ある仕事終わり。いつものように夕飯は何を食べようか考えていると、コツツミさんから〝おい〟と声が掛かる。振り返ると、細長い板状のモノを投げてきた。掴み損ね、慌ててお手玉して両手で捕まえる。見ると、スマホだ。だが見覚えがない。俺のでも、コツツミさんのでもない。なんだこれは。
「それやる。プレゼント」
「いきなりだな」
「エーちゃんのスマホ壊れてたでしょ?」
「あー。ちょっと前にいきなり壊れて困ってたんだ」
「契約と初期設定は済ませてある」
「社用ってことか?」
「や、私用でいいよ。エーちゃんとは表に出て困るような連絡しないから」
「そうか。ありがとな」
「はいはーい」
スマホを新しくする手間が省けた。スマホが壊れたままだと、ウチハやツキノキさんと連絡が取れないので。早い日で休みを取って、スマホを用意しようとしていたところなんだ。なんて渡りに船。あのコツツミさんが気が利かせるなんて。これは何かの前触れなのか? まぁいい。とりあえず二人の連絡先を再登録して、この旨を伝えよう。連絡取れなかった間に迷惑かけてたかもしれないし。二人にスマホを新しくしたと文章を送ると、すぐに通知がなった。送り主は、ツキノキさんだ。さっそく飛んで、内容を確認する。
『大事な話がある。二人っきりで話がしたい』
ツキノキさんらしくない強い口調だ。それだけ今回の話が大事ということか。仕事部屋から出て、廊下の隅で返信のメッセージを打ち込む。すると、肩からヌッと頭が生えてきた。
「……なんだよ」
「なんで隠すの?」
「ルミには関係ない」
「へーそういうことしちゃうんだー」
ヤバイ。これは絡まれる流れだ。早くツキノキさんに返信したいのに。なんて頭で考えていると、気味の悪いことにコツツミさんは大人しく引き下がった。引き下がって、俺達の仕事部屋まで戻って行った。何だったんだ? いまの。だがいまそんなことを考えても仕方がない。ツキノキさんへの返信を優先しよう。数回のやり取りの後。会う日時と日程が決まって、ホッと一安心。廊下で一人安心していると、ブルリと体が震えた。この季節、廊下は冷える。なんだか高カロリーなものが食べたくなってきた。グラタン、シチュー。ちょっと違うな。赤、トマト。確か、美味しそうなトマトクリームパスタの動画があったな。だけどパスタはイヤだ。パスタの乾麺は安いし手軽だからしょっちゅう食って飽きている。割引で大量に買ってしまったジャガイモの使い道にも悩んでるし……。スマホをスクロースさせると、〝ニョッキ〟の文字に手が止まる。なになに? ジャガイモと小麦粉を練ってつくったパスタの一種。モチモチとした食感が特徴的……。茹でて、潰して、混ぜて、こねて、伸ばして、切って、茹でて。あ、これかなり時間かかるやつだ。だが悲しきかな、俺の口はすでに〝ニョッキ〟を食べる口になってしまった。自分の心には、嘘をつけない。やるか、夕飯遅くなるけど。そうと決まれば話は早い。冷蔵庫の中を確認して、必要な材料をメモして。手早く外出準備を済ませ、玄関へと向かった。
「あ? いまから買い物いく気?」
「あぁ」
「外寒いのに?」
「あぁ」
「冷蔵庫にあるもので作れないの?」
「あぁ」
「でたよ、エーちゃんのワガママ。そんなバカみたいなことやめて、冷蔵庫にあるのでメシ作れよ」
それはそれで、文句言ってくるクセに。まだ俺は料理を始めて日が浅い。冷蔵庫の有り合わせで料理を作るだなんて、そんな器用なことできないのだ。なにより、俺がワクワクしない。何したってコツツミさんには文句を言われる。だったら俺が一番ワクワクすることで文句を言われるべきだ。近所のスーパーに急ぐ。買うものはそんな多くない。ジャガイモはたくさんあるから。強力粉・バター・トマトペースト・生クリーム・牛乳、釜茹でしらす、桜エビ。それと、彩りの青のりも忘れずに。帰宅。手を洗って、腕巻まくり。早速始めよう。本当なら同時並行で進めて効率よく調理するべきなのだろう。だがなにぶん、初めての料理は失敗が怖い。ここは時間を捨ててでも慎重に、確実に。まずはニョッキから。ジャガイモを輪切り。浸るくらいの水で、弱火で十分ほど加熱。熱々のうちにジャガイモを潰して、強力粉・オリーブオイル・塩を入れてこねる。こねた生地を棒状に伸ばして、包丁で切る。切った生地にフォークを押し付け模様をつけて、中火のお湯に投下。浮いてきたらさらに二分茹でて水気を切ればニョッキ完成。
「まだできないのー?」
「もうすぐできる」
「あたし腹減ったんだけどー」
「茶漬けでも食ってろ」
「なんなのエーちゃんのその態度!? これで不味かったら承知しないから!」
吐き捨てて消えるコツツミさん。別にコツツミさんの美味い不味いを基準に動いてない。邪魔が入ったが、調理再開だ。次は、トマトクリームソース。バターをフライパンに溶かして、トマトペーストを炒める。炒めて香りが立ったら生クリーム、牛乳で濃度調整。釜茹でしらすと桜エビも入れ、沸騰したら火を止めて味見。物足りなければ、塩を入れる。塩味を感じるようになればトマトクリームソースは出来上がりだ。出来上がったトマトクリームソースに、ニョッキを入れて加熱。あとはこれでもかと青のりを入れれば。ニョッキのトマトクリームソースの完成だ。冷めないうちに皿によそって、イライラしているであろうコツツミさんの所にまで運ぶ。
「お待たせ」
「遅い!」
「ごめんって」
「一品しか作ってないの? あれだけ時間あって?」
「食べたくないなら無理して食べることないんだぞ?」
「食べないとは言ってないじゃん!」
いらないのならと下げようとした手をコツツミさんが止めた。なら最初から黙って食べてほしい。俺は手を合わせて、〝いただきます〟と呟いた。その間にはもう、コツツミさんは野良犬のようにがっついている。よほどお腹が減っていたのだろう。罪悪感は微塵も湧いてこないが。スプーンでニョッキをすくって、口に運んだ。ニョッキのモッチリとした食感。トマトクリームの濃厚な旨味に、確かな塩味。釜揚げしらすと桜エビが、単調なソースにメリハリをつけている。これは……料理を始めて以来最高の出来だ。最後のソースまでスプーンで残さず平らげてしまいたくなる美味さ。渾身の料理の出来に一人満足していると、対面のコツツミさんが口を開いた。
「これまだあんの?」
「あぁ。明日の分も余分に作って……聞いてないし」
俺が返事し終わるより早く、コツツミさんは皿を持って退出。戻ってきた時には、皿にニョッキが山盛りだった。……それ、明日の俺の分まで食ってないか? 料理を無言で貪られて気分がいいわけがない。かといって、俺にはコツツミさんへの対抗手段がない。なので、〝これだからくすんだ鏡は〟と心の中で見下すことでこの怒りを鎮めることにした。ごちそうさまでした。完食、美味かった。今度はツキノキさんと一緒に食べよう。ツキノキさんとこの美味しいを共有したい。俺が完食したちょうどその頃、コツツミさんも料理を完食。皿を下げよう。洗い物だ。皿を持って台所へ向かう。その背後から、足音がついてきた。洗い物をしている横。コツツミさんが張り付いて、俺の服の端をつまむ。服、引っ張るなよ。服が伸びちゃうだろうが。コツツミさんのお姉さんにあった日を境に、コツツミさんの不審な行動が増えた気がする。あの日、コツツミさんの身になにか起こったのだろうか。ほとんど会話に不参加で、話を聞いていなかった俺には知りようがない。直接聞くか? いや、やめておこう。コツツミさんのすることを真面目に受け取ってはいけない。もしかしたら、〝なんとなく、気まぐれ〟なんてふざけた返答を寄越すかもしれない。くすんだ鏡の思考回路なんて、澄んだ鏡には理解不能だ。理解不能なものに時間を割くくらいなら、目の前のことに集中した方がまだ有意義だろう。幸い、コツツミさんがこれ以上なにかをしてくる訳じゃないし。触らぬ神に祟りなしだ。なにもせず、そっとしておくことにしよう。
皿洗いおわり。これでようやく自由時間。といっても、仕事場兼生活空間はコツツミさんとの共用。一人の時間を確保できるわけもなく。コツツミさんが気を利かせてくれるはずもなく。以前はコツツミさんに、なにかと理由をつけて絡まれていた。やれゲームの相手をしろだとか、やれ話し相手になれだとか。最近は特に距離を詰めてきて、やたらとベタベタされるようになって参っている。なので、自由時間は部屋の掃除に逃げることにした。部屋の掃除はコツツミさんとの交渉材料。掃除はコツツミさんのためという建前にもなる。これで合法的に一人になることが出来るわけだ。湯船ももうすぐ使えるようになる。俺にも大きな利益がある分、掃除にも精が出るというものだ。寒い冬には、やっぱり湯船に浸かって体を温めたい。なのでこうして、風呂場を掃除してるわけだが……。いま俺は、コツツミさんに監視されている。コツツミさんを風呂場から追い出しはしたが。脱衣所へのドア。その隙間から、こちらを覗き込んできている。たまにくしゃみや、鼻をすする音が廊下に響く。こんな風呂場の掃除なんか見て、なにが面白いのだろう。そんなに寒いのなら、部屋に籠って奇声を上げていればいいのに。コツツミさんに気を取られて、掃除がぜんぜん進まない。気にしたら負けだと背中を向けて、ようやく風呂場の掃除が終わった。まぁ、ほぼ掃除とは名ばかりの、ゴミの大移動に過ぎないが。買取なんて条件をつけたことを、今更ひどく後悔している。それでも、風呂場が使えるようになったことには代わりない。今夜からさっそく湯を張って、肩まで温まる幸せを噛み締めよう。もう、こんな時間か。早速風呂場に湯を入れる。湯が溜まるまでの間は、勉強を進めておこう。当面の目標は、高卒認定試験に合格することだ。風呂場のドアを開けばコツツミさん。コツツミさんの横をすり抜けようとする俺に、コツツミさんの手が伸びて服を摘まれる。ああ、もう。なんなんだよ。
「風呂入るんでしょ?」
「え? あぁ。先入るか?」
「別に」
「なんなんだよ」
「なんでもない」
それだけ言って、コツツミさんはパッと俺の服から手を離して部屋へ戻って行った。いつもの騒がしいコツツミさんは一体どこへ? 体調不良というわけではなさそうだが。元気のないコツツミさんは、嵐の前の静けさのような。何か不吉な予兆のような気がしてきた。考え過ぎ、だよな。一度でも気になってしまえば意識が引っ張られてしまうのは澄んだ鏡の悪い癖。そのせいで勉強しようにもほとんど勉強に集中できない。あとコツツミさんに見られているような気がして落ち着かなかった。一人の時間、一人の空間が欲しい。散らかってない床にマットレスを敷いて、落ち着いて横になれるだけでだいぶ違う。掃除するなら、向かいの部屋が良さそうだ。早速明日から掃除に取り掛かろう。風呂が沸いた。さっさと風呂に入って、そして寝よう。脱衣所の鍵を掛け、洗濯カゴに服を放り込んで風呂場に入る。頭洗って、体洗って。念願の湯船に肩まで浸かった。
「ふ──────」
目を閉じて脱力していると、なにやら〝ガチャガチャ〟といじる音が聞こえてきた。脱衣所からだ。考えたくないが、コツツミさんには前科がある。かと言って、素っ裸の俺に取れる手段はない。コツツミさんに対してはなにをしたって無駄だろうなと諦めながらも。それでも受け入れる理由にはならないと、コツツミさんにぶつける言葉を選ぶわずかな時間。そのわずかな時間で、コツツミさんは風呂場に突撃してきた。
「ほわぁ!? なんでお前服着てないんだよ!」
「風呂に入るんだから当然でしょ」
「俺が入ってるだろ!」
「鍵空いてたから」
「お前が開けたんだろーが!」
視界を手でさえぎって、湯船の中で体を丸める。コツツミさんの裸体が脳裏にチラつく。体はコツツミさんだろうと問答無用で反応している。これじゃ動けない。退路も絶たれた。考えうる限り最悪の状況だ。シャワーの音が室内に響き渡る。いくら面白いのためだからって、コイツ体張りすぎだろ。
「水ぬる過ぎー」
「……」
「いつまで縮こまってんの?」
「……」
「エーちゃんには刺激が強過ぎたかー」
シャワーが流れる音。髪を洗う音。体を洗う音。……毛を剃る音。その全部が止むと、ザブンと横に波が立つ。コツツミさんが湯船に入ってきた。体の反応はおさまっている。退路もガラ空き。この瞬間しかない。湯船から立ち上がって片足を湯船の外へ。直後、コツツミさんに腕を掴まれ湯船に引きずり込まれた。派手な音と水飛沫。コツツミさんの愉快そうな笑い声。俺は鼻の奥に水が入って痛みに悶える。しばらくして痛みが引いても、コツツミさんは掴んだ腕を離してくれなかった。
「もーエーちゃんテンパリすぎ〜」
「手、離せって」
「人にお願いするときはちゃんと目を見てお願いしないとねぇ〜?」
「できないからこうしてるんだろ」
「できないじゃなくてしないの間違いじゃない?」
「どうせ目を見てお願いしたところで離さないくせに」
「わかんないよ? 試してみれば? いまのあたしはとっても機嫌いいからサ?」
「……」
「ほーんと。エーちゃんってバカみたい」
目を閉じたまま再び湯船に丸くなった。コツツミさんの気まぐれなんか当てにできるか。最後にハシゴを外されることは分かりきってる。コツツミさんに捕まってできることは俺にはない。ただ水槽で揺れる水草のように、植物のような心で平穏を望んだ。
「エーちゃんはずっとそうやって、あたしのそばでバカやってればいいの」
コツツミさんはボソリと呟いて、俺に体を寄せてきた。湯船の隅で小さくなっている俺を、さらに押しつぶす勢いで体を密着させてくる。その後は頭をペタペタ触り、肩・腰・脚も同じように触られた。ひとしきり暴れて満足したのか、コツツミさんは無言のままそそくさと風呂を出て行った。チラリと周囲を確認して、緊張していた体を解く。鏡を見ると、ゲッソリと疲れ果てた顔があった。指なんか風呂に浸かり過ぎてもうシワシワだ。重い体を持ち上げて風呂を出る。癒されるはずだった風呂から疲れ果てて出る羽目になるなんて。これじゃあ入る意味がないじゃないか。大切な一人の時間を妨害されたことに、腹の奥底が怒りで震える。些細なことへの不平不満が、これをキッカケにして溢れ出す。もう我慢できない! 新しい服に着替えて、洗濯カゴから古い服を回収する。正直もう、限界だった。俺は今まで、コツツミさんと騙し騙しの生活をつづけてきた。だけど今回の件で、くすんだ鏡と澄んだ鏡が共存できないことを確信した。コツツミさんに拾ってもらった恩は確かにある。だが、それとこれとは話は別。俺がこのまま我慢をつづけることは、双方のためにならない。むしろ、よくここまで生活できたと褒められるべきだろう。それくらい、俺たちの共同生活は異常だったんだ。荷物をまとめよう。仕事部屋に入ると、ベットでスマホをいじるコツツミさんと目が合った。
「コンビニ行くの?」
「ちょっとな」
「じゃチョコミントの新作買ってきてよ」
「自分で買えよ」
「あーあ。そんなこと言っちゃうんだー」
コツツミさんは小馬鹿にするようにニヤニヤと笑う。この調子だ。俺が仕事をやめることをコツツミさんは問題にしないとは思うが、絶対にイラつくような言葉の一つや二つは飛び出てくる。いまの俺なら、そんなことでもキレてしまうのには十分過ぎた。俺がキレたところで意味はない。俺の主張はコツツミさんには決して届かないだろうし、コツツミさんもいきなりなにをキレているんだと絶対に不思議がる。本当なら正式な書類で辞める必要があるはずだが、元はと言えば強引に結ばされた契約。端から従ってやる義理もない。とはいえ、途中で仕事を投げ出して罪悪感がない訳じゃない。せめてもの償いとして、今月分の給料は受け取らないことにしよう。これが俺に出来る最大の誠意だ。許してくれとは言わないが、もう俺には関わらないでほしい。俺はこのマンションから出ていくための準備を淡々と進めた。荷物と呼べるものはほとんどない。元々が単身で転がり込んだということもあり、大半が捨ててしまってもいいもの。 最低限の意思を伝える書き置きさえ終われば、いつでもここから出ていける。結局、部屋の掃除は最後まで終わらなかったな。不要品を買い取ってもらうという約束がなければ、もう少し進んでいたかと思うが。それでも部屋の掃除は終わりそうにないか。俺がいなくなれば、またゴミ屋敷に逆戻りだろう。そうさ、コツツミさんの家は、最初からゴミ屋敷になる運命だったんだ。だから途中で掃除を投げ出しても、なんの問題もない。そうやって、クズのように割り切ることにした。準備完了。仕事部屋のドアを開ける。
「……ベッドで待ってるから」
コツツミさんの言葉を無視して玄関へ。玄関に紙を伏せて置き。外へ出た。白い息が空へ登る。終電ギリギリだな。間に合わなかったら、徒歩で帰らないとだ。駅へ急いだ。人のいない駅。人のいないホーム。人のいない車内。ホームに降り、改札を抜け、河川敷。学校、公園。そして、自宅に着いた。だがこの時間だ。こんな時間に長時間の説教なんてされたくない。向こうも長時間の説教なんかしたくはないはず。なので、今夜はウチハの家で寝泊まりすることにした。ウチハに〝もしもの時は〟 と渡されていた合鍵を使う。朝の早いウチハのことだ。とっくのとうに寝ているはず。ウチハを起こしてしまわないように、ゆっくりと鍵穴を捻った。
「「あ」」
玄関を開けると、ウチハが座っていた。こんな時間まで、一体なにしてるんだ。
「エイタ、おかえり」
「おかえりじゃないだろ。ここでなにしてんだ」
「ちょっと、考え事」
「ならここでしなくたっていいだろ。中に入って暖かくしてろ」
「エイタはどうしてここに?」
「コツツミさんの仕事を辞めてきた」
「へ?」
「俺が甘かったんだ。コツツミさんに少しでも気を許したのが間違いだった。でももうこれで、お終いだ」
「それって、コツツミさんから言われたの?」
「いいや」
「じゃあ、エイタから言ったの?」
「いいや」
「……」
「〝辞める〟だなんて直接言ったら面倒なことになりそうだったからな。だから、書き置きだけして逃げてきた」
「それって、一番やっちゃいけないことしてない?」
「そうか? 辞める意思表示はしたし、給料も返上したし。なにより、俺の代わりなんていくらでもいる」
「えっと。いくらでも代わりがいる人に、わざわざコツツミさんは声かけないと思うよ?」
「じゃあなんだ? コツツミさんは俺の事を得別扱いしてたってことか?」
「うん」
「ははは、そりゃないだろ」
「へぇ〜? そうかなぁー?」
「そうだとも。だいたい、俺達の価値観でコツツミさんを語るべきじゃない」
「うーん?」
「ほら、わかったらさっさと寝ろ」
「えー? ボクもうちょっとエイタとおしゃべりしたいなー?」
「明日起きれなくなるぞ」
「いいよ。いまはエイタと話す方がずっと大事だから」
「はぁ、わかったよ。なら立て。ちょっとだけ喋ってやる」
ウチハには散々迷惑をかけた。おしゃべり程度のワガママくらい、笑って許してやるべきだ。ウチハを立たせた。寝室まで手を繋ぎ、ウチハを布団まで案内する。暖房をつけ、寝ているウチハのそばに腰を下した。
「エイタは明日、キミさんと会うんだよね?」
「なんでウチハが知ってるんだ?」
「えへへ〜。ちょっと前にキミさんと話したんだー」
「ツキノキさんとなに話したんだよ」
「それは明日のお楽しみ」
「なんだそりゃ」
「いまボクの口からは言えないんだ。ごめんね?」
そう言ってウチハはチロリと舌を出した。ツキノキさんとウチハの会話。気にならないと言ったら嘘になるが、かと言ってウチハを問いただす気にはならなかった。ウチハの態度から、悪い方向の話ではないことはわかる。それに、明日になれば会話の内容がわかるらしい。この対応も、きっとツキノキさんからの要請だろう。だったらここで、強引にウチハから聞き出す必要はない。しかしなんだ? 俺達に関係する大事な話。まさか、ツキノキさんの婚約、か? いや、それならなおさら祝福すべきだろうと頭を振った。
「エイタはさぁ」
「?」
「エイタは、ボクに幸せになってほしい?」
「そりゃもちろん」
「えへへ。それじゃあ、キミさんは?」
「当たり前だろ。なに言ってんだ」
「……コツツミさんは?」
「? どうしてそこでコツツミさんが出てくるんだ?」
「えっと、なんとなく?」
「なんだそりゃ」
「エイタは、コツツミさんには幸せになってほしくないの?」
「そんなことはない」
「じゃあ、やっぱりコツツミさんにも幸せになってほしいんだ」
「余計なお世話かもな。コツツミさんなら勝手に幸せを掴み取るだろ」
「じゃあ、その幸せが逃げちゃったりしたら?」
「コツツミさんなら迷いなく追いかけるだろうな、間違いなく。追いかけて、捕まえて、縛り上げて。幸せがどこにも逃げれないようにしそうだ」
「……えっと、いまからでもコツツミさんの所に戻ったほうがいいんじゃない?」
「なんでだよ。てか、そもそももう終電過ぎてるだろ」
「やー。最後のあいさつくらいはしておいたほうが」
「どうしてそんなにコツツミさんの肩を持つんだ。二人ってそんなに仲良かったか?」
「なんか、コツツミさんがカワイソウだなーなんて」
「コツツミさんはそんな柔じゃないだろ」
「えっと。本当にエイタ気付いてないの?」
「? なににだ?」
「これはちょっと、コツツミさんに同情しちゃうかなぁー」
「???」
「今度コツツミさんにあったら、大人しくちゃんと縛られてね?」
「なんでだよ」
「はい、おしゃべり終わり。ボク早く寝ないと。明日やらないといけないことできちゃったし」
「そうか。俺も寝よう、今日は疲れた」
「うん。それじゃあエイタ、おやすみ」
「あぁ、おやすみ」
部屋を出た。明日はツキノキとの約束の日。どうせなら、今日作ったニョッキを食べてほしい。ならなおさら、夜更かしするわけにはいかない。リビングのソファーで寝るのは、暖かくしろと言った手前。あとでウチハに怒られそう。なので、普段は使われていない客間のベットをお借りして、この日は眠ることにするのだった。
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翌日。昼下がり。ツキノキさんのアパート。ニョッキの詰まったタッパー片手に。約束の時間にチャイムを鳴らした。中から足音。開いた扉から、ジャージ姿のツキノキさんが出迎える。
「こんにちは。メツギさん」
「あ、こんにちは。ツキノキさん」
「外は寒いだろう。早く入りなさい」
「はい。お邪魔します」
「? それは?」
「ニョッキです。温めて食べてください」
「ありがとう。早速いただこう」
「お昼まだだったんですか?」
「あぁ、ドウゾノさんから連絡を受けていてね。情報を整理していたところだ」
「ウチハが何かご迷惑を?」
「いいや、少々計画が早まっただけだよ。それと、メツギさんはドウゾノさんにあとでお礼を言っておくように」
「え?」
「まずは座りたまえ。順を追って話していこう」
「はい。お願いします」
ピンポーン
ツキノキさんと向かい合い、これから大事な話が始まるというその瞬間。まるで頃合いを見計らっていたかのように、ツキノキさんの家のチャイムが鳴った。