予感がして教室を出た。他のクラスを見て回る。いない、いない、いない、いない。どこにもいない。他の階? いや……落ち着け。いつもなら教室の一角で弁当を広げているんだ。大人数で他教室に乗り込んでも、集まれるような場所を簡単に確保できるとは思わない。それなら移動教室? それも考えにくい。施錠されているはずの教室に大人数で居座ったりしたら、絶対誰かにバレる。リスクを取らないはずの彼女達が、そんな大胆なマネをするとは考えにくい。それじゃあ、もし大胆に出れるとすれば……。気付いた時にはもう走り出していた。階段を駆け降り、渡り廊下。体育館を横切り、別館の入り口へ。鍵がかかっている。中から微かに人のいる気配がした。裏手に回る。鍵は空いていた。ゆっくりと扉を開け中へ。人の気配がする方へ恐る恐る向かう。廊下の曲がり角。人影が飛び出て、鉢合わせ。そこには、ずぶ濡れになったウチハがいた。
「あ、あはは。ちょっとドジしちゃった」
喋る前に、ウチハが口を開く。滴る水が、直前の出来事であることを告げる。……なんだよ、ドジって。それならどうして、そんなに元気がないんだ。ハンカチを渡そうとしていると、ウチハの向こうから声がした。
「あれ〜? メツギじゃん。なにしてんの?」
「……」
ウチハの背後から、ゾロゾロと取り巻きが出てくる。誰一人として、ずぶ濡れのウチハを心配する様子がない。このままだと風邪を引くだろ。タオル一つ貸そうともしないのか。不愉快だ。例え悪意がなかったとしても、不愉快だ。不愉快を顔からにじませていると、腕を捕まれて。その主である、ウチハを見る。ウチハは小さく首を振った。どうしてこんな奴らのことを庇うんだ。いや……違う。俺が、庇われているんだ。社会が重力を求めるのなら。この場で問題を起こして処罰されるのは、きっと俺の方だ。重要なのは、現状維持。社会にとって正しさは重要ではない。正しさは、現状維持と噛み合った時のおまけでしかない。最小の被害、最小の犠牲で済む方に、現状維持の下請けが降りてくる。その対応は到底、いじめの解決とは程遠い。ここは動けない。せめていじめというパズルが完成しないことには、俺は動くことが、出来ない。〝昼休み終わっちゃう~〟と、呑気に談笑。真横を通り過ぎる集団に、苦虫を噛み潰した。
「……タオルと、着替え。持ってくる」
「うん」
教室に向かった。ウチハのタオルと、ジャージの入ったバックを手に。別館に急いだ。更衣室の扉をノック、扉が開く。扉にバッグを捩じ込むために伸びた手。更衣室に引き込まれて。俺がバッグを置いて、部屋から出るよりも早く。スカートを脱ぎ出していた。慌てて顔を逸らしてドアノブを探す。
「パンツまでぐちょぐちょだよー」
「……」
「ごめんね。迷惑かけちゃって」
「なんでウチハが謝るんだ」
「エイタに迷惑かけたから」
「違うだろ。ウチハは迷惑なんかかけてない。これは俺の、俺自身のワガママだ」
「優しいね、エイタは」
「……もし俺が本当に優しいのなら。さっきの場面でウチハの友達に殴りかかってる」
「……」
「ウチハが全部背負えばいいなんて、そんなの絶対におかしい」
「え? ちょっ濡れちゃ」
半裸のウチハを引き寄せて、強く抱きしめた。卑怯な手口だ。これで全責任を俺に集める。この一連の行動は俺の勝手なワガママで、ウチハが責任を感じる必要はないのだと訴えかける。
「だからウチハ。俺のワガママに、どうか目をつぶってくれ……」
「あ、あ〜♡」
了承を引き出すために強く、強く、抱きしめた。抵抗していたウチハが段々と小さくなっていく。返事がないのを訝しんで。鳴り響くチャイムに、正気に戻った。無抵抗のウチハへの締め付けを解く。ヘニャヘニャに崩れ落ちるウチハ。やりすぎたことを自覚して、恥ずかしくなって。〝は、早く着替えて教室こいよ? 〟と捨て台詞を吐いて、更衣室から逃げ出した。やっちまった。ウチハの罪悪感を取り去りたくて、周りが見えなくなってしまった。今度ウチハと会う時、どんな顔をして会えばいんだ。恥ずかしさに悶えながら、俺は別館を足早に後にするのだった。
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後日、放課後。河川敷。動いていないと眠ってしまいそうで、川沿いのランニングコースの上をひたすら歩く。もう、時間がない。一刻も早くいじめというパズルを完成させる必要がある。ウチハも心配だが、このままでは俺が持たない。四六時中パズルに向き合うのは気が狂いそうだ。授業も勉強も放棄して、ノートを文字で埋めていってもなにも浮かんでこない。ノートに思考を吐き出している間だけ、焦りから逃れているような状態だ。あと、少しなんだ。あとはこの被害者・加害者・傍観者のピースをはめるだけなんだ。なのに、そのあと一歩が果てしなく遠い。焦れば焦るほど、ピースの輪郭がわからなっていく。本当にこのピースは正しいのか? 本当に一つの解釈として統合できるのか? 疑念が頭で増殖して、しかしもう一度やり直す力は残されていないと無理やり疑念を抑え込む。
「だいぶ辛そうじゃん?」
コツツミさんの最寄駅はとっくに通り過ぎている。だというのに、コツツミさんはなにが面白くてニヤニヤしているのだろうか。横に張り付くコツツミさんの声を無視した。どうせまた取引を持ちかけてくる気なんだろう。でかい声で喋られると頭に響いて不快だからさっさと帰ってくれ。
「人殺しそうな顔してるよ?」
「取引には応じないし、今日は部屋も片付けない」
「メツギくんのそのクソ強情なところは認めるよ。けどさ、一旦冷静に考えてごらん? 有効かどうかもわからない方法に追いかけるより、いま確実な方法を選ぶべきじゃない?」
「暴力はダメだ」
「ウチハちゃんのことはどうでもいいんだ」
「よくない」
「一瞬で矛盾してらー」
「誰も傷付けたくないし、誰にも傷付いてほしくない」
「んじゃあ黙ってみてるワケ?」
「そう言うことじゃない」
「そう言うことだろうが」
「例えどんな理由があろうと、暴力だけは絶対……」
「あ? どした?」
俺はなにを根拠に暴力を否定しているんだ? 俺は、俺の鏡。澄んだ鏡を根拠に否定している。人にやられてやなことをしてはいけない。それは余力を奪う行為とも言える。それは重力に逆らう行為と言える。澄んだ鏡は余力を奪われたり、重力に逆らって迷惑する光景を誰よりもよく映してきた。だから澄んだ鏡は下手に動けないし、動かない。……暴力は、その前提を崩す。いじめの前提を崩す。暴行罪。法律違反。ルールを破る。暗黙の了解。であるなら、三つのピースを繋ぐのに相応しい言葉は……。
「……信頼?」
「また勝手に話進める気? いい加減学習しろって」
「加害者は被害者を信頼して、傍観者も被害者を信頼している。……被害者は過剰な信頼に晒されている?」
「なにブツブツいってんの? キッモ。メツギくんができることなんて何もないから」
「なら、その信頼を裏切ればいい。暴力じゃなく違うカタチで……」
「無能の分際であたしを無視すんな!」
「……」
「おい! どこいくんだよ!」
「帰る」
「あたしの力は?」
「いらない」
「はぁ〜!?」
「……」
「お前はどうせ! あたしに泣きつくことになるんだから!」
なおも後ろでコツツミさんが喚いている。いまの俺には、そんなことを気にしている余裕はなかった。まだ完成したわけじゃない。パズルを本当の意味で完成させる必要がある。そのためには、ツキノキさんに直接聞いてみるしかない。……もしも俺の予想が正しいのだとしたら。ツキノキさんとの関係は、完全に終わってしまうんだろうな。………………。あぁ、やっぱり俺には。ツキノキさんに恋をする資格も、愛する資格もないらしい。スマホを取り出して、ツキノキさんに連絡を送った。
「こんばんは、ツキノキさん」
「……あぁ」
「お話ししたことがあります」
「……あぁ」
視線も合わせず、物々しく腕を組むツキノキさんが出迎えてくれた。きっとこれから俺が話すことに、薄々勘づいているのだろう。なんてたって、〝心に従う〟ことを教えてくれた人だから。
「……体調が、悪そうだ」
「ちょっとだけ。眠れなくて」
「……」
「でも、それも今日で終わるかもしれません」
「予め断っておく。私はいじめに関して一切口を開かない」
「それで構いません。ただ話を聞いてもらいたいんです。ただツキノキさんに、俺のワガママを聞いてほしいだけなんです」
「……」
「諸事情から、いじめについてあれこれ考えていました。そして、俺はある程度納得できる答えに辿り着けたのかもしれません」
「……」
「本題に入ります。思うに、いじめとは〝信頼〟なんじゃないかなと思います」