めちゃくちゃ堂々とあの方とか言ってるが第三勢力なんて存在しない 作:幽
pixivより少しだけ加筆してます。
感想いただければ嬉しいです。
「伏黒甚爾様。」
やたらと、耳に付く声音だった。
スーツに、筋肉質な体。けれど、顔を覆った白い面がやたらと目立っている。けれど、それさえなければ今にも人混みの中に埋没してしまいそうな人間だった。
緩く手を後ろ手にして、無造作にたたずんでいる。
纏った衣装は簡素なスーツで面白みというものにかけた。けれど、面に被った白い布は、それこそ遺体にかけるそれのようだった。
生きているような、死んでいるようなそれは、まるで煮詰めた砂糖のような声で自分に語りかけてきた。
それと伏黒甚爾が出会ったのは、場末のある居酒屋でのことだった。
仕事終わりのあるときだ。丁度、飲酒量の増えていたとき、隣に座った男がいた。
けれど、何故だろうか。思い出そうとすればするほどに、その記憶はどんどん薄れていく。
それを後悔する。何を後悔するかはわからない。ただ、自分が出会ったそれに、ひどく憎しみを孕んだ。
「お兄さん、いい飲みっぷりだね。」
「だろう、あんたは飲まないのか?」
安酒といえども居酒屋に来たのだ。ならば、何かを飲むだろう。だが、それは不思議と何も飲まなかった。隅っこのテーブル席でいつの間にか同席していたがあまり気にならなかった。雑多すぎる店内は、見知らぬ人間がテーブルに着いていることもよくある。
「いや、俺は酒はどうも飲めなくてさ。でも、酒を飲んでる人は気に入っててね。誰かにおごるのが好きなんだ。」
風変わりな趣味だと思ったが、そうはいっても現在自分もその恩恵に与っているのだ。何よりもありがたいことではないか。
ほくほくの甚爾はそのまま酒をあおる。
何の話をしただろうか、たわいもないくだらないことであったと記憶している。
そのまま仲が良くなり、次の店に行こうという話になった。今度もまたおごるという言葉に釣られて。
暗い夜道を歩いている。ふらり、ふらりと、歩いている。
そうして、人気のないそこで、ふと、後ろを歩いていた男が立ち止まったことに甚爾は気づいた。
(・・・こいつもかあ。)
なんとなしに、それは自分にとって良くない部類であることは察した。いつものことだ。
ろくでもないことをしていれば、それ相応にろくでもないめに遭うものだ。
「禪院甚爾さん。」
背後から聞こえてきたその声に、甚爾はべえと口の中から呪物を仕込んだ呪霊を吐き出した。そうして、たんと飛び退いた。
誰から命じられたかは一応は吐かせた方がいいだろう。勝てないようならさっさと逃げればいい、その程度の認識だった。
向かい合ったそれは、奇妙なことに白い布をつけていた。
顔は割れているというのに、何故か思い起こそうとするともやがかかっていることに気づく。
甚爾はすぐに目の前のそれに関わることを拒否した。逃げようと構えるが、それよりも先に男が口を開いた。
「お子さんは、お母様にも、あなたにも似ておられますね。」
ぺらりと男の前で振った、幼い少年の写った写真にその動きが止まる。
(さあ、本番はこれからだ。)
祐礼が近づこうと思っていた人間、少なくとも過去編に当たる今においては、伏黒甚爾、夏油傑、そうして、五条悟。
彼らが未だ生きている現在が、何よりも肝だ。
(さ、笑えるぐらいにひっでえ茶番をぶちまけて。そうして、素人だって笑えるぐらいの語りを見せてやろうじゃないか。)
「で?なにが言いたいんだ?」
甚爾は目の前のそれから十分に距離をとり、適当な呪具を肩にかけて気だるそうに言った。せっかく気分良く酔っていたというのに、すっかり醒めてしまっていた。
忌々しそうに言えば、それは深くお辞儀をした。手を前で緩く重ねてたそれは、やけに丁寧だった。
「あなたには、我らが主の頼みを優先的に聞いて欲しいと思っております。」
「へえ、お望みは一体何で」
甚爾はそのままじっと相手を見た。それは、にこりと笑ったのだと思った。
そうして、ようやく持っていた写真を目の前で掲げる。そうして、やたらとゆっくりとした動作でそれを破り捨てた。
「あなたの息子をいただきたいと。」
甚爾はそれを鼻で笑い捨てた。
「何を言うかと思えば、だいたい・・・・・」
「あなたが禪院家当主とされた約束は、賢明かつ、冷静な判断と言って構わないでしょう。」
かぶせるように言ったそれは甚爾が浮かべた不愉快そうな甚爾の表情など気にもせずに、言葉を続ける。
「伏黒恵が呪霊を見ることができるのはすでにわかっておられるのでしょう。だからこそ、わざわざ自分の子の存在を禪院家にばらした。あんなにも嫌っていた実家へ、コンタクトまでとって。ええ、大正解です。彼は、禪院の相伝を確かに継いでおられます。」
その言葉に甚爾はぴくりと眉をひそめた。
全ての行動に意図が見えない。
甚爾が禪院家の当主とコンタクトをとったのを何故、それは知っているのか。
もちろん、探ろうと思えば探れただろう。だが、何故目の前のそれはそこまで堂々と、かつ自信満々に伏黒恵の術式に関して確信を持っているのか。
相伝にそれほどの価値を見いだすのは理解ができた。五条家の相伝と相打ちができるほどの威力は、確かに喉から手が出るほどに欲しいだろう。
だが、わざわざ甚爾に一言入れるのは何故か?
そこまで求めるならば、攫ってしまえばいい。
甚爾は、お世辞にも己が息子をかわいがっているとは言えない。ならば、その隙は十分にあるはずだ。
(・・・そうだ、金づるじゃなきゃ、ガキなんて。)
甚爾の人生は、誰かに、徹底的に尊厳を踏みにじられていく人生だった。
たった一人だけ、それでも救いがあったのだ。そんなくそったれの人生でも、確かに幸福であったと思えたときもあった。
そんなものは、結局の話、ことごとく消え失せて、甚爾からは奪われてしまった。
(こいつは何を企んでいる?)
実際の所、甚爾は伏黒恵を育児放棄している。今でさえも、彼らは子供だけで生活しているだろう。それに対して、何かをする気はない。するような、気力もない。
それで、自分の価値なんてその程度で、彼らもそうであって欲しいと思う。見捨てて欲しいと思う、いっそのことそうであればいいと思う。
(親を見捨てるには、それぐらいは。)
一瞬だけ巻き込まれた思考を、やたらとまた穏やかな声がかき混ぜる。
「報酬ならば、ええ、ええ。いくらでもはらって差し上げますよ。それこそ、あちら以上の金銭は払っても構いませんが?」
甚爾はそれに、眉をひそめた。
一瞬の間を置いて、甚爾はあっさりと言い放つ。
「残念だ。とっくに先約があるんでな。」
何故だろうか、ぐるぐると思考が乱れる。
冷静になれと思考に渇を入れるが、その声を聞いていると沈めた感情が吹き荒れる。
何かがおかしい、それはわかる。
いつもならば、もっと冷静に判断ができるはずだ。
なのに、その声を聞いていると、やたらと感情が揺さぶられる。湧き上がってくるような不快感が腹にたまる。
ああ、だめだ。これは、おそらくだめだ。漠然とした感覚のまま、甚爾はそれから離れることを決めて言い放った。
「わざわざ己を蔑んだあの家に息子をやらなくてもよいのでは?我らのほうが・・・」
「交渉の意思はねえ。何より、信用ができねんだよ。」
甚爾の言葉に、それはまた一瞬だけ沈黙した。が、あっさりとそれは深々と頭を下げた。
「承りました、あの方にはその旨、しかとお伝えしておきます。甚爾様。あなたに仕事を頼もうと思っていたのですが、残念です。」
どうか、次の仕事ではお気をつけを。
そう言って、それは消えた。何かしらの術式を使ったのだろうかと予想した。
最後の、残念ですがやたらと耳についていた。
「ああ、本当に、残念です。」
耳に付くと思っていた声がまた自分の耳に飛び込んできたとき、甚爾は何かを決定的に間違えたことを自覚した。
甚爾は見事、目的であった星漿体を殺して見せた。そうして、取引相手に渡した。別段、変わることないことだった。ただ、気になるのは男がやたらと妙なことを言っていたことだろうか。
こちらに頼んで正解だった!やはり、彼の言うことは正しい。
そうだ、そんな言葉など気にもとめていなかった。あの、怪しい男のことなんてろくろく気にもとめていなかった。
けれど、五条悟と対峙したとき、違和感があった。
そうだ、殺したそれへの違和感と、そうして自分に会いにやってきたあの男への違和感。
何かがおかしい。そうだ、何かが。
男へ孕んだ、不信感はなぜかひどく不愉快で忌々しい物になり果てていた。
何かが告げている。自分の中で、明らかにおかしいと言えるような違和感が膨らんだ。
それ故に、甚爾の意識は、五条への攻撃ではなく守りに向けられた。
避けられたのだ、虚式・茈は。コンマ、数秒というそれの中で彼は確かに避けられたのだ。たとえ、左腕の肘から下をなくしたとしても。
「ええ、本当に見事です。」
己の腹に突き立てられた、刃を見るまでは。いつの間にか甚爾の後ろに回っていた存在はその肉をかき回すようにそれを引き抜いた。
甚爾とて、その程度で倒れるほどに軟なたちではない。が、一瞬だけの隙を作るには十分だった。
その、白い布の面をつけたそれは、甚爾の呪霊に手を伸ばした。
「
叫ぶようなそれの後、甚爾は自分と呪霊とのつながりが立ち消えたことを理解した。
するりと、それは甚爾の耳元でささやいた。
「五条悟を殺せなかったのは期待外れでしたが、まあかまいません。後のことは、どうぞお任せください。」
男は思いっきり、それこそ甚爾と変わらないほどに強く、彼を五条の方向に蹴り飛ばした。
「おい、お前、逃がすと。」
「いいえ、残念ながらあの方は今はあなたに興味がないそうで。」
それは五条が構えるよりも先に印を結んだ。
「・・・・それでは、ごきげんよう。」
そう言い捨てた男は、あっさりと笑って姿を消した。
「は?なんだ、あれ。」
突然に現れ、そうして突然に消えたかのようなそれに五条は対処もできなかった。
(・・・・俺だって、気づかなかった。)
まるで、透明人間のように五条はそれの存在を認識さえできていなかった。それこそ、まるで幽霊のように。ふっと現れて、そうして消えた。
「・・・・くそが!!」
下から聞こえた罵倒のそれに、五条は意識を向けた。そこには、腹からどくどくと血を流した甚爾の姿があった。
「そうか、そういうことか。」
甚爾は地面にはいつくばって、吐き捨てるようにそう言った。
抱えた違和感の正体をようやく理解したのだ。
最初からおかしいと思ってはいた。
何故、わざわざ自分のもとに交渉にやってきたのか。それこそ、直接さらうことさえも考えてよかったはずだ。
甚爾も時折、遠目に様子だけを見に行ったが、別段おかしなことさえもない。意外なことにまだ彼らの生活が破綻していないことに驚きはした。
が、理解した。そうだ、今、たった今、理解した。
(あの野郎、これを狙ってたのか!)
星の子の家の幹部が言っていた、彼、という言葉に引っ掛かりと覚えていた。
男、いや、その後ろにある何かの目的は確かに甚爾の息子である伏黒恵であったのだろう。ただ、彼をさらえばその親である甚爾から文句があるのは予想に難くない。
ならば、正面から金銭で買うことを決めたのだろう。力づく、ということをしなかったのはひとえに甚爾の強さと、そして言葉通り彼らは自分に仕事を頼むことを望んでいた。ある程度の友好関係を築きたかったはずだ。
が、それは決裂した。ならばどうするか?
甚爾を殺すという選択肢をとったのだろう。
(あの口ぶりからして、あいつは俺がこの仕事をすることを知ってたはずだ。何よりも、この仕事を俺に依頼する発端が、あいつだ。)
五条と甚爾がかち合う現状、ああ、そうだ。笑えることじゃないか。
全て、何者かの掌の上で踊っていたということではないか。
何よりも、甚爾の持っていた呪具はそれこそ喉から手が出るほどに欲しかったのだろう。そうして、術師殺しである甚爾と五条をぶつけることでどちらかを消せれば御の字だった。
「・・・・おい!」
ゆだるような怒りだ。さんざんに、コケにされたという事実。そうして、こんなにもあっさりと相手の術中にはまってしまったという事実。
久方ぶりだ。
(ああ、そうだ。確かに、そうだ。)
こんな世界の中で、己の尊び、他を尊ぶのか。そんなものがこの世にあるのか?
それゆえに、徹底的に全てを泥に沈めるように生きてやった。散々に全てをさげすんで生きてやった。
それでいい、それでいい。
だって、もう、いないのだから。たった一つだけ、この世はましなのだと思えるものはいないのだから。
けれど、甚爾の中には今までにない激情があった。絶えることない、熱があった。
怒りだ。それは、確かに、怒りだ。
己を散々に利用したものへの怒り、奪われたことへの怒り、そうして、ぼんやりと頭に浮かんだ、子供の顔。
「知りてえだろう、あいつがなんなのか。」
五条はそれに男の顔を見た。
甚爾は己の体を確認する。
腹には穴が開いており、おまけに片手は吹き飛んでいる。だが、この程度ならばなんとかなる。
「俺を、生かせ。」
てめえの敵が何なのか、わかるだろうが。
それに、五条は少しだけ考えた後に、こくりとうなずいた。
(あれから、何年たったんだか。)
甚爾は、とある町の競馬場で煙草に火をつけてから考え込む。
その後、甚爾は五条と取引を行い、治療を受けた。
己の息子については五条に後見を頼んでいる。おそらく、それで手出しはできないだろう。
甚爾はそのまま細々と、というのはおかしいが対呪詛師として五条から依頼を受けつつ、例の組織について調べている。
(全てはやつらの掌の上、なんざごめんだが。)
彼の追っている組織は調べれば調べるほどに、まるで煙をまかれるように全容が不明だ。
ただ、時折、白い布の面をつけた人間の話は聞いた。
星の子の家の事件が終わった後、多くのことがぼろぼろと出てきた。
甚爾たちに払われるはずだった金銭は、笑えることにすべて男に奪われていた。幹部に話を聞いても、ただ、信頼ができるから預けていたという一点張りだ。星の子の家の金庫の中身は、ものの見事に組織に奪われてしまっていた。
が、そんなものは序の口だ。
今回の一件で、呪術界においてかの組織の名は早々と広がっている。
(まさか、呪胎九相図のうち、三体を盗っていくとはな。)
甚爾たちが天元について大騒ぎをしている間に、いつの間にかなくなっていたらしいそれを聞いて、それさえも計画のうちであることを理解して甚爾は歯噛みする。
もちろん、無くなった物はそれだけではないそうだ。
門番たちでさえも、口をそろえているのだ。
確かに、信頼ができると、そう、思って。
「くそが・・・・」
甚爾は吐き捨てる。今でも、甚爾は全てがことごとく憎いと思う。だが、それでも、あの男、ひいてはその裏にいる誰かへの怒りはことごとく燃え続けている。
なぜこんなにも、怒りが続いているのかはわからない。
「・・・・経過報告を、五条の坊にする時期だなあ。」
甚爾はそれに対して、ハァとけだるそうに溜息を吐いた。何はともあれ、五条に会うとなると、夏油に会う必要が出てくるのだ。
甚爾が彼女を殺したせいで、当初は相当に恨みを買っていたが、組織への対策と、そうして伏黒から親を奪うことへの抵抗からか今のところは落ち着いている。
そうして、甚爾は知らないことだが、彼の受けていた禪院家からの虐待に対して複雑な感情を夏油が持っていることもある。
何よりも、互いに共通の敵がいるということが大きい。
(そういや、星の子の家といやあ、少し前に幹部が一掃されてそのままなんだかんだで続いてるって話だが。まあ、一度探ったときは何も出てこなかったしなあ。)
甚爾はゆっくりと立ち上がり、そうして久方ぶりに会う五条たちと、そうして息子への対処について考えつつ息をついた。
伏黒恵には、忘れられない人がいる。
何故か、確かに顔を見たのに、何故か覚えていない。ただ、とても優しく笑っている人だったと思う。
その人に会ったのは、伏黒が未だに子供のころ、それこそ保護者である父親や義理の母が消息を絶っていたときのことだった。
二人だけであったが、元々そんな生活だったせいか不便はなかった。
ただ、金銭面では苦労してさあどうしようかという時、彼は現れた。
「こんにちは、伏黒恵君。」
優しい声だったと思う。とても、とても、優しい声だった。ただ、それだけを覚えている。
学校から帰ってきた伏黒は自分を出迎えた男に固まった。ひどく、身なりのきちんとしたそれは、緩やかに微笑んで伏黒を出迎えた。
私は、君のお父さんから世話を頼まれたものだよ。よろしくね。
静かに微笑んでいた彼、顔を確かに見たのだ。優しそうな人だと、確かに思ったのだ。
けれど、全くといっていいほどにその顔がどんなものだったか、とんと覚えていない。
「誰だよ、あんた。」
「君の父君から世話を頼まれた者です。」
「あいつがそんなことするわけないだろう!?」
怒りのままに叫んだ伏黒に、彼は緩やかに微笑んだ。伏黒と同じぐらいにかがんで、笑っていた。
「それでも、私はここにいるよ。」
柔らかな声が、本当に、煩わしいほどに耳に響いていた。
彼の姉である津美紀はあっさりと男に懐いた。それも理解できる。男は何くれと二人の世話を焼いてくれた。
津美紀が率先していた家事も、家に帰れば終わっている。わがままを言っても、苦笑気味に彼は赦してくれた。
好きなご飯を作ってくれた、土日にならば連れて行ってもらったことのない遊園地にだって行ってくれた。
毎日ではなかったけれど、やってきては溜まった家事を片付けて、作り置きの食事を用意してくれた。
津美紀は久方ぶりに自分を甘やかしてくれる男に懐いていた。
男は、名前を名乗らなかったから、ずっとお兄ちゃんと自分たちは呼んでいた。
それでも、伏黒は男のことが嫌いだった。
信用はできない。信頼なんて欠片だってない。男は自分たちに危害を加えることはなかったけれど、それでも目的がなんなのかわからない。
父親から頼まれた事というのが何よりも信頼ができなかった。
あの男が?
自分たちを置いていったあの男が、何を持って自分たちの世話をしてくれる人間なんて者を送ってくるものか。
だから、ずっと何をしでかすのか監視し続けた。
追い返そうかと思っても、男が渡してくる生活費で自分たちは命を繋いでいた。男に頼らないという選択肢は幼い自分たちには難しかった。
嫌いだ、嫌いだ。
自分に微笑みかけてくるその男、優しいその男、自分を置いていった父親、会いに来ない父親。
嫌って、嫌って、嫌って。
ずっと、拒絶し続けた。津美紀に言われても、礼を言ったことはなかったし、無視を続けた。
彼はそれに何も言わなかった。
消えてしまえ、あっちにいけ。
何故だろうか、必死に男を嫌おうとした。嫌って、目を背けようとした。
人は嫌いだ。大人の男は嫌いだ。
視線をそらして、無視をした。
けれど、ある日のことだ。男は、ぽつりと聞いてきた。
「お父さんのことが嫌いかな?」
「嫌いに決まってる!」
その日は、珍しく津美紀の帰りが遅く、男と二人きりだった。
そんなとき、男は何気なく、洗濯物をたたみながら言った。
無言で宿題をしていた伏黒は吐き捨てるように言った。
「・・・・君の名前は、お父さんがつけたんだよ。」
「だからなんだよ!?どうせ、あいつのことだから適当につけたんだろう!?じゃなきゃ!」
たたき付けるように子供は、どうしようもない感情を叫んだ。
母のことは、すっかりもう忘れてしまった。いたのかさえも曖昧だった。だから、どうしようもなくて叫んだ。
唯一のこった父親は、滅多に会えず、転々とした見知らぬ女とのかすかな記憶。そうして、ようやく家族だと思える姉だけが幼い少年の縁だった。
嫌いだ、嫌いだ、嫌いだ。
父なんていらない。自分の家族は、津美紀だけ。彼女だけが、自分の家族だ。だから。
「・・・・あなたの父君は、恵まれない人だった。」
静かな声が、やっぱり耳朶をついた。とつとつと聞こえる声はどこまでも優しくて、心のどこかを撫でるように柔らかい。
言葉をかぶせようとしているのに、何故か、もう、黙り込んでしまう。
だって、だって。
「ことごとく、踏みにじられ、否定され、まあ中々に屑ではありましたが。それでも、あなたの母君のことは愛されていたのですよ」
恵とは、あの人が手に入れられなかったものそのものだったんです。
少しだけ、夕日に照らされた部屋の中で、それは笑っていた。
黄昏色の中で微笑みその男は、あんまりにも、本当に優しかったのだ。
「伏黒恵君。君がどう思っているかわからないけれど、君は確かに愛されていたんだよ。不器用に、かすかに、絶望していても、確かに彼は君の未来を願っていたんだよ。」
嘘だと思いたかった。違うと否定したかった。
今更柔らかな肯定を放られても、積み重ねてきた悲しみと寂しさは捨てることもできずに伏黒の中に降り積もっている。
おいで、と男は言った。何故だろうか、それがことごとく、緩やかに体にしみこんでしまう。
何故か、すがりついた。
あんなにも嫌いだったのに、信用なんてするものかと思っていたのに。
その柔らかで、穏やかな声を聞いていると、何故だろうか全てがことごとく溶けていく。
ぼたぼたと涙があふれて、擦り潰れそうな心がそれを信用していいと告げていた。
それは、確かに大人だったのだ。
伏黒が久方ぶりに出会った、大人であったのだ。
けれど、男はある日を境にいなくなってしまった。
男は、伏黒にそっとささやいた。
いいかい、これから銀の髪をした青年がやってくる。彼は信頼ができるから、頼りなさい。けれど、禪院家に行ってはいけない。そこじゃあ津美紀は幸せになれないから。
そうして、これは置き土産だ。いつか、きっと必要になるときが来る。
男はそう言って、そっと伏黒の影の中に何かを沈めていった。
男は彼の父親のようにいなくなってしまったけれど、伏黒は不思議と彼のことが
嫌いではなくなった。
わかるのだ。彼は、きっと優しい人だと。誰かの幸福を願う、善人であるのだと。
あの日、彼だけは伏黒の頭を撫でてくれたから。
だから、伏黒は思うのだ。
せめて、そんな優しい人だけは、どうか、救われて欲しいと。
ゲロを吐くほどの緊張は、とっくに超えていて。残ったのはひたすらなまでに重たい責任やら苦しみだった。
祐礼が何よりも悩んでいたのは、戦力についてだ。
事情が事情のせいで下手に仲間も、人も雇えない。ならば、どうするか。
絶対に裏切れないような存在を引き入れ、なおかつ祐礼の戦力を底上げするしかない。
(伏黒甚爾についても、なんとか五条とつながって仕事もしてるみたいだしな。)
伏黒甚爾は、原作でも指折りの強者だ。
いくら学生だからと言って、特級である夏油と五条をやり過ごし、そうして目的を達成したそれは見事といって差し支えがない。
あまりにも、見殺しにするには価値が彼にはありすぎた。
祐礼の術式、反転術式は能力的には単純で対象の在り方を反転させるものだ。だが、単純であるがゆえに使い方の応用は広い。
あることをないとし、ないことを在るとすることができるそれはひどく使い勝手がいい。
例えば、祐礼という存在を認識できるというそれを、認識できなくさせること。
例えば、不信感をひっくり返し、信頼へ。
例えば、無限を有限に。
もう少し頑張ればできることももっと広がるのだが。それでも、体にかかる負担を考えれば難しい面があった。
今回、祐礼が呪胎九相図を盗み出すことができたのは簡単な話で、自分の運をひっくり返したのだ。
たどり着けないだろうほどの運を、塵芥のような確率の中でそれを引き当てるほどの強運へと。
(しばらくは、相当運が悪くなるな。)
祐礼は偽名で借りているマンションの一室でため息を吐く。
自分がどれほど運が悪いままなのかわからない。
そうして、次に目をつけたのは、盗み出してきたそれだった。
祐礼は仲間を持つことができない。ただ、それでも引き込める存在はあった。
彼らと虎杖という家の関係性は不明だ。虎杖に対して、あの脳が本当に父であったのかはわからない。
ただ、それでも、彼らはおそらくあの脳のことをちらつかせれば味方に付いてくる可能性はある。
そうして、ほかにもいくつか呪具をかっぱらうことに成功した。
「そうか、肉体を用意しないといけないのか。」
誰を持ってこようか。誰を、犠牲にしようか。
どうせなら、とびっきりの悪党にしようか。そうだ、そうしようか。
どうせ、人殺しになるのなら、そちらのほうがずっとましだから。
祐礼はそのまま、ぼんやりと夢を見るように目の前の呪物に目線を向けた。
「・・・・お兄ちゃん、大丈夫?」
舌っ足らずな声がした。それに、祐礼はうっすらと微笑んだ。
「ああ、ごめんよ。真依。なんでもないから。」
祐礼の言葉に、幼い黒髪の少女は不思議そうな顔をした。
禪院真依を攫うと決めたのは単純な話、どうしてももう一人仲間が欲しかったためだ。
何よりも、祐礼は一つ、やり遂げなくてはいけないことがある。
原作でもあった、呪力からの脱却だ。
呪力が存在する間、虎杖悠仁の業は続いていく。両面宿儺の影はつきまとい続ける。
そのために、祐礼はどうしても呪力というものがどんなものか理解をしなくてはいけない。
が、祐礼の術式は確かに応用は利くが、呪力が何かを理解するためには不得手である。
そこで、目をつけたのが禪院真依だ。
彼女の持つ構築術式は、術式の中でも異端だ。
術式は、起こした結果が消えることはないが、永続するわけではない。構築術式は、呪力というエネルギーから有を生み出す。
おそらく、呪力というものを理解するためには最適の力だろう。
(何よりも、彼女という存在がいなくなろうと、そこまで大きな波紋があるわけではない。)
禪院家も、京都呪術高等専門学校も、そうして、禪院真希も。彼女の気性からして、なすこと自体は変わらないだろう。
だからこそ、好感度と信頼をひっくり返し連れてきた。
無邪気な少女は、柔らかな手を自分に伸ばす。温かなそれ、柔らかなそれ。
祐礼はうっすらと笑って、少女の手をそっと掴んだ。
祐礼はぼんやりと、自分の行き着く地獄についてを考えた。
伏黒の世話を一時的にしてたのはかわいそうだなって同情心と親父への敵対心をそぐため。好感度をひっくり返した。
真衣さんは呪力について知るために丁度よさそうだったため。ただ、申し訳なさと自分と同じ立場の双子の姉への申し訳なさがましましです。
お兄ちゃんと弟は、できるだけ早く出したい。あと、乙骨君。
次回は真衣さんと楽しい呪力の実験教室になる、かな?
感想、いただけると嬉しいです。
祐礼が考えているくもなんかの設定について知りたいでしょうか?小説の中ではたぶん部分的にしか出てこないので、関係ないと言えば関係ないんですが。
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知りたい
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別にいい