鏡の奥の向こう側   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

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詰めろ逃れの詰めろ

 

 

 

「おはよう。メツギさん」

 

「あ、おはようございますツキノキさん。あの、その」

 

「何年ぶりのプールだろう。年甲斐もなくはしゃいでしまっているよ」

 

「……」

 

「? どうかしたのかい?」

 

「いえ、あのですね」

 

「プールで涼んでみたいとは毎年考えるのだがね。どうも一人でというのは気後れしてしまう。こんな機会を用意してくれたメツギさんには、感謝を伝えないといけないね」

 

「……ありがとうございます」

 

「いこうか」

 

「……はい」

 

 負けた。打ち負けた。いつもより口調を弾ませたツキノキさんの顔を悲しませたくなくて、思わず頷いてしまった。ツキノキさんの悲しむ顔は見たくない。そんな短絡的思考が、俺から謝罪すべき時を奪い去った。本当に、キライだ。自分の、こういう。簡単に流されてしまうところが。入場。それぞれ着替えがあるので、ここで一時解散。クヨクヨしてても始まらない。さっさと着替えて、ツキノキさんを待つことに。人、多いなーとか。水、冷たそうだなーとか。のぼりの味噌ラーメン、食べたいなーなんて。一人現実逃避を繰り返していると。

 

「待たせたね」

 

「いいえ。待ってません……よ」

 

 そこには。白いスイムキャップとウエットスーツに身を包んだ、ツキノキさんが立っていた。キャップに隠された長髪。水着は黒の単色。二の腕と太ももまで覆う生地。ここにゴーグルを合わせたら、遊び目的でなく運動目的の風貌になる。いや、まあ。肌面積が少ないことは、非常に喜ばしいことなのだが。目立つ、目立つ。娯楽目的の屋内プールで、明らかな場違い。集まる視線に、いますぐこの場を立ち去りたくなる。まあ、でも。ここへ来た目的である〝講師〟を全うしようとする姿勢はツキノキさんらしい。注目を集める、とは言ったが。明らかに常識を欠いているだとか、周囲に不快を振り撒いているわけではない。周囲の人達も、注目を向けるのはほんの一瞬。すぐに興味を失っていく。ツキノキさんも特に気にした様子はない。この場で過剰に恥ずかしがっているのは俺だけ。一人だけ勝手に盛り上がっていたのが恥ずかしくて、一人地面を見つめた。

 

「メツギさん?」

 

「あぁ、いえ、ちょっと。プールの照り返しが強くて、目が眩しくって」

 

「それじゃあ場所を移動しようか」

 

 ツキノキさんの後につづいて着いていく。大通りから外れた小道。熱帯を思わせるヤシの木が壁を作る。しばらく進むと、視界が開け。レジャー施設では物珍しい、なんの捻りもない普通のプールが見えてきた。人が少ない。いや、閑古鳥が鳴くほどではないが。大通りの賑わいに比べれば、人が少ないように感じられた。わざわざレジャープールに来てまで普通のプールを選んだりしないのだろう。ここなら比較的、周囲を気にせず存分に泳げそうだ。

 

「プールに入る前には準備運動をしよう」

 

「はい」

 

「一、二、三、四」

 

「五、六、七、八」

 

 プールサイドの脇。ツキノキさんをマネして体を動かす。水泳は全身運動、だったか。体が固いまま泳げば、怪我や事故のもとだからな。大事なことには変わりない。周りはだれもやってなくてすごく、……いやかなり恥ずかしいが。あ、子供が真似しだした。その親も。元気な声に気を取られていると、〝メツギさん〟と声がかかる。見ると、もうツキノキさんは準備体操を終えていた。俺もゆっくりと体操を終える。

 

「まずは基本的なことから確認していこう。いいかな? メツギさん」

 

「はい。お願いします」

 

「まずは、そうだね。水に浮くところから始めてみようか」

 

「ミズ、ウク」

 

「ビート板がここにある。これを胸の前で抱いて。力を抜いて仰向けになるんだ」

 

「ムネノマエ、ダイテ。チカラ、ヌク、アオムケ」

 

 ツキノキさんの言葉をカタコトで復唱しながら。俺は自分の体をプールに預けた。ビート板にしがみついて、体が沈み込もうとするのを必死に耐える。必死に浮こうと暴れたせいか、次の瞬間にはブクブクと顔が水中に沈んでいた。ビート板を手放して〝プハァ! 〟とプールで立ち上がる。ツキノキさんからの合図。俺は手放してしまったビート板を回収して、ツキノキさんの前でしょんぼりする。目の前にはツキノキさんの無表情。……ごめんなさいツキノキさん。こんなビート板にしがみつくことさえできない奴の指導をお願いしてしまって。本当は、ツキノキさんと出掛けたい口実が欲しかっただけなんです。水泳の上達については、じつはハナから期待していないんです。いくらツキノキさんといえども、一日足らずで俺を泳げるようにするなんて不可能なはず。俺より賢いツキノキさんが、そのことに気付かないはずがありません。どこか適当なタイミングで指導を切り上げてもらっても、一向に構いませんからね? 〝ジッ〟と、ツキノキさんの瞳に訴えかけた。ツキノキさんは変わらずの無表情。なんだか、〝そんなつもりは毛頭ない〟と言われている気がして、なんだか申し訳ない気持ちになってきた。

 

「原因がわかった。もう一度やってみよう」

 

「……え?」

 

「さっきと同じで行こう。今度は私も支える。さ、メツギさん?」

 

「……」

 

「そう、そうだ。体は私が支えている。まずは体の力を抜いて」

 

「こう、ですか?」

 

「そう。その調子」

 

「……」

 

「うん。うまく脱力できているよ」

 

「でも、これだとツキノキさんが手を離したら、さっきと同じく沈んでしまいそうです」

 

「それなら沈まないようにしよう。目をつぶって、イメージするんだ。水に浮かぶ浮き輪を」

 

「浮き輪……」

 

「そう、浮き輪だ。空気の詰まった浮き輪は水に浮く。体を空気で満たすんだ。息を吐いて」

 

「……フー」

 

「大きく吸って」

 

「ス──────」

 

「ビート板はもういらない」

 

「……」

 

「ゆっくり手を離していく」

 

 閉ざされた視界。言葉通りに、背中を支えていた手が離れていく。しかし体は変わらずに、水上に浮いていた。なんだか、海を漂うヤシの身にでもなった気分だ。しばらくこのまま。何も考えず浮かんでいたい。水に沈んでしまわないように、浅い呼吸を繰り返していると声がした。

 

「メツギさんは筋がいいようだ」

 

「いいえ。ツキノキさんの教え方が上手いだけですよ」

 

「それなら、どちらの意見も採用しよう」

 

「ツキノキさんの力の方が大きい気がしますけど」

 

「比率の問題ではないよ」

 

「違います。……俺の気持ちの問題です」

 

「……何かあったのかい?」

 

「えぇ、まあ。でも、自分で勝手に落ちこんでいるだけなんで」

 

「……」

 

「ツキノキさんの力が必要な時は、ちゃんとお願いしますから」

 

「それでいい」

 

「やめましょう、せっかくプールに来ているんですし。今日はどこまでやる予定なんですか?」

 

「クロールまでは準備してきている」

 

「俺、五メートルも泳げないんですよ? 少々ハードルが高いのでは?」

 

「一度で飛び越えようとするのなら、確かに高いハードルかもしれない」

 

「……教えてもらう立場があれこれ言っても仕方ありませんね。俺が飛べるところまで、お願いします」

 

「私も最善を尽くそう。次はバタ足だ。プールの縁に両手をついてくれるかな?」

 

「こう、ですか?」

 

「脚で水を掻いて、前へ進んでいくんだ」

 

「んぅ……」

 

「脚の付け根から爪先まで。下半身全体の筋肉を使うんだ……そうそう」

 

「すごく、疲れますね」

 

「疲れるということは、よく水を捉えられている証拠だよ」

 

「なるほど」

 

 バタ足について、俺は長年大きな誤解をしていたようだ。バタ足とは、水飛沫を上げるものという誤解だ。確かに水飛沫が上がるのは、大きな力を発揮できているように錯覚する。だが実際は、力が分散している光景にすぎない。うまく水を捉えられていないから、沢山の水飛沫が立ってしまうのだ。ツキノキさんの表現は端的で、とてもわかりやすい。これはもしかすると、このままクロールを習得してしまうかもしれない。心の中で、ますますツキノキさんへの信頼が高まっていく。これ以上ツキノキさんにのめり込むのは良くないのに、高なる鼓動はそんなことお構いなしだ。水中に潜り、ブクブクと吐き出す泡と一緒にツキノキさんへ惹かれる気持ちを吐き出した。

 

「よし。次はバタ足で泳いでみよう」

 

 手渡されたビート板。ツキノキさんが対岸を指差して、行って帰ってくるように告げる。頷いて、出発。ビート板を掴み、顔を上げ、肺を膨らませ、下半身全体を大きく動かす。いつもなら五メートルも泳げず溺れていたところを安易と突破。ビート板とバタ足という初歩的な内容とはいえ。目に見えた成長に、思わず気分も良くなるというもの。プールの対岸で折り返し、ツキノキさんの元へ。ジッと見守られるのが恥ずかしくて、水中に顔を隠したりしながらも。なんとか無事、ツキノキさんのいるところまで往復することができた。

 

「ふぅ……」

 

「おめでとう、メツギさん。これで泳ぎの基本的なことは終了だ」

 

「それじゃあいよいよクロールに」

 

「やる気があるのは大変嬉しいのだがね。水中運動は思った以上に体力を使う。どうだろう。少し早いが、先に昼休憩を済ませてしまうというのは」

 

「そうですね。順調すぎて少し調子に乗っていたのかもしれません。楽しみは午後まで取っておくことにします」

 

「ふふ。そうしてくれ」

 

 手すり階段を上がるツキノキさん。俺はその背後で、ツキノキさんのお尻を目撃してしまった。〝安産型〟。頭に飛来した卑猥な単語。水の中に潜って、ツキノキさんへ抱いてしまった劣情を静めた。尻派と胸派。二つに別れる対立は、もしかすると澄んだ鏡とくすんだ鏡の対立なのかもしれない。お尻は相手側の死角だ。当然会話は少なくなる。だが会話が少なくなるからこそ、相手のお尻に集中できると言える。対して胸は相手の真正面。当然会話も多くなる。会話が多くなるからこそ、毎回違った楽しみがあるのだろう。澄んだ鏡はお尻だけで満足できて、くすんだ鏡は胸だけでは満足できないと言ったところか。……俺は一体、何をバカみたいなことを真剣に考えているんだ。別に手すり階段にこだわらなくても、そこら辺んおプールの縁から、プールサイドに上がればいいじゃないか。俺はツキノキさんの大きなお尻から目を逸らして。ツキノキさんがプールから上がった場所から離れて、少し離れた場所からプールを出るのだった。キョロキョロと、昼食を取る場所を探すツキノキさんのそばにより。〝向こうみたいだ〟と指を指しながら振り返ったコツツミさんに頷いて。俺達は少し早い昼食を食べにいくのだった。

 

 

 

 昼前。波のプールの前にある、海の家風の建物。俺とツキノキさんは空いている席に座って、注文の品が来るのを待っていた。昼前で昼食には少し早いとはいえ、この大盛況だ。料理が運ばれてくるまでには、もうしばらく時間がかかりそう。丁度いい。前回の質問の返答をもらういい機会だ。俺は〝ツキノキさん〟と声をかけて。ツキノキさんの静かな瞳が俺を捉えた。

 

「ん? なにかな?」

 

「前回の質問。……ツキノキさんは、〝未来のことは誰にもわからない〟と言っていました。けれども、多くの人がそのわからないはずの未来に投資していきます。このことについて、ツキノキさんはどう考えているのですか?」

 

「私の浅い知識でよければ」

 

「構いません。是非ツキノキさんの意見が聞きたいんです。お願いします」

 

「まず前提として。二つの意見は、それぞれ違った未来を見ているように思う」

 

「同じ未来であるはずなのに?」

 

「そうだ」

 

「……」

 

「一つは資本主義社会が崩れた世界を。もう一つは、いままでと変わらない資本主義社会を。それぞれ前提に置いているように思える」

 

「なんだか、物騒ですね」

 

「あり得ない話ではない」

 

「まあ、社会の行き詰まりみたいな感覚はありますけども」

 

「アメリカ経済の黄金期。一ハ七〇年〜一九七〇年のような技術革新は、今後二度と起こらないとする意見もある。……個人的に、現代の資本主義。具体的には一九九〇年代からの株価の値動きは、もはや健全な値動きからかけ離れていくように見えた」

 

「貧富の差、ってやつですか?」

 

「貧富の差は、今後より深刻化していくことだろう。その原因は恐らく……自然法則からの逸脱だ」

 

「???」

 

「雨が降り、山に染み、川を流れ、海へ至り、蒸発して雲となり、また雨が降る。経済が回ると表現するように、健全な経済とは、この一連の循環という解釈ができる。であるなら、不健全な経済とはその逆。雨は降らず、山に染みず、川へ流れず、海へ至らず、しかし蒸発して雲だけができる状態と表現できる」

 

「……不健全であるがゆえに、いずれ社会は崩れてしまう。と?」

 

「私の解釈が正しければ」

 

「俺には話が壮大すぎます。一旦、その話は置いておきましょう。……仮に、いままでと変わらない資本主義社会がつづくとして。投資って、そんなに美味しいものなんでしょうかね?」

 

「メツギさんは、必ず当たる宝くじがあれば買うかい?」

 

「え? まぁ、そりゃ。……買うんじゃないですか?」

 

「投資とはつまりそういうことだ」

 

「ちょ、ちょっと待ってください。……その前提だとバブル崩壊やリーマンショックでも得をするような言い草じゃないですか」

 

「確かにバブル崩壊やリーマンショックでは、多くの人間が損をした」

 

「だ、だったら──────」

 

「しかしそれは、瞬間を切り取った場合の話だ」

 

「???」

 

「総合の値動きで見た場合。日経平均も、ダウ平均株価も。定期的に最高値を更新しつづけている」

 

「……」

 

「極論。株を買いつづけてさえいれば、得をすることはあれど損することは決してない」

 

「……それって健全なんですか?」

 

「資本主義を信じている間は」

 

「……」

 

「次に待っているのはおそらく、世界恐慌の比ではない大混乱。それは百年後かもしれない。五十年、十年後かもしれない。あるいは、明日の出来事かもしれない。……それがいつ来るのか、その先にどんな世界が待っているのか。それは、世界の誰にもわからない」

 

「味噌ラーメンとオムそばお待ちですー」

 

 横から聞こえる〝以上でよろしかったですかー? 〟の声に押し黙った。俺はツキノキさんの語る〝新世界〟に困惑していた。いま生きてる世界が壊れる? 必ず当たる宝くじ? あまりにも物騒な予言。未だかつてない混乱の予測。新しい世界での生活なんて、想像すらしたくなかった。現状の、安定して、平和な。いまの日常ですら息苦しさを覚えているのだ。そんな俺が、新しい世界に受け入れられるとは到底思えなかった。手付かずの味噌ラーメン。コーンの上に乗ったバターがラーメンの熱さで、ゆっくりと溶けていく。顔を少し上げ、俺はチラリと、ツキノキさんを伺った。ツキノキさんは自然な動作で、オムそばをその小さな口に運んでいる。……ツキノキさんは怖くないのだろうか。俺と同じ、澄んだ鏡側の人間のはずだ。認識の齟齬。いや、意図的な見えないフリ。……同じ澄んだ鏡だとしても、そこには明確な優劣がある。俺はいままで、ツキノキさんに対して勝手にヘンな親近感を抱いていた。ツキノキさんの立ち振る舞いは、俺が目指すべき理想を示してくれているようで、俺もツキノキさんのようになりたいと奮起していた。だが、違ったんだ。俺とツキノキさんの間には、隔絶した壁がある。それは残酷なまでに覆しようのない、鏡としての性能。目の前に座って、静かに食事をしているツキノキさん。その姿がなんだか、遠くへ離れていってしまうような気がした。……いや、いや。そう簡単に決めつけるには早すぎる。ツキノキさんとの付き合いはそう長くない。ツキノキさんがどんな人生を送ってきて、どんなことを考えているのかなんて俺にはさっぱりわからない。だが、唯一確信していることが一つだけある。それは、ツキノキさんがとびきり優しい人だということだ。そんな優しいツキノキさんのことだ。さっきの発言にも、きっと俺へのメッセージを隠しているはず。でなければこんな、悪戯に不安を煽るようなマネはしないはず。そうだ。きっとそう、そのはずだ。ツキノキさんのメッセージを正確に読み取るためにはまず、ツキノキさんの発言を自分の言葉で組み立て直して整理していかないと……。

 

「メツギさん?」

 

「!? い、いただきます」

 

「何か心配事かい?」

 

「いえ、少し。……考え事をしていただけです」

 

「ならいいのだが」

 

「ツキノキさんの前では、素直でいたいものです」

 

「何か引っ掛かるっことがあるのなら、遠慮なく言って欲しい。出来得る限りの力は貸そう」

 

「いまのところ、ツキノキさんの力を借りるようなことは別に……あ」

 

「? どうかしたのかい?」

 

「あぁ、いえ。……前々からツキノキさんに相談したかったことを、たったいま思い出しまして」

 

「聞こう」

 

「……いじめへの対応について」

 

 ツキノキさんの箸からオムそばがこぼれ落ちた。たっぷりのマヨネーズとソースがべチャリと鳴って、床に広がった。太陽が雲に隠れ、一気に周囲が冷え込む。おかしいな。ここ、室内プールのはずなのに。俺はその時になって、ようやく自分がしたことの重大さを理解した。深い霧が立ち込めるような沈黙。ツキノキさんは無表情のまま固まっている。それは明らかに、ツキノキさんの踏み込んではいけない場所だった。俺は突然のことに、どう謝ればいいのかわからなくて。口をパクパクさせながら、無表情のツキノキさんを見ていることしかできなかった。ようやく喋れるようになった俺の口は、〝つ、ツキノキさん? 〟と真っ先にツキノキさんを心配する。するとツキノキさんは〝ん? なんだい? 〟と普段通りの凛々しいツキノキさんで応えてくれた。さっきまでの深い霧のような沈黙は嘘のように消え。さっきのは幻覚だったのかと、俺はたったいま目にしたものを疑った。

 

 

 

 ──────

 ────────────

 ──────────────────────

 

 

 

 夏休み明け、登校初日。まだ蒸し暑さ残る通学路。灰掛かった空に、濡れたアスファルト。肺が重くなるような空気を取り込んで、思いっきり吐き出す。結局、夏休み中に〝賢さ〟にたどり着くことは出来なかった。何もかもが中途半端。賢さも、掃除も、勉強も、進路も、料理だって。成果らしい成果といえば、ツキノキさんやコツツミさんの発言を整理したくらい。夏休み前の意気込みはなんだったのだろう。ツキノキさんの地雷を焦って踏み抜いて、そこからはもう及び腰。自身が周囲の影響を受けやすい澄んだ鏡なのだとはいえ。こんなにも打たれ弱いと情けなくなってくる。それだけ俺が文不相応なモノに手を伸ばしているということなのか。なんにせよ、また学校生活が始まってしまった。くすんだ鏡を軽視してきたツケ。俺の努力は、一体いつになったら報われるのだろう。会話を弾ませる同級生の横を通り過ぎる。久しぶりの再会に、積もる話もあるのだろう。その顔は、心の底から楽しそうで。俺は思わず感化されて、同級生に喋りかけたくなってしまう。学校は、くすんだ鏡のための場所だ。少なくとも学校という場所に、澄んだ鏡の居場所はない。あぁ、いや。ウチハは上手くやれているか。やっぱり才能のある人間というのは一味違うのだろうな。教室の前に着いてしまった。仕方なく扉を静かに開けて。いつもの疎外感が、今日は来ない。不思議に思って、恐る恐る教室を見渡してみる。そこには、ウチハを中心に不穏な空気が流れていた。

 

 

 

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