優秀で忠犬な可愛い幼馴染
お飾りの名ばかり飼い主、主人公くん
ただ褒めて欲しくてペロペロ迫って、結果ヘイトが溜まってく
閑静な住宅街、不似合いなトラックの縦列、運び出されるダンボール達。
引っ越し業者の合間を縫って、一人の女の子が飛び出した。
車での長距離移動は案外疲れる。
新しい自分のお家のはずなのに、庭先にしか自分の居場所がないからと、彼女はいじけたように電柱の影で膝を折った。
根元にはタンポポの花が二、三と咲いている。
手を伸ばして触れてみれば、なんだか湿りっけを帯びていた。
クンクンと手元で嗅ぐわせ、直後"オェー"と顔を顰める。
チラリと玄関先に目をやるが、荷入れは一向に終わる気配を見せない。
けれども手元が臭いのは変わらず。
ブンブンと腕を振って匂いを吹き飛ばそうとするが、逆に乾いて芳しい香りが強くなるだけだった。
近くに蛇口でもあれば……どこかしらに蛇口はあるのだろうが、土地勘もない場所をほっつき歩く冒険心はなく、迷子にでもなると大騒ぎだと結局動けず座り込む。
気を紛らわせてくれるような興味を惹くものは直ちにその数を減らし、けれども新居の慌ただしさは収まる気配もない。
暇潰しの術を持たない幼女は、五分も経たずに空を仰ぐ。
海が落っこちたような青い空。
綿菓子をちぎったように漂う雲。
ポカンと口を閉じ忘れて思い至った。
おしっこ行きたい、と。
幼な子特有の突飛な話題転換。
社会の優先順位だとか常識だとか、まだまだ自己さえ確立していない彼女はまだまだ子供で、大人が守るべき守護の対象のはず。
けれども、大人には大人の事情というものがある。
大変そうな両親の背中を見て、いわずとも何かを察してしまった。
結果、それは世間の見本となる"良い子"を生み出した。
彼女のそばに親の姿がないのも、我が子への信頼の証と言えよう。
しかし、どこまでいっても子供は子供。
その全てに対応できるはずもなく、本当に頼るべきその時が来ると、いまだ曖昧な境界線に立ち尽くす。
どうすればいいのかわからない。イイコにしてなかったから? じゃあ、困っても仕方ないよね。
「トイレに行けなくて困ってるの?」
「ぇ……」
俯いた地面に影が差し、ふと見上げた先に男の子。
真っ直ぐと射抜くような視線。初対面でも物怖じない言動。確信に近いその口ぶり。それは、彼女の短い人生でも、初めて出会う人種だった。
「トイレじゃないことで困ってる? ……困ってない?」
「え、いや……」
「困ってないの?」
「そうじゃ、なくて」
「はっきりしてよ」
「……きみ、だぁれぇ」
「ぼく? ぼくメツギ。きみは?」
「わたし、は、ウチハ」
「ふーん……アメ食べる?」
「い、いらない……」
「そっかー」
そういうと、メツギと名乗る少年は、ポケットから取り出したアメ玉を口に放り込む。
"知らない人についていっちゃいけない"とも"知らない人と喋っちゃいけない"とも教わったウチハは、やけに距離感の近い目の前の異性に戸惑いを隠せなかった。
イラストで描かれたマスク・サングラス・黒い服装のいかにもな不審者でなかったことと、自己紹介し合ったのなら"知らない人"ではないのでは? という疑問がなおさら頭を混乱させる。
束の間の沈黙。
あれ? 喋らないの? お話おわり? なにか変なこといった? なんて、何か気に触るようなことをしたのかいったのか、不安が覆い被さってくる。
「近くに公園があるよ。トイレもあるし、蛇口もある。一緒に行こう」
「ん、う〜ん……」
「すぐ戻って来ればヘーキだから。ほら」
差し出される手のひら。
思い出したかのように尿意が迫り上がってきて、たまらず彼の強引さに乗っかった。引っ張られる腕は、力強いが不快じゃない。
視界は移ろい、道は開け、今までうずくまっていたのが馬鹿らしく思えてくる。
あぁ、始めから手を取っておけばよかったな。
手を繋ぐのはお母さんかお父さんしかいなかったから、見上げなくてもお話しできるなんて、なんだか不思議。
疎外感で一杯だった新しい街並みは、少し強引な男の子の出会いによって、幼少の思い出として美化されるのであった。
「隣に越してきたドウゾノです、娘ともどもよろしくお願いします。これ、つまらないものですが……」
「いいえ〜わざわざお越しくださらなくても、こちらからご挨拶に伺おうと思ってましたのに。あら、こんにちは〜。かわいいね〜、お名前は?」
「……娘のウチハです。ごめんなさい、この子引っ込み思案みたいで」
「ウチハちゃんは何歳なの? ……七歳? あらウチの子と同い年だわ。あったら仲良くしてちょうだいね〜。……あらいけない私ったら、いつまでもお客様を立たせっぱなしじゃ申し訳ないわ。ささ、手狭な家ですがどうぞ上がっていってください」
「それじゃあお言葉に甘えて、お邪魔します。ほらウチハも」
「おじゃま……します」
「どうぞどうぞ。いま、お茶出しますから」
「あ、いいえお構いなく」
リビングに通されたドウゾノ親子。
退屈しかないだろう社交辞令の場に、わざわざウチハがついてきた理由は二つ。
あの時のお礼を、言いそびれていた感謝の言葉を伝えるため。もう一つは、もうすぐ始まる学校生活での拠り所を作るため。
隣人ながらタイミングを計りかねていた少女は、母親の挨拶回りに乗っかったのだった。
しかし、目的の人物の姿はいまだない。
ただ座り、大人が話すよくわからない話を聞きな流すのは、いくらオレンジジュースをお供にしてもさぞ退屈だろう。
「ごめんなさいね〜ウチハちゃん、おばさんたちの会話は退屈でしょう? もうすぐしたらウチの子帰ってくるから、それまでもー少し待っててね?」
「ただいまー」
「ほら丁度帰ってきた。エイター?」
「なぁにぃーお母さん。誰か来てるのー?」
買い物袋を引き連れて現れた少年。
久方振りの再会に、ウチハは軽く手を振って交信する。彼は眉を少し上げて反応し、すぐにニッコリと同じように手元を泳がせた。
そんなやりとりがなんだか嬉しくて、思わず手を胸に抱き寄せる。
「あれ? あんたウチハちゃんと知り合いなの? いつそんな誑し込んだのよ」
「タラシコ……? 意味わからないけど、馬鹿にされてるんだなってことは伝わってくる」
「引っ越して間もない頃、御宅のお子さんにウチハの面倒を見てもらったみたいで。……その節はありがとうございました」
「いいえ〜そんな気を使っていただかなくても、ウチの子は好きでやってるだけですから、そんな頭を下げられるようなことはしてませんよぉ〜」
「んじゃ、ぼくの部屋行こうか?」
「え〜、あ〜、その〜……」
ウチハは歩きながら、なんて声をかけるべきかとメツギを前に考える。
子供は子供で、大人は大人で。二組に分かれ、リビングを後にする二人の背後。
メツギの襟首に影が伸びた。
「ちょっとあんた、お母さん何も聞いてないわよ? 何も言ってくれなかったじゃない。女の子に優しくしたのが小っ恥ずかしかったの?」
「なんだよ、いちいち伝えないといけない決まりなんてないだろ? ぼくの勝手だ」
「お母さんにはご近所付き合いってものがあるの。あんたがしてることには口出ししないから、ちゃんと自分のしたことには責任持ってお母さんに報告しなさい。わかった? 返事」
「おーい」
「たく、この子は……。あ、ごめんなさいね邪魔しちゃって。あとは二人でごゆっくりねぇ〜」
笑顔を浮かべ、目も笑い、何か含むようにその母親はリビングへと消えていった。
さて、と一泊置き、向かい合ったメツギは言いかけたであろう言葉を待って沈黙する。
メツギ少年のこの癖のようなものを何度か体験したウチハは、その意図を察し、形になり損ねていた言葉を形作っていく。
「あ、ありがとう」
「?」
「お、お礼言いそびれちゃったから。これは、あの時助けてもらったお礼」
「うん、うれしいよ。ありがとう」
「へ、えへへ。それから、それから……」
普段あまり喋らないからだろうか。
なかなか滑らかに動かない口に、内心早く喋らなきゃと焦るウチハがメツギを見ると、彼はジッとなにも言わずに待っている。
そんな行動をとらせてしまったことに、逆に申し訳ない気持ちが付随して、悪化したようにアワアワと口元を震わす。
「大丈夫。慌てなくていいから」
「……うん」
慌てるように持ち上がった手をメツギの両手が捉える。
しっかりとした芯が通う父性の微笑みに落ち着きを取り戻し、やがて唇は歯車が噛み合ったように動き出す。
「お友達、になってほしい、の」
「友達? もうそうなんじゃねーの?」
「へ? へぇ〜、え〜?」
「う〜ん、じゃあそうだなぁー。握手、友達の握手しよう。それで今日からお友達」
「うん、うん! 友達の握手」
扉の向こうの光が大きくなっていく。
無限の可能性に沈む心地よさに身を沈めながら、二人は約束を誓い合った。
それは、形だけを大人に真似た、中身の伴っていない空約束だろう。
しかし、子供の世界ではそれは大きな意味を持つ。
ガワだけでも、ポーズだけでも、精一杯の寄り添いを示す最大限の行動なのだから。
「ウチハは、同じ学校に転校してくるんだろ?」
「うん。来月には……メツギと一緒の学校に通えるようになる」
「エイタでいいよ。片方だけ下の名前ってのもおかしいし」
「んん……。エイタ、と、いっしょのクラスになりたいな」
「ウチのクラス人少ないから、もしかしたら同じクラスになるかもな」
「……友達、できるかなぁ」
「大丈夫だって。みんなイイ奴ばっかりだから、ウチハならすぐみんなと仲良くなれるよ」
「……うん!」
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「みんなと仲良く……ね」
「? なにかいった?」
「うんん。こっちの話」
「また彼のこと見てたの?」
「うーん……ちょっと違うかなぁ〜」
「毎回思うんだけどさぁー、そんなにメツギって良い男なの? ウチハが誰かに告白断られるところなんて想像できないし……なんかもったいなくない?」
「ん〜」
まあ確かに? エイタが女の子同士の話題に上がることは少ないし、思い出補正で高く見積もってる感はなくはないけど、ご家族にはお世話になってるし? 冷め切った関係って訳でもないし? 長く一緒にいるって考えたら、悪くない選択肢なんじゃないかなーって。
それに、一番心配なのが……。
「ボクがいなくなった後のエイタが心配」
「えーなにそれ〜、ウチハ聖母すぎな〜い?」
「ふっふ〜ん、よきにはからえ〜」
薄い胸板を張りながら、偉そうにヒラヒラと片手を振って頬杖をついた。
視線の先には、休み時間なのに誰とも会話していないコツツミさんの姿が。
新学期初日と違って、メガネを掛けている。
学年が上がって、イメチェンのつもりだったのかな? クラスメイトが散り散りなったはずなのに、それでも彼女の扱いは変わらなかったようだ。
……私が声を掛ければ、彼女に対する嫌がらせは止むだろうか。
いや、本人が助けてと言ってもいないのに、知った風な口ぶりで近づくのは押し付けがましい。
それにエイタに助けるなっていった手前、私が目の前で助けてしまえばそれこそ彼の心をへし折りかねない。
エイタに話したように、彼女には自力で這い上がってもらう他ない。
事態が悪くなる一向なら、その時は改めて考えるとしよう。
ついでエイタに視線を預けた。
男子同士の会話に参加をしているものの、その意識は時折コツツミさんに向く。
助けられない事実がそんなに自分を追い詰めちゃうの?
ジトーとあからさまな視線を投げかけるが、彼の瞳と交わることは決してない。
……みんながみんな無感情って訳じゃないけど、エイタのそれは病気だよ。
昔みたいな強引さがあれば、単純だったあの頃なら力技でどうにかできたかもしれない。
でも、今は違う。
エイタにとってはすごく難しいことなのかもしれないけれど、大人になってほしい。
みんなだって辛いんだよ?
エイタだけが正しくあり続けたい訳じゃないんだよ?
コツツミさんだけが不幸って訳じゃないんだよ?
ボクだって辛い時はあるし、ボクだって悲しい時はある。
ボクだって心配されたいし、ボクだって近くで支えてほしい。
ボクだってボクだってボクだって……。
親におんぶに抱っこから時は経ち、もう子供と言い切れない年齢になったが、まだ大人とも言い切れない微妙な立ち位置。
都合よく入れ替わる立場に苦笑いしながら、それでも大人から見れば子供は子供。
社会経験もなく、感情的で経済力もなく、自由も制限されているのならば未熟の一言で片付けられてしまう。
それなのに、大人の世界で実現できないからと、子供の世界に理想を吹き込むのは教育の内なのか?
部活で毎日忙しいボクではあるが、今年の春は夏と冬の大会並みに疲れ果てた。
新入生を迎い入れる、体育館での部活説明会だ。
全国大会で準優勝を飾ったボクは、剣道部の代表を務めたり女子の黄色い声援を浴びたり男子の視線を集めたりと、体の良い広告塔と成り果てていた。
体験入部期間は、入るんだか入らないんだかわからない乙女の列を相手取り、結局誰も入らなかった時は愕然としたものだ。
男子は見覚えのある視線が片手ほど加わり、"先輩♡"なんて、可愛い後輩とのガールズトークを夢見ていた脳みそを見事に破壊していった。
唯一の救いは女子が全滅ではなかったこと。
"後輩"は入部してこなかったが、"同級生"が加入してきた。
この厳しい部活に途中から? なんて最初こそ驚いたが、顔を見て納得した。
「コツツミ、テルミ、です。剣道は初めてで、至らない点が多いかもしれません、が。どうか、よろしく、お願いします」