いじめには大きく分けて三つの立場がある。被害者、加害者、そして傍観者の三つ。ウチハ・コツツミさん・ツキノキさんがそれぞれいじめに対して違った意見を持つのと同じく。この三者もそれぞれ違った意見を持つ。〝世界中が敵に見えた〟。いじめに関しての情報を漁っていた時、印象深かった言葉。被害者の心境を表すのに、これ以上の言葉を俺は知らない。俺自身も、世界から否定されるような感覚を味わってきた。深い共感で貫かれたこの言葉は、きっと被害者の本心に違いない。〝いじめられる方にも問題がある〟。いじめに関しての情報を漁っていた時、怒りを覚えた言葉。ウチハに問題があるとは到底思えない。例え問題があろうがなかろうが、踏み越えてはいけない一線があるはず。これほど加害者らしい身勝手な発言はない。 加害者特有の不快さは、だからこそ本心からの発言に思える。〝キミが我慢すれば、全て丸く収まる〟。いじめに関しての情報を漁っていた時、絶句した言葉。これが教員の発言だなんて認めたくなかった。しかもこの発言は、いじめの相談を受けた返答と言うのだからやるせない。……そして一番の衝撃。この発言とツキノキさんには、いくつか共通点がある。いじめに関する話題を出したときに拒絶されたこと。その後いじめに関する一切の話題を遮断したこと。最も信頼していたツキノキさんがとった行動が、発言の信憑性を高めた。嬉しくもないし、認めたくないが。これもまた、本心……。
全ての鏡が正しいとするなら。ツキノキさんの冷たい発言も正しく、また光溢れる優しさも正しいことになる。……まだハッキリとしたことは言えないが。恐らくは、ツキノキさんが優しくなれないだけのナニカが隠されている。はたして俺は、優しいツキノキさんが豹変するほどのナニカに向き合えるのだろうか。……知ってしまえば、もう後戻りはできない。それでも、やるしかないんだ。たった一人の女の子を救いたいという一心で。女の子一人救えないヤツが、自分を救うなんて出来るはずないのだから。三者の意見は揃った。この三者の意見を元に、パズルの完成を目指していく訳だが……。
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図書館内に音楽が鳴り響く。閉館を告げる、もの悲しげな音色。つづきは家に帰ってからだな。どの本が必要になるかわからない。広げた本をまとめてカウンターへ。荷造りに四苦八苦していると、手提げ袋を貸し出してもらえた。お礼を告げ退館。ズッシリ重い手提げ袋を肩に掛け。体幹を持っていかれそうになりながら帰宅。一直線に自室に向かい、机に向かった。……パズルの完成。方向性はこれで定まった。がしかし、パズルのピースとして扱うにはどうも曖昧さが抜けきらない。ツキノキさんに喫茶店で言われた、〝心に従う〟のように曖昧だ。俺は被害者・加害者・傍観者の発言を、本当の意味で理解できていない。一度、理解のカタチにピースを持っていく必要がある。……落ち着け。前回はうまくいったんだ。今度もきっと、上手くいくはず。まずは、簡単そうなのから。
〝世界が敵に見えた〟。これには鏡理論が使えそうだ。いじめの被害者は大人しく、優しくて、物静かな傾向がある。発言者を澄んだ鏡と仮定するなら、周囲は性質の違う敵だらけと感じてもなんら不思議じゃない。……この世は、残念だがくすんだ鏡中心だ。くすんだ鏡中心の世界では、よりくすんだ鏡になることを強いられる。澄んだ鏡にとってそれは、存在否定に他ならない。……世界が敵に見えたというのも、あながち間違っちゃいない。〝世界が敵に見えた〟という視点は、被害者の視点で見れば、正しい視点とも言える。
〝いじめられる方にも問題がある〟。……これには余力理論が使えそうだ。いじめの加害者はやんちゃで、乱暴で、騒がしい傾向がある。あらゆる刺激に鈍くて、日常が退屈でたまらない。彼らはただ、心の余力を求めているだけなのだ。……特別事の際に、過剰な盛り上りを見せるのも。教室の隅で本を読んで、退屈そうにしている人間を輪の中に誘うのも。根っこの部分では同じ。彼らの行動に……悪意はない。ただ心の余力を求めているだけ。日常は退屈だから、非日常で発散したいだけなのだ。……だからと言って、人を傷つけて良い理由にはならないが。加害者の視点で見れば、彼らの視点も正しいといえる。〝いじめられる方にも問題がある〟という視点は、加害者の視点で見れば、正しい視点とも言える。
〝キミが我慢すれば、全て丸く収まる〟。……問題は、これだ。手持ちの知識で使えそうな理論がない。仮に鏡理論を使うとしよう。発言としてはくすんだ鏡の傾向。しかしツキノキさんが絡んでくることで話をややこしくしている。相反するはずの鏡が同様の結論に行き着いているのだ。これはもはや、鏡理論の外にある。では余力理論はどうだろう。確かに余力を得るため、面倒事を回避しているという考え方もできる。だがどうも、引っ掛かるのだ。果たして傍観者がただ面倒事を回避しようとしているのか? という疑念。キミが我慢すれば、〝全て〟丸く収まる。この〝全て〟とは、どこからどこまでを指しているのだろう。これは傍観者だけではなく、被害者・加害者……いやそれよりもっと広い範囲。家族や組織も含んだ。いうなれば、そう……。社会全体を指しているのではないのだろうか。だとすれば、ツキノキさんの行動にも理解が示せる。優しい一個人としてではなく、冷酷な一社会人として俺を突き放したのだと。……そうなってくると、余力理論では不十分だ。余力理論は、人には余力が必要だとする一解釈。だが、なぜ余力が必要なのかという説明まではしていない。……鏡でも、余力でも。不十分となれば。新しい理論が必要になってくる。さて……どうやってこの新しい理論に迫るべきか。
「エイタ? ご飯できたよ?」
「すぐいく」
「……無理しないでね」
「あぁ」
遠ざかっていく足音。机上を整理して、背もたれに体を預けた。いままでにないくらい順調だ。だが不安は拭えない。果たして現状の知識で足りるのだろうかという不安だ。どちらにせよ、長期戦になることは分かりきっている。飯を食って後半戦に備えよう。席を立ち、電気を消し、部屋を出た。
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机の振動で目を覚す。飛び起きると横にコツツミさん。お菓子の箱に手を突っ込んで、ポリポリとこちらを見下していた。どうやら徹夜明けで気絶していたらしい。時計を確認して、いまが昼休みであることを知る。ちゃんと寝ないといけないことは理解している。けれど頭のモヤモヤがずっと晴れないのだ。〝社会の本心〟。この壮大なピースに苦しめられている。ウチハとの約束を果たすためにも、早くパズルを完成させないといけないのに……。
「社会ってなんだ?」
「ひっどい顔。まだ哲学ごっこやってんの? メツギくんも懲りないよねー。……ん」
そう言って、スティック菓子を摘まんで突き出してくる。顔を背ける俺に、コツツミさんは不満顔。
「あたしが太っても良いって訳?」
「どうしてそうなる」
「じゃ食えよ」
「やだよ」
「このお菓子キライなの?」
「嫌いじゃないけど……」
「んじゃ食えって」
「食べたらいいだろ。そのくらい」
「テメェ。女の太りやすさ知っててそれ言ってんのか?」
じゃあ最初から食べるなよ。とは、口が裂けても言ってはいけない。澄んだ鏡とくすんだ鏡が衝突した時点で、澄んだ鏡に勝ち目はない。渋々と開けた口に、お菓子が突っ込まれる。咀嚼して軽い食感を確かめた。……他人が手掴みしたお菓子を口に入れるって、心理的にヤなんだよな。くすんだ鏡のなんかは特にそう。男子トイレで、手も洗わずに髪を整えている光景を何度か目撃したことがある。先に手を濡らしてしまうと、髪が濡れてしまうのを嫌っているのか何なのかは知らないが。不潔だろ、普通に。くすんだ鏡の衛生観念は信用ならない。コツツミさんもちゃんと手、洗ってるんだろうか。それを確かめる勇気が俺にはなかった。
「んで? どこまで進んでんのー?」
「……被害者と加害者の理解は進んだ。あとは社会の理解と、被害者・加害者・社会を一つの解釈にまとめる作業が残ってる」
「ふーん」
気の抜けた声でお菓子の箱を差し出してくる。すでに興味を失っているのか、それとも本当にくだらなくて呆れてるだけか。……協力してくれる気配がない以上、考えるだけ無駄か。鬱陶しいので自分の席に戻って欲しい。
「あ」
コツツミさんの手からスティック菓子が落ちた。不注意をしていた生徒がぶつかってきたようだ。お菓子はそのまま床に落ちた。落ちて、静止している。俺はなぜだか、その光景に釘付けになっていた。コツツミさんが屈んでお菓子を拾う。その後に聞こえてくる咀嚼音がだんだんと遠くなっていく。
〝重力〟……。踏みとどまる力。社会が現状維持を目的にしているとすればどうだろう。社会はいじめを問題視している。社会への不信が強まれば、社会を維持することはできない。かといってヒト・モノ・カネは動かせない。動かせば各所から反発が出る。動かせば現状維持が崩れる。よって被害を最小限に抑える必要がある。もっとも被害を出さないやり方。それが現場の教員への仕事の押し付けだ。教員に仕事を押し付け、全てを丸く収めるのだ。……教職員は多忙と聞く。いじめへの対応が教員の現状を脅かすのなら。今度は被害者へ仕事を押し付ける。被害者に仕事を負わせて、全てを丸く収めるのだ。現状維持の下請け……。なるほど、だから余力が必要になってくるわけか。……とすると、おかしな点が出てくる。もしツキノキさんが一社会人としてこの重力理論を採用しているのなら。重力理論の発展形である余力理論を受け入れてもいいところだが。しかし実際のツキノキさんは、スネヤ先生の余力理論を〝心底キライ〟と明言していた。ツキノキさんの取り乱しようは……生半可な感情ではない。重力理論を採用しながら、しかし発展形の余力理論は否定する……。ツキノキさんらしくない不合理さだ。何かツキノキさんに、余力理論を受け入れたくないだけの事情があるのだろうか。
「聞いてんのかよ」
「……ごめん。聞いてなかった」
「今日、片付けに来るんだろ?」
「……。いや、今日はいかない」
「こんなペースで間に合うの? 卒業した後も掃除する気? もしかしてワザと引き伸ばしてる?」
ニヤニヤと、からかうような声を出すコツツミさん。その能天気さに、頭が痛くなる。ふと教室を見渡すと、ウチハ達がいないことに気付いた。
「……ウチハ達がいない」
「あ?」
「いつからだ?」
「知らね」
「……」
予感がして教室を出た。他のクラスを見て回る。いない、いない、いない、いない。どこにもいない。他の階? いや……落ち着け。いつもなら教室の一角で弁当を広げているんだ。大人数で他教室に乗り込んでも、集まれるような場所を簡単に確保できるとは思わない。それなら移動教室? それも考えにくい。施錠されているはずの教室に大人数で居座ったりしたら、絶対誰かにバレる。リスクを取らないはずの彼女達が、そんな大胆なマネをするとは考えにくい。それじゃあ、もし大胆に出れるとすれば……。気付いた時にはもう走り出していた。階段を駆け降り、渡り廊下。体育館を横切り、別館の入り口へ。鍵がかかっている。中から微かに人のいる気配がした。裏手に回る。鍵は空いていた。ゆっくりと扉を開け中へ。人の気配がする方へ恐る恐る向かう。廊下の曲がり角。人影が飛び出て、鉢合わせ。そこには、ずぶ濡れになったウチハがいた。