エーちゃんが突然消えた翌日。その正午過ぎ。あたしはGPSの発信を頼りに、エーちゃんの行方を追っていた。記録アプリは、このしょぼくれたアパートを示している。表札を確認。あった。ツキノキとかいう女の名前。スマホで時間を確認。丁度エーちゃんと女の約束した時間だ。いま二人は、このアパートで大事な話をしているはずだ。別にGPSを使えば、ツキノキに会う前のエーちゃんを連れ帰ることはできた。けど、あたしはそんなことしない。エーちゃんが頑なに喋らないツキノキさんとかいう人物に、一度は会っておきたかったから。一度会って、そのツキノキとかいうヤツに〝格の違い〟を見せつけてやるんだ。でないと、エーちゃんはあたしよりもツキノキを選んだなんていう疑念を残すことになってしまう。バッグから手鏡を取り出す。大人っぽい落ち着いたコーデ。薄めの化粧。うなじが覗くポニーテール。どんなヤツが出てくるかなんてわからない。だけど、この超絶美少女なあたしがそこらの女に負けるだなんてことは絶ッ対にありえない。早くこのアパートにいる女に格の違いを見せつけて、エーちゃんを連れて帰らなきゃ。
これからが大事な時だっていうのに。いくらエーちゃんの悪ふざけとはいえ、これは流石にやりすぎだ。まあ、正面からじゃ絶対勝てないあたしを揺さぶってやりたいと頑張っちゃうところは可愛いけれど。でもあの夜は、このあたしがあれだけお膳立てしてエーちゃんのことを誘ってやったんだ。据え膳も食べない恥知らずなエーちゃんには、たっぷりお仕置きしてあげないとね? チャイムを鳴らした。返事はない。中は静まり返っている。居留守でも決め込む気? スマホで脅してやろうかとバッグに手を伸ばすと、玄関の扉が静かに開く。すかさず両手でこじ開けて、アパートの中に押し入った。なんだかほのかに、甘い焼き菓子のような香りがする。あたしは扉を開けた人物を押し除けて、部屋の奥にいるであろうエーちゃんに話しかけた。
「エーちゃーん? いるんでしょー?」
「君は……」
「おばさんがエーちゃんの言ってたツキノキさん? へぇ〜」
じっくり全身を観察する。ダッサイ芋ジャージ。すっぴんノーメーク。無造作に垂らされた黒髪の長髪。女にしては高い背。全体的な体つきは平坦で、胸は貧相だけどケツがでかい。総合評価は論外だ。なんだ、あたしと比べるまでもない。というかこのおばさん、勝負の土俵に上がろうとしてないじゃん。唯一気になったのは、エーちゃんが釘付けになっていたパッケージの女に雰囲気が似ているってことだけ。でも、言っちゃえば気になるのはそこだけ。ただ単にエロい商品の中に知り合いっぽい人を見つけて目に止まったとか。ウブなエーちゃんのことだ、大体そんなところだろう。こうなると、念入りに身支度してきたことがバカらしくなってきた。どんなコーデか考えて、どんな化粧か考えて、どんな髪型がいいか考えてきたあたしの時間を返して欲しい。
「なるほど。私の間違いでなければ、コツツミさんでいいのかな?」
「だったらなに?」
「これは失礼した、メツギさんの友人とは知らずに。メツギさんがいつもお世話になっています」
「あーはいはい。どうもどうも」
妙に保護者ズラしたおばさんを軽くあしらっていると、廊下の奥からエーちゃんが顔を出す。エーちゃんはあたしを見てギョッと目を見開いた。もうこのおばさんのことはわかった。この場所にもう用はない。エーちゃんを引っ張り出して、さっさと家に帰ろう。エーちゃんには、頼みたい雑用が山のようにある。靴を脱いで玄関に上がり、全然動かないエーちゃんに手を伸ばす。
「丁度いい。コツツミさんにも話しておこう」
「あ? なに? いきなり」
「私達の今後に関する話だ」
「あ? なにいってんのおばさん。あたし達、忙しいんだけど」
「なら要点だけ言おう」
「ババアの暇つぶしに付き合ってる時間なんてない!!」
「……やめなさい」
「あ? なに 〝やめなさい〟って。事実でしょ?」
「どうか落ち着いてほしい」
「落ち着くのはおばさんの方でしょ〜? 未成年のエーちゃん部屋に連れ込んだりしてさぁ〜? ムラムラした年増とかキモすぎんだろ」
「私の目を見るんだ」
「どこ見て行ってんの? お前の方こそあたしの目を見て喋れって」
「私は気にしていない。だから、その包丁を置きなさい」
「あ?」
ツキノキの視線の先へ振り返る。振り返るとそこには、両手で包丁を持ったエーちゃんが死んだ目で立っていた。エーちゃんの目はあたしを見ていない。あたしの後ろにいる、ツキノキのことを見ている。エーちゃんは叱られた子供みたいにしょんぼりして、包丁をキッチンに置いた。ツキノキはその包丁に歩み寄ると、キッチンの中にしまう。その一連のやり取りを見て、あたしは口をへの字に曲げた。まず、エーちゃんのあの態度。包丁を向けるほどの殺意であったり、死んだ目をしたエーちゃんだったり、大人しく従うエーちゃんだったり。そのどれも、あたしの知らないエーちゃんだった。なにより気に食わないのが、このツキノキとかいうヤツが終始平然としていることだ。眉の一つも動かさずに、あたしの知らないエーちゃんと対峙している。それはつまり、エーちゃんとの深い関係性の匂わせ。
エーちゃんとツキノキの出会いは、今年の春頃。正確な時期はわからない。あのエーちゃんの性格からしても、エーちゃんから積極的に声をかけたなんてことはなさそう。あたしとツキノキ、初対面の好感度に差はない。エーちゃんとツキノキが一緒の時間と、あたしとエーちゃんが一緒にいた時間では、圧倒的にあたしとエーちゃんが一緒にいた時間の方が多いはず。なのにエーちゃんとツキノキの方が深い関係性だって言いたいのなら、考えられるのは一つしかない。ツキノキがエーちゃんに迫ったんだ! コイツ、あたし達がいい感じに仲良くなってる間に、裏でエーちゃんを喰ってやがった! それならエーちゃんがめかしこんで出掛けて、出掛けた先で何があったか喋れないのにも納得がいく。あたしのことが好きなのだとしたら、好きでもない相手に汚されたなんて絶対あたしに言えないよね。あたしがもっと早く、エーちゃんにスマホを送っていればこんなことには……。
「メツギさん。冗談でも包丁を人に向けるなんてことはやめて欲しい」
「す、すみませんでした。けどアイツ、ツキノキさんのことを侮辱してッ」
「エーちゃんから離れろ!」
「ツキノキさんに近づくんじゃねぇ!」
「エーちゃんごめんね? あたしがもっと早くエーちゃんにスマホを渡していれば」
「は? なんでそこでスマホが出てくる」
「GPSと録音と記録機能でエーちゃんのこと守れたのにね」
「おい。もしかして、俺がいま使ってるスマホって……」
「うん。エーちゃんのスマホの情報、全部あたしが抜き取ってるの」
「……」
あたしは得意気にそう言い放った。エーちゃんは能面のように感情を失って顔を無にする。そうだよね。あたしのことが大好きなのに、裏でツキノキに体を許しちゃったのを知られたんだから。エーちゃんがそんな顔しちゃうのも無理はない。でもエーちゃんは悪くないでしょ。悪いのは大人しいエーちゃんで性欲を満たそうとした、このツキノキとかいうクソアマなんだから。エーちゃんとツキノキの間に割り込んで、ツキノキと対峙する。ツキノキは目を点にして、口をポカンと開けていた。なに? そのマヌケ面。
「あたしが来たからには、もうオマエの好きにはさせない」
「……どうやらメツギさんは、相当罪作りな人のようだ」
「え? それってどういう「ヘンなこと言って煙に巻こうったってそうはいかないから!」
「ふむ。では一度、目的を整理しよう」
「あ゛!?」
「私とメツギさんは大事な話があってここにいる。コツツミさんはなぜここへ?」
いきなり仕切られて、水を向けられて。イライラしなかったわけじゃない。だけど、ここで怒りを爆発させたら、会話が進まなくなってしまう。だから、ここは大人なあたしがグッと堪えることで、話を前に進めることにした。
「あたしはエーちゃんを連れ戻しに来たの」
「私はドウゾノさんからある程度は聞かされている。メツギさんは聞いているかい?」
「え!? い、いいえ。俺はいま初めて知りました」
「おい、クソアマ! エーちゃんとくっつくな!」
「お前マジでッ」
「大丈夫! エーちゃんはあたしが守るから!」
エーちゃんの頭を胸に抱えて、エーちゃんをツキノキから遠ざけた。心配で暴れるエーちゃんをギュッと抑え込んで、視線は〝キッ〟とツキノキを睨みつける。
「ではこうしよう。メツギさんを守るのも、連れ戻すのも構わない。だがその前に、私の話を聞いて欲しい」
「あ? 普通にイヤなんだけど」
「モガガッ!?」
「私達の今後を決める大事なことなんだ」
「オマエのくだらない妄想にあたし達を巻き込むな」
「いいや。ここにいる全員に関係する」
「くだらな。帰るよエーちゃん」
「お、おい!」
「ストーカー規制法」
「……あ?」
「私から見るに、コツツミさんはストーカー規制法に違反している」
「お前が判断することじゃないんだけど」
「その意見には同意する」
「じゃあ黙ってろよ」
「ストーカーか、ストーカーでないか。判断するのは司法の仕事。そして発言権は、メツギさんにある」
「なにわかった気になってんの?」
「それはコツツミさんの方だろ」
玄関に押し込んでいたエーちゃんが、あたしの苗字を呼んで振り返る。エーちゃんはあたしに向き直って、反抗的な目を向けた。わかった気になってる? 誰が? このあたしが? 冗談でしょ。いくらエーちゃんの駆け引きがヘタだからって、これはちょっとあからさますぎ。それじゃあまるで、あたしがエーちゃんに嫌われてるみたいじゃん。
「もらったスマホにGPSやらがついてるなんて、俺は聞かされてない」
「でもエーちゃんは気にしないでしょ?」
「言ってる意味がわからないんだが」
「エーちゃんはあたしのことが好きで好きでたまらないの。だからこれくらい笑って許してくれるはず」
「いつ俺がコツツミさんに好きって言った?」
「あ? そりゃ、直接は言われてはないけど」
「この際だからはっきり伝える。俺はコツツミさんを恋愛対象として見たことは一度たりともない」
「またまたぁ〜」
「その自信はどっから湧いてくるんだ」
「自信じゃないよ。事実だから」
「俺には別に、好きな人がいる」
「そういう駆け引きもういいから」
「あの、ツキノキさん助けてください。コイツ話が通じません」
「厳しいことを言おう。コツツミさんがここまで拗れてしまったのは、メツギさんの責任だ」
「お、俺のせいなんですか?」
「おい。さっきから黙ってれば」
「?」
「エーちゃんツキノキを意識しすぎ。露骨すぎてウザったい」
「え゛!?」
「……」
「そ、そう見えたのか?」
「あ?」
「俺がツキノキさんを意識しているように、見えたのか?」
「だからそうって言ってんじゃん。デレデレすぎてワザとらしいけど」
あからさまな演技を笑い飛ばした。なに、簡単なことだ。エーちゃんが寝取られたのなら、今度はあたしが寝取り返してやればいいんだ。年増ムラムラ性欲おばさんの肉欲じゃなくて、あたし達の積み上げてきた確かな愛を思い出させる。そうすればエーちゃんはあたしのもの。あとはツキノキを未成年淫行で警察に突き出せば一件落着。エーちゃんの初体験を奪った罪深さは、刑務所の中でじっくり償って貰うことにしよう。あたしは完全勝利を確信してエーちゃんの腕を引っ張った。引っ張って、背後に抱きついて、エーちゃんの匂いを胸いっぱいに吸い込む。エーちゃんの肩越しから、ツキノキへと勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ツキノキさんは、いつ俺が意識してるってことに気付きましたか?」
「サンダルを貸してあげた時、かな」
「そ、そんな早くから?」
「すまない。いつ言うべきかと迷っていたんだ。本当にすまない」
「駄々漏れてましたか?」
「まあ……そうだね」
「──────ッッッ!!」
「エーちゃんそんなクッサイ三文芝居もうしなくていいから。さっさと帰ろ?」
「俺の動きが、芝居に見えるのか?」
「うん。だっていつものエーちゃんと違うじゃん」
「……俺が芝居できるほど器用に見えるのか?」
「え? だって、ねえ?」
「俺が芝居できるほど器用に見えるのかって」
「それは、あたしのことを騙すためで」
「俺にそんな能力はない」
「でもでも。大好きなあたしがすぐそばに居たのに、ずっとツンツンしてたじゃん!」
「そんな演技力があったら、俺は学校を退学になんかなってない」
「それなら、エーちゃんがあたしにしつこく粘着してきてたのは?」
「賢さの答えを探すためだろ」
「それじゃあ、あたしの部屋を掃除してくれたのは?」
「それも賢さのためだろ」
「じゃあ、河川敷であたしの誘いを受けたのは?」
「コツツミさんが一番都合が良かったからだが?」
「なら、姉貴と話してた内容は?」
「あれは、他の好きな人を思い浮かべて話してただけで」
「その好きな人があたしってオチなんでしょ?」
「いや、違う。……俺の好きな人は、ツキノキさんだ」
「イヤイヤイヤイヤイヤ。そんなわけないじゃん」
「……」
「だってほら、あたしとエーちゃんはずっとそばに居たわけでしょ?」
「……」
「なのに、何を間違えたらツキノキの方を好きになっちゃうわけ?」
「……」
「あたしのこと好きじゃなきゃおかしい。こんなおばさんのこと好きになるんじゃなくて」
「お前いい加減にしろよ」
「落ちつくんだメツギさん。コツツミさんのような若者から見れば、私も十分おばさんだよ」
「俺は断じてそうは思いません。ツキノキさんは温かくて、優しくて、可愛くて、カッコよくて、純粋で、真っ直ぐで、責任感があって。けどとっても親しみやすくて、ずっとそばにいたいなって思わせてくれる。……そんな、素敵な人です」
「ふふ、ありがとう」
スルリと抜けた腕から、エーちゃんが離れていく。エーちゃんとツキノキの二人は初々しく寄り添いあって、恥ずかしそうに微笑みを浮かべ。あたしは目の前で繰り広げられる光景を受け入れたくなかった。エーちゃんに愛されていたはずのあたしが、初めからどこにもいなかっただなんて。このイモでダサくて色気もないおばさんに負けただなんて。そんなのあたしの女としてのプライドが許せない。そうだ、そうだよ。エーちゃんは、あたしがあまりに高嶺の花だったから、あんなつまらないおばさんで妥協したんだ。エーちゃんは、あたしのことを好きって気持ちを押し殺してる。なら、エーちゃんがあたしに相応しい存在になれば、あんなつまらないおばさんなんか相手にしない。あんなおばさん捨てて、あたしの所に帰ってきてくれるはず。ならエーちゃんをあたしが育ててやればいいんだ。エーちゃんに実績を積ませていって、あたしの隣に相応しい男に育ててやればいいんだ。そうやって初めて、エーちゃんはあたしに〝好き〟って言えるようになるんだ。なら、やることは簡単。エーちゃんの退職なんか握りつぶして、またエーちゃんをあたしの元で働かせればいい。
「さて、気を取り直して本題に──────」
「ところでさ、エーちゃん?」
「……ツキノキさんの邪魔するなよ」
あたしの声に睨みを効かせ、あたしを警戒した低い声で返事するエーちゃん。へへへへへ、エーちゃんはそんなつまんない女で満足するつまんない男じゃない。エーちゃんはあたしの隣で、無茶苦茶に振り回されて、必死にしがみついてるのがお似合いなの。
「あたしと別れた後の人生はどうする気なの?」
「高校の卒業資格取って」
「それで?」
「大学にいく資金を貯めて」
「それで?」
「大学行って」
「それで?」
「就職できたらなって」
「はいバカ。高校の卒業資格は別に好きにすればいいけど、大学の資金貯めるのはバカ。でもってそっから大学入って就職するなんてのはもう大馬鹿」
「確かに俺は、大馬鹿なのかもしれない。けれど、俺は人より不器用で、そのせいで周りにたくさん迷惑をかけてきた。これ以上誰かに迷惑をかけるくらいなら、俺は自分が大馬鹿になろうと構わない」
「絶望的なバカ。迷惑かけるとか、かけないとか。そういう次元の話じゃない」
「じゃあなんなんだよ」
「エーちゃんには、社会人になるって自覚がまるでない」
「……」
「大学行く金貯めるって簡単に言うけど。エーちゃんは何年掛かるか分かってんの? 同年代から引き離されて、周囲は年下ばっか。大学で孤立して、会社でも孤立する気? それ受け入れて、やっとの想いで大学入って、就職なんてことになってもさ? 取らないよ、誰もオマエの事なんて。高校で問題起こして退学してるし、借金してないから覚悟が見えない。なにか他に目的があるわけでもないのに、ダラダラバイトして年だけは食ってる。そんなエーちゃんがその年の新卒に勝てる要素が一つでもあるなら教えてほしいんだけど」
「……」
「メツギさん」
「ツキノキさんにも、俺が大馬鹿に見えますか?」
「私はそうは思わないよ。だが、問題はそこではない」
「どう見ても大問題だろボケ。エーちゃんに擦り寄んな」
「メツギさんが心からそれを望むのなら、私達には止めることはできないね」
「おい! 無責任なこと言うなよ!」
「そう、それだ。メツギさんはとても無責任なんだ。メツギさんがそれでよくても、私達はそれをよくは思わない。ここからが、今日の大事な話に繋がってくる」
そう言えば、大事な話があるとか言ってたな。私達なんて言葉をデカくして大袈裟にして、ドウゾノさんの名前も出てきてたけど。このツキノキさんとか言う人は、一体何を言い出すのやら。
「私達は、メツギさんと幸せになりたいんだ」
「あ?」「はい?」
「私達四人は協力して、力を合わせて幸せを目指すべきだと思う」
開いた口が塞がらないんだけど。一体ツキノキからどんな言葉が飛び出すかと思ったら、それはエーちゃんを中心にしたハーレムの提案だった。それも話の流れから、どうやらあたしもドウゾノさんも参加してるっぽい。正妻の余裕とでもいいたいのか、男の夢を叶える理解のある女を気取りたいのか。当のツキノキは真剣な表情で話の中心に立っている。いずれにせよ、これは付け入るチャンスだ。ストーカー規制法だかなんだか理由をつけて、あたしを排除するって言う手も十分考えられたんだ。ツキノキがあたしと対立しないのなら、あたしがエーちゃんを急いで取り戻す必要はなくなった。ならここはヘンに突っ掛かるべきじゃない。ヘンに突っ掛かって、あたしに有利なハーレム案を撤回させるわけにはいかない。
「あ、あの。ツキノキさん?」
「ん? なんだいメツギさん」
「いま、私達四人でって言いましたか?」
「あぁ。確かに言った」
「もしかしてその四人の中には、ウチハもコツツミさんも入ってるってことですか?」
「あぁ。私とメツギさん、ドウゾノさん。そして最後がコツツミさんだ」
「百歩譲って、俺がその提案を飲んだとして。俺にはわからないことが二つあります」
「聞こう」
「まず、コツツミさんに好かれる意味がわかりません。俺とコツツミさんの相性は最悪なんです。恋愛要素が入り込む余地があるはずがない。次に、みんなとの幸せに俺がいる必要性を感じません。ツキノキさんにもウチハにも。そして、コツツミさんにも。俺よりもっと相応しい男がいるはずです」
「ふむ、もっともな意見だ。メツギさんの疑問に順番に答えていこう。構わないかな? コツツミさん」
ツキノキがあたしに確認を取った。それにあたしは無言で頷く。なんだかエーちゃんから聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたが、歯を食いしばってグッと堪える。どうやらこのクソボケより、ツキノキの方が全体像がよく見えているみたい。ここは今後エーちゃんを寝取り返す時のためにも、ツキノキのお手並み拝見といこう。
「まず一つ目の疑問。メツギさんはコツツミさんに好かれる意味がわからないと言うが。私はここに致命的な誤りがあると考えている」
「致命的な誤り?」
「そうだ。相性が最悪と聞いてほぼ確信している」
「相性が最悪なことと好かれることは両立しないはずでは?」
「それは一方向からの解釈に過ぎない」
「こ、コツツミさんを都合よく利用していた俺のことを、コツツミさんがどうやって好意的に解釈するって言うんですか」
エーちゃんの声が震え、怯え始めた。エーちゃんはエーちゃんなりに、あたしのことを利用してるつもりだったんだ。まぁ、そこはお互い様か。このことについては、あたしもエーちゃんのことをとやかくは言えない。ツキノキは動揺しているエーちゃんの前で静かに目を閉じた。そしてパッと両目を開くと、ゆっくりとその唇を持ち上げる。
「ドSとドMは両立する」
エーちゃんの顔が見る見るうちに青くなっていった。そのうちエーちゃんは俯いて、自分の身を抱いてプルプルとその場で震えだす。
「気分はどうだい?」
「ある日突然、余命を宣告されたみたいに最悪な気分です」
「それはコツツミさんに失礼だ。この場でコツツミさんに謝りなさい」
「……ごめんなさい」
叱られた子供のようにバツの悪いエーちゃんは、唇を尖らせながらペコリと頭を下げた。コイツ、なんだかツキノキにはバカに素直じゃね? 明らかな態度の違いに、思わずエーちゃんのことを睨む。
「つ、ツキノキさん?」
「ん? なにかな?」
「お、俺はこれから、どうすればいいんですか?」
「少なくとも、この縁は簡単に切れるものではない。諦めなさい」
「そ、そんなぁ……」
ガックシと項垂れたエーちゃん。その背中に、ツキノキは迷いなく手を伸ばす。そして、ゆっくりとエーちゃんの背中をさすり始めた。あたしの前で公然とイチャつきやがって。そんなことする前に、話を終わらせるのが先だろうと。露骨に咳払いして、さっさとつづきを促した。あたしの意図を理解したのか、ツキノキはエーちゃんから手を離す。
「二つ目の疑問に移ろう。みんなとの幸せにメツギさんがいる必要性だったね。私は、その必要性は大いにあると思う」
「それが無責任というやつですか? 俺には三人を納得させる責任があると?」
「そういうことになるね」
「無理ですよ、俺には。三人を納得させるだなんて」
「責任感が強いところがメツギさんの長所であり、短所でもある」
「はい?」
「みんなで幸せになるということは、メツギさんにだけ課された責任ではない。この責任は、私達四人全員に課された責任なんだ」
「……」
「メツギさんの至らないところは、私達で支えよう。だから、私達が至らないところは、メツギさんに支えてほしい」
「そんな力、俺には……」
「ある。断言できる。現に私はメツギさんに救われている。ドウゾノさんも、コツツミさんも。きっと何かしらの形でメツギさんに救われている」
「ちょっと、急展開すぎます。少し、考える時間をください」
「構わないよ。結局これは、私の壮大なワガママだ。受け入れるも、受け入れないも。メツギさんの選択次第。私はメツギさんがどんな決断をしたとしても、メツギさんの意思を尊重したい」
「……今日はありがとうございました。失礼します」
そういうと、エーちゃんはあたしの横を素通りして、足早にアパートを出て行った。アイツ、またあたしから逃げやがった。今度こそ逃すかと肩を怒らせて追おうとするあたしを、ツキノキが呼び止める。
「コツツミさん」
「あ? なに? あたしエーちゃん追わなきゃなんだけど?」
「余計なお世話かもしれないが。コツツミさんに一つ、伝えておきたいことがある」
「なんだよ」
「メツギさんはとても器の大きな人だ」
「あ?」
「コツツミさんは、もっと自分に正直になってもいいんじゃないのかな?」
「あ゛!?」
おい。それって、素直になれないあたしの器が小さいって言いてぇのかぁ!? 反転して殴りかかりたかったが、いまはエーちゃんの方が重要だ。ギギギと首を玄関に向けて外へ急いだ。外へ出ると、エーちゃんは電柱の側に佇んでいた。意外、全力であたしから逃げると思ってたのに。ま、こっちにはGPSがあるから、逃げたところであたしの怒りを買うだけか。エーちゃんがスマホを捨てたとかならまた話は変わってくるんだろうけど。エーちゃんがそんなこと出来ないのは、荷物持たせた時に確認済みだし。エーちゃんは、あたしと言う存在を認識したくないのか、嫌々そうに明後日の方向を見ている。あたしはそんなエーちゃんに近付いて、がら空きの首に腕を回した。
「あたしから逃げなくていいの?」
「コツツミさんから俺が逃げられるわけないだろ」
「ふふん。あたしを裏切った覚悟はできてるんだろうなぁ?」
「……」
観念しているのなら、エーちゃんの首から腕を外しても問題はない。どんな罰を与えてやろうかと考えた時。ふと、さっきのツキノキの言葉が頭に浮かんだ。〝メツギさんは器のとても大きな人だ〟。〝コツツミさんは、もっと自分に正直になってもいいんじゃないのかな? 〟。まぁ? 確かに? あたしがエーちゃんに甘えたからと言って、甘えたことをエーちゃんはからかってはこないだろうけど。むしろ、ドウゾノさんの時のように。勝手に責任を感じて、勝手にあたしを受け入れるエーちゃんの方が想像しやすい。それなら、あたしが強がる意味はないのかも知れない。あたしはエーちゃんへ、自分の手を差し出した。
「エーちゃんと手、繋ぎたいんだけど」
「……」
「エーちゃんはあたしのことがキライ?」
「キライってわけじゃない。ニガテってだけだ」
「あたしはエーちゃんのこと好きだよ」
「……」
「初めはなんだコイツってバカにしてた。何かと理由つけてあたしに近づこうとしてきて。可哀想な女の子に優しくすればコロリと靡くとでも思ってんのかなー。どうせあたしの体目当てんなんだろうなー。あたしの本性知ったら幻滅するんだろうなーて思ってた。けど意外にエーちゃんがしぶとくて、丁度いいからあたしの下で働かせようとあれこれしていく内に。気づいたら、エーちゃんのこと目で追ってた」
「……」
「エーちゃんのいなくなった学校は、退屈すぎて死にそうだった。エーちゃんに連絡送って、その返事が来てないか授業中も気になってた。それで、あたしってエーちゃんのことかなり気に入ってたんだなって知って、自分でも結構驚いてさ。だから、河川敷で偶然エーちゃんのこと見つけた時は嬉しかった。あぁ、エーちゃんはドウゾノさんじゃなくて、あたしのことを選んでくれたんだなって」
「……」
「一緒に暮らすようになって、姉貴に背中を押されて。このまま一緒に暮らしていくんだろうなってぼんやり考えてた。けど、全部あたしの勘違いだった。エーちゃんはツキノキが好きで、あたしはずっと一人で盛り上がってただけみたい」
「……」
いい終えて、下を向いた。語り口も段々弱々しく調整した。ここまでは演技。だけど、話の内容に嘘はない。それは、ちゃんと。あたしの嘘偽りのない本心。エーちゃんに繋がれるのを待っている手が、空っ風に吹かれてかじかむ。なんだよ、ツキノキのやつ。もっと自分に正直になれだなんて、そんなの嘘っぱちじゃねーか。諦めて引こうとした手を、エーちゃんが握りしめた。
「コツツミさんは、ツキノキさんの提案をどう思う?」
「……」
「ルミは、ツキノキさんの提案をどう思う?」
「頭がイカれてる。正気じゃない」
「それは、流石に。……いや、俺もそこは擁護できないかもしれない」
「でもエーちゃんのことを一番理解してる提案ではあるかな」
「……え?」
「よし、ちょっと付き合え」
「ちょ! いきなりッ」
エーちゃんが油断をしているスキを突いて、恋人繋ぎに切り換える。エーちゃんは口では否定しているが、体は抵抗していない。たとえニガテな相手でも、決して振り解こうとはしない。爪で皮膚を傷つけちゃうこととか、相手の心を傷つけちゃうだとかを気にしているんだ。ほんとコイツは、バカみたいにお人好しだな。
「アイス食いに行くぞ。エーちゃんの金でなぁ!」
「いや、この寒い中アイスはちょっと」
「あ゛!?」