心がノゾける呪い   作:おおきなかぎは すぐわかりそう

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いけすに放ったネタをようやく使える喜び


第二部
援助じゃアフリカは発展しない


 

 

 

「えっと……さようなら」

 

 

「第一声が別れの挨拶とは。さっきのお化けを見るような目といい、大人の私でも流石にショックを隠しきれないよ」

 

 

「あの、家訓で知らない人とは話すなと……」

 

 

「未成年者に声を掛ける。それだけで、全ての大人が不審者扱いとは甚だ遺憾だ」

 

 

「はぁ……」

 

 

 

 "私から見て、あなたは充分に不審者の部類です"なんてバカ正直に言えたらどれだけ楽だろう。

 

 

 

 困っているか? と聞かれている時点で、俺の話に耳を傾けてくれる準備があるのだと窺い知れるが、おいそれと他人に悩み事を吐き出すのは軽率な行為だ。

 

 もっとこう、順序というものがある。

 

 外部の人間に助けを求めるより、まず身内に助けを求めるのが普通であって……。

 

 

 

 浮かぶのは家族、友達、そしてウチハ。

 

 あぁ、周りに相談できる人なんていなかったと思い返して勝手に傷つく。

 

 身近に信頼できる人がいない状態であっても、他の誰かに助けを求めるような具体的行動をとった覚えはない。

 

 もしかして俺は、誰かに"助けて"とも縋りつけないほどに衰弱し切ってしまっているのではないのか。今更なことを悟って、気付いたところで身動きできない自分に沈黙した。

 

 

 

「突然こんなことを言われて困惑しているとは思うんだが、何かあるなら私に話してみてくれないか? 赤の他人だからこそ、喋りやすいということもある」

 

 

「……」

 

 

「……君が何も語らないのなら、私は一向に動けずじまいだ」

 

 

 

 暗がりから歩み寄り、逆光は次第に薄まっていく。

 

 だんだんとクールな困り顔が露わになり、切れ長な目がいっそう細められていく。

 

 それに比例して、心臓の鼓動が鮮明に聞こえ始めた。

 

 

 

 彼女の好意をはね飛ばして、逃げ帰るほどの冷酷さはなく。

 

 また彼女の好意に甘え、寄りかかろうとする度胸もなく。

 

 自分の安全領域が狭まれ、逃げ場がなくなっていくのを何もせずただ眺める。

 

 無力な蝋人形のように突っ立って、それ以上は近づかないでくれと祈る他なかった。

 

 

 

 せっかくお前のために良くしてくれようとしてる人を邪険に扱って、あげく息を殺してやり過ごそうとしているのか? 

 

 いっそ"近付かないでくれ"と主張してみればいい。

 

 お前についているその口は飾りか? 良い歳して自分の現状を相手に伝えられないのか? 

 

 お前は赤ん坊並だな。いや、おしめを取り替えてと主張できる赤ん坊の方がよっぽど利口じゃないか。

 

 こんな当たり前のこともできないのか? みんなできてるんだぞ? お前だけができてないないんだぞ? みんな必死に努力しているんだぞ? なのにお前は、一体いままでなにを学んできたんだ? 

 

 お荷物・知恵遅れ・退化・劣等・ノータリン・白痴。

 

 

 

「ッん──────第一印象が悪かったのかな? 少年なんて馴れ馴れしかった? もっと礼儀正しくした方が正解だったか、うっかりした。言葉を急かしたのも悪手だったかもしれない。もっとじっくり時間をかけて……いやいや黙したまま這い寄る気? それこそ気味悪がられる。でもでも困ってる風だったし、このまま見過ごしちゃうとあの人に顔向けできないし……うぅ」

 

 

「あの」

 

 

「ん? なんだい」

 

 

「お気持ちは嬉しいのですがあの、その、結構です。……自分でなんとかしますから」

 

 

「自分でなんとかできる人間は、公園でうずくまったりしないだろうに」

 

 

「……」

 

 

「これは相当溜め込んでいると見るべきか? それなら真正面から引き出そうとするのは愚策か……」

 

 

 

 ……漏れ聞こえる独り言を聞こえないフリで乗り切って、無表情でウロウロと黒い長髪が捩れるのを視界から外した。

 

 

 

 善人も悪人も皆んな笑顔で寄ってくる。

 

 その理から外れた異物であるとわかった時点で、自分と同じような人種を見つけた安堵と、鏡を前にしたような強烈な不快感が同居した。

 

 

 

 彼女が一体どんな考えのもと話しかけてきたのかは定かでない。

 

 何にせよさっさと飽きて諦めて、こいつからはなにも得られないんだと学習して、それきり二度と会わないようにしてもらうのが一番早い。

 

 

 

「……実は困っているのは私の方なんだ」

 

 

「え?」

 

 

「とりあえずついてきたまえ」

 

 

 

 クヨクヨと悩んでいる姿を見せつけたかと思えば、次はついてくる前提で話は進み出している。

 

 突然の急展開に頭は追いつかず、しかし体は"困っている"の言葉に是非もなく反射を示す。

 

 

 

 今が絶好の逃げ時に思えた。

 

 このまま女性が離れていくのを見送って、見失ってしまったとでも言い訳をこねくり出せば、自分を無理やり納得させられるような気がする。

 

 

 

 ……その筈なのに、気付けば彼女の離れていくスーツスカートを追って、歩き出している自分がいるのだった。

 

 

 

 

 

 車がすれ違える程の道を、背後三、四メートルの間隔を保って進む。

 

 周囲からはストーカーのように見えなくもない。

 

 だが横並びに歩くのは、彼女へ無条件に心を開いている自分を想像して。

 

 また、さらに離れて十メートル二十メートルまで距離を開けたとあらば、本当のストーカーに間違われる気がして。

 

 間をとって会話をしようと思えばでき、距離を取ろうと思えばすぐ離れられる、そんな絶妙な位置関係で歩くことを決めたのはついさっき。

 

 

 

 ツカツカと丈の低い黒ヒールだけが舗装路に響く。

 

 ヒール分を加味しても、そう自分と身長差があるようには見えない。

 

 カバンの類はなく、両手はフリーだ。

 

 一際目を引くのが、黒髪ロング。

 

 動きに合わせて波打つ様は、よく手入れされていることが窺える。

 

 

 

 相手を観察しながら、なぜこんなことになったのかの目的を見失いそうになっていた。

 

 まだ互いの歩幅を知る程の仲ではないので、ときどき速度の調整は怠れない。

 

 すぐ下に相手の踵があるかのような緊張感で、一定の距離を絶えず保ち続ける。

 

 

 

 五分、……いや十分。

 

 正確な時間は定かでないが、ある白いアパートの前までくると、彼女はおそらくいつもの調子で帰宅するのだった。

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 指示待ち人間、万事休す。

 

 

 

 あれ? 俺はどうすればいいんだ? 

 

 

 

 ついてきてって言葉は聞き間違えるはずがない。

 

 じゃあ、態度を見るに部屋までついてこいってことなのか? 

 

 一度も振り返らずに部屋に入っていった謎の信頼感に怪しさが膨らむ。

 

 俺がついてきていることを忘れてる? 

 

 数分前の記憶を忘れてしまうなんて人をテレビで見たことがあるが、彼女はそのクチなのか? 

 

 それだと家に帰宅できたのをどう説明する? 

 

 ある特定の記憶だけ覚えているなんて説明、嫌に都合が良いな……。

 

 

 

「どうかしたのかい? 早く来たまえ」

 

 

「いや、これは不用心過ぎるといいますか、なんというか。……一応、初対面なんですし、男女ということもあるのでちょっと……」

 

 

「世間体を気にしているのかい?」

 

 

「常識の範疇で話してます」

 

 

「常識なんてものは前時代の遺物だよ」

 

 

「……仮にそうだとしても、縋るものの少ない人間にとっては生命線なんです」

 

 

「つれないねぇ……」

 

 

 

 玄関の扉からひょっこり顔を覗かせた彼女と押し問答を繰り広げる。

 

 ここが共用の通路であることから、邪魔だとかうるさいだとかの声がいつ飛んできてもおかしくない。

 

 だからと言って、このまま"はい、喜んで"と相手に従うのもおかしく思えた。

 

 

 

 出会って間もなく、彼女の取る不審な行動の数々が、ただ困りごとを聞くだけで終わるのか? と不信感を煽る。

 

 新手の宗教の勧誘だとか、骨董品を売りつけてくるだとか、何か裏があるんじゃないかと勘繰ってしまう。

 

 たかが高校生の懐事情なんて大人からしたらはした金だが、本人がダメなら保護者から金を引き出そうとするかもしれない。

 

 わざわざ周りに相談できない孤立した状況を見抜いて話しかけてきたのかもなんて変なところばかりに頭が回り、しかし騙すのならわざわざ自宅に招き入れるのか? と確信が持てず、彼女の放った"困っている"が足枷のようにその場に留める。

 

 

 

「いい加減話してもらえませんか? ご自宅に用があるのは、なんとなく予想つきますけど」

 

 

「立ち話もなんだろ? 少し休んでいくといい」

 

 

「……それ怪しさ100%って自覚あります?」

 

 

「……確かに」

 

 

「冷やかしなら帰りますよ」

 

 

「まぁ待ちたまえ。何も言わずについて来てくれたということは、少なからず私のことを好意的に見てくれている証拠だろう?」

 

 

「今の言葉でついてきたことを後悔してます」

 

 

「いやまぁなに、火急の用というわけではないのだが」

 

 

「お疲れ様でした」

 

 

「ちょま、待ちたまえ」

 

 

「……あの、手はなして貰えます?」

 

 

「野菜が余っているんだ。君には協力してもらいたい」

 

 

「それ俺である必要ありましたか? あと制服引っ張らないでください、傷みますから」

 

 

「いやほらえーと……いま一番近いのは君だ」

 

 

「……はぁ」

 

 

 

 制服が傷むと指摘すると、彼女はパッとその手を離す。

 

 次いで俺である必要があったのかの質問に、ワタワタと身振り手振りをしたかと思えば、閃いたとばかりによく分からない理論を展開し始めた。

 

 反論がない様子から、意見が通ったと得意になっている女性に、思わずため息混じりの呆れ声が溢れてしまった。

 

 つまりこういうことか? 頑なに口を開かない俺を見かねて、"お願い"を強制することで平等な立場に持っていこうとしている? 

 

 

 

 悩みを聞くというのは一方通行だ。

 

 聞いてあげるというか、聞いてもらうというか、両者の関係は決して対等とは言えない。

 

 返ってきた答えが"エラそうだ"なんて、相談に乗ってあげた立場から見たらそれこそ"エラそうだ"だが、相談する問題が大きく深刻であるほどこの感情は強くなる。

 

 もし"お前が悪い"と断言されてしまったら? 

 

 そこまで言われなくても、今までの苦悩や憤りが考慮されずに淡々と常識をぶつけられでもしたら? 

 

 自分の中にある経験や知識をいくら煮詰めてもわからないから困っているのに、弱者の気持ちに寄り添わない押し付けられた意見を頂戴したところで、一体どう生かせってんだ。

 

 

 

 こんなものは相談とは言わない、一方的な思想の伝播。

 

 アレルギーだろうがなんだろうが、俺の好物だからお前も従えと暴論を振りかざしているような物。

 

 

 

 ……彼女はそうならないよう、お願いを聞いてくれたお返しに相談に乗るという、対等な目線でのやり取りを希望している。

 

 自分が変人と思われようと、ただ相手の悩みを解決してあげたいという強い執念を感じ取った。

 

 

 

 少しどころか、かなり強引なやり口だ。

 

 もっと上手に相手を誘導する方法がなかったのかと考えずにはいられない。

 

 それでも、さっき出会ったばかりの女性に、俺という一人の人間へ敬意が払われていることだけは確かだった……。

 

 

 

 その推測が真実かどうか、俺には確かめる術がある。

 

 だが向こうが礼儀を尽くすというなら、こちらも相手に礼を尽くさなければ失礼というものだ。

 

 我ながら面倒な性格だな。

 

 こんなに気を遣わせて、ようやく相手に歩み添おうと決断する様に苦笑いを浮かべる。

 

 

 

「そこまでいうなら、わかりました。それじゃあご厚意に甘えて……」

 

 

 

 伏せていた顔を上げると、彼女は真顔のまま動かなくなっていた。危うくこっちまで固まりかけたが、かぶりを振って"も、もしもーし? "と語りかける。

 

 

 

「え?」

 

 

「はい?」

 

 

「野菜、もらってくれるのかい?」

 

 

「そ、そういったつもりなんですが」

 

 

「……」

 

 

「……」

 

 

 

 なんかわからんが会話が終わった。いや終わる要素どこにあった。さっき抱いた温かい気持ちが消え失せてしまう前に、騙すんなら騙すで気分のいい内にとっとと済ませてもらいたい。

 

 

 

「いや、助かるよ。一人じゃ消費しきれない量が送られてくるもんだから困り果てていたところなんだ」

 

 

「そんなに量あるんですか?」

 

 

「かじったりしているんだがねぇ……なかなか減らないんだよ」

 

 

 ? 

 

 

「好き嫌いはあるかい?」

 

 

「へ? い、いいえ特には……」

 

 

「家はこの辺り?」

 

 

「近所です」

 

 

「わかったありがとう。だが助けてもらいっぱなしというのは気分が悪い。どうだろう、ここは一つお姉さんに困っていることを相談してみるというのは」

 

 

「相談ですか……別に喋るのに抵抗がある訳じゃないんです。その、何て言えばいいか……抱えてる問題の量が多過ぎて、何処から手をつけるかわからないってところですかね」

 

 

「そう難しく考えることはない。私も出会ったばかりの人間に、自分の深い場所を晒そうとは思わないよ。君がおかしいなと思ったこと、不思議だと思ったこと、ちょっとした疑問の様なものでもいい」

 

 

「んー……考えが纏まるまで少し時間を下さい」

 

 

「構わないよ。立ったままというのもなんだ、どうせなら上がっていきたまえ」

 

 

「……まあここで長話されても迷惑でしょうからね」

 

 

 

 結局、初対面で見ず知らずの女性の家に上がることになった。

 

 いきなり家に連れ込もうとした時は何事かと思ったが、ただ会話の順序がおかしい変な人? なだけらしい。

 

 

 

 野菜をもらい受けるという、普段とは縁遠い僥倖を得るも、丁度買い出しに赴かなければならない身。

 

 さっさと野菜を譲ってもらって、当たり障りのない相談をして、ネットで調べたそれらしい料理を作れば今日を乗り切れるだろうと予定を軽く組む。

 

 料理のジャンルは決めかねるが、時間も無いし一品ものを作ることは確定。

 

 丼物が手抜きと言われないギリギリのラインか。

 

 

 

 半開きの扉に手をかけ、入る直前で表札が目に入る。えっと、"ツキノキ"でいいのか? 

 

 

 

「お邪魔します」

 

 

 

 玄関を上がると、線香を思わせる独特の香りが鼻腔を掠めた。

 

 甘いようでいて、香辛料を思わせる独特な香り。

 

 それでいて頭が冴え渡るような、どこか気持ちが落ち着いた気分になる匂い。

 

 会話のタネにでもしようかと一瞬考えたが、長居する気がなく人の趣味をとやかく言っていいものかと思いここはスルー。

 

 

 

 靴を脱ぎ、家主のものとは対極の端っこの方で揃える。

 

 ワンルームの間取り。

 

 清潔感の漂うキッチン、バストイレを通り過ぎれば一室と東向きのベランダが。

 

 女性の部屋をジロジロ見て感想を述べるのは気持ち悪い趣味のように思えるが、ウチハに比べ物は散らかっておらず、引っ越して間もない頃のみたいに必要最低限の物を集めたさっぱりとした印象を受けた。

 

 

 

「適当に楽にしてくれて良いから」

 

 

 

 そう言い残してからツキノキさんはベランダへと出る。

 

 出された冷たい緑茶と、野菜が入っているであろうビニール袋をテーブルの上に。

 

 クッションが対面に転がされているが、楽にしろと言われても居座るつもりは元々ない。

 

 クッションをどかし、カーペットの上に正座、唇を湿らす。

 

 こうした方が一番落ち着く。

 

 

 

 窓から段ボールを運び入れようとする姿を見て、そんなにあっても消費しきれないと腰を上げたが、ぶら下がった洗濯物にすぐさま腰を下ろす。

 

 ベランダにうっかり干してある物を目にしたとしても、不可抗力で警察に突き飛ばされるようなことがないとは思うが、けれども自分の良心がそれを許さなかった。

 

 

 

「ふふ、ここは修行寺ではないよ?」

 

 

「あ、いいえお構い無く」

 

 

「よいしょと」

 

 

「あの、もらう身で差し出がましいですけど……今日使う分だけで充分ですので」

 

 

「君が必要な分だけ言ってくれればそれでいい。さぁ、どれでも好きなのを選びたまえ」

 

 

 

 物色して選り好みするような態度は少々気がひける。

 

 だが、いつまでもこの家の世話になるわけにもいかないのでさっさと行動に移る。

 

 

 

 スマホを取り出して軽く検索をかけ、使えそうな野菜を選り分けていく。

 

 ほうれん草、玉ねぎ、きのこ類、もやし、にんにく……。

 

 

 

「……質問なんですけど」

 

 

「なにかな?」

 

 

「料理ってされます?」

 

 

「サラダが料理の内に入るのなら……」

 

 

「かじってるってそのまんまの意味じゃないですか」

 

 

「しょ、しょうがないだろう? 仕事から帰ると時間はないし、疲れてるし、何より面倒なんだ」

 

 

「だからってそんな食生活じゃ栄養も偏りますよ。今はいいかもしれませんけど、後々痛い目を見るんですから」

 

 

「そ、それでも野菜を全く食べないよりは救いがあると思うんだが?」

 

 

「休日はちゃんと食べてるんですか? 大方、生で食べれる野菜はかじったりちぎったりして、それ以外がいま目の前にある野菜ってところですかね」

 

 

「う゛」

 

 

「大の大人が、見ず知らずの学生に調理しないといけない野菜を押し付けないで下さい。送り主が悲しみますよ」

 

 

「う゛ぅ」

 

 

「はぁ……」

 

 

 

 大人の余裕は見る影もなく、すっかり萎縮してしまった彼女にため息をつき、しかしこのまま放っておくわけにもいかずに冷蔵庫の中身をあらためる。

 

 全滅だ。

 

 お酒なんかの飲み物の他は、そのまま食べれる加工食品がほとんどを占めている。

 

 精肉も生魚も見当たらない。

 

 ろくな食品もなければドレッシングの類いもない。

 

 冗談が冗談じゃないことに気づいた。

 

 

 

 つづいてキッチンへ。

 

 道具はある、だがどれも新品同然。

 

 基本的な調味料は形だけは揃っていた。

 

 賞味期限はギリギリセーフ……か? 

 

 

 

「ご飯まだですよね?」

 

 

「あ、あぁ」

 

 

「この中で苦手な野菜とかありますか?」

 

 

「あー、ニンニクはそんなに使わないで欲しいかな?」

 

 

「お米あります?」

 

 

「パックのなら……」

 

 

「キッチンお借りします」

 

 

 

 気づけば勢いで包丁を握っていた。

 

 自分が余計なことをしている自覚はある。

 

 お節介だの、ありがた迷惑だの、いらない心配なのはわかりきってる。

 

 それでも、目の前に助けられる人がいて、自分に助ける力があるのなら動かずにはいられなかった。

 

 どうせ後でウチハに料理を作る羽目になるのなら、今から予行演習の一つや二つしておいたところで苦労は変わらないだろうと自分に言い訳を説く。

 

 

 

 そもそも野菜を譲り受けること自体、彼女の手助けになっているか怪しいのだ。

 

 むしろ公園で下ろしていた重い腰を引っ張り上げ、今夜の材料すら提供してくれたと考えればどれだけ救われていたことか。

 

 彼女に料理を振る舞うことで、本当の意味で対等の立場になれるのだと……俺は信じたいのかもしれない。

 

 

 

 レシピを開く。

 

 そう都合よく全ての材料が揃っているわけはない。

 

 しかし、味付けさえしっかりと押さえていれば、素人でも食える料理を生み出せる。

 

 あとは味のバランスを欠くような、味や香りが強いものを入れない限り、致命的失敗は有り得ない。

 

 豚の挽肉を魚肉ソーセージで代用。

 

 にんじんは玉ねぎで穴埋め。

 

 ニンニクはいない子。

 

 彩にかける。

 

 が、それも許容範囲。

 

 

 

 おぼつかない手つきで、無駄の多い手つきで、うっかり砂糖と塩を取り違えそうになりながら。何とか完成にこぎつけた。

 

 

 

「すごい……私なんかよりよっぽど生活力があるじゃないか」

 

 

「ははぁ……」

 

 

 

 とはいうが、野菜は火を通しすぎてくたってる、これでは食感がない。

 

 ご飯に対して具が多すぎ、分量を間違えて作りすぎだ。

 

 早く作ろうと火加減を誤ったせいでもやしの端っこが焦げている。

 

 魚肉ソーセージはもっと細かく切ったほうが良かったんじゃないか? 

 

 欠点にばかり目がいく自分が嫌になりそうだ。

 

 

 

「君の分は盛らないのかい?」

 

 

「晩御飯が食べれなくなってしまうので遠慮します」

 

 

「……食べても?」

 

 

「はい、どうぞ」

 

 

「……いただこう」

 

 

 

 スプーンが突き刺さり、持ち上げられて、口に運ばれる直前で目をそらし振り返る。

 

 レシピに忠実とは言えないが、要点は抑えた。

 

 料理は科学だと言われるように、書かれていることを愚直にこなせば何も難しいことはない。

 

 レシピ自体を疑っているわけではないが、大筋を押さえていたとしても、やはり不安感を抱いてしまうのは生まれ持っての性質か環境が編み出した処世術か。

 

 否定的な言葉に備えての現実逃避。

 

 もしものショックを軽減させるための回避行動。

 

 ただの照れ隠し。

 

 単に冷徹、もしくは自分嫌い。

 

 自分が飼っている気持ちを的確に表す言葉が浮かばないことにイライラするが、思い浮かぶどれもにニアミスしている気がして、自分という存在が酷くいい加減なものに思えてくる。

 

 

 

 調理道具を洗うべく台所に立とうとすると、声が掛かってきた。

 

 

 

「何をしているんだい? こっちにきて座りたまえ」

 

 

「いや、洗い物……」

 

 

「私が後でまとめてやっておくよ。いいから座りたまえ」

 

 

 

 開けた蛇口を元に戻し、重い足取りで床に正座する。さっきまで湯気を立てていた魚肉ビビンバは、四分の一ほどが掘り起こされ、スプーンが食器に触れた時に奏でる音を高めていた。

 

 

 

「ん、おいしいよ」

 

 

「はぁ……そうですか」

 

 

「相談内容は決まったかい?」

 

 

「あー……」

 

 

 

 料理を完成させることばかりに気を配って、肝心の話す内容を考えていなかった。

 

 それほど深刻な空気を醸さず、YesかNoで答えられる在り来たりな疑問はないかと記憶を探る。

 

 あまり時間をかけすぎると先方の食事が済んでしまうし、ツキノキさんが何時までたってもスーツから着替えられない。

 

 

 

 なにかないか、なにかないか……。

 

 

 

「………………賢いってなんですかね」

 

 

「ふーむ……」

 

 

「「……………………」」

 

 

 

 長い沈黙。

 

 焦りのあまり質問の内容が大雑把だった? 

 

 あれ、ミスったか? 

 

 あまりに具体性を欠いた疑問に、かえって複雑にしてしまったと間違いを認める。

 

 

 

 ならさっさと軌道修正すべきだ。

 

 腕を組み、考え込んでいる所を申し訳なく思いつつ、このテーマを断ち切ろうと口を……。

 

 

 

「やけに壮大で、それでいて奥が深い。なるほど、なるほど……」

 

 

 

 すっかり"今のナシ!! "と叫ぶタイミングを逃した。

 

 これだけ考えてくれているのに、いまさら質問を切り替えて日常的な相談をしたら信用されてないと受け取られるかもと思考が追い付き、結局あいてに丸投げする形で面倒を見なかったことに。

 

 あークソ、どんどんシワが濃くなって唸りだしてるぞ、俺の根性無しが……。

 

 

 

 これはなかなか結論が出せないと判断したのか、ツキノキさんはご飯を食べる手を再開して、低く唸りながらも咀嚼を繰り返す。

 

 四分の一が半分に、半分がわずかに、わずかをスプーンでさらい手を合わせた。

 

 

 

「ごちそうさま。久方ぶりの手料理だったよ」

 

 

 

 軽く会釈して応え、タイミング的にもそろそろかなと返答を待った。

 

 面と向かって、こんなに質問内容を吟味された経験がないので、ツキノキさんが一体どんな結論を下すのか少し興味が湧く。

 

 

 

 彼女はティッシュで口元を拭くと丸め、ゴミ箱に放った一投は手前に落下。

 

 気まずそうに立ち上がり、確実な一打を決め、座り直して手を組む。

 

 何度か手の開閉運動を繰り返し、意を決したように放った一言は。

 

 

 

「わからない」

 

 

 

 真剣な口調で放たれたのは降伏宣言だった。ここはツッコミを入れる場面なのだろうか? 

 

 

 

「いやすまないね、私は考えをまとめてからでないと喋ることのできないタチなんだ。また日を改めて会うことはできないかい?」

 

 

「……」

 

 

 

 スマホを掲げ、連絡先を交換しようのゼスチャーにポケットに向かいかけた手が止まった。

 

 本当に委ねていいのか? 

 

 ツキノキさんの迷惑になってないか? 

 

 こんなにも容易く連絡先は交換されるものなのだろうか? 

 

 これが社会人の普通? 

 

 それとも常識? 

 

 

 

 色々考えは巡ったが、途中で断ち切った。

 

 疲れた、諦めた。

 

 時差ボケの頭にはもうこれ以上の情報を処理しきれそうにない。

 

 もういいや、騙されたら自分の責任ってことで。

 

 

 

「……いいですよ、また何か作りましょうか?」

 

 

「ん、んう、初対面の人間に二度もご飯を準備させる覚えは……」

 

 

「じゃあ次に来る時は自分で作ってしまうわけですね?」

 

 

「物事にはステップというものがあってだね……」

 

 

「いいんですよ、ツキノキさんが粗食だと目覚めが悪いんで。楽にしていいって仰るなら、ここにいる時は俺の好きなようにさせてもらいます」

 

 

「あぁ……」

 

 

「どうかしました? 名前間違えてましたか?」

 

 

「いやそうじゃない。そうだな、まだ自己紹介も済んでいなかった」

 

 

 

 突き合わせたスマホ同士を名刺がわりにでもするように、連絡先の交換を自己紹介とするのかと迎合。

 

 入学式や新学期のお試し期間でしか関係を築けない俺は少々がもたついたものの、数えるほどしかないアドレスの一つに、赤の他人の名前が加わる。

 

 

 

 

 

< ツキノキ
✆ 目 ∨

 今日 

.ツキノキだ. 18:50

.よろしく. 18:50

18:51
既読
  .メツギです.

18:52
既読
  .どうも.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

+       
             

 

 

 

 

 

「私はこの時間帯なら基本的に空いているから、メツギさんの都合が合う日に連絡を入れてくれればいい」

 

 

「わかりました。次回のリクエストがあるなら聞きますけど」

 

 

「見ての通り料理はからっきしだ。作ってもらう立場であれこれ指図するつもりはない、全て君に任せるつもりなんだが」

 

 

「俺も頻繁に料理するわけじゃないんで丸投げされると困ってしまうんですよ。なにか縛りがある方が、こちらとしても動きやすいんですが……」

 

 

「野菜を沢山消費できる料理か。……なべ、鍋なんてどうだろう」

 

 

「四月も終わりに鍋ですか?」

 

 

「そうだ。……だめだろうか」

 

 

「お湯を張って食材を煮込むだけなので楽なのは嬉しいですけど、その……量が」

 

 

「メツギさんも一緒に食べればいい」

 

 

「いや、そんなご迷惑は……」

 

 

「それとも、何か食事できない理由でもあるのかい?」

 

 

「いえ……そういったことはないですけど」

 

 

「じゃあ決まりだ、次会う時はお鍋にしよう。決定」

 

 

「ははぁ……」

 

 

 

 ツキノキさんは表情を動かさずに、早合点と拳を打った。

 

 あの苦痛の食卓を思えば、一度逃げ出せるチケットを手に入れられたとここは喜ぶべきなのかもしれない。

 

 なのに、素直に喜ぶことができないのは、ウチハや家族に合わせられない情けなさが付き纏ってくるからだろうか。

 

 

 

 ……なんにせよ、またここに来る理由をつくってしまった。

 

 

 

「それじゃあ、バイバイ」

 

 

「えーと。また今度?」

 

 

 

 軽く手を振って別れを告げるツキノキさんに、こちらもと手を上げたが失礼ではないかと上げ切る前に指を折った。

 

 パタンと閉まる玄関扉に、中途半端に止まったままの手の硬直を解く。

 

 

 

 不思議な人だった。

 

 終始同じ目線で話を進めようとするところとか、一歩身を引いた位置で話しかけてくるところとか、早く答えを出さないところとか。

 

 

 

 斜陽の輝きを忘れた空を見上げ、なんだか状況が良くなる気がする前触れに、何度それが裏切られてきたと警告を持って戒めた。

 

 小さく、淡い、光にも満たないそれに、決して心奪われてはならないと背を向け、暗がりへ暗がりの深い場所へと進み始める。

 

 

 

 

 

 自宅へと辿り着く頃には、もう夜の七時をとうに過ぎていた。

 

 なのにおかしい、家には電気が灯っていない。

 

 

 

 部活はとっくに終わっているだろうし、ウチハから何か新しいメッセージもなく。

 

 どこかに出かけたっきり、連絡もよこさない俺に腹を立てて、友達と何処かに出掛けてしまったのだろうか? 

 

 公園で動けなくなっている時も、ツキノキさんと話をしている時も、なにかしら一報をいれるタイミングはあった。

 

 ウチハは何も悪くない。

 

 

 

 ウチハがいないとなると、自分のためだけにいま一度調理場に立つのは気が引ける。

 

 だが今後しばらく腕を振るうことになりそうなら話しは別だ。

 

 もう少し腕を磨いておく必要がある。

 

 真っ暗な玄関で靴を脱ぎ、リビングのスイッチを手探り。

 

 壁とは異なる材質に確信を抱き、一方に傾いたスイッチを倒すと。

 

 

 

「……!!」

 

 

 

 ウチハだった。

 

 リビングの、四人掛けのテーブルの一角に、ただ座っていた。

 

 人気のない家で、いないと思っていた人物が、いつもの調子で座っていた。

 

 声は出さなかったものの、危うく腰を抜かしそうになる。

 

 

 

「あ、エイタおかえり」

 

 

「……ぁあ」

 

 

 

 何も置かれていないテーブルから顔を上げ、唐突にウチハの日常が始まったように動き出す。

 

 小動物のようにくりりとした目、形のいい唇が柔和に微笑みニッコリと花が咲く。

 

 その異様さに対応が遅れ、驚くこっちがおかしいのだと不思議がられた。

 

 

 

「え~なんでそんな驚いてるの?」

 

 

「いや、いないと思ってたから……」

 

 

「エイタと約束してたじゃん、サプラーイズだよサプライズ。靴を隠したのはちょっと手が込んでた?」

 

 

「……悪い、遅れること伝えなくて。すこし手間取ってた」

 

 

「うんん、いいよ。ボクはエイタが帰ってきてくれるって信じてたから」

 

 

「……」

 

 

「なにかおかしい?」

 

 

「あ? いや、お腹空いてるだろ? すぐ作るよ」

 

 

「わーい」

 

 

 

 動揺を悟られないように冷蔵庫を開けて視界を遮る。

 

 ついでにひき肉や野菜の有無を確認して一息ついた。

 

 同じものを作るのなら最悪買い物は必要なかったようだが、せっかくの頂き物だ、優先して料理に使わせてもらおう。

 

 

 

 勝手知ったる自分家のキッチン。

 

 ウチハのほうが熟知しているだろうが、俺もあやふやながらどこに何があるのかを大雑把に理解している。

 

 

 

「……なにしてんだ」

 

 

「ん〜見学ー?」

 

 

「目新しいものなんてねぇだろ」

 

 

「エイタがボクのためにどんな料理をつくってくれるのかなぁ〜って」

 

 

「座って待ってろ」

 

 

「大丈夫、邪魔しないから。大人しく見てる」

 

 

「やりづらい」

 

 

「もうボクお腹ぺこぺこだよ〜」

 

 

「はあぁー……」

 

 

 

 ひときわ大きなため息を吐く。

 

 いつだって押し切られるのは俺の方。

 

 特に二人きりの時の妙な不気味さといったら末恐ろしいものがある。

 

 かといって家族に食い込んでいる関係上、無視を決め込むというわけにもいかず。

 

 口では言い切らないで、行動で拒絶を示そうとするのは、俺が取れる数少ない抵抗の一つ。

 

 

 

「何か手伝うこととかない?」

 

 

「いいから座ってろ」

 

 

「何作るの?」

 

 

「食えばわかるだろ」

 

 

「野菜切ろうか?」

 

 

「いらないって」

 

 

「エイタ怒ってる?」

 

 

「怒ってない」

 

 

「……制服着たままだよ?」

 

 

「……制服で料理しちゃ悪いのかよ」

 

 

「そうじゃないけど……家に帰ってきてないの?」

 

 

「……」

 

 

「ずっと買い物してたの?」

 

 

「……食ったんだよ、時間」

 

 

「ボクのこと、避けてない?」

 

 

「気のせいだろ」

 

 

「……怖い」

 

 

 

 ジューと、フライパンを焦がす音が響く。

 

 二回目だからか、動作に慣れが生まれこなれてくる。

 

 冷凍のご飯をレンジにかけ、フライパンにはひき肉を加えた。

 

 彩が加わった野菜の群れで、ほぐしながら茶色くなるまで炒める。

 

 ニンニクの有無は聞かなかったが、前と同じく入れないことにした。

 

 

 

 ウチハの指先が背中をつつく。

 

 

 

「ボクのいないところでどんどん話が進んで、気づけば周りの景色がまるっきり変わっちゃうみたいな」

 

 

「怖いよ」

 

 

「恐ろしく怖い」

 

 

「信じて見守ることも大切なんだと思う」

 

 

「こういうことすると、エイタに嫌われちゃうってほんとはわかってる」

 

 

「でも何かあるんだったら話して欲しい」

 

 

「エイタお願い」

 

 

「くだらないことでも、小さなことでもいい」

 

 

「悩んでいることがあったらボクに話して?」

 

 

「ボクって頼りない?」

 

 

「力になれそうにない?」

 

 

「難しい問題なの?」

 

 

「エイタの抱えてるもの、ボクにも背負わせて?」

 

 

 

 なおも反応せず無視していると、触れていた指先は背中を走り、肩を揉んで絡み付いてくる。

 

邪魔をしないという言葉はどこにいったんだと口には出さず、変わらず口はつぐんだまま。

 

 

 

「なにこれ?」

 

 

「変な匂いする」

 

 

「お墓みたいな匂いだけど」

 

 

「ちょっと甘いような?」

 

 

「……ねえ、エイタ」

 

 

「エイタが何処で何しようと勝手だよ?」

 

 

「でも、これだけは守って」

 

 

「よく知りもしない人に、変な影響を受けたりしないでね?」

 

 

「約束だよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
共感と喜びと感謝がエネルギーになる人がいるみたいだから、私もしっかり向き合わないとなと思ったとかとかとか
https://www.ookinakagi.com/a-cursed-trash-can-that-makes-your-heart-chill7/

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