人談だったが、はたしてこんなもので汗を拭き取れるのだろうか。ただでさえ俺はファッションに明るくない。メンズ用ならともかく、レディース用となるともはや異文化交流。こういう物なのか。こういう物なのだろうと生地を広げて、背筋が凍った。直後、硬直。自分がいましがた広げたものを認識できない。認識したくない。だが広げたままはもっとまずいので、小さく折りたたんで認識できないようにする。

 

「なにまじまじと見てんの?」

 

「!?」

 

「気に入ったのならあげようか?」

 

 

「いや、ごめ──────」

 

「別に怒ってないから。健全な男子高校生ならそれが普通でしょ」

 

「……」

 

「こういうの、ウチハちゃんで慣れてないの?」

 

「……」

 

「なんとか言えよ」

 

「……ごめん」

 

「それしか言えんのか」

 

「ど、どうすれば良い?」

 

「あ?」

 

「あの、これ。この箱」

 

「とりあえずその手に持ってるの箱に戻したら?」

 

「そうか。そうだな」

 

「キョドりすぎでしょ。これだから童貞は」

 

「……」

 

「あ? ナニ黙っちゃってんの? もしかして、マジでドウゾノさんとナニもないの?」

 

「……」

 

「小学生の頃からの付き合いなんでしょ? ずっと面倒見てもらって? ずっとメツギくんの味方で? ずっと彼氏作らずフリーで? もう役満じゃん。ナニもない方が異常でしょ。まさかここまでヘタレだったとは」

 

「……」

 

「生娘じゃあるまいし、あたしの部屋掃除したいんだったらさっさと慣れてね」

 

「……それはできない」

 

「あ?」

 

「俺には刺激が強すぎる」

 

「んじゃこの箱どうする気?」

 

「コツツミさんが協力してくれないのなら……放置」

 

「その考え、社会で通用しないから」

 

「わかってるよ」

 

「わかってないでしょ。〝俺、この仕事イヤだから〟なんて態度とって、仕事が回るわけないじゃん」

 

「……」

 

「将来が楽しみだね。社会不適合者クン」

 

「……やめてくれ」

 

「いいこと教えてあげよっか。このままじゃドウゾノさんが可哀想だし、メツギくんは理解もできてないみたいだし。男女の恋愛には欠かせない、〝愛〟と〝恋〟について」

 

「……つづけてくれ」

 

「態度がデカい」

 

「教えてください」

 

「〝愛〟と〝恋〟。二つの違いは単純明快。愛は〝損〟して、恋は〝得〟するの」

 

「???」

 

「損をしてでも一緒にいたいのが愛、得だから一緒にいるのが恋。メツギくんは明らかな不良物件。なのにウチハちゃんが見捨てないってことは、メツギくんは相当〝愛されてる〟ってわけ。それも、長年に渡って、深く」

 

「……俺は愛されるような人間じゃない」

 

「んじゃドウゾノさんと一緒になる気はないんだ」

 

「ああ」

 

「へーカワイソー」

 

 上から目線の軽快な声。その言葉は、ウチハの幸せを願う俺の心を嘲笑っていた。もし損をする前提で俺のことを好いてくれているのなら。ウチハにとっての幸せを阻んでいるのは、他でもない俺自身ということになる。かといって、ウチハには損なんてしてほしくない。長年の付き合いで芽生えた、誰よりも幸せになってほしいという情がある。俺とウチハの認識は、残念ながらすれ違っている。その上でウチハは、俺がツキノキさんに惹かれているのを見抜いて身を引いた。対して俺はどうだ。ツキノキさんとの交流は得だろう。それも明らかな丸儲けだ。慕い、憧れ、連れ添いたい。だがツキノキさんに対価を支払えるとはとても思えないし、かといって損は絶対にして欲しくない。コツツミさんのいうところの、損をする〝愛〟でも、得をする〝恋〟とも違う。一方的で独り善がりな、倒錯した恋心。愛されるのは許せなくて、けれど恋される器もなくて。ウチハの純粋な想いと、俺のワガママな想いの差。その明確な差が、なおさらウチハの人間性を際立たせる。綺麗で純粋なウチハは、俺みたいな汚い人間と一緒になるべきじゃない。

 

「それにしても、わかんないなー。よりにもよって、どうしてメツギくんみたいなメンヘラを選んだんだろ」

 

「さあな」

 

「まいいや、ドウゾノさんの好みとかどうでもいいし。それよりさ、探して欲しいものがあるんだけど」

 

「……なんだよ」

 

「買い溜めしておいた電子基盤がこの部屋にあるはずなの。探しといて」

 

「やけに大雑把だな」

 

「段ボールにひとまとめにしてあるから。箱開ければ一発」

 

「……」

 

「なるはやでよろしくー」

 

「ちょっと待て」

 

「なに? 御不満?」

 

「口、ついてる」

 

「あ?」

 

「味噌ダレ」

 

「チッ」

 

「反対」

 

「……メツギくんもなかなか、いい性格してるよね」

 

「言うタイミングがなかっただけだ」

 

「すぐ指摘しろよ。気付かないで喋ってるあたしがバカみたいじゃん」

 

「……」

 

「もういい! さっさとやれ!」

 

 そう言うが早いか、コツツミさんはドスドスと。こちらの返事も待たず部屋から立ち去った。口を汚したラーメンサラダがお気に召さなかったようだ。皮膚感覚が鈍いんだろうな。汚れていても気づかないのは当然と言える。ならもっと上品に食ったら? と提案したいところだが、くすんだ鏡に上品さを求めるのは酷だろう。対くすんだ鏡の基本方針。それは、いかに相手を刺激しないかに集約される。一見すると消極的な沈黙こそが、コツツミさんへの最適解ということになる。……まあそれでも、勝手に暴走されると止めようがないのだが。部屋で一人。静かな時間。コツツミさんの願いを叶えるべく、改めて部屋へと目を向けた。いまにも崩れて、下敷きにしてきそうな段ボールの山。部屋中を埋め尽くす箱の中から、目当てのものを探し当てないといけない。……。部屋を掃除しながらの捜索はいつ終わるか見当もつかない。そうなると、片っ端から段ボールの中身を確認していかないといけないわけか。この背伸びしても届かない箱を一つ一つ。………………。とても今日中に終えることができないことにゲンナリした。電子基盤を見つけるまで掃除は一時中断。一体いつになったらコツツミさんのゴミ屋敷は綺麗になるのだろう。コツツミさん絡みは厄介ごとだらけだ。貧乏くじを引きまくって、収支を見れば明らかなマイナス。では、コツツミさんに尽くす行為は、果たして愛なのだろうか? そんなわけがないだろう。俺はただ単に〝賢さ〟を追い求めているだけだ。それは愛どころか恋ですらない。事が済めば、コツツミさんと人生が交わることは二度とないだろう。俺とコツツミさんの関係は、所詮その程度のものなのだ。……脇道に逸れて考えすぎた、ぼちぼちコツツミさんのお願いを叶えていこう。そうやって、まずガムテープを取り出してやることは一つ。ひとまず心の平穏をかき乱すパンツの詰まった段ボール箱を、バッテンに封印する所から始めるのだった。

 

 

 

 八月中旬。朝の比較的涼しい時間帯。約束の屋内プール、その前で。俺は、忙しなくスマホを操作していた。目的はない。強いて言えば、操作そのものが目的。他のことで気を紛らわさないと、その場で踊り出してしまうくらいには浮かれている自覚がある。楽しみにしていた、ツキノキさんとの時間。新しい知識が増えるのもそうだが。俺のまだ知らない一面。……ツキノキさんの水着姿に、不安と興奮が入り乱れていた。ツキノキさんの水着姿の前で正気を保っていられるのか。保てないのだとしたら、どうやって正気を保つか。具体的な方法は最後まで見つけることができなかった。サングラス……は泳ぐのだから絶対に外す必要がある。ではゴーグル……これもずっとつけているわけにはいかない。ずっとつけているようなことがあれば、確実に周囲から浮く。もしも誰かにそのことを指摘なんてされた日には、違う意味で正気を保ってられなくなる。普段と違う行動を取れば、どうしても周囲から浮くのは避けられないのだ。気にしすぎ? 仕方がないだろう。澄んだ鏡の宿命なのだから。……考えてみれば、シーズンの屋内プールなんて、典型的なくすんだ鏡の巣窟。澄んだ鏡の肩身は狭い。いくら衝動的だったとはいえ、もう少しワガママの方向性を考えるべきだった。こんなに情けない有様では、忙しい合間を縫って付き合ってくれているツキノキさんに申し訳ない。ワガママにも限度がある。ここは素直に謝罪して方針転換を願い出るべき。いまなら間違いを正すことができる。まだ引き返せる内に、ツキノキさんに謝ろう。

 

 

 

「おはよう。メツギさん」

 

「あ、おはようございますツキノキさん。あの、その」

 

「何年ぶりのプールだろう。年甲斐もなくはしゃいでしまっているよ」

 

「……」

 

「? どうかしたのかい?」

 

「いえ、あのですね」

 

「プールで涼んでみたいとは毎年考えるのだがね。どうも一人でというのは気後れしてしまう。こんな機会を用意してくれたメツギさんには、感謝を伝えないといけないね」

 

「……ありがとうございます」

 

「いこうか」

 

「……はい」

 

 

 

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