鏡の奥の向こう側   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

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飛び立ちかねつ、鳥にしあらねば

 

 

 

 翌朝。空には図厚い雲が多い。いつ大粒の雨が降ってきてもおかしくない。今日は久しぶりに、ウチハと登下校。柄にもなく、俺の方から誘ってみた。二つ返事で了承をもらい。久々に、ウチハの笑顔を正面から見た気がする。俺には勿体ないくらいの、優しい幼馴染だ。今日で終わる。終わらせてみせる。校門、昇降口、廊下。教室の扉を開ければ、ウチハに視線が集中する。俺の方なんて、見向きもされない。ウチハと別れ、HRまでの時間。朝の談笑。平和なひとときに、我が物顔で居座る影。ウチハ達の信頼は、また一段と深まっていた。迷うことなく彼女達の元へ。ガン無視を決め込まれ。右手にはライターを。チラリと確認されて無視。左手にはスプレー缶を。彼女らは会話に夢中。カチッ、カチッと注目が集まったのを確認。ウチハがいち早く異変に気づいて。火器厳禁のマーク。躊躇なく発射した。公園で試射した。轟々とした炎。狙いは唯一人。このいじめの中心人物。写真に映るウチハ。そのすぐ横。頬を寄せ、楽しそうにピースしていた彼女。必ず避けてくれる。一方的な信頼。どこからか悲鳴がした。瞬間、炎に飲まれる。眼前で転げ回る彼女。それを無感情に眺め。缶を振って、彼女に噴射口を向け。

 

 鳴り響くベル。作動するスプリンクラー。ライターと缶を手放して、項垂れて。全てが終わった。信頼を裏切った。その先に待っていたもの。それは死だった。社会的な死だった。高まった信頼を裏切るとなれば。連鎖的に、全てを裏切ることになる。都合よく、加害者の信頼だけを裏切ることはできない。それがイヤなら、待っているのは違う死。心を殺すか、自分を殺すか。そのどちらかでしか、この高まった信頼からは逃れられない。少子化なのに、自殺件数は増えてるんだったか。いや少子化だからこそ、自殺者が増えているのかもしれない。一人一人に寄せられる信頼が高まっている。どんな死がいいか選べるだけ、現代の進歩と見るべきか。どちらにしたって、救いのない話だ。……俺はクズだ。ウチハを信頼してやれなかった。家族も、教師も、クラスメイトでさえも。生きてきた社会にさえも不信感を抱いて、自分のワガママを優先した。本当なら何事もなく、学校生活は続いていたのかもしれない。でも、ジッとしてられなかった。我慢する事ができなかった。その結果が、これ。後悔はない。全て承知の上での行動だ。きっと、人生を何度やり直しても。俺は何度だって世界に不信感を抱く。社会にからみれば、俺はとんだ不良品だ。そんな出来損ないの作物を、ただ畑から間引いただけ。俺のやったことは、その程度の事なのだ……。そこから先のことは、よく覚えていない。

 

 

 

 ──────

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 ──────────────────────

 

 

 

 教室で暴れてから数日経った。車の車内、助手席。運転席からの小言を意識の外へ。遠い空の景色を眺める。行き先は、俺が火だるまにしようとした彼女の家。菓子折りと、身綺麗な服装。軽い火傷を負わせてしまったことへの謝罪に向かうその途中だ。この数日で色々あった。一つ目は、俺は学校を自主退学することになった。本当なら警察に突き出されてもおかしくない傷害事件。ただ学校側が事を荒立てたくないのなら、まあ妥当な判断といえるだろう。実行するに辺り、そこに期待していた部分はあった。なので今更、学校側の対応に驚きはない。二つ目は、ウチハを黙らせたこと。俺が退学処分を下されたことに噛みつこうとしていたので、無理やりねじ伏せた。取引を持ちかけて、体を拘束して、耳元で囁いて、唇を塞いでようやく大人しくなってくれた。卑怯な方法であることは重々承知している。だがあれ以外の手段を取りようがなかった。俺もなかなか、クズが極まってきたようだ。三つ目は、ツキノキさんから連絡がきたこと。内容は、〝一度会って謝りたい〟。優しいツキノキさんのことだ。今回の件で、誰よりも責任を感じているのかもしれない。嬉しくはある。だが決別した手前、ホイホイと会いにはいけない。今回の件は、他の誰でもない俺のワガママだ。我慢できなかった俺が、暴発したようなものだ。これは他の誰のせいにする事も出来ない、俺自身の問題。ツキノキさんが責任を感じることは一切ない。俺と関わることで、ツキノキさんの負担になってしまうのなら。いっそこのまま、この関係は自然消滅させた方がいいのかもしれない。……連絡先を残している時点で、未練がましいのは見え透いているが。少なくとも、まだ俺はツキノキさんには会いにいけない。ツキノキさんに会うのは、目の前の問題を片付けてからだ。

 

 車が止まった。目的地に着いたらしい。しばらく歩き、つく目的地。目当ての人物と、その母親が出てきた。〝この度は大変申し訳ございませんでした〟なんて。親が頭を下げる。〝大した傷じゃありません〟と、相手が返す。そのやりとりを尻目に、俺は周囲をゆっくりと見回した。別に面白みのない、どこにでもあるような平屋だ。俺が頭を下げてないことに気付いた母が、火がついた様に怒鳴り散らす。頭を押さえつけられて、無理やり頭を下げさせられる。そこで俺が感情の籠ってない謝罪を口にして。ますます母を怒らせて、相手の親が静止する始末。去り際、最後に炎を吹きつけた彼女と目が合った。五秒にも満たない時間。その以上のことはない。だが、これでいい。あとは勝手に相手が解釈することだ。謝意でも殺意でもない俺の態度は、相当不気味に映ったことだろう。周囲を見渡したのだって、放火する場所を品定めているように見えたかもしれない。もう一度ウチハに手を出せばどうなるか。いくらくすんだ鏡でも、そこまで想像力が働いてもらわなければ困る。もし、もしこれでも想像力が働かないというのなら……。帰り道は、不機嫌な親によって荒れに荒れた。ハナから説明する気の毛頭ない俺は、信号で止まった隙に車内から逃げ出した。土地勘のない知らない街を、一人孤独に駆けていく。どれくらい彷徨っていたのだろう。気付くと、俺は河川敷のベンチで項垂れていた。帰りのチャイムが聞こえる。みんなには帰る場所がある。迎えるべき未来がある。だが俺にはそれがない。周囲の信頼を裏切った俺には、居場所もなければ未来もない。もう永遠に、真っ当な道には合流できない。この逃れようのない現実が、ズシリと肩にのしかかる。俺自身、能力がないのはよく理解しているつもりだ。だが、それでも。決定的に能力がないことを突きつけられるのは、また違った悲しさがあった。

 

「よ、中卒。こんなところで何してんの?」

 

「……」

 

「あたしからの電話。どうして出ないわけ?」

 

「ごめん。電源切ってたから」

 

「まいいや。それよりさ、なんだったのあれ? 久々爆笑させてもらったけど」

 

「見たまんまだよ……」

 

「で? 結局暴力に頼るなら、どうしてあたしに頼らなかったの? もしかして、意地張っちゃった感じ?」

 

「そうだな、そうかも」

 

「バカだな〜メツギくんは。あたしに頼ってれば退学せずに済んだのに」

 

「コツツミさんには頼れないよ」

 

「あ? なにそれ。もしかして、〝俺ならやれる! 〟とか勘違いしちゃってた?」

 

「そうじゃない」

 

「じゃあなんだよ」

 

「……誰にも、傷ついてほしくなかった」

 

 しばらくの静寂が流れて。突然、コツツミさんは笑い出した。下品に口を開いて、腹を抱え。周囲の目耳が集まることなどお構いなしに笑い倒した。やがて落ち着いてきたコツツミさんは、半笑いのまま口を開く。

 

「その〝誰にも傷ついてほしくない〟の中に、あたしのことも入ってるのかよ。なにそれ、傑作なんだけど」

 

 再び大きな声で笑い出したコツツミさんに思わず顔を背けた。確かに、俺がコツツミさんの心配をするのはおかしいというのはある。他人の心配をする前に、まず自分の心配をするべきだ。むしろ心配されるのは俺であるべきなのだろう。けれど、俺は知っている。手を振るという淡い光が、くすんだ鏡に届いてしまうと言うことを。くすんだ鏡は決して傷つかないわけじゃない。傷ついていることに気が付かないだけだ。それがたとえ些細な傷であったとしても、無数に積み重なればどうなるか。ある時、パッキリ砕けてしまうかもしれない。そう一度でも考えてしまった以上、コツツミさんに頼るという選択は完全に消えた。余計な配慮だったかもしれない。澄んだ鏡の悪いところが出たと言われれば、俺には否定のしようがない。だがこれはもう、俺にはどうすることもできないのだ。自分の歴史には逆らえない。自分の歴史に逆らうということは、自分という存在を否定することになる。コツツミさんを気遣っているような言動だが、結局は自分のための行動でしかないのだ。

 

「……」

 

「はぁ。笑った、笑った。久々にこんな笑い疲れた。……それで? メツギくんはこれからどうする気?」

 

「わからない。今は何も、考えたくない」

 

「メツギくんは自分の選択、後悔してる?」

 

「いや、後悔はしてない……ただ」

 

「ただ?」

 

「次同じことをすれば、今度こそ俺は犯罪者だ」

 

 学校側の甘い対応。俺がここまで大きく出られたのは、そこに期待していた部分がある。未成年という特権を振りかざし、自分のワガママを押し通した。だが、確実に次はない。次は問答無用で罪に問われる。もし誰かが、もしくは自分が今回と同じ状況に追い込まれた時。その時俺はどんな決断を下すのだろう。自死という道を、俺は選べなかった。今度こそ、決定的な社会的死を目の前にして。それでも俺は、自分という存在を肯定することが出来るのだろうか。震える手に力を込めた。社会的な死を迎えることも、自分という存在を否定することも、どちらも俺には出来そうにない。ふと、背中に体温が広がる。コツツミさんの腕が肩から垂れて、抱き締められた。いつの間にか、背後にコツツミさんがいた。将来への不安に囚われていた意識が、現在へと戻ってくる。手の震えは止まっていた。

 

「ウチくる? どうせ行くとこないんでしょ?」

 

「それは……」

 

「家の片付けもまだ終わってないしさ? ほら、立って」

 

 コツツミさんに絡まれて、俺に勝てるわけがない。行くところがないという指摘も、残念ながらその通りだ。家の片付けという逃げ道も用意されて。俺は一切の抵抗もせずにコツツミさんに従い、歩き出す。引かれたその手は、暖かかった。コツツミさんの自称、慈悲深いという発言。それもあながち、間違いではないのかも……。

 

「もし仮にさぁ」

 

「?」

 

「顔面がブッサイクになったあたしがいじめられてたとして。メツギくんに〝助けて〟ってお願いしたら、メツギくんは助けてくれる?」

 

「……さぁな。案外、見捨てたりして」

 

「ナニ悪ぶってんの? メツギくんがそんな器用なことできるわけないじゃん」

 

 空を見上げて笑うコツツミさん。否定できないのが悔しい所。この質問の答えは、あらかじめ決められていたらしい。それなら一体、コツツミさんはどうして俺に質問なんかを……。

 

「エーちゃん」

 

「?」

 

「下の名前。エイタでしょ? だからエーちゃん」

 

「それはどういう──────」

 

「あたしのことはルミって呼べな? 呼ばないと返事しないから」

 

「……」

 

「♪ 〜」

 

 コツツミさんは、鼻歌混じりにズンズン進む。真意をもう一度問いただそうと開いた口が、キュッと引き締まった。〝ルミ〟って呼ばないといけないのだろうか。そんな馴れ馴れしい態度、澄んだ鏡には抵抗がある。この繋いだ手も、いつ離してくれるのだろう。周囲からの視線に、縮こまる思いだ。馴れ馴れしくするのは恥ずかしい、けど手を繋いだままも恥ずかしい。アワアワと躊躇している間にも、商店街に差し掛かる。結局、コツツミさんのマンションに帰るまで。コツツミさんは手を離してはくれなかった。

 

 

 

 コツツミさんのマンション。その玄関ドア。入室を促されたので入ると、背後でカチャリと鍵が閉まる音。振り返ると、笑顔のコツツミさん。……あぁ、そうだった。俺は肝心なことをすっかり忘れていた。コツツミさんは、どこまで行ってもコツツミさんだということに。

 

「はい。エーちゃんは今からあたしの奴隷ね?」

 

「……ははぁ」

 

 

 

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