めちゃくちゃ堂々とあの方とか言ってるが第三勢力なんて存在しない   作:幽 

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最新話のネタバレがありますのでご注意ください。

真実に気づいてゲロを吐き、人でなしになることを誓うような話?
脹相さん出ましたが、出番は薄いです。
感想、いただけると嬉しいです。


偽物が騙る

「・・・・おはようございます、脹相様。」

 

緩やかに微笑んだそれは、まるで命を祝福する神父のようであったし、それと同時に死者を祝福する死神のようであった。

 

 

 

 

(はあ、憂鬱だ。)

 

板取祐礼はある呪詛師に受肉させた呪胎九相図の一人である脹相を前にしていた。

実のところ、今まで散々どういったスタンスでそれと関わるか悩んでいたためだ。

元々、原作では呪胎九相図の三兄弟が呪霊たちに加担していたのも、それ相応の理由がある。

自分は彼らを釣れるような目的を提示できるのか?

もちろん、前提として真人等の呪霊たちに引き合わせるという前提は組み込もうと思っている。何よりも、好感度の反転は行う気だが。

そうはいっても、原作で見せた脹相たちの異様な兄弟愛を前にどれほど影響が下せるかはわからない。

 

(・・・・人のことをいえた義理じゃないな。)

 

嘲笑じみたそれを浮かべた後、祐礼は肩を落とす。

壊相や血塗は今のところ、甚爾から奪った武器庫の呪霊の中に入れてある。この武器庫の呪霊の便利なところはいくらでも入る所はもちろん、入っているものを外から感知できない、そうして入れている呪霊に影響を及ぼさないところだろう。

今のところ、祐礼も甚爾と同じようなことをして、限界まで小さくしたそれを飲み込んでいる。

姿さえ消してしまえば、五条でも無い限り見破れないため便利なことだ。

 

(まあ、交渉が決裂した場合は、壊相、血塗を人質に取るしかないか。)

 

もちろん、リスキーすぎる判断であるのはわかるが、そうはいっても背に腹は代えられない。

そうして、祐礼は覚悟を決めてがたがたと恐怖に振える呪詛師の口に脹相を放り込んだ。

 

 

「・・・・立てますか?」

 

祐礼は目の前にいる真っ裸の男に話しかける。

(鈍いな。いや、確か壊相たちは受肉してすぐに動けていたはずだ。)

祐礼の差し出したそれに、脹相は驚いた顔をしていたが素直に手を取った。祐礼は目の前に現れた素っ裸にいたたまれなくなり、用意していた着流しを肩にかけてやる。

 

「・・・・名前は?」

 

祐礼はそれを意外に思う。

何者だ、でも。目的、でも。弟、でもなく。祐礼自身の名前を聞いてきたことが意外だった。

 

(すでに好感度反転をかけているせいか?)

 

「これは失礼を。我らは幽霊。くもなる御方に使えている従僕が一人。どうか、私のことを区別するならば、黒とお呼びを。」

 

いつも通りの口上をした後、祐礼は気を取り直して微笑んだ。

 

「それでは、脹相様。」

「違う。」

「はい、というと・・・・」

「お兄ちゃんだ。」

「は?」

 

思わず飛び出た素の言葉に、素っ裸の男は祐礼の肩をがしりと掴んだ。

 

「俺は、お前のお兄ちゃんだ!」

 

 

(待て待て待て待て待て待て!!!)

 

祐礼はそれこそ、頭の中で叫ぶようにそんなことを考える。

目の前には、なんとか着流しを着せた脹相がいる。彼はふんと鼻を鳴らして祐礼を見ている。

 

「・・・・あの、脹相様。」

「だから、お兄ちゃんと。」

「いえ、お待ちください。その、お兄ちゃんというのはいったい?」

「お前が俺の弟であり、俺はお前の・・・・」

「お待ち下さい。私があなたの弟である根拠はありますか?」

 

原作では確かに脹相は虎杖に関しては兄であることを主張していた。もちろん、あれ自体何かしらの理由があるのかも知れない。ただ、そうはいっても自分がそう言われる理由は何だ?

 

(東堂だっけ。あいつにも同じように記憶ができてたけど。いや、確かにあの力自体は何なんだ。)

「繋がりを感じる。確かに、お前と俺の血は繋がっている。」

お前は、俺の弟だ。

 

断言する、脹相の言葉。それに、祐礼はずっとそらし続けた何かを理解する。

祐礼は正直言って、一つだけしなくてはいけないとわかりながら、避け続けたことがある。

もちろん、天元についての一連の事件や、伏黒甚爾についてのことが立て込んでいた部分はある。

けれど、それでも、できれば知らずに生きていければと思っていたのだ。

ひどく、ひどく、気遣わしげな顔をした男が自分の腕を掴んでいる。

弟と、彼は言う。彼が自分の兄であるのなら。

さて、己の、そうして虎杖悠仁の親とは誰なのか。

 

 

「・・・・・まじか。」

「まじです。」

 

板取祐礼の前に置かれた、濁った紫色の石。それを、祐礼は光にかざした。それは、認めるべく、呪力の塊だった。

 

「お兄ちゃん、私、えらい!?」

「ああ、そうだな。こりゃあ、期待以上・・・・」

 

正直言って、この結果に至るとはまったく思っていなかった。元より、真依の呪力は非常に少ない。ならば、作れるものなど些細なものだろう。

 

「そうか、確かに変化をさせずにそのままにすれば。」

 

祐礼はそんなことを言いつつ、じっと石を見る。

 

(まあ、借り名で呪力石、いや、ダサいか。謎めいたって感じで四魂の石とでも呼んでやろうか。)

 

ただ、祐礼はゆるりとこみ上げてくる笑みを抑えきれない。

使い方によって、上層部の方にまで影響を与えられるかもしれない。

 

「わあ、わっるい顔してますねえ。ところで、あなたはどちら様ですか?」

「俺は黒のお兄ちゃんだ。」

 

灰原の言葉に祐礼は現実に引き戻される。

今いるのは、真依と灰原が住み、そうして祐礼が現在拠点にしている場所だ。その居間にて、ラグの上にあぐらをかいた祐礼を中心に真依、灰原、そうして脹相が座っている。

本音を言うならば、祐礼としては脹相にはほかにある拠点に置いておきたかったのだ。だが、灰原から連絡でいったん帰ることにした祐礼を脹相はてこでも放さなかった。連絡にあった真依が作ったという石に興味があったためにどうしても帰りたかった祐礼はそれを振り切ることもできなかった。

弟二人と一緒にしておけば大人しくなることも考えたが、脹相のぶっ飛びっぷりに受肉はいったん止めておくこととなった。

そうして、一人でいることを嫌がり、全力でだだをこねた兄を名乗るそれに祐礼が根負けしたのだ。

 

「へえ、幽霊さん、お兄さんがいたんですね。あんまり似てないけど。」

「・・・・待て、灰原。それは兄を名乗る他人だ。」

「違う、俺はお兄ちゃんだ!」

「主張だけは、本当にでかいな・・・・」

 

ぼやくようなそれの後、祐礼は真依がびくりと体を震わせているのを横目に見る。それに祐礼は急いで、真依に手を差し出した。それに真依は全てを察したのか、祐礼の膝の上に彼女は飛び乗る。祐礼は真依の背をなだめながら、脹相に言った。

 

「・・・この子が怯えるので、大きな声は控えてくれ。」

 

不機嫌そうな祐礼の言葉に、脹相は悲しそうにしゅんとした顔をする。

 

「あ、ああ。そうか、すまない。」

(・・・・・変なとこで押しが弱いな。)

「・・・・お兄ちゃん、この人誰?」

「大丈夫、真依にひどいことはさせないよ。ただ、この人は少しだけ、寝起きなんだよ。」

「ねおき?」

「そうそう。だから、少しだけちょっと色々ぼんやりしてて慌ててる。それだけだよ。」

 

真依は信頼している祐礼の言葉に少しだけ脹相を見た。

それに祐礼はため息をつく。

 

「ほら、真依。ちょっと降りなさい。兄ちゃん、用があるから。」

「えー。」

「またちゃんと遊んでやるから。」

 

それに真依は不機嫌そうな顔をするが、渋々と祐礼の膝の上から降りる。それを確認した後、灰原の方を見た。

 

「・・・・灰原、俺は少し出てくる。脹相のことを頼めるか。」

「待て、黒!一人でどこに行くんだ!?それに、俺はお前の名前を聞いてないぞ!」

 

立ち上がりかけた祐礼に脹相は叫んだ。

祐礼はそれに内心で思いっきり顔をしかめた。

もちろん、脹相というそれを起こせばそれ相応に面倒ごとがあるとは思っていた。だが、こういった系統の面倒ごとは予想していなかった。

ぐぐぐぐと掴まれた手に祐礼の体は傾いた。

 

(つれてけるか!)

 

これから祐礼が向かう場所には、絶対と言っていいほど連れて行けない。

 

「・・・・なら、真依と灰原の護衛を頼めるか」

「何?」

「もちろん、頼めるよな、兄さん?」

 

じゃないと嫌いになるからな。

最後に兄、というそれに脹相は一瞬の隙を見せる。その間、祐礼はさっさと部屋からするりと抜け出した。

 

「灰原、引き留めろ!」

 

脹相は慌てて祐礼を追いかける。が、その言葉に動いた灰原によって止められる。

 

「くそ!」

 

脹相は見失ってしまった祐礼に苛立ちのこもった声を上げる。

 

「ちょうそう、さん?でしたっけ。ともかく一旦は落ち着いた方がいいですよ。幽霊さん、出て行くとすぐには帰りませんから。」

 

部屋の入り口でそう言われた脹相は振り返る。今すぐにでも弟を追いかけたいと思いはしたが、脳裏に思い出すのは、嫌いになるという一言。

振り返った先にいた、やたらと愛想のいい青年と不安そうな少女を見る。

 

「・・・・わかった。」

 

脹相は、ひとまずは弟からの頼み事を引き受けることを決意する。何よりも、耳元で幾度も嫌いになるという単語がこだましていた。

 

「俺はお兄ちゃんだからな!」

「ところで、ちょうそうさん、好きなもの何ですか?」

 

 

 

くさい物に蓋をしたとしてもどうしようもない。

例え、何も感じなくなったとして、処理をしなくてはいけない事実はあるのだから。

それでも、どうしても目をそらしてしまった。

祐礼は、うろんなまで二度と帰ってきたくないと思っていた場所を見回した。

見慣れているようで、けれど懐かしい場所。

板取祐礼はぼんやりとした目で、自分の故郷を見回した。

 

 

(・・・・変装のためとはいえ女の格好をすることに抵抗がなくなってきたのはすっげえ不本意なんだが。)

 

ぼやくようにそんなことを思いながら、祐礼はため息をつく。

今のところ、姿として幼女と老人があるが、そうはいってももう少しレパートリーというものは必要だろう。

 

(味方に、煽るのも、憎まれるのも、疑惑を持たれるのも。カードは多い方がいい。)

 

が、そのために本気で設定を作ったり、衣装を用意したりというのはなかなかにキツいものがある。

祐礼はぐったりとした思想のまま、見慣れた道を歩く。

ぐらぐらとするような、腹に効くような重さを感じる。それでも、祐礼は以前よりもずっと確かな足取りで道を歩いていた。

たんたんと、道を歩く。そこには動揺などはない。それでも、ぎりぎりと胸の奥で何かがきしみをあげる。

目指すのは、生まれ育った場所だ。己が、散々に拒否して、一度は逃げ出した場所だ。それでも、行こうと決めたのは自分自身だった。

 

 

 

虎杖悠仁は、ぼんやりとした表情で公園で砂遊びをしていた。本当を言えば、遊ぶ気力さえもろくろく存在はしなかった。だが、ずっと家にいるのも体に悪いと連れ出してくれた祖父の顔を見ると帰るとも言えなかった。

虎杖はちらりと遠目の自動販売機で何かを買っているらしい祖父を見る。

一人で黙々と砂遊びをしていた。けれど、欠片だって気は晴れない。

 

(・・・ゆーと、どうしてるのかな。)

 

虎杖の中にあるのは、ある日を境にいなくなってしまった双子の兄のことだった。

その日は、本当にいつもどおりだった。ただ、庭先で二人で遊んでいた。自分は壁にボールを投げて遊んでいたし、双子の兄は庭の隅でありの隊列を見ていた。

いつも通りだ、いつも通り。

だから、唐突に祐礼が立ち上がって走り出したことも気にしなかった。だって、虎杖にとって、祐礼はいつだって大人しい、いい子であったからだ。

言うこともよく聞いて、物静かで、大人たちから太鼓判を押されるほどのいい子だった。

 

(・・・・どこに、いっちゃったんだろう。)

 

大人たちがひそひそ言っていたのは聞いた。兄は、駅で誰かを追いかけていたらしい。

待ってよ、お兄ちゃんと。

警察にも届け出た。近所の人も探してくれている。でも、兄は見つからない。

祖父がだんだんと焦燥しているのはなんとなしにわかる。

沈んだ顔で、べたべたと砂の山を撫でる。

それに、虎杖は兄は砂遊びが好きだったなあと思い出す。

 

(おねつでて、でも、さがって。それで。)

 

うるうると目に涙が張っていくのがわかる。今にもこぼれそうなとき、視界の端で何かが動いた。

 

 

(泣かないんだなあ。)

 

祐礼はぼんやりと自分の隣に座った、幼い弟のことを見た。

小さな手だ。まるで、クリームパンみたいに柔っこそうで、そうして真っ白な手。ボールほどの頭に、まるでぬいぐるみのように小さな体。

祐礼は自分の体を見た。

髪の長い、成人した女の体。何もかもが正反対だ。本当なら、自分は目の前の片割れと鏡の写し身のようにそっくりであるはずなのに。

なのに、何もかもが違う。

虎杖を探すのは簡単だ。元より、幼い虎杖の動く範囲は広くない。せいぜい、買い物のためにスーパーに行くだとか。あとは、近くの公園に行くだとか。その程度だった。

だからこそ、すぐに虎杖を見つけることができた。目の前であからさまに落とし物をすれば、すぐに話しかけられるのは彼のことを理解していればわかる。虎杖を通じて、祖父と接触をはかろうと思っていた。

 

(にしても、好感度反転もしてないのに、ここまで警戒心がないのはどうなんだ?)

 

もちろん、祖父との関わりを目的に接触をした自分が言えた義理ではないのだが。

祐礼はそのまま、仲良くなったという体で虎杖のたわいもない話を聞く。

よく行くスーパー、くそ爺が連れて行くパチンコに、家で何をして遊ぶのか。

それを、祐礼はうんうんと頷く。

 

(知ってるよ。)

 

虎杖の話す全てが、どうしようもなく、泣きたくなるほどになじんでいく。

うん、うんと、ひたすら相づちを打つ。

知ってる。全部、知ってるさ。だって、そうだった。お前の世界は俺の世界だった。

自分だってそうだったのだ。

 

(知っている。そう、この公園に、商店街、そうしてあの家が。それだけが。)

いたどりゆうとの世界だった。

 

涙など出てこない。乾ききった眼球が、ただ、虎杖の幼い顔を見る。完璧な作り笑いを浮かべた顔は、欠片だって動揺も、悲しみも浮かべない。

抱きしめてやりたい。今すぐにでも、子供の姿に戻って、驚いた虎杖の顔を見たい。そうしたら、帰るのだ。無愛想で、でも、悪い人ではない祖父の元に。

散々に怒られたら、祖父の作る鍋が食べたい。そうだ、ショウガが入った鶏団子の入った、あれ。

何もかも、忘れて。そうだ、全部夢だと思って。ただ、家に帰りたい。

手が、動きそうになる。弟に、すがりつくように抱きつきたい。前のように、団子のようになって昼寝を、そうだ、だから。

 

「おい、悠仁!」

 

たたき付けられた怒りの声に、祐礼は声の方を見た。

皺の刻んだ顔、険のある目つき。それでも、自分をきっと大事にしてくれた老いた男がそこにいた。

 

「すまんな。」

「いいえ、私こそ。驚かれましたよね。お孫さんの近くに知らない人間がいるんですから。」

 

祐礼は泣きたくなるほどに懐かしい、己の祖父を見た。

夢を見ているようだった。虎杖との接触のせいか、いや、それ以上に焦燥しきった祖父のそれを見て余計に祐礼の中で罪悪感が膨らんでいく。

祖父は、祐礼が覚えている姿以上に痩せていた。

それはそうだ。だって、己の孫の一人がいなくなったのだ。おまけに、誘拐であろうとすれば余計にだろう。

 

(・・・・探すのを諦めて欲しくて、わざとお兄ちゃんとか叫びながら駅で走り回ったからなあ。)

 

好感度を反転したせいか、祖父の中で孫に近寄る不審者ではなく、親切な誰かとして扱われている。どうやら、虎杖のために水分を買ってきたらしい祖父は、自分の目の前で遊んでいる虎杖を見ている。

 

「すまんな。少し、色々あって気がたっとってな。少しは、息抜きにとおもっとったが。」

「何か、あったんでしょうか?」

 

祐礼の声は、どんな人間にだってまるで聖母かなにかのように響くだろう。甘くて、柔らかくて、くらくらするような。

まるで、幼い子供にとって親のように、信頼と縁と愛にあふれた声に聞こえる。

 

「その、心配になってしまって。」

 

それは、真実を誘い出すための、単なる切り口だ。けれど、祖父は少しだけ考えた後にぼそりと、口を開いた。

 

「・・・・孫が一人、いなくなってなあ。」

自分のせいだ、目を、はなしてしまったから。

 

それに、祐礼は後頭部に強い衝撃を受けた。

二人で隣だってベンチに座り、虎杖を見ていた。虎杖はせっせと泥団子を丸めている。ぴかぴかの、泥団子。ひどく無意味で、けれど、ぴかぴかとした泥団子。

少しだけ、目を離してしまった。だから、いなくなって。せめて、見つけてやりたいと思っている。

漏れ聞こえてくるそれ。

祖父が、孫を思う心。いなくなってしまった家族を心配する声。

いるんだ、どこかにきっと。だから、見つけてやりたいんだ。それは、胸の奥をえぐるような声だった。

優しい、かはわからないが。それでも、きっと、彼らは不幸になるべきではないのだ。

それを、改めて理解する。

どこにだっている。聖人君子ではないだろう。けれど、不幸になることだって絶対に無いような、そんな人。

悲しんでいると、わかる。自分がいなくなって。けれど、必死に探してくれている。駅前には変わらずにチラシが貼ってあって。虎杖からまだ探しているんだと、聞いて。

 

(・・・・いいじゃないか。)

 

そう思った。堅物の祖父が、困り顔で虎杖を見ていた。虎杖は、自分に綺麗に作れたと泥団子を見せてくる。

 

(なあ。いいじゃないか。)

 

もう、このまま全てを放り出して逃げたって。そうだ、赦されるんじゃないのか?

だって、そうだろう。自分が行うには、あまりにも過ぎた目的だ。

祐礼の術式は確かに便利だろう。けれど、どこまでのことができるのか。

今でさえも、ぎりぎりの綱渡りだ。

真依のことも、灰原のことも、脹相のことだって、放り出してはいけないのだろう。けれど、それでも、このままここにいたいと、そんなことを思ってしまう。このまま、子供に戻って、そうして祖父にただいまというのだ。虎杖にだって、ただいまというのだ。

そうだ、別に祖父は確かに死ぬけれど、十分生きて死ぬのだ。虎杖は、両面宿儺の指に近づけなければいい。

そうだ、例え、どんな地獄が起きたって。関係なんて、そうだ。あるはずが。

 

「・・・・・父君たちも心配されているでしょうね。」

 

それはあらかじめ考えていた、自分の父母について聞き出すための台詞だ。それを吐き出したのは、すり切れた何かが機械的に吐き出しただけだった。

それに、祖父はああと無意識のように吐き出した。

 

「あれが母親なものか。あれはおかしい。仁のことを幾度も止めたというのに。」

 

何よりも、額に縫い目があるなど何があったのか。

祐礼の目はゆっくりと見開かれた。

甘ったるい、すり切れた、崩れかけて、敗北しかけた、精神は簡単にひっくり返る。

見ていた夢は、醒めてしまう。逃げ出したいと願った現実は残酷なほどに祐礼の前で微笑んだ。

 

 

 

(そういや、何にも食ってなかったな。)

 

トイレの中にぶちまけられた吐瀉物は、何の面影もない。水に混じったそれはもうすでに、かすかな泡だけが名残として残っている。

空っぽの胃が吐き出せるのは、胃液だけだ。

祐礼がいるのは、彼がいくつか用意しておいた拠点の内の一つ。そのトイレだ。

あの後、祐礼は気分が悪いと席を立ち、そうして暴れる理性を必死に奮い立たせて、撤退を選んだ。

祐礼は、こみ上げてくる何かを散々に吐き出して、そうして止まることのない嫌悪感の後に、漏れ出てきたのは哄笑だった。

 

「ふ、ふふふふふふふふふふ。あははははははははははははははははは!!!」

 

ゆだるような、くだらないような、祐礼はトイレに捕まりひたすらなまでに笑い転げた。涙と鼻水がだらだらと流れ落ち、そのままに湧き出てくるように笑みがこぼれ落ちた。

 

「くっだらねえ!!」

 

だん、と祐礼はトイレから這いずり出るような形で体を投げ出した廊下の床を拳で叩いた。

 

「夢なんざ、見れる立場だと思ってたのかよ?」

思ってなんか無かったさ。

 

「どの面下げて、逃げ出せるなんて考えた?」

それでも逃げ出したかったんだ。あの場所にいたかったんだ。

 

「散々、やらかしてたんだろう。」

それでも。悠仁とじいちゃんの側に。

 

「・・・・黙れよ、結局中身は他人じゃねえか!!!」

 

たたき付けるように祐礼は叫ぶ。がんと、何にむけているかわからない。その言葉に、祐礼はまるで夢から覚めたように目を見開いた。そうして、次には胎児のように丸まった。

 

「・・・・・そうだよ、おれ。ゆうとじゃないんだよ。」

 

そうだ、ここにいる男は、どこまでもいたどりゆうとではない。自分の名前さえも思い出せない。それでも、自分がいたどりゆうとではないと知っている。

考えてみて欲しい。かわいい自分の、例えば姪っ子だとか甥っ子だとか、子供だとか、そんなものに成熟しきった赤の他人の精神が入ってるってものすごく気持ちが悪いだろう。

 

(間違ってたんだよ。俺は、俺って存在は。)

 

それでも、ぼたぼたと流れてくる涙でかすんだ視界の中で考えたのは、虎杖家での思い出だ。

ああ、それでも。

この中身である存在が間違っていたとしても。未だ生きていること自体が間違っていたとしても。

 

(あいされてたんだよ、いたどりゆうとは。それでも、あいされてたんだよ。)

 

ぼたぼたと、流れ落ちていく涙。吐き出し続けた体液が口元からだらだらと流れていく。

祐礼は自分の胸ぐらを握りしめて、歯を食いしばった。

 

「くそったれが。」

 

吐き出した言葉、なるほど、まさしく笑える話だ。

祐礼は、己自身を嫌悪する。己に流れているらしい、あの男の血を嫌悪する。

 

(なるほど、そうかよ。全部、あれの手のひらの上ってか?)

 

祐礼はげらげらとまた笑う。笑うしかないから、笑う。

自分の母親の頭には縫い糸があって、それを祖父はひどく嫌悪をしていた。

これでも、信じていたのだ。虎杖悠仁という青年は、確かに日の光の下で生きていくような人生を歩んでいるのだ。そうだとも思った、そうであって欲しかった。

だから、自分の父母のことを探れなかった。

いや、なんとなしにわかっていた。漫画の考察なんかが流れてきて、あー確かにありそうなんてのんきに思った記憶があった。

けれど、信じたくはなかったのだ。漫画とここは違うだろう。だって、この世界には作者なんていないし、どこまでも残酷に誰かの選択肢によって積み上げられた結果があるだけなんだと。

笑える話じゃないか。自分こそが、この身こそが、あの男の企てる何かの一部であるのだ。あの男の織りなす計画の一つなのだ。

実験の一つ。些細な積み上げ。試行例。

どこかのマッドサイエンティストの好奇心のなれの果て。

呪胎九相図のことだって笑えやしない。いや、彼らはすでに男にとっての結末を迎えたというならば、これからその結果に至る自分こそがよっぽど救えやしないのだ。

胃液でぐちゃぐちゃな口からまた乾いた笑い声が漏れ出てきた。

 

(なあ、あんた。俺とあんたが親子ってすっげえぴったりだよ。だって俺、間違ってんだよ。そうだよ、そもそも、俺って存在はこの世界のバグなのさ。ああ、そうだ。俺も、あんたも、生きてることが間違いなんだよ。)

 

なあ、お母さん。

そうだ、だから。

祐礼は、ずっと、ずっと、未練たらしく引きずったそれを静かにぶつりと、断ち切った。

いつか、幸せになりたいとも思った。

いつか、あの家に帰りたいと思った。

いつか、弟とたわいもない話をしたいと思った。

いつか、いつか、いつか。

祐礼は、それを、淡々と、淡々と、丁寧に断ち切っていく。

全てが終わったら、どうか、叶うならと願ったことを悉く消し去っていく。

悠仁の柔らかなほっぺた、伏黒恵の涙、禪院真依の甘えるように差し出される手、灰原雄のさっぱりとした笑み。

ぼたぼたと、流れていく涙と共に、それを淡々と手からはなしていく。

 

背負った業はなんのためにあるのだろうか?

背負わされた業の責任は誰がとるのだろうか。

いつか、たくさんの人を殺すのかもしれない。いつか、たくさんの善性と幸福を踏みにじるのかもしれない。

けれど、背負わされたあの子に何の罪があるのだろうか。

 

ああ、ああ、お母さん。醜くて、大っ嫌いな、おかあさん。

いいさ、わかった。それを事実を受け入れよう。その、きたねえ血も、とち狂った思考も、受け入れるさ。

あんたがいたからこそ、俺とあの子がいるというならば、それを受け入れよう。

それでも、やっぱり俺は間違っている。だから、だから、だからさ、おかあさん。

どうか、間違ってしまった俺と、どうか、死んでくれ。

 

 

 

ぎしりと、廊下が軋む音に、脹相は起き上がった。彼の周りには、散々真依と遊んだ後が広がっている。

彼はそっと足音を殺して、居間に向かう。

そうして、そこには彼の待ち望んだ、おそらく末っ子がいた。

脹相はやっと帰ってきた末っ子に声をかけようとした。

 

「・・・・ああ、起きてたのか。」

 

発せられた声、そうして自分の方を見た青年。何故か、彼を見て、自分の弟であるそれを見て、黙り込んでしまった。

 

「悪かったな。血塗たちはすぐに会わせてやるからな。久しぶりの再会だ、嬉しいだろう?」

「あ、ああ。そうだな。」

「そうか。ああ、そういえば、灰原から連絡が来てた。真依の世話してくれたんだよな?いや、俺もなかなか構ってやれねえからさ。」

「・・・・おい、黒。」

「うん?」

「お前、大丈夫か?」

 

脹相の言葉に、祐礼は変わることなく、術式で認識を歪めた顔で微笑んだ。脹相には、まるで優しげな文学青年に見えている顔で、穏やかに微笑んだ。

 

「・・・・さあ?」

 

特別なことなんて何もないよ。

そういって、穏やかに微笑んだ。

 

 

 

その日、男は神様を見たのだと思う。

だって、そうとしか言い様がないのだ。男は、久方ぶりに回ってきた自分の番にうきうきと沸き立つ。

薄暗い廊下を歩き、そうして一番奥の部屋にたどり着いた。男は、それに深く息を吸う。

 

「・・・・はい、ります。」

「どうぞ。」

 

その声を聞くだけで、男はまるで天にも昇るような気持ちで扉を開けた。

 

男の人生とは、まさしくどん底だった。

初めて付き合った女に騙され、こつこつ貯めたお金をむしり取られ、挙げ句の果てに浮気までされたのだ。

もしかすれば、鼻で笑うやつだっているのかもしれない。けれど、男にとっては絶望して死ぬには十分なものだった。

死ぬ気だった。そうだ、死ぬ気だった。誰もいない、ビルの上。そこから、飛び降りて死ぬはずだった。

けれど、その日、彼は神様に会ったのだ。

 

「どうしました?」

 

最初はそんな声が聞こえただけだと思った。けれど、振り向いて、これから死ぬんだと怒鳴りつけようとしたとき、目が合った。

表現はできない。ただ、掠れていく印象の中で、その声がだけが暗闇に照らされた光のように優しかった。

あなたの言葉を聞かせてください、あなたの悲しみ、苦しみを、どうか教えてください。

わからない、ただ、その声がひたすらなまでに優しくて、麻薬のように頭の中にしみこんでいく。

信じられる、ただ、少しはなしただけでそれを理解した。理由なんてものは存在しない。ただ、信じられる。

世界の何もかもがひっくり返って、地獄になっても、その人のことだけは信じられる。

何故か、そんな確信だけが芽生えた。

何かが決壊したように男は泣いて、わめいた。それに、神様は静かにうんうんと頷いてくれた。

それだけで、何かが救われた気がした。

 

ここ、星の子の家という宗教団体を紹介されたときだって疑う気は起きなかった。昔は、別の名前で活動していたらしいがこのごろ名前を変えたらしい。

が、男にとってはどうでもいい。

別に、何かを買うように責められるわけではない。月々、会費は取られてもそこまで多額と言うことはない。

団体は、好き勝手に喋られる場所を用意していて、干渉をしてくるわけではなかった。ただ、話を聞いて欲しいときにそっと輪の中に入れてくれる。

そこは、そういう場所だった。

何よりも最高なのは、別段お布施を大量に払わなくとも、順番さえ来ればあの人と会えるのだ。

 

「・・・・どうかしましたか?」

 

穏やかな声がする。優しい声がする。

その声は、神様みたいに優しそうで、柔らかで。

 

「いいえ、なんでもないんです。」

 

その声だけは信じられる、その声だけを聞いていたい。その人さえいれば、それだけで自分はいい。

 

 

 

「・・・・・特別変わったこともない。」

 

祐礼はぼんやりと呟いた。

ぱらりと捲ったのは、星の子の家に差し出された報告書のようなものだ。

以前から、新しく幹部になった人間に手を回してはあったのだ。

今回、本格的に祐礼は教団にまで手を回したのは、一つ、実験をしたいがためだった。

ころん、と転がる紫色の石。

それは、真依が作った、呪力を吸収する性質を持った石だった。

少女に呪力を認識できる眼、そうして脹相という良くも悪くも面倒見のいい存在を師としてあてがったのが良かったのだろう。

祐礼は紫色のそれこそ、彼女を拾い上げた何よりの価値であるとした。

教団に、今にも死にそうな存在を集めたのはひとえにその石が本当に呪力を吸収できるかを確かめるためだった。

祐礼の好意の反転は、絶望し、人を拒絶する者だからこそよく効いた。言っては何だが、丁度いい駒として役立つだろう。

ころんと、また祐礼は紫色の石を手で突く。

呪力の電池。それさえあれば、やれることは格段に上がるはずだ。

 

「・・・・呪術の鍛錬しねえと、それと、本格的に呪術界隈の老害どもへの干渉もはじめねえと。」

 

祐礼はぼそぼそと、次にやってくことを頭の中でくみ上げていく。

そうして、ちらりと窓を見た。

 

おかあさんに、自分のことはばれているか?

この疑問は、真実を知った日からずっと疑問であった。男が自分に気づいているのか?

けれど、はっきりいって、気づいていようと気づいていまいと構わないのだ。

祐礼にとって重要なのは、自分の行動全てが把握されていないこと、思考が読まれていないこと、これだけで構わない。

言ってしまえば、くもという存在が嘘でなく、そうして幽霊という存在さえ信じてくれれば構わない。

さすがに、男が祐礼の行動の全てを把握するというのは無理だろう。

体を乗っ取るという事実を自分は知っている。

どちらにしようとかまわない。祐礼が望むのは、一つだけ。

間違いが正される。それだけを、望んでいる。

 




ちゃんと真衣ちゃんのこととか、幽霊の術式の話とか次回します。
あと、そろそろ原作に突っ込んでいこうかなあと思ってます。
また、何かありましたらこちらにどうぞ。
https://odaibako.net/u/kaede_770

祐礼が考えているくもなんかの設定について知りたいでしょうか?小説の中ではたぶん部分的にしか出てこないので、関係ないと言えば関係ないんですが。

  • 知りたい
  • 別にいい

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