「いじめへの対応……だったね」
「はい」
「その前に、一つだけ聞かせてほしい」
「? なんでしょう」
「いじめを受けているのは、メツギさんだったりするのだろうか」
「いいえ、違います」
「そうか」
「……」
「それなら、この話はよそう」
「え? ……それって、理由を──────」
「今後この話題に触れることは許さない」
「あ、ええ……はい」
ツキノキさんの、有無を言わせぬ強い口調に押し黙る。目が鋭くなって、眉間に皺を寄せて。……あんなツキノキさんの怖い顔、初めてみた。曖昧さを好むツキノキさんが断言するなんて普通じゃない。俺は何か……ツキノキさんの触れてはいけない場所に触れてしまったのだろうか。それとも過去のトラウマを刺激してしまったのだろうか。……恐らく、その両方なのだろう。でなければ、あの優しいツキノキさんが歪んでしまうほどのエネルギーに説明がつかない。冷房は効いているはずなのに、背中にジットリと嫌な汗が流れた。ウチハ諸々の詳細は一切語らせてくれなかった。ツキノキさんのあの姿勢は、いじめという概念自体に酷いアレルギー反応を示しているように見える。……いや、いや。俺はともかく、コツツミさんは大丈夫だったんだ。気配りができて、努力家で、人望があるウチハに限ってそんなことあるわけ……。このモヤモヤを口に出すことはすでに禁じられている。頭の中をグルグルと駆け回る困惑を止める術を、俺は持てずにいた。
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ツキノキさんに拒絶されてから三日たった。ウチハが取り囲まれるのは変わらず。ただウチハを囲む輪が小さくなっているような気がした。教室は、変化を日常として受け入れつつある。この中で唯一、挙動不審になっているのは……俺だけだ。寝ても覚めても、ツキノキさんの言葉が脳内にこだまする。この不快感から逃れたい一心で、いじめ関連の情報を収集した。だが手掛かりになりそうな情報を見つけることはできなかった。それどころか、ますます頭は混乱をきたしている。いじめへの対応。図書館に置かれていた本は示し合わせたかのように、大人への相談を推奨している。実際俺も、ウチハが大人へ相談を持ちかけることに期待していた。ただ大人への相談がこれほどまでに推されている現状を見て、一つの疑念が湧いてくる。果たして、大人への相談は本当に正しい対処法なのだろうか、と。信頼できる大人がいて、助けを求める勇気のある人物ならば。そもそもいじめられることはないのでは? と言う疑念だった。俺がくすんだ鏡になりたいと願っていたように、なにか根本的な問題があるような気がしてならない。だが具体的に何がと言われると困ってしまう。
「メシ食わないの?」
「……そんな気分じゃない」
「んじゃあ図書室にでも逃げればいいじゃん」
「そんな気分じゃない」
「今日片付けに来るんでしょ?」
「あぁ……」
「別にメツギくんがぶっ倒れようが何しようがどうでもいいけど、あたしに手間かけさせないでね?」
「あぁ」
「これ、食え」
「?」
「唐揚げ」
「いらないよ……」
「全部食べちゃうと太るから。押し付け」
「……」
「ホレ」
箸で掴んだ唐揚げが迫る。俺は唐揚げを手で鷲掴みにして、そのまま口に放り込んだ。……手がベトベトになった。〝ご馳走様〟とお礼を言おうとした時にはすでにコツツミさんの姿はなかった。予鈴が鳴る。次はなんの授業だったか。当てられない教科だと嬉しいなと立ち上がって。油で滑る右手を洗いにいくのだった。
ゴミ屋敷の清掃は順調に進んでいる。出口の見えない問いに捕まっているからなのか、片付けるという成果が目に見える作業が嬉しかった。袋を縛り上げて、部屋を見渡した。やっとこの部屋も綺麗になった。コツツミさんに報告したら、次の部屋の下見でもしよう。
「お? スッキリしたジャーン」
「ようやくこの部屋も片付いた」
「夏休みの成果が玄関と廊下とこの部屋だけ?」
「やるだけやったつもりだ」
「まいいや。それよりさ、ここに机運び込むの手伝って」
「……」
「なに? この部屋で作業されるのがご不満?」
「せっかくキレイにしたのに……」
「メツギくんがキレイにした部屋をあたしがどう使おうが勝手でしょ」
「……」
半年も経たずに引っ越し先の床を見えなくするその才能。せっかく綺麗にした部屋で、その才能を発揮されたくない。だが反論してもねじ伏せられるのは目に見えているので、俺はおとなしくコツツミさんの指示に従うしかない。机上のモノを先に部屋へ運び、二人がかりで机を持ち上げる。早いペースで引っ張るコツツミさんに情けない声を上げながら。無事に作業机を新しい部屋へ移動できた。疲れて床にへたり込んでいると、コツツミさんが近づいてくる。
「これ。着替えて」
「?」
「絵のモデル。デッサン人形だと服の皺までは表現できないから」
「わかったよ。着替えてくる」
「ここで着替えろよ」
「え、いや……」
「何恥ずかしがってんの?」
「別に、恥ずかしがってるわけじゃ……」
「男の着替えを嬉しがる奴なんていないから」
「いや、そうじゃなくて」
「なに?」
「あぁ……」
コツツミさんからの扱いが雑なのは今に始まった事ではない。けれども、なんだか。こればかりは距離が近すぎるような気がする。俺達は異性であるし、それに鏡も正反対だ。ここは一歩身を引いて、距離感を調整すべきでは? なんて感情が浮かんだ。そんな一連の思考を、どうコツツミさんに言えば伝わるのだろう。
「んじゃあ目瞑ってるから。さっさと着替えて」
「……」
そういって、コツツミさんは腕を組んでまぶたを閉じる。思うことこそあったものの、コツツミさんに限って着替えを覗く訳ないかと着替え始めた。慣れない服に手間取りながら、なんとか着替え終わる。
「終わったよ」
「椅子持ってきて、そこに座って」
言われた通り椅子を持ってきて座る。コツツミさんはタブレットとペンを持って対面に。なんだか、緊張する。着慣れない服で落ち着かないというのもあるが。面と向かってこう〝ジッ〟と見つめられると恥ずかしい。
「座ったままで片膝を抱え込んで」
「こう?」
「動かないで。そのまま」
「……」
「……」
「「……」」
「一つ……聞いていいか?」
「なに?」
「コツツミさんがもしいじめを解決したいってなったら……どんな行動を取る?」
「暴力」
「……暴力以外で」
「暴力以外となると、いじめてきた奴の誰かに徹底的に嫌がらせして、疑心暗鬼にさせるかな。机を隠すとか」
「すんなり教えるんだな」
「そりゃ教えるよ。だってお前には無理だから」
「……」
「約束。忘れてないよね?」
「?」
「あたしが手を貸すなら対価をもらう。今度はメツギくんの人生の十年」
「法外だろ」
「良心的でしょ? 無能を十年も養うんだから」
「……」
「で? どうすんの? 手、貸して欲しいんでしょ?」
「断る」
「ウチハちゃんがどうなってもいいの?」
コツツミさんのその言動にハッとした。ウチハの周りに不穏な空気が流れているのを見た時、コツツミさんは無反応だった。普通、部活で知り合いだった人の異変を目にしたら、無反応とはいかないはずだ。だから、あの時の無反応はくすんだ鏡の鈍さで気づいていないものだと決めつけていた。けど、違ったんだ。コツツミさんはただ無反応だったわけじゃない。ウチハの孤立にあらかじめ気付いていたから無反応だったんだ。
「……おい、いつから気付いてた」
「取り巻きがでしゃばってきた時から?」
「どうして教えてくれなかったんだ」
「言ったよ? ちゃんと。〝このままだとお前は破滅する〟って。〝後悔しないようにね〟とも念押しした」
「あれは俺がいじめられていることに対してじゃなかったのかよ……」
「自分が犠牲になればいいなんて、どんだけ視野が狭いんだよ」
「……」
「で? どうすんの? まだちっぽけなプライドが邪魔する?」
「……要求は飲めない」
「無能のくせに手段を選んでるようじゃ救いようがないね」
「……」
コツツミさんの辛辣な言葉に押し黙った。……手段を選ぶなんて、当然だろ。周囲を映す澄んだ鏡が、誰かが傷つく方法を許容できるハズがない。それがたとえ、加害者であったとしても。だがしかし、状況は悪い方向に向かい始めている。ツキノキさんには釘を刺され、コツツミさんには呆れられ。賢い二人のその思考は、俺の二歩も三歩も進んでいるのは確実。いいや、もしかするとそれよりもっと進んでいるのかもしれない。急にコツツミさんの〝破滅〟という言葉が、現実味を帯びてきたような気がした。俺はその〝破滅〟が何を意味しているのか影さえ掴めていない。ウチハは、本当に……大丈夫なのだろうか。
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わからない。ノートに書き込んでいくほど、頭がぐちゃぐちゃになっていく。わからない。ツキノキさんは一体何をそんなに恐れているのだろう。わからない。コツツミさんのいう破滅とは一体なんのことだろう。わからない。ウチハはどうして現状を受け入れているのだろう。暗い部屋で頭を抱えた。その問いに答えてくれる人は誰もいない。扉を乱暴に叩く音がする。返事をする間もなく入ってきて、電気をつけて怒鳴り散らす。これは何に対して怒っているのだろう。怒られる理由がありすぎて、どれに謝ったらいいのかわからない。この怒りはいつ終わるんだろう。怒って解決するのなら、とっくに俺も怒ってる。平手が飛んできた。あぁこれは長くなりそうだなとぼんやりしていたらもう一発来た。どうやら態度が気に食わなかったらしい。そりゃそうだろ。鏡の性質が違うんだから。ひとしきり発散して満足したのか、今度は泣き出してしまった。〝昔はこんな子じゃなかったのに〟と縋りついてそう言った。いままで何を見てきたのだろう。本当に俺のことを見てきたのだろうか。それは俺という人間ではなく、理想という概念を見てきたんじゃないのだろうか。
……疲れた。もう何も考えたくない。一人になった部屋。椅子に座り込んで、ノートを見た。そこには、今までの抵抗が書き記されている。結局、実らなかったな。閉じたノートをゴミ箱へ押し込むと、控えめにドアがノックされた。
「エイタ? いま、いい?」